2014年02月

オレはツイッターをやっているのだが、リツイートということをほとんどしない。

何故かというと、オレをフォローして下さっている方というのは僅か40人ぐらいしかいないんだが、同時にオレがフォローしているのも50人弱ぐらいである。あんまり多いと読み切れないので、やたらとフォローしないようにしているのだ。

で、この二つの集合は、おおむね重なりあっている。結果としてオレが「なるほど!」と思うようなツイートは、当然オレがフォローしている人が発することが多い。となると、仮にオレが何かリツイートしても、それは非常に狭い範囲のなかで情報をグルグル回すことに等しく、いわゆる「ソーシャルメディア」的機能は働かないのである。オレがリツイートしたことでどっか思いがけないところに情報が飛んでいく、というようなことはまず起こらないのだった。

ということで、オレ的に「なるほど!」と思ったツイートに対しては、もっぱら「お気に入り」を押すことにしている。それはオレの単なる意思表示とゆーか備忘録みたいなものに過ぎないのであるが、ま、そういう自閉したツイッターもあって良いではないか。

ま、「それがどうした?」という話ではあるけれども、本日は書くこともなかったのでつい。

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達者な文章を筆写することで、アナタの国語能力アップを――という触れ込みで朝日新聞が売り出している「天声人語書き写しノート」に、3月から新バージョンの「天声人語書き写しノート 美文字版」というのができるのだそうだ。けさの新聞で宣伝しておった。

要するに、「天声人語の書き取りをするとペン字上達の効果もありますヨ」というワケで、「日ペンの美子ちゃん」のシマを荒そうという狙いであろう。が、なんか「付加機能をてんこ盛りにすれば商品力がアップするんではないか」という発想自体が実に古くさい。仏壇兼用の神棚、みたいな。誰か知らんが、企画を作った人間の発想力が疑われる。それはそれとして、紙面では青山浩之・横浜国立大准教授という先生が出てきてインタビューに答え、「これいいですヨ」という宣伝塔の仕事をしておられる。こんなことを言っている。

天声人語書き写しは、603字と多くの文字を書くのが特徴です。深い内容が平易に書かれ、文章もすばらしい。それを題材に質の高い文字を習得すれば、読む人にプラスアルファを届けることもできるのです。

なんか腑に落ちないぞ。

「多くの文字を書くと良い」みたいなことを言ってるが、だったら603字とかじゃなくて、大長編小説の『大菩薩峠』とかがよいのではないか。天声人語は「深い内容が平易に書かれ、文章もすばらしい」とかいってるけれども、これもどうだろう。「毒にもクスリにもならない思いつきをクサイ表現でチャチャッとまとめた鼻持ちならない文章の典型」みたいに思っているオレみたいな人間も多いのではないか。

この先生は「美文字研究家」なのだそうだが、文章の書き方については別に専門家でも何でもないだろう。ペン文字上達法を語っていただく分には何の問題もないが、だからといってそのために天声人語を持ち出してくる必要は全然ない。オファーがあったからって、こんな風に妙な褒め方をするのは如何なものか。







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というわけで、ヴァレがチラチラ論及しているあれやこれやというのは、斜め45度志向のUFOファンとしては実に興味をそそるネタの宝庫なのである。

モルモン教もしくは末日聖徒イエス・キリスト教会――というか
、その創唱者であるところのジョセフ・スミス・ジュニア(1805-1844)

あるいは
「オアシュビー聖書」。

あるいは「ウランティア・ブック」。

もうこの辺は全然フォローする余裕も知識も欠いているオレだが、突っ込んで調べていくとアングラ感漂う、実に面白そうな世界が展開していくであろうことは間違いない。ヴァレ文脈でこういうネタの訓詁学をしてくれる奇特な方はいないものか(笑)

JosephSmith
ジョセフ・スミスの肖像画。エエ男やな

ヴァレの本を読んでいて遭遇する「何者なンだこの人」シリーズであるが、今回はヨースト・メールー(1903-1976 Joost Meerloo。英語読みだとジューストかもしらぬ)を取り上げてみよう。

「そんなの出てきたか?」という方もおられようが、この人物、『コンフロンテーションズ』11章の、本筋とはあんまり関係ないところでチラッと出てくる、いってみれば通行人的な役回りの人である。が、わが国では全然知られていない人物のようだったのでチト気にかかって調べてみた次第。

例によって英語版のWikipediaに当たってみると、この人、もともとオランダの精神科医。1942年にナチス・ドイツ占領下のオランダからイギリスに脱出したのち、46年にはアメリカに渡航。以後、本などもいろいろ執筆したようで、洗脳をテーマとした『Rape of the Mind』という本で有名らしい。

閑話休題。ヴァレはこの『コンフロンテーションズ』11章で、いわゆるUFOにまつわる「ミッシング・タイム」事例を題材に一席ブっておる。つまり、催眠術師たちが体験者をつかまえては退行催眠とかおっぱじめて「あんなことがあった、こんなことがあった」と言い募るのは如何なものか、お前ら被験者を誘導して話を盛ってんじゃねーか、と批判をしているのだった。

そういう流れの中で、ヴァレはこのメールーさんの『隠されたコミュニオン Hidden Communion 』という本を引用しているのだった。どういうことかというと、ここでメールーさんは「心理療法をしてるとセラピストとクライアントの間には非言語的なコミュニケーションが生じるのだけれども、実はそういう場面で、当事者が全く意識していないのに識域下でESP使ってコミュニケートするってことがあるんだよね」(大意)ということを言っているらしい。

つまり、催眠術師の皆さんは「別に誘導尋問なんてしてねーよ」というかもしらんが、テレパシーを通じてクライアントに「こういう話だったんだよネ?」と証言を強要することもありうるんじゃねーか、オレは認めんからナ、とヴァレは怒っているのだった。

まぁそんな理屈もちださなくても「こっそり誘導してる」でイイんじゃねーか、ESPなんて持ち出すとかえって説得力を欠くのではないかと思わんではない。しかしここで、どうやらESP現象を肯定しているらしい精神医学者のメールーさんをどうしても持ち出したくなってしまったあたりが好漢ヴァレのヴァレたる所以である。

というワケで、隠れキャラともいうべきヨースト・メールーではあるけれども、この際、ヴァレファンの皆様にはゼヒその名を記憶の片隅にとどめ置いていただきたい(笑)。

Joost Abraham Maurits Meerloo
Joost Abraham Maurits Meerloo

ソチ五輪の話なのだが、新聞の見出しにいきなり「カーママ」とかあって、一瞬何のことかわかんなかった。

いや、もちろん3秒後にはカーリングママ=カーリングのママさん選手とゆー意味であろうという推測が閃いたのではあったが、しかし何だかなぁという思いが胸中に兆したのだな。

サムラゴウチさんとかオボカタさんの報道をめぐって、「本人がなし遂げたこと」を掘り下げていくよりも、それにまつわるエエ話みたいな、ある種エピソード方面にもっぱら注力して報道していくとゆーのは正しいことなのだろうかという問題が提起されたことは記憶に新しいが、ヤッパこの国ではそういうエピソード万能主義は不滅なのだな。

つまりカーリング選手の「ワザ」というものがあるとして、本当ならその選手がママだろうが婆さんだろうが未亡人だろうが不倫OLだろうが一切関係なく「ワザ」方面から話を説き起こしていくのがスジであるにもかかわらず、しかし実は誰もそんなことを求めてはいない、たぶんそういう話なのであろう。

カーリング選手のワザとか、サムラゴウチ作といわれてきた交響曲のスバラシサとかをじっくり吟味しようともせず、その周辺の撒き餌みたいなもの、わかりやすいお話にばっかり引っかかってしまうというのは、おそらくはワレワレの知性の欠如の反映なのだろう。あるいは痴性の過剰か。

そーいう意味では、このタイミングで見出しに「カーママ」とかつけた新聞が出回ってくるとゆーのは、メディアのサイドからいえば「オマエラしょせんバカなんだからこんなのでおkだよなー」という時宜になかったメッセージであるに違いない。ま、そりゃそうかもしれんけどな。
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今朝の天声人語をみて嗤ってしまった。最近ちゃんと目を通してなかったけど全然変わってないじゃんツッコミどころ満載のユルユルの文章はッ!

というワケで、本日の天声人語を紹介してみよう。

今回はソチ五輪ネタである。主人公はジャンプのLHで銀メダルをとった葛西紀明。彼は16年前の長野五輪にも出場したが、そのとき日本が金をとったジャンプ団体では出場メンバーに入れなかった。さぞや悔しかったろうが、こういう苦労を乗り越えたからこその栄誉であるゾ褒めてつかわすゾ、というお話である。

まぁありがちな話で天声人語レベルならアリだとは思うが、しかし、読んでみると何か論理がメチャクチャなんである。まずは冒頭部。

自己と他者、などと言えば小むずかしげに聞こえるが、フーテンの寅さんが語れば次のようになる。「お前とおれとは別な人間なんだぞ。早え話が だ、おれが芋食って、お前の尻からプーと屁が出るか」。いささか品を欠くが寅さんなら許されよう▼同じ釜の飯を食った仲間とはいえ、この人にとって、別な首にかかった金メダルは、悔しさ以外のものではなかったという。16年前の長野五輪、日本チームの活躍にわいたジャンプ団体で、葛西紀明選手は出場メンバー4人から外れた

ふむ、確かに寅さんの言葉には含蓄がある。アンタとオレはしょせん別の人間なので、アンタが嬉しくたってオレまで嬉しくなるとは限らない、アンタがどんなに悲しくたってホントのところオレにはその気持ちはわからない、それが人間ってもんよ――そういうコトバである。寅さん映画とゆーのは大衆向けの他愛のない娯楽作とみられることが多いけれども、実はこういう怜悧で深い人間観察に裏打ちされているところがスゲエのである。

話がそれてしまったが、ともかくこの導入部については特に言うべきことはない。たしかに葛西選手、横で同輩たちが喜んでただけに却って悔しい思いをしたのだろうな、と思う。本当の孤独というのは、周りに誰もいない状況にではなく、周りで沢山の人が仲良くやっているのに自分だけ蚊帳の外という場面に発生するものなのだ。ところが最後がイケナイ。

どの競技者も自分を極限 まで追い込んでやまない。長い鍛錬の末の、宝石にも似た歓喜のおすそ分けにあずかる、テレビの前の私たちだ▼メダリストは4年に1度の輝きを放ち、力を尽 くした敗者もまた美しい。鮮烈にして良質なドラマの数々はいよいよ終盤へと向かっていく。

これはかなり奇妙な展開ではないか。前段では「オレとオマエは悲しいけれどおんなじ人間じゃないんだよなあ」と人生の真実を語っていたハズなんだが、ここにきて天声人語子は、いとも簡単に前言を翻してしまい、「オマエさんが頑張って獲得した栄誉というのはオレにとっても喜びでもあるゾ、やったやったゾ嬉しいなあ」と突然無邪気なことを言いだしているのだった。

ちょっと聞いてみたいのだが、お前とおれとは別な人間なのに、おれが芋食ったら、お前の尻からプーと屁が出るのだろうか。寅さんのコトバを踏まえていえば、ここは「いくら日本人が金メダルをとろうが、自宅のテレビの前でせんべいかじりながらテレビを観ているオレが何かなし遂げたワケじゃないんだよなあ、それなのにやったやった日本人エライとかいってはしゃいでしまうオレってダメな人間だなあ」といって反省するのがスジではないか。

まぁ「鮮烈にして良質なドラマ」みたいなクサくて鳥肌が立ってしまうようなセリフは許してやるから、天声人語を読むと文章力がつくとか豪語してる以上、せめてこういう支離滅裂な文章を書くのはやめていただきたいものである。








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「プルーフ・オブ・ヘヴン」を読んでてロバート・モンローの話が出てきたので思い出したが、この人物もヴァレの『ディメンションズ』に登場している逸材である。どういう文脈かというと、モンローが体外離脱して何やら奇妙な人物と出会った体験が或る種のコンタクトにどっか似てんじゃねーか、というのである。

で、このロバート・モンロー(1915-1995)であるが、邦訳もあるし、日本語のウィキペディアにも出ているぐらいの有名人。たぶん日本にもファンは多いのではないか。自ら体外離脱を体験し、その研究のため1971年にモンロー研究所を設立した「超心理学研究者」ということになっている。

で、変性意識状態をもたらす「ヘミシンク」という技法を開発したらしい。オレは彼の本を読んだことがなく、この人物のことはホントは全然知らんのでウィキペディアを引用しておくが、ヘミシンクとは「右耳と左耳に左右それぞれ波長がわずかに異なる音を聞くことで、右脳と左脳の脳波を同調させるバイノーラルビートという原理に基づいている。そのバイノーラルビートにピンクノイズ音をかぶせ、複数のバイノーラルビートを同時に聴かせる、その音源がいわゆるヘミシンク音源である。また、各種プログラム、ヘミシンクCDと表現するときはヘミシンク音源に言葉によるイメージ誘導が付加されている。ヘミシンクCDにはヘミシンク音源だけのCDと、あらかじめ目的を定めた誘導瞑想のCDの2種類がある」。

ふむ。何のことか全然ワカランが、読んでるとなんかこう、ウィルヘルム・ライヒ的というか、どっかそそられるものがある。こういうところにも目配りするあたり、さすがヴァレ先生である。

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モンロー先生。「プルーフ・オブ・ヘヴン」に「ヘミシンクすげぇゼ」みたいなことが書いてあって、その瞬間、「この本は怪しいんじゃないか」という疑念が兆したのだが、いやしかし、あんまりハナから人を疑うのはよくないかもしらんと反省したりもする





というわけで、ソチ五輪男子フィギュアでは見事羽生選手が金メダルをとった。

おめでとう。あんなにクルクル回ったり跳ねたりするというのは、やっぱ並外れた修練のみが可能にする超人のワザでアル。

と褒めたそばからナンだが、でもやっぱアレってスポーツ競技としてはどうなんだろうネと改めて思うのだった。いつも言ってるのだが、採点競技とゆーのは採点基準がけっこー恣意的に決められているので「勝った負けた」についてどーしても釈然しないところが残ってしまう、という例の問題である。

まぁ今回の羽生選手のフリーなんかも、4回転ジャンプですっ転んでいるんだが「いや、採点上は4回転成功デス!」とかナンとかテレビで解説してるので、「ふーん・・・。そういう決まりなんですネ良かったですネ」とオレは内心でイヤミを言うのだった。

・・・いや、今回はそんなことを言いたいのではなかった。問題は、フィギュアの演技のバックに流れる音楽のコトなのである。

たとえば、こういうコトを考えて欲しい。テレビのニュース番組ではふつう、バックに音楽なんか流さない(ワイドショーは違うだろうけど)。何故かというと、「凶悪犯罪の容疑者逮捕!」→「ジャジャーン!!と怖ろしげな音楽」みたいなコンボを発動させると、どうしたって視聴者のほうはニュートラルな気分でニュースをみられなくなる。

「そうかー、コイツが犯人なのかー悪いヤツだなー」と反射的に思ってしまって、「ひょっとしたらその容疑者が無罪なのかもしれない」といった思考はアタマの中からすっ飛んでしまう。BGMっつーのは、どうしたってその場の人間の冷静な判断を狂わせて、情緒的な反応を呼び覚ましてしまうのでアル。だからこそ、公明正大を旨とするニュース番組では、そういうBGM的音楽を流すのは禁じ手なのだな。

で、話はフィギュアに戻る。よくよく考えてみると、ワザの「正確さ」とか「美しさ」(とゆーのもかなり主観的なものには違いないが)を、それでもできるだけ公平・客観的に評価するというタテマエで、こういう競技は成り立ってるのではないか。しかし、ここで音楽という要素が入ってきてしまうと、たとえば「音楽の力」で「実際よりよく見えてしまう」という事態だって十分考えられるではないか。

BGMにあわせて演技する「スポーツ」とゆーのは、フィギュアのほかに新体操とかシンクロナイズトスイミングとかもあるけれども、そういった意味で、こういうのはオレ視点ではいずれも「擬似スポーツ」である。「音楽の選曲しだいで結果が変わってくる」となると、もう、これはスポーツとゆーより「興行」とか「エンターテインメント」といったものに近いのではないか? それがオレのこの種の採点競技に対する根源的なギモンなのであった。

「イヤイヤそうはおっしゃいますが、それが現代のスポーツとゆーものなのデスヨ、テレビに流した時も絵になりますしネ」とIOC委員がいうのであれば、オレ的には「そこまで言うならもう分かった、じゃあポールダンスとかフレンチカンカンあたりもオリンピック競技に入れなさいヨ」と提案をしたい気分である。まぁ羽生クンには悪いけれども、オレ的にはそっちのほうが観ててずっと楽しめそうだし(笑)。

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左が妖精然とした羽生クン。右は将棋の天才のほうの羽生

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ネタ切れでもあり、今回もジャック・ヴァレの本に出てくる愉快な人々シリーズ(笑)ということで、ウォルター・エヴァンス=ウェンツ(1878–1965)に触れてみよう。

ご承知の方も多いと思うのだが、ヴァレの本にはアイルランドとかの妖精の話がたびたび出てくる。で、そのネタ本のひとつになったのが『The Fairy-Faith in Celtic Countries』であり、その著者がエヴァンス=ウェンツなのだった。ちなみに生没年は宗教哲学者のマルティン・ブーバーとおんなじ。

いちおう人類学者という肩書きのようではあるけれども、ウィキペディアをザッとみただけでも、この人物、なかなか面白いのである。

アメリカはニュージャージーに生まれたんだが、父親の蔵書にあったブラヴァツキーの『ベールをとったイシス』『シークレット・ドクトリン』なんぞを10代で読んで神智学に目覚めてしまう。で、スタンフォード大にいって宗教研究始めて、ケルトの妖精研究やって『The Fairy-Faith in Celtic Countries』書いて、そのあとエジプトいったりスリランカいったりインドいってヨガナンダとかクリシュナムルティみたいな連中と会って、で、ついには『チベット死者の書』の英訳とかして、神智学の徒として生涯を終わるのだった。

まぁその筋の方々には有名な人物なのだろうが、こういう怪しげな人物がチラチラと顔をのぞかせるあたりにも、ヴァレ本の魅力はある。

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エヴァンス=ウェンツ

ヴァレの『コンフロンテーションズ』に出てくるフランスの社会学者(にして円盤学者)、ピエール・ラグランジュにはかねてから注目しているところであるが、肝心のフランス語が全然わからんので調査は全然進んでいないのである(笑)。せめてウィキペディア英語版あたりに何かないかと調べてみるが、1962年生まれのベルギーのファンドマネージャーというのが出てくるだけで、たぶんこれは別人。それでもググってみると断片的な情報は得ることができる。

たとえば『検証 予言はどこまで当たるのか』 の著者の一人で、小生も尊敬している山津寿丸氏 (sumaru)のサイト「ノストラダムスの大事典」にはこの人の略歴が書いてある。無断転載するといけないということなので各自ググって確認して頂きたいが、ひとつ発見したのは彼は1963年生まれだということ。なんだオレより年下ではないかオレも年を取ったものだと感慨を禁じ得ない。

まぁそんなことはどうでもいい。アマゾンのサイトをみると共著としてノストラダムス本を出していて、邦訳もある(『ノストラダムス―予言の真実』)。フランス語の円盤本も並んでおる。『La rumeur de Roswell』(ロズウェルの噂、というのだろう)とか。

例の「ベルトラン・メウーとは誰か」問題も未解明の状態であるけれども、こっちのラグランジュさんの業績紹介なども好事家の皆さんにぜひお願いしたいところである。



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