阪神淡路大震災から17年。こういう話を毎年取り上げるのは新聞コラムのならいであって、今朝の天声人語もやはり例外ではない。が、一読、何か苦々しい思いが胸の底に澱のように溜まるのを感じた。ちょっと引用してみるか。

3・11に「上書き」されることなく1・17が巡り来た▼17年になる。それは、中継される津波と同じ歯がゆさだった。白む空に立ち上る幾筋もの煙、横倒しの高速道路。テレビで見入った惨状を忘れない。異国で何もできない自分が悔しかった

当時は特派員で外国に行っていたのだな、この人は。つまりこの人は、自分は現場にいけずに歯がゆかったけれど、このとき全国から被災地に数多くのボランティアが駆けつけたことは何とも心強かった、と回想してるのだな。まぁそこまではいいが、最後をこんな風にシメるのである。

阪神がボランティア元年なら、こんどは一つ進んだ新年にしたい。消えた命や景色とともに、みちのくに集った無名の善意と教訓を語り継ごう。季節が移れば、潮をかぶった田畑での援農もあろう。受験や就活が首尾よく終わった皆さん、早春の東北はどうだろう。

ボランティアはやっぱり大事だ、受験が終わった若者よ現場に向かえ、と書いてオシマイである。なんなんだろうね、それは。なんでここで若者への呼びかけなのか。オマエがボランティアで行けばいいのではないか。

「阪神淡路のときは現場にいけず残念だった、でもあれから日本人もボランティアに目覚めて、それはそれでとても良いことだった」という話だったよね、流れ的には。だったら最後は、じゃオレも60歳近くになって(想像w)体にガタがきてるけども、今回は日本にいることだし現場にボランティアで乗り込んで頑張るゾというのがスジではないのか。なんでヒトサマに「おまえらボランティアに行けよ!」とか説教してオワリなのだ?

改めて言うまでもなく、ボランティアというのは自発的に行う行動をさす。いま助けを求めてる人がいると思ったら、まず自分自身が動く。それがボランティアのアルファでありオメガだ。だがこいつは、「これは大事なことだ。だからオマエ動け」とか偉そうに言う。

つまり、オレサマは天下の朝日の巻頭コラムを書く仕事があるので、ボランティアで休職なんかしてるヒマはないし、泥被って肉体労働するような身分でもない。オレサマは号令を発する立場なのでこれでいいのだ、とでもお考えになっているのだろう。

バカバカしい。この筆者が何歳ぐらいかはしらんが、仮に定年前の50代だったとしても現場で十分働けるぞ。被災地では60、70代の爺さんたちだって必死で頑張ってるんだ。偉そうにボランティア論を語るのであれば自分でまず行け。話はそれからだ。