2013年05月

オレは、まぁ若干破戒に傾斜しているとはいえ一応仏教徒だという自覚はあって、「一切皆空」とかいわれると「まぁそうだよなー」と思うような人間であるんだが、たまに何となくパラパラと聖書(新約デス)をめくったりするようなことも、ま、ないではないのだった。

もっとも、その読みは基本的に懐疑的である。「いくらなんでも刑死したオッサンが墓場から甦るわけないジャン。だいたい甦ったあとの事績がいろいろ書いてないのが不自然だよなー。この甦ったと称する男が本当にイエスと同一人物だと言い張るんだったらサ、いろいろ問い詰めてリアルなトコ証言してもらわにゃ納得いかんよなー。自らを捨てて人間の罪を背負ってくださった、みたいなとこまで言うからにゃあ、もっと検証せにゃいかんでしょ。それが全然ないじゃん」みたいな、つまり異教徒丸出しのボートクすれすれの読み方しかできないのである。

いや、しかし、よくわからん文句が並んでいる聖書のなかで、ときおりキラリと光るフレーズを発見することもある。たとえば次のようなところ。


イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、 弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、 驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような 奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの 兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことが おできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、 イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。(マルコ6:1-6:6)



イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。(マタイ13:53-13:54)



つまり、イエスが故郷に戻ってきたところ、その辺のオヤジが「おや、アイツ、大工のヨセフんとこのガキじゃね? なに気取ってんだヨ」的なツッコミを入れたというのである。するってーと、流石のイエスもたじたじである。「いやあ、預言者っつってもネ、故郷とか家族のいるとこじゃフツーの人になっちまうんだよねー(ポリポリ」とかいって、実際に「奇跡」も起こせなかった、という話なのである。

このあたり、実に真理をついているッ! つまり、なんか教団を立ち上げることに成功したカリスマであってもね、「あのさー、偉そうなこといってっけどさー、アイツ角のたばこ屋のせがれの定坊でしょ? オレ、アイツのおしめ替えたことあるんだよねー(笑)」的な、もう絶対的に彼の弱いところを握った人間に対しては、もうカリスマは通用しないのである。いくら天下のイエスであっても、はなから「角の大工ンチの小せがれ」だという風に見る人間に対しては全く無力なのでアル。

言ってみりゃ、聖書はここで宗教の幻想性というものをはからずも露呈させてしまっているのである。信じ込ませりゃ相当なことはできる。でも、しょっぱなでツカミそこなったら全然ダメ。

そしてこういう聖書のワキの甘さが、オレはとてもスキである。もちろんちゃんと勉強した聖書学者のセンセーは、この辺も違う解釈をされるんであろーが、ナニ、読み方は勝手である。そして、そういう読み方ができるから聖書いいよネという人間の出現をも肯定しているからむしろ聖書はエライということもできるのだね。
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ということで今頃になってカウンターをつけてみる。

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いや、別にしょせん便所の落書き、チラ裏ブログであることは否定しないがネ、まぁ厄介なことにこんなオレでもちったぁ自尊心みたいなものがないではない、少~しずつでもカウンターが回っていけば、こんなもんでも続けてる甲斐があるんじゃねーか。みたいな。ハイわかってますよ思い上がりデス(笑)。
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しかしよくよく考えると、ネットというものが当たり前の時代になっていろいろ変わったことというのは様々あって、たとえば「ネットからでてきた論客」などというのは、活字メディアが情報のコンテナを独占していた時代では考えられないことであった。具体的にいえば内田樹氏などというヒトは世が世であれば(笑)レヴィナスかなんか研究している偏屈な学者サンという立ち位置で一生を終わっていても不思議ではないヒトだったワケで、もちろん内田氏に対してはいろいろ批判をするヒトもいるわけだがオレ的にはとても貴重な人材であると思っていて、考えてみれば人材発掘ツールとしてのウェブというのはスゲェのである。

で、そういう文脈でいうと、「村上春樹というのは過剰に評価されすぎじゃネ」という、つまりは「王様は裸だ」的発言をアマゾンレビューにアップして一躍脚光を浴びたドリーさん(ちなみにこの埋没地蔵の館というのが彼のホームグラウンドらしい)というヒトもオレに言わせればスゲェ逸材である。

願わくは、そういう世に埋もれた人々に光あれ。というのが、オレのせめてもの願いである。「新潮45」あたりでこのドリーさんをコラムニストに仕立て上げてやっていただけないだろうか(笑)。オレは読みたいゾ。

【5/25追記】
などと書いていたら、このドリーさん、件のブログをみたらライターの仕事が入った?みたいであるぞ。がんばれがんばれ。
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わけあって、本州最東端の岬、岩手の魹ヶ崎(とどがさき、と読む)に行ったことがある。

途中までバスでいって1時間ぐらい歩いていったのだが、バスの終点、姉吉というキャンプ場の手前に昭和初期に建てられた石碑があり、「此処より下に家を建てるな」と津波への被害を警告している。

【注】 いやホントのことをいうと石碑はキャンプ場手前の道端にあるので、オレはバスでその脇を通っただけの話である。その姉吉キャンプ場に立っていた「ココ津波到達点」みたいな看板のことは憶えてるが。

閑話休題。3.11以降、震災のあった土地に興味本位で足を踏み入れるのは如何なものかという思いもあり、東北にはずっと行っていないのだが、ふとした拍子にその石碑の話を思い出すことがある。

人間が生きていくということは、つまりああいう石碑を建てることである、と思ったりする。

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(これは借り物の写真である)
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Euro Truck Simulator 2 というPCゲームをやっておる。ハンコンも使える。トラックを運転して、ヨーロッパ各地で貨物運搬をしてカネを稼ぐというゲーム。ただそれだけなのだが、ドライブのリアル感というものをけっこううまく醸し出しており、悪くない。
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橋下徹がこういうことを言ったそうだ(意訳アリ)。

「軍人というのは性的衝動をバクハツさせてやらんと暴発する人たちなのさ。で、日本の従軍慰安婦の制度っつーのは、軍が関与して運営したり拉致してきた女性を働かせたという証拠はないワケだから、つまりフツーの売春システムだったわけでしょ? そんなもんだったら世界中の軍隊周りでフツーに存在してきたんだよねー」

「そういうわけなので、在日米軍の皆さんも犯罪を犯すまえにフーゾクにいって発散してください」

前段は、まぁこの辺に詳しい秦郁彦あたりに言わせればほぼ正しいことを言っているようだ。しかし、日本の従軍慰安婦というのは英語だとwartime sex slaveとか訳されて流布しているよーなので、グローバルスタンダード的には「よくよく考えりゃオレたちの国の軍隊にもそういうのあったんじゃねーか?」的に胸に手を当てる輩などいる筈もなく、「Oh、日本の政治家ガ、sex slaveハ必要ダト言ってるYO!」という風に理解されるのであろう。

政治家というのはよく言われるように「結果責任」の世界に生きているわけだから、こういうリアクションが当然想定される以上、じゃあどうやってケツを拭くか、まで絵を描いた上で発言せねばならんだろう。しかしオレなぞにはこういう事態をどう収めるのか、全然わからんぞ。たぶん橋下氏もそんな先まで考えて発言していないのではないか。

で、後段の「米軍のみなさんもフーゾクに言ってネ」発言であるが、こういう発言というのは、なんか会社のイイ年をした上司が若手社員に向かっていうような、「チミも最近たまってるンじゃないかネ、どうだ、ソープにでも行って抜いてきたら」的な発言をホーフツさせるものがあり、つまり極めて下品である。

確かにそういう世界に救われている人間がいることも事実であろう。西村賢太が小説で描くような「ビンボーの極にありながらソープ貯金だけは欠かさず続けているような男」というのも確かに実在するだろうし、そういう人間の哀しいサガのようなものにオレはとても共感する。

であるけれども、選挙で選ばれたエライ政治家の方が、そういうぶっちゃけトークで「一本抜いてきたら」的発言をするのは流石に品がなさ過ぎるのではないか。ホンネはどうあれ、「フーゾクって助かるよね」なんぞと言っちゃいけないんではないか。

なんかその辺、日本にはどんどんオトナがいなくなってるんだなーという感慨も抱く。確かに「王様は裸だ」とかいってオトナの世界の欺瞞を衝くのは気分が良いのかもしれないが、そんなこたぁとうにわかってるンだけどとりあえず今この世界を崩壊させないように頑張っているオトナというのも必要といえば必要なのだから。


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富士山が世界文化遺産になるようで、けさの天声人語も何やら書いている。最後の一節。

▼それぞれの思いを背負って、年に約30万という人が登る山でもある。さすがの霊峰も重いことだろう。いたわり、守る決意を新たにしたいものだ。届いた朗報を喜びながら。


世の中のおめでたいムードに乗っかって書き散らした、まぁ毒にも薬にもならないコラムのようにも思えるワケだが、よくよく考えるととても変な文章である。

「さすがの霊峰も重いことだろう」って、何か。30万人も登ってくるから「重いよ重いよ」といって苦しんでるのだろうか? あるいは「オレもいよいよ世界遺産かー。責任重大だッ!」とかいって、責任の重さを痛感しているという意味であろーか? ま、いずれにせよ勝手に富士山を擬人化して、自分の勝手な思い入れを投影しているワケで、だからこそ意味不明な文章になってしまうのである。

ま、それはともかく、いささか疑問なのは「いたわり、守る決意を新たにしたいものだ」とかいって、一介の新聞記者が富士山の守護者きどりで何かエラソーなことを言っているくだりである。

もちろん、富士山登山で殺到した連中がクソとか垂れ流しては「霊峰富士」を汚している、みたいな話はよくきくので、オマイラもうちょっと考えろやみたいな主張はありうるとは思うンだが、たかが人間が富士山を「いたわってあげましょう」などと言い出すのは思い上がりもいいところだ。

いいですか、富士山は活火山ですよ! とりわけ3.11以降は、富士山だっていつ爆発したっておかしくない、という議論が持ち上がっておる。そしていったん噴火して火山灰が大量に噴き出したら、中部~首都圏の広範な地域で経済活動がマヒすることもありうるという。

そう、本当は富士山はコワイのでアル。たしかに美しい山。だが、富士山は別に生物ではないので、別に人間どもがたたえようとけなそうと、いったん活動が始まれば容赦なく溶岩や火山灰を噴出させて、われわれを苦難の底に突き落とすのである。

「いたわり、守る決意を新たにしたいものだ。届いた朗報を喜びながら」とかノンキなことを言ってて良いのだろうかコノ人は、想像力というものが全然ないのだろうかと思うのである。まぁ大噴火のあとは「おねがいです富士山サマ、怒りをおさめてください」とか書くのだろうが、ま、こんなんでクオリティ・ペーパーを気取れるのであるから気楽な商売ではある。


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