さて、ではこの「スワン/CIAコンタクト事件」の真相はどうだったのか。今回は、前回予告しておいたように、ジェローム・クラークの『The UFO Encyclopedia』の記述をかいつまんで紹介していこうと思ったのだが、実は、ここには「1959年以前の前史」ともいうべき出来事もいろいろ書かれている。

ということで今回は「後編Part1」とし、問題の事件が起こるまで、つまり「1959年」が来るまでの前振りの部分をクラークに拠ってご紹介していこうと思う。


 【真相その1


メイン州サウス・バーウィックに住むフランシス・スワン夫人は、もともと心霊現象などが大好きな女性だった。そんな彼女が、1954年4月30日午後5時、何故か突然、或る文章を書き留めねばならぬという衝動に襲われた。それは「我々はやってきた EUの平和を保たんがために 怖れることはない」という文章だった。


念のためだが、ここで「EU」と言っているのは勿論「欧州連合」のことではなく、宇宙人の言葉で「地球」のことを指すらしい(前回のエントリーを参照のこと)。


その3日後、自動書記によるメッセージが来た。その相手はAffaと名乗り、自分は天王星から飛来した宇宙船の中でこの交信をしている、と告げた。こののちチャネリングに登場したのはAffaだけではなく、「諸惑星宇宙連合」を代表すると称して冥王星のPonnar、水星のAlomarといった面々も現れた。スワン夫人に聞こえてくる「耳を突き刺すような音」が、チャネリングを始めるぞという彼らからの合図だったという。

5月18日、Affaは彼女に対して、海軍に手紙を出すように言った。海軍との間で電波によるコミュニケーションを取ってみたい、というのだった。そこで彼女は、隣人のノウルズ夫妻――退役した元海軍提督のことを思い出した。手紙より手っ取り早い、ということだったのだろう、彼女はさっそくその話をしにいった。


勿論いきなりそんな話をするのは如何なものかと思うところだが、スワン夫人にしてみれば、ノウルズ氏なら、おそらく耳を傾けてくれるであろうという見込みがあったのだろう。というのも実はこのノウルズ氏、UFOに興味をもっていて、のちに米国の有力UFO研究団体であったNICAPに加盟したという人物である。たぶんそのあたりの雰囲気は、スワン夫人も聞き知っていたに違いない。


さて、話を聞いたノウルズ夫妻であるが、スワン夫人が本気でしゃべっていることはわかった。しかし、そこはやっぱり半信半疑である。そこでスワン夫人は、「5月26日午後1時12分にスワン夫人の家に姿をみせます」というAffaの言葉を伝えた。否む理由はない。一行はその時を待った。が、Affaは現れなかった。

ノウルズ氏の回想によれば、スワン夫人はその時、ひどくいらついていたようだ。それはそうだろう、彼女は、何も起きなければ全部忘れていいわよ、と大見得を切っていたようなのだ。午後1時25分になったところで、スワン夫人は自動書記でこんな文章を書き出した。「約束した時間にいけずに本当にすみません」

ただ、すっぽかしはあったけれども、ノウルズ氏は用意していた質問をAffaに幾つか投げかけてみた。その際のスワン夫人をみていると、ためらったり考え込んだり困惑したりする風は全くなく、スラスラと返事を書いていた。そうノウルズ氏は回想している。

その翌日、ノウルズは海軍情報局(Office of Naval Intelligence;略称ONI)の長であったC・F・エスプ海軍少将に手紙を書いた。その際、Affaの提案――つまり海軍情報局からCMM-306の周波数帯で「M4 M4 A F F A」という信号を繰り返し発信し、Affaとの連絡を試みるように、という提案も併せて伝えておいた。ところが返事が来ない。そこで6月6日、改めて手紙を出して、こんなことを書いた。「こうしたメッセージはホンモノです。これらはみんなスワン夫人の想像の産物だというのですか?」


Affaにすっぽかされたにも関わらず、ノウルズ氏はすっかりスワン夫人を信じ切っていたことがわかる。「無学なオバサン」とでも思っていた隣人がトランス状態に入るや表情を一変させ、自身満々に語り出したので、その豹変ぶりに幻惑されてしまったのかもしれない。

ちょっと余談になるけれども、一般に「軍人は――とりわけ精神論だけじゃ通用しない海軍軍人は――合理主義者でアル」みたいなイメージが何となくあって、おそらくこれは司馬遼太郎の『坂の上の雲』で描かれた秋山真之のイメージが刷り込まれてしまったせいではないかと睨んでいるんだが、この真之にしてからが晩年は「心霊」に夢中になってしまった(別にそれが悪いと言ってるわけではない)。しかし実際には軍人だって超常にハマるのである。


6月8日、海軍情報局の2人の将官、すなわちジョン・ブロムリーとハリー・バルタッツィがスワン夫人を訪ね、彼女を通じてAffaと話をした。Affaはその姿を現すことは拒んだものの、10日午後2時に無線連絡を取るという話には同意した。が、やはりこの時も何の通信も送られてはこなかった。7月8日、エスペ少将はノウルズ氏にたいして「海軍情報局はもうこの件には関わらない」と手紙を書き送った。

さて、ノウルズ氏からの手紙は海軍航空学局 Bureau of Aeronautics に引き渡された。するとここで保安担当をしていたジョン・ハトソンという将校がこれを見てこの一件に興味を示し、ノウルズ氏と連絡を取るところとなった。彼はノウルズ氏に招かれて、7月24日、メイン州に赴き、2日間その家に滞在した。

ワシントンに帰ったハトソンは、自らの訪問体験についてFBIに報告を上げた。7月29日にはFBIのエージェントがハトソンにインタビューをし、8月9日にはそのインタビューの内容がエドガー・フーバー長官から空軍特別調査部に送付された。フーバーが付したメモにはこうあった。「本件に関して当部局はさらなる対応は一切とらない」。

かくて、こうした出来事は忘れ去られる。それが再び注目されたのは5年後の1959年のことであった。


という顛末なのである。で、これは別に本筋とは関係ないが、ここで一言いっておきたいことがある。ここに書かれている、海軍のエライ人に手紙を再三送りつけるようなノウルズ提督の行動というのは、何だかオレにはとても痛々しいものに映る。

そりゃ、昔は偉かったんだろうが、すでに退役した身である。昔の後輩たちに向かって、あれこれ指図がましいことをするというのはどうなのか。

会社で栄達を遂げた人間が「オレサマ」気分の抜けないまま退職する。しかし地域社会とは全然かかわってこなかったから、誰も尊敬なんかしてくれない。しょうがないので事あるごとにかつての部下に電話か何かして「アドバイス」して、「あぁオレってやっぱり偉かった」とかいって安心する――こういう話は、会社人間の末路としてしばしば見聞きするところである。

が、そこでお相手をしなければならないかつての部下たちは「老害だなー」「いつまで上司風ふかせてんだよ」といって陰でボロクソ言ってるのである。人生はそういうものであり、それだけに人間は晩節を汚さないようによくよく注意せねばならない。ノウルズ提督もそんなことをしたばっかりに、その50年後、見も知らぬ日本人のオッサンにこんなことを書かれてしまうのである(笑)。

いや、円盤とは全然関係ない話になってしまったけれども、ともかく、ここでとりあえずの中締めをしておこう。

ひとつ言えるのは、「スワン夫人にしてもノウルズ氏にしても、もともとスピリチュアル・オカルト的なモノに関心をもっていた」ということ。この事案は「当局が調査に着手したものの、スジの悪さから途中で放り投げてしまったものだった」ということ。そういう予備知識を頭に入れて1959年の件を見直すとどうなるか。次回は完結編(笑)になるので、円盤ファンの方々は今しばし俟たれたい(笑)。