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根っからのヘソマガリというのか、何かみんなが「そうだそうだ」と言ってることには「いや、違う!」と言いたくなってしまう性分である。

であるから、このたび、朝日新聞が「従軍慰安婦の強制連行とかで誤報したのに謝罪しなかったのは悪うございました」「福島第1原発の政府事故調の吉田調書にかんして誤報をしてしまいました、ごめんなさい」といって頭を下げ、世の中がこぞって「どうなってんだ朝日は!とんでもねーなオマエラ」といって朝日を糾弾している件については、「なんだよ今更そんなこと言ってんのかよバカじゃねーの?」という思いが否めない。

朝日新聞のひとたちは「俺たちは賢いので、大所高所から庶民に教えを垂れて啓蒙してあげよう」という一心でずっと報道をしてきたのである。そういうゴーマンなことをしてはいけないよ、間違ってしまうよというのは、オレがこのブログで何度も何度も口を酸っぱくして言い続けてきたことである。ま、こんなとこで言い続けても何の反響もなかった(そしてこれからも無いw)のは勿論だが、内心では「やっと時代はオレに追いついたかヤレヤレ」と威張っているのである(笑)。


ただ、先にも書いたように、オレはヘソマガリなので、今回はちょっとだけ朝日をかばってあげようと思う。

今回、世間サマは「けっきょくオマエラは自分たちの都合いいように情報かきあつめてニュース作ってたんじゃねーか、けしからん」といって怒っているけれども、今回の朝日はちと度が過ぎたというだけで、実はこれはどこでもやっていることである。

たとえば社会面の記事なんかには、よく最後に「識者のコメント」が出てくるわけだが、たとえば原発問題だと、朝日なら反原発、産経なら原発推進で、それぞれ自分の会社に都合のよいことを言ってる人を連れてきてしゃべってもらう、というのがお約束になっている(もちろん双方から一人ずつ出して両論併記の体裁をとるケースもあるが、それは公正さを装うポーズであるか、あるいはその問題がそのメディアにとっては「どうでもいい」話の場合である)。

メディアがある出来事にかんして「事実だけに基づいて虚心坦懐に判断を下す」などと考えたら大間違いである。どんなメディアにもそれなりの「立場」とゆーか世界観があって、そのフレームワークに沿って世の中を切り取る。で、うまく切り取れたと思ったら、その線で報道する。切り取れなかったら報道しない。ただ今回の朝日は、切れ取れてないのに、なまじ頭が良いので「うまく切り取れた」と勘違いして大失敗したのである。

つまり、自分らはエライとか思ってるからそういうポカをかました、みたいなところがある。繰り返しになるけれども、オレは朝日新聞に対して、そういう「俺たちエライ」感覚というのは間違っているので反省しなさい、といってきたので、つまりオレの言うことをちゃんと聞いておればこういう恥をかかなくて済んだのである。「御意見五両堪忍十両」などというコトバもある。よく噛みしめてくれ朝日新聞。