さて、いよいよ第9章「コントロール・システム」である。

私はここで「人間の意識に働きかけるコントロール・システムというものが存在する」という仮説を提案する。それは自然界に在るものなのか、それとも人間のうちに在るものなのか。それは遺伝という考え方で説明がつくものなのか、社会心理学の言葉で説明できるものなのか、あるいは通常のありきたりな現象として説明がつくものなのか。ことによると、それは本来的に、何らかの超人間的な意志の力を背後にもつ人為的なものなのか――そのあたりのことは、私にも決しかねる。ただそのシステムは、おそらく、我々がいまだ発見していない法則によって完璧に制御されているものなのだろう。

冒頭でヴァレはこのように宣言する。改めて確認しておくと、コントロール・システムとは、エアコンにおけるサーモスタットになぞらえることのできる仕組みである。部屋が暖まりすぎればクーラーが作動し、冷えすぎればヒーターが入る。なぜそのような概念を導入しなければならないのかについて、ヴァレはこんなことを言っている。

そこ(UFO現象には)にはバカげた要素もあれば合理的要素もそれと同じほどあり、人間に対して融和的なものとみえるものもあれば敵対的なものもあった。私がどのようなアプローチをとろうとも、それらのうちで説明することができたのは全体の半分にも満たなかった。

つまり、「エアコンというシステムは部屋を冷やそうとしている」という命題は一見正しくみえるときもあるが、常に正しいとはいえない。それは「それは部屋を暖めようとしている」という命題についてもいえることだ。ある命題に固執したとき、我々はUFOの本質というものを見失ってしまうのであって、ここで必要なのは両者を止揚するようなものの見方である。ここでヴァレが言おうとしているのは、おそらくそのようなことではないか。

次いでヴァレは、そのコントロール・システムはどのように機能しているのかというポイントに踏み込んでいく。そこで彼は、心理学でいう「強化 Reinforcement」という概念を持ち出す。実験動物に「特定のレバーを押したときにのみエサを与える」といった条件付け学習を施すと、やがて動物はレバーを押す行動を自発的に行うようになる。そのようにして「刺激―反応」の結びつきが強まっていくことを「強化」という。

ただし、

もしその訓練があまりに起伏に乏しくて一本調子であったなら、その実験動物の学習は止まってしまったり、さもなくば初期の状態に戻ってしまうこともある。強化を進める上で一番良いプログラムというのは、時々「予想もつかぬこと」が起きるようなもの、である。そうすれば、その歩みはゆっくりではあってもずっと持続し、適応は最大レベルにまで達する。しかもそれは不可逆的なのである。

ここでヴァレは、UFOの「目撃ウェーブ」について読者の注意を促す。そのデータをグラフにプロットすると、カーブは激しく上下動する。そう、この不規則な変動というのは、先に述べたような「強化を進める上で一番良いプログラム」となっているのではないか――つまり、「人間に最大限の影響を及ぼす」という視点からいうと、このUFO現象というコントロール・システムはとてもよくできている。その議論を一歩進め、ヴァレはこんなことを言う。

もしその現象が、我々が学習曲線を身を以て体験していくことを強いているのだとしたら、我々は間違いなくミスリードされているのだ。そう、スキナーが設計した「ラットが右のレバーを押し下げた時だけエサが出る機械」が、ラットにとっては実にミスリーディングなしろものであるように! しかし、もしラットがその正しいレバーを押し下げなかったら、そのラットはとてつもない空腹にさいなまれることになる。人間は知識と力とを渇望する存在である。もしUFOの背後に知性が存在しているのであれば、その知性はこの事実を当然計算に入れているはずだ。そのときには選択の余地などないということをついつい忘れてしまうという点では、我々人間もまた同じなのだ。かくて我々は、最終的にはUFOを「研究せざるを得なくなってしまう」のである。

では、この場合、コントロールされているのは何なのか。これは本書でもすでに論及のあったところだが、彼は重ねて次のように主張する。

サーモスタットは温度をコントロールする。ジャイロスコープはロケットがどちらの方向に飛んでいくのかをコントロールする。では超常現象がコントロールしているのは何かという話だ。そこでコントロールされ、条件づけられているのは人間の信仰である。

私が言いたいのは、人間が通常頼っている政治的思考や知的思考が何の力ももたない「社会的リアリティ」の領域があり、そのレベルで支配力を振るっているのは「神話」である、ということなのだ。

果たして、そうやって人間の信仰をコントロールしている「主体」のようなものは存在するのか。存在するとしたらその「意図」は何なのか――その辺についてはヴァレは黙して語らない。ここで示されているのは唯一、このシステムの「機能」だけである。ハッキリいえば、ここで我々は宙ぶらりんにされたまま取り残されてしまう。だが、このような「現象学的」な記述の向こう側には、安直な解釈からはこぼれ落ちてしまうUFOの本質が、ボンヤリと見えてくるような気がしないでもない。本章の最後を締めくくるヴァレの言葉は、妖しくも魅惑的な輝きを放っている。

私の胸中には奇妙な衝動が兆している――仮にチーズを得ることができずにしばらく空腹にさいなまれることになるとしても、レバーを押すラットのようなマネはもうやめてしまいたい。「条件づけという迷路」の外に飛び出して、この仕掛けを動かしているのが何なのかを見てみたい。そこで私が見るものとは何なのだろう。ひょっとしたら、その存在についてじっくりと考えようものなら頭が変になってしまうほどの、恐ろしい、超人間的な怪物なのか? あるいは厳粛な空気を漂わせる賢者の集団なのか? さもなくば、気がおかしくなるほどに単純な時計仕掛けだけがポツンとあるのだろうか?

コントロール・システムの背後に何が在るのかはわからない。そこはただ想像するほかない世界。隔靴掻痒ではある。だが、しかし、これこそがUFO研究に全力を挙げて取り組んできたヴァレが、ようやくのことで到達した結論なのである。(続く)