NHKの朝ドラ「ごちそうさん」が本日最終回。というわけで今朝の天声人語も便乗ネタ。朝ドラは食いものの話だったが、「自分を作る」ということでは「食」も「活字」も同じなので、ちゃんと活字を読もうネ、という他愛のない話。最後のシメはこんな風である。

朝ドラの終幕は食糧難の戦後だった。人々が活字に飢えた時代でもあった。時は流れて美食も活字もあり余る時代である。当方、日替わり料理を作る思いでコラムを書くが、レシピはどこにもない。さて「ごちそうさん」と言って頂けるかどうか。若い皆さんにも。

うんにゃ、こんなものに「ごちそうさん」とは言えんな。残念ながらオレは全然若くないけど。

根本的にこのヒトは勘違いしているようだが、「およそ活字とゆーものは良きものである」みたいなノーテンキな思想がこの文章には感じられる。

時に活字は害毒のモトになったりもする。ヒトラーの「わが闘争」とかもあったわけだし、教育勅語読んでカンゲキして勇んで戦争に出かけていった人たちなんかもいた(と思う)。そーゆー「読むこと」に内在する危険性みたいなものにこのヒト全く無自覚であるようだ。

今日の天声人語にしたって、およそ自分の書くものは「良き活字」である、という大前提で話をすすめておる。「若い皆さん」だって、「下らん文章読んでバカになるぐらいならスマホいじってるほうがタメになるよネ」と思ってるかもしれず、それはそれで否定できないのである。

さらに、百歩譲って「活字読もう!」という話になったとしても、それが天声人語である必然性はゼンッゼンない。そうさなぁ古典のほうがよいのではないのかなぁアリストテレスの「ニコマコス倫理学」とか。