鉢呂吉雄経済産業相の「死の街」発言が物議をかもしているようである。不謹慎だ、だとか何とか。

馬鹿馬鹿しい。

現実に福島第1原発による放射能禍で「死の街」と化した町がある。そのことを政府要人があからさまに言うことについて、不愉快に思う人がいるであろうこともわかる。だがそれはまぎれもない事実である。

本当のことをあからさまに、赤裸々に語ることが何やら道徳的な退廃の如くに語られる。そこに俺は、何か近年社会に蔓延する言葉狩りに似た、事なかれ主義を感じる。「かたわ」「めくら」「ちんば」。そんな言葉を世の中から抹消したら、不当な差別やら何やらが一切消え去るとでもいうのか。差別はそんなところにあるのではない。それは俺たちの心の中にあるものだ。ある種の言葉を無くしたら、それにまつわる様々な概念やら実態も消失するとでもいうのか。目をそむければすべてが消え去るとでもいうのか。なんとも素敵な言霊思想、いや呪術的思考とでもいっておこうか。

確かに存在する「死の街」を直視して、ではこれは誰の責任であるのか、どうやって再生をさせていけばいいのか等々を考える。それが真っ当な人間というものだ。政治家がたまさか漏らした一言を、鬼の首をとったよう糾弾しているヒマなどあるものか。

参考ページ もんじゅ君@monjukun の原発トーク:「死の街発言」批判の「おかしな点」