さて、第1章「サイキックにかかわる要素」で語られているのは、イントロダクションでも論及のあった「UFOとサイキック現象との間には深いつながりがあるのではないか」という議論である。たとえば彼はこんなことを言う。

多くの目撃者は「頭の中にハッキリとしたメッセージを受け取った」という報告をしており、彼らはそれをUFOの搭乗者たちの側にテレパシーの能力があることの証左として受け取ってきたが、この他のサイキック現象としては、目撃者たちが言うところの時空間の歪み、「物理的に存在していた乗り物が突然消えたり出現したりする」といった、いわば物理法則が破綻してしまうような現象もある。イントロダクションで触れたエンジニアのように、近接目撃をした人たちはしばしば「別の時の流れへの旅」とでもいえるような体験を報告している。こうした観察体験が、私がここでUFO現象の「サイキック的な要素」と言っているものの内実なのだ。

 多くの事例にみられるそのサイキック的な側面というのは、そこには目撃者と現象との間を直接取り結ぶ超感覚的コミュニケーションがあり――つまり、通常の物理学の手法では説明不能なかたちで、その現象が目撃者に直接の影響を及ぼしていたことを示唆するのである。

 ヴァレはそのような事例として、或る医師――ここでは「ドクターX」としている――が、南フランスにある自宅で体験した事件を紹介している(フランスの研究者、エメ・ミシェルの報告によるものだ)。

 1968年11月1日の深夜、就寝中の彼は、1歳2か月になる赤ん坊が泣き叫ぶ声で目をさます。窓の外には稲妻のような光がきらめいていたので、窓を開けてみたところ、そこには白い光を下方に放つ円盤が2機、滞空していた。2機はやがて合体し、彼に向けて白いビーム光を発し、それから姿を消した。

 さて、問題はここからである。彼は数日前に負ったケガで脚部に大きな血腫があったのだが、事件後、なぜかそれは消えてしまっていた。加えて、彼にはアルジェリア戦争の時の負傷がもとで「片側不全麻痺」の症状が出ていたのだが、これも完治していた。また、へその周囲には原因不明の赤い三角形のシミが現れた。不思議なことに、同じ三角形のシミは赤ん坊の腹部にも出現したのである。

 それだけではない。

その医師と夫人の性格には変化がみられた。つまるところ、夫妻は人の生き死にについてほとんど神秘主義といってもいいような考え方をするようになり、以前から夫妻を知っていていた人たちを戸惑わせた。そして、ついには彼らの周囲で超常現象のようなものが起きるようになり、それは今もなお続いている。テレパシー的な出来事はしばしば報告されており、また件の医師は、少なくとも一回、自らはコントロールできないかたちの空中浮遊を体験したとも言っている。時計や電気回路にも、一見したところ原因不明の異常が起きるようになった。


さて、ここまで論じてきたところで、ヴァレは若干脱線するかのような話を始める。UFO体験における目撃者と「搭乗者」との間には、しばしば意味不明のトンチンカンな会話がなされることがある、というのである。

 たとえば、「搭乗者」と出会った目撃者が「いま何時か?」と聞かれる。そこで「2時30分だ」と答えると、相手からは「冗談だろ。いまは4時ちょうどだ」という返答が戻ってきた。そんな事例がある(ちなみにこれは1954年10月20日、フランスのラオン・レタージュで起きたものである)。こうした一見馬鹿げたやりとりの背景には、表面的なコミュニケーションを超えた、何か隠されたメタ・メッセージがあるのではないか。ヴァレはそんなことを示唆しているようだ。

私は、いま多くの円盤狂の人々の間に流布している「UFOは他の惑星から来た人々が乗っている乗り物である」といった考え方はナイーブに過ぎると考えている。それは、搭乗員のふるまいやその人間に対する関わり方があまりに多岐にわたっていることを説明するにはあまりに単純すぎるのだ。こうした観念は、目撃をもたらしているテクノロジーの真の姿、もっともっと複雑な本質を隠蔽するための、まさしく目くらましとして機能しているのではないか?

 いささか唐突にこんな論点を持ち出したヴァレの真意を自分なりに推測してみたいのだが、おそらく彼はこんなことを言いたいのではないか――ここでは我々が当然のものとして受けとめている日常的な論理は破綻している。UFO体験は「この世界」のロジックが崩壊したフィールドを生み出してしまう。という意味では、このような「馬鹿げた会話」も「サイキック現象」も、いずれUFO現象の本質に深く根ざしたものであるに違いない……

ともあれヴァレは、ここまでの議論を踏まえ、或る種の作業仮説ということなのだろう、次のような五つの命題を提示する。いずれもUFO問題についてのヴァレの基本スタンスを示すものであるといってよかろう。


1. われわれが未確認飛行物体と呼んでいるものは、じつは「物体」ではないし「飛行」もしていない

2. UFOは過去の歴史を通してずっと目撃され続けてきたものであり、それは、古代にあっては「神々」、中世にあっては「魔法使い」といった風に、一貫してそれぞれの文化の枠組みに応じた説明を受けてきた

 3.UFOの報告事例は、必ずしも「宇宙を旅してきた者たちによる訪問」によるものだとは言い切れない

 4.この現象を理解するためのカギは、それが目撃者のうちに引き起こすサイキック効果(あるいはそれが生じせしめる超能力の覚醒)の中にある。目撃者たちの生活はしばしば大きく変化し、また彼らは自分でも時に取り扱うのが難しいような異常な才能を開花させたりもする

5. UFO現象とそれを知覚した人間との間のコンタクトというのは、つねにUFOの側によってコントロールされた条件のもとに生じる


 本章の最後で、ヴァレは有名な「デルフォス事件」に触れる。1971年11月2日夜、カンザス州デルフォス近郊のジョンソン農場にUFOが着陸したとされる事件で、その場所には「白いリング」が遺されていた。これは或る種の「物証」だということで、その白い物質の分析が行われた。ヴァレによればそれは「ノカルジア菌」であることが判明したというのだが、それはそれとして、このUFOの出現時、目撃者の少年と農場にいた犬は「その場にくぎ付けにされたように」動けなくなり、その少年は「人間のような生きものが窓の外から家をのぞき込んでいる」夢を見るようになったのだという。

つまりヴァレとしては、UFOというのは、何らかの物理的痕跡を遺しつつ、同時に生物の心理・精神状態に深刻かつ不可解な影響を与えるものである、ということを言いたいのであろう。むろんデルフォス事件についていえば、「悪夢というのは奇怪な物体を目撃したことによって当然生じるであろうトラウマに拠るもので、別に不可解ではない」といった見方もできるだろう。だがヴァレは、話はそう単純ではないと説く。サイキック現象を励起したり、魂の根源を何かしら大きく変成させてしまうような巨大な力をUFOは秘めている、というのが彼の基本的なスタンスなのである。(続く)