チャールズ・フォート『The Book of the Damned』(1919)の冒頭部分を超訳してみた。誤読をごまかす魔法の言葉、それは超訳(笑)。


「呪われしもの」たちが列をなしている。

ここで私が「呪われしもの」と言うのは、追放され、放逐されてきたもののことである。

そう、われわれはこれから科学によってこの世界から放逐されてきた、ひと連なりの事実を見ていこうとしている。

そのようにして呪いの言葉をかけられたものどもが、これまで私が掘り起こしてきた記録に導かれるようにして、これから隊列をなしてわれらの前を進んでいく。あなたはそれをこれから読み進める――いや、あなたに読まれずとも、呪われたものたちは行進を続けていくのだろう。土気色をしたもの、燃えるように熱を放つもの、腐臭を放つものと、その姿は様々ではあるけれど。

中には屍体や骸骨、ミイラのたぐいもいて、それらは、付き従ってくる「生きながらにして呪われたものたち」の力を借りてはヒクヒクピクピクと体を蠕動させたりもする。熟睡しているのに、何故か歩いている巨人が脇にいたりもする。理にかなった定理の如きものもあれば、ボロ布の如きものもある――まるでユークリッドがそうであったように、連中は「秩序などナンセンス!」とでもいった心持ちで行進を続けていくのだろう。小柄な売春婦たちはそのあたりをヒラヒラ身を翻しながら飛び歩いたりするのだろう。

多くは道化者。しかし、同時にその多くが実は端倪すべからざるものであったりする。暗殺者もいるだろう。ほのかに漂ってくる悪臭。薄気味悪い迷信。何ということもない影。どぎつい悪意。気まぐれ。優しさ。無邪気さもあれば衒学趣味も。奇っ怪なもの。グロテスクなもの。誠実。不正直。深淵なるものもあれば幼稚っぽさもある。

突き刺すような痛み。笑い。そして、ほとんど無意味なほど馬鹿丁寧に、かつ長い間、組み合わされた祈りの手。

結局のところ、どこに出しても恥ずかしくないような第一級の見かけをもちながら、同時に罪人めいてみえるものたち。

その相貌をひと言で評してみれば、威厳がありながらも何とも放埒きわまりない。その声をひと言でいえばお祈りのようであるのに、どこか喧嘩腰のようでもある。だがしかし、全体を貫く何ものかがあって、それを言葉で表現するなら「行列のようだ」ということになる。

こうしたすべてのものを「呪われている」のひと言で済ませてしまった勢力を言い表すのに、ちょうど良い言葉がある。それは「謬見に満ちた科学」。

だがどのように言われようと、それらの行進は止まらない。

チビの売春婦たちはふざけて辺りを跳ね回る。気のヘンな連中は気を散らすようなことばかりする。道化たちはおふざけをして、みんなのリズムを乱そうとする――それでも全体としてみれば行進の一体性というのは失われてはいない。そして、印象に残る個々のものどもが次々に目の前を通っていく。いつまでもいつまでも。

そうしたものどもがわれわれのこころをガッチリと捉えて離さないのは、それが人を脅かしたり馬鹿にしたり蔑んだりするからではなく、総体として統制のとれた動きを構成しつつ、次から次へとわれわれの前を行進し続けていくからにほかならない。