2017年03月

ちょっと前の話になるが、国会図書館に行く用事があったついでに、むかし刊行されていた雑誌「UFOと宇宙」のバックナンバーを少し閲覧(&コピー)してきた。

知らない人に説明すると、この雑誌は確か1970年代ぐらいから刊行されていたUFO雑誌で、そのスジでは相当に有名である。

まぁオレも当時からUFOには興味があって、80年代だったか、「ちょっと勉強してみようかなー」と思ったのであったが、「日本のUFO雑誌って結局翻訳でヨコのものをタテにしてるだけじゃん」みたいな生意気な事を考えておりまして(笑)こういう雑誌は全然読もうと思わなかった。

そのかわりに、というと偉そうだが、「Flyng Saucer Review」とか「MUFON UFO Journal」とかを(一時的にではあったけれども)購読しておった。何で知ったのか記憶が定かでないが、客観的スタンスで斯界では評価の高かったジェイコブスの『The Ufo Controversy in America』(当時は邦訳はなかったのだ)とか、ソーントン・ペイジとカール・セーガン編の『UFO's: A Scientific Debate』とかを紀伊国屋かどっかで注文したのもこの頃であったような気がする(言わずもがなだが、当時はインターネットなんかなかったので、洋書は本屋さんで注文した)。

が、しかし。結局のところ英語力があまりにプアなため、本とかはいちおう目を通したけれどもあんまりアタマに残らなかった(唯一、ジェイコブスが19世紀末の飛行船騒動に触れてて、あれまぁそういうのもあったのかと驚いた記憶はある)。定期購読した雑誌もちゃんと読めずに積ん読状態になった。勉強もクソもなかった。…偉そうなことを言ってすみませんでした。

さて、そのうち仕事も忙しくなってUFOの方とは「断絶」してしまったンだが、そのうちUFO愛好家の皆さんが作る「Spファイル友の会」という組織ができて、そこが出した「Spファイル」という同人雑誌を読んだ。で、「なんかいいなぁ」と思っているうちに、何となくまたUFOワールドに舞い戻ることになった。ジャック・ヴァレの勝手連的エヴァンジェリストとか始めて今日に至る。振り返り見れば、そんなUFO人生であった。

というわけで、誰も聞きたかぁない自分語りなど始めてしまったために、だいぶ前フリが長くなってしまった。以下本題。

全然読んでなかった「UFOと宇宙」であるが、改めてジャック・ヴァレの日本における受容史など調べているうちに、この雑誌では1980年にちゃんとヴァレにインタビューをしてたりすることがわかった。けっこう侮れんじゃないかということで、その辺の記事を見に行ったのであるが、パラパラめくっていて「あ、こりゃ面白えわ」と思ったのが、今回のエントリーの表題にしておる「日本のUFO研究家50人」という記事であった(1979年9月号)。

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この9月号がちょうど創刊50号だったので、それに引っ掛けて研究家50人を紹介するという企画であるが、その顔ぶれが面白い。

当然、この世界の有名人がけっこう出てくる。荒井欣一、秋山真人、久保田八郎、斎藤守弘、志水一夫、高梨純一、清家新一、中岡俊哉、橋本健、韮沢潤一郎、並木伸一郎、平野威馬雄、南山宏、矢追純一、藤木文彦・・・というわけでキリがないのでやめるけれども、なお現役の方々と並んで、亡くなった方もかなりいて、なんか時代を感じる。

だが、よくよく記事を眺めていると、そうした感慨とはいささか別の思いも兆してくるのだった。

この50人の中には、オレが半可通のせいもあるんだろうが、よく知らん人がけっこういる。ま、商業ベースで食っていけるUFO研究家なんてそんなにいねえのは仕方ないことで、忘れられてく人が出てくるのは仕方ないことである。あるんだが、ただ、じゃ、この忘れられた人たちはいま何やってんだろうなあ、みたいなことをふと考えちゃったりする。

UFOだなんだって面白がってるだけじゃメシは食えない。生活を成り立たせるのが優先で、いつのまにかこの世界と離れちまった人も多いんじゃないか、と思う。がしかし、一方で、UFOの魔力ってのはけっこう強力なんで、世の中から見放されても、石にかじりついて「UFO道」を歩んでるしぶとい人もいるんじゃねーかと思ったりもする。

それはそれでまたスゴイドラマだったんじゃねーか、そういう「忘れられた」人たちの後半生とかをきっちり取材してノンフィクションとか書いたら面白いんじゃねーか、とすら思う。意外とUFOそのものよりも面白いテーマになるんじゃねーか。沢木耕太郎とか書いてくれんだろうか。ま、書かんだろうけど(笑)。


最後に何だか面白そうな人の記事を貼っておく。「もう足を洗った。UFOは黒歴史なんだよ!」とかいって怒る人がいないとも限らんので、いささか不本意であるが、お名前と目のところは黒くさせて頂きました(いや、意外と「オレ現役なんだよっ! 知らんのか失礼だなー」と怒られたりする可能性もないではないが)


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本筋とは関係ないが「SEXが趣味」なのか。「そこに痺れる憧れる~」的なものがある


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「ブルジョワ・ヒューマニズムに堕せる現代のUFO運動」ってフレーズ、何だかよく意味がわからないがかっこいい。あと、「地球ロマン」一派(笑)みたいな言い回しも、新左翼のセクト抗争を連想させてステキである












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いま乗っているクルマはゴルフ6である。

その前はレガシィワゴン3代目に乗っていて、買い替えにあたってはスバルも検討した。が、当時のインプレッサはいささか質感的にプアであり、かといって代替わりした当代のレガシィワゴンはでっぷりと肥大化していかにも鈍重であった。やむなくソコソコの質感を感じさせるコンパクトめのクルマとして、「一生に一度は外車に乗ってみるか」的なノリもあってゴルフに走ったという次第である。

とはいうものの、アイサイトをはじめとする独自の技術で売る富士重工にはヤッパどっか惹かれるものがある。いつだったか株を買ってしまい、ひそかに応援をしているところであった。と、そんなところへ株主を対象とした工場見学会のお知らせというのがあり、応募したところ、うまいこと当選した。で、この3月20日に群馬の太田市まで行ってきた。

社内でも滅多に見られないという衝突実験をみせてもらい(発売前のXVを一台オシャカにしていただき、まるで客人を迎えるにあたってヒツジを一頭バラすという遊牧民の如き気前の良さであるワイと思った)、弁当をいただき、製造ラインの見学をして無事終了。とりわけ、華麗な舞を見せるが如き溶接ロボットの動きには、こういう工場に来たことがなかったこともあり、なんか感動を誘うものがあった(なお、見学中は企業秘密の問題もあるようで写真撮影は禁止である。よって、気の利いた写真は撮れなかったという次第)。

最後は役員さんとの質疑応答なんかもあったけれども、「スバルのデザインださいんですけど」「納期おそすぎなんですけど」みたいな容赦の無いツッコミにも冷静に対応する偉い方たちのたたずまいは、なかなかにステキであった。

あと、いろいろ興味深い質問も出ておったが、「ダウンサイジングターボの計画あるみたいだけど?」みたいな問いは「いまちょっとここでは話せません・・・」みたいにかわすし、「トランプ政権になったけど大丈夫?」という声には「場合によっては米国工場での生産を増やす手もあるし、ともかくどんな環境になっても頑張りまス」的なリアクション。流石にソツがありません(笑)。

で、一瞬オレも発言しようかなーと思ったけれども、あまりにくだらない話であり、かつちょっとシャイなのでやめてしまった「お願い」というのがあって、今更こんなブログに書いても何の意味もないことではあるのだけれど、せっかくなのでチラ裏的にココにメモしておくことにした。

というのは、次のクルマを買う時には、新しくなってずいぶん評判の良くなったインプレッサあたりを有力候補にしたいなーと思っているのだが、ここで問題になるのが「試乗」というヤツである。

いちおうディーラーに行くと試乗はさせてくれる。が、結局、そのあたりを10分か20分ぐらい回ってくるのが関の山で、セールスマンも同乗してるとなると、ちょっと乱暴な「試験」みたいなこともやりにくい。好き勝手に半日ぐらいブラブラ走ってきたいものであるが、なかなかそうはいかない。

で、「だったらレンタカーでも借りて、しばらく走り回ってみりゃあいいんじゃねーか」と考える。これなら変な気兼ねもしなくていい。我ながらいいアイデアだと思うのだが、しかし、いろいろ調べてみると、車種指定でクルマを貸してくれるレンタカー屋ってのは、意外にないようなのだった。

ニッポンレンタカーのサイトなんかみると車種指定の予約フォーマットなんかも一部用意されとるんだが、オレの地元の店で予約を入れようとすると「その車種は申し訳ありませんが扱ってません」とかいって拒否されてしまう。なかなかうまくいかないのである。

ならば、こういう客のために、ディーラーさんが一種のレンタカー事業をやってくれればいいと思うのだが、どうか。12時間1万円とか適当な価格をつけてクルマを試乗させるというのはダメか。それだったら仮に気に入らなくても後腐れなしというわけで精神衛生上もよろしい。業界的にはいろいろと問題があるのかもしれんが、検討してくれないかなあ、特にスバル。







 
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そろそろ定年が見えてきたこともあり、死ぬ前にやっておくべきことをちゃんと考え始めないといけないのである。ま、どうせ大したことはできないのだが、本ブログのメインコンテンツである趣味のUFO(笑)関係でいうとひとつ懸案があるので、半ばチラ裏的ブログであるココに、忘れないように書いておく。

趣味で翻訳したジャック・ヴァレの『マゴニアへのパスポート』を、いわゆる「翻訳権の10年留保」によって印刷・頒布した件は当ブログでも過去に記してきたところである。

が、同様にして、全然邦訳がされないのに業を煮やして勝手に翻訳したヴァレのテキストというのはまだまだ手元にあって、具体的にいえばそれは『見えない大学 The Invisible College』『ディメンションズ Dimensions』『コンフロンテーションズ Confrontations』『欺瞞の使者 Messengers of Deception』といったあたりである(ついでに言っとくと、英文をスラスラ読んでその場で理解する能力がないので、やむなくこれらの本も杉田玄白よろしく手探りで訳読してきたのであって、翻訳テキストというのはその副産物である)。

ただそれらはいずれも原著が1970年以後に刊行されたものなので「翻訳権の10年留保」の対象にならず、つまり、勝手に翻訳・公開することはできない。ヴァレが死んで50年だったか経過したら著作権も消失して勝手に本にすることができるようになるわけだが、当然その頃にはオレも死んでいるのだった。

しかし、である。よくよく考えてみれば、私的に翻訳したテキストをノートに書き出したりプリントしたりしている限りでは原著作権者の権利を侵害していることにはなるはずもない。ということは、こういうヴァレのテキストなども、1冊だけ印刷業者さんに刷ってもらって自分の手元に置いておく限りでは何のお咎めもないだろう。

というワケで、こういうテキストを「世界に一冊だけの本」として印刷してもらう。「何の意味があるのか」と言われたら、たぶん何の意味もない。一人で眺めて、読み返して、ニヤニヤして自己満足するだけのことであろう。ただ、よくよく考えると、人間が生きている意味なんてものも、実はあるのかないのかよくわからんし、結局人生は自己満足できりゃあいいのだと考えれば、そういう無駄なプロジェクト(笑)を楽しむというのもアリではないか。

手元にあるテキストはかなり粗っぽいものなので、本の体裁にするんだったらちゃんと翻訳を見直したりしないとならずそれなりの手間にはなるけれども、その辺も含めて老後の楽しみとするテはあるぞと考える今日このごろ。

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ヴァレの本。ちなみにうしろに見える『リヴェレーションズ Revelations』という本はいちおう『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』というクソダっサい書名で邦訳されてるので、翻訳で省かれた部分だけしか訳してはいない。なので「世界に1冊だけの本」プロジェクトの対象外となる)







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