ベストセラーは嫌いなので読まない主義なのだが、「1Q84」が文庫本になったのでついフラフラと買ってしまい、3年遅れで読むことにした。さて、カフカでさえ受賞できなかったノーベル文学賞の、その有力候補の実力や如何に(笑)。

なお、あらかじめ言っておくけれども、この作品、断片的なストーリーとかはこれまでにも耳に入ってきてしまっているんで、前もっての予断みたいなものがないとはいわんが、極力無視をしてきたのでそういう前提での読書感想文となっている。



さて。うむ、スラスラ読めるぞ。青豆とかいう若い女が出てくるんだが、なんか自意識過剰な殺し屋という設定らしい。若くてキホン美人で何やら謎めいてるところがあって、みたいな。「え~、いまどき殺し屋? そりゃねーよ、プッ」みたいに一瞬思ったのだが、まぁ通俗小説にはありがちな話だし、まぁいいかと先をいそぐ。ただし、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」がどーたらこーたらみたいな話もあって、「ヤナーチェク、ときましたか。いや、このあたり深いものがありそうですな」とハイカルチャー志向のインテリ諸兄の自尊心をくすぐる趣向もあり、単なる三文小説ではないことをさりげなくアピールするところは流石である。

で、なんか天吾とかいう小説家のタマゴみたいなのが出てきて、1章ごとに青豆と入れ替わって登場するわけである。この2人が主人公らしい。まぁ多くの読者は作中に小説家がでてくると、どうしたってそこに筆者=村上春樹を投影して読むことになるであろうから、日本のメディアから逃げ回って自らの希少価値を高めることにより商品価値を上げてきた、中田英寿的マーケッティング巧者である春樹のことである。「あ、天吾ってのはハルキの分身じゃネ? ちょっと興味あるカモ」という風に読者を誘い込む手練にはなかなかのものがあるといえよう。

それで、この天吾パートに「ふかえり」と称する女子高生が登場するんだが、驚いた、まんま「涼宮ハルヒ」の長門有希なのだった。謎めいた言葉を断片的にポツポツと語る美少女、ってヤツ。やっぱり「わたし、宇宙人」とか言い出すのか? で、なんか「リトル・ピープルは実在する」とか何とか、やっぱり謎めいたことを語っているぞ? 

ここで若干脱線させてもらうが、「リトル・ピープル」っつーのは西洋文化圏では小さな小人=妖精のことだ。妖精というと、われわれは羽か何か生やして奇麗な格好でヒラヒラ飛んでる涼やかな小動物みたいなものを連想しがちだが、最近オレの読んでいるジャック・ヴァレに言わせれば、連中は基本的には人間を掠っていったり気味の悪いイタズラをしたりするおぞましい邪鬼のようなものであって、つまり今風にいえば人間を誘拐するエイリアンみたいなもンだ。UFOファンとしてはこの伏線、目を離せないぞ!! リトル・ピープルの正体や如何に!

 以上、脱線終了。

で、話はもとに戻るンだが、ひょっとしたらハルキさんは「涼宮ハルヒ」を読んでて、確信犯的に長門有希的キャラを出してきてるんじゃねーかと思った。そーいや殺し屋の青豆は、なんか人間の首のうしろに針みたいなのを突き刺して瞬時に死にいたらしめるワザをもってるらしいんだが、これは「必殺仕事人」キャラではないのか。サブカルやお茶の間のテレビのキャラを「引用」しながら、なんつーかブリコラージュ、っつーんですか、そういう文化的素子を組み合わせて物語を紡ぎ出すという実験をしているのではないか、なんちて。

さて、もうちょっと先に行きますと、殺しのお仕事を済ませた青豆が、その興奮を鎮めるべくバーのホテルで中年男を物色してセクロスにさそう、という展開になっておりまして、男のナニは大きいほうがイイとか、青豆がバストの小ささを意外に気にしている、とか、まぁどーでもいい夕刊紙みたいな話がしばし展開される。これはなんなんだろう、やっぱお色気も必要? 「水戸黄門」における入浴シーン的読者サービスってヤツ? なんかこれも伏線になってるのか?

このあたりまで読んできての感想としては、なんつーか、それこそブリコラージュではないんだが、何かその辺に転がってるパーツを無造作につなぎ合わせた「安っぽさ」みたいなものが見え隠れするンだが、ひょっとしてこれは春樹の作戦なんだろーか? こういうキッチュなパーツを組み合わせていったら、意外や意外、絢爛たる大構造物が出現してしまいました、みたいなマジックが見られるのか? 気が向いたらまた感想を書かせていただこうと思うが、さて。(続く。たぶん)


1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/03/28
  • メディア: 文庫