2015年06月

以前楽しみに読んでいた朝日新聞の連載「アロハで田植えしてみました」の続編を今朝の紙面でハッケン。

もともとのは「都会育ちの朝日新聞の一流記者が九州の田舎で田んぼ作りに挑戦してみました」という企画であったンだが、今度は「機械を使わないで田んぼをやってみましょう」というコンセプトであるらしい。

まったくもう、なんとゆーか全く必然性のないシチュエーションを設定して記者が右往左往するところを楽しんでいただきましょうという下心がミエミエであり、もはやこれは上島竜平的なリアクション芸の世界である。ま、オレも嫌いではないけど(笑)。

ともあれ、これでしばらく朝日新聞をめくる楽しみができたぞ。前に連載やってた時にもこのブログに書いたが、朝日新聞とゆーのは基本的に近代合理主義的な世界観(啓蒙的世界観といってもよい)に染まっているので、今回の記事が「何でそんなことをしなければならないのか全然意味不明の愚行」に記者が意味を見出していくようなストーリーになっていけば紙面にデッカイ風穴があく、ということにもなろう。今後に期待(筆者が体を壊して突然終了という可能性もあるので、そういうスリル含みのところも含めて)。
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信州人というと、よく「理屈っぽい」とか言われる。

まぁ何か引っ掛かることがあると、ひと言いわずにゃいられねェ、というヤツなのだが、その割にひと言いったら気が済んじまって、あんまり大事は成し遂げられない人々である、というのがオレの実感である。そう、オレも信州の産なのだよ(笑)。

閑話休題。最近、夫婦漫才で一世を風靡したミス・ワカナと玉松一郎が主人公の「おもろい女」という芝居がかかっているようだ。主演の藤山直美、だいぶ評判が良いようである。

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唐突に何でそんな話をしたかというと、実はオレの生まれ故郷に、このミス・ワカナにまつわるちょっとした逸話が残されているらしい。ここのサイトをみてもらいたいのだが、つまり戦前、人気沸騰のミス・ワカナがその田舎町に巡業にきた。おそらくこんなド田舎の営業なんてクソつまんないワとでも思っていたのだろう、えらく横柄な態度をとったのであるが、芝居小屋のオッサンの腹の虫はおさまらない。人気者だからって許せねえってことで、以来、「2人の公演は二度と県内では行われなかった」ンだそうだ。

大した話ではない。あるいはちょっと盛ってねえかという気がしないでもない。ただ、こういう話、やっぱそういうのが信州人だよなぁという気がする。オレもそんな町の産として、こんな逸話をちょっと誇らしく思っていたりする。






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このブログは、基本的に円盤関係の話などをベースにしつつ、ときおり朝日新聞の天声人語をくさして遊ぶ、というようなスタンスで細々とやってきたわけだが、そういう視点からすると、けさの天声人語は注目に値するものだった。なぜって、天声人語でUFOの話をしていたから。

そう、きょうは「UFOの日」。いうまでもなく、近代UFO伝説の起源となった1947年のケネス・アーノルドによる円盤目撃を記念した日である。ソコに引っかけてUFOにまつわるお話をひとつ書いてみました、というワケなんだが、しかし一読して、「コイツはどうしようもねえなあ」と思った。

あらかじめ全体のストーリーを説明しておこう。

天声人語子は、6月24日がUFOの日であると聞いて、詩人・入沢康夫の「未確認飛行物体」という詩を思い出した、という。で、この詩の冒頭部分をユーモラスな一節だとかいって紹介しておる。こんな書き出しである。

「未確認飛行物体」という愉快な一作が詩人の入沢康夫さんにある。〈薬罐だつて/空を飛ばないとはかぎらない〉と奇想天外に始まる。水のいっぱい入ったやかんが、夜ごと台所をぬけ出し、町や畑の上を〈心もち身をかしげて/一生けんめいに飛んで行く〉と続いていく▼きょうが「UFO(未確認飛行物体)の日」と聞いて、ユーモラスな一節が胸に浮かんだ。
 
ここで、ひとしきりUFOの日の説明をしたあと、話はチト別の方向に向かう。そういえば電波望遠鏡で宇宙からの電波を拾い、知的生命体を探すCETIって試みもあるようだ、もし地球外の生命体が存在するということになれば「人類を少しばかり謙虚にするだろうか」「母なる地球への感謝は深まるだろうか」。そんなことを天声人語子は言うのである。

で、最後は、また入沢の詩に話が戻っていく。シメはこんな文章だ。

冒頭で夜空を飛んでいったやかんは、〈砂漠のまん中に一輪咲いた淋しい花/大好きなその白い花に/水をみんなやつて戻つて来る〉と結ばれる。UFOの日の絵空事とは言わず、そんな優しさが地上に広まるといい。

さて、しかし一読してオレには、この天声人語がいったい何をいいたいのか、全然わかんなかった。かろうじて「地球外の知的生命体がみつかれば人類は少しは謙虚になるんではないか」という主張は読み取ることができた。

しかし、最後の「UFOの日の絵空事とは言わず、そんな優しさが地上に広まるといい。」というのが全く意味不明。さんざんアタマを捻って考えた結果、「UFOは絵空事なんだが、あんまりその辺は突き詰めないでいいから、宇宙のロマンみたいなものは大切にして温かく見守っていこうね」ということを言いたいのかしらと思った。が、しかし、それだと前段の「地球外の知的生命体がみつかれば」という話とうまくつながらない。

ということで、これはもう半ば想像するしかないのだが、結局この書き手の思考回路はこんな風に作動したのではないか、これなら非常に苦しいけれども何となく思考の跡がたどれるから、というストーリーを考えついた。


UFOなんてものは嘘っぱちである
 ↓
そんなものどうでもいい戯言なんで、「宇宙人」に興味があるならCETIで地道に宇宙からの電波を調べたほうがよっぽどいいよね
 ↓
だが、UFOというのも入沢康夫のポエムの源泉にもなったことだし、ま、いろいろ想像して楽しんでいる分には許してやるゼ


オレからみれば、これはかなりアクロバチックな論理である。読解至難なのも仕方ない。

いろいろ言いたいことがあるが、まず第一に「UFO≒宇宙人の話だ」というのが大前提になっているというのが気に入らん。そりゃ、国民の大多数はUFO≒矢追特番≒宇宙人、みたいな図式に毒されているので、そういう図式にはなから乗っかってしまうというのは、ま、商業新聞としては仕方がないのかもしれぬ。

しかし、このブログの愛読者(しかし本当にいるのかそんな人間はw)なら先刻ご承知のように、いまどきボルト&ナットの「宇宙人の乗り物としてのUFO」なんてものを信じ込んでいるようでは全然ダメであって、ある種の怪異譚の文脈でとらえねばUFOの本質はわからんだろうとオレは思う。ま、そんな事まで理解しろとはいわんが、ともかく「UFO→宇宙人の乗り物→ファンタジー→癒やし」みたいな、いかにも頭の悪い連想に自らを委ねてしまっている点でこのコラムは「ゲス」である。

第二に、このコラムでは、入沢康夫の詩を「UFOをテーマにした作品であるに違いない」と決めつけているようで、確かにタイトルこそ「未確認飛行物体」だが、詩というのはそんなに単純な解釈で「わかってしまう」ものであってはならないだろう。今回ネットで読んで知ったこの「未確認飛行物体」という詩であるが、オレからすると別にUFOなんてものとは別段関係のない心的世界を描いたもののように思えるし、少なくとも「UFO≒宇宙船」というような貧困なイメージとは全然違うところに立脚しているのは明らかだ。この辺からも、天声人語子の知的レベルというものがどうしようもなく浅いことが見えてしまうのである。せっかくだから、以下にこの詩の全文を改めて転載しておくか。



「未確認飛行物体」  入沢康夫

薬缶だって、
空を飛ばないとはかぎらない。
 
水のいっぱい入った薬缶が
夜ごと、こっそり台所をぬけ出し、
町の上を、
畑の上を、また、つぎの町の上を
心もち身をかしげて、
一生けんめいに飛んで行く。
 
天の河の下、渡りの雁の列の下、
人工衛星の弧の下を、
息せき切って、飛んで、飛んで、
(でももちろん、そんなに早かないんだ)
そのあげく、
砂漠のまん中に一輪咲いた淋しい花、
大好きなその白い花に、
水をみんなやって戻って来る。


というわけで、何もわかってないのに、うすボンヤリとした連想だけを頼りにこういうコラムを書いてはいけない、というのが今回の天声人語から得られる教訓である。





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というわけで、前回はジェローム・クラークの『The UFO Encyclopedia』に拠って、この「スワン/CIAコンタクト事件」の前史ともいうべきものをご紹介したのだが、今回はいよいよ「問題の1959年に何が起こったか」という話である。出典は、この事典の「SWAN/CIA CONTACT STORY」の項目ということになる。

 【真相その2


1959年の或る日のこと。海軍情報局(Office of Naval Intelligence;略称ONI)から連絡将校としてワシントンにあるCIAの写真情報センター(Photographic Intelligence Center;略称PIC)に出向していた海軍中佐のジュリアス・ラーセンは、スワン夫人に関するファイルを見つけて、こいつはいまどうなっているのか、フォローアップしてやろうと思い立つ。


つまり、ヴァレが仮名で「カーティス中佐」と呼んでいた人物の正体は、このジュリアス・ラーセンであったワケだ。ちなみに、彼もまたスピリチュアリズムにとても関心があり(!)、熱しやすいタイプの人物であったとクラークは書いている。前回のノウルズ提督もそうだったが、またまたこの手の話が大好きな軍人が登場してしまったワケである。しかし、そんな過去の書類ひっくり返して「調べてやろう」と言い出すとは、ホントこの人達はよほどヒマだったのだろうか。


1959年7月5日、ラーセン中佐は海軍のパイロット一人を伴ってノウルズ氏のところを訪問し、連れだってスワン夫人のところに話を聞きにいく。ここですっかり舞い上がってしまった中佐は、自ら自動書記を試みた。そこで出てきた相手方は、自らはAFFAであると名乗ったらしいのだが、スワン夫人、なかなかキビシイ人で、こんなことを言い放ったという。「これは私のところにくるAFFAじゃないわネ」。彼女はのちにこんな証言もしているらしい。「彼は何でも鵜呑みにしちゃったわ。ちょっと暴走しちゃったのネ」


チャネリングの「師匠」にあたるスワン夫人から、ちょっとあなたのは違うんじゃないの的なツッコミを受けたという話であるが、つまりこの大佐はかなり暗示にかかりやすいタイプであったということを言いたいのだろう。なお、他の資料では彼がスワン夫人を訪問したのは6月下旬などと書いているところが多いようだが、ここでは7月5日となっている。その次の日が、問題の7月6日。


翌日ワシントンに戻ったラーセンは、センターの長であるアーサー・ルンダールのもとに出向いた。彼もまたUFOや奇現象には興味をもっていることを知っていたのである。ルンダールは、海軍から出向中の副官、ロバート・ニーシャム少佐ともどもその話に耳を傾けた。ニーシャムもまたユタ・フィルムに対する海軍の分析にかかわっていた人物であり、いかほどかUFOについては知っていた。


この辺を読むと、いくらなんでもUFOとかスピリチュアリズムとかが好きな人がこんなにたくさん居て大丈夫なのか、と思う。もちろん前回も書いたように、軍人だって別に合理主義者ばっかりであるワケはないんだが、それにしても、という感じである。まあしかし、ここはクラークの言うことを信じるしかないので黙って先に進む。なお、ユタ・フィルムというのはUFO史上では有名な物件なので、興味のあるかたは勝手に調べてください(笑)。


その際、ルンダールとニーシャムは、ラーセンに宇宙人との交信をするよう促した。ラーセンは軽いトランス状態になり、声を出して質問を発した。彼が頭の中に答えを「聞いた」とき、彼はそれを書き付けた。この時あらわれた相手方は、前日同様、再びAFFAと名乗った。

さて、ニーシャムがAFFAに対して、姿をみせるか、それでなければ乗り物をみせてくれといったとき、ラーセンは突然筆を動かすのをやめて声を出した。「窓のところに行って」。ルンダールには何も変なものは見えなかった。が、ニーシャムは、フワフワしている雲の向こうに宇宙船がいると言い張った。何年ものち、ルンダールはUFO研究家のトッド・ゼッケルにこう語った。「私は宇宙船なりUFOなりといったものは一回も見ていないし、私の記憶している限り、ニーシャムも同じだったはずだ」

ニーシャムは、ワシントン国際空港のレーダーに連絡をとったところ、UFOがいるとおぼしき空域が「ブラックアウト」していると聞いた、とも主張した。が、この発言を裏づける他の証言は一切ない。


はい、このあたりが重要なポイントですね。「チャネリング中の会話と連動するかたちで円盤が出現した」というのがこの事件の生命線なのだが、これを読む限り、まぁチャネリング中の中佐の言うことは無視せざるを得ないのでほおっておくとすると、実は「円盤を見た」と言っているのはロバート・ニーシャム少佐ただ一人だったことになる。例のレーダーのブラックアウトという話も、彼一人がそう言っているだけで裏は取れていないようなのだ。


ルンダールはニーシャムに対して、プロジェクト・ブルーブックに連絡をとり、その長であるところのロバート・フレンド少佐に次回ワシントンに来た際にはPIC(写真情報センター)に顔を出すよう言っておくように、と命じた。ところがニーシャムはことのほか熱心で、フレンドにブリーフィングのために即刻来て欲しいと連絡した。フレンドは7月9日にやってきて、この一件について、いわば「ニーシャム・バージョン」の説明を聞いた。この場で行われたチャネリングでは、ラーセンはなんとかスペース・ピープルの言葉を受け取ることはできたのだが、宇宙船で空を飛んでくれという彼の要求ははねつけられた。


「それではUFOの専門家の話も聞いておこうか」的な流れで、フレンドをまじえた会議が7月9日に開かれたのだということがわかる。しかし、この辺を読むと、ニーシャム少佐が完全に暴走してしまい、9日の会議でも、本当にあったかどうかもわからないことを、さも事実であるかのようにまくしたてた、という図式が浮かび上がってくる。

いや、しかし、この会議に出ていた筈のルンダール氏は、自分はそんなものを見てないのだから、部下がそんな話をはじめたら「いやいや、実はそこのところはハッキリしていないのですよ」ぐらいのことを言うハズではないのか。実際に、フレンドも「本当にUFO目撃はあったのだ」というアタマでブルーブックに帰っていったワケなので、この辺はいささか不自然な気がする。ともかく、それからどうなったかというと――


ブルーブックの本拠地であるオハイオ州デイトンのライトパターソン空軍基地に戻ったフレンドは、メモを用意して、それを空軍航空技術情報センター(ATIC)の上官に渡した。この事件にかんして広がっていった伝説によるならば、このメモはのちのち「CIA文書」として知られていくことになる。上官から「連中が処理するだろうから、その件は忘れてよろしい」と言われたフレンドは、その後、この一件にはまったく関与しなかったという。

さて、世に知られていなかったこの一件は、歴史家のデイビッド・ジェイコブスがフレンドにインタビューした1972年になって明るみに出た。フレンドはジェイコブスに彼のノートを見せ、コピーすることも許したのだという。

次いでジェイコブスはこの出来事をドキュメント映画「UFO 現在・過去・未来」のプロデューサー&脚本家、つまりロバート・エメネガーに話し、その結果、エメネガーがフレンドに取材して同名の本を書いたことによって公になったのだという。ちなみに、のちにジェイコブス自身も自著「アメリカにおけるUFO論争」(1975)の中で、この話について論じている。


ここで、「CIAメモ」の話が出てくる。これはちょっと説明が必要な部分だろう。

実はエメネガーは、これまで述べてきた7月6日ならびに9日の出来事を詳細に記したメモを入手していて、それを基にしてこの事件のことを書いたらしい。そのメモの一部は本の中にも引用されている。ところが、ネタ元の秘匿ということなのだろう、エメネガーは「誰からメモを入手したか」については公表しなかった。おそらく推測が推測を呼び、このメモは「CIAが秘密裏に作成したものだ」という話になり、「CIAメモ」と呼ばれるようになってしまったらしい。

ちなみにこのエントリーの「前編」に引用した雑誌「Second Look」の1979年の記事も「CIAメモ」に触れていて、この書き手はルンダールだとしている。だが、このクラークの記述によれば、このメモはCIAならぬ、ブルーブックのフレンドの手で書かれたものである。つまり、7月9日の会合に出たフレンドがその場で語られたことを上官に報告するため作成したメモで、エメネガーから取材を受けた際に「こんな文書もあってネ」とかいってコッソリ渡しちまったんだが、おそらく守秘義務の関係とかで「あれはCIAメモじゃなくてオレが書いたヤツだ」とはあとから言い出せなくなっちまったのではないか。

こうした見方を裏付ける証拠もある。やはりこの事件について書いているヴァレがどこからその情報を得たのかというと、当時「プロジェクト・ブルーブック」の顧問をしていたアレン・ハイネックを通じて入手した文書が基になっているらしい。で、その文書というのは1959年7月、「ブルーブック」の長をしていたロバート・フレンドから見せてもらったオリジナルのメモを、ハイネックが手書きで書き写したものだという(この辺の話、どっかのサイトでチラ見した記憶があるがソース失念)。ネット上にはこのハイネックの手書きメモの画像も転がっていて、いささかよみにくいけれども、ザッとみたところ概ねエメネガーの本に転載されているメモと同一のようだ(つーか、このオリジナルメモをちゃんと読むべきなのだが、筆記体ということもあってよく読めない orz)

この間の経緯はよくわからんのだが、たぶんハイネックかヴァレの周辺から「え? あのメモって別にCIAが作ったものじゃないよ、フレンドが書いたのだよ」みたいな話が広まってしまったのではないか。ともあれ、クラークはこの事件に「ハクをつける」上で貢献してきた「CIAメモ」についても、その虚構性を指摘しているのである。

さてさて、こうみてくると、この奇っ怪な事件も意外に底の浅いものだったような気がしないでもない。


基本は、たまたま海軍関係でスピリチュアリズムや円盤が好きだという人々が、たまたま円盤チャネラーと出会ってしまい、その中に極めて暗示にかかりやすいラーセン中佐とか、あるいは幻視しやすいニーシャム少佐がたまたまいたことで話がもっともらしくなってしまった、という話であって、しかも「CIAが暗躍している」みたいな誤解を招きそうなもっともらしいメモなんかもあったものだから、一見したところの「信憑性」が高まってしまったのではないか。


・・・・ということで一件落着としても良いのだが、しかし。さっきも書いたように、本当にコレが真相であったのなら、責任ある立場のアーサー・ルンダール氏は「別にオレは円盤なんか見てねーし」と言い張っているのだから、7月9日の会議で「円盤が出現したのは事実」という流れになった時点で、ブレーキをかけないとおかしいのである。何かニーシャム少佐一人の暴走で話を済ませるわけにはいかないのである。

加えて、ルンダール氏は少なくとも「別に急がないけど、ブルーブックのフレンドにも来てくれるように声かけといてくれよ」的なことは言っていたようなのだが、そもそも自分自身が懐疑的であるならば、「空軍の人間も呼んでブリーフィングしよう」みたいな発想はなかなか出てこないのではないか。

何か釈然としないものが残る。「円盤はわかったと思ったときが一番危ない」らしいので、こういう不全感というものは大事にすべきであるのかもしれない。「真相編」などと言っておきながらこのザマであるけれども、まあ良しとしてくれ。本当は、この件に触れているというジェイコブスの『アメリカにおけるUFO論争』(邦題『全米UFO論争史』)にも目を通したいところであったが、どっかに隠れているし、また英語は面倒くさいというのもあってスルーした。杜撰きわまりないリサーチではあったが、とまれ、今回は以上で報告を終了する。(完)


追記

その後、『全米UFO論争史』の関連箇所をチェックしてみたが、あんまり詳しいことは書いてなかった。ただ、UFO目撃事件の場には「6人が出席していて、うち3人が目撃した」と書いているのは他の著作と違うところである。あと、会議後、フレンドが「デューク大学の超心理学研究所にこの将校と女性(注:つまりラーセンとスワンだろう)を調査させた方がよいと考えていた」というのも他にはない情報である。


さて、ではこの「スワン/CIAコンタクト事件」の真相はどうだったのか。今回は、前回予告しておいたように、ジェローム・クラークの『The UFO Encyclopedia』の記述をかいつまんで紹介していこうと思ったのだが、実は、ここには「1959年以前の前史」ともいうべき出来事もいろいろ書かれている。

ということで今回は「後編Part1」とし、問題の事件が起こるまで、つまり「1959年」が来るまでの前振りの部分をクラークに拠ってご紹介していこうと思う。


 【真相その1


メイン州サウス・バーウィックに住むフランシス・スワン夫人は、もともと心霊現象などが大好きな女性だった。そんな彼女が、1954年4月30日午後5時、何故か突然、或る文章を書き留めねばならぬという衝動に襲われた。それは「我々はやってきた EUの平和を保たんがために 怖れることはない」という文章だった。


念のためだが、ここで「EU」と言っているのは勿論「欧州連合」のことではなく、宇宙人の言葉で「地球」のことを指すらしい(前回のエントリーを参照のこと)。


その3日後、自動書記によるメッセージが来た。その相手はAffaと名乗り、自分は天王星から飛来した宇宙船の中でこの交信をしている、と告げた。こののちチャネリングに登場したのはAffaだけではなく、「諸惑星宇宙連合」を代表すると称して冥王星のPonnar、水星のAlomarといった面々も現れた。スワン夫人に聞こえてくる「耳を突き刺すような音」が、チャネリングを始めるぞという彼らからの合図だったという。

5月18日、Affaは彼女に対して、海軍に手紙を出すように言った。海軍との間で電波によるコミュニケーションを取ってみたい、というのだった。そこで彼女は、隣人のノウルズ夫妻――退役した元海軍提督のことを思い出した。手紙より手っ取り早い、ということだったのだろう、彼女はさっそくその話をしにいった。


勿論いきなりそんな話をするのは如何なものかと思うところだが、スワン夫人にしてみれば、ノウルズ氏なら、おそらく耳を傾けてくれるであろうという見込みがあったのだろう。というのも実はこのノウルズ氏、UFOに興味をもっていて、のちに米国の有力UFO研究団体であったNICAPに加盟したという人物である。たぶんそのあたりの雰囲気は、スワン夫人も聞き知っていたに違いない。


さて、話を聞いたノウルズ夫妻であるが、スワン夫人が本気でしゃべっていることはわかった。しかし、そこはやっぱり半信半疑である。そこでスワン夫人は、「5月26日午後1時12分にスワン夫人の家に姿をみせます」というAffaの言葉を伝えた。否む理由はない。一行はその時を待った。が、Affaは現れなかった。

ノウルズ氏の回想によれば、スワン夫人はその時、ひどくいらついていたようだ。それはそうだろう、彼女は、何も起きなければ全部忘れていいわよ、と大見得を切っていたようなのだ。午後1時25分になったところで、スワン夫人は自動書記でこんな文章を書き出した。「約束した時間にいけずに本当にすみません」

ただ、すっぽかしはあったけれども、ノウルズ氏は用意していた質問をAffaに幾つか投げかけてみた。その際のスワン夫人をみていると、ためらったり考え込んだり困惑したりする風は全くなく、スラスラと返事を書いていた。そうノウルズ氏は回想している。

その翌日、ノウルズは海軍情報局(Office of Naval Intelligence;略称ONI)の長であったC・F・エスプ海軍少将に手紙を書いた。その際、Affaの提案――つまり海軍情報局からCMM-306の周波数帯で「M4 M4 A F F A」という信号を繰り返し発信し、Affaとの連絡を試みるように、という提案も併せて伝えておいた。ところが返事が来ない。そこで6月6日、改めて手紙を出して、こんなことを書いた。「こうしたメッセージはホンモノです。これらはみんなスワン夫人の想像の産物だというのですか?」


Affaにすっぽかされたにも関わらず、ノウルズ氏はすっかりスワン夫人を信じ切っていたことがわかる。「無学なオバサン」とでも思っていた隣人がトランス状態に入るや表情を一変させ、自身満々に語り出したので、その豹変ぶりに幻惑されてしまったのかもしれない。

ちょっと余談になるけれども、一般に「軍人は――とりわけ精神論だけじゃ通用しない海軍軍人は――合理主義者でアル」みたいなイメージが何となくあって、おそらくこれは司馬遼太郎の『坂の上の雲』で描かれた秋山真之のイメージが刷り込まれてしまったせいではないかと睨んでいるんだが、この真之にしてからが晩年は「心霊」に夢中になってしまった(別にそれが悪いと言ってるわけではない)。しかし実際には軍人だって超常にハマるのである。


6月8日、海軍情報局の2人の将官、すなわちジョン・ブロムリーとハリー・バルタッツィがスワン夫人を訪ね、彼女を通じてAffaと話をした。Affaはその姿を現すことは拒んだものの、10日午後2時に無線連絡を取るという話には同意した。が、やはりこの時も何の通信も送られてはこなかった。7月8日、エスペ少将はノウルズ氏にたいして「海軍情報局はもうこの件には関わらない」と手紙を書き送った。

さて、ノウルズ氏からの手紙は海軍航空学局 Bureau of Aeronautics に引き渡された。するとここで保安担当をしていたジョン・ハトソンという将校がこれを見てこの一件に興味を示し、ノウルズ氏と連絡を取るところとなった。彼はノウルズ氏に招かれて、7月24日、メイン州に赴き、2日間その家に滞在した。

ワシントンに帰ったハトソンは、自らの訪問体験についてFBIに報告を上げた。7月29日にはFBIのエージェントがハトソンにインタビューをし、8月9日にはそのインタビューの内容がエドガー・フーバー長官から空軍特別調査部に送付された。フーバーが付したメモにはこうあった。「本件に関して当部局はさらなる対応は一切とらない」。

かくて、こうした出来事は忘れ去られる。それが再び注目されたのは5年後の1959年のことであった。


という顛末なのである。で、これは別に本筋とは関係ないが、ここで一言いっておきたいことがある。ここに書かれている、海軍のエライ人に手紙を再三送りつけるようなノウルズ提督の行動というのは、何だかオレにはとても痛々しいものに映る。

そりゃ、昔は偉かったんだろうが、すでに退役した身である。昔の後輩たちに向かって、あれこれ指図がましいことをするというのはどうなのか。

会社で栄達を遂げた人間が「オレサマ」気分の抜けないまま退職する。しかし地域社会とは全然かかわってこなかったから、誰も尊敬なんかしてくれない。しょうがないので事あるごとにかつての部下に電話か何かして「アドバイス」して、「あぁオレってやっぱり偉かった」とかいって安心する――こういう話は、会社人間の末路としてしばしば見聞きするところである。

が、そこでお相手をしなければならないかつての部下たちは「老害だなー」「いつまで上司風ふかせてんだよ」といって陰でボロクソ言ってるのである。人生はそういうものであり、それだけに人間は晩節を汚さないようによくよく注意せねばならない。ノウルズ提督もそんなことをしたばっかりに、その50年後、見も知らぬ日本人のオッサンにこんなことを書かれてしまうのである(笑)。

いや、円盤とは全然関係ない話になってしまったけれども、ともかく、ここでとりあえずの中締めをしておこう。

ひとつ言えるのは、「スワン夫人にしてもノウルズ氏にしても、もともとスピリチュアル・オカルト的なモノに関心をもっていた」ということ。この事案は「当局が調査に着手したものの、スジの悪さから途中で放り投げてしまったものだった」ということ。そういう予備知識を頭に入れて1959年の件を見直すとどうなるか。次回は完結編(笑)になるので、円盤ファンの方々は今しばし俟たれたい(笑)。


「ジャック・ヴァレの本を読みながらそこに登場する興味深い円盤事件を紹介するシリーズ」(笑)であるが、今回は「スワン/CIAコンタクト事件」を取り上げてみよう(事件の呼称については「定番」的なものがないようだが、とりあえずということで)。

これはヴァレの『見えない大学  The Invisible College』第3章に出てくる事件なのだが、一言でいうと、1959年、こともあろうに米海軍の軍人が「チャネラー」になってしまい、そのチャネリング相手に言われるがままに窓の外をみた軍人たちが本当に円盤を目撃してしまう――という前代未聞の事件である。そういえばこの事件、大昔に読んだけれども今は行方不明のロバート・エメネガー『UFO大襲来』(これは1975年刊にKKベストセラーズから出た邦訳書名。原著は1974年刊の『UFOs: Past, Present, and Future』)にも書いてあったことを思いだし、今回古本屋から改めて1円で購入してみた。

ただ、念のためジェローム・クラークの『The UFO Encyclopedia』を開いて「SWAN/CIA CONTACT STORY」という項目を読んでみると、ヴァレやエメネガーが書いているのとかなりニュアンスが違っていて、彼は何となく捏造されたストーリーであるようなことを匂わせておる。どうなってんだYOという気がするけれども、とりあえず以下ではまずヴァレ&エメネガーの書いている話をご紹介し、そのあとでジェローム・クラークの言い分をチェックしてみることにしよう。あんまり好きではないけれども、「と学会」式の「伝説」と「真相」スタイルだナ(笑)。


【伝説】


*その内容についてはヴァレとエメネガーで若干の異同があるが、以下の記述は2人の著作をベースに、ネット上でみかけた「The Day the Navy Established ‘Contact’」なる記事(出典は「Second Look Magazine May 1979」とあって、雑誌「Second Look」が掲載した記事のようだ 。著者はJay Gourley)を適宜参考にしている。


■1959年6月下旬@メイン州サウス・バーウィック

米海軍情報局の将校2人が、米メイン州サウス・バーウィックに住むフランソワ・スワン夫人のもとを訪れた。というのは、当時メイン州に住んでいた或る退役将校(海軍の提督であったという)から、「ある女性が宇宙人とおぼしき存在とチャネリングをしている」との情報が海軍に寄せられたからである。

実際に当地に赴いて面会をした将校2人は、この女性についてはカナダ当局が既に綿密な調査をしていた事を知る(注:なぜ米国の市民をカナダが調査したのかはよくわからないが、とりあえずメイン州はカナダ国境に面した州ではある)。彼女はいわゆる自動書記のかたちで「宇宙人」からのメッセージを受け取っていたのだが、ともかく2人はトランス状態に入ったスワン夫人を通じて、チャネリングの実験をしてみた。その宇宙人は「天王星のAFFA」と名乗ったようで、2人が「天王星の一日の長さ」「木星の遠日点における太陽との距離」といった、学歴や生育歴からみて彼女が知っている筈のない質問をしたところ、正答が返ってきたことに驚いたという(もっとも彼女に「天王星人とのチャネリング」をしているという自覚があれば、このあたりは自ら調べていた可能性はあるだろう)。エメネガーによると、彼ら宇宙人の面々は「OEEV」(諸惑星宇宙連合の意)を構成し、「EU」ないしは「EUENZA」(地球の意)という名のプロジェクトに取り組んでいるのだ――といった話を聞かされたという。

さて、このチャネリングの最後で、彼女は訪れた2人の将校のうちの1人(ヴァレは「カーティス中佐」という仮名を用いている。以下、それに従う)に「あなたもチャネリングを試みてみたらどうか」と勧めた(あるいは「憑依した宇宙人」が促したのかもしれない。エメネガーはそう理解しているようだ)。実際にカーティス中佐はチャネリングを試みた。が、その時はうまくいかなかった。


■1959年7月6日@ワシントンDC

このような経験をしてワシントンDCに戻ってきたカーティス中佐は、この日、CIAのオフィスで再度チャネリングの実験を試みる。ちなみにその場所は、米国写真解析センターとでも呼ぶのだろうか、CIA所管のNational Photographic Interpretation Center (NPIC) のオフィスであったようだ。同席したのは2人(一人は海軍の情報将校。もう一人は文民の情報官――場所からいってもおそらくはCIAの職員――だったという)。このたびの自動書記は成功し、「AFFA」が現れた。その際、次のような問答がなされた。

Q.「あなたは特定の政府、宗教、グループ、民族に肩入れしようとしているのですか?」
A.「いいえ(AFFAと署名する)」
Q.「第三次世界大戦は起きるでしょうか?」
A.「いいえ(AFFAと署名する)」
Q.「カトリックの信者は選ばれし民なのですか?」
A.「いいえ(AFFAと署名する)」
Q.「我々は宇宙船、というか空飛ぶ円盤を見ることができるでしょうか?」
A.「いつ見たいのですか?」
Q.「いますぐ見られますか?」
A.「窓のところに行きなさい」

そこで3人が窓際に行くと、実際に「空飛ぶ円盤」が飛んでいるのが見えた。すぐさまレーダー基地に電話をしてみたところ、その空域ではレーダー波の反射が探知できなくなっているが原因は不明、との返事が返ってきた。この目撃があったのは午後2時のことだった。こののち、「プロジェクト・ブルーブック」のロバート・フレンド少佐(当時)にワシントンDCに出向くよう連絡が入る。


■7月9日@ワシントンDC

ロバート・フレンドはこの日、まさに3日前の出来事が起きたのと同じオフィスに赴いた(ちなみに「ブルーブック」が置かれていたのはオハイオ州のライトパターソン空軍基地である)。そのミーティングに列席したのは海軍将校や文民の情報官(CIAの職員?)たちで計7人。その中には問題のカーティス中佐もいた(フレンドが呼ばれたのは、このたびの出来事の当事者が海軍の情報将校であるという重大性に鑑み、専門家としての意見を求められてのことであったようだ)。

スワン夫人のコンタクトとか、6日の円盤事件の話とか、それまでの事態の進展について説明を受けたのち、フレンドは、その場でカーティス中佐にAFFAとのチャネリングを試みるよう提案してみた。この時は「今は好ましくない。ただし、出席者に反対しているわけではない」といった返答が返ってきただけで、首尾良い結果は得られなかった。

フレンドとカーティスはその翌日、一連の事例についてのファイルを保管している海軍情報局(ONI)のオフィスに出向き、記録を調べた。そこには、スワン夫人とのチャネリングに現れた「宇宙人」として、「天王星のAFFA」「木星のCRILL」「水星のALOMAR」「水星のPONNAR」「ケンタウルス座からきたANKAR」といった名前が記されていたという。

こののちライトパターソン空軍基地に帰還したフレンドは、上官に報告書を提出。これに対しては「他の政府機関が調査している限り、ブルーブックとしては無関係でいい」との指示があったという(エメネガーによる)。



【インターミッション】

という話なのだが、ここで補足的に利用させて頂いた記事「The Day the Navy Established ‘Contact’」は、ザッと読んだがなかなか面白いことが書いてある。これは1979年の雑誌記事のようなので事件から20年後に書かれたものということになるが、実は話はそんなに単純じゃないかもしれない、ということを示唆している。ともあれ、そのアウトラインを以下に紹介。



もともとの情報を海軍に寄せた元提督というのは、H・B・ノウルズという人物であった。メイン州サウス・バーウィックにそのような名で該当する人物はたった一人しかいなかったのである。彼はこの時点で亡くなっていたが、ノウルズ夫人は存命だった。彼女はスワン夫人を知っていて、そのチャネリングを本物だと信じていたようだったが、亡夫は「全部が全部、信じこむこともあるまい」と言っていたそうだ。

肝心のスワン夫人も存命であった。彼女は米軍の情報機関からいろいろ話すなと言われていたが、この「Second Look」という雑誌の記者を情報機関の人間と勘違いしていろいろしゃべってしまった、と書いてある。彼女によると、その宇宙人の中には、人間を「危険な断層」(dangerous geological faults と言ってるから直訳するとこうなるが、つまり地震のことであろうか)から守るために太陽系をパトロールしているイイヤツもいるが、地球を植民地化しようというワルイヤツもいる、と言っている(「諸惑星宇宙連合」で連中はつるんでいるんではなかったのか、と思うがそこはよくわからない)。

それから彼女は、宇宙人とコンタクトをとったばっかりにキャリアを台無しにしてしまった海軍の士官から最近手紙を受け取った、他の人間はこういうチャネリングに手を出してはいけないのだ、といったことも語っている。これは先のカーティス中佐が、信用を失って酷い目にあったことを暗示しているようでもある。

さて、ここで記事は若干話の方向を変える。この事件には信ずるに足る重要な証拠があるというのである。それはエメネガーが入手した「CIA文書」で、そこには先に示したような「宇宙人」の名前やその組織、さらには7月6日の一件などが細大漏らさず記されている。そして、その書き手は7月6日のコンタクト現場、そして9日のミーティングにも列席していた文民の情報官=CIA職員であり、エメネガー自身、その人物に会ったことがあるというのである。

そのCIA職員の名前をエメネガーは明かしていない。しかし、取材によってその「文民」の身元は明らかになっている。7月6日の時点で存在を秘匿されていたCIAフォトセンターに所属していたアーサー・ルンダールである(ちなみに彼はトレモントンの円盤事件で映像分析に携わった人物である)。

もっともルンダールは、7月6日に円盤など見ていないし、エメネガーのいうようなメモについての記憶はないと言っている。フレンドが出席した会合でも、UFOが目撃されたという話は出ていないし、例の海軍中佐はトランス状態になどならなかった等々、その主張はフレンドやエネメガーと真っ向から対立している。

一方、ルンダールは、7月6日の現場にいたもう一人は、当時CIAに配置されていた海軍の写真分析官であるロバート・ニーシャム(その時点では消息不明だったようす)だが、やはり円盤など見ていないという点では一致をみたと主張している。



如何だろう。これを読むと、また印象が変わってくるのではないか。全く食い違う証言。怪しげな人物の登場。謎のメモ。そう、漂ってくるのは陰謀の香りである――そういえば、この「Second Look」の記事の末尾には、Grant Cameronによる追記というのが付されていて、そういう意味でいうと実にこれが意味深長である。

曰く、研究家のトッド・ゼッケルによると、ルンダールの自宅にはゼッケルが見たことがないほど大量のUFO本の蔵書があった。さらにはCIA筋からは「彼はUFO問題について3人の大統領にブリーフィングをした経歴がある」という情報も寄せられたというのである。

で、オレも少し調べてみたが、このルンダールは単なる技術屋サンではなく、CIAでも相当力をもっていて、キューバ危機のときなんかもだいぶ活躍した名高い人物であったらしい――何となく怪しい雰囲気が漂ってくるではないか。

が、しかし、やはり陰謀論は筋がよろしくない。もう少し見通しの良いジェローム・クラークの議論を「真相」(なのか?)として書く予定であったが、流石に疲れ果ててしまった。それはまた折をみてアップすることにしよう。しばし待たれよ。






以前、木曽御嶽山の神隠しの話を書いたのであるが、松谷みよ子「現代民話考Ⅰ」をめくっていて、その出所となったとおぼしき箇所をみつけたので以下に再録する(原文にはない改行を適宜入れた)。


*長野県木曽御嶽山。御嶽山は山岳信仰の聖地だが、昔は行者だけが登っていた山である。山頂の一の池、二の池、賽の河原、三の池の谷間からは突然霧がわき、古来不思議が多く、三年ごとに起こるという。

本年(昭和五十四年)七月十五日午前四時、由比さんは御嶽神社へツアーの一行と参拝に出掛けた。参拝を終えて六時、王滝口頂上山花へ戻り食事となったが、一人分朝食があまったので一人いないことがわかり調べたところ、由比ヒデオさんと判った。それから四時間探したが見つからず、夕方七時神戸へ帰ってツアーは解散した。添乗員も下山して由比さん宅へ連絡したが戻っていないので大さわぎとなった。

次の日から四日間、延百二十名の人が地獄谷からナカマタ沢と目の届く所危険をおかしすべて調べたか見つからない。山頂から宿舎まではわずか一キロで難所もない。宿舎には孫への土産を入れたバッグが残っていた。家人の話ではどこへ行ってもきちんと連絡を入れる人だったという。

ところが四日目の七月十九日、五十八歳の老人(神戸参詣団体の一員)がまた消えた。三の池で御神水を汲んで頂上へむかい岩陰にかくれ、そのまま見えなくなった。近くには隠れるところも危いところもない。日数かけて捜索したがいない。神かくしかと言われた。

三年前の十一月、学生のリーダーがみんなの後をぴったりついて唱え言葉をかけながら登っていたが、突然声が聞こえなくなった。仲間が振りむくと、リーダーの姿はもうなかったという。同じ所で行方を断った人もあったが、その人は三か月後発見された。

この山には死霊がさ迷っているといわれ、怪奇のあるときは賽の河原からうめき声がするという。強力の児野忠雄さんは霧の中に巨人(ブロッケン現象)がいてもう一つの足音が聞こえ、幽界とのドアの次元の違う所に入ってしまい、これが神かくしではないかという。行者は由比さんは死霊にひかれて死んだといい、あのあたりとさしたが由比さんはいなかった。
 放送・唱和五十四年九月二十七日放映、東京テレビ「ミステリーゾーン」より。

 ――松谷みよ子「現代民話考Ⅰ」(2003年、ちくま文庫、448~450頁)


つまり、元来は東京テレビ、とゆーかテレビ東京のオカルト番組で語られた話であったらしい。テレビ屋さんというのは「作ってしまう」人種だと思っているので、こうなるとちょっと眉に唾をつけてかからねばならないような気がするが、ともかく行方不明事件があり、何らかの怪異と関連づけて語る人がいた――というのは確かなことのように思われる。






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PC用デスクのため以前「島忠」で買うた一見高機能風ハイバック・チェアがへたってきたので、中古のOAチェアを購入。

ネットで調べた結果、ビジネスユース用のOAチェアのほうが(実名を出して悪いけれども)ニトリあたりで売ってる安いヤツよりよほどシッカリしていて良いということがわかり、その中でも比較的安いけれどもまず間違いない商品として各方面で評価を得ているイトーキの「プラオ」(ハイバック・可動肘付き)というのを買うことにした。

ネットでは1万5000円ぐらいで買えるようなことが書いてあったが、最近は需要が多いのだろうか、結局送料コミ2万円ほどで通販で購入。

中古にしてはキレイだし、ガスダンパーなども特にへたっている様子はない。納得のショッピングであった。




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前回は読売新聞に載ったロスウエル事件(笑)の記事を紹介したわけであるが、これに先立つ円盤記事――たぶんケネス・アーノルド事件の記事があるんじゃねーかということで、そのちょっと前の読売新聞を探索してみた。

結果、それらしいのは見あたらなかったンだが、こんな記事を発見した。1947年7月8日の読売新聞朝刊2面。見出しは2段である。


飛び行く「発光円盤」の編隊 月世界に送るレーダーか 米國の話題

【サンフランシスコ六日発AP】(共同)空高く飛んで行く円盤のようなものを見たという報道はアメリカ各地から傳えられ六月廿五日以来その目撃者は卅三州にわたり数百名に達しているが五日夜カナダのオンタリオ西南部の住民中に大きな弧を描いて光を放ちながら飛んで行く円盤の二大編隊を見たというものが多数現われ、話はますゝ大きくなるに至つた
 一名飛び行くコーヒー皿ともいわれるこの怪現象についてほとんど一致していることは恐しく早く明るい光を放ち、形は円形または卵形で平べつたく特殊な波動を伴つて飛んで行くという点であるが、大きさについては色々な意見がある

なおこの現象についてノースウエスターン大学のオリヴアー・リー博士は
『われわれは陸海軍がわれわれの知らない色々な研究をしていることに氣付いているが、飛び行く円盤も戦争中の偉大な技術的成果の一つで極秘のうちに完成された月世界に送られるレーダーのようなものではあるまいか』



おそらく読売における戦後最初の円盤記事がこれで、本当なら6月24日のケネス・アーノルド事件からちゃんと報じて欲しかったのだが、当時はそれが後代にまで名を残す大事件になるとは誰も知らなかったので、そこはないものねだりだというものだろう。

かくてここでは6月25日以降の展開をまとめるような記事がイキナリ登場したかたちになっているが、「飛び行くコーヒー皿」とか書いてるトコロは、当然アーノルド事件が生み出した「フライング・ソーサー」という言葉のことを踏まえているワケで、この記事にも見えないところでアーノルド事件が影を投げかけている。

あと、「ノースウエスターン大学のオリヴアー・リー博士」のコメントを読むと、この頃の状況からすれば「円盤=軍の秘密兵器」的な発想は至極自然だったんだろうなーというのがなんとなくワカル。ドナルド・キーホーが登場する前は意外とそんなもんだったのかもしれない。

が、しかし、ここで「円盤というのは月世界に送られるレーダーではないか」と言ってるのはいったい何なのか。オリヴアー・リー博士も、いきなりの取材で動転してしまったのであろうか。こういうワケわかんない説明で困惑してしまった読者が、のちのち「あれって宇宙船だから」とゆー至極わかりやすい説明を受けて「ナルホド」と思ってしまったとすれば、その罪は重いぞリー博士。

というわけで、読売新聞はこんな感じだったけれども、当時の朝日新聞とか毎日新聞なんかはどうだったんであろうか。好事家のみなさんには是非図書館に行って調べてきて頂きたいものである。(おわり)


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