もう天声人語のアホらしさは論評するに値しないなぁとは思っているのだが、たまさか今日も朝日新聞をめくっていたら、例によって自社宣伝ページで「天声人語書き写しノート」のPRなどしておったものだから、もうこれは半ば世の良識に対する挑戦ではないか、よーしそうくるなら何度でも何度でもオカシナところは指摘してやるゾ、こんなエントリー見に来てくれる方がいるとしてもせいぜい数十人、世の中に何の影響もない弱小ブログではあるが一寸の虫にも五分の魂だかんナ、といってまたぞろ筆誅(笑)を加えるのである。

で、今日の天声人語。日米開戦70年にひきつけて、東郷茂徳を登場させている。この人、日米開戦時の外相で、いったん辞めたあと終戦時にふたたび外相に就任した外務官僚だ。基本的には戦争回避に尽力した人ということになっていて、だから開戦時の外相としてA級戦犯になってしまった可哀想な人、というトーンで書いている。以下引用。

▼獄中でよく歌を詠んだ。他のA級戦犯への目は厳しい。〈此人等(このひとら)国を指導せしかと思ふ時型の小きに驚き果てぬ〉〈此人等信念もなく理想なし唯熱に附するの徒輩なるのみ〉。あれほど権勢を振るっていた軍人らの、一皮むいた「小物ぶり」への憤りである

▼いま東郷の遺著をひもといて、歌に古さを感じないのは、政権交代後の政治のせいだろう。輝いて見えた「大物」たちは早々とメッキがはげた。閣僚級もしかり。国難の年だけに閉塞感は深く、どこか往時に重なっていく


あぁ何ということでしょう、小物のはびこる政治にはホント苦労させられますなぁ、もっとちゃんとした人にやってほしいものですなぁ、とボヤいているわけで、もうなんか典型的床屋政談のレベルで鹿馬鹿しいというしかないんだが、ともかく2点だけ指摘しておく。

その1。

世の中に人物がいなくなった、みたいな議論は俗耳に入りやすいのであるが、これは違うだろう。世の中はますます複雑になってきておる。なにやら蛮勇をふるってエイとやれば一気に解決、みたいな講談の世界みたいなことは今の時代では流行らない。というか、できない。もうこれはあらゆる分野でいえることで、ビッグな人物というのはキホンこれから出てこない。天声人語子もいっているように、いま大物ヅラをして登場してくる人物というのは、全部メッキをほどこした人物と考えてよい(ここだけは褒めてやろう)。政治家に小物しかいないというのなら、それは国民がまるごと小物になってしまったから、かもしれない。

その2。

何やら東郷を褒めているのだが、はて、戦前・戦中の東郷には確か批判的な声もあったはずだが、と思った。オレも耄碌してきて、もはやどこに何が書いてあったかすぐ思い出せない、とりあえずウィキペディアを見てお茶を濁すけれども、そこはご容赦あれ。で、そこに書いてあったことを見て思い出した。そうそう、この男、日本が完全に詰んでしまって、あとはどういうかたちで終戦にもっていくかという局面で、なんと(当時は局外中立の立場にあった)ソ連に終戦工作の仲介役を頼もうと言い出したのだった。もちろん、その後、中立条約を勝手に破って北方領土に侵攻したソ連であるからして、仲介役なんかする気はさらさらない。結果、一日でも早く終戦に持ち込めば犠牲者が少なくて済んだものの、あの冷血ソ連に期待するなどという東郷のトンチンカンなアイデアで無駄な時間が費やされてしまったのである。

まぁ別にその善意を疑うわけではないが、仮にもプロの外交官として日本の国益を守るリーダーの地位にあったわけだから、こういうバカをやられてはたまったものではない。というか、あの局面でそんなお人好しなことを言っていた時点で、この男こそ「単なる小物」ではなかったか、という気もしてくるのである。

もひとつ、これは出典がハッキリしないウィキペディアからの引用だが、こんなことも書いてあった。

(東郷が東京裁判で:引用者注)結果的には自分の立場のみを正当化する主張に終始したと見られたことを、重光葵は「罪せむと罵るものあり逃れむと 焦る人あり愚かなるもの」と歌に詠んで批判している。

真相はよくわからんが、こういうのを読むと、秀才官僚にありがちな言い訳のうまい人物ではなかったか、という気がしないでもない。ちなみに重光は戦中・戦後にやはり外相を務めた外務官僚出身の政治家である。ミズーリ号艦上で降伏文書に署名したことでも有名だな。

ということで今回のまとめ。

小生のみるところ、天声人語子は「世の中には絶対悪と絶対善がある」という、あたかもグノーシス派のそれにも似た世界観をおもちのようであるが、今回はその悪いところがモロに出てしまった。今回のシメには「未来のために過去に学ぶ姿勢が、とりわけ政治家にほしい」とか書いてるが、東郷茂徳善玉説に安直に乗っかって議論を進めてしまっている天声人語子こそ、「未来のために過去に学」んでほしいぞ。