2012年12月

こないだツイッターみてて、なるほどと思ったつぶやきがあったんだが、つまりアメリカでまた銃乱射事件とかあって、「どうしてアイツらは銃規制せんのかバッカじゃなかろか」とわれわれはつい考えてしまうンだが、一方で連中からみると「原発であんなに酷い目にあった人がいっぱい出たのに、いまだに原発必要とか言ってる日本人はバッカじゃなかろか」というワケで、米有力メディアあたりはそのへんしっかりツッコミを入れているゾ、という指摘なのだった。

これなどはたぶん反原発サイドの人が「日本人ってヘンじゃね?」という文脈で書いていたのだろうと推測するところであり、オレなども反原発サイドの人なので「それはそうだよねー」と思うのだったが、しかしここで言いたいのはそのこととは微妙に違う。

アメリカの銃規制がぜんぜん進まないというのは、はたからみれば奇妙に思えるわけだが、しかし、連中からすれば「自分の命は自分で守る。それでいいのだ」というロジックは実に魅力的であり、地元では正当性をもっている考え方なのだ(とオレは聞いている)。だから、いくら悲劇的な事件があったって「でも原理原則からいえば自分で銃をもつ権利っつーのは侵しちゃならんのじゃないか」という結論になって、チャールトン・ヘストンはアポ無し取材にきたムーアを追い払ってしまうのだった。

つまり、「銃をもつ」ということが、アメリカ人の精神風土っつーか文化っつーか、そういう生き方のキホンに根ざしているからこそ、日本人からみたら「バッカじゃなかろか」というふるまいを彼らは続けているのだった。

翻って考えてみると、原発が爆発して流浪している人がいくら出てきたって、でもやっぱり原発必要だよねーという人が少なからずいて、いや少ないのかもしれないけれども少なくとも今の日本にとっては「経済何とかしろー」という声の方が大きくて選挙でも原発問題は決定的争点になどならない、つまりその程度の問題としてしか考えられていないという事態は、それ相応のロジックに支えられているのだった。

つまり、なんだ、「おれたちの才覚じゃこんな田舎で食ってくことはできんが、原発がありゃあとりあえず働き口はあるしなー」とか、「とりあえず廃棄物問題とか万一の時の補償問題とか無視すりゃあ、原発は安上がりだし利権もいっぱいあるし、立ち回り次第ではオイシイしなー」とか、そういう言い分は、この国ではそれなりの正当性というか説得力を持っている、という話なのだ。

ある意味、消極的ではあれ、原発を選びとるロジックは強固なものとしてあって、だからこそアメリカのメディアあたりが「へんじゃね?」とかいっても、オレたちは「そうはいうけどなー」と口ごもったりしてしまうのである。

他者を理解するのは難しい。ましてや「あんたおかしい!」と言うことができるか。コイツは、実はなかなか厄介な問題なのである。





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けさの天声人語は、敦賀原発の直下に活断層があるらしいという話をしていて、その最後をこんな風に締めくくっている。

原発づくりは、地上のなんだかんだに精力を費やすせいか、地中への目配りが十分でなかったようだ。足元の怪しい施設は一つ二つにとどまらず、今さらながら、地震列島に原発大国を築いたことが悔やまれる。国土を守る、大地主神の渋面を思う。


この最後にでてくる大地主神(おおとこぬしのかみ)というのがいかにも唐突である。聞いたことがないぞ。これは。で、何なんだろうと思って調べてみると、もともとは「古語拾遺」に出てくる田畑をつかさどる神なのだという。そこから転じて、いつしか大地の神と理解されるようになったらしく、地鎮祭であげる祝詞などは、地域の氏神なんかと並んでこの神様に捧げられているんだそうだ。

ふーむ、さすが天声人語、教養を感じさせる・・・などと褒めてあげるかとおもえば大間違いだぞコラ。

神道業界以外の人はほとんど知らんであろう大地主神なんてものを持ち出してしまったのは、万人にすんなり読んで頂かねばならぬこういうコラムとしては大失敗である。オレが推察するに、この知名度の低い神様を登場させるに至った経緯は次のようなものだったんではないか。

「反原発ネタでも書いてみっか。ふむ、地鎮祭なんて行事もあるぐらいだから、土地のカミサマも怒ってるゾ、みたいな展開がいいかもなー。でもなぁ、地域の氏神サマもお怒りであろう、なんて書いてもイマイチ迫力ないしなー。なんか大地のカミサマみたいなのいなかったっけ? ネットで調べてみようかなあ・・・どれどれ・・・あ、大地主神っつーのがいいんじゃネ? この大地の神様もお怒りだゾ、こういうシメでいこう」

本当にこんな感じだったかどうかはわからんが、そういう「とってつけた感」を感じさせてしまった時点で、けさの天声人語はダメである。

どうしても「日本の神様もお怒りだ」という話にもってきたかったのなら、大地主神なんかじゃなくて、やはり誰でも知っている天照大神で話を落とすような工夫をすべきであった(笑)。

あるいはイザナミが産み落とした火神カグツチをもってくる手もあったかもしれないぞ。ご承知のように、イザナミはこの火の神を産んだときにヤケドを負って死んでしまったわけで、つまり、ある意味では「文明の火=原子力」の原罪性みたいなものを仮託するには格好の存在である(ちょっと脱線すれば、このカグツチ、怒ったイザナギに斬り殺されるんだが、その死体からまた違うカミが生成したりするのが流石日本神話の深いところである)。

閑話休題。まぁ、「クリスマスはバカ騒ぎして飲み食いした日」と書きつづっていた天声人語子に、そんなハイレベルの芸当を求めるのはとうてい無理か(笑)。


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というわけで、12月16日に総選挙投開票である。NHKなどみているとのべつ幕なしに政見放送を流している。まぁしかし、そういうのを見ていると、改めて選挙のコトバというのは軽いなぁと思う。

どういうことかというと、たとえば、ほとんどの人が「なるほど、その通りだ」と思ってしまうようなマジック・ワードというのが選挙活動にはつきもので、たとえば「地方分権」「官僚支配打破」みたいなコトバだ。

でも、よくよく考えると果たして「地方分権」というのが万能の錦の御旗かというとそんなことはないのだろう。とりわけ日本の社会というのは同調圧力がとても強い。地方分権で地方に権限を委譲しましょう、というスローガン段階なら「いいですよ」という人も、たとえば他の県とかでイロイロ面白いことをやりはじめたら「如何なものか?」と言い出すのではないか、という話である。

「外国人に地方参政権を与えます」「県立高校では中国語を必修科目にします」とかね、そりゃそういうのは法律改正とかも必要であろうし多くの住民が賛成するとは思えない話ではあるけれども、原理的には地方分権というのは「地方のことは原則地方で決めるべきである」ということなので、たとえば隣県とかでこういうことを断行しても全然ワレ関せず、というのがスジである。たとえば「わが州には死刑制度はありません」みたいなこともあるアメリカみたいなものを考えればいいと思うのだが、俺たちはそういう風に鷹揚に構えていられるだろうか、と思うのである。

「官僚支配打破」とかも、みなさん原則OKということになるんだろうが、役人が諸悪の根源であって、給料も減らせ権限も減らせドンドン叩け、みたいなとこまでいって仮想敵扱いになっていくと、さて、これから役人になろうなどと考える人間なんていなくなるンではないか。あるいは「革命さえなければ職だけは安泰だろうから、やる気はないけど公務員にでもなるか」みたいな連中の巣窟になる、とか。

なんか浮ついたムードに流されずに、本当にスローガンのめざすものを見据えているか。自戒すべきとこでもある。
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ゴルフVIコンフォートラインプレミアムエディションを買うことにした。というわけで今回はその経過についての私的チラ裏メモ。他人さまにはどうでもいい話。

最初は同じコンフォートラインでも、今年の夏頃だったか、プレミアムエディションより10万ほど定価を下げつつ、プラスアルファの装備も追加して出してきたモデル末期のテコ入れ仕様車=マイスターエディションのほうを考えていたのだった。ところがディーラーに行ってみたら、見込み発注で輸入したものの売れ残っている(?)プレミアムエディションのほうならウン十万の値引きが可能だという。それで急遽決めたのだった。

いやもちろん、来年には日本にもモデルチェンジしたゴルフVIIが入ってくるので、もう少し待てばマイスターエディションのほうも大幅値引きのチャンスが広がるとは思う。しかし、実はいま乗っている2002年式レガシィツーリングワゴンGTの車検が来年の2月に迫っている。あんまり欲張って時間切れにでもなると、老い先短いレガシィをわざわざカネをかけてもう一回車検通さねばならなくなるし、早めにケリをつけておいたほうがスッキリしていいんじゃねーかという判断である。車の基本的なところは特に変わらんし。


あと「指定のカーナビ+ETCを無料でつけるから」というのも地味に決断を後押しした。もっともそのカーナビ、エクリプスのAVN-G01といって今や店頭にはほとんど出回っていない昨年発売の型落ち廉価モデル。書類に書いてあった「16万円分のサービス」というのはあくまで書類上のハナシで、「工賃とかコミで考えても量販店ならせいぜい10万円以内で済むサービスじゃネ?」というツッコミも可能ではある。だが、どうせカーナビは何かしらつけるつもりだったし、どのみちそんなにカネはかけられんのだからタダというならそれでいいかという割り切りである。

実際、「必要最小限の機能があればよい」と割り切ればAVN-G01も決して悪い選択ではないようだ。地図データはかなり簡略化されたもので見ばえはイマイチらしいが、とりあえずフルセグはキレイに映るらしい。拡張性はほとんどないが、別売りケーブルを背面端子から引き出し、そこにUSBメモリをつなげば音楽の再生も可能。音楽を聴くのに、そのつどCDを差し込むというのは流石に時代錯誤なので、この辺は実は重要なポイントである。そのコード代とかで数千円の出費が新たに発生したが、まぁやむを得ない。

ちなみにもう一つの有力候補、レガシィもディーラーに見に行ってなかなか手堅い車だと感心したのだが、いま乗っている旧レガシィの下取り額にイロをつけてもらってなお、お得感ではゴルフのほうに分があった。例の「大型化に伴う取り回しへの懸念」もあった。あんなに大型化していなければ勝負はわからなかったが、スバルのほうも「ともかく米国で売れる」ことを優先してこういう車を作ってしまったので、オレのような客の存在は折り込み済みなのだろう(とイヤミを言っておく)。

さて、故障対策として5年保証などのサービスにもシッカリ加入した。今ンとこ年内にも納車の見通しである。いよいよゴルフとのカーライフが始まる。とりあえず5年は乗り続ける。目立った故障などなければそれこそ乗り潰すまでのお付き合い、と考えている。さてどうなるか。

【追記】

なお、そのご各種書類をディーラーにもっていったのだが、その際、「13000円でフロアマットをつけてもらうことにしているが、ネットとかでみると、このゴルフ純正のマットはやたらショボいらしい。ついては差額払うのでオプションのもうちょっと良いのに変えてくれないか?」と聞いてみた。

答えは「それはできません」。単にマットを替えるだけなのに、と思ったが、おそらく実費では数千円相当のショボいマットをつけることであわよくば1万ナンボを稼ぎ出してやれ、というのも計算のうちなのだろう。

もちろんサインをする前であれば「オプションのマット買うから純正マットは不要デス」というのは何の不思議もない話であるが、契約後となればもちろん「だってそういう契約したじゃん!」で突っぱねられても仕方がない。ま、ディーラーの中にはそういう杓子定規なことは言わないところがあるのかもしれないが、少なくともオレが行った東京東部のでかいディーラーではそういう対応だったな。しょうがねえから、社外品のマシなやつを後日買おうか、と考えている。

というわけで、一気に購入を決めてしまうような場合、オレのように舞い上がって(笑)こういうミスをしてしまう人もいるかもしれないので、ゴルフ購入を考えている人は「13000円のフロアマットには要注意」と助言しておこう。まぁたかが13000円じゃねえか、と言われればそれまでなんだけどネ・・・。

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ちなみにこの写真に映っているのが例の13000円マットらしい。確かにショボイ(笑)。このブログの方も小生と同じトラップにかかったらしい。ご同輩である(苦笑)。商談する前に見ておけばよかった。

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久しぶりに天声人語のことでも書くか。今朝のはまた酷かった。

日めくりの暦がどうも苦手である。馬齢のせいか、目に見えて「残り日」が減るのが面白くない。愛用者も多いけれど、24時間すごせる回数券を日々ちぎるような、デジタル的な喪失感がきつい▼他方、ひと月ごとのカレンダーは、きょうとあすの間の余白に味がある。アナログの安らぎとでもいおうか、消えていく時が見えにくいのがいい

一読して、意味が全然わかンなかった。日めくりカレンダーをめくっていくと、当然のことながらだんだん嵩が減っていく。これを「デジタル的な喪失感」といっているんだが、ハテ、これは逆で「アナログ的な喪失感」ではないのか? 読者諸兄もご存じのように、何か物理的な「量」として存在するもの、体感的に「量」を感じ取れるものをアナログという。であれば、どんどんやせ細っていく日めくりカレンダーというのはまさしくアナログ的なものであって、デジタルという概念とは真逆のものである。

「消えていく時がみえにくいのはアナログ的だ」とか言ってるが、アナログというのは、むしろそういう変化が見えやすいものなのである。推測するに、まず「デジタルは味気ない=ダメ」「アナログは安らぎをもたらす=スバラシイ」という先入観があって、それからこの筆者はたまたま日めくりカレンダーがキライなので、日めくりカレンダー→悪いもの→デジタル、というワケのわからない論理を展開してしまったのだろう。

結局、この筆者は辞書の引き方も知らんことがわかった。校閲もこんな文章を黙って通しているので失格。議論がトンチンカンなのは毎度のことだが、言葉の用法ぐらいはちゃんとチェックしなさい。




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