2014年06月

朝日新聞にはひと月に一回であったか、「池上彰の新聞斜め読み」というコラムがあり、ジャーナリストの池上彰がちょっとした辛口新聞批評を書いている。けっこう朝日新聞への注文なども書いており、こういうのを続けているというのは朝日新聞も偉いところがあるなぁと常々思っている。

それはともかく、けさの「斜め読み」は、「都議会のセクハラヤジ 人権への感度問われる」と題して例のセクハラヤジ事件をめぐる報道を俎上にあげている。

まず、「事件」が起きたのは今月18日だったのだが、翌日の朝日新聞が全国版じゃなくて都内版に記事を載せたのをとらえて、こういう重要な問題を全国版で扱わなかったのは問題じゃネ?ということを言っている。フムフム、そりゃそうだと頷いて読んでいたのだが、続いてこんなことを書いている。

こういうときこそ新聞コラムの出番だと思うのです。愚かな野次、問題になっても名乗り出ない卑怯な議員、それを庇う都議会自民党。取り上げ方は、それこそコラム筆者の腕の見せどころです。

はい、全くその通りですな。で、毎日、読売は21日、日経は22日に一面コラムで取り上げた。しかし、肝心の「天声人語」はなかなか書かない。というわけで、池上コラムの後段は怒濤の展開である。

いつになったら取り上げるのだろうとやきもきしていたら、23日、野次を発した都議が名乗り出ました。名乗り出る前に取り上げることはなかったのです。この反応の鈍さは残念です。
   
で、そのあとやっと「天声人語」が書く。

発言の主が名乗り出てから、「天声人語」は24日付朝刊でようやく取り上げました。筆者が過去に目撃した自民党国会議員の地元事務所でのセクハラ行為についての話から書き出しています。筆者のセクハラに対する怒りがほとばしるような筆致が続きます。あまりにストレートな怒りで、コラムならではのひねりに乏しい気がしますが、これは望み過ぎかな。
  
この辺、「遅い上に出来もイマイチじゃねーか」と言っているわけですが、ツッコミはさらに続く。

この文章を読むと思います。これほどまでに重大なことだと考えるなら、なぜすぐに取り上げなかったのですか、と。
   
そして、最後にトドメ。

あまりに愚かな行為は、取り上げる気もなくなることがありますが、人権に関する感度が問われているのですよ。

実によくわかっていらっしゃる。

つまり、天声人語を書いている人間は、別にこんな問題どうでもいいと思っていて、しかし世の中が騒ぎ出したので「うむ、社会の木鐸としてはコレは何か書かねばなるまいッ」と突然閃いてしまい、で、本音ではどーでもいいと思いつつも、そこは流石にアタマのいい朝日新聞の記者であるから、もっともらしく「憤っている(フリをした)作文」を書いて、「ハイ一丁上がり!他紙よりちょっと遅れたが、義理は果たしたゼ」とかうそぶいているのではないか、そういうのではイカン、と池上氏は言っているワケである。

しかしそういう経緯をアカラサマに書くのは下品であるから、池上氏は婉曲に、しかしホントのことがわかるように皮肉をまじえてお上手にお書きになっているのだった。

というわけで、オレなんかがこんなところでいくら天声人語を批判してもノレンに腕押し、何の社会的影響もないわけだが、天下の池上彰にこんな指摘を受けたら、さすがの天声人語子も反省せざるを得ないのではないか。この機会に「その通りでございますジャーナリスト失格でした」とかいって筆を折ったらいいんじゃねーか。ま、そんなことするような良心があったら、とっくにやめてるか。


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で、このたびのセクハラヤジ問題である。

都議会で少子化問題について質問に立った「美人都議」に対して、議場で「お前が結婚しろ」とヤジを飛ばした自民党議員がようやく「自首」、いまフクロになっている、というのが現状である。

まぁポリティカルコレクトネスっつー点からいえば、セクハラヤジにはまったく弁護の余地がないのである。話をごく単純化していうなら「産む産まないは女の自由!勝手にさせろや」というのは、いまや一点非の打ち所のない完璧な正義なので、これに対して揶揄するようなことを言うのは野蛮人。それでオワリ。

まぁしかし、こういう状況に感慨を抱いてしまうようなところもあって、つまり「種の保存」(自己の遺伝子の保存、が正しいという説もあるが)なんて本能的なものは捨ててしまい、オレたちは「とにかく個々人の自由な生き方・尊厳を守るのが何より大事」とゆー文明を築き上げてしまったのだなぁ、というハナシだ。

どういうことかというと、もちろん政府が「ウン十年後の経済が回らなくなるので子供産んでネ」などと猫なで声で擦り寄ってくるというのは実に気持ちが悪く、オレが女だったら「死んでも産んでやるかい!」と反撥するだろうが、それはそれとして、基本的に「子供をもつ」というのは、どうしてもいくばくか自分の自由というものを犠牲にしないと立ちいかないところがある。もちろん、保育所を充実させればあんまり自由とか侵害しないで済むから、その線で手を打とうや、というのが今のポリティカルコレクトネスになってんだが、やはり原理的にいえば子供は個人の自由を奪う。「種の保存」なんてしらネーよ、子供なんて無理してまで産まねーよ、というのが今の文明のデフォになっている。

だから「環境さえ整えば、産みたくても産めない人が産んでくれるから子供は増える。だから保育所を整えましょうネ」みたいな、今んとこ「正しい」とされてる議論をオレは疑う。そりゃ短期的にはそういうコトになるかもしらんが、それにしてもいまの合計特殊出生率1.4が2ぐらいまで跳ね上がるなんてことはもう絶対ありえんわけだし、人間はキホン「個人を束縛するものはイヤ」という方向に文明の舵を切ってしまっているので、最終的には「いや、やっぱ子供いらんワ」という方向にズルズルと流れていくしかないのである。

だから、今回のセクハラ都議はマジ少子化問題を憂えてあんなことを言ってしまった、という(まぁほとんどありえない)仮定をしてみても、あんな風に嫌がらせめいたことをいうのは意味のないことであった。ほっとけばいいのである。保育所とか作ってほんの少し効果が出れば「良かった良かった」とかいってそれで満足してればいいのである。そういう道をワレワレは選んだのだから。以て瞑すべし、とゆーやつである。


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UFO研究家のジャック・ヴァレのファンを自認するオレにとって、彼が書いた小説『異星人情報局』の訳者であるSF評論家、礒部剛喜氏はとても気になる存在である。

何でかというと、こないだツイッターで畏友magonia00氏が触れていたので改めて思い出したことがあって、つまり礒部氏は『異星人情報局』の巻末解説でヴァレの事績を的確にまとめているンだが、それを読むと、彼はどうやら翻訳のプロセスでヴァレ本人とも接触されておられるようなのだった。

ネット上にお書きになったものを拝見しても、ヴァレに「UFO現象学」(これは UFO phenomenologyではなくて study of UFO phenomenon という意味のようだ)を学んだ、みたいなくだりがある。となると、彼は日本でもっとも良くヴァレを知る一人ではないだろーか。

皆さんご承知のように、ヴァレの邦訳書というと、単著としては先の小説のほかには『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』(ただしこの本での表記は「ヴァレー」)があるばかりで、しかもこっちは全訳ではない。この辺が隔靴掻痒で、オレなんかも及ばずながら地味に啓蒙活動(?)をしているンだが、そういう意味では、もっともっとヴァレを宣伝していただきたいッ!という思いがあるのだった。あるいはオレの知らんところでイロイロお書きなのかもしれないけど(あと、できれば翻訳本も出してほしい)。

ヴァレの仕事について論じている本としては、もちろん名著のほまれ高き稲生平太郎氏の『何かが空を飛んでいる』があるわけだが、「じゃあ実際にどんな人なんだろ?」みたいなところを語れる人は、日本にはあんまりいないハズなのだ。ヴァレの本を読むと、かつてはCBAの松村雄亮氏とも接触があったらしいが、そっちのラインが今も生きているとは考えにくいしネ。英語ならJeffrey Kripalの『Authors of the Impossible』という本がヴァレを論じている(らしい)が、英語不如意なオレはいまだに読めずにKindleに入れっぱなし、という個人的事情もある(笑)。

ま、もちろん商業ベースで「ヴァレ論」みたいな仕事が成り立つかどうかはなかなか微妙なのだろうが、いつかはそういうのをやっていただけないか。ま、こんな辺境ブログで書いた話がご当人に伝わるとも思えんが、とりあえずは一方的なラブコール。


大宅文庫の目録にみる円盤・宇宙人記事についての感想文3回目。今回は「むかしは新聞もそこそこ書いていた」という話である。

目録をザッとみると、もちろん「週刊朝日」「週刊読売」あたりは結構この手のネタを取り上げていて、まぁ新聞社系でも週刊誌なら当たり前という感じがあるわけだが、むかしは新聞本体のほうでもたま~に円盤ネタが登場していたことがわかる。

『空飛ぶ円盤の正体 米海軍苦心の秘密兵器』
(読売新聞1950年4月6日)

『世界の表情 空飛ぶ円盤 結局は自然現象か、スパイ説米空軍では否定』(朝日新聞1952年8月7日)

『北日本にも現れた、空飛ぶ円盤』(朝日新聞1953年2月9日)

『空とぶ円盤、空軍は資料公開せよ 民間団体、秘密主義に挑戦』(朝日新聞1964年8月16日夕刊)

「円盤?そんなものインチキだろ」というのが最近の新聞の最大公約数的スタンスだと思うのだが、このあたりの記事をみると、当時の新聞はけっこうマジメに円盤問題を考えていたフシがある。中には、こんな連載記事まであったようだ。

『連載 ユーフォロジーのあけぼの(上~下)"空飛ぶ円盤"世界の研究』(朝日新聞1959年6月10日~12日)

なんたって「ユーフォロジー」である。しかも連載! 何が書いてあるかは知らんが、少なくとも揶揄するような調子は全然感じられない。巷間聞くところによれば朝日新聞には円盤問題にとても詳しい方がいるというから、今だって円盤についての連載なんか書こうと思えばいくらでも書けると思うし、オレなんかもぜひ読みたいと思うのだが、ま、円盤じたいに元気がなくなってしまったとはいえ、なかなかそういう風にはならない。今は昔とゆーか、昔日の感を禁じ得ない。

再び一般紙がこういうネタを盛んに書くような時代が来るかといえば、ほとんど見込みはないのだろう。やはり円盤黄金時代というのは遠く去ってしまい、再び帰り来ることはないのだろう。そう思うと、オレなどはちょっと悲しくなってくるのだった。

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「大宅壮一文庫索引総目録」に載っていた「宇宙人、空飛ぶ円盤(UFO)」という項目を眺めての感想文パート2である。

さて、これはある意味予想通りで意外感は無いんだが、女性雑誌も円盤記事ではけっこう健闘していた。量的にもけっこう多いのだが、その特徴をひとつ挙げるとすると、女性誌は「私は宇宙人に胎児を奪われた」「宇宙人にレイプされた」みたいなセックス系の話にとーっても食いつきがヨイ。こんなのがあった。

『決定的写真を入手、人間は宇宙人と猿の混血だ』(「微笑」1976年9月11日号)

『未知の体験告白 私は宇宙人に妊娠テストされた!!』(「女性自身」1978年1月12日/19日合併号)

『驚愕! UFOが君の肉体をねらっている 私は宇宙人にレイプされた』(「女性セブン」1979年2月8日号)

『「私はUFOに連れ去られて宇宙人にレイプされた! 」アメリカ・サウスカロライナ州のリン・キャノンさん(21)』(「女性自身」1982年8月19日)


記憶が定かでないのだが、の手の話がアメリカでブレークしたのは1980年頃だったような気がする。だとすると、連中は間髪入れずにこういうネタに反応したことになる。女性誌が円盤を取り上げるのは基本「エログロ的猟奇趣味」からだというのがオレの仮説なのだが、そもそも「宇宙人に性的なことをされた、と言い出すのは精神的に不安定な立場にある寡婦が多い」みたいな、ある意味フェミニズムの方が激昂しそうな説もあるらしく、女性誌とこういう記事の親和度はもともと高いのかもしれん。なお、ここで言い添えておくが、この目録中で他に宇宙セックス系の話を載せてる雑誌は無かった。

ただし。 意外にというべきか、これで節目節目の事件を押さえてたりもするから、女性誌はあなどれンのである。

有名な「仁頃事件」については、「プレイボーイ」誌が手抜かりなく記事にしていたことを前回のエントリーで紹介したが、この事件のことは「女性自身」も1974年5月25日号『私は宇宙人に3度招待された! 月と木星に行ってきたと語る藤原由浩さん(28才)の体験は』で書いている。

それから、「女性自身」1974年7月18日号の

『私は宇宙人に誘拐され調べられた! アメリカ南部パスカグーラのチャーリー・ヒクソン氏の驚異の体験』

が取り上げているのは、今では世界的な古典的ケースとされる「パスカグーラ事件」(73年10月)である。これなんかは、なかなか先見の明があったと言ってよい。

もひとつ、「女性セブン」1976年3月3日号には

『現地ルポ「宇宙人に肩をたたかれた!」「車を引っ張られた!」と目撃者が続出!』


というのがある。ハッキリとは書いてないが、この「宇宙人に肩をたたかれた」というのは、たぶん国内の事件としては超メジャーな「甲府事件」(75年2月)のことであろう。これは推測になるが、その直前の「アサヒ芸能」1976年2月5日号が

『UFO接触事件詳報 宇宙人に肩をたたかれ腰を抜かした少年たち』

という記事を書いてるので、たぶんこれを読んだスタッフが「面白ェ!」といって甲府に急行したのではないか。まぁ事情はどうあれ、現地に行って取材したのはエライ。

日頃のオレは、「有名人の誰と誰がくっついた」だの「別れた」だの、そんな女性誌の興味本位の記事はドーデモいいと思ってくるクチであるが、こういう円盤話に限っては興味本位おおいに結構、よくやってくれました、という思いを禁じ得ない(もっとも実際に探して読んだら期待外れでガックリ、ということになるかもしれないから安心はできないw)。

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仕事の関係でちょっと調べものをする必要があり、先日「大宅壮一文庫索引総目録」というのを見ていたら、「件名編6」という巻に「宇宙人、空飛ぶ円盤(UFO)」という項目があった。仕事そっちのけで、しばし見入ってしまった。

ご承知のように大宅文庫というのは、かつて一世を風靡した評論家の大宅壮一氏が、とかく散逸しがちな雑誌記事を項目ごとにまとめて整理・保存した私設図書館で、今も世田谷・八幡山の松沢病院の近くにある。そのレファレンス用にこういう目録本まで作られているわけだが、円盤・宇宙人ネタの項目もちゃんと立てていたというのは、さすが世相風俗みたいなところまで幅広く目配りしていた一流評論家だけのことはある。

で、この「宇宙人、空飛ぶ円盤(UFO)」という項目にかんしていえば、1950年から1984年までの雑誌記事(一部新聞)のタイトルが載っていて、もちろんすべての雑誌記事をもれなく拾っているわけではないが、個人的には「おやまぁそうだったのか!」と思うような発見がいろいろあった。

まず、「プレイボーイ」は良い仕事をしていた、ということ。

これは週刊のほうの「プレイボーイ」だと思うのだが、けっこう円盤ネタを掲載しているのだった。リストの中で一番古いのは、

1973年5月1日号『危機!東京に空飛ぶ円盤が襲来!! 近郊に基地が・・・!?消防署員・警察官も確認したUFO』

であるが、74年5月14日号には、あの懐かしい

『"ボクは空飛ぶ円盤UFOに乗り宇宙人と対話した!!"  北見市、藤原由浩クンの「異常体験」』

というのが載っている。世に言う「仁頃事件」(74年4月)、例のタコみたいな宇宙人とのコンタクト事例ですナ。

さらに特筆すべきこととしては、この雑誌には「UFO学のガリレオ」こと、アレン・ハイネックがしばしば登場しているのである。見たところ計3本。

77年1月18/25日合併号『インタビュー 衝撃の巨弾シリーズVIPインタビュー・イン'77アメリカ UFO研究世界一の権威者(J・アレン・ハイネック)』

78年6月6日号『インタビュー J・アレン・ハイネック博士のUFO大講義 あの未知との遭遇のゼネラル・アドバイザーが語る現代のパラドックス』

79年2月20日号『対談 いま世界を覆うUFOフィーバー』(J・アレン・ハイネック/斉藤守弘)


ハイネックといってもそれまで一般の知名度はほとんどなかったと思うのだが、彼が一枚噛んだ映画「未知との遭遇」の公開が77年で、このあたりで企画の通りやすい環境が整ったのだろうが、それにしても3年連続で登場させたのはエライ。

また、この最後の記事では、対談相手に奇現象研究家として知られた斎藤守弘氏を配したものと見受けられる(目録には「斉藤」と書いてあったが誤植だろう)が、このあたりもなかなかユニークな編集センスである。

ちなみに念のためWikipediaで斎藤守弘氏の項目をみたら、「明らかに嘘、捏造である記事を、検証もしないまま書きまくり、オカルト・ブームに大きな影響を与えた」とか書いてあって、ついつい笑ってしまった。しかしそんなこと言い出したら、心霊モノのN・Tさんとか、もっとスゴイ方々がいっぱいいたような気もするぞ。あとWikipediaを見る限り、この斎藤氏はご存命でいらっしゃるようだ。

閑話休題。「プレイボーイ」に話を戻すと、このほかにも、

79年4月10日~5月1日号『連載 外宇宙からの帰還(レイモンド・E・ファウラー)』

なんて渋いのを載せている。けっこう通の編集者が「中の人」にいたものと推察される。

オカルト雑誌といえば月刊「ムー」、というのがお約束(ちなみにこの目録には出てこない)だが、「ムー」は1979年創刊というから、それ以前は「サブカル派生ネタとしての円盤」というものについて「プレイボーイ」はけっこう有力なメディアだったのではないだろうか。ネーちゃんのグラビアにはだいぶお世話になった記憶があるものの、オレも円盤系の事は全然覚えていなかった。しかし、そういうところはちゃんと再評価してあげたいものである。

(つづく。たぶん)
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