2013年02月

チャールズ・フォート『The Book of the Damned』(1919)の冒頭部分を超訳してみた。誤読をごまかす魔法の言葉、それは超訳(笑)。


「呪われしもの」たちが列をなしている。

ここで私が「呪われしもの」と言うのは、追放され、放逐されてきたもののことである。

そう、われわれはこれから科学によってこの世界から放逐されてきた、ひと連なりの事実を見ていこうとしている。

そのようにして呪いの言葉をかけられたものどもが、これまで私が掘り起こしてきた記録に導かれるようにして、これから隊列をなしてわれらの前を進んでいく。あなたはそれをこれから読み進める――いや、あなたに読まれずとも、呪われたものたちは行進を続けていくのだろう。土気色をしたもの、燃えるように熱を放つもの、腐臭を放つものと、その姿は様々ではあるけれど。

中には屍体や骸骨、ミイラのたぐいもいて、それらは、付き従ってくる「生きながらにして呪われたものたち」の力を借りてはヒクヒクピクピクと体を蠕動させたりもする。熟睡しているのに、何故か歩いている巨人が脇にいたりもする。理にかなった定理の如きものもあれば、ボロ布の如きものもある――まるでユークリッドがそうであったように、連中は「秩序などナンセンス!」とでもいった心持ちで行進を続けていくのだろう。小柄な売春婦たちはそのあたりをヒラヒラ身を翻しながら飛び歩いたりするのだろう。

多くは道化者。しかし、同時にその多くが実は端倪すべからざるものであったりする。暗殺者もいるだろう。ほのかに漂ってくる悪臭。薄気味悪い迷信。何ということもない影。どぎつい悪意。気まぐれ。優しさ。無邪気さもあれば衒学趣味も。奇っ怪なもの。グロテスクなもの。誠実。不正直。深淵なるものもあれば幼稚っぽさもある。

突き刺すような痛み。笑い。そして、ほとんど無意味なほど馬鹿丁寧に、かつ長い間、組み合わされた祈りの手。

結局のところ、どこに出しても恥ずかしくないような第一級の見かけをもちながら、同時に罪人めいてみえるものたち。

その相貌をひと言で評してみれば、威厳がありながらも何とも放埒きわまりない。その声をひと言でいえばお祈りのようであるのに、どこか喧嘩腰のようでもある。だがしかし、全体を貫く何ものかがあって、それを言葉で表現するなら「行列のようだ」ということになる。

こうしたすべてのものを「呪われている」のひと言で済ませてしまった勢力を言い表すのに、ちょうど良い言葉がある。それは「謬見に満ちた科学」。

だがどのように言われようと、それらの行進は止まらない。

チビの売春婦たちはふざけて辺りを跳ね回る。気のヘンな連中は気を散らすようなことばかりする。道化たちはおふざけをして、みんなのリズムを乱そうとする――それでも全体としてみれば行進の一体性というのは失われてはいない。そして、印象に残る個々のものどもが次々に目の前を通っていく。いつまでもいつまでも。

そうしたものどもがわれわれのこころをガッチリと捉えて離さないのは、それが人を脅かしたり馬鹿にしたり蔑んだりするからではなく、総体として統制のとれた動きを構成しつつ、次から次へとわれわれの前を行進し続けていくからにほかならない。(つづく

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確か数年前だと思うのだが、いま楽天イーグルスの監督をしている星野仙一が、新入社員の「理想の上司」アンケートで上位に入ったとかいって話題になったことがある。

星野仙一といえば、まぁ最近はどうか知らんが、何かっつーと選手に鉄拳制裁をふるった粗暴(笑)な男として名高い。しかし、どうなんだろうか、少なくともプロ野球ファンの間では「闘将」とか呼ばれて、総じていえば尊敬されてきたのではなかろうか。

それが、ここにきて例の女子柔道の暴力問題、である。スポーツであろうが何だろうが、とにかく体罰はイカン。一気にそういう空気になってきている。オレはこういうところに何か違和感を感じる。じゃあ、ほんの数年前まで「星野仙一の指導を受けたい」とか言ってた、おそらくは相当な数の人たちはどこに行ってしまったのか、不思議でならない。「いや、鉄拳制裁アリでしょ」という声がほとんど聞えてこないのは、どういうことなのか? そう、そういう人たちは今は口をつぐんでいるのである。

いや、別にオレも「スポーツの世界なら脅したり手を出したりするのはOK」と言いたいわけではない。そうではなくて、こういう風に、社会の流れとゆーか時流とゆーか、そういうものの潮目が見えてくると、突然それまで言ってたことを「撤回」してしまう人がどうしてこうも多いのか、そこが面白いと思うわけである。

まぁしかし。よく考えると、先の戦争のあとだって、多くの日本人は昨日まで「鬼畜米英。神国日本」とか叫んでた人が、今日は「アメリカ万歳。民主主義万歳」とか言い出したのだった。こういう変わり身の早さはたぶん我々の伝統(笑)なのだろう。

つまり、本当は「体罰是か非か」みたいなことはどうでも良いと思っていて、自分の信念に照らして特定の意見をもっているワケではない。ただみんなそっちに流れていくから、自分もそっちの方に流れていくわけで、それで良いし別に問題はない。おそらくみんなそんな風に考えているのだろう。

ただ、一言いっておくが、オレは別にそれが悪いとは思っていない。ひとつ譬え話をすれば、この国では理念と理念がぶつかりあって殺し合いを繰り広げるような、たとえば宗教戦争のようなものはほとんどなかった(仏教受容の際に内乱めいたものがあったという話はあるけれども)。「オレの理念は譲れん」といって徹底的に戦うというのは格好イイような気もするが、ある程度のところでなれ合ってナアナアでまとめるというのは人生の知恵といえば言えるのかもしれない。

結論としていえること。日本人というのは実にイイカゲンな国民である。良いこととは思えんが、さりとて悪いとも言い切れないのがつらいところ。

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けさの天声人語は、殺人事件の容疑者になってしまった義足のアスリート、ピストリウスのことを書いている。最後の部分はこんな感じである。

それにしても、日本で世界で、この青年の不屈の魂を授業の素材にした学校もあったろうと想像する。小欄も昨夏に取り上げた。人とたばこの善し悪しは煙になるまでわからない、という。生きている人間とは、定まりのつかないものだ▼むろん障害者スポーツとは何の関係もない事件である。だがここに来てドーピングの疑惑まで浮上してきた。「不吉な道具」の罠に落ちたアスリートの転落を、いまはただ悲しむばかりだ。


こういうコラムで「それにしても」とか言って場面転換をはかるのは下の下だと思うのだが、それはともかく、この文章、何を言いたいのかよくわからなかった。「あんな男を持ち上げてしまってスミマセンでした」と言って謝っているのだろうか? いや、「アスリートの転落」とか書いているから、「オレサマがせっかく応援してやったのに裏切りやがって、このバカヤロー」と言いたいのだろう。

つまりだ、このコラムの書き手は勝手にピストリウスをスバラシイ人だとまつりあげておいて、それがあとになって自分の期待するような人物ではなかったことがわかったので、可愛さ余って憎さ百倍、一転してこき下ろしているワケだ。

こういうところがバカなのである。

そりゃ確かに身障者スポーツをやってる人たちは、「逆境にめげずに鍛錬を重ねている身障者のカガミだエライエライ」という麗しき図式にはまりやすいから、その選手たちも高潔でスバラシイ人たちであるという風に考えがちなのだが、そんなことはない。人格者もいれば品性下劣な人だっているだろう。当たり前だ。

それに、これはこのブログでも何度も何度も書いていることなんだが(知ったことかという声が聞えてくるようだw)、そもそも超一流のスポーツ選手というのは、尋常ではない負荷を自らに課して「人為的肉体改造」にいそしんでいる、いわば一種の精神異常者である(とりあえずクスリはやめとこうネという話になっているが、健康に害があるとしても勝つためならば肉体改造ぜんぜっんOK、というのが連中の思想である)。例の柔道界のシゴキ問題なんかをみても、世界一をめざすスポーツ選手たちは「勝ちさえすりゃあ万事丸く収まるから」とゆー異常な世界に棲んでいることが丸わかりである。負けたからボロが出ちゃったけど。

その流れでいうと、身障者スポーツだってだんだん社会的認知を受けてきたわけだし、ピストリウスクラスになるともはや「プロ」である。「勝つためには何でもアリ」の世界へようこそ、である。そういう人間をつかまえて「身障者アスリート=逆境を乗り越えた高潔な人」みたいな牧歌的なステレオタイプにおさめようというのがそもそも間違っていたのだった。

というわけで、今回も天声人語は「身障者アスリート=絶対善」という願望(?)に目を曇らされてトンチンカンなことを書いてしまったのだった。けさの天声人語も「自分の人間を見る目は甘かった、全然なってなかった」とちゃんと書けば論旨がハッキリして良かったのだが、そこをモゴモゴいって誤魔化そうとしたので訳のわからない文章になってしまった。間違いは正直に認めればよい。小学校でもそうやって教えているぞ(笑)。

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或る研究家のことばである。1989年の発表であるらしい。


今日のUFOにとても良く似た空中現象は19世紀には「空飛ぶ船」というかたちで報告されていたわけだし、それらはいわば人間の期待するかたちを模倣するかのように、ジュール・ベルヌの時代には飛行船、1946年の時点ではゴーストロケット、現代にあっては宇宙船といった具合にその姿を現してきた――じっさい、UFO現象というのは常に人間のテクノロジーの一歩だけ先を歩いてきたようにみえる。

過去10年間というのは、分子生物学が現代文明のなかにあって電子工学や宇宙工学といったものより遥かに魅力的な存在になってきた時代だった。となると、人間に対して遺伝子工学的な操作を施す「エイリアン」、といったイメージが現代において膨らんでくるというのもさほど驚くべきことではない。

というわけで、ETH説を支持している人たちは、この現象が発しているメッセージの本当にうわっつらの部分を見ただけで、やすやすとそのワナに引っかかってしまっている――ということになるのではないか。

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ネタ切れなのでまた天声人語を批評してみよう(笑)。

けさの天声人語のネタはロシアの隕石。まぁ例によってグダグダなんか書いてるけれども、最終的には北朝鮮のミサイルの話をひっかけて「怖いのは自然より人間」とか言いだすのである。で、シメはこんな感じである。

天に星、地に花、人に愛という。されど天・地・人のうち、ひとり「人」だけが利害や欲で互いを痛め合っている。落ちてきた訪問者、人界を何と見ることだろうか。


今回も小生、なんかヘンチクリンな文章だなーと反射的に感じたのであったが、3分ばかり熟考してみたところろ、その違和感の淵源が判明した。

天声人語にはしばしば登場する「論理のパターン」というものがある。そのひとつに、動物とか昆虫を引き合いにだして「こういう生きものたちは一生懸命頑張っているんだが人間は全然ダメ。もっと反省しなさい」というのがある。いわば「無垢なるもの」の立場に「憑依」して(by佐々木俊尚)人間界を批判する、というパターンである。

以前も書いたように、そこで引き合いに出される動物とか植物というのは別に無垢でもなんでもなく、単に生存のために粛々と生きているわけだが、勝手に擬人化したあげくに感情移入して詠嘆するというのは浪花節に過ぎず、すくなくとも日本のクオリティペーパー(笑)であるならばそういうインチキで人を動かそうとしてはいけない。


ところがこの人は今回もまったく懲りずに同じ筆法を繰り出してきたわけで、さらに驚くべきことに、今度は「隕石という無生物」にまで憑依してしまったのである。「落ちてきた訪問者、人界を何と見る」とかミエを切っているが、もちろん隕石は何も見ることはできない。何の意志も意図もなく、単に物理法則に従って宇宙空間から地球に飛来しただけである。別に隕石サマに説教してもらう必要はない。北朝鮮が非道いというなら、そういう全然説得力のないロジックを用いてはいけない。呪術師じゃないんだから。

そもそも、天地人のなかで「人」だけが利害や欲で互いを痛め合っている、とか言ってるが、そりゃ天体現象が利害や欲をもっているわけがないだろうが。生物としての人間が「利害」や「欲」をもって生きているのはアタリマエで、そういう人間のありようがお気に召さないのであれば、全人類を強制収容所に入れて思想改造するか、あるいはいっそのことハメツさせたらどうか。結局のところ、ご自分をそのような神の視点において「人類」に説教をたれようというところに、この御仁のはなもちならないエリート主義がみえてくる。全然反省しない天声人語。

【追記】

あと、「怖いのは自然より人間」とか言い切ってるんだが、これも東日本大震災を体験したオレたちにとってはいささか納得のいかんところではなかろうか。確かに北朝鮮からミサイルが飛んでくる可能性はゼロではなかろうが、万一の時には「あぁオレたちの力は及ばなかった、何とかできたかもしれんのになあ」という事になるのだから、責任の所在は、まぁどっかにあるのだろう。すくなくとも怒りを持ち込む先はある。

対して天災はどうか? おそらくどのような対処をしていたとしても、どうしようもない局面というのはある筈なのだ。その意味でいえば、何処に抗議をできるわけでもない、尻の持ち込み先さえ無い天災というのは実に無慈悲である。果たして「怖いのは自然より人間」、だろうか?

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けさの朝日をみたら、またぞろ特集ページをつくって天声人語の宣伝をしておった。

以前、「天声人語を1分間眺めて覚える→文章を思い出してマス目に書き入れる→正確に書けた文字数を数える」とゆー訓練をすると「脳の働きを著しく高める効果が期待できる」というトンデモまがいの宣伝をしていたので批判してさしあげたのだが、今回も「××文字も覚えられたよー」とかいって喜んでいるノーテンキな学生さんなんか登場させていて本日も反省の色ナシ。 若人がこんなバカげたプロパガンダに易々と引っかかっているのをみると、日本の将来は実に心配である(笑)。

これも先に書いたことだが、仮に脳科学的に(笑)効用があるとしたって、別に暗記するものは天声人語でなければならんリクツはないのでコンテンツは何でもよい。とゆーか、どうせなら何か心に残るものがよいであろう。論語でも毛沢東語録でも教育勅語でも。

閑話休題。今回の紙面では、またまたどっかの学生さんを巻き込んで、天声人語の「1文目」を作ってみよう、とかヘンなプロジェクトを展開しておる。何か思わせぶりなマクラを作ってみてください、天声人語子がそっから続きを書いて仕上げてみせますから、みたいな企画を実地にやってみせている。つまり何だ、天声人語子の職人芸をご覧アレ、と言いたいのであろう。くだらん。「コラムなんてものはさー、気のきいた表現でチャチャッと文飾すりゃあすぐ仕上がるものヨ」みたいな軽薄さに虫酸がはしる。

じゃ、いいや、オレも「1文目」を作ってみるから。こういうのはどう続けてくださるのかナ?

被災地はボランティアを求めている。若者よ北へ向かえ――天下の大新聞のコラムニストがそう書いていた。はて、と思った。ご自身はどうなのか。まさか自分は大本営参謀なのでボランティアどころではない、とお考えか。ならば言っておこう。見当違いもはなはだしい


あ、いかんいかん、全然「1文目」じゃねーや。いやしかし、本当の文書というのは自らのうちから溢れ出す主張ありきなので、ついついこういう風に展開していってしまうのがスジ。「1文目」を考えよう、とかいってる時点で、すでに人間のものを考える力というものをバカにしているのだった。




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「天声人語風メーカー」というのをみつけた。批判したいモノ・擁護したいモノ、それぞれの主張を入力すれば、それっぽい文章ができるという。ちょっとやってみた。ところどころ文章がおかしいけれども、何となく空疎で上っ滑りな天声人語のニュアンスはよく出ている。



菅直人は原発を停止せよと主張している。しかしちょっと待って欲しい。原発を停止せよと主張するには早計に過ぎないか。

菅直人の真摯な姿勢が、今ひとつ伝わってこない。

例えば電力会社からは国民生活のため原発は必要と主張するような声もある。

このような声に菅直人は謙虚に耳を傾けるべきではないか▲

思い出してほしい、過去にも何度も菅直人は電力会社の叫びを無視している。

菅直人は電力会社の国民生活のため原発は必要という主張を間違いであるかのような発言をして、批判を浴びた。

確かに電力会社には手前勝手な論理という問題もある。だが、心配のしすぎではないか▲

菅直人の主張は一見一理あるように聞こえる。

しかし、だからといって本当に菅直人は原発を停止せよと主張できるのであろうか?

それはいかがなものか。的はずれというほかない▲

事の本質はそうではではない。その前にすべきことがあるのではないか。

菅直人は、未来を担う一員として責任があることを忘れてはならない。

菅直人の主張には危険なにおいがする。各方面の声に耳を傾けてほしい。▲

菅直人に疑問を抱くのは私達だけだろうか。

原発を停止せよと主張したことに対しては電力会社の反発が予想される。国民生活のため原発は必要という主張を支持する声も聞かれなくもない▲

菅直人もそれは望んでいないはず。しかし菅直人は妥協や調整が下手である。

原発を停止せよと主張する事はあまりに乱暴だ。菅直人は再考すべきだろう。

繰り返すが菅直人は妥協や調整が下手である▲

菅直人の原発を停止せよと主張したことは波紋を広げそうだ。今こそ冷静な議論が求められる。

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天声人語ウオッチャー?としては不覚であった。何だかとんでもない話をお書きになって、ネット界隈で失笑をかっているらしいのだ天声人語。とりあえずお約束のリンクは以下。

凍えるピザ配達員に缶ビール渡す話が「ほっこり」? 朝日新聞「天声人語」の感覚がズレていると話題に

改めて解説すると、コレ、2月2日付の「作品」なのだが、朝日の投書欄に載った話をネタに一席ぶったものであるらしい。 どういう話かというと、先に関東圏に大雪(笑)が降った際、さいたま市に住む女の子がお母さんに宅配ピザを注文してもらったのだという。配達員さん、2時間後にようやく到着。全身びちょびちょである。さすがにお母さん、何かせにゃと思ったらしい、缶ビールを手渡した。で、女の子のほうも10円の菓子(うまい棒かなw)を渡した。今度は天気の良い日に注文するからネ、っていいながら。

都会の片隅に生まれたこころのふれあい?に、天声人語子えらく感動したようである。「内なるオーブンに火が入」った、とかこそばゆいことを書いておるぞ。

しかし、ま、コリャ笑われるわなあ。

先にリンク先にはネット住民の声が紹介されておるが、いちいちゴモットモである。曰く

「バイクで配達している人にビールを渡すなんて、飲酒運転幇助で捕まるレベル」
「凍えた体にキンキンのビールなんて嫌がらせレベル。普通はあったかいお茶かコーヒーじゃないか?」
「そもそもあの大雪の日に宅配ピザを頼むなんて大間違いなんだよ」

そうそうその通り。そもそもそんな日にピザ注文するのは非常識であって、そんなこと初手からわからんでどーする、つー話である。天声人語子としてはむしろそんな愚行に走ってしまった母娘に正義の鉄槌を下さんとマズイだろう。あるいは、何て浮世離れした家族なんだろうとあきれる、とか。

やっぱこの書き手は貴族主義者なのだ。だから安い時給でこき使われ、それでも豪雪(笑)の日にバイクで必死でピザ届けたはいいが、そこで冷たいビールとうまい棒(仮)とゆー驚愕のお土産を手渡され、もうほとんどカフカ的状況に打ちのめされながら店に戻っていったであろう青年の心持ちには全然思いが及ばないのだった。「若者は時給を超えた出会いを得た」 みたいなトンチンカンなことを書いてしまうのだった。

いけません。もう末期症状ではないだろうか。


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AKBの峯岸みなみさんが、AKB御法度の異性交遊(笑)を犯してしまったので「ごめんなさい、反省のしるしに坊主刈りにしますので許してください」といってyoutubeに登場した件について、一言。

いやあ、実にオモシロイ。というのも、こういう「醜聞」さえも、このAKBという課金システムは話題作り―ネタに回収していくのだなあというのを改めてみせつけてくれたから。もちろんこないだの指原の「異性交遊+左遷=メディア大騒ぎ」という展開の再現ではあるけれども。

そもそもAKBをめぐる空間というのは、ひとつの、とても良くできた小宇宙をなしている。何十人もの少女たちを集めて競わせ、「売れる―売れない」を軸に、いわゆる「センター」から地方組織・研究生へと広がるヒエラルキーを作り上げ、そこでの個々のふるまいが全体として大きな物語を構成している。AKBは宗教だ、みたいなオモシロイことを言った人がいるらしく、オレはその本を読んでいないが、確かに宗教にはあらゆる存在の根拠を説明する統一的な宇宙観を示すはたらきがあるので、そういうダイナミックな小宇宙を創造している点ではコイツは宗教なのであろう。

そしてその小宇宙には、どういう根拠があるのかはしらないけれども、何故か誰も疑うことの許されないルールがある。「ファン投票で序列を決める」というのがそうだし、「異性とナニしてはいけない」というのもそうだ。何でかはわからない。しかしその宇宙の根源的ルールを疑いだすと、もうAKBという神々の鎮座する喜ばしき世界を楽しめなくなるので、そこに参入しようという人間はソレを疑ってはならない。

で、おそらく秋元某というこの世界の造物主は「ではそういう神々の舞台でお前は何を提供できるのか? どんなネタをもってきてくれるのか? さぁ考えろ」という洗脳をみなさんに施しているのだろう。彼女たちはそれで必死になって自分なりの物語を考える。「振り付け」は、たぶん彼女たち一人一人が考えているのであってお仕着せではない。そこにはそれなりのリアリティも発生するし、だからこそファンもその世界に絡め取られていく。

で、たまさかそのルール=タブーに抵触するようなふるまいがあっても、この世界は微動だにしない。そう、彼女が人気者で、そこで「期待されるふるまい」を演じきれるような人材であったら、そういうふるまいもAKBの小宇宙における「ちょっとした事件」として消費するシステムができあがっているから。

じっさいに峯岸さんは、「こういう時にはどうふるまえばいいのかナ? 反省しないといけないんだろうな。どうすればいいのかな? ああ、坊主にすればインパクトあるよね」というシナリオを無意識的に思いついてしまったのではないか。もちろん取り巻きのスタッフが「坊主なんてどう?」とそそのかした可能性もあるが、そこで峯岸さんは「あ、いいねソレ」と自ら賛同したに違いないとオレは思う。いかなる状況でも何かそこから物語を紡ぎ出せないかと考え続けるエンターテイナー。秋元イズムの正しき後継者。

いわば、すべては壮大なるお芝居なのである。そこでオレたちは「坊主刈りに追い込むなんて、なんて非道い!」みたいなトンチンカンな反応をしてしまうのだが、それも思うツボ。彼/彼女たちにとってはそういう世間さまの反応も織り込み済み。

そもそも異性交遊が本当のタブーだったら、問答無用でAKBの王国から完全に放逐すればいいのだ。なぜ峯岸さんはそうならないのか? それはたぶん、そういうシチュエーションでひと芝居打てる人材だから。オレはよく知らんが、これがメンバー最下層の売れない子、そこでストーリーを紡ぎ出せない子だったら容赦はしない(そういう子は週刊誌になど狙われないだろうけど)。

いってみれば、実は筋書きや落としどころが決まっている昭和プロレスの世界。悪いとはいわない。オレも馬場や猪木のプロレスは好きだったし。だから楽しめば良いのだ。いつかこの小宇宙のしかけが見切られ、見捨てられてしまうまで。


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