2012年06月

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再びチラ裏。新調したノートPC、ダイナブックR731/37のディスクであるが、CDMで調べてみると、なるほど5400RPMのしょぼいHDDということであろう。かなりショッパイ結果である。起動もかなり遅いし、やはりそのうちSSDに取り換えることにするか。256Gのちょっとしたヤツでも2マン以内で買えるようになったらしいし。

なお、上海問屋に頼んだ増設用のメモリ4Gが来たのでさっそく取り付けてみた。エクスペリエンスインデックスのメモリ(RAM)は7.4にまで上がった。


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読んだこともない本を引き合いに出すというのもナンだが、プルーストの「失われた時を求めて」におけるマドレーヌの如く、食い物と記憶のあいだには何かしらユルイ連関があるようで、辛いラーメンなど食べていると、山形県を思い出すのだな。

あそこには確かラーメン博物館にも入っていた辛い系の赤湯ラーメンというのがあって、或る意味ではその変種ということになるのかもしれないが「鬼がらし」という店が山形市内などにあるのだった。もう15年も前になるか。よく食べた。けっこう旨かった。

仙台あたりに出店をしてるようだが、東京ではああいうのはなかなかない。通販みたいなのもやってないみたいだし、こういう時代になっても、やはりその場所に足を運んではじめて出会えるものというのはあるわけで、だからこその辛いラーメン=オレにとっての山形。

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以下、完全なチラ裏的メモ書き。スマン

Windows エクスペリエンス インデックス
プロセッサ          7.1  (7.5)
メモリ             5.9  (7.5)
グラフィックス        6.2  (7.5)
ゲーム用グラフィックス   6.2  (7.5)
プライマリハードディスク  5.9  (5.7笑)

とりあえずメモリ増設が必要。いま4G
あと頃合いをみてHDDをSSDに換装、と。
ちなみにマルカッコんなかはデスクトップPCな。
こっちも確か5400RPMかナンカのHDDであったか?
やはりSSD導入が有効のようであるな
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だいぶ前、正確にいうと2006年なのだが、ソニーのVGN-SZ90SというノートPCを買い、当座は「おぉ、こんなのでもけっこうネットゲームできるじゃん」とかいって満足していたものの2年と経たずにバッテリーがおシャカになり、しかしサポートには「それは欠陥ではありません経年変化というものですキリッ」という自信満々の態度で一蹴され、「あぁもうソニーの製品は金輪際買わん」と独り胸に誓ったことは、以前この備忘録的辺境ブログにも記したところである(とはいいながらプレステ3は買ったなー。意志薄弱ナリ。でもPCは絶対買わんだろう、たぶん死ぬまで)。

まぁしかし手元にあるものなので時折は使う機会もあったりしたんだが、いよいよ寿命ということなのか、トラブル当時にやむなく新調したバッテリーも30分ともたず、加えてなにをするにもPCの反応が異常に遅くなってきて使い物にならん。

で、時あたかも妻が何やらPTAの役員を押しつけられ、文書のやりとりなどでひんぱんにPCを使うようになってきており、やはりちゃんとしたサブPCを調えておくべきであろうという結論に達した。というワケで、またぞろネット通販で買い物。ちょうど新製品が出たタイミングの旧製品狙い、というわけで、東芝のダイナブックR731/37EBというのを買う。

後世のための私的メモとして記しておくのだが、CPUはCore i5 2520M/2.5GHz/2コア・ ディスプレイは13.3インチ・メモリ4GB・ HDD640GB・ OSはWindows7。まぁメモリは自分で増設できるみたいだし、HDDは頃合いをみてSDDSSDに換装すればいいし、ということで若干控えめにスペック的にはわりあい大人しい機種にする。

例によって価格コム安値上位の、あんまり聞いたこともない@Nextといふ業者さんに長期保証料金コミでさきほど 9万2000円ほど払いこんでしまったところである。ちゃんと届くとよいのだが。

まぁしかしこういう無駄遣いというのは実に気持ちが良いものであって、最近の日本人はみんな将来不安とやらでカネを使わずに縮こまっているがゆえにデフレスパイラルに陥っているというのだが、それだけに(ささやかではあるんだがw)こういう蕩尽は世のため人のためにもなるということで大いに胸を張りたいものである。








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唐突ではあるが、沢田研二、菅原文太の「太陽を盗んだ男」(長谷川和彦監督、1979)を見た。

まぁ池上季美子含めて「みんな若いなー」と驚いてみせるのはお約束。で、基本エンタテインメントなので「プルトニウムさえあれば誰だって原爆は作れる」とか登場人物に言わせてるのはちょっと言い過ぎダロみたいなツッコミも可能ではあるんだが、それはそれとして今見てもなかなか考えさせるものがあるゾ。

沢田演ずる中学校教師が東海村に侵入してプルトニウムを奪取、原爆を手作りして「爆発させたるぞワレ」とかいって政府を脅すんだが、しかし沢田研二、よく考えると何を要求したらいいのかわからないのである。別に要求はないんだけど、なんとなく原爆作っちまって、あとづけで「政府コノヤロー」といって暴走していく、というマヌケなストーリーなのである。その割にアクションシーンとかけっこう派手に展開しちまって「西部警察」状態、みたいな(笑)。

※余談ながら、作中の小ネタとしてナイター中継の話が出てくるわけだが、ここで巨人のピッチャー・加藤、バッターは大洋(笑)の中塚、とか言ってるのが個人的には実にシミジミしたぞ。


まぁしかしオレなんかも学生をやっていた1979年という時代相を考えると、それなりに真面目な問題提起があったような気もするわけだ。今からみれば、まだニッポンも未来に夢を抱けた時代ではあった。じじつバブルはこのあとにやってくるわけだし、明らかに今みたいなドンヅマリ感はない。ただ、それだけに、なんつーのかなー、今にして思えば嵐の前の静けさ、っつーか、まったりとしたヌルイ日常に呑み込まれていくことへの実存的不安、みたいなのは確かにあったような気がするのであるな。

だからこその「オレって何をやりたいんだろうか?」的な沢田研二なのである。退屈な、なんとなくイライラさせられるこの日常をどうしてやろうかみたいな、アンニュイな沢田研二。いけてるぞ。とゆーか、わかるぞ。


まぁ「リアル原爆」ならぬ「原発」の「爆発」が起きてしまった2012年のオレたちからみると、「まぁノンキだよなー」と言わざるを得ないわけだけれども、平和な退屈に厭いてしまって「なんかデッカイ事件でもおこらんかなー」と倒錯したことを考えちまう人間ってのは実に厄介だよなぁ、と改めて思うオレであった。

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ジャック・ヴァレの3部作「ディメンションズ」「コンフロンテーションズ」「レベレーションズ」読解プロジェクト完了。ふつうこういうときは「××3部作」という言い方になる筈なんだが、われながら××の部分が思い出せぬ耄碌ぶりである。

まぁそれはそれとして、世の風潮は「うーん、いまさらUFOでもあるまいヨ」ということだと思うのだが、ヴァレはスピルバーグの映画「未知との遭遇」にでてくるUFO学者ラコームのモデルとかいわれてんのに、その人がどんな問題意識でどんなことを論じてきたのか、ほとんど知られていないというのは如何なものかという思いもあるぞ。

とゆーか、そもそもあの映画のコンセプトはヴァレという人の思想と全然違うので、オレとしてはいったいどこが「モデル」なんだ、誰がいいだしたのだ全然納得できん。単に演じたのがトリュフォーだったので「フランス人つながり」、ぐらいの意味しかないではないか。

閑話休題。UFOに関心がある人ならこの人の議論には一度耳を傾けてほしいものである。どうやって、などとヤボなことは聞かないように(笑)。


追記
えーと、ググったりいろいろしてみたら、どうやら「エイリアン・コンタクト3部作」でいいらしい。


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ネット上の知り合いというか、まぁ勝手にこっちで畏友と思いこんでいる人がいて、その人がももクロ、ももクロとウルサイので何となく気にはなっていたのである。

とはいいながら、もう五十のジジイ、好奇心が鈍磨しつつある事情もこれアリ、「ふ~ん」と思ったきり放置していたのであったが、ツイッタとかで、最近ももクロの百田夏菜子の「エビ反りジャンプ」の写真を偶然現認してしまい、一瞬、う、と言葉に詰まる。

なんだ、これは。(↓厳密にいうとこの写真を目にしたわけではないンだが)
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改めて調べてみると、このエビぞりジャンプはももクロの至宝(ということに、この際、しておこうw)百田夏菜子嬢のステージ上における、いわば必殺技なのだという。

あぁそうか、これはある意味、コーナーポスト最上段からミル・マスカラスが放つ飛翔ワザであり、あるいはキラー・コワルスキーの必殺ニードロップ、あるいはブルーノ・サンマルチノドン・レオ・ジョナサンの渾身の力を込めたベアハッグであるわけか。(ボケが進んでいるため、間違えてドン・レオ・ジョナサンと書くオレw)


日本のエンターテインメントおそるべし。五十にして、そうつぶやく初夏の一日。



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巨大戦力の威力をみせつけて巨人が好調なのをみるのは実にシャクであるが、ただひとつ、快哉を叫びたい(笑)のは沢村の不調である。本日6月14日の試合でも負け投手となり、通算4勝7敗。負け先行。

以前のエントリーでも書いたのだが、「筋トレでパワーアップして剛球勝負」みたいなことを沢村が言ってるのはどうも違うのではないか、というオレの理論がとりあえずは認められたようである。

ピッチングというのはきわどいバランス感覚の上に成り立つものであって、それはあたかも平均台の上で大技を繰り出すような営みだ。力任せに「エイどうだ」というものでは全然ない。だから余計な筋肉など不要であり、肩はあくまでもなで肩がベスト。さぁどうだ沢村よ、負けを認めなさい(笑)

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「1Q84」完結編のBOOK3をようやく読了した。で、読後感を述べるならば、うーん、なんか不全感の残る本。いろんな伏線がほとんど納得のいくかたちで回収されないまま終わってしまった。後先考えずにいろんなエピソードを連ねていって、結果、読者を最後まで引っ張ることには成功しました、でも物語としては破綻したままで終わってしまいました。という本ではないのかナこれは。

思いッきりネタバレではあるが、最終的に天吾と青豆がどうなったかというと「彼らは邪悪なものがひそむ1Q84の世界からの脱出に成功、2人の間の子を守って新しい世界で幸せに生きていくことになりましたオシマイ」という、いわばハッピーエンド風の雰囲気で終わっている。しかし、オレの読みでいくと2人は全然救済されていないのである。どういうことか。

話は大きく遠回りしてしまうが、問題の根源は例の「リトルピープル」にある。

前に当ブログの読書感想文でも書いたことであるが、コイツらは、何の目的かはしらんが大昔から人間の世界に介入しては人間を操ってきた異種であるらしい。というからには一般的にいってこれは日本でいうなら狐狸妖怪のたぐい、西洋でいうなら妖精とかリトル・グリーン・メンの如きものであろうととりあえずはイメージするわけだが、しかし、村上によるこの小人たちの描写は何としてもフォークロア的世界の伝統から切れた「作り物」めいているがゆえに、まったくリアリティを欠いている。これまた先に書いたことだが、個別の民俗の伝統から切れた「小人」を描いたほうが、いわゆる無国籍的な村上ワールドを全世界に売り込んでいくために都合がよい、という話ではないか。まぁ「現代人の苦悩や不全感w」とやらを描くなら無国籍でもいいが、こういう民俗的な小道具を駆使するにはまだまだ村上は修業が足りない。

というわけで、この作品ではリトルピープルのリアリティの無さが決定的な瑕疵となっており、そこは読者サイドが脳内補完して読むしかないのである。ほんとしょうがねーなぁ。

ま、いいや。で、その描写自体は大甘とはいえ、確かに「人間界に介入してくる不気味な異界の使者」という民俗的モチーフはけっこう普遍的だったりする。西洋でいう小人の妖精が典型で、連中は人間の赤ん坊を醜い化け物と取り替えていったり(いわゆるチェンジリングです)、大人を掠ったりもする。日本でいうなら天狗みたいなイメージかな。そういう連中は時代を超えて存在しており、たとえば現代にあっては人間を誘拐して人体実験をするリトル・グレイ――いわゆる小人型の「宇宙人」として語られたりしちゃってることは皆さんもご存じの通り。

そういう意味では、村上のリトルピープルは、このあたりの「伝統」を押さえているといえば押さえているのだ。ジャック・ヴァレの「マゴニアへのパスポート」の受け売りになってしまうけれども、連中は性的な意図をもって人間に接近してくる、とも考えられている。妖精が人を掠っていくのは異種混交によってその「種」を強化する目的があるのだし、「宇宙人」もまたその遺伝子工学を用いて人間の卵子を素材にハイブリッド種を作り、もって彼らの種の生命力を昂進せんとしている、というストーリーだな。

村上流にいうと連中が「空気さなぎ」を作るのは人間との間のコミュニケーション・ツールにするため、という理解がなされているンだが、ともかく「人間を素材に人間もどきを作る」という点では、このリトルピープルも伝統を墨守しているわけだ。青豆が性交渉抜きで妊娠し、リトルピープルの側はその子を何としても支配下に置かねば、と画策する。そこにはこういう事情があるわけだな。


が、しかし。そうすっと青豆の受胎っつーのは、けっきょくはリトルピープルの策略の産物だったことになるよね? で、そこで用いられた天吾の精子というのは、半覚醒状態で体の自由を失った天吾から「ふかえり」がしぼりとったもの(笑)でしたよね? これ、思いっきし夢魔=スクブスの仕業である。改めて言っとくけど、夢魔というのは西洋の話ではあるけれども、「自身に生殖能力が無いため、人間男性の精液を奪って人間女性を妊娠させ、繁殖している」悪魔の謂いである(by ウィキペディア)。そうかー、「ふかえり」って魅力的な美少女だとかいうからついつい好意的に見ちゃうんだけど、けっきょくは連中の仲間だったわけね。悪魔陣営から出てはいるんだけど、反逆したデビルマンみたいな? でも結局、夢魔のお仕事しちゃってるじゃん、みたいな。ホントはアンビバレントな存在でしかないんだけど、彼女を肯定的にしか描き得なかったところに村上の甘さがあり、そこにも小説としての曖昧さ、決定的弱点があるんだろう、きっと。

ということになるとだな、青豆の超自然的な妊娠から生まれるものは、いわば妖怪変化との間のハイブリッドでしかありえない。象徴的なレベルでいえば、これはすなわち妖精に取り替えられた子=チェンジリング以外のものではありえない。いいのか、それで? 2人は連中の呪縛から離れることはできない。ハッピーエンドなんかありえない。ずいぶん遠回りしたが、オレが「2人は全然救済されてないよ」というのはそういう話である。


あと、この小説を読んで思ったことがあって、つまり「2つの月」とか「空気さなぎ」とか、こういうのは「天吾が書いた通りのもの」としてのちに現実の世界に出現してきたもので、天吾自身がビックリ、みたいな話が書いてある。「頭で考えたものがリアルなもの、手触りの確かなものとして現出する」というのは、おそらくあらゆる小説家の永遠の夢なのであろう。作家・村上春樹としては、おそらくその夢を登場人物としての天吾に投影し、作家としての至高の世界にしばし遊んでみました、という側面もこの小説にはあるのだろう。

ということは、メタレベルからみたこの小説は、単純にいってしまえば「すべての天吾の夢想の中のお話でした」という夢オチの世界といって良い。その夢の世界の中で、悪しき父の呪縛を離れ、永遠の乙女を見つけ出し、悪鬼どもの悪巧みを逃れて、で、最終的には現実の世界に無事戻って参りました、という、まぁけっきょくはドラクエ的ロールプレイングゲームだったわけだ、この小説。だがしかし、先に言ったように青豆の体の中に宿っているのは「チェンジリング」。あたかも映画「エイリアン」で人間の中に侵入したあの怪物みたいにして。

いいのかこれで終わって? この物語の不全感を、これからでもいい、解消しようとするならば、そこでは「BOOK4」という物語がどうしても必要になるのではないか。ま、しかしそうやって「次回につづく」的展開で引っ張るのも実は意図的だったりして。仮にそうだとすれば、瑕疵を瑕疵として認めずに「あ、それはこれからの話だから」と先送りする村上はやはり商売が上手い、こっちより何枚も上手だなぁと思ったりもするのだが、どうか。

せっかくだから、そのありうべき「1Q84完結編」の展開を予想しておくか。――新世界に希望とともに足を踏み入れた2人の前に、悪の本能を自覚した「ふかえり」がラスボスとして登場。悪魔と人間の混成種として生まれた天吾・青豆の子を奪わんとする。自らの出自に悩む少年の未来は? 悪の軍師として再生した戎野先生の策略とは? ここに世界の存廃をかけたハルマゲドンが始まる。刮目して待て、みたいな(笑)。



1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉前編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/05/28
  • メディア: 文庫




1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉後編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/05/28
  • メディア: 文庫



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なぜか自分でもよくわからないのだが、突然なんかアマゾンで買いたくなったりするものがあって、これなんかもそう。

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東京マルイ製のエアガン「コルトM1911A1ガバメント」であるが、つい買ってしまつた。精神的にどこか追い詰められている証左なのであろうか(笑)


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