来日していたブータン国王夫妻が帰国の途についた。この間、けっこうテレビとかでもその動向が報道されていて、オレなどもそのたたずまいにはとても好ましいものを感じていたのだった。

が、ちょっと気になるのは、ブータンで提唱されているという「国民総幸福量」というものについて、「ブータンとかに比べると物質的には豊かなオレたち日本人だが、やっぱりこういう発想には学ばないといかんよなー」といった反響があった(とされている)ことである。

ちょっとまってくれ。

つまり、GDPではかれない「幸福さ」みたいなものも生活のクオリティをはかる指標にしないといけないものだねというアイデアは、そりゃしごく真っ当な考え方ではあるんだが、しかし、よくよく考えると「幸福」みたいな漠然としたものをはかるモノサシなんてあるのだろうか、という疑問が浮かぶのである。

よくわからんので例によってウィキペディア先生に聞いてみるのだが、たとえば「心理的幸福」をはかるためには「正の感情」(寛容・満足・慈愛)と「負の感情」(怒り・不満・嫉妬)について、それぞれを心に抱いた頻度を調べたりするんだという。

うーむ、原発問題なんかもそうなんだが、「怒るべきときに怒る」というのは正義だと思うのだ。だがしかし、そういうときでも黙って笑っているのが「幸福」なんだろうか? あるいは、ひと昔前の精神医学では、暴れる精神病患者にロボトミー手術をほどこして、終始ボンヤリと穏やかな人間を作り出したりしてたようだが、あれなんかも当人の幸福のため、ということになるんだろうか?

いや、そういうひねくれたモノの見方はよくないという向きもあろうが、そもそもそういう指標みたいなモノの考え方と「幸福さ」というものはうまくマッチングしないのではないかと思うのである。

幸福かそうでないかは、やっぱり感覚的なものというか、もはや言語化不能な直感的なものでつかむしかないのではあるまいか。ブータン国王夫妻には悪いが、「国民総幸福量」というのはあんまりアテにできない考え方であって、ただしかし、そういうことを言い出した人たちがいるというのは貴い、そう、とても貴いことである、とだけ肝に銘じておればいいのではないか、そうオレは思うのである。