映画評論家の佐藤忠夫が、たしかむかし講談社現代新書に書いていたことなんだが、「なるほどなー」と感心したことがある。あまり正確じゃないかもしれないが、オレの頭の中ではどういう風に記憶されているかというと、佐藤忠夫曰く「映画は自惚れ鏡である」。

まぁ何やかやいって、映画の世界というのは作り手が「俺たちの本当の姿って、こういうものだよね」というストーリーを作ってみせて、観る側も「そうそう、その通りなんだよネ」といってポンと膝を叩く。そういう共犯関係から成立するものじゃないですか、といった議論だ。

で、確か「二十四の瞳」を例に挙げていた。戦争前の日本の片田舎で、若い女先生を中心にとても心温まる教育がなされていたんだが、この子供たちはやがて戦争に取られていってしまいました、あぁなんということでしょう泣くのは結局庶民なんです、というトーンの映画なんだが、佐藤は確か意地悪く言っていた。「いやしかし、ここで描かれているいたいけな子供たちだって、狂気の戦場に行ったら実は極悪非道のレイプとかとんでもねーことしたんじゃねーのかよ、そんな綺麗事で済むはずねえだろ」って。

まぁ例外もあるかもしれないが、とりあえず一般大衆に「ウケル」映画ってーのはそういうものなんだろうなーと、当時まだ若かったオレは思った。オレたちって、まぁいろいろあるけどキホン胸張って生きていていいよね、自分たちのこと肯定していいよネ、という気持ちにさせてくれるのが映画の本道である、という話だ。

まぁエンターテインメントとしての映画ということでいえば、それでいいんだろう。確かに陰々滅々たる現実を突きつけられて「さぁどうだッ!」みたいに詰め寄られてばっかりじゃ生きていけねーから。少しばかりファンタジーがないと人生乗り切っていけねーから。それは中年になってほんとしみじみ思う(笑)。


いやね、なんで今頃こんなことを何故書いているかというと、昨今のTPP問題など鑑みるに、どうも俺たちはここんとこフィクションの世界ばかりじゃなくて、現実の世界でも「かくあれかし」あるいは「かくありたい」みたいな願望充足的な倒錯的な思考に躍らされてるんじゃねーのかな、とフト思ったのだった。

確かにニッポン、元気がない。長いこと創意工夫を発揮して安価で質の良い工業製品――クルマとかね――を世界に供給して、一目置かれていた日本人であるけれども、もはや価格競争では勝てないし、かといって「ちょっと財布は痛いけどコレ欲しいよね」的な、かつてのウオークマンみたいな消費財もなかなか作り出せない。もう下り坂だよねーとみんな思ってる。

でも、ここいらで起死回生のヒット打ちたいよね、どうすりゃいいのかなぁ、そうだ自由貿易ッつーのがあるぞ、関税撤廃の世界が広がりゃひょっとしてオレたちの作ったものだってまだまだ魅力あるんじゃネ――なんか追い込まれて、そんな幻想にすがって、あ、そーだTPPだ、なんて言い出してるだけに過ぎないような気がして仕方ないんである。論証ヌキで言ってしまうが、オレとしてはそんなのは幻想に過ぎないと思う。

たぶん、そんな威勢の良い話はもう無いのだ。だが、何かあるように考えてしまう願望を膨らませてしまう。中国とか韓国とかじゃないんだ、もうそういう近代主義はこの国では通らないと思う。


で、もひとつ脱線するんだが、こういう状況には明らかにメディアの責任もある。「かくあれかし」という願望が現実認識のレベルでもついつい滲み出てしまうというのはこの世界でもしばしばあることで、たとえば、何かっつーと「昭和30年代は良かったよねー、人情もあったし」とか言い出すバカが必ずいるんだが、統計資料などを繰ると、今より当時のほうが遥かに人口当たりの殺人事件発生率が高かったりする。やたら不衛生だったあの頃に戻りたいとか思うわけないだろ、何やかやいって今のほうがずっといいに決まってるじゃねーかなどとオレは思う。まぁ「夢だけはあった」とかいうのはたしかに本当だし、そういう意味じゃ「当時に戻って人生やり直しできたら面白れえかもな」とシミジミしちまうのは冴えない中年の繰り言ではあるわけだが(苦笑)。

ちなみに「最近の若者はどうしようもなくて治安も悪くなった」とかいうジジイもいるんだがどうもそういうことはなくて、確か世代別にみると今も昔も「団塊の世代」による犯罪率が突出して高いというデータがあったような気がする(出所を示せないので間違っていたとしたら誤る)。つまり、連中が若かった1970年頃にゃあ若者の犯罪が多くて、最近は60過ぎたこの世代が万引きしたり街中でキレて暴れ出して「暴走老人」とか呼ばれていたりするわけである。

まぁ映画が自惚れ鏡である分には「まぁそれもありだよな」と思うのだが、何かじっくり腰を据えて来し方行く末を考えるべき時にまで「バスに乗り遅れるなー」とかバカなことを言うのはどうなんだろうね、とオレは思うのであった。鏡にはやっぱり本当の自分の姿を映したい。