新型コロナ禍で「家にこもろう」という機運が盛り上がってきたせいか、このところ家庭用ゲームが見直されているらしい。とりわけ任天堂の「あつまれ どうぶつの森」などは、ゲームの中ながらみんなとまったり遊べるゲームということでかなりの人気になっているようだ。

オレは任天堂のハードはもっていないので、この通称「あつもり」をやるわけにはいかないのだが、そういえば最近ゲームやってねえし、この機会に何かやってみるかと思っていたところへ、スクウェア・エニックスが引退したプレーヤーに宛てた「FFXIに戻ってまた遊んでみませんか」という宣伝メールが丁度届いた。

そもそもこのブログ自体、かつてはほとんどこのFFXIのソロプレイ日記だった時代もあるぐらいで、ひと頃はすげー一所懸命やっていた。

しかし、過去の記述をみると、孤立無援のソロプレイに限界を感じたオレは2008年の11月に引退を決めた。

改めて当時のことを振り返ってみると、このゲームを始めたのは2002年で実に18年前。オンラインゲーム創生期にあって何処いって何すりゃいいのかわからん連中が右往左往しながら「ヴァナディール」(このゲームの世界の名前である)のあっちゃこっちゃでガチャガチャやってたのは、今になってみると楽しい思い出だったりする。

やがて効率厨がはびこるようになり、パーティープレイの折りなど「お前のあのミスは何だ!」とか何とか罵倒しあう殺伐とした空気が広がったことから、オレは「じゃあソロでやったるワ!」と修羅道を行く決意を固めた。なかなか前途は厳しく、2003年にはいったんこのゲームを封印したンだが、ソロプレイでもけっこういけるようになったみたいなウワサもあったので2、3年後に復帰。青魔道士にサポートジョブの獣使いをつけて頑張ってきたのだが、最終的には刀折れ矢尽きて引退したのは先に記した通り。

あれから12年。アノ世界はどんな風になってんのか。改めて調べてみると、当時育てた青魔道士LV74はどっかに消滅してしまったようで、スクウェア・エニックスの宣伝文句通りに「復活」はできないことが判明したが、それでもPC用ソフトはオールインワン2000円で買えるようだ。課金は月1000円ちょっと。もう一回のぞいてみてもいいか。そんなことを考えて、こないだFFXIに復帰したのだった。

むかし買った攻略本も全部処分したようなので、ネットで情報を収集しつつの再挑戦。そうして久々にやってきたゲーム世界は懐かしい。町や野外の光景、どっかで覚えている。画質とかのクオリティは、それはもう最新のオンラインゲームには叶わないのだろうが、オレのような古手からすればここは古里なので、そんなところはどうでもいい。

ゲームのシステム自体は、だいぶ変わってきた。

今回もオレ的にはソロ一択なのだが、この間、「フェイス」という仲間をさほど苦労することもなく戦闘に召喚できるシステムが始まっていて、今のオレの状況だとこいつらを3体呼ぶことができる。ソロなのに常時4人で戦える! もうこれはカルチャーショックで、昔オレがあんなに苦労したのは何だったのかという気もしないではないが、まぁサクサク進めるのはとりあえずうれしかったりもする。

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 これが「フェイス」3人を召喚した場面。主人公のオレよりも強いわコイツらw



レベル上げも、オレがやってた当時は確かLV75が上限であったが、今は99になってるのかな?(いまひとつ良くわかってないw)

とまれ、これは一つの「里帰り」体験である。昔といろいろ変わったことがあっても、まぁ時代の流れというのはそういうものなので仕方ない。レベル上げも簡単になり、ということは逆にいえば延々と遊び続けるためのモチベーションも保持しにくくなっているのだろう。それでも、しばらくは楽しんでみようかこの世界。


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ということで新型コロナ禍一色の世界である。

で、これは東アジア全般について言えることなのだが、日本は欧米諸国なんかと比べると比較的死者数が少ないようで、その辺の理由はいまだハッキリしていない。

これについては「わが国で広く行われているBCG接種の<株>に対コロナの自然免疫を高める効果があったンじゃネ?」とか色々仮説があるようなのだが、一部に「中国由来の軽いコロナ風邪が事前に入り込んでいたため、日本では新型コロナに対する免疫を獲得していた人がかなり多かったのではあるまいか?」という理論もあるらしい(たとえばこんな記事)。

これが気になっているのはほかでもない、実はこのオレも、昨年末からなんだか原因不明のノド風邪を患っていたので、ひょっとしたらオレもこの時、コロナ系列の軽い風邪にかかっていたのではないかという思いを禁じ得ないからである。

とにかくしつこいノド風邪で、何だか2ヶ月ぐらいゴホゴホやっていた記憶がある。医者に診てもらっても、なんだか要領を得ず、「とりあえずお薬出しましょう」で済まされた記憶がある。

ということであれば、ひょっとしたらのちにコロナ問題を研究者が解明するための資料になるかもしらんので(イヤたぶんならんだろうがw)オレがつけている日記から当時の風邪症状に関する記録を書き出しておくことにした。


12/10(火)ここ一週間ほどノドの痛みがつづいている。いがらっぽいのでセキも出る。何だか不快。

12/20(金)ここ2週間ほどノドの痛み、不快感があってなかなかよくならない。カゼか・・・?

12/24(火)診療所。ノド痛が2週間続いているといったら薬を出してくれた。

12/28(土)薬を飲んでいたが、まだタンとセキが直らない・・・。

2/3(月)診療所へ。「昨年からノドの痛みなどがある」というと念のためレントゲン撮影。特に異常ナシとのことで、とりあえず薬で様子見となる。


結果的には、ここに書いたように2月上旬に医者にかかったのちに自然と治ってしまったようなのだが、しかしホントにアレは何だったのだろう?

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 黒川弘務・東京高検検事長の賭けマージャン疑惑について、朝日新聞社は20日、同社の50代男性社員が黒川氏とのマージャンに参加していたとして「不要不急の外出を控えるよう呼び掛けられた状況下でもあり、極めて不適切な行為でおわびする」とのコメントを出した。
©一般社団法人共同通信社


というニュースが流れている。以前からオレが言っているように「朝日≓反体制」というのは半ば「商業左翼」というか販売政策的なカンバンであって、現場の記者レベルでは体制と結構ズブズブだったりする。その辺はこのあたりのエントリーでも書いていたことである。「何をいまさら」の感アリ。

*追記 最初「朝日記者」としていたが、元記者だったのでタイトル訂正
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 *コロナ巣籠もり生活に飽いて久々に行ってみた。旨し。
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というワケで世の中は新型コロナウイルス問題でてんやわんやであるが、そんなさなか「Dynabook Direct」に注文していたノートPCが届いた。

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「なんでこんな時期に」という話になるわけだが、実は8年ほど前にもダイナブックを買ったことがあり、サブPCとして使っていた。そのノートPCが最近、行方不明になっていることが判明したのだった!

別に外にそんな持ち出していたワケでもないのでとにかく不思議なのだが、気がついたら消えていた。それこそ押し入れの底にいたるまで、家中必死で探し回ったのだが見つからない。確かに気づくまでの半年ぐらいはあんまり使ってなかったのだが、どこに置いたのか全然思い出せない。精神的ショックは大きい。ただ、どうしてもサブ機は一台押さえておきたいという諸々の事情もあり、「新しいの買いてえなあ」という機運が盛り上がっていたのだった。

ところが、そんなところに持ち上がったのが今回のコロナ禍である。全国民への10万円支給である。幸いというか、オレも今回の事態でいきなり路頭に迷うような事はない。であれば配ってもらった10万円は派手に使って、苦境に陥りつつある日本経済を回す一助にすりゃいいんじゃねえか。あ、そうだ、じゃあノーパソでも――。そういう流れである。

で、いろいろと研究すると、やはりコスパとかだと考えると外国製のほうが良いような気もしたのだが、いや、やはりここでメインテーマとなるのは「日本経済再生」である。日本製を買いたい。

さらによくよく考えると、今回のコロナ問題にあたって日本企業としての意地をみせ、「マスク足りんの? じゃあウチでマスク作ったるわ」と男気をみせたシャープという会社があるわけだが、かつて東芝で作っていたDynabookブランドは、東芝斜陽化の中でいつの間にか事業ごとシャープに売り渡されていたのだった。

ふむ、ではここでDynabookを買うと、それは同時に男気をみせたシャープを応援することにもなるであろう。そんなフクザツな思考経路を経て、オレは直販サイトからDynabookを買うことにしたのだった。

結果的には10万を相当超える高いのを買ってしまったのだが、まぁしょうがあるまい。今回の10マンは、それこそ食うに困ってる人以外は、できるだけゼイタク・散財方面で使うのが良いのである。思わぬ展開で購入にいたった新ノートPCであるから、その経緯を踏まえて「コロナ号」とでも命名して愛用していく所存である(なワケはないw)。






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さて、以前このブログで中村省三『宇宙人大図鑑』のネタ本となったとおぼしき Patrick Huyghe『The Field Guide to Extraterrestrials』について書いたことがあるが、今回はこのネタ本には掲載されていたものの『宇宙人大図鑑』では採用されなかった事例をひとつご紹介しよう。イラストが衝撃的だったので。

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1972年8月28日
アルゼンチン・ブエノスアイレス州バイアブランカ
目撃者:エドゥアルド・フェルナンド・デデウ Eduardo Fernando Dedeu

午前3時、自動車の修理工である目撃者は、古いクルマで家に向かっていたが、ラジオのアンテナの調子がおかしかったので直そうとクルマを止めた。その時になって、彼は道ばたにヒッチハイカーがいるのに気づき、乗せてやった。デデウは彼と話をしようとしたが、その男は意味不敬の音を発するだけだったので諦めた。

その奇妙なヒッチハイカーの身長は6フィートよりちょっと高く、帽子のようなものをかぶり、また襟を立てたコートを着ていた。その男は頭部を別にすれば普通の人間のようにみえた。その頭部はイースター島の石像のそれのようだったのだ。彼のアゴは、ほとんど胸の中程にまで届こうかというぐらい長かった。

15マイルほど行ったところで、クルマは突然止まり、ライトも消えてしまった。デデウはその時、前方の道路上にひっくり返った大きなバスのようなもの――それは光っていた――があるのを見た。彼がもっとよく見ようと止まったクルマから出ていったところ、その「バス」はUFOだということが分かった。その物体は実際は地面の上を移動していて、窓からは白い光、真下には緑の光が見えた。

デデウが振り返ってクルマに戻ってくると、例のヒッチハイカーはいなくなっていた。助手席のドアは開いており、ハンドルは取り外されて床に落ちていた。それから物体が去って行くと、クルマは正常に動くようになった。デデウはそのヒッチハイカーがいないかと辺りをグルッと回ってみたが、彼は見つからなかった。近くにいた夜間警備員はのちに、その辺りに不思議な光が滞空していたことを証言した。

これと同様の「長いアゴ」をもつヒューマノイドは、UFOと関連するかたちでそれ以降7ヶ月間にわたってアルゼンチンで目撃された。また最近では1994年9月にも米国で目撃されている。

【ソース】
ジェーン・トーマス「宇宙から来たヒッチハイカー」=『フライング・ソーサー・レビュー』18,no.6(1972年11-12月)23-24p
「宇宙から来たヒッチハイカー 詳報」=『フライング・ソーサー・レビュー ケース・ヒストリーズ』補遺14(1973年4月)iiip


冷静に考えると「異常にアゴが長い男がヒッチハイクをしていた話」であって、必ずしもこの男とUFOに関係があったとは言えない。

しかし、掲載されているイラストを見ると、顔の長さは1.5フィート、つまり約45センチほどもあったようだ。日本人男性の顔の長さというのは、「日本人頭部寸法データベース2001」なるサイトをみると約23センチ。つまりこのアゴ男の顔の長さは、なんと通常人の2倍もあったことになる!

ちなみに、顔の長さで知られるあのタレントの「なすび」でも、ググってみると顔の大きさは30センチで、アゴ男はこれをも軽々と上回る。となると伝説の巨人プロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントはどうだったか知りたいところだが、残念ながら調べてみてもこの情報は得られなかった。


ともかく、このアゴ男の顔のデカさはおそらくギネス級。となると、そうそう偶然が重なるとも思われず、直後に出現したUFOとコイツの間にはなんらかの関係アリと考えたくなる気持ちも分からんではない(参考までにギネスのサイトをチェックしてみたが、ザッとみたところ「世界で一番顔の長い男」という項目は見当たらなかった)。

この事件の名称が業界的にどういうことになっているかは知らんが、オレ的には「モアイ男事件」でいいと思う。続報を待ちたい(と無理な注文をして終わる)。


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この前のエントリーで書いたように、このたびの新型コロナウイルス禍というのは歴史上の大事件である。であればこそ、日本で感染爆発が起きても全くおかしくない今、東京の片隅で暮らしている一庶民がどんなことを考えていたのかというのを記録するのも、いかほどか意味のあることかもしれぬ。ということで、今、ちょっと考えていることを書いておきたい。


オレがたまに覗きにいくブログに「江草乗の言いたい放題」というのがある。ひと言でいうと、「へそ曲がりな拗ね者が世の中に向けて罵詈雑言を発する」というタイプのブログで、つまりオレの大好きなタイプのブログである。ここで最近、書き手である江草乗氏が「みんなで引きこもり」というタイトルのエントリーを書いていた。これがとても良かった。

リンクを張っているので直接とんでいって読んで頂くのが良いのだが、どういう事を言っているかというと、要するに、これまで「引きこもり」というのは世間的にはとても後ろめたい行為であった。だが、今回のコロナウイルスの感染症というのは、とにかく人が集まってワイワイガヤガヤすると一気に感染が広まってしまう病気である。すると、事情はかなり変わってくる。そう、今までずっと白い目でみられていた「引きこもり」というのは、一転してとても好ましい行動になってしまったのである。引きこもればウイルスを移すこともなく、移されることもない。そういうことでオカミも「もう外にでないで家の中にずっといてください」と懇願しているほどである。

この江草氏はそういった動向を鋭く見抜き、この文章を次のような力強い言葉で締めくくっている。「オレも引きこもりの道を模索しないといけないのである。がんばって引きこもらないといけない」。


一読して、全くその通りであると思った。と同時に思ったのは、これまで世間は「引きこもり」をさんざんバカにしてきたけれども、そんな常識なんてものは、しょせん特定の時代・場所でしか通用しないものなのではないか、ということだった。

改めて我々が生きているこの現代社会の常識というのを確認すると、人がいっぱい集まって賑やかで経済活動が盛んに行われているような場所はスバラシイということになっている。一方で、山間の限界集落とかでほとんど人が住んでいない過疎地というのはみすぼらしくてミジメである。

あるいは、人間のキャラクターなんてものを考えてみても、社交的でいろんな人と気軽にペチャクチャおしゃべりするような人は「明るい」とかいってみんなから愛され、好かれる。逆に人見知りをしたり人付き合いが苦手だったりして、口数の少ない人間・でしゃばることのできない人間は「暗い」とかいって敬遠される。先に出てきた「引きこもり」なんていうのも、おそらくそういう価値観の中でディスられてきた。

だが、しかし。先にも言ったように、新型コロナウイルスとの戦いにおいては、この「賑やかな都会」「ペチャクチャおしゃべりする社交的人間」といった従来はプラス評価をされてきたモノが、すげえ迷惑な存在になってしまっている。とにかくそういう場所・人間は感染をドンドン広げかねず、最悪の場合「文明」を破壊してしまうのである。であるからこそ、先の江草氏の指摘の通り、ずっとさげすまれてきた「引きこもり」が、今では逆に好ましいライフスタイルになっている。

まさに180度の価値観の大転換である。確かにコロナ問題にはオレなども心を痛めているのではあるが、一方で、オレなども先のキャラクター類型でいえば「暗い」とか言われがちなタイプなので、この大逆転劇に「そらみたことか。世の中の価値観なんて別に絶対的なものじゃねえんだよ! なんなんだ、引きこもりをさんざんバカにしやがって!」的なことを口走りたい気分もいかほどかある。


で、さらに思うのである。そもそも種としての生物が生き残っていくためには、突然変異によって平均値から離れた性質をもった固体が生まれてくることが重要である。環境というものは変わる。環境が変われば、生物はそれに適合していかねばならない。だが、特定の環境で生きていくのにピッタリというような固体ばっかりだったらどうか。その集団は変化に弱い。細々とであれ、集団の中に「主流に乗れない変わったタイプ」を生かしておく。そういった連中こそが、環境に大きな変化が起きた時、ちょうど活躍できるタイプかもしれない(できないことも多いだろうがw)。

かように、時流に乗れないタイプの存在というのは、実は社会にとってはムダではない。先の江草氏の主張に沿っていえば、「家の中にずっと籠もって時が過ぎるのを待つ」というふるまいをつつがなく完遂できるのは実は大きな才能なのかもしれない。同様に、都会はエラく、田舎はミジメというのも大いなる幻想で、田舎には田舎の存在意義がちゃんとある。この騒ぎが終息したのち、そんな風に感じる人が少しでも増えていればいいのだが。







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というわけで、この3月に入って世界各国を一気に震撼させるに至った新型コロナウイルスは、我がニッポンでも着々と感染者を増やし続けているようである。

素人なりに色々なニュースなどをみていると、何となく今はどういう状況なのかが分かってくる。

結局のところ、1年だか1年半後だかしらんが、世界の科学・医学者たちが一生懸命作っているワクチンや治療薬ができるまでは、だましだまし感染の拡大を抑えていくしかないようである。

もちろん、いったん感染した人には免疫ができるので、国民の5割6割が罹患してしまうともう爆発的な感染はおこらず、つまり落ち着いていく。いわゆる「集団免疫」ができた状態である。その段階までジッと耐え忍ぶという手もないではないのだが、しかしこのウイルスの罹患者の致死率は1~2%とか言われているので、仮に日本国民1億2000万人の5割=約6000万人が罹患するとすると――そしてワクチン・治療薬がないとすると――致死率1~2%として自動的に60-120万人が死ぬ。

いま日本で1年間に死ぬ人は約130万人だというから、仮に1年間で60万人が死ぬと平時のほぼ5割増しであり、120万人だとほぼ2倍である。もちろん、ほっといても死にそうな人が新型コロナでとどめを刺されるケースもあるハズなので単純にそれだけ増えるワケではないだろうが、まぁ実感としては毎日そこらじゅうで葬式やってる感じになるだろう。

というか、第二次世界大戦で、兵士とかじゃなくて国内で犠牲になった市民は80万人だったというから、ほとんどそれに匹敵する感じでバタバタ人が死んでいくのである。

というところまで考えてくると、なんかどんよりした気分になってきて、そういえばこんな感じ前にもあったなぁと思い出すのは、例の東日本大震災のあとの「福島第一原発が爆発するんじゃないか」と言われていた日々のことだった。

そしてこういう無残な状態は外国でも起きている。日本は現時点ではまだマシと言われており、且つ今のところは死ぬのは爺さん・婆さんメインだと言われているので、まぁ心配な親族はいるけれども、まだ50代のオレは罹患してもたぶん大丈夫だとたかをくくっているのだが、冷静に考えると我々はいま世界史的な大事件に立ち会っているのだった・・・!


そう考えると、なんだか落ち着かなくなってくる。最近、スーパーとかでトイレットペーパーやら食糧を買い占める連中が出てきてニュースになったばかりだが、おそらくそういう連中も「なんとかしなければ」ゆうて、しかし何にもできんのでついつい買い占めをして気分を落ち着かせようとしたのだろう。わからんではない。

が、オレはそんなことをしても仕方ないので、とりあえずいまオレが住んでいて、感染爆発前夜といわれている東京都の感染者数のグラフなどを作って、現実を見据えてみようと思った。そもそも罹患の有無を調べる検査はオカミが極力絞り込む方針でやっているので、実際の感染者数から比べるとその数ははるかに少ないことが予想されるのだが、なんとなく「いま我々はどこに向かっているか」を確認してみたいという話である。

もっとも理系のセンスは全然ないので、こんなグラフに何の意味があるのかもよくわからんのではあるが、とりあえずの「何かやった感」にはなる。なんとも適当なグラフではあるが、ここに貼り付けておく。のちのちこれを見て、「あぁそんなこともあったなぁ」と笑って振り返る日がくることを願いつつ。


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オンライン翻訳サービスの「DeepL翻訳」というのが最近注目を集めているようだ。ドイツに拠点を置く企業が開発しているものらしく、Google翻訳などと比べてもかなりイケルという評判だ。

で、とりあえず無料試用もできる。果たしてどれぐらいの実力なのか。

ここではUFO本の古典とされるドナルド・キーホー(Donald Edward Keyhoe)の『空飛ぶ円盤は実在する The Flying Saucers are Real』(1950)冒頭部を「英語→日本語」で訳してみることにした。

*ちなみにこのドナルド・キーホーという人は、1940年代末からUFO問題に取り組んだアメリカの古株ユーフォロジストであるが、なぜか邦訳がほとんど出ていない。この『The Flying Saucers are Real』ゆーのは主著なのだがこれも未訳である(たぶん)

では、以下に翻訳文をペースト。


第一章

それは奇妙な任務だった。

私は机の上の電報を手に取り、3回目に読んだ。


ニューヨーク、1949年5月9日

"空飛ぶ円盤の謎を調査しています。最初の情報は、公式の秘密を隠すための 巨大なデマをほのめかしていました。本当の答えを隠すために 仕組まれたものかもしれないと信じています 凄い話のようですね。ワシントン・エンドを 乗っ取れるか?

ケン・W・パーディ  「トゥルー」誌編集者


私はポトマックをちらりと見て、最初の円盤の話を思い出しました。パイロットだった私は、円盤が空を飛ぶことに懐疑的でした。その後、空軍や航空会社のパイロットからの報告が入ってきた。どうやら空軍は警戒し、戦闘機に高速で空を飛ぶ円盤を追いかけるように命令した。謎の追跡では、パイロットが死亡し、その死因は不明であった。それが17ヶ月前のことだった。それ以来、空飛ぶ円盤の謎は空軍の秘密のカーテンの後ろに隠されていた。

そして今、「トゥルー」誌から空飛ぶ円盤の任務を受けた

24時間後、私はケン・パーディのオフィスにいた

「2ヶ月間、この仕事をさせていた 」と彼は言った。「警告しておくが、この話を解くのは難しい」

「ロシアのミサイルだと思うか?」 私は彼に尋ねた。「それとも空軍の秘密か?」

「いくつかの答えがありましたが、どれも一致しませんでした 。だが、一つは我々が調べているのがバレた時にわざと仕掛けられたものだと確信している」

彼は「トゥルー」のスタッフが行った仕事と有能な作家が送ってきた報告書の全容を話してくれました。 彼が謎を深く掘り下げれば掘り下げるほど、任務は厳しくなっていった。空飛ぶ円盤について知れば知るほど、知らないことが多くなっていった。

「再確認したいことがあります」とパーディは言った。

「マンテル事件のことは 聞いたことがあるか? 」

私はうなずいた。

「OK。 マンテルがゴッドマン・タワーに行った無線報告の詳細を調べてみてくれ。彼が殺される前に、彼は自分が追っていたものについて説明していた--それだけは知っている。プロジェクト「ソーサー」がヒントを与えたが、彼らはその記録を公表していない。ここに別の手がかりがある。 ニューファンドランドのハーモン・フィールドで撮られた秘密の写真について何か見つけられないか調べてくれ。1947年7月頃のものだ。他にも何かわかったら君に送るよ」

私が帰る前にパーディは私にヒックになることを願い、私と一番仲良く仕事をすると言ってくれた。

「でも、偽のチップには気をつけてね」と彼は言った。「たぶん国防総省では オフレコで話をする人に出くわすだろう。それが作家の手錠だ。彼らがあなたを盲目の路地に連れて行かないように気をつけてください。"空軍の声明と"ソーサー"計画の報告書でさえ互いに矛盾している」




なお、同じ文章を何故か二回重ねて訳していたり、あるいはカギカッコの扱いとか句読点とかで若干ヘンな部分があったのでそこは修正したが、文章自体はこんな感じである。「です・ます」調と「である」調が混在するなど、一読、日本語としておかしいところは結構あるが、総じて何となく言わんとしているはわかるような気がする。

というわけで、AI翻訳は日進月歩。この調子でドンドン進化していってくれたら、もう英語のUFO本をアタマひねりながら読む必要もなくなるだろう。とりあえず、本日2020年3月28日現在の「実力」をここに記録しておく次第。


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このブログは遠い昔にSo-netで始めたのを途中から移植して続けてきたものであるが、たぶんそのSo-net時代から数字を引き継いできた(ような記憶がある)アクセスカウンタがこのたび4マンを突破した。


いわゆる「アルファブロガー」であれば二、三日で軽々と超えてしまう数字なのだろうが、ここが人跡未踏の過疎ブログであることに鑑みれば如何ほどかの感慨も無いではない。

ここも、いつのまにか「ジャック・ヴァレ好きのUFOファンブログ」といった感じになってしまったが、まぁボソボソと声低く何事かが語られているうら淋しきブログというのも、まぁオレらしくていいだろう。このカウンターが8マンとかに達する日は、さて、あるのかどうか。

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表向きは政府批判の反体制を気取っていながら朝日新聞、その実、裏では体制とズブズブ――というのはモノの分かった人間には既に常識である。なにかというとネトウヨは「朝日は反日新聞だ国賊だ」などと騒ぎ立てるけれども、社の幹部などは安倍あたりとツーカーでそのあたりは阿吽の呼吸で馴れ合っているのである。

早い話が、こないだの新型コロナ問題に関する首相会見で注目されたように、こういう記者会見では首相サイドと記者クラブが事前に談合をして「台本」を作り、その台本通りにやりとりする。その場で「そりゃおかしい!」といって疑問を突きつける、みたいなことはしない。というか、できないお約束になっている。そして、反体制を気取る朝日も「こんな仕組みはおかしいので変えよう」などとは絶対言わないのだった


いや前フリが長くなってしまったが、以下本題に入る。

朝日で原発問題を執拗に取材してきた青木美希という記者が、こんど現場を外されて閑職の「記事審査室」に回されるというので話題になっているらしい。つまり反原発で頑張ってきた記者が社の上層部から「ちょっとやりすぎや。もうええやろ」ゆうて足を引っ張られたという図式である。そう、朝日の「原発ハンタイ」というのは、あくまで大衆ウケがいいからやってるだけのポーズに過ぎない。今回の一件でそういう「知る人ぞ知る真実」ってヤツが満天下に明らかになってしまった。

ちなみにこの記者のツイッターを読むと、彼女はなかなかの苦労人である。家は貧乏だったが苦学して大学までいき、地元の「北海タイムス」という新聞社に入ったはいいが、しかしこの新聞社は経営難でまもなく潰れてしまう(余談ながらこの会社を舞台にした小説が増田俊也の傑作『北海タイムス物語』である。傑作なので読むように)。
しかしこんな災難にもめげず、彼女は同じく地元の北海道新聞に入って腕を磨き、最後は天下の朝日新聞に引っ張られたということのようだ。そして、こういう経歴からもわかるように、この人は記者としてはすこぶる優秀で、新聞協会賞をなんと過去三度も受賞しているという。たぶんそんな記者は他にいない(と思うたぶん)。

そして、そういう記者はフツーは定年までずっと取材現場に置いておくというのが業界の定石である。つまり「記事審査室」への異動については、上層部の相当に意図的な判断があったものと思われる。

もちろん、オレが何度も言っているように朝日新聞では伝統的に誤ったエリート主義が横行しているので、地方新聞から途中入社してきた叩き上げの記者があまりにも優秀なのをみて「外様のクセにでしゃばるんじゃねえ!」という低次元の判断が働いた可能性もある。

ただそればかりではなく、彼女が一生懸命やっている原発問題についても「まぁ本音をいえばどうなろうが構やしねえ」という暗黙の了解があるからこそ、こういう人事が実現してしまうというのも確かなことだ。

いや、実のところ、オレは朝日の反原発スタンスの報道には危ういところがあると前々から思っていて、たとえば東日本大震災後に始めた連載記事「プロメテウスの罠」でかつて「福島第一の事故のあと、首都圏で鼻血を出す人が増えている」とゆーデマまがいの記述をみつけた時には憤慨したことがある。

実はこの青木記者の「新聞協会賞3つ」のうちの一つは、この「プロメテウスの罠」取材班として受けたもののようで、そういう意味ではなんだか鼻白んでしまうところもないではないのだが、それはともかく「商売としての反体制」の裏側をこうも赤裸々にさらけ出してしまうとなると、もうこれは組織として末期症状ではないのだろうかと部外者ながら余計な心配までしてしまうぞ。

そういえば、前々から業界では朝日新聞の記者を形容して言う「ニセ紳士」なる言葉があった。なかなか変われるものではないのだ。人間も、組織も。








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たまには何か書かないとそのまま消え失せてしまいそうなブログなので、今回はジャック・ヴァレにかんしてのお話を一つ。

たびたび書いているけれどもオレは世界的ユーフォロジストであるジャック・ヴァレの勝手連的エヴァンジェリスト(「宣教師」といったイメージである)を気取っており、彼が本に書いてきた議論を世に広めたいと考えているのであるが、しかしその著書を訳したものを勝手にネットにアップしたりすると著作権法違反になってしまうのだった。

ただし、いわゆる「批評」という営みの中で「批評が主:引用が従」という構成を守れば批評に必要な部分の引用は正当なものとして認められる(と言われている)。その厳密な要件というのは今ひとつよくわからないのであるが、今回のエントリーはかくの如き批評文であるという前提のもと、以下、彼の文章を引く。




聖母マリアの第9回目の出現にあたって、ベルナデッテは「泉のところまで行って体を洗い、その水を飲みなさい」という指示を与えられた――しかし、実際にはそんな泉はなかった! ベルナデッテは泉を探したけれど全くみつからず、絶望した彼女は砂地を掘り返しはじめるという有り様だった。

そこににじんできた水はやがて穴を満たし、土とまざってドロドロになった。ベルナデッテは顔を洗おうとしたが、かろうじてできたのは、その泥を自分の顔に塗りたくることだけだった。彼女はその水を飲もうとし、さらには草を食べようとしたのだが、そんな時、集まった群衆の笑い声はひときわ高くなった。

ベルナデッテはその穴を「ほとんど意識が朦朧とした状態で」掘ったのだけれど、しかし、なんと彼女は「泉」を掘り当てるためにはまさにドンピシャの時、ドンピシャの場所で穴を掘っていたのだった。

じっさい翌日になるとその場所には、か細いけれど奇麗な流れが姿を現し、その流れは野を下ってガブ川に流れ込むようになった。ルイ・ブリエッテという盲人がその泉の水を目にひたしたところ、彼は視力を取り戻した。死に瀕していた赤ん坊が完全に健康を取り戻した。かくて、群衆の態度は一変した。 

(ジャック・ヴァレ『見えない大学』第7章より)


言うまでも無いが、これはフランスの「ルルドの泉」についての話である。1958年2月11日、薪拾いをしていた14歳の少女ベルナデッタ・スビルーは突如顕現した聖母マリアと出会い、やがてそこからは病人を癒やす力があるとされる「泉」が湧き出し、最終的には「聖地ルルド」が誕生することになる。引用した部分は、そのありがたい「泉」が出現した時のストーリーである。

いや、もちろんジャック・ヴァレはこれを「ありがたいお話」として語っているわけではない。

UFOの搭乗員は目撃者に向けてしばしばナンセンスとしか思えない言葉を発するという。そして、年来の持病やケガに悩んでいた人間がUFOと出会ったのちに快癒してしまったという逸話も多くある。よくよく考えれば、「ルルド」のような奇跡もまたUFO現象に類似したストーリーとして理解できるのではないか。それがここでのヴァレの含意である。

誤解されるとイカンので念のため言っておくが、これは別に「ルルドに出現したマリアは宇宙人だった!」というような、いかにも雑誌「ムー」が好きそうな浅薄なことを主張しているわけではない。UFO現象というのは、ある種の宗教現象にも似て、人間存在の根源に関わるような何かとてつもない重要な意味をもっているのではないか。彼はここでそういう問題を提起している。

これは大事なことであるからこそ敢えて耳目を引くような挑発的な議論をする――ヴァレの狙いはおそらくはそのようなものであり、だからこそ彼はカトリックの聖地ルルドを引き合いに、カトリックの信者にとっては瀆神的ともいえるような挑発的な主張を敢えて展開しているのである。

同様にして、彼はメキシコの「グアダルペの聖母マリア」なんかも同書で取り上げている。ここで彼が射程に入れているのは、いわば現代における「生きた神話」としてのUFOだ。

なかなか痛快ではないか。面白いではないか。

UFOの目撃も最近ではめっきり減ってしまって、じゃあなんでそんなに重要なUFOがいなくなってしまったのよ――などといったツッコミも想定される。が、少なくとも20世紀の半ばから終わりにかけて、UFOは確かに「神無き時代」の最先端を走っていた。それにしてもアレは何だったのかというのは、なお考えるに足る問いである。だからいまいちどヴァレに光を。オレはそんなことを思っている。


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Higo_Amabie



 しかしこの造形はなかなかモダンな感じがしてよろしいな。
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IMG_5869

 ひさしぶりに行った。
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