今朝の天声人語をみて嗤ってしまった。最近ちゃんと目を通してなかったけど全然変わってないじゃんツッコミどころ満載のユルユルの文章はッ!

というワケで、本日の天声人語を紹介してみよう。

今回はソチ五輪ネタである。主人公はジャンプのLHで銀メダルをとった葛西紀明。彼は16年前の長野五輪にも出場したが、そのとき日本が金をとったジャンプ団体では出場メンバーに入れなかった。さぞや悔しかったろうが、こういう苦労を乗り越えたからこその栄誉であるゾ褒めてつかわすゾ、というお話である。

まぁありがちな話で天声人語レベルならアリだとは思うが、しかし、読んでみると何か論理がメチャクチャなんである。まずは冒頭部。

自己と他者、などと言えば小むずかしげに聞こえるが、フーテンの寅さんが語れば次のようになる。「お前とおれとは別な人間なんだぞ。早え話が だ、おれが芋食って、お前の尻からプーと屁が出るか」。いささか品を欠くが寅さんなら許されよう▼同じ釜の飯を食った仲間とはいえ、この人にとって、別な首にかかった金メダルは、悔しさ以外のものではなかったという。16年前の長野五輪、日本チームの活躍にわいたジャンプ団体で、葛西紀明選手は出場メンバー4人から外れた

ふむ、確かに寅さんの言葉には含蓄がある。アンタとオレはしょせん別の人間なので、アンタが嬉しくたってオレまで嬉しくなるとは限らない、アンタがどんなに悲しくたってホントのところオレにはその気持ちはわからない、それが人間ってもんよ――そういうコトバである。寅さん映画とゆーのは大衆向けの他愛のない娯楽作とみられることが多いけれども、実はこういう怜悧で深い人間観察に裏打ちされているところがスゲエのである。

話がそれてしまったが、ともかくこの導入部については特に言うべきことはない。たしかに葛西選手、横で同輩たちが喜んでただけに却って悔しい思いをしたのだろうな、と思う。本当の孤独というのは、周りに誰もいない状況にではなく、周りで沢山の人が仲良くやっているのに自分だけ蚊帳の外という場面に発生するものなのだ。ところが最後がイケナイ。

どの競技者も自分を極限 まで追い込んでやまない。長い鍛錬の末の、宝石にも似た歓喜のおすそ分けにあずかる、テレビの前の私たちだ▼メダリストは4年に1度の輝きを放ち、力を尽 くした敗者もまた美しい。鮮烈にして良質なドラマの数々はいよいよ終盤へと向かっていく。

これはかなり奇妙な展開ではないか。前段では「オレとオマエは悲しいけれどおんなじ人間じゃないんだよなあ」と人生の真実を語っていたハズなんだが、ここにきて天声人語子は、いとも簡単に前言を翻してしまい、「オマエさんが頑張って獲得した栄誉というのはオレにとっても喜びでもあるゾ、やったやったゾ嬉しいなあ」と突然無邪気なことを言いだしているのだった。

ちょっと聞いてみたいのだが、お前とおれとは別な人間なのに、おれが芋食ったら、お前の尻からプーと屁が出るのだろうか。寅さんのコトバを踏まえていえば、ここは「いくら日本人が金メダルをとろうが、自宅のテレビの前でせんべいかじりながらテレビを観ているオレが何かなし遂げたワケじゃないんだよなあ、それなのにやったやった日本人エライとかいってはしゃいでしまうオレってダメな人間だなあ」といって反省するのがスジではないか。

まぁ「鮮烈にして良質なドラマ」みたいなクサくて鳥肌が立ってしまうようなセリフは許してやるから、天声人語を読むと文章力がつくとか豪語してる以上、せめてこういう支離滅裂な文章を書くのはやめていただきたいものである。