2013年09月

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たまたま今朝の朝日新聞の投書欄を読んでいたら、例の東京五輪誘致のスピーチの中で、滝川クリステルが「お・も・て・な・し」といってから合掌したのを「あれ何かヘンじゃね? いまどきの日本人、合掌なんて〈いただきます〉のときしかせんだろう日常生活じゃ」的な指摘をしている人がいた。

なるほど、確かにオレもあれは何かヘンだなーと思っていたのだった。

つまり、「日本人にはよそからマレビトを歓待しようという精神がビルトインされているのだよ」という売り込み方は、まぁそういうのはアリかもしれないと思うのだが、「合掌スル」というのは、なんつーか、もうひとつランク上の「心から有り難いと思う・感謝したい・場合によっては平伏してでも」というニュアンスがある。

「遠いところからよう来なさったなぁ、ゆっくり休んでケレ」みたいなホスピタリティがあるからといって、別に「ありがたやありがたや、あぁもったいなや」みたいに客人に崇敬の念を抱いているワケではないのである。

つまりだな、あのスピーチというのは、その辺の日本人の心情の機微みたいなものがわからない外国人に、「あぁそうか、日本人のおもてなしの精神というのは宗教倫理的な根っこをもっていて、だから合掌というかたちでそういう気持ちを表しているのネ、日本人というのはホント敬虔な人たちなのであるなぁいいなぁ」と誤解させる狙いがあったのではないか。

いや、ここで「誤解」と書いたが、たしかあのスピーチはプレゼン対策に雇った英国人だか何だかに書いてもらったという話もあるので、そのスピーチライターが「日本人ノおもてなしスピリットの象徴っていったら合掌じゃネ?」とか、なんかタイあたりの光景と日本をごちゃまぜにして完全にトンチンカンなことを考えてしまい、ああいう振り付けを指導していた可能性もあるぞ。

ま。その辺の真相はよくわからんけれども、改めて考えてみるに、滝川クリステルだか猪瀬直樹だか知らんが、そういうスピーチの構成には当然日本人の一行もチェックを入れている筈なのだが、誰も「いや日本人はそんなに合掌とかしないから。おもてなしと合掌、ぜんぜん関係ないから」と指摘しなかったワケである。なんつーか、つまり外国の連中に「古き良きホスピタリティをいまに伝える東洋の仏教国」という、いまどき珍しいバリバリのオリエンタリズム的ステレオタイプを抱いていただいて、とにかくも票をとりにいったのではないか。

いいのか、とオレあたりは思うのだ。なんちゅーか、日本文化についてウソをついてまで誘致したいのか。・・・ま、したかったのだろうな。


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けさの天声人語は、このたびのリニア中央新幹線のルート発表と、JR九州の寝台列車「ななつ星」デビューをひっかけたおはなし。最後のパートを引用してみよう。

▼リニアは名古屋まで1万1500円を想定。ななつ星は3泊4日、2人1室で最高113万2千円。かたや、スピードが節約してくれる時間を買い、こなた、快適な空間とそこで過ごす時間を買う▼移動の手段に徹する前者に、移動じたいを目的として楽しむ後者。ななつ星をデザインした水戸岡鋭治さんの言葉がおもしろい。「鉄道は遅い旅を追求したことが一度もない。これからはいかに遅く、ゆったり走るかだ」(「大人の鉄道入門」)▼予定通りの開業なら生きてリニアに乗れるかどうか。豪華列車には乗ってみたいが、手が届かない。


けっきょく何を言いたいのかよくわからんのはいつものこと。

「社会の木鐸きどり」というこのコラムのコンセプトを生かすのであれば、「狭いニッポンそんなに急いでどこへいく、というコピーもあった。もっとゆとりを大事にして生きたいものだ」とかいってリニアをこきおろすのが正道だと思う。しかし、リニアに対するアンチテーゼとして登場させた「ななつ星」が金持ちオンリーの乗り物であるだけに、そっちを持ち上げるのも「庶民の味方」としてはうまくないなぁ、などと逡巡した結果、何を書けばいいのかわからなくなってしまったのであろう。ご同情申し上げる。

ま、しかし、天下の朝日の「天声人語」を担当するというエライ方であれば、「ななつ星」に100マン円払って乗るのもそんなに難しいことではあるまい。「豪華列車には乗ってみたいが、手が届かない」とか庶民ヅラをせずに、「今度乗ってみよう。楽しみだ」とか何とか言えばよかったのだ。


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しばらく行方不明だった(笑)大田俊寛著『現代オカルトの根源』が出てきたので読んでみた。いぜん、オウム真理教を準備した思想」とは何であったかを思想史的なポジションから書いた方で、個人的にはとても注目している人である。

で、著者の主張を、以下、俺流に要約してみるか。例によって正確かどうかは保証しない。


現代のオカルトを俯瞰してみると、そこにはブラヴァツキーの神智学に由来する一大潮流がある。どういうことかっつーと、19世紀の進化論以降、人々は昔ながらのキリスト教なんぞ素直に信じられなくなってしまったワケで、そういう間隙をついてある種の人々の欠落感を埋めたのが神智学であった。

つまり、人間というのは実はそれぞれに固有の「霊性」というものをもっており、しかもそれは年月を重ねていく中で「進化」する可能性を秘めている、そういう存在デアル。いってみれば、近代的合理主義が広まる中で、人々は旧来の宗教が語り継いできたようなものをそのまま信ずることができなくなっちまったので、そこに近代的な進化の概念をつぎあわせることによって、新たな信仰の体系を築いたのがブラヴァツキーであった。

で、さらにひとつ言っておくと、こうやって人間の「霊性」は進化する可能性を秘めてるんだが、一方で獣的な方向に退化することもある。進化方向と退化方向の双方向に未来はひらかれており、進化を促すのが神智学の教えであるならば、一方で人間を獣性にひきずりこむ悪の勢力もある。そういう善悪二元論もまた、連中の思想の基本にあるらしい。

というわけで、「霊性の進化と退化」+「善と悪の闘争」みたいなものとして人類史を読み解く思想が誕生したんだが、それがのちのオカルト業界に多大なる影響を及ぼしていく。シュタイナー、エドガー・ケイシー、アダムスキー(笑)、オウム真理教、幸福の科学、みな然り。結論としてはこういう系統の思想はちょっと危ないので注意しましょう、ということであるようだ。



で、ここからが感想。

前世紀末以降のさまざまなオカルトムーブメントを、ブラヴァツキーの継嗣としてくくってしまうというのは、とても面白い見方であると思う。

もっとも、ちょっと強引かなぁと思った点もあった。

本の中にデーヴィッド・アイクという英国のニューエージの人が出てきて、やっぱりこういう系譜の人として紹介されている。この人は「人類というのは、超古代から爬虫類的な姿をしたレプティリアン型宇宙人(!)に遺伝子操作とかなんとかいろいろされて、操られてきたのだッ」と言っているらしい。そこだけ読むと、「なんだリアル宇宙人の介入ジャン」という話で、霊的進化もクソも関係ないような気がするンだが、一方で、「人間の霊的なポテンシャルは実はレプティリアンたちを凌駕している」みたいなストーリーもあるらしく、そういう意味ではどっか善悪二元論的な霊的抗争の枠組みにおさまるのかもしらん、よくわからんが。

ま、それはそれとして、何で強引に感じたかというと、著者自身も本の中で触れているが、この宇宙考古学的な「悪しき宇宙人の介入」というアイデアは南山宏氏なども一時盛んに訳していたゼカリア・シッチンあたりからパクったものらしく、いや、そういう話はそもそもUFOシーンでは既に十二分に語り尽くされたモチーフなので、まぁ何か「霊的側面」みたいなものを貼りつけたところは新しいのかもしれんが、やはりこのアイクという人物は二番煎じの人ではないか、という気がしてくる。ブラヴァツキー/リードビーター/シュタイナー/エドガー・ケイシー/アダムスキー(笑)とかいう綺羅星の如く並ぶメンバーの中にあっては、「何この小物」「埋め草かナ」「場違いじゃネ」的な感想を抱いてしまったのだった。

あと、「進化」みたいなキーワードを霊的世界観にくっつけるというのが近現代のオカルトの或る典型であったとして、いわばそういう竹に木をつぐような無茶な試みがこんなにもうまくいったというのは何なのかという思いもある。たしかに「進化」という近代の意匠をまとうことが有効だったという説明はあるんだが、数十年前から「もはやモダニズムは終わった」みたいにいわれている時代でもあるし、それだけじゃうまくいかんのではないか。

ただ、筆者はもともとグノーシス派を専門とする宗教学者ということで、いわばアカデミズムの人である。そんな人がこういうアヤシイ世界をマジ考察の対象にしたことはとても素晴らしいと思う。

本の中には、例の2012年の「マヤ終末予言」で名を売ったというホゼ・アグエイアスという人も紹介されていて(この人も一連のラインナップの中では「埋め草要員」のような気がするけれども)、何というか、そういうところまで目を配っているのである。「ほんとにおスキなんですねェ」といって著者の肩をたたいて励ましてあげたい、そういう気分である。


現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 (ちくま新書)

現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 (ちくま新書)

  • 作者: 大田 俊寛
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/07/10
  • メディア: 新書



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というわけで、56年ぶりに東京でオリンピックをやることになったようだ。

で、みんな「経済効果ウン超円」とかいって喜んでるんだが、これはそういうものなのか?

古くは1976年のモントリオール五輪であったか、五輪開催で自治体財政が悪化してしまったという話もあり、それもあってロサンゼルス五輪なんかは「持ち出し」を怖れて「民営化路線」に踏み切った、のではなかったか。いや、じっさいに2004年のアテネ五輪とかは、マジでこれがギリシャの財政危機のひきがねになった、という説もあるぞ。

当面ゼネコンとかにガンガンカネが流れるンかもしれないが、祭りのあとは、さてどうなるんでしょう、みたいな懸念がある。

ま、もちろんこういう国際的イベントというものには何かしら「ゼニカネ」を超えた意味がある、という面もあるにはある。確か松本健一氏は、この前の1964年の東京五輪は日本が大きくかわる転換点としての意味があった、みたいなことを言っていた。あるいは1970年の大阪万博なんてのも、今からみれば「栄光の高度経済成長のピーク」みたいな時代相を象徴していたような気もするしな。

さて、では今度の東京五輪は何を残し、どんな意味づけを与えられるのか。いずれにせよ7年後の話ではある。


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福島第1原発はいぜん汚染水の処理で苦吟しているらしい。

そういえば、一昨年の4月のエントリーにこんなことを書いていたんだった。

ダラダラと冷却しダラダラと汚染水が流れ出る、そういう状況が(いささか切ないことですが)しばらく続いていくことでしょう


そのころはせいぜい2年3年のことではないかと思っていたんだが、そんなに甘くはなかった。

あと5年か10年か。世の中というのは快刀乱麻でスッキリ、という風にはなかなかいかない。
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ロジクール製の「Driving Force GT」というハンコンを一昨年6月に買ったのだが、壊れた。

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ACアダプダーを装着すると、「通電しました」ということなのだろう、ハンドル部がいったんグルグル回転するのが通常の動作なのだが、これが一切動かない。一方で、USBケーブルをPCに接続してもPC側で認識しない。電源とUSBを両方接続するとハンコンのホーン相当部の白いライトが点灯するので、通電自体はしているようだが、あとは全然反応なし。保証期間は1年。ならば修理を頼むしかない。

サポートに連絡してみた。で、最終的にはこういうメールが返ってきた。


恐れいりますが、弊社では有償、無償に関わらず修理を承っておりません

保証対象とさせて頂ける場合、製品の交換として対応させて頂いております。



購入日を確認させて頂けない場合、保証期限が過ぎてしまった場合、

保証対象外のケースの場合の故障に関しては

ご提案が、再度の新規の購入のご検討のお願いとさせて頂いており

恐れ入りますが、ご理解頂ければと思います。

つまり1年の保証期間が終わったら、壊れても直したりできないからヨロシクということである。

確かロジクールは「保証期間中に製品が故障したら新品と取り替えます」というポリシーを取っている。実際にマウスとかでは3年保証をしていて、これで実際に故障したマウスを取り替えてもらったこともあり、「けっこう太っ腹ジャン!」と感心した記憶もある。

しかし、それは同時に「ウチでは修理ということは一切しませんから」というポリシーと表裏一体でもあるようだ。つまり、保証期間が過ぎてしまえばもう直す手だてはないということでもある。「保証期間過ぎて壊れたら諦めて捨ててネ」。そういうことである。

ふむ、人件費かけて修理するなんてことイチイチしてたらコスト高くなって仕方ねえよ、というロジックはわからんではない。が、たかだか2年ばかり使って壊れてしまったハンコンを捨てるしかないというのはどっか釈然としない。

もちろん「もったいない」精神などというのは、まぁもともと外資の会社なんかにゃワカルわけないとは思うのだが、しかし。大袈裟にいえば「昭和は遠くなりにけり」デアルorz

【追記】

とはいえ、粗大ゴミに出すのもシャクなので、何とか復活させられないかと考えてみた。電源をつなぐとハンドルがグルグル回転する予備動作をするのが正常なのだがこれが無くなってしまったこと、USBケーブルをつないだ時のみ中央のGTボタン部のライトが点滅すること等々を考えあわせ、一番単純な解釈として「ACアダプターが壊れた」という可能性に思いいたる(USB接続してもPCが認識しないというのは、チト違う故障を示唆しているような気もするけれども)。

で、ググってみた結果、「UI318-24」というACアダプターが代替品になるようだったのでネットで注文してみた。はたしてどういうことになるか。

【さらに追記】

ACアダプタが届いたので、改めて接続。ハンドル回転アクションが発生せず、USBも認識してないようだったのでやっぱり駄目だったかなーと思いつつ、ハンドル手動でグルグル回したり、電源&USBケーブルを抜き差ししてるうちにパワーオン。改めてドライバをインストールしたら復活した。何が悪かったのか見当がつかぬが、結果オーライ。

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