小林朝夫サンの『本当は怖ろしい漢字』は信用するに足るか、ということでここんとこ読解作業をしているわけだが、まぁたった2件を調べた段階ではあるけれども、これまでのところで言えるのは「この本はデタラメ」ということであった。今回念のため、その世界の権威である白川静の『新訂 字統』にも当たってみたのだが、「『七』は切腹でハラワタがはみ出した様子を表している」とか「『童』は犯罪を犯した子どもを指す」とかいったようなことは一切書いてない。

確かに「七」は「切」という字の原型であるとか、「童」は刺青を入れられた犯罪者を指すとか、まぁそこら辺は本当のことのようなのだが、彼はそこからイキナリ妄想を膨らませてしまい、「じゃ、この七の曲がったトコは、切ったトコから何か飛び出してる、っつー意味じゃネ? あ、腹切りで飛び出した内臓かYO!」とかいってデタラメな字義を創作してしまうのだった。

で、思うのだが、この人はかつて国語塾の教師をしていたという。自称ではあるが「国語の神様」とか名乗っていたらしく、ま、自分なりに塾の仕事にそれなりの手ごたえがあったのだとしたら、それはおそらくこの本とおんなじ手をつかってガキの歓心をかっていたということなのだろう。

つまり、どうということのない話を百万倍膨らませて面白くする。ガキはとりあえず「おもしれえなー」とかいって関心を示す。じっさい、アマゾンレビューとかみるとまったく疑うこともなくこのデタラメ本を褒めちぎっている人たちがいるワケだし、ましてやそこいらのガキだったら手もなく騙されてしまうのは必定。

しかし悲しいかな、そこで語られていることはウソ八百。つまりこの人は「学ぶ」ということの何たるかを全く知らずに塾講師をしていたのだ。言うまでもない、本当のこととは何か、真実とは何か、そこんとこを誤魔化さないで真面目に詰めていくのが「学ぶ」ということなのだから。

「雀百まで踊り忘れず」というか、この人はそこんとこ未だ全然進歩のないままで、今は「予言者」を気取っているらしい。