2014年05月

先ほどボンヤリと自分のブログを眺めていたところ、マッチング広告というのだろうか、つまりこういう無料で開設できるブログ上に「お前きっとコレに関心あるだろ」的に押しかけ的に掲載される広告が浮かんでいた。

画像で貼っておくが、こんなのである。画像なので押してもリンクはしてないので悪しからず。



そういやぁ、以前、ジャック・ヴァレの本に出てくるロバート・モンローのことを書いたのだった。ヘミシンクという、よくわからない「体外離脱プログラム」の人である。それで出てきたのだろう。で、せっかくなので、リンク先の「ヘミシンク・プラザ」という業者さんのところに飛んでみた。

こんなことが書いてある。

ヘミシンクプラザは日本人で初めてフォーカス27まで行った森田健が監修する「モンロー研究所正規代理店」。ゲートウェイ・エクスペリエンス6巻セット 40,000円、オープニング・ザ・ハート4,980円など、すべての取扱ヘミシンクCDは正規代理店のみが提示できる適正価格です。

やってるのは森田健という人らしい。

体外離脱のメッカとも言うべき「モンロー研究所」は、今でこそ精神世界ギョーカイではハヤリのようですが、森田健が体験したのは今から十数年前の1996 年のことでした。しかも「あの世に行く」レベルのフォーカス27まで行ったのは日本人としては森田が初めてだったと思います。そしてヘミシンクを紹介した いと思った私は、恐らく日本で初めてヘミシンクCDやカセットの販売許可を貰ったのです。「あの世」関係では、今の森田は「生まれ変わりの村」に注力して いますが、以前は「モンロー研究所」だったのです。

「フォーカス27」とか、まぁこういうグルシステム(笑)にはつきもののヒエラルキー臭がなんとも気持ち悪いが、ともかく、こんな時勢になってもいまだ精神世界系の商売というのは健在なのだなぁと感慨を新たにする。

ゲートウェイ・エクスペリエンス6巻セット 40,000円。

安いのか。たぶん欲しい人には安いのだろう。オレもいよいよ尾羽打ち枯らしたら、この手の商売でもやってみるか。


ついでに一茶の句をもうひとつ。これもオレのお気に入りである。


露の世は露の世ながらさりながら


確か、年老いてから一茶のもうけた子があっけなく死んじまった時の句だったんじゃないか。

そう聞かされりゃ、ま、そうだろうなーという句ではあるわけだが、オレなんかからすると、なんつーか、人生のリアリズムをそのまんま、「ホラよッ」みたいに投げてよこされたような気になるのでアル。

もちろん、伝統的に
風流とか典雅とか花鳥風月を愛でてきたエライひとたちからすりゃあ、「なんだその辛気くさいのは。それに技巧っつーものはないのかYO」という話にもなるのだろうが、オレ的には花鳥風月なんてどうでもいいんで、当然一茶推しになるワケでアル。

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改名といえば、何といっても「海砂利水魚」改め「くりぃむしちゅー」が有名である。

改名前、いまだメジャーになりきれなかった彼らが「王様のブランチ」で今の「パンサー」的立ち位置に置かれ、いいように使われていた時代があった、などというのは、今にして思えば夢の中の話のようである。

閑話休題。定期的かつ勝手にタイトルを変え続けてきたオレのブログ(誰も知らんがナw)であるが、また改名することにした。


又人にかけ抜かれけり秋の暮


一茶である。

いいねェ。これ、ワカンナイ人はもう日本人じゃないネ。

なんてったって、「秋の暮」ですよ。もう、かけ抜かれたまんま。抜き返す時間なんか無いワケです。しかも「又」なんです。いったい何十人に抜かれていったんでしょうか。

諦念と自己憐憫。でもネ、そんな自分をどっか客観的に見てるんですよ一茶は。クール。こいつは凄いですよ。もう鳥肌たちますね。

とゆーわけで、しばらくはこの名前でいきます。ヨロシク。


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当ブログもまたしばらく放置しておいたわけだが、自分でも「こんなもの開設しておったか?」と忘れかけた頃にひょっこり書いてはまた蟄居、というのがここのスタイルである(笑)。

閑話休題。「身過ぎ世過ぎ」という言葉があって、つまり「口に糊して生きていくための方便」みたいな意味なのだが、もう初老に入りかけた身からすると実に味わい深い言葉である。誰だって「こんなこたぁしたくねえけど、食ってかなきゃいけねえしなー」と思うことはあって、ま、若い時分にはそれなりに突っ張って「イヤなことはイヤなんだYO」とか言ったりしていても、ジジイになるとそうもいかないのだった。

それはつまり、自分で「イイ!」と思ったものが必ずしも世の人々には受け入れてもらえないというトコロに起因する話であって、そういうときには「売れる」ために妥協しないといけない。

というわけで、ある程度トシのいった人間はこういう運命というものを身を以て知っているのだが、たまさか「あぁこの人もそうなんだろうなあ」などと感慨にふけることもある。

たとえば円盤研究家である。ご承知のように円盤の世界というのは市場が極端にシュリンクしていて、端的にいえばよほどのことがないと「売れない」。真面目に文化現象としてとらえるような知的風土はこの国にはない(いや、そもそもそんな国があるのかという気もするが)ので、いきおい「売る」ためには真偽不詳のセンセーショナルの話を売りものにしなければならない。「こんなの嘘に決まってんだけどなー」とかいいながらも与太話を本にしたりする。

こういうのはけっこう哀しい。誰とはいわんが。


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辺境ブログとはいえあんまり放置しておくのも何だから、というワケで、今回は「天声人語」ネタ。

けさの「天声人語」もまた首を捻らざるを得ない出来であった。

今回のコラム、この天声人語子が駆け出しの頃にサツ回りをしていて、殺人事件の取り調べ室の近くまで忍び込んだという武勇伝(?)から始まる。すると、取り調べ室から「ひ、と、ご、ろ、しー」という刑事の罵声が聞こえる。犯人を「落とす」ために、高圧的な取り調べをしているんだろーなーと思った、という。で、こんなことを書いている。

犯人を自供に追い込むことを俗に「落とす」という。あの調べが落としの 腕前としてどうだったのか知らないが、適正なやり方とは思えない。密室のことを記事にする術を当時は知らず、苦い思いが残った

で、最終的には、取り調べの様子をビデオとかに記録する、いわゆる「捜査の可視化」を進めないといけないなーという、ま、ありきたりな結論に着地するんだが、それはそれとして、オレとしては先の文章の「密室のことを記事にする術を当時は知らず、苦い思いが残った」とゆーくだりに疑問を感じた。

本当なのかこれは。

今もたぶんそうなのだろうが、記者のイロハといわれるサツ回りは、警察にどれほど食い込むかが勝負でアル。で、サツ官からさりげなくリークしていただいた情報を他社に先駆けて書くと「特ダネ」といって褒められる。そういう世界では、サツのジョーシキに自分を同一化させねばやっていけない。「でかい声で被疑者をドーカツするような取り調べしちゃいかんよなー」みたいな事をいってたら、サツに食い込むもナニも、「なに理屈こいてんだYO、そんなこと言ってるから抜かれっぱなしなんだYO。ホントできないヤツだなー」とかいって落伍者の烙印を押されてオシマイなのである。

さて、この天声人語子は朝日の看板コラムを書いているぐらいだから、上役の覚えめでたく、順調に出世なさってきたのだろう。となると、「あの調べが落としの 腕前としてどうだったのか知らないが、適正なやり方とは思えない」などと書いているが、まぁこういう体験が実際にあったとして、少なくとも当時の彼は「サツってこういうものなんだよなー」と、したり顔で頷いていたのではないか。

もちろん「密室のことを記事にする術を当時は知らず」とかいって、当時の自分はウブだったんでナニもできませんでしたみたいにカマトトぶって誤魔化しているけれども、「こういう取り調べはおかしい」と思ったら、記事に書けないワケがない。もちろん実際に書いたら支局のデスクか何かから、「こういう記事は通せない」とかいってボツにされただろうが、少なくとも「書く」ことはできる。

ここからは推測になるが、つまり当時の彼は、先に書いたように、そういう高圧的な取り調べは全然問題ないと思っていたのだ。あるいは、良くないことだとは思ったが、そういう「ラディカル」なことを言うと上役に睨まれるから止めておこう、と思ったのだ。

もちろん天声人語子は「そんなことはない」というだろうが、そう言い張るには、この文章はあまりにも不自然過ぎるのである。逆にいえば、そういう疑念を与えるような文章しか書けないという時点でダメである。

とまれ、「自分だけを高みにおいて他者を批判する」という、天声人語特有の典型的語法がココにはみられる。どうだろうか、「昔のオレもサツ官が被疑者をドーカツするのは当然だと思ってました、スイマセン、アレは間違いでした」という風に「正直」に書いたほうがよほど説得力があると思うのだが。

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