2011年12月

このあいだ天声人語がクリスマスをネタにしていたので、「それはちょっと違うんではないか、朝日新聞にはクリスチャンから抗議が殺到しているのではないか」ということを書いたのだが、そのご、Google先生で「天声人語 クリスマス」と検索してみたところ、アレッ誰も批判なんかしてねーやオレ以外(笑)。

なるほどー、世のクリスチャンの方々は実に人間ができていらっしゃるのだなぁ~と思う。そういえば聖書にもこう書いてあったな。

あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい(マタイによる福音書5章38~39節)

クリスチャンが別に気にしないでいいというのなら、別にオレがいきり立っても仕方ないのだろう。釜ケ崎で頑張ってる本田哲郎神父とか聖書学の田川建三氏みたいな、ナアナアが嫌いなキリスト者も多いんじゃないかなーとか思ったんだが。むなしい一人芝居。ちょっぴり孤独(笑)。ま、いーや、どーせチラ裏ブログなんだし。気にしないで次いってみよー(笑)。



さて、本日の天声人語は、例によって「最近の日本の政治家は小物ばっかりだなー」というオハナシである。つまり、むかしむかし、「コンピューター付きブルドーザー」「今太閤」などと呼ばれた田中角栄という政治家がいたのだが、彼は官僚の思惑などものかは、当時の大平外相と組んで「政治主導」で日中国交回復を成し遂げましたパチパチ、と。ところが最近の政治家は小物ばっかで何にもできねーじゃねーか、情けねえナアと嘆いておられる。最後はこんな風にしめている。

(いまの)日本には田中も大平もいない。二回り小粒で、のべつ交代している首相と外相がいるだけだ。政治を見限った官僚たちの中には、妙に活気づく者もいる▼大衆人気を誇った田中首相も、狂乱物価と金脈批判で退陣に追い込まれた。そしてロッキード事件。それでも2年前の本紙調査では、戦後首相の一番人気である。前に進まない政治は「小粒」だけの責任ではないのだが、強烈なリーダーシップへの郷愁は理屈抜きらしい。

うーん、相変わらずバカだね。

そもそも田中角栄にこういう力業ができたのは何故か。言うまでもない、究極的にはカネの力だろう。公共事業をはじめ利権絡みの話には必ず顔をつっこんでカネを稼ぐ。で、子分たちに配っては忠誠を誓わせる。カネの力が「数の力」に転じ、たとえ金脈問題やロッキード事件で叩かれたって屁のカッパの闇将軍。こういう人間だからこそ、ムリを承知の力業だって可能になるのだ。しかし朝日新聞さんは頑強に、イヤ駄目だ、政界浄化しないといかん、こういう田中金脈政治はいかん、って、もう40年間言い続けてきたんじゃなかったか? 「仮に政治主導で何かやってくれる力はあるとしてもだな、こういうダーティーな男に勝手にやらせておくわけにいかんのだ」と怒っていたんじゃないのか? それがどうだ、いまになって「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」(by鄧小平)ですか? 

ただ、「いやオレ自身は必ずしも角栄全肯定じゃないんだからネ」とさりげなくエクスキューズをしているのだな、この男。この辺が実に小ずるいというかコスイ。つまり「2年前の本紙調査では、戦後首相の一番人気である」「強烈なリーダーシップへの郷愁は理屈抜きらしい」とか書いているのは、つまり「大衆の皆さんが角栄みたいな人物を待ち望んでるんだよね。オレはそこまでは言わんけど、ま、その気持ちわからんでもないねー」みたいにして自分を高みに置いて、逃げ道を作っているのである。

だいたい「ともかくああいう金権政治は良くない、何があっても」というここまでの朝日の主張は、つまり、「カネの力とかに左右されず国民ひとりひとりが自分の頭で考えて政治に参画していく清く正しい民主主義を作っていきましょうよ。そりゃ有能な一部の人間に政治を任せて、それこそ独裁みたいにして勝手気ままにやってもらった方が効率は良いだろうし、思い切った改革とかもできるかもしれない。でもそういうのは裏目に出たら最悪だし、やっぱり俺たちは効率悪いけどああだこうだ言い合いながら政治を進めてく民主主義でいくっきゃないんだよ」という意志表明であったハズなのだ。

そういう「理想」みたいなものを持つこと自体は別に悪いことじゃないのだが、その「理想」がうまくいかないからって、こういう風に変に斜に構えて毒づくのは如何なものか。歯を食いしばって「うまくいかないことがあっても、これは民主主義のコストだよね」って言うべきじゃないのか。何をいまさら偉そうなことをいっているのか。



【追記】
そのご、いろいろとネット上を徘徊していたら、朝日新聞の「お問い合わせフォーム」というのを見つけた。凡例として

件名をご記入ください(例:○月△日の天声人語について、など)

みたいなことが書いてあったから、おっとコイツは面白いぞ、ブログに書いたことコピペして送りつけてみっか、と一瞬思ったのだが、よくよく読むと「弊社からの回答内容を転用、二次利用することは固くお断り致します」って書いてある。なるほどブログとかに転載してツッコミいれたりして遊ぶのはいけないんだ。残念。

我が国の言論を担う自称クオリティ・ペーパー(笑)なんだから、そんなセコイこと言わないで「開かれた言論」を実践して欲しかったンだが、意外に(?)ケツの穴は小さいな。


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本日の天声人語。クリスマスで暴飲暴食する向きもあろうが、世界には日々のメシにも事欠く人たちもいるのだから自戒めされよ、みたいなことをかいている。最後の部分を引用する。

▼どこで聞いたか、「大人とは、垂直方向には発育をやめたが、水平方向にはやめていない人」という寸言があった。腹の周りを気にしつつ、日本も週末のクリスマス。ご馳走(ちそう)にスイーツに食欲全開の大人もおられよう▼やぼは申すまい。体重計を放念し、存分に味わうも良しである。ただ一つだけ、パンにバターをたっぷりつけてあげたい子が、地球に多く暮らすことを忘れないようにして。


馬鹿まるだし、である。

まず第一に、別にクリスチャンでも何でもないわれわれが、クリスマスとやらで浮かれることの愚に全く無自覚であるのがきにくわん。もちろんクリスマスがキリストの誕生日だというのは後付けの牽強付会で、冬至起源の民俗行事が習合したものだという話もあるから、必ずしもクリスマス=クリスチャンの宗教行事とはいえないのかもしらん。

しかしだな、やはりこれはキリスト聖誕祭だから有り難いという話なのである。「人間は生まれながらに原罪を背負って生まれてくるのだが、神の遣わされたイエスさまが身代わりに死んで下さったので救われた、で、そのあとイエスさまはいったん生き返った」みたいな教義は、まぁ仮に事実そのままではなくある種の比喩だと考えるとしても、オレにはどうしてもリアリティを感じることができんし、それは大多数の日本人にとってもそうであるから、日本のキリシタンはどうやっても1%の壁を越えられないのではないか。

つまり、今の日本のクリスマスというのは「なんか南蛮渡来の神様が有り難そうなので俺たちも一緒に騒いでみますか」といった程度のもの。少なくともそのあたりに後ろめたさを感じていて欲しいのだが、この天声人語子の「暴飲暴食する日だよねー」みたいな馬鹿丸出しの発言をきくと、もう、これが日本のクオリティ・ペーパーを自認する新聞の看板コラム(笑)かと哀しくなるぞ。

それから、最後につけたしのように「パンにバターをたっぷりつけてあげたい子が、地球に多く暮らすことを忘れないように」などと恥ずかしげもなく書く傲慢さが許せん。忘れなかったら、なにかが変わるのか? オマエ自身が「あぁ俺様って可哀想な子供たちのことも忘れない良心的コラムニストだよな~」と自己満足する以上の効用はないのではないか。パンにも事欠く子供たちを、こんな馬鹿話のだしに使うな。

そもそも本当のクリスチャンだったら「クリスマスには暴飲暴食して騒ぐばっかりじゃなくて、世の片隅で泣いている人のことも思ってね」などと異教徒から説教されたら、「アホかおまえは。オマエは何にもわかってない」と怒るんじゃないのか? いまごろ朝日新聞には抗議の声が殺到してるんじゃねーのか? そういや、こないだ橋爪大三郎と大澤真幸の出した「ふしぎなキリスト教」なる本が、「もう全然キリスト教がわかってない!」とかいって関係筋から徹底的に叩かれてるそうだしね、天声人語子もあんまり世の中を甘くみないほうが良いのではないか。





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ネットを徘徊していたら、こんな替え歌があるのを知った。作者はモノディアロゴスなるブログを開いておられる方で、「麦と兵隊」のメロディで歌う替え歌だそうだ。「徐州徐州と人馬は進む・・・」というあれだな。

名づけて「原発難民行進曲」。とても良く出来ている。怒りや諦念をメロディに乗せて伝える。これはいつの世も変わらぬ民草の営みである。これで少しは希望があれば、と思うけれども、そうはいかぬが浮世の常。これはとても切ない。

  1
    除染除染とだれもが叫ぶ 
    除染終われば住みよいか
    思いあぐねて振り返りゃ 
    原発夕陽に照り返る
    あゝ無念の浜街道

  2 
    ライトを頼りに夜道を行けば
    いとし我がベコ慕い寄る
   「すまん、すまん」と撫でてはみるが 
    いつまた会えるか分からない
    涙こらえて 星空仰ぐ 
 
  3 
    今日も晴れ行く相馬の空を
    雲雀悲しく鳴いている
    遠く見ゆるは国見の山か 
    山菜取るのはいつの日ぞ
    婆さま(ばさま)すまねえあの世で探せ

  4 
    眼(まなぐ)上げれば百尺観音 
    今日も静かに笑ってる
    馬鹿な民草(たみくさ)哀れんで
    独り平和を祈ってる
    蓮(はす)の清(すが)しさ美しさ 

  5 
    行けど進めど道なお険し
    業の深さよ惨めさよ
    安楽・利便の後のみ追って 
    袋小路に迷い込む
    原発難民どこさ行ぐ






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金正日が死んだということだ。享年69歳。

まぁ既にして何かチラ裏的な備忘録というか個人的な思いを記録する日記になりつつある当ブログなのでこの際ひと言書いておくのだが、何というかなぁ、まず倒れることはないと思われていたカダフィも今は亡く、あの英雄ムバラクもボロボロになって退陣、というこの2011年にあって、最後まで「将軍様」のまま逝くことができたあの男は、ある意味とても幸せだったのかもしれないなぁ、と思う。

あと何年か生きながらえたとしたら、あるいは彼もどんな目に遭わされたか。

いやいやしかし、なんか昔「アジア的専制」みたいな言葉を聞いたこともあった、つまりこのアジアに生きる民は、なんやかやいって「専制」みたいなのに親和性があってダな、という議論で、そういうのを信用するならば金正日だってず~っと安泰だったかもしれないゼ、という話にもなろう。

これなんかいささかアヤシイ議論ではあるんだが、ただ、福島があんなことになっちまってなお、「いやー、やっぱりしっかりしたエネルギー供給のためには原子力みたいな頼りになる巨大技術は捨てられないよネ」とかついつい言ってしまうわが同胞たちのことを思うと、「専制だって頼りになりゃいイインジャネ」的なパターナリズムっていうんでしょうか、なんかけっこう「アジアの呪縛」みたいなのはシッカリしているような気がしないでもない。

ましてや戦前の日本の国家有機体論をマンマ引き取ったといわれる北朝鮮である、あの金正恩だって必ずしも「唐様で書く三代目」として没落すると決まったワケではないのかもしれぬぞ、と思ったり。

というわけで、たとえばオレが死ぬまでに金正恩の治世が続くかあるいはポシャルのか、それはたとえば昨今流行のグローバリズム――それは偶像的なものを徹底的に破壊し、フラットな世界を構築しようというムーブメントであると思う――が勝つか、あるいは「いやいや民族的な固有のアイデンティティみたいなものは意外に手強いものであるぞ」という結論になるのかの試金石ともいえるわけで、まぁ今んとこオレは「金正恩はたぶん駄目だろう」と思っているのだが、そこはソレ、こんなことを書き残しておくのもチラ裏的日記の醍醐味ではある。

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「65歳まで再雇用義務化を」とか厚労省が言い出したようで、もちろんこれは「これから年金支給開始を引き上げてくわけだが庶民がバタバタ野垂れ死にしはじめたら寝覚めも悪いから、財界のオマエらもちったぁ協力しろよな」というメッセージである。

たしかにオレの世代なども年金がもらえるのは65歳から、ということに決まっているらしく、定年後は貯金を取り崩してしのぐのか、そうもいかずに今回の報道ではないけれども会社にアタマを下げて「なんでもいいから働かせてください」とか言って細々と稼いでいかねばならんのか、なかなか厳しいところである。ホンネでいえばはやく隠居して好き勝手したいのだが、しかし65歳どころか厚労省はすきあらば支給開始を70歳ぐらいまで延ばしてしまいたいという野望を抱いているらしく、さらに事態は悪化する可能性がある。

うむ、ホントいえば伊能忠敬みたいなのが理想なのである。佐原の商家のダンナとしてまずまず成功をおさめ、50歳で隠居して測量の勉強はじめて、それから70歳ぐらいまで日本全国歩き回って日本地図を作って、というアレだな。だがしかしよく考えると、これは忠敬が事業で成功して好きなことやって生きていけるバックグラウンドがあったからできた話なのであって、オレなどはそんな余裕が全然ないのである。

ユングのいう「人生の午後3時」に入って、なんかもう日差しもだいぶ傾いてきたなぁと思うきょうこのごろ。さてどうするか。
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政府のエネルギー・環境会議の「コスト等検証委員会」は十三日の会合で、原子力など各電源の発電コストについて試算結果をまとめた。(東京新聞ウェブ版

 のだそうだ。で、

原発は事故コストなどが新たに加わって一キロワット時当たり最低八・九円となり、これまで政府が原発推進の根拠としてきた試算から約七割増えた。(同上)

原発コストが増えたのは、事故コスト〇・五円、立地交付金などの政策経費一・一円が上乗せされたため。事故コストは損害総額を五・八兆円と見込んで計算しているため、今後、損害額が一兆円増すごとにコストも〇・一円増える。(同上)

 とのこと。一覧データはこんな風になっている。

atomiccost.jpg

 もっとも

エネルギー価格の上昇などを受け、液化天然ガス(LNG)火力などのコストも上昇するため、なお原発は相対的に割安となる計算だ。(読売新聞ウェブ版)

というわけで、例によって「でもまだまだ原発のほうが安いわナ」と主張している人たちもいるわけだけどね。

しかし、まだまだ納得できんなぁ。原発の発電コストは「事故処理絡みで膨らむ可能性がある」という前提での試算らしいんだが、たとえばオレの住んでる東京東部地区では事故による空間放射線量増加分がおそらく0.1μSv/hぐらいあるけれども、東電さんはこれまで何もしてくれてませんね。結局これは放置ですか? なかったことにする、と?

そりゃそれぐらいの数値ならたいした影響ないっつーことでいやぁそりゃそうかもしれんが、こうやって汚染しといて原状回復ナシっていうのはアリなんですか? 経済学でいう社会的費用(公害みたいに社会に損害与えときながら原因企業が頬ッ被りして、結果的に無辜の第三者が負担させられてる費用、ってぐらいの意味ですな)はどうなってんの? ホントは全国津々浦々、この余計な放射線をぜんぶ取っ払って現状回復する費用も入れないとおかしいのではないですか?

何十兆円かかるかわからんから現実的でない、よってそういうことはなかったことにする、ですか? 国民の皆さんも総じて原発推進には異を唱えてこなかったから、それぐらい大目にみてよ、ですかな? もちろんそういう政治的判断はアリだとは思うけれども、こういう「試算」で斟酌すべきものでもないだろうし。どういうことなのだろう。

あと、これも永遠の謎なんだが、原発から出る放射性廃棄物の保守管理費用というのはどういうことになってるのかナ? 「会計上別の項目だから算入しない」みたいな話だったら呆れてしまいますが、そうじゃないとしたら、仮にこれから1万年、環境汚染させないように封じ込めてく手当というのはどっかで予算化されてるんでしょうか? それとも経済学的にはそういう遠い未来を見据えた費用は考えなくていいというリクツがあるんでしょうか?

そういうことを考えていくとですね、まだ全然納得ができません。野田首相でも誰でもいいから、ちゃんとわかるように説明していただきたいものだ。そうでないと、オレにとってはこんなのは数字の遊びだ。

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suzuki.jpg
浅田真央欠場で一躍注目されるに至った「フィギュアGPファイナル」、日本勢は鈴木明子さんが頑張って2位に入ったそうな。

しかし、オレにとってフィギュアの複雑な採点方法というのはまさにブラックボックスで、何でそういう点がつくのかとか全然わからん。ノルディックのジャンプで飛距離&飛型で採点されるっていうんなら、まぁ何とか納得できる。

しかしフィギュアの場合、一般に「芸術点」と呼ばれる「演技構成点」というのは何なのか。どうやら「美人・美男が格好良く滑ると高得点になる」という単純なものではないらしいンだが、しかし「曲の解釈」とか「演技力」とかいうのが採点の要素に入ってるらしい。するってーと、「じゃあ審査員の解釈と違う解釈したら減点なのかヨ」とか、「演技力っていうんだから、やっぱ美人が最高の笑顔でニッコリ笑ったらスゲーんじゃねーのかヨ」という話である。

やっぱり美人・不美人で有利・不利はあるんじゃねーか、というのがオレの疑問である。ここで鈴木明子さんを引き合いに出すと失礼かもしれないのだが、オレは彼女の顔をみると、どうしてもナニワの食い倒れ人形とやらを思い出してしまって、何かちょっとシリアスな気分にはなれないのである。果たして彼女の顔が安藤美姫みたいだったらどういうことになるのか? ここんとこハッキリさせてくれないと、いつまでたってもオレにとってのフィギュアはスポーツではなく・・・・・・そう、敢えていうなら大相撲みたいな興行じゃねーのかよ、という疑念がぬぐえないのであった。
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巨人の金満補強についてはちょっと前に書いたところだが、けっきょくFA目玉の村田、杉内はともに巨人入りのようだな。ま、前回はいろいろ書いたけど、連中のその判断はワカランではない。

人間というのは弱いもので、大金を目の前に積まれた上に、「よその球団で地道にやるのもいいですよ。でもウチにきたらメディアも注目するし知名度は確実にアップしますヨ。将来、野球解説者やるにしても何か事業始めるにしても、どっちがオトクかはハッキリしてるじゃないですカ」とか説得されたら、まぁオレが村田だったらすぐ転ぶな。たぶん(笑)。

でも、オレみたいな中年世代がプロ野球のスーパースターをみる眼差しって、いまだに少年の頃のそれであって、何か「この人には完全無欠のヒーローであってほしいッ!」みたいな気持ちがどっか入ってるんだと思う。カネに転ぶなんてとんでもない。彼は「高潔」な人間であるべきだし、あって欲しい、その辺もコミでオレたちに夢を見させて欲しい、なんて考えてきたんだが、どうも現代という時代にあってはそういうのは無い物ねだりのようだ。

「オマエは王を倒せ。オレは長島をやっつけるからな!」と若き江夏豊に語りきかせたという村山実。ドラフトで巨人に振られて恨み骨髄、「この野郎許さん!」とばかりに巨人の前に立ちはだかった星野仙一。そういう男たちがいた時代もあった。昭和は遠くなりにけり、か。
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もう天声人語のアホらしさは論評するに値しないなぁとは思っているのだが、たまさか今日も朝日新聞をめくっていたら、例によって自社宣伝ページで「天声人語書き写しノート」のPRなどしておったものだから、もうこれは半ば世の良識に対する挑戦ではないか、よーしそうくるなら何度でも何度でもオカシナところは指摘してやるゾ、こんなエントリー見に来てくれる方がいるとしてもせいぜい数十人、世の中に何の影響もない弱小ブログではあるが一寸の虫にも五分の魂だかんナ、といってまたぞろ筆誅(笑)を加えるのである。

で、今日の天声人語。日米開戦70年にひきつけて、東郷茂徳を登場させている。この人、日米開戦時の外相で、いったん辞めたあと終戦時にふたたび外相に就任した外務官僚だ。基本的には戦争回避に尽力した人ということになっていて、だから開戦時の外相としてA級戦犯になってしまった可哀想な人、というトーンで書いている。以下引用。

▼獄中でよく歌を詠んだ。他のA級戦犯への目は厳しい。〈此人等(このひとら)国を指導せしかと思ふ時型の小きに驚き果てぬ〉〈此人等信念もなく理想なし唯熱に附するの徒輩なるのみ〉。あれほど権勢を振るっていた軍人らの、一皮むいた「小物ぶり」への憤りである

▼いま東郷の遺著をひもといて、歌に古さを感じないのは、政権交代後の政治のせいだろう。輝いて見えた「大物」たちは早々とメッキがはげた。閣僚級もしかり。国難の年だけに閉塞感は深く、どこか往時に重なっていく


あぁ何ということでしょう、小物のはびこる政治にはホント苦労させられますなぁ、もっとちゃんとした人にやってほしいものですなぁ、とボヤいているわけで、もうなんか典型的床屋政談のレベルで鹿馬鹿しいというしかないんだが、ともかく2点だけ指摘しておく。

その1。

世の中に人物がいなくなった、みたいな議論は俗耳に入りやすいのであるが、これは違うだろう。世の中はますます複雑になってきておる。なにやら蛮勇をふるってエイとやれば一気に解決、みたいな講談の世界みたいなことは今の時代では流行らない。というか、できない。もうこれはあらゆる分野でいえることで、ビッグな人物というのはキホンこれから出てこない。天声人語子もいっているように、いま大物ヅラをして登場してくる人物というのは、全部メッキをほどこした人物と考えてよい(ここだけは褒めてやろう)。政治家に小物しかいないというのなら、それは国民がまるごと小物になってしまったから、かもしれない。

その2。

何やら東郷を褒めているのだが、はて、戦前・戦中の東郷には確か批判的な声もあったはずだが、と思った。オレも耄碌してきて、もはやどこに何が書いてあったかすぐ思い出せない、とりあえずウィキペディアを見てお茶を濁すけれども、そこはご容赦あれ。で、そこに書いてあったことを見て思い出した。そうそう、この男、日本が完全に詰んでしまって、あとはどういうかたちで終戦にもっていくかという局面で、なんと(当時は局外中立の立場にあった)ソ連に終戦工作の仲介役を頼もうと言い出したのだった。もちろん、その後、中立条約を勝手に破って北方領土に侵攻したソ連であるからして、仲介役なんかする気はさらさらない。結果、一日でも早く終戦に持ち込めば犠牲者が少なくて済んだものの、あの冷血ソ連に期待するなどという東郷のトンチンカンなアイデアで無駄な時間が費やされてしまったのである。

まぁ別にその善意を疑うわけではないが、仮にもプロの外交官として日本の国益を守るリーダーの地位にあったわけだから、こういうバカをやられてはたまったものではない。というか、あの局面でそんなお人好しなことを言っていた時点で、この男こそ「単なる小物」ではなかったか、という気もしてくるのである。

もひとつ、これは出典がハッキリしないウィキペディアからの引用だが、こんなことも書いてあった。

(東郷が東京裁判で:引用者注)結果的には自分の立場のみを正当化する主張に終始したと見られたことを、重光葵は「罪せむと罵るものあり逃れむと 焦る人あり愚かなるもの」と歌に詠んで批判している。

真相はよくわからんが、こういうのを読むと、秀才官僚にありがちな言い訳のうまい人物ではなかったか、という気がしないでもない。ちなみに重光は戦中・戦後にやはり外相を務めた外務官僚出身の政治家である。ミズーリ号艦上で降伏文書に署名したことでも有名だな。

ということで今回のまとめ。

小生のみるところ、天声人語子は「世の中には絶対悪と絶対善がある」という、あたかもグノーシス派のそれにも似た世界観をおもちのようであるが、今回はその悪いところがモロに出てしまった。今回のシメには「未来のために過去に学ぶ姿勢が、とりわけ政治家にほしい」とか書いてるが、東郷茂徳善玉説に安直に乗っかって議論を進めてしまっている天声人語子こそ、「未来のために過去に学」んでほしいぞ。





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なんか皇室が大変だから、女性宮家でも作ることにするか的な議論が政府サイドから浮上しているらしいが、ホント隔靴掻痒である。なぜそういう回りくどい議論をするのだろうか? 端的にいって、こりゃ女性天皇がOKにならん限り、何の意味もない施策ではないか? 「女性天皇もアリにしたいので、それとコミコミで女性宮家作る方向で話をすすめたいのでヨロシク」と正直に言いなさいよ。

一般的に、宮家をひとつ作ると年間5000万円のカネが必要になるらしい。この国家財政の非常時である、タレントあがりの女性国会議員が「そんな無駄遣い許しません!」とか言い出すと一部国民が喝采を叫ぶというご時世であるからして、新たにそういう負担が発生するのであれば「じゃ、それでどんなメリットがあるの?」という国民の疑問にこたえないとイカン。

で、なんか今のところはその理由として「皇族が減っていろいろ負担が増えてるから」みたいな言い方をしてるンだが、傍系の宮家(という言い方もヘンだが)の仕事っつーと、新聞社とかテレビ主催の展覧会に出かけていって、ハクをつけてやって、で、主催者側大喜びみたいなレベルの仕事しか思い浮かばんのである。そんなことをする人間のために年間5000万円を出す余裕はない、というのが万人の思いであろう。

となると、やっぱりここは「皇統を継ぐ男の皇族がドンドンいなくなってるし、女の天皇もアリっつーことにしとけば安泰だわナ。でも、今の制度のままじゃ女の皇族は結婚したら一般人になっちまって、はいサヨウナラ。女の天皇アリにしようぜ、なんて言い出すとウルセー連中も多いからそうそうホンネは言えねーが、とりあえず女性皇族が一般人になっちまうまえに囲い込んで時間稼いどくか」というのが当局の正直なハラであろう。

言ってみれば、問題の先送り、問題のとりあえずの糊塗、それがこのたびの女性宮家問題の本質なのである。

個人的には、まぁどうでもいいような気がするのだが、やはりスジとしては「女が天皇になってもいいのか?」「ダメだっつーんだったら、なんでダメなのか?」「いや、そもそも天皇とは俺たちにとって何なのだ?」みたいな話を詰めていくべきなのである。だから改めて言いたいのだが、政府はもう時間稼ぎみたいなセコイ真似をしないで、直球勝負をしなさい!!
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ナベツネVS清武戦争はいよいよ泥仕合の様相を呈しつつあるわけだが、まぁとりあえずそんなことはどうでもいいことで(ホントは良くないがw)、年来のアンチ巨人ファンとして、本日はその陰で進む巨人の「大艦巨砲主義」復活の動きに注目したいのである。

みなさんご承知のように、ひと昔前までの巨人の補強といえば伝統的に「結局はカネよ、カネ」という金満補強大作戦が定番であり、つまり古くは別所、金田の引き抜きに始まり、FA制度ができてからはとにかくFA宣言した他チームの四番とエースをかっさらう、というのが常套手段であった。それがもっとも極端だったのが長島時代であって、「何でもほしがる長島サン」などと揶揄されていたことをご記憶の方も多かろう。

ところがこの数年の巨人はというと、FA争奪戦などでも意外に大人しかった。そう、これまた周知のように、その背景には「むりやり大物ばっかり連れてきてもチームが機能するとは限らないから、地道に手駒を育てるのが大事だよナ」という清武イズムがあった、とされている。ところが清武放逐により、GMに就任した原沢敦は一転して「カネカネ」路線に舵を切ったようなのである。横浜の村田、ソフトバンクの杉内と、今オフのFAの目玉にヨダレじゅるじゅるでラブコールなのである。そう、巨人伝統の大艦巨砲主義がどうやら完全復活したようなのだ。

ま、何となく不愉快な話ではある。こういうご時世、巨人OBという肩書きがありゃ引退後だってハクがつくしナ、みたいな事情もあるんだろうが、FAで巨人入りする選手たちみてると「ブレークした途端に糟糠の妻を捨てて美人モデルと再婚」みたいなチャラい芸能人さながらの下品さが漂う。という話ではあるんだが、しかし少し冷静になって考えてみると、こういう巨人の大艦巨砲主義は果たして勝利への近道なのかどうか。いささか疑問が残る。

ま、シロートの分際で勝手言わせてもらうが、たとえば各チームの四番打者集めて作ったチームが果たして強いか、というと、コレ意外に弱いんじゃないか。プロ野球に入ってくるような人間は、もう人間離れした野球エリートでアル。その中でも四番打ってるようなヤツは超エリートである。そんな連中ばっかりで打線組んだらどうなるか。連中は「オレサマが一番なんだからよ、他の連中は引っ込んでろよ」というメンタリティーの持ち主ばっかりなのである、前も後ろもそういう人間ばっかり、となりゃ、こりゃどうしても力んで大振りに走るだろ。

V9時代の巨人だって、実は柴田とか土井とか、実にねちっこいイヤミな連中がいたからこそ強かったのではないか。最近の巨人だってそうだ。アンチ巨人からみると、実は坂本みたいに自力で這い上がってきた連中のほうが何となく怖かったりする。安定した力ってぇのは、そういう地道な育成がないとダメだよね、という清武路線は、阪神ファンたるオレからみると実は「あ、気がついちゃった?」的な怖さがあったのである。

で、巨人はそういうのはもうやめるのだろう。わからんじゃない。新GMの原沢某という人物、読売社会部出身でフロントに10年ぐらいいたらしいんだが所詮は素人。「戦力強化しろ!」とか言われたって、「マネー・ボール」のビリー・ビーンみたいな野球哲学というか思想があるわけじゃなし(たぶんw)、まぁサラリーマンGMとしては、「とにかく実績のある大物集めりゃ文句もいわれねーだろ、カネも出してくれるっていうし」みたいな判断をするしかないのである、もう一択なのである。

というわけで、ま、確かに巨人に村田、杉内が入れば、たしかに脅威ではある。あるんだが、しかしそれは決して「常勝巨人」への近道ではない、というのもまた確かなことなのである。「大艦巨砲主義」恐るるにたらず!


※とか偉そうなことを書きながら、そういやわが阪神もFA漁りでいささか見苦しい醜態をさらしてきたのではないか、と思わんこともない。そうなんだよなぁ。こういう話をしだすと、かつて井上章一が書いてたが、だって阪神だって結局巨人のあとをついてまわるコバンザメでしょ、みたいなささやきが頭の中に響いてくるのであった(苦笑)




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以前の拙ブログでもふれた、朝日三面の「プロメテウスの罠」が「関東圏でも放射線によって鼻血や下痢といった症状が出てきている」説を紹介していた件であるが、本日朝刊で再びその話題に触れている。

前田基行記者は、被爆二世の人に原発事故による内部被曝を案じる発言をしてもらったあとで、こう書く。

しかし、鼻血や下痢を原発事故に結び付けて考えるのは「非科学的」といわれる状況だ。

でもって、政府の「低線量被曝のリスク管理に関するワーキンググループ」について、「低線量被曝の健康影響に否定的な見解の研究者が多すぎる」という理由で日弁連が即時中止を求める声明を出した、という話がでてくる。ここで尾藤廣喜弁護士のこんなコメントを使っている。

「まずは被害の実態を把握しなければ始まらないでしょう。加害者側や行政側に被害の線引きを絶対にさせてはいけない」

うーん。またまた唸ってしまった。確かに低線量被曝の実態はよくわかってないので要注意ですよ、というのは、一般論としては至極尤もな議論だ。後段の日弁連のワーキンググループ批判も、それ自体決しておかしい話ではない。

ただなぁ、前段で「関東圏での鼻血や下痢は原発事故と関係ないとはいいきれない」という勇気ある主張(笑)をしているから、残念、全体を通して読むと実にトンデモっぽい議論になってしまった。

つまり、オレが読む限り、この前田記者はこういう主張をしているようにしか思えない。

「低線量被曝というのは油断がならない。これまでは何年もあとになってガンになる確率が高まる、という危険性が指摘されていたんだが、実は関東圏での被曝レベルでもたかだか数ヶ月で鼻血やら下痢やらの急性症状が出てくる可能性がある! これは大変だ!」

そりゃね、可能性だけっていうんなら、宇宙人が地球に来てる可能性だって、否定はできないさ。問題はそういう問題を提起するに足る必然性があるかどうかだし、「ある」と思うんなら、ジャーナリズムがまずやるべきことは「ホントに首都圏で鼻血や下痢が増えているかどうかを正しく統計的に検証する」ことでしょうーが! こんな評論家みたいな記事を書いてる場合じゃないでしょ? 先の記事でもこういう風に書いてるでしょ、「まずは被害の実態を把握しなければ始まらないでしょう」って(もっとも、新聞記者って統計の読み方ほとんど知らんからこれって無いものねだりかな?)

いや、オレも内部被曝への警鐘を鳴らすという、この企画の狙い自体はとてもいいと思ってるよ。ただな、こういうトンデモっぽい議論をまぜこむと一気に信頼性が下がっちまう。逆効果だ。そりゃ「子供たちの間でいきなり激しい鼻血が出る事例が頻出してる」みたいなイメージすり込めば、読者の食いつきはよくなるだろうけどさ、そういう現象の多発を示唆するデータ(言っとくけどウワサじゃダメだかんねw)がないかぎり、こりゃ無理筋だと思う。

というわけで、あえて厳しい言い方をさせてもらうが、この記事は「新聞はこういう煽り方をしてはならない」という良い実例だろう。NIEとかいうなら、こういう記事を取り上げて批判的に検証するような試みこそが教育的であるような気がするな。


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そうそう言い忘れた。朝日新聞の記事は是々非々で評価したいという話の続きだが、次のような記事はとても良い記事だとオレは思った。昨日の朝刊だったかな。忘れぬように書いておこう。

被曝予防に花粉マスク有効 セシウム通さず 東大実験

そのうちネットからは消えるだろうから、オレ的に大事なところを引用しておく。

同大(引用者注:東大)の桧垣正吾助教は、福島第一原発事故直後の3月15日午後3時から翌日午前9時までの18時間、東大本郷キャンパスで、市販されている不織布の立体型マスクを着用した。

この結果、花粉用マスクで、セシウムのほぼ全てを吸い込まずにすむことが確認された。マスクに付着した放射性物質の量から換算すると、仮にマスクをせずに体内に吸い込んでいれば、内部被曝は9.3マイクロシーベルトに相当していた。

「内部被曝対策には花粉用マスクが有効」という記事だが、まぁ首都圏であれば今後呼吸にともなう内部被曝なんてそうそう心配する必要はないだろうから、むしろオレ的に注目したいのは「3月15~16日にかけての18時間、東京・本郷にいた人間は呼吸により9.3SμSvの内部被曝をしたものと思われる」という情報だ。

あの3月中・下旬の放射性物質ダダ漏れの時期に、「じゃあじっさいどれぐらいオレたちは被曝していたのか」というのは実のところよくわからん。とりわけ内部被曝となると見当がつかんのであるが、その意味でこの記事は内部被曝量についておおまかなイメージを与えてくれるからだ。

この間、この研究者が屋外に何時間いて、屋内に何時間いたか、といったあたりは書いてないのでわからんが、まぁ時間帯からいってほとんど屋内にいたのだろう。で、18時間で9.3マイクロシーベルトだというから24時間だと12.4マイクロシーベルト。あのころ、ふつうに東京・本郷あたりにいて基本屋内にいるような生活をしていた人間は、一日にそれぐらい内部被曝したんだろうな、というアタリがつくわけである。

まぁ仮にそのような状況がひと月ずっと続いたとしたら、月間で12.4×30=372マイクロシーベルト。実際には関東に大量の放射性物質が落っこちたのは3月21日らしいので、その時点でこの数値はさらに上がってたのだろうし、そこんとこわかんないのは隔靴掻痒の感があるんだが、事故直後のひと月、ふた月あたりで東京あたりに住んでいる人間が呼吸によりどれだけ余計に内部被曝したかというと、そうだなぁ、まぁせいぜい1ミリシーベルトとかそのあたりで、2ミリ3ミリみたいなことはまずなかったんじゃねーか、とオレ的には思う。

それはそれで意外に高いような気もするのだが、とりあえず内部・外部あわせて余計に浴びる被曝量が数ミリシーベルト程度なら、まぁ受忍できるところなのかもしれんナというオレの個人的信条に照らせば、うむ、想定の範囲内か。

というわけで、素人のオレたちではあっても、具体的なイメージを与えてくれるこういうデータがあればバカなりにいろいろと考えて生きていけるのである。妙に説教臭い記事は要らんから、ちゃんと考えるためのデータを与えてくれ。これが結論である。

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朝日新聞朝刊3面の「プロメテウスの罠」という原発企画、なかなか面白い切り口だと思って読んでいる。たまに朝日批判を書いているけれども、そこらへんはもちろん是々非々であって、面白いものは面白いと評価せねばなるまい。

で、現在は「無主物の責任」というシリーズが始まっている。広島原爆に遭遇して以来、内部被曝の危険性を説き続けている医師・肥田舜太朗氏を中心とした話を展開しているわけだが、しかし! 今朝の記事ばかりはなんともいただけない。

前田基行記者によるこの署名記事、原発事故後にとつぜん子供が鼻血を出したので、これって放射線の影響じゃネ?と不安になってしまった親御さんに「心配だ」みたいなことを語らせたりしている。一方で「心理的な要因が大きいのでは」みたいな専門家のコメントもいちおう載せているから、放射線の影響と断定してるワケじゃないんだが、オイオイ、こういう書き方こそが「正しく放射線を怖がる」のを妨げるんじゃねーのか?

じっさい今回の事故後、日テレのディレクターだった(あるいは現在も在籍中?)木下黄太氏などがネットで「首都圏でも子供が原因不明の鼻血を出したり下痢になったりするケースが増えている。放射能の影響では?」みたいなウワサを広めたのは有名な話。オレもちょっと気になって、その辺の情報は一時期フォローしていたのだが、どうも首都圏あたりの放射線量でそのテの急性症状が現れる、というのは現在の医学のジョーシキからいうとイクストラオーディナリー怪しいらしい。つまりは「主観的」な思いこみではないかという話だ。

その辺はいぜん拙ブログに書いたこともあるんだが、たとえば「涼風庵徒然」なるサイトをみると「鼻血が増えたというデータはない。下痢は増えていない」ということのようだ。

で、朝日の記事に戻る。確かに「首都圏あたりの低線量被曝でもひょっとして?」というのは気持ちのいい話ではない。厳密なことをいえば、そういう現象が起きる可能性は皆無とは言い切れないのだから。だがなー、こういうときこそマスメディアというのは「より信頼に足る情報」を提示して、「より正しいと思われる判断」を下すお手伝いをしなきゃいけないんじゃねーの? だからさ、「こういうことを言ってる人がいる。反対意見もあるけど」って言いっぱなしにするんじゃなくて、じゃあ本当にそんな現象が起きているのか、「データを集めてみる」っつーのがまず最初にすべきことなんじゃねーの?

おそらく鼻血を出した人の数なんてデータ、あんまりねえだろうから(笑)作業は難航するだろうが、たぶん今のところ言えるのは「少なくとも鼻血が急増していることを示唆するデータはない」ってことじゃねーの? たぶん。

木下氏の主張でかなりビビった人も多いらしいンで、だからこそマスメディアにはこういうネタを扱うについては冷静な態度をとってもらいたいものだ。その点でけさの記事は失格。それともあすあたりの紙面で「いや、データ探してみたら鼻血仮説はデマでした」って言い出すのかしら?


【追伸】

なおけさの「天声人語」も(いつもながらw)変調気味であった。

春に新学期が始まる日本の学校はいいと、日本語で創作する米国人作家のリービ英雄さんが他紙に寄せていた。秋に始まる米国では、自然の色彩が薄れていく中での授業になる。それより日本のように、自然が一日一日カラフルに開いてくる季節の授業は気持ちが良い、と▼それを思うと、今年の大学3年は少し可哀想だ。3年生に向けた企業の広報活動が、去年までより2カ月遅れてきのう解禁され、就職活動が本格スタートした。寒さに向かう年の瀬、木枯らしに吹かれる中で、オフィス街歩きが始まった


この人は何を言いたいのだろうか? 春の新学期って日本人にとって実にしっくりきていいよね~というのには異存がないが、だからといって「何か新しいことを始めるのはつねに春であるべきだ」という話にはならない。「今年の大学3年は少し可哀想だ」ってオイ、そもそも「就活始める時期があんまり早すぎてちゃんと勉強もできねーじゃねーか、少しぐらい遅くしろよ」っていう流れの中で開始時期が先送りされたんであって、なにを見当違いの同情してんだよ? だいたい昨シーズンだって大学生は「木枯らしの中でオフィス街歩き」してたんじゃねーのか? とゆーか「オフィス街歩き」って何だよ?

ちなみに朝日新聞の採用情報ページをネットでみたら、「2013年度入社 春の採用試験」について
《応募方法》朝日新聞採用情報ページからプレエントリーをください。応募の詳細は、My Pageでご案内します。

などと書いてあった。

「就活は春から始めるべきだ」っつーんなら、まずお前ントコの採用試験情報も来年の春まで一切だすなよ。

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