この前のエントリーで書いたように、このたびの新型コロナウイルス禍というのは歴史上の大事件である。であればこそ、日本で感染爆発が起きても全くおかしくない今、東京の片隅で暮らしている一庶民がどんなことを考えていたのかというのを記録するのも、いかほどか意味のあることかもしれぬ。ということで、今、ちょっと考えていることを書いておきたい。


オレがたまに覗きにいくブログに「江草乗の言いたい放題」というのがある。ひと言でいうと、「へそ曲がりな拗ね者が世の中に向けて罵詈雑言を発する」というタイプのブログで、つまりオレの大好きなタイプのブログである。ここで最近、書き手である江草乗氏が「みんなで引きこもり」というタイトルのエントリーを書いていた。これがとても良かった。

リンクを張っているので直接とんでいって読んで頂くのが良いのだが、どういう事を言っているかというと、要するに、これまで「引きこもり」というのは世間的にはとても後ろめたい行為であった。だが、今回のコロナウイルスの感染症というのは、とにかく人が集まってワイワイガヤガヤすると一気に感染が広まってしまう病気である。すると、事情はかなり変わってくる。そう、今までずっと白い目でみられていた「引きこもり」というのは、一転してとても好ましい行動になってしまったのである。引きこもればウイルスを移すこともなく、移されることもない。そういうことでオカミも「もう外にでないで家の中にずっといてください」と懇願しているほどである。

この江草氏はそういった動向を鋭く見抜き、この文章を次のような力強い言葉で締めくくっている。「オレも引きこもりの道を模索しないといけないのである。がんばって引きこもらないといけない」。


一読して、全くその通りであると思った。と同時に思ったのは、これまで世間は「引きこもり」をさんざんバカにしてきたけれども、そんな常識なんてものは、しょせん特定の時代・場所でしか通用しないものなのではないか、ということだった。

改めて我々が生きているこの現代社会の常識というのを確認すると、人がいっぱい集まって賑やかで経済活動が盛んに行われているような場所はスバラシイということになっている。一方で、山間の限界集落とかでほとんど人が住んでいない過疎地というのはみすぼらしくてミジメである。

あるいは、人間のキャラクターなんてものを考えてみても、社交的でいろんな人と気軽にペチャクチャおしゃべりするような人は「明るい」とかいってみんなから愛され、好かれる。逆に人見知りをしたり人付き合いが苦手だったりして、口数の少ない人間・でしゃばることのできない人間は「暗い」とかいって敬遠される。先に出てきた「引きこもり」なんていうのも、おそらくそういう価値観の中でディスられてきた。

だが、しかし。先にも言ったように、新型コロナウイルスとの戦いにおいては、この「賑やかな都会」「ペチャクチャおしゃべりする社交的人間」といった従来はプラス評価をされてきたモノが、すげえ迷惑な存在になってしまっている。とにかくそういう場所・人間は感染をドンドン広げかねず、最悪の場合「文明」を破壊してしまうのである。であるからこそ、先の江草氏の指摘の通り、ずっとさげすまれてきた「引きこもり」が、今では逆に好ましいライフスタイルになっている。

まさに180度の価値観の大転換である。確かにコロナ問題にはオレなども心を痛めているのではあるが、一方で、オレなども先のキャラクター類型でいえば「暗い」とか言われがちなタイプなので、この大逆転劇に「そらみたことか。世の中の価値観なんて別に絶対的なものじゃねえんだよ! なんなんだ、引きこもりをさんざんバカにしやがって!」的なことを口走りたい気分もいかほどかある。


で、さらに思うのである。そもそも種としての生物が生き残っていくためには、突然変異によって平均値から離れた性質をもった固体が生まれてくることが重要である。環境というものは変わる。環境が変われば、生物はそれに適合していかねばならない。だが、特定の環境で生きていくのにピッタリというような固体ばっかりだったらどうか。その集団は変化に弱い。細々とであれ、集団の中に「主流に乗れない変わったタイプ」を生かしておく。そういった連中こそが、環境に大きな変化が起きた時、ちょうど活躍できるタイプかもしれない(できないことも多いだろうがw)。

かように、時流に乗れないタイプの存在というのは、実は社会にとってはムダではない。先の江草氏の主張に沿っていえば、「家の中にずっと籠もって時が過ぎるのを待つ」というふるまいをつつがなく完遂できるのは実は大きな才能なのかもしれない。同様に、都会はエラく、田舎はミジメというのも大いなる幻想で、田舎には田舎の存在意義がちゃんとある。この騒ぎが終息したのち、そんな風に感じる人が少しでも増えていればいいのだが。







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というわけで、この3月に入って世界各国を一気に震撼させるに至った新型コロナウイルスは、我がニッポンでも着々と感染者を増やし続けているようである。

素人なりに色々なニュースなどをみていると、何となく今はどういう状況なのかが分かってくる。

結局のところ、1年だか1年半後だかしらんが、世界の科学・医学者たちが一生懸命作っているワクチンや治療薬ができるまでは、だましだまし感染の拡大を抑えていくしかないようである。

もちろん、いったん感染した人には免疫ができるので、国民の5割6割が罹患してしまうともう爆発的な感染はおこらず、つまり落ち着いていく。いわゆる「集団免疫」ができた状態である。その段階までジッと耐え忍ぶという手もないではないのだが、しかしこのウイルスの罹患者の致死率は1~2%とか言われているので、仮に日本国民1億2000万人の5割=約6000万人が罹患するとすると――そしてワクチン・治療薬がないとすると――致死率1~2%として自動的に60-120万人が死ぬ。

いま日本で1年間に死ぬ人は約130万人だというから、仮に1年間で60万人が死ぬと平時のほぼ5割増しであり、120万人だとほぼ2倍である。もちろん、ほっといても死にそうな人が新型コロナでとどめを刺されるケースもあるハズなので単純にそれだけ増えるワケではないだろうが、まぁ実感としては毎日そこらじゅうで葬式やってる感じになるだろう。

というか、第二次世界大戦で、兵士とかじゃなくて国内で犠牲になった市民は80万人だったというから、ほとんどそれに匹敵する感じでバタバタ人が死んでいくのである。

というところまで考えてくると、なんかどんよりした気分になってきて、そういえばこんな感じ前にもあったなぁと思い出すのは、例の東日本大震災のあとの「福島第一原発が爆発するんじゃないか」と言われていた日々のことだった。

そしてこういう無残な状態は外国でも起きている。日本は現時点ではまだマシと言われており、且つ今のところは死ぬのは爺さん・婆さんメインだと言われているので、まぁ心配な親族はいるけれども、まだ50代のオレは罹患してもたぶん大丈夫だとたかをくくっているのだが、冷静に考えると我々はいま世界史的な大事件に立ち会っているのだった・・・!


そう考えると、なんだか落ち着かなくなってくる。最近、スーパーとかでトイレットペーパーやら食糧を買い占める連中が出てきてニュースになったばかりだが、おそらくそういう連中も「なんとかしなければ」ゆうて、しかし何にもできんのでついつい買い占めをして気分を落ち着かせようとしたのだろう。わからんではない。

が、オレはそんなことをしても仕方ないので、とりあえずいまオレが住んでいて、感染爆発前夜といわれている東京都の感染者数のグラフなどを作って、現実を見据えてみようと思った。そもそも罹患の有無を調べる検査はオカミが極力絞り込む方針でやっているので、実際の感染者数から比べるとその数ははるかに少ないことが予想されるのだが、なんとなく「いま我々はどこに向かっているか」を確認してみたいという話である。

もっとも理系のセンスは全然ないので、こんなグラフに何の意味があるのかもよくわからんのではあるが、とりあえずの「何かやった感」にはなる。なんとも適当なグラフではあるが、ここに貼り付けておく。のちのちこれを見て、「あぁそんなこともあったなぁ」と笑って振り返る日がくることを願いつつ。


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オンライン翻訳サービスの「DeepL翻訳」というのが最近注目を集めているようだ。ドイツに拠点を置く企業が開発しているものらしく、Google翻訳などと比べてもかなりイケルという評判だ。

で、とりあえず無料試用もできる。果たしてどれぐらいの実力なのか。

ここではUFO本の古典とされるドナルド・キーホー(Donald Edward Keyhoe)の『空飛ぶ円盤は実在する The Flying Saucers are Real』(1950)冒頭部を「英語→日本語」で訳してみることにした。

*ちなみにこのドナルド・キーホーという人は、1940年代末からUFO問題に取り組んだアメリカの古株ユーフォロジストであるが、なぜか邦訳がほとんど出ていない。この『The Flying Saucers are Real』ゆーのは主著なのだがこれも未訳である(たぶん)

では、以下に翻訳文をペースト。


第一章

それは奇妙な任務だった。

私は机の上の電報を手に取り、3回目に読んだ。


ニューヨーク、1949年5月9日

"空飛ぶ円盤の謎を調査しています。最初の情報は、公式の秘密を隠すための 巨大なデマをほのめかしていました。本当の答えを隠すために 仕組まれたものかもしれないと信じています 凄い話のようですね。ワシントン・エンドを 乗っ取れるか?

ケン・W・パーディ  「トゥルー」誌編集者


私はポトマックをちらりと見て、最初の円盤の話を思い出しました。パイロットだった私は、円盤が空を飛ぶことに懐疑的でした。その後、空軍や航空会社のパイロットからの報告が入ってきた。どうやら空軍は警戒し、戦闘機に高速で空を飛ぶ円盤を追いかけるように命令した。謎の追跡では、パイロットが死亡し、その死因は不明であった。それが17ヶ月前のことだった。それ以来、空飛ぶ円盤の謎は空軍の秘密のカーテンの後ろに隠されていた。

そして今、「トゥルー」誌から空飛ぶ円盤の任務を受けた

24時間後、私はケン・パーディのオフィスにいた

「2ヶ月間、この仕事をさせていた 」と彼は言った。「警告しておくが、この話を解くのは難しい」

「ロシアのミサイルだと思うか?」 私は彼に尋ねた。「それとも空軍の秘密か?」

「いくつかの答えがありましたが、どれも一致しませんでした 。だが、一つは我々が調べているのがバレた時にわざと仕掛けられたものだと確信している」

彼は「トゥルー」のスタッフが行った仕事と有能な作家が送ってきた報告書の全容を話してくれました。 彼が謎を深く掘り下げれば掘り下げるほど、任務は厳しくなっていった。空飛ぶ円盤について知れば知るほど、知らないことが多くなっていった。

「再確認したいことがあります」とパーディは言った。

「マンテル事件のことは 聞いたことがあるか? 」

私はうなずいた。

「OK。 マンテルがゴッドマン・タワーに行った無線報告の詳細を調べてみてくれ。彼が殺される前に、彼は自分が追っていたものについて説明していた--それだけは知っている。プロジェクト「ソーサー」がヒントを与えたが、彼らはその記録を公表していない。ここに別の手がかりがある。 ニューファンドランドのハーモン・フィールドで撮られた秘密の写真について何か見つけられないか調べてくれ。1947年7月頃のものだ。他にも何かわかったら君に送るよ」

私が帰る前にパーディは私にヒックになることを願い、私と一番仲良く仕事をすると言ってくれた。

「でも、偽のチップには気をつけてね」と彼は言った。「たぶん国防総省では オフレコで話をする人に出くわすだろう。それが作家の手錠だ。彼らがあなたを盲目の路地に連れて行かないように気をつけてください。"空軍の声明と"ソーサー"計画の報告書でさえ互いに矛盾している」




なお、同じ文章を何故か二回重ねて訳していたり、あるいはカギカッコの扱いとか句読点とかで若干ヘンな部分があったのでそこは修正したが、文章自体はこんな感じである。「です・ます」調と「である」調が混在するなど、一読、日本語としておかしいところは結構あるが、総じて何となく言わんとしているはわかるような気がする。

というわけで、AI翻訳は日進月歩。この調子でドンドン進化していってくれたら、もう英語のUFO本をアタマひねりながら読む必要もなくなるだろう。とりあえず、本日2020年3月28日現在の「実力」をここに記録しておく次第。


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このブログは遠い昔にSo-netで始めたのを途中から移植して続けてきたものであるが、たぶんそのSo-net時代から数字を引き継いできた(ような記憶がある)アクセスカウンタがこのたび4マンを突破した。


いわゆる「アルファブロガー」であれば二、三日で軽々と超えてしまう数字なのだろうが、ここが人跡未踏の過疎ブログであることに鑑みれば如何ほどかの感慨も無いではない。

ここも、いつのまにか「ジャック・ヴァレ好きのUFOファンブログ」といった感じになってしまったが、まぁボソボソと声低く何事かが語られているうら淋しきブログというのも、まぁオレらしくていいだろう。このカウンターが8マンとかに達する日は、さて、あるのかどうか。

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表向きは政府批判の反体制を気取っていながら朝日新聞、その実、裏では体制とズブズブ――というのはモノの分かった人間には既に常識である。なにかというとネトウヨは「朝日は反日新聞だ国賊だ」などと騒ぎ立てるけれども、社の幹部などは安倍あたりとツーカーでそのあたりは阿吽の呼吸で馴れ合っているのである。

早い話が、こないだの新型コロナ問題に関する首相会見で注目されたように、こういう記者会見では首相サイドと記者クラブが事前に談合をして「台本」を作り、その台本通りにやりとりする。その場で「そりゃおかしい!」といって疑問を突きつける、みたいなことはしない。というか、できないお約束になっている。そして、反体制を気取る朝日も「こんな仕組みはおかしいので変えよう」などとは絶対言わないのだった


いや前フリが長くなってしまったが、以下本題に入る。

朝日で原発問題を執拗に取材してきた青木美希という記者が、こんど現場を外されて閑職の「記事審査室」に回されるというので話題になっているらしい。つまり反原発で頑張ってきた記者が社の上層部から「ちょっとやりすぎや。もうええやろ」ゆうて足を引っ張られたという図式である。そう、朝日の「原発ハンタイ」というのは、あくまで大衆ウケがいいからやってるだけのポーズに過ぎない。今回の一件でそういう「知る人ぞ知る真実」ってヤツが満天下に明らかになってしまった。

ちなみにこの記者のツイッターを読むと、彼女はなかなかの苦労人である。家は貧乏だったが苦学して大学までいき、地元の「北海タイムス」という新聞社に入ったはいいが、しかしこの新聞社は経営難でまもなく潰れてしまう(余談ながらこの会社を舞台にした小説が増田俊也の傑作『北海タイムス物語』である。傑作なので読むように)。
しかしこんな災難にもめげず、彼女は同じく地元の北海道新聞に入って腕を磨き、最後は天下の朝日新聞に引っ張られたということのようだ。そして、こういう経歴からもわかるように、この人は記者としてはすこぶる優秀で、新聞協会賞をなんと過去三度も受賞しているという。たぶんそんな記者は他にいない(と思うたぶん)。

そして、そういう記者はフツーは定年までずっと取材現場に置いておくというのが業界の定石である。つまり「記事審査室」への異動については、上層部の相当に意図的な判断があったものと思われる。

もちろん、オレが何度も言っているように朝日新聞では伝統的に誤ったエリート主義が横行しているので、地方新聞から途中入社してきた叩き上げの記者があまりにも優秀なのをみて「外様のクセにでしゃばるんじゃねえ!」という低次元の判断が働いた可能性もある。

ただそればかりではなく、彼女が一生懸命やっている原発問題についても「まぁ本音をいえばどうなろうが構やしねえ」という暗黙の了解があるからこそ、こういう人事が実現してしまうというのも確かなことだ。

いや、実のところ、オレは朝日の反原発スタンスの報道には危ういところがあると前々から思っていて、たとえば東日本大震災後に始めた連載記事「プロメテウスの罠」でかつて「福島第一の事故のあと、首都圏で鼻血を出す人が増えている」とゆーデマまがいの記述をみつけた時には憤慨したことがある。

実はこの青木記者の「新聞協会賞3つ」のうちの一つは、この「プロメテウスの罠」取材班として受けたもののようで、そういう意味ではなんだか鼻白んでしまうところもないではないのだが、それはともかく「商売としての反体制」の裏側をこうも赤裸々にさらけ出してしまうとなると、もうこれは組織として末期症状ではないのだろうかと部外者ながら余計な心配までしてしまうぞ。

そういえば、前々から業界では朝日新聞の記者を形容して言う「ニセ紳士」なる言葉があった。なかなか変われるものではないのだ。人間も、組織も。








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たまには何か書かないとそのまま消え失せてしまいそうなブログなので、今回はジャック・ヴァレにかんしてのお話を一つ。

たびたび書いているけれどもオレは世界的ユーフォロジストであるジャック・ヴァレの勝手連的エヴァンジェリスト(「宣教師」といったイメージである)を気取っており、彼が本に書いてきた議論を世に広めたいと考えているのであるが、しかしその著書を訳したものを勝手にネットにアップしたりすると著作権法違反になってしまうのだった。

ただし、いわゆる「批評」という営みの中で「批評が主:引用が従」という構成を守れば批評に必要な部分の引用は正当なものとして認められる(と言われている)。その厳密な要件というのは今ひとつよくわからないのであるが、今回のエントリーはかくの如き批評文であるという前提のもと、以下、彼の文章を引く。




聖母マリアの第9回目の出現にあたって、ベルナデッテは「泉のところまで行って体を洗い、その水を飲みなさい」という指示を与えられた――しかし、実際にはそんな泉はなかった! ベルナデッテは泉を探したけれど全くみつからず、絶望した彼女は砂地を掘り返しはじめるという有り様だった。

そこににじんできた水はやがて穴を満たし、土とまざってドロドロになった。ベルナデッテは顔を洗おうとしたが、かろうじてできたのは、その泥を自分の顔に塗りたくることだけだった。彼女はその水を飲もうとし、さらには草を食べようとしたのだが、そんな時、集まった群衆の笑い声はひときわ高くなった。

ベルナデッテはその穴を「ほとんど意識が朦朧とした状態で」掘ったのだけれど、しかし、なんと彼女は「泉」を掘り当てるためにはまさにドンピシャの時、ドンピシャの場所で穴を掘っていたのだった。

じっさい翌日になるとその場所には、か細いけれど奇麗な流れが姿を現し、その流れは野を下ってガブ川に流れ込むようになった。ルイ・ブリエッテという盲人がその泉の水を目にひたしたところ、彼は視力を取り戻した。死に瀕していた赤ん坊が完全に健康を取り戻した。かくて、群衆の態度は一変した。 

(ジャック・ヴァレ『見えない大学』第7章より)


言うまでも無いが、これはフランスの「ルルドの泉」についての話である。1958年2月11日、薪拾いをしていた14歳の少女ベルナデッタ・スビルーは突如顕現した聖母マリアと出会い、やがてそこからは病人を癒やす力があるとされる「泉」が湧き出し、最終的には「聖地ルルド」が誕生することになる。引用した部分は、そのありがたい「泉」が出現した時のストーリーである。

いや、もちろんジャック・ヴァレはこれを「ありがたいお話」として語っているわけではない。

UFOの搭乗員は目撃者に向けてしばしばナンセンスとしか思えない言葉を発するという。そして、年来の持病やケガに悩んでいた人間がUFOと出会ったのちに快癒してしまったという逸話も多くある。よくよく考えれば、「ルルド」のような奇跡もまたUFO現象に類似したストーリーとして理解できるのではないか。それがここでのヴァレの含意である。

誤解されるとイカンので念のため言っておくが、これは別に「ルルドに出現したマリアは宇宙人だった!」というような、いかにも雑誌「ムー」が好きそうな浅薄なことを主張しているわけではない。UFO現象というのは、ある種の宗教現象にも似て、人間存在の根源に関わるような何かとてつもない重要な意味をもっているのではないか。彼はここでそういう問題を提起している。

これは大事なことであるからこそ敢えて耳目を引くような挑発的な議論をする――ヴァレの狙いはおそらくはそのようなものであり、だからこそ彼はカトリックの聖地ルルドを引き合いに、カトリックの信者にとっては瀆神的ともいえるような挑発的な主張を敢えて展開しているのである。

同様にして、彼はメキシコの「グアダルペの聖母マリア」なんかも同書で取り上げている。ここで彼が射程に入れているのは、いわば現代における「生きた神話」としてのUFOだ。

なかなか痛快ではないか。面白いではないか。

UFOの目撃も最近ではめっきり減ってしまって、じゃあなんでそんなに重要なUFOがいなくなってしまったのよ――などといったツッコミも想定される。が、少なくとも20世紀の半ばから終わりにかけて、UFOは確かに「神無き時代」の最先端を走っていた。それにしてもアレは何だったのかというのは、なお考えるに足る問いである。だからいまいちどヴァレに光を。オレはそんなことを思っている。


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 しかしこの造形はなかなかモダンな感じがしてよろしいな。
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 ひさしぶりに行った。
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「インプレッサで遊ぶシリーズ」の一環として、今回はドラレコ周りの工作をしてみた。

ドラレコで撮った画像を見ていて一つ気になったのは、画面下にクルマのダッシュボードが盛大に映り込んでいることである。フロントガラスが斜めなので、そこにちょうど直下のダッシュボードが反射して映ってしまうのである(下の写真参照)。まぁどうでもいいっちゃあイイんだが、気になりはじめるとイカン。何だか気に入らん。

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だが、ネットで調べると、これは工夫次第で防げることが分かった。

要するに「偏光フィルム」(ないしは偏光フィルター)なるものをドラレコのレンズの前につけると縦横の一方のみの光のみを通すようになり、逆にいうと、この余計なフロントガラスからの反射をブロックすることができるというのだった。

…と書きながらも、実は今ひとつこの偏光板なるものの性質をよく理解していないのだが、ともかく自分でも細工をしてみることにした(こういうDIYに取り組んだLAYZさんという方のサイトをみて基本的にマネした。改めて御礼申し上げます →ココ


【準備】
この前しらべたら、オレの買ったインプレッサの純正カーナビにはパイオニアの「CA-DR03TD」のカメラがついている事が判明した(写真左)。どっかに寸法図とか転がってないかと探したが見当たらん。なので実測の必要がある。すでに実装されているカメラなのでいまさら外すワケにもいかず、面倒であるが仕方あるまい。

とりあえず、前の方に若干突き出しているレンズ鏡筒の直径をノギスで測る。フロントガラスのすぐ近くにあるので手を伸ばして測定せねばならず、ちゃんと測れているかリアルタイムで目視できない。そのせいか測るたびに数字がバラバラである。ちょっと怪しいが、最終的には22.0mmぐらいかと思われた。


さて、このあとの作業としては
①厚さ3mmのゴム板をドーナツ状にくり抜く
②そのドーナツの一方に、丸く切り抜いた偏光フィルムを貼り付ける
③ドーナツをカメラの鏡筒部にはめこむ

――という段取りを考えた。

まずはドーナツ。嵌めこむ時、少しキツめのほうが具合が良いのではないかと考え、設計上の内径は鏡筒の実寸22ミリ(?)より若干小さめの21ミリ、外径はかなり余裕を取って31ミリにする。

この設計に従い、コンパスカッターでゴムを切り出す。最初に直径31ミリ(すなわち半径15.5ミリ)の円盤を切り抜き、二度目はその円盤の内側を直径21ミリ(すなわち半径10.5ミリ)でさらに切り抜く。

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*が、実際やってみて思ったが、コンパスカッターでそんなに精密なカットできるのかというと、ちょっと疑問である(けっきょく寸法はテキトーになってしまったと思う)

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偏光フィルムもカット。この写真は、ゴム板同様にコンパスカッターで丸く切り抜いたものだが、よく考えるとこれだと真ん中に穴が開くので画質が損なわれてしまう。最終的にはハサミで丸く切り抜いた。
















とりあえず完成したゴム製のドーナツをクルマのところに持っていき、ドラレコのレンズ部にちゃんとハマるかチェック。しかし、ちょっと引っ張って伸ばさないと嵌まらない感じで、けっこうキツかった。偏光フィルムをつけたゴムを嵌めてからグルグル回し、偏光フィルムが適正な装着角度になるよう微調整する――みたいなことは難しそう。

なので、当初の方針は変更して以下のような段取りでやってみた。
①両面テープを片面に貼ったゴムをレンズの鏡筒にとりつける
②現場でドラレコ画像をリアルタイムで画面表示しつつ、その前に偏光フィルムをかざして効果のある向きを確認
③正しい向きで両面テープに偏光フィルムを貼り付ける

*なお、両面テープは手元にあった適当なヤツを使ったら「紙用」ということなのか、ゴムにくっつかず使い物にならなかった。さらにゴソゴソ探したら「スコッチ 外壁面用強力両面テープ」いうのが出てきたので、これを使ってみたらどうにかくっついたようであった。基本的に「ゴム用」と書いてあるのを使うのが無難であろう


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写真左は両面テープを貼り付けたゴムドーナツをクルマに持ち込んで、レンズの鏡筒に嵌めこんだ状態。このあと剥離紙をはがして偏光フィルムを貼り付けたのが写真右。いずれもピンボケ写真で申し訳ないが、写真右をよくみるとゴムの脇から両面テープのブヨブヨが若干はみ出しているのが分かる。苦労がしのばれるw


ということでいちおう工作終了。念のためドラレコ映像から切り出した写真を以下に貼っておくが、フロントガラスからの映り込みはあまり気にならなくなった(まったく無くなったワケではない)。

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昨年末にやってきた新車インプレッサスポーツであるが、その後も休日などには極力乗るよう心がけてきたせいか、結構体になじんできた感がある。

ここまで高速道走行が多かったこともあるだろうが、燃費も12~13キロ/リッター台で推移しており、まずまずである。

インプレッサのもうひとつの弱点だといわれるエンジンも、確かに低回転域のトルクはこれまで乗っていたゴルフの1.4Lダウンサイジングターボと比べればちょっと薄い感じではあるが、走行モードを切り替えるスイッチをスポーティ寄りの「Sモード」に入れれば、まぁそこそこ頑張ってくれる。

高速道での半自動走行を可能にするツーリングアシストはすこぶるラクである。悠々と走る分にはとりたてて問題はない。ということで、おおむね満足しているところである。

ただ、ちょっと気になっている点がないではない。ディーラーでつけてもらったインプレッサの純正ドラレコである。

今回買ったのはフロントカメラとリアカメラがついたヤツで、三菱のカーナビ(DIATONEサウンドナビ NR-MZ300-BIN-3)と連携する。つまり、車内のナビ画面で録画したドラレコ映像を見ることも可能だ。そういうところは大変結構なのだが、いろいろチェックしていくと物足りないところも出てくる。

で、とりあえず見ていただきたいのだが、これはドラレコのSDからPCに落としたドラレコの映像(というか映像から切り出した写真)である(mp4)。

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ご覧のように奇妙な画像である。この上のほうに映ってるのはフロントカメラが撮った映像で、解像度は1920×1080。左下に映り込んでるのはリアカメラが写したもので、解像度は640×480である。そして右下のブラックアウトしたところに時間とか場所のデータが入っている(ちなみに位置情報などは消してありますw)

ということで、オレも今回初めて知ったのだが、つまりこのドラレコは前後の映像を別々のファイルにするのではなく、一つのファイルにまとめて記録しているのだった(従って画像全体のタテ方向は1080+480=1560ピクセルということになる。結果、全体だと1920×1560というヘンなサイズになる)。

で、この画像をつらつらと眺めると、やはりリアカメラの性能の貧弱さが際立つ。きょうび珍しい640×480であるから走行車両のナンバーはほぼ視認不能である。あおり運転とかされた時の証拠にはなるだろうが、あくまで前のカメラの補助役ということなのだろう。

実のところ、このリアカメラはバックモニター用のカメラを一石二鳥の兼用で使っているヤツなのでいろいろ言っても仕方がないのだが、う~ん、こうやって眺めてみると、やっぱショボショボ感が漂ってきていささか哀しくなるゼ。

それともう一つ言うと、オレは当初、このフロントカメラの映像をPCに落として「ドライブ記録」とかいって保存するのもいいかなーと思っていたのだった。だが、こういうデータだと、フロントの画像だけ切り出そうとしてもどうやればいいのかわからない。

ちなみに、ドラレコ付属のSDカードに入っていたビューワーソフト「DR Video Viewer」(ググって調べるとどうやらパナソニック製らしい)で見ると、もちろん上の写真みたいな映像が出てくるが、それだけじゃなくて、ボタンを押せば「フロント映像だけ」「リア映像だけ」という風に画面を切り替えて見ることもできる。下の写真は「フロント映像だけ」モードで映し出された画像である。

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こういう細工ができるんであったら、うまいことやりゃフロントカメラの映像だけ切り出せるンじゃねーかYO!と思ったりもするのだが、そこはなにぶん典型的文系脳の悲しさで、そこで思考は停止してしまうのだった。


【追記】

えーっと、すぐ上で「映像の部分的な切り出しとかできんのか?」と書いたところであるが、そこは自己解決しました。「Filmora9」みたいな安いソフトを買えばトリミング、簡単にできるのネ・・・

なお、「そもそもこのドラレコはドコ製なのか」という問題であるが、ネットでググってみた限りでは「インプレッサの純正はデンソーテン製だ」といろんなとこに書いてあった。してみると、今回からパナソニックに切り替えたのだろうか? 念のためデンソーテンのドラレコビューワー「DR Viewer S16」ゆうのをネットから落としてきて、ドラレコ映像を映してみようと試みたが、「開けません」とかいって拒否られてしまった。

【追記その2】

「これってパナ製みたいだけどホントにそうなのか? わからん」的なことを上で書いたばかりだが、その後、スバル純正ドラレコのフロントカメラを写真に撮ってきて(写真上)これをネット上に転がってるパイオニアのドラレコ商品の写真と比較してみた。で、見たところカメラの形状はほぼ同一のようである。どうやらこれは「CA-DR03TD」(写真下)がベースのドラレコのようだ。この機種の説明書をネットで拾ってきてザッと見てみたが、まず間違いない。

ただし、「CA-DR03TD」は同型のカメラをフロントとリアに取り付けるドラレコであるが、今回のインプレッサの場合(何度もしつこく書いて恐縮ではあるが)リア用カメラはリアビューカメラで代用している。「後ろの撮影にわざわざ専用カメラなんかつけなくてエエやろ。無駄無駄無駄」という判断を下したようだ。コストカットということなのだろうが、もうちょい優秀なカメラだったら良かった。チト残念。

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【追記その3】

上のほうで、「このドラレコはドコ製なのか?」問題をイロイロと書いたけれども、ディーラーからもらったままどっかに放り出していた説明書が出てきたので、この問題はカンタンに氷解した。品番はパナソニックの「CA-DR03TDFA」。やはり「CA-DR03TD」の後部カメラを省略したスバル向けの製品ということらしい。以上、一件落着。










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ということで、今日の朝日新聞を見ていたら、愛読していた不定期連載企画「アロハで猟師してみました リターンズ」が終わってしまった。

何度も書いているが、これは天下の朝日新聞で「不良」を気取っておる名物記者が、会社をクビになっても農業や狩猟で食っていけるよう実地訓練をいたしましょうという設定で田舎で野良仕事等に挑戦するサマを描いてきた企画である。

今回筆者は鉄砲で撃ったカモを各方面にプレゼントしたおかげで原稿依頼が増えたゼうっしっし、というような事を書いているが、この記者は実際はけっこう筆力が認められている人物であるようだから端的にいうとこれはウソであるが、しかしそういう偽悪趣味みたいなものをオレは買っている。それこそが「取り澄ましたニセ紳士」という旧来の朝日イメージをぶち壊していくところが面白いということもあるからだ。なので、こういう終わり方はアリだと思う。が、ちょっと寂しくなるな。


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今朝の朝日新聞「天声人語」は、最近の雪不足で泣いているというスキー場の話を前フリにしつつ「地球環境がおかしくなっているのではないか」と嘆ずる、まぁよくありがちなヤツだった。

発想が陳腐なだけに出来は今ひとつであったが、今回クビをひねってしまったのは実は「内容」というよりは書き出しの部分である。


スキー場でリフトから降り立った瞬間はいつも、絵画のなかにいるような気分になる。ゲレンデの向こうに見える山並みがきれいで、晴れていれば青空が彩りを添える。


というンだが、「リフトから降り立った瞬間」の人間というのは、その時点で山の斜面に向き合っている。ゲレンデの向こうに山並みが見えるかというと――もちろん見えるスキー場もないではないのだろうが――あんまり見通しはよくないような気がする。

むしろリフトから降りてUターンし、眼下に広がるゲレンデを目にした時のほうが「絵画のなかにいるような気分になる」のではないか。「リフトから降り立った瞬間」という言い方をするから無理が出てくるのだ。いくら村野四郎なんか引用しても既にバンカイ不能である。

なのでしょうがない、オレが添削してやろう。するとこんな感じになるだろうか。


スキー場でリフトから降り立ってゲレンデに向き合う。その瞬間、絵画のなかにいるような気分になる。向こうに見える山並みがきれいで、晴れていれば青空が彩りを添える。



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最近「ノーラン・チャート」というものを知った。以下にネットで拾ってきたイメージ図を貼っておくけれども、これって「政治」を考える上でなかなか使えるツールなのだった。


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これは何かというと、要するに様々な政治思想を分類するチャートである。簡単にいうと

1、「経済については国家とかが介入せずに自由放任にするのが良い→YES/NO」
2、「個人の行動はできる限り自由であるのが望ましい→YES/NO」

という二つの軸で政治思想を切り分けていこうというアイデアで、もともと米国のリバタリアン党を創設したデヴィッド・ノーランという人が考案したものだそうだ。

これのどこが良いのかというと、よく「右翼VS左翼」みたいな言い方があるけれども、実際にはそういう切り口からだとこぼれ落ちてしまうものがあって、このチャートはそういう部分を拾い上げることを可能にしてくれるのである。

例えば、フツー左翼というのは「社会保障とかを充実させて貧乏人を救え」という主張をする。つまりは経済における国の役割を期待する「大きな政府論」である(ちなみに、そういう時に必要になるカネは「大企業や金持ちから税金でたんまり取り上げろ」というのが定番である)。で、加えて左翼は「個人の自由」というのは最大限認めなさいと言う(ことが多い。たぶん)。いろんなところで国家が「アレ駄目コレ駄目」言ってくるのは許さんという立場である。以上を総合すると、フツーの左翼はこの図では左端の「Liberal 自由主義」ということになるのだろう。


一方、これとは真逆の立場で、「個人が自分勝手するのは許さない」「大企業とかからカネを取り上げるのは如何なものか。経済は自由放任でいいんじゃないか。政府は小さい方が良い」というスタンスも当然ありうる。これは図でいうと右端の「Conservative 保守主義」ということになる。

ただ、現実の社会をみていると、こういう割り切りでは収まらない考え方を持つ人も多いのである。

例えばITベンチャーのヒトなんかだと、「個人の自由は認めてほしいよネ。で、国家が民間の経済活動についてアレコレ口出すのも止めてほしいよネ」みたいに考えている人が多いのではないか。それはこの図でいうと「リバタリアン」ということになる。

一方、フツー左翼的と思われている人たちの間でも、最近はいわゆるポリティカル・コレクトネスを掲げて「差別は許さん!」とかいって世の中の様々な表現活動を叩いて回るような人々も現れている。ま、そこには「体制側に都合がよい抑圧構造を解体しているのだ」みたいな理屈もあるのだろうが、少なくともこの図でいうならば、こういう各種表現へのバッシングは「個人の自由軽視」とみなさざるを得ない面もあり、図でいうと「Authoritarian 権威・全体主義」の方にズズズッと寄っている。

自民党というのも、よく考えるとわからん。フツー自民党は「保守」とかいわれているけれども、この図でいうと必ずしも「保守主義」に収まるものではない。というのも、最近でこそ「経済は自由放任でよろしい」みたいな流れになってきてはいるが、伝統的にみると護送船団方式とかいって民間企業の行動をコントロールしてきたのが政府自民党であった。となると、自民党は本来は保守というより「Authoritarian 権威・全体主義」で、それが今はズリズリ「保守主義」に移りつつある、みたいな感じなのかもしんない。

あと、日本維新の会っていうのを考えると、これは「行政の無駄をテッテ的に省く」みたいな事を言ってるので「小さな政府」論で、かつ「別にバクチやってもいいじゃん」とかいってカジノを推進しようとしているので、これは個人の自由を相当に認める立場であって、たぶん「リバタリアン」に近いスタンスなのではないか。

「自分の政治的スタンスはどこにあるのか」ということを考えた時、右と左ではどうにも割り切れんところがある。そういうときにこういうスケールを参考にすれば、迷走する日本に生きるワレワレももう少し自覚的にこの国の行き先を選択できるようになるのではないか……と政治の何たるかなどということはよくわかっていない素人のクセにわかったような口をきいてしまうのはいささか恥ずかしいけれども。









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こないだ買ったクルマにはDIATONEサウンドナビ(NR-MZ300-BIN-3)が搭載されている。で、渋滞など道路情報については通常、例のVICS(道路交通情報通信システム)からデータを取り込んでいるワケだが、このナビはVICSに加えてスマートループも利用できる。

スマートループというのは、簡単にいうとパイオニアの旗振りで始まったプローブ型情報サービスで、走行中のユーザーからのデータを集計することで独自の渋滞情報を提供してくれるシステムである。

ちなみに、スマホなどでカーナビ用に使えるグーグルマップやYahooカーナビといったアプリも、当然ユーザーのデータを吸い上げて渋滞情報を打ち返してくるので、原理的には同じものといってよいのだろう。で、おそらくそのユーザ数というのはこういうアプリの方が圧倒的に多いだろうから、精度的にはカーナビアプリのほうがかなり優秀なのではないかという気もするが、まぁ車載カーナビをメインに使うという前提でいえば、ここでリアルタイム情報の入ってくるルートが一つ加わるというのは悪いことではない。

さて、ここまでの話でおわかりのように、スマートループを使うためにはクルマと外部との双方向的なデータのやりとりが必要になってくる。そこで一番簡単なのは「ナビをWifiでケータイにつなげて、ケータイがテザリングで外部と情報をやりとりする」というやり方であろう。ただ、オレのiPhoneSEはとりわけiOS13導入以降バッテリーが酷く劣化してきており、バッテリーに負担をかけるテザリングなどはやりたくない。

そこで今回「FS030W」というモバイルルータを買うことにした。格安simを一枚つっこんでおけば(幸い今HUAWEIのタブレットに入れてあんまり使ってないiijmioのsimが一枚ある)これでナビとWifi接続でき、つまりはスマートループも使うことができる。実売価格はいま1万3000円ぐらいのようだ。

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富士ソフト +F FS030W FS030WMB1 [Personal Computers]

ちなみになんでこれを選んだかというと、これは車載のUSB端子につないでおけばエンジンのオン・オフに連動して電源がオン・オフされる仕組みになっているらしい(一般的なモバイルルータはこういう連動はせず、いちいちスイッチを手動でオン・オフしないといけないのだそうだ)。で、この機種はバッテリーを外した状態でもUSB給電にしておけば動作するので、つなぎっぱなしのカーナビ用ルータとしては実に都合のよい機種らしいのだ(ということをググって知った)。

というわけで、週末あたりに届いたら、これをクルマに持ち込んで接続してみるつもり。うまくいけばよいが。


【追記
 
2020/01/11
本日ブツが届いたので早速セッティング。simを入れて起動すると、iijmioのAPNは自動的に設定されたようで、ちゃんと電波を拾うようになった。このあとクルマに持ち込んでナビに認識させる。とりあえずエンジンのオン・オフと同期して動いているようである。もくろみ通り。









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MOA美術館といえば収蔵品の目玉は何と言っても尾形光琳「紅白梅図屏風」である。

で、正月早々、小旅行で久々に熱海に泊まりがけで行ったのでMOA美術館にも赴いたのであったが、実は「紅白梅図屏風」は常時展示されているわけではなく、今回は見ることができなかった。残念ではあったが、特別展で琳派の特集などやっていたのでそれなりに面白かった。

杉本博司の「海景」シリーズなども展示してあって印象に残った。

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これは現代作家の作品であったが、なかなかユーモラスで良かった
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