このたびの朝日新聞誤報問題で、改めて福島第一原発の事故当時の吉田昌郎所長という人物にスポットが当たっている。

人間としてもかなり魅力のある親分肌の人物で、例の事故の際、上から「原発への海水注入止めろ」みたいなよくわからん指示がきたときに、これを無視して注水し続けたことなんかもあって、一般的には「日本を破滅から救った人」みたいなことになっている。

オレも確かにそういう人なんだろうと思う。修羅場で部下がちゃんとついてくるような、ああいう人物があそこにいなかったら、果たして日本はどうなってしまったか、と思うことは多々ある。

ただ、ああいう人物にしても神様ではない。人間である以上、過ちから逃れることはできない。メディア的には、彼は神様扱いされているんだが、そこのところはちゃんと冷静な視点を失わないようにしないといけない、と思う。

たとえば、地震の3年前にあたる2008年2月、東電の土木調査グループは、福島第一原発で想定される津波が7.7メートル以上になる可能性を社内会議で報告し、次いで3月には、さらにそれを上回る15.7メートルの津波が起こる可能性アリとの試算を出したのだという(ちなみにこれは東日本大震災の時の津波とほぼ同じ高さである)。

さて、その頃吉田氏はどうしてたかというと、2007年4月に東電に新設された原子力設備管理部の部長というのをやってきた。つまり原発の設備管理を仕切るお役目であり、福島にデカイ津波が襲来する可能性があるとなれば、それ相応の対応を取らねばならないお立場である。ところが吉田氏、この15.7メートルの津波の可能性が指摘された際に、ま、もちろん上に報告していろいろ検討はしたようなんだが結果的には津波対策を講じなかった。そういう責任者である。

ま、このあたりのことはチラチラ報道されてきたけれども、そういう流れを踏まえて考えてみると、津波で原発がめちゃめちゃになった時、おそらく吉田所長の心中には「あ、やっべ、大津波来る可能性アリってデータ来てたじゃねーかよ、あれ、結果的に何にも手を打たなかったからこんなことになっちまったじゃねーか、あぁオレってばバカバカ、何してたんだよ~、こりゃ死ぬの覚悟で終息させねーとッ!」みたいなものが去来したんではなかろうか。あの獅子奮迅の働きというのは、せめてもの罪滅ぼし、ってことだったのかもしれないのだ。

ちなみにこの津波対策の不作為にかんして、住民グループは、東電の勝俣恒久元会長はじめ旧経営陣を業務上過失致死傷罪などで告訴・告発したんだが、これは結果不起訴となった。なったんだが、この7月に検察審査会が「起訴相当」の議決を行った。そこで問われた不作為のプロセスにこの吉田所長も関わっていたということなのである。

何かこの辺を「ヒーローとしての吉田所長」みたいな文脈で処理してしまうと、見るべきものも見えてこなくなってしまうおそれがある。情緒的な報道はほどほどにしてくれよ、と思う所以である。