2011年09月

先週の金曜日、江戸川区の公立小学校に通う小2の子供が、バス遠足だか社会科見学だかで、芋掘りがてら「ふなばしアンデルセン公園」に出かけていった。「ふーん」と聞き流しておったのだが、ふと思い立ってアンデルセン公園の放射線量をググってみた。ふむ、8月15日時点のデータが公表されておるが、「自然体験ゾーン」「メルヘンの丘ゾーン」とも地上1メートル平均値で0.18μSv/hとあるな。

俺の愛機DoseRAE2については、このまえ国民生活センターから「空間線量計としてはあてになんねーから」的因縁をつけられたのであったが、ネット上での情報を総合すると「いや時間かけて計測すればちゃんとした計器と同等のデータ出してくるぞ」的なリアクションも多いので、おおむね信用できるものと仮定しての話だが、いま俺が住んでいる江戸川区沿岸地域で屋外にいるときの数値は(ちゃんと測ってはないんだが)おおむね0.10~0.15μSv/hあたりと思っている。

都内では相対的に高い部類であるものの、まあ俺なりにいろいろ考え、それこそ「ただちに問題はないレベル」としてとりあえず落ち着いてはいるトコなんだが、しかし「遠足でわざわざ地元より線量が高いトコに行く」っつーのは何か釈然とせんのだな。ま、「0.18μSv/h」ンとこに数時間いたって、やっぱり「ただちに影響はない」ことに違いはないんだが、楽しくあらねばならない遠足なんだから、なんかそういう「ちょっとした不安」みたいなのは極力回避していこうよネ、的な配慮というかおもんぱかりというか優しさというか、そういうものが欲しいではないか。それがないから、だいたいその芋掘り農園のほうはどうなのだ、という疑念だって兆してくるではないか(イモは平気で食ったけどw)。

以前も江戸川区の「子供と放射能」に対する認識があまりにも「ユルイ」ので、拙ブログでも嫌みのようなことを書いたりしたんだが、そのごも学校関係で何かやったかといえば、砂場の放射線量調査ぐらいではないか。給食の食材チェックとかいろいろやれることがあるんではないか(もっとも給食の調査をやってない区は東京でもけっこう多いとは聞いておるが)。

もちろん今回の学校行事についていえば、学校が個別に企画立案したものである可能性が高いし、「芋掘り農家との契約とかいろいろあって、いまさら計画は変えられんのだ!」みたいなオトナの事情コレ有リだろうから、「そんな無理難題言うなよ」と言われればそれはそうなのかもしれぬが、ホントは教育委員会あたりが「こういう時節だから行事関係でも極力安心・安全サイドにたった学校運営をしましょうネ」みたいに旗を振って欲しいものなのだが。
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たまたまネットで教えてもらったマンガ『アンギャマン』というのをアマゾンで取り寄せて読んでみた。

アンギャマン リアル遠足伊勢巡礼編

アンギャマン リアル遠足伊勢巡礼編

  • 作者: 左剛蔵
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2010/01/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


作者は左剛蔵なる人。家のある大阪から伊勢とか出雲まで寝袋かついで徒歩旅行して、道すがら撮った写真を背景に、そこに自分の姿とセリフを書き込んで、といった独特のマンガを描き、その旅行記をネットで公開する活動を続けている人物らしい。今回買ったのは副題に「リアル遠足伊勢巡礼編」とあるとおり、大阪からお伊勢さんまで6日間を費やして踏破したときのことを描いた作品。昨年出た本のようだ。 

何か事件が起こるわけではない。道すがら、見かけた寺社仏閣には有名無名を問わず必ず立ち寄って参拝していくという私的ルールを堅持しているらしく、そのつど神仏に「ありがとうございました」と頭を下げてから先を急ぐ作者の姿にはしぜんと好感を抱くようになったりするのだけれども、かといってそこから壮大なドラマが始まるわけでもない。

道に迷いそうになったり、店の人と話をしたり、野宿の場所をさがしてウロウロしたり。ただそれだけ。作者はベジタリアンということもあってか食うものは常に粗末で、炒った大豆や干しイモをかじりながら歩いていたりとか、あるいは極度の貧乏旅行ゆえのいろいろな苦労などというものもあるのだが、それとてストーリーを大きく展開させる契機になるわけではない。

ただし。ひとつ「仕掛け」がある。当然作者は一人旅をしているはずなんだが、作品世界の中には「相棒」が出てくる。なんか鬼太郎の目玉おやじみたいな、体に布をまとったちいちゃな生きもの?で、こいつが常に一緒。説明がないのでこれが何者なのかは全くわからん。作中の主人公は「黒目」のない独特の風貌をしているので、やっぱりこれは主人公の目玉が抜け出したものなのだろうか、とかいろいろ想像をたくましくするわけだが、とにかく目玉おやじはあとになり先になり、ついてくる。時にはピョンピョン跳ねたり、主人公の頭の上にちょこんと載っていたり。で、主人公はコイツといろんな話をしながらひたすら歩いていくのである。

このへんが琴線に触れるんだろうな、と思った。

確か斎藤孝の本で読んだンだが、宮沢賢治は散歩が好きで、歩きながらいろんなことを考えたり着想を得たりしていた、みたいな話もある。「歩く旅」というのは確かに人を内省的にさせるのだ。何で俺はこんなことして歩いてるんだろ。何食おうか。今晩はどこで寝ようか。たとえそんなことでも、自分の中には時々刻々いろんな思いがわき上がるんであって、そこに自分でツッコミを入れたり、相づちを打ったりしながら人間は生きていくのである。その内的な対話のプロセスが、この目玉おやじとのやりとりの中で実にリアルなものとして再現されているのである。名刹に参拝して、よかったなーとか感心してる主人公にたいして、「うむ」とか頷いてくれる目玉おやじ。読んでくと、けっこう好きになってくるゾ。

我田引水だが、俺も友達がいないので、なんか街をフラフラ歩きながら頭の中で自問自答みたいなことをしている時間がたまにある。でも、たとえひとりぼっちであっても、こころの中にはやっぱり「決してウソはいわないもう一人の自分」「どこまでも自分に付き添ってくれる誰かさん」みたいなものとの対話というものが発生しているのであって、たとえば宗教の世界ではその種の「You are not alone!」という声は「弥陀の本願」とか、お遍路さんにおける「同行二人」みたいな言い方(つまり、アンタはひとりぼっちだと思っているかもしれないけど、実は弘法大師サンが一緒に歩いていて下さるんだゼという話だな)で語られており、つまりそれはそれでとても大事なことなのである。これを強引に絵にしてみると「目玉おやじとの対話」ということになるのかもしれない。そのように思わせるところが、このマンガにはある。深い。

ちなみにこの作者、「スカラムーシュ」と題したサイトでは「四国遍路」の連載を続けている。ということは、そのご、お遍路を敢行したということなのだろう。さきほど「同行二人」ということを言ったばかりだが、なるほど、歩き旅のひとつの完成形といえばお遍路。この展開はある意味必然だ。そして、流石にいろいろな人との出会いというのはお伊勢参りの時以上にいろいろあるわけなんだが、それほどの事件が起こるわけではないのはここでも変わりない。しかし面白い。決してメジャーにはなりえない表現かもしれないけれども、俺はこの試みをとてもすばらしいものだと思っている。頑張れ。

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Kindleの新型ディバイスがようやく発表になったわけだが、iPadキラーとして登場がウワサされていたカラー液晶タブレットKindle fireのほかに、巷間「Kindle4」などとも呼ばれていた従来型のE-inkの新タイプも出るというハナシである。そんな話きいてなかったからちょっぴりサプライズ。そっちのほうには興味がある。参考記事はこのへん

kindle-touch.jpg
で、そのE-ink版のほうであるが、画素数などは変わらないけれどもキーボードを排してタッチスクリーンを搭載したKindle touchが目玉とのこと(写真参照)。このKindle touch、グレードなどに応じて99~189ドルとか書いてある。けっこう安い。ただし日本に出荷してくれるかどうかは、現時点でよくわからん。

うーむ、しかしKindle3所有者としては、直ちに触手を伸ばしたくなるほどのタマではない、と思う。たしかに洋書読んでて辞書を引くときなどタッチスクリーンはすこぶる便利であろうし、若干のサイズダウンなどチューンナップも施されているようでもある。が、俺にかんしていえば現時点では自炊したPDFファイルのリーダーとしての役割を期待してる部分が大きいわけだから、今のところかなりのストレスを感じている6インチという「画面の小ささ」が解消されていないのならば、さほどのアドバンテージは感じない。まぁ例のEPUB3.0対応の電子本が一般化するようになれば文字の拡縮は自在になるわけで、その時点で「6インチ」は別に気にならなくなるのであろうが。

というわけで、自炊資産の活用ということも併せ考えれば、期待したいのは9.7インチのKindle DXの後継機。さらに日本語縦書き&ルビが可能となるEPUB3.0対応バージョンということであれば文句はない。そんなのが本当に出るのか、という気がしないでもないんだが、しかし「アマゾンは黒船よろしく近々日本の電子図書市場に乗り込む構えだ」というのはずいぶん前から語られているストーリーだし、一気に日本のマーケットを押さえてしまおうというのであれば、進出にあわせてそれぐらいのスペックをもった安価なリーダーを戦略的に投入してくる作戦もアリだろう(と思いたい)。風雲急を告げる、のであろうか。

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「光よりも速いニュートリノ観測」というニュースが流れて、けっこう話題になっているようである。

どうも専門家スジでは「データ間違ってね?」的発言も目立つようなのであるが、しかし文系中年男としては新聞など読んでもなかなか意味がわからん。

なんか「こ、これは大変だ!」とかいって登場人物が騒いでいるにもかかわらず、何が大変なのか全然わからないというシチュエーションが続くタルコフスキーの傑作「ストーカー」、あるいはなぜか英語でみんなが話しているところに紛れ込んでしまったが何を言ってるのか三分の一もわからず困っている状態、に近いぞこれは。

で、たまたまツイッターなどに誘導されて、「山本弘のSF秘密基地BLOG」の関連エントリー「光より速いニュートリノ」をめぐる誤解をのぞいてみるのだったが、流石ツッコミ力にたけた山本弘である。「なにこれ?」的疑問にこたえる内容でこそなかったが、トンチンカンな新聞記事書いてんじゃねーよと吠えている。アインシュタインの特殊相対性理論と矛盾するデータだ、みたいなことを書いた読売をなで切りし、返す刀で「タイムマシンが可能になるかも」などと書く産経を一蹴しているのだった。

何がいいたいかというとだな、どうも新聞の科学記者ってのはここんとこ株下げちまったなー、と思うわけである。ここんとこ、一連の放射能の問題でもどーだろうと思うことが多々あったわけだが、山本氏を信用するかぎり、今回もけっこう怪しい記事を書きとばしちまった疑いがある。

じつのところ、この手の最先端の物理学の話を数式ナシでわかりやすく書くためには、実はとてつもないタレント(卓抜なる理系のセンスとすぐれた表現力を併せ持っていないといけない!)が必要なのだと思う。であれば、新聞社の科学部あたり、それこそ「理系の博士号もってるのはアタリマエ」みたいなところからセレクションをしてほしいのだが、必ずしもそうはなってないらしい。

アカデミズムのほうでも、科学の成果を一般社会にわかりやすく伝えるコミュニケーターの必要性などが唱えられているようではあるんだが、マスコミも含めて、いまの日本ではそのあたりの科学リテラシーを育む仕組みがどうも弱いような気がする。まぁ俺自身はもうニュートリノを理解するのは諦めるとして、次代の人間のためには是非!


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人間は「個人―中間団体―国家」みたいな3層構造の中で生きている、というのはよく言われる話である。この中間団体というのは、まぁ平たくいえば「共同体」みたいなもので、地域共同体もあれば会社組織みたいなものもある。

で、日本にあっては、かつてはムラ組織みたいな共同体の中で人は暮らしていたんだが、やがてそんな共同体はバラバラになっていって、同時に擬似共同体としての「企業」に人々はアイデンティティを見出していくようになった。ところが、いまや「企業」も従業員にたいして「もう終身雇用なんてやってらんねーよ。業績が左前になったらクビにさせてもらうからな」と言い出すようになったもんだから、われわれ庶民はじかに「国家」とか「世界」に対峙しなけりゃならなくなった。グローバリズムの時代、きびしいぜ、というのが大きな流れである。

いまさら何でそんな話をしているのかというと、佐々木俊尚氏のツイッターで紹介されていたブログ「デマこいてんじゃねえ!」を読んでいたら、ちょうどその辺の議論がなされていたからである。

もちろん「だから昔は良かった」という話にはなっていない。よく考えりゃ、俺たちは「ムラ」の住民が相互監視しあっていて、つまりは人が車を買ったといってはコソコソ、家を買ったといってはコソコソ、ヨメをもらったといってはコソコソうわさ話をする、という田舎の地縁ガンジガラメワールドがとことんイヤになってきたから、田舎の「共同体」を捨ててきたンである。

で、代わりにたどり着いた「企業」という名の共同体にしたって、「社員の面倒をいっさいがっさいみてくれる」といやぁ格好はいいが、社宅の中で偉いサンの奥さんが威張りちらすとか、「会社の運動会、全員参加だからネ」とか、そういうべたついた関係の負の側面は確かにあったわけで、「もう社畜はこりごりだ!」と叫んでいた俺たちも確かにいたのである。会社の側から「縁切り」されるまえに、心理的には俺たちのほうから縁なんか切ってやりてェと思っていたフシもある。

で、先のブログでも「じゃあこれから俺たちはどんな共同体を作っていけるんだろうか」という問題提起がなされていて、たとえばSNSとかはどうなんだろう、みたいなことを論じているのだが、これ、難しい問題である。

もう昔には帰れない。でも行き場は見えない。でもなー、「もうこんなムラいやだ」「こんな会社たくさんだ」とかいって、俺たちは荒れ地に向かい、ひとり歩き出したんではなかったか。いまさら「この孤独は辛いぜ」はないんじゃねーか、という気がしないでもない。孤独に歩むことを俺たちは選び取ったのではなかったのか。共同体なんかいらねぇ。どこかでそう言ってみたい俺がいる。「そりゃお前さんがまだ、こっそり逃げ道を用意してるからサ」とか言われそうな気もするけれど。








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というわけで、虚構新聞。あまりに愚かしく腹立たしいものに対してはストレートに怒るというのも大事だが、時と場合によっては皮肉とか辛辣なジョークのほうが有効ということもあるわけで、そういう意味で、このニセ記事「就職したい企業ランキング 1位は東京電力」というのは出色である。

学生を対象に「就職したい企業はどこか」という調査をしてみたら東電が1位に躍り出た、という想定の記事なのだが、曰く
福島で起きた原発事故での対応を受け、「日本中に放射性物質をぶちまけるという、世界的に類を見ない『レベル7』の原子力事故を起こしても給与据え置きのうえ、さらにボーナスを支給できる社員思いの企業体質」「電気料金を値上げすればいくらでも損失補てんができる企業財務の安定性」「企業批判に対して『計画停電』で対抗できる攻撃性」などが、就活生から高く評価を受けたとみられる。


こういうセンスは大事だ。
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yung.jpg左がミヒャエル・ファスベンダー。ユング(右)役をやってるらしい。


こないだベネチア映画祭の新聞記事みてて知ったんだが、「デンジャラス・メソッド」なる映画があってコンペにかかっていたんだそうな。ユングが出てくる映画だってンで調べてみると、シュピールラインっつー実在の女性をめぐる何かドロドロした恋愛模様を描いており、当然フロイトとかも出てくる、と。

そういうわけで題名から察するに当時の精神分析の世界の「いかがさしさ」を描いたりしてんじゃねーかと思うんだが、たしかにクライアントと医者がねんごろになっちまうのは「転移」だよねーとか言っちまうような側面もあったハズなので、確かに「デンジャラス」な側面もあろう(笑)。

監督はデヴィッド・クローネンバーグ。まぁこの手の映画は、「いやー何か偉そうなこといってるセンセーも、よくみりゃ単なる俗物じゃん」みたいな話になってしまうと面白くないのだが、果たしてこれはどうか。日本公開は未定らしいが、来たら観てみたいな。


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で、けさの朝日の天声人語である。まずはガンを患っていた桑田佳祐が仙台で復活ライブをしたという話。次いで(またこれか、と思うンだが)なでしこジャパンが五輪出場を決めた話だ。で、こういう展開になる。

歌える人は歌い、走るべき者は走る。こうして、今の日本はどうにか持っている▼つい比べ、泣きたくなるのが政治の惨状である。すぐ辞めた経産相は憎むべき放射能でふざけ、防衛相は「私は素人」と言い放つ。民主党の国対委員長は、臨時国会を早じまいする理由を「内閣の態勢が不十分」と語ったらしい


おいおい、俺だって桑田の才能は認めてるし、まぁなでしこジャパンの女の子たちだって実際頑張ったんだろう。だが「歌手やスポーツ選手が頑張ってるから日本はなんとかもっている」はないだろ。彼らのやってることってぇのは、なんか自分でも止むにやまれずやってることであって、それがたまさか人を勇気づけたりすることもあるかもしれないな、ぐらいの話じゃないのか。

別に彼らが「日本をもたせてる」わけじゃあない。ホントに「もたせてる」のは彼らみたいに脚光を浴びることもなく(ま、なでしこはちょっと前までそうだったけどネ)、苦しいところで自分を励ましながらどうにかこうにか社会を支えてる人たちじゃねえのか。こういうところに、はからずも朝日記者の貴族主義が顔をのぞかせるのである。

で、これに引き比べて政治は全然ダメ、「放射能でふざけ」る経産相はなってない、のだそうだ。だが福島第1原発の周辺が「死の街」であるのは冷厳な事実だし、偏屈ルキウス氏もいっていたけれども顔見知りの記者相手に「あんたらも放射能まみれのこの世界を生きてかなきゃいかんのだから一蓮托生なんだよ」的なやるせなさを込めて放射能をすりつけるようなそぶりをしてみせたのだとすれば、それはそんなに致命的なことなのか。しかも彼がその際に正確にはどんな言葉を発したのかいまだに定かではない、というのは、これがその場の流れからすれば記者たちが悪意とかを感じることもない、どうでもいい出来事だったからではないのか。

政治家をバカにしていれば事もナシ。「言葉狩り」で大臣のクビでもとれば殊勲功。そんなホンネがすけてみえる。愚劣な言葉。


追記

ちなみにけさの読売新聞編集手帳はこんな風に書いている。

失言の責任を取って鉢呂吉雄経済産業相があっさり辞表を出し、野田首相もあっさり受理した。あっさりしすぎて、かえって気にかかる◆「死の街」の稚拙な表現力も、「ほら、放射能」の悪ふざけにしても、かばうつもりはさらさらないが、読者のお叱りを覚悟の上で正直な感想を述べれば、「謝罪」以上、「辞任」未満あたりが妥当な“量刑”に思えてならない


ま、執筆者の方もけっきょくはサラリーマンなのであんまりハッキリ書けなかったのだろうが、言葉というものへの真摯さは朝日天声人語子よりは格段上らしく、「それほど問題じゃないだろ」的なことを暗に主張していらっしゃる。



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鉢呂吉雄経済産業相の「死の街」発言が物議をかもしているようである。不謹慎だ、だとか何とか。

馬鹿馬鹿しい。

現実に福島第1原発による放射能禍で「死の街」と化した町がある。そのことを政府要人があからさまに言うことについて、不愉快に思う人がいるであろうこともわかる。だがそれはまぎれもない事実である。

本当のことをあからさまに、赤裸々に語ることが何やら道徳的な退廃の如くに語られる。そこに俺は、何か近年社会に蔓延する言葉狩りに似た、事なかれ主義を感じる。「かたわ」「めくら」「ちんば」。そんな言葉を世の中から抹消したら、不当な差別やら何やらが一切消え去るとでもいうのか。差別はそんなところにあるのではない。それは俺たちの心の中にあるものだ。ある種の言葉を無くしたら、それにまつわる様々な概念やら実態も消失するとでもいうのか。目をそむければすべてが消え去るとでもいうのか。なんとも素敵な言霊思想、いや呪術的思考とでもいっておこうか。

確かに存在する「死の街」を直視して、ではこれは誰の責任であるのか、どうやって再生をさせていけばいいのか等々を考える。それが真っ当な人間というものだ。政治家がたまさか漏らした一言を、鬼の首をとったよう糾弾しているヒマなどあるものか。

参考ページ もんじゅ君@monjukun の原発トーク:「死の街発言」批判の「おかしな点」

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先日、大学生の娘が講義で「竹取物語」を読むように言われた、とか何とかボヤいていた。なんかそれが記憶に残っていたのか、「そういえば本当はどんな話だったっけ?」とここんとこ少し気になっていた。

実はこの数年、まだ小学校低学年の下の子を寝かしつけるときにかぐや姫を語って聞かせたりしていたのだが、もうほとんど「創作」に等しく――たとえば最後のかぐや姫昇天の場面など、俺の脳内では「天皇の軍隊がかぐや姫を拉致するためやってきたのだが、そこへ襲来した巨大UFOが怪光線を発射して阻止、姫を奪還していく」という、何か左翼っぽいストーリーになっていたりする――そこはそれ、内心忸怩たるものがあったのだった。

そんなこともあって、最近、たまたま見かけた講談社学術文庫版をザッと読んでみた。古文を目で追いつつ意味がよく取れないと現代語訳をチラ見する、といった適当な読書ではあるけれどもなかなか面白かったぞ。

かぐや姫に求婚する5人の公達のエピソードのあたり、なんかオヤジっぽいダジャレを仕込んであって笑わせたりもするし、姫と竹取の翁の親子の情愛をめぐる話じゃ(やっぱりベタはベタなんだが)いまや人の子の親となっておる俺としてはけっこうシンミリさせられたりもする。

かと思えばラストシーン、天の羽衣を着せられたとたん、かぐや姫は「翁をいとほし悲しと思しつることも失せぬ。この衣著つる人は、物思も無くなりにければ、車に乘りて百人許天人具して昇りぬ」というのだった。つまり涙ナミダのお別れシーンから一転、記憶がなくなってしまった姫は「この爺さんたちナニモノ?」といわんばかりに天に昇っていくというクールビューティーぶりで、このあたりは実にハードボイルドである。

日本最古の物語などともいわれているようだが、やはりそこは古典、残るには残るだけの理由があるわい、と思ったことであった。
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