2019年05月

近年、喫煙者への風当たりには相当キツいものがある。

オレも一時期禁煙していたのではあるが仕事上のストレスなどもあって今ではすっかり悪習(笑)が復活してしまい、そんなこともあってか、「喫煙=絶対悪」という最近の喫煙者狩りには行き過ぎたところがあるのではないかと考えている。

むろん、非喫煙者への配慮というのは、流石にこういうご時世なので絶対必要ではある。さはさりながら、喫煙者自体が自らの寿命が縮むのも納得の上でタバコを吸うのであれば、それは放っておいてあげるべきではないか、というのがオレの持論である。

こういうことをいうといろいろ反論されるのであるが、その論法の一つとして「いや、喫煙者は医療費をたんと使ってしまうので社会に対しても害悪を及ぼしておる。一つもいいことはないので止めなさい!」というのがある。いやだがしかし、少なくともこの論点についてはオレには何だか釈然としないものがあるのだった。

なんとなれば、そもそも喫煙者は早死にする。生涯を通してみれば、喫煙者の医療費総額というのはダラダラと生き続ける非喫煙者よりも少なくて済んだりするンではないか。

こういう年来のギモンに対してなかなかストレートに答えてくれる人はいなかったのであるが、日経新聞5月25日の「経済論壇」のコーナーで、慶応の土居丈朗先生が或る論考に触れていて、それがまさにこの「喫煙者は金食い虫か」問題を論じているようなのだった。

それは「週刊エコノミスト」5月14日号掲載の康永秀生・東京大学教授による「予防医療で医療費は削減できない」という論考なのだが、ネットでも全文は読めないので、とりあえず土居先生の要約を以下に引用させていただく(適宜改行を入れた。そのうち見えなくなるとは思うが念のためリンクを貼っておく)。


健康寿命を延ばすために予防医療は推進すべきだが、それによって「国民医療費を削減できる」という主張は誤りだと断じるのは、東京大学教授の康永秀生氏(週刊エコノミスト5月14日号)である。

予防医療で疾患の発生や重症化が抑制されるものの、長期で見れば医療費がむしろ増える可能性もあるという。先行研究によると、喫煙者のグループと非喫煙者のグループを比べると40~60歳代で喫煙グループの方が非喫煙グループより医療費が少し高くなる。しかし、70歳を超えると非喫煙グループの方が医療費が高くなり、生涯の医療費は、喫煙グループの方が寿命が短いため、非喫煙グループの方が高くなる。

予防医療は病気にかかるタイミング、つまり医療費がかかるタイミングを先送りしているのであり、医療費をなくすわけではない。


要するに、喫煙者は早く死んじまうので、累計でいくとタバコ吸わないで長生きする人よりも医療費はかからないというのである。

なんだ、オレの直感は正しかったンじゃンという話である。

それと、おそらくこれは論理の流れとして当然想定されることであるが、喫煙者は早死にするので政府にしてみると「年金」の支払いも少なくて済むことになる。医療費も節約できるし、年金の払いも節約できる。言うまでもなく、喫煙者は当然タバコを買う際に高額の納税もしている。となると、喫煙者は国家のために多大なる貢献をしている大功労者ということになるのではないか!

なんで国家に対する大功労者がこんなに叩かれなくてはならないのか。ホント「石が流れて木の葉が沈む」というのはこのことである。

もちろん誰だって死ぬ時には「あぁタバコなんか吸って寿命縮めるンじゃなかったよー」とかいって後悔したりもするだろうが、ナニ、考えようによっては惚けて無残な末路をさらすより正気を保ったままタバコ吸いすぎでガンで死んでく方がシアワセという考え方もないではなかろう。その辺はなかなか正解の出ないところだろうが、とりあえず「タバコ=悪」で思考停止するのは余りに一方的ではないか。

オレなんかも、たまにそこいらでヨボヨボのジジイがウマそうにタバコを吸ってたりするのを見ると、「なんかいい光景だよなあ」と思ったりする。それぐらい許せよ。


【追記】
その後、朝日新聞にもこの康永秀生教授へのインタビュー記事が出た。例によってカネを払わないと読めないのだけれどもいちおうリンクを貼っておこう。
喫煙者は早く死んじまうので、生涯を通じての医療費はむしろ安上がり(などという品のない言葉は使ってないがw)になるようだ。やはり喫煙者はお国のために我が身を捨て、犠牲を払っている愛国者であったようだ。











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昨年であったか、それまで所有していた「サイクルベースあさひ」のクロスバイク、プレシジョンスポーツ(略称プレスポ)が壊れた(ディレイラーがうまく動かなくなった)。

地元の「あさひ」に持ち込んだところ、部品取り寄せで何週間か待たせたあげく、やっと「部品が届いた」というので当日持ち込んだら「組み直すので2時間後に来てくれ」という。まぁそれはわからんではないので2時間後に出直してみたら、しかし今度は何と「部品間違って注文してました。今日は直せません」との言!

しかも店員には全く悪びれた風がなく、謝るでもない。店長だと称する「でんでん」似の中年男もぬらくらとして反省の色ナシ。流石に温厚なオレも激怒し、「もう直さんでいいわ!」といって店を後にし、以後このプレスポは放置しておったのだった。

いや、ついどうでもよい話を長々と始めてしまったが、別に今回のテーマは「サイクルベースあさひ」はどうしようもないとかそういう話ではない。以来放っておいたこのプレスポもこないだ廃棄しまして、今回新しいクロスバイクを買うことにしたのだった。

オレも徐々に老化が進んでいるので少しは体のことも考え、休みの日などはポタリング的に自転車でフラフラするのも良いのではないかというアイデアである。

前述のような経緯もあって、「サイクルベースあさひ」は一生利用しないことに決めているので、今回は若干遠いが最寄りの「スポーツデポ」に行き、「クロスバイクとしては廉価品だけれどもコレ買っておけば間違いない」といわれるジャイアント社製の「エスケープR3」を買った。10%割引で、キックスタンドや防犯登録、会員登録料などで計5マン3000円ほどであつた。このまえプレスポを買ってから、ほとんど10年ぶりのクロスバイク購入である。


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ちなみにカギは、ネットで調べて良さそうだったマスターロックという会社のU字ロックを別途通販で買った。マンションの屋外駐輪場に置かざるを得ないので、盗難のキケンは常にある。その点、このカギは重さ1キロほどもあって重いのだが、そこらの悪ガキとかが自転車盗とかに使う機材ではまず壊せないらしいので、まあこれつけときゃ問題ないのではないか。サドルの下のフレームのあたりにブラケットをつけて、走行中はココに嵌めこんでおく仕組みである。

前のプレスポには「実用車仕様にしよう」(笑)ということで前カゴつけてみたんだが、ヤッパちょっとダサいよなーというわけで、今回はそういうのは止めた。フロントライトとテールライトも、この際だから安いのを新しく買った。

で、さっそく近所を一周してきたのだが、うむ、やはり初夏の風を受けながら走るのは気持ちがいいものだわい。梅雨の季節もそろそろやってきそうではあるけれど。

■空気圧メモ
KENDA K-193 700×28C 
PSI  50-85
BAR 3.5-6.0
KPA 350-600



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「デジタル遺品」などという言葉があるらしい。遺品というからにはそれなりの金銭的価値があるもののことなのかなぁと思うが、むかし書いたまますっかり忘れていたブログの記事なんていうのも考えようによっては「遺品」といえなくもなかろう。

などということを考えたのは何故かといえば、10年ほど前まで書いていたもののずっと忘れて放置していたブログを最近「発見」したのだった。具体的にいえば「ブックマークフォルダの奥の方にあったものをクリックした」というだけの話なのだが、こうやって再会したブログの記事の内容、けっこう忘れていた。

当時はかなりオンラインゲームにのめり込んでいたようで、そのあたりの話が多い。「いい年をして何やってたんだよオマエ」とでも言いたくなる感じ。だが当人が忘れていても、そのテキストはネット上に生き続けていた。で、たぶんオレが死んでも、こういうテキストだけはそのまま(おそらく誰も見に来ることもなく)なんとなくずっと存在し続けるのである(利用していた無償ブログサービスが終わらない限りは)。

読む者にとっては、その書き手が生きているか死んでいるかはわからない。というか、フツーは生きているものという前提で読むのだろう。そんなテキストがおそらくは無数にある。そして何かの拍子にそんなものと意図せずして出くわしたりする。なんだか不思議な世界に我々は生きている。






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今回は朝日新聞読書面について。

朝日の読書面はそこそこ面白いと思っている。もっとも、一つ問題があるのは書評委員の人選で、朝日のメンバーの中には過去にライバル紙の読売新聞で書評委員をやっていた人がけっこういる。つまり他紙で評判の良かった人を「引き抜いてきて使う」パターンが定着してきている(ちゃんと調べてないが、体感的には約20人中だいたい3、4人はそういう人がいる感じだ。ちなみに逆に「朝日から読売へ」という人はほとんどいない。たぶん)。

よく考えると、朝日新聞はいつも「読売巨人軍はFAでヨソの一流選手を引き抜いて来ることばっかり考えてる! いいのかそれで!」という批判をしているので、自分ンとこの読書面で全く同じようなことをやってるのはなんとも解せない。担当の記者さんは自分の眼力を信じて、オリジナリティのある人選をしていただきたいものである。

閑話休題。今回は別にそんなことを言いたいわけではなかった。けさの読書面を読んでたら、とても難解な書評が出ていたので驚いたのである。

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著作権法上の問題があるのでここでは批評に最小限必要な部分のみ示しているが、これはグレアム・ハーマン『非唯物論』という本の書評である。

最初の段落を読むと読者は、「なるほどなるほど、これは社会学・哲学系の本であって<オブジェクト指向存在論>と<アフターネットワーク理論>について書いてあるのだな。で、建築方面でもそのへん話題になっているワケね」と考える。もっともほとんどの読者はオブジェクトなんたらとかアフターなんとかと言われても何がなんだかわからない。しょうがないので、「おそらく次にその説明が来るのだろうネ」と思って読み進む。

が、しかし。読者はそこでさらに混乱を強いられる。


「建築をエコロジーのなかの一つのアクターとして捉える」

「建築という対象に内在する活力」


「???」

たぶん読者の8割ぐらいはここで読むのをやめてしまうだろう。で、オレが言いたいのは、一般市民を対象とする新聞でこういう書評を出してはならないということである。

念のため言っておくが、これはこの書評を書いた評者を責めているわけではない。書き手は建築家の方のようだが、こういう難解(っぽい)な本を平易に説明する才能というのは本業の才能とはまた別のものであって、スラスラ読める書評を書けなかったからといって非難される筋合いはない。

だからここで問われるべきは、この書評を受け取った担当記者、そして最終的にその書評原稿を通してしまった編集長(というのかな?)の姿勢なのである。

一読してよくわからない。二読三読して、ようやくナニをいいたいのかおぼろげにわかってくる。そういう文章というものは勿論あってもよいけれども、大衆向けの新聞でそういうものを載せるのは(一般論ではあるが)よろしくない。少なくとも読書面ではダメだとオレは考える。

たぶん受け手の担当記者も最初、「え、なんだこれ難しいなー」と思ったに違いない。そしてたぶん「もうちょっと平易に書いてくれませんかネ?」みたいに書評者にお願いしたハズだ。で、以下は全くの推測になるのだが、おそらくそんなやりとりを二度三度して、だが最後はもう面倒くさくなったのだろう、「ハイこれでいいです」と言ってしまった。で、編集長さんも「ま、いっかー」ぐらいのノリでスルーしてしまった・・・。これを善意で解釈すると(笑)「朝日の読者はインテリが多いから、社会学の動向ぐらい知ってるよなー。ま、知らんほうがバカだから、これで十分だろうよ」ぐらいの判断があったのかもしれぬが、それはそれで大問題である。

とまれ、新聞の存在意義が問われている昨今、こういう安直な姿勢は自らのクビを締めることになるのではないか。最初に書いたようにオレは朝日の読書面はまずまず面白いものを作ってきたと思っているから、今回のようなユルい紙面に対してはひとこと諌言申し上げたかったという次第。






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