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唐突ではあるが、沢田研二、菅原文太の「太陽を盗んだ男」(長谷川和彦監督、1979)を見た。

まぁ池上季美子含めて「みんな若いなー」と驚いてみせるのはお約束。で、基本エンタテインメントなので「プルトニウムさえあれば誰だって原爆は作れる」とか登場人物に言わせてるのはちょっと言い過ぎダロみたいなツッコミも可能ではあるんだが、それはそれとして今見てもなかなか考えさせるものがあるゾ。

沢田演ずる中学校教師が東海村に侵入してプルトニウムを奪取、原爆を手作りして「爆発させたるぞワレ」とかいって政府を脅すんだが、しかし沢田研二、よく考えると何を要求したらいいのかわからないのである。別に要求はないんだけど、なんとなく原爆作っちまって、あとづけで「政府コノヤロー」といって暴走していく、というマヌケなストーリーなのである。その割にアクションシーンとかけっこう派手に展開しちまって「西部警察」状態、みたいな(笑)。

※余談ながら、作中の小ネタとしてナイター中継の話が出てくるわけだが、ここで巨人のピッチャー・加藤、バッターは大洋(笑)の中塚、とか言ってるのが個人的には実にシミジミしたぞ。


まぁしかしオレなんかも学生をやっていた1979年という時代相を考えると、それなりに真面目な問題提起があったような気もするわけだ。今からみれば、まだニッポンも未来に夢を抱けた時代ではあった。じじつバブルはこのあとにやってくるわけだし、明らかに今みたいなドンヅマリ感はない。ただ、それだけに、なんつーのかなー、今にして思えば嵐の前の静けさ、っつーか、まったりとしたヌルイ日常に呑み込まれていくことへの実存的不安、みたいなのは確かにあったような気がするのであるな。

だからこその「オレって何をやりたいんだろうか?」的な沢田研二なのである。退屈な、なんとなくイライラさせられるこの日常をどうしてやろうかみたいな、アンニュイな沢田研二。いけてるぞ。とゆーか、わかるぞ。


まぁ「リアル原爆」ならぬ「原発」の「爆発」が起きてしまった2012年のオレたちからみると、「まぁノンキだよなー」と言わざるを得ないわけだけれども、平和な退屈に厭いてしまって「なんかデッカイ事件でもおこらんかなー」と倒錯したことを考えちまう人間ってのは実に厄介だよなぁ、と改めて思うオレであった。