カテゴリ: UFO

そろそろ定年が見えてきたこともあり、死ぬ前にやっておくべきことをちゃんと考え始めないといけないのである。ま、どうせ大したことはできないのだが、本ブログのメインコンテンツである趣味のUFO(笑)関係でいうとひとつ懸案があるので、半ばチラ裏的ブログであるココに、忘れないように書いておく。

趣味で翻訳したジャック・ヴァレの『マゴニアへのパスポート』を、いわゆる「翻訳権の10年留保」によって印刷・頒布した件は当ブログでも過去に記してきたところである。

が、同様にして、全然邦訳がされないのに業を煮やして勝手に翻訳したヴァレのテキストというのはまだまだ手元にあって、具体的にいえばそれは『見えない大学 The Invisible College』『ディメンションズ Dimensions』『コンフロンテーションズ Confrontations』『欺瞞の使者 Messengers of Deception』といったあたりである(ついでに言っとくと、英文をスラスラ読んでその場で理解する能力がないので、やむなくこれらの本も杉田玄白よろしく手探りで訳読してきたのであって、翻訳テキストというのはその副産物である)。

ただそれらはいずれも原著が1970年以後に刊行されたものなので「翻訳権の10年留保」の対象にならず、つまり、勝手に翻訳・公開することはできない。ヴァレが死んで50年だったか経過したら著作権も消失して勝手に本にすることができるようになるわけだが、当然その頃にはオレも死んでいるのだった。

しかし、である。よくよく考えてみれば、私的に翻訳したテキストをノートに書き出したりプリントしたりしている限りでは原著作権者の権利を侵害していることにはなるはずもない。ということは、こういうヴァレのテキストなども、1冊だけ印刷業者さんに刷ってもらって自分の手元に置いておく限りでは何のお咎めもないだろう。

というワケで、こういうテキストを「世界に一冊だけの本」として印刷してもらう。「何の意味があるのか」と言われたら、たぶん何の意味もない。一人で眺めて、読み返して、ニヤニヤして自己満足するだけのことであろう。ただ、よくよく考えると、人間が生きている意味なんてものも、実はあるのかないのかよくわからんし、結局人生は自己満足できりゃあいいのだと考えれば、そういう無駄なプロジェクト(笑)を楽しむというのもアリではないか。

手元にあるテキストはかなり粗っぽいものなので、本の体裁にするんだったらちゃんと翻訳を見直したりしないとならずそれなりの手間にはなるけれども、その辺も含めて老後の楽しみとするテはあるぞと考える今日このごろ。

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ヴァレの本。ちなみにうしろに見える『リヴェレーションズ Revelations』という本はいちおう『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』というクソダっサい書名で邦訳されてるので、翻訳で省かれた部分だけしか訳してはいない。なので「世界に1冊だけの本」プロジェクトの対象外となる)







先ほどツイッターのほうにも書いたのだが、オレは定期的に「ジャック・ヴァレ」を検索して何か情報がないか巡回することにしており、その結果、本日は刮目すべきサイトをふたつも発見した。

ひとつはSF評論家にしてUFO研究家でもあり、なおかつ「ヴァレを日本で最もよく知る男」でもある礒部剛喜さんが書評サイト「シミルボン」で連載している「UFO現象学への招待」の新しいエッセイで、今回登場したのはなんとヴァレの主著『見えない大学』である! 礒部さんがこれまでこのシミルボンで紹介されてこられたのはいずれも英語本で、英語力不如意の身としては全然読んだことがないものばっかりだったワケだが(その中にヴァレの刊行日記があったりするけど通読はしておらんのだ)、この『見えない大学』はオレも努力して何とか通読したヤツで、それだけにとても嬉しい(当ブログで取り上げたこともあるのだッと、ちょっと威張るw)。中身も素晴らしい! ぜひ皆さんも礒部さんが傾ける蘊蓄を楽しんでいただきたい。

もうひとつはフリーライター&書評家の朝宮運河さんのブログで、こちらでは小生も参加させていただいた超常・UFO同人誌「UFO手帖」創刊号の紹介をしておられる。こちらもやはりヴァレ愛(?)を感じさせる内容であり、「UFO手帖」の出来を褒めて頂いておる。小生が翻訳した私家版『マゴニアへのパスポート』の増刷をご所望のようでもあり、いつか何とかしたいなあと思わんでもないのだが、さて、その辺はどうなることやら。

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今晩は酒が入って若干高揚しておるので滅多に書かないブログに連投してしまうわけだが、小生がかねてから待望しておる奇現象研究家、チャールズ・フォートの「呪われしものの書」の邦訳を同様に熱望している方のブログを見つけたので、いささか嬉しくなり、ツイッターにも書いたのだけれども備忘録的にこちらにも記しておく次第。

無断リンクで悪りぃがこちらのサイトである。奇しくも小生が挑戦し挫折した冒頭部の翻訳に、こちらの方も挑んでおられて、苦心惨憺されておられる感じに共感してしまう。

小生は過去に受験英語に取り組んだ程度の経験しかない英語の素人であるが、そういう人間からすると、何か教科書的な文法ではワカラン省略やら飛躍やらがあって実に難しい。

この本についてはあの手だれのUFO研究家・南山宏さんが翻訳に取り組んでおられると仄聞するが、いまなお刊行に至らぬというのは、やはりこの詩的な文章に手こずられておられるのではないか、と勝手に想像する。が、しかし、もうこうなると南山さんに期待するしかないのである。

(いやホントは、英語のすげえ堪能なUFOないし超常現象ファンというのは相当数いるハズなので、いまここで幻の名著を完訳して自費出版でも何でもいいから世に送り出してくれたら後世に不世出の偉人として名前が残りますゼと声を大にして言いたいのだが、いかんせんこの人跡未踏のブログで言ってもそれは詮方無いことであろう・・・orz)

ともあれ、「我々はなにものかの所有物なのではないか」というあの名セリフ(改めてググって調べると原文は「I think we're property」というらしいですな)、ぜひ日本語で読んでみたいものである。死んでしまう前に。








 
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宗教学者のジェフリー・クリパルが、その著書『Authors of the Impossible』で一章を割き、UFO研究家のジャック・ヴァレ論を展開していることは当ブログでも再三書いてきたところである。おおむね読み終わったのでボチボチ内容紹介でもしていこうかと思ってはいるのだが、しかし、ちょっと逡巡しちゃったりしてなかなか進まぬのである。

どういうことかというと、例えば、クリパルはヴァレを評するのに再三「gnostic」という言葉を使っているのだが、これがなかなか厄介だったりする。

この「グノスティック」というのは、一つにはキリスト教の異端の一つとしての「グノーシス派」を形容する言葉であったりするわけだが、一方ではもうちょっと広義の、グノーシス派的な思想・世界観を総称して「グノスティック」という言い方をすることもあるらしい。

さらにいえば、辞書なんかみると、さらにもうひとつ広い意味ということになるんだろうか、「霊的な知恵」とか「霊知」みたいな言葉が当てられていたりもする。この辺になってくると、必ずしも「グノーシス派の思想」とは言い難い「一般的な言葉」みたいなところまで降りてきてしまってるんではないか。知らんけど。

そもそもグノーシス派なんてものはよくわからんのである。というか、もともとキリスト教のオーソドクスさえわかっておらん。再三出てくる「Gnostic」というのはその場面場面でどういう含意で使われているのか、なんて考え出すと、もう迷路状態なのである。

ただまぁ、あんまりその辺にこだわらないでもいいのかもしらん、とも思ってはおるのだ。

クリパルがこの本でどんなことを言っているのかを思い切り簡単に言ってしまうと、そもそもヴァレは科学者なんだけれども、同時に神秘的なモノへの感受性・関心というのも併せ持っている人物であって、つまりそういう微妙な境界線上に位置しているというところに彼の真骨頂がある、というようなことを言っている。

UFOというのはレーダーと同時に目視されたり、あるいは着陸痕を残すなど、物理的現象としての側面があるわけだが、同時にいかにも奇っ怪で悪夢としか思えないような話も付き物である(アブダクションなどを想起されたい)。つまり物質世界のものなのか心霊的な存在なのかよくわからんようなところがある。そういうジャンルであるからこそ、彼のそういう立ち位置というのはスゲエ有効になってくるんじゃねえか、みたいなことをクリパルは言っているワケなのだ。

ただ、そういうサイキック方面への感受性が敏感だといっても、四角四面の教義でがんじがらめのカトリックなんかとはちょいと違う、彼の場合はもう少しプリミティブな霊的感性というかスピリティアリティへの志向があって、その辺を言葉で言い表すなら「グノスティック」がピッタリということになっているのです、ぐらいの理解でも悪かぁないとは思う。「グノスティック=霊知の」みたいなレベルの解釈で通していっても辻褄が合わんことはない。

そういえば、オレのモットーは「英語の本は8割方理解できればヨシとする」というものであった。いろいろ言い訳を書いた今回のエントリーであったが、余裕ができたらクリパルのヴァレ論についてはゼヒ書評(?)を書き残しておきたいものだと思っておる。









UFO研究者であるジャック・ヴァレの本を読んでいて知った人物の一人に、スペイン出身のサルバドール・フレイクセド(注*)という人物がいる。

以前のエントリーでも触れたけれども、彼は元イエズス会士である。その後、カトリックの体制批判などをしたためにバチカンを離れざるを得なくなり、独自の宗教研究に取り組んでいたところでUFOと超常現象のかかわりみたいなところに気づいてしまう。そのあたりの問題意識で通じているということもあってヴァレとの交友も生まれたようなのであるが、ともあれ、そんな路線で長年UFO研究に取り組んできたというユニークな人物である。生まれは1923年というから、もう90歳過ぎの大長老である。

ということでこの人にはちょっと興味を抱いているのだが、むろん日本語の本などは一切ない。ネットでググってみても日本語だと自分の書いたものしかヒットしない(笑)。スペイン語など当然読めない。しょうがないので英語の本でも読もうかと考えたのだが、どうやらずっとスペイン語で書いている人らしく、英訳されたのは1冊しかないようだ。
これである↓

 Visionaries, Mystics, and Contactees Paperback – April 1, 1992
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日本語にすると『幻視者・神秘家・コンタクティー』といったところか。

英語力不如意ではあるが、彼のことをもうすこし知るにはやむを得ない、これを読むしかない。というワケで先にこの本を買い求めた。今後、読書メモがわりにブログに随時記事を落としていこうという算段である。関心のある方は以後定期的にチェックされるがよかろう(そんな輩はいるのかw)。

で、まだ前書きしか読んでない(笑)のだが、前書きを書いているのはやはりUFO研究家で先に亡くなったジョン・A・キールである。冒頭、こんな事を言っている(以下、意訳が過ぎるかもしれぬがご容赦あれ)。

何の考えもなくただ部屋に入りこんできた人物――彼をそんな風に考えたとしたら大間違いだ。エネルギーに満ち溢れ、様々なアイデアをほとばしらせる彼は、その場で自らの考えを炸裂させる。そこには変化をもたらそうという強い思いがある。ほとんどの人間であれば落ち着いた隠居生活を考えるような年齢でありながら、友人たちからサルバドール・フレイチャドと呼ばれているこの神父は、世界じゅうを駆け回り、講演を重ね、新たなる素材を集め、執筆をし、そして新たなる地平を切り拓き続けている。

すっげえバイタリティのある人、ということらしい。で、キールは、UFO現象というのは「人間の側にいかなるものとして立ち現れたか」というのが重要なポイントであり、つまりは客観的な科学的分析の対象というよりは主観的な或る種の宗教体験と重なるところがあるんで、宗教を熟知したこの元イエズス会士の言うことには一目置かざるを得ない、というような主張をしておる。

で、実に興味深いのだが、キールは次のような事も言っている。

この神父はUFOの世界にあって余人をもって代え難い人物である。彼は思想家である。ほとんどのUFO本はポルノグラフィーの如きものである。それは、読者の手を取り、非常に低次元な低劣な情動のレベルへと連れこむことで読む者を興奮させようとする。

総じてみれば、UFO本を読む人間というのは、「陰謀論だとか政府による抑圧といったお話を読んだ末にカッとなって怒りがこみあげる」といった刺激的体験をすることを求めているのだ。結果として、このテーマを取り扱う際には知能指数など不要だということになる。ただ「疑う」姿勢を捨て去ること、ナイーブな騙されやすささえあれば良いのだ。

かくて、映画の中のジェームズ・ボンドのおよそありえないおふざけシーンの如く、墜落した円盤の話が盲目的に受け入れられてしまう。神父はこの種のポルノを提供しているわけではない。彼はあなた方の考えるための器官=頭脳がちゃんと働くよう、頭を揺り動かしてくれるのだ。

うーむ、キールの啖呵はなかなか格好いいぜ。フレイクセドは「ポルノじゃない」んだぞ。が、しかし、これを読むと、フレイクセドはこの本で聖書の話とかマジで展開しやがるんではないかというイヤな予感がする。何せキリスト教に縁のない東洋人にとってみれば聖書は鬼門である。筒井康隆の「バブリング創世記」で茶化されたみたいに(とりわけ旧約)聖書の記述はやたらと冗長でフツーの日本人の神経では読み通せるものではない。

そういや、こないだの大統領就任式で、トランプは旧約聖書詩編133から「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」というくだりを引用したらしいが、確か主要新聞では朝日だけが「これは引用である」ということをちゃんと書いたのに対し、他の新聞はこれが聖書の言葉だとわかんなかったようである(たしか池上彰がどっかに書いていた)。当然オレも全然わからん。つまり、それほど日本人にとって聖書の世界は縁遠いのである。

ということで、前途多難ではあるけれども、これからヒマがあればこの本を読んで、読書メモ的なエントリーを書いていきたいと思う所存。171頁の薄い本ではあるが、何年かかることやら(笑)。

注*:なお、この人の名前の読み方はいぜんとしてナゾである。
キールはこの前書きで、「pronounced fray-cha-do」と読み方を明示しており、つまり「フレイチャド」だと言っておるんだが、Youtubeとかでわからんながらもスペイン語の番組などを聴いていると「フレイクセド」と発音されているようにも思える。よくわからんので、とりあえずフレイクセドとしておくけども。











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あんまり放置しているのも何なので、むかし「mixiレビュー」に書いた感想文を転載しておこう。よいお年を。



著書自身も語っているように、この本が俎上に上げているのは決して「UFOの正体とは何か」といった問題ではありません。UFOという現象の「語られ方」が時代とともにどのように変わってきたかを論じ、いわばUFOを鏡としてワレワレのモノの考え方、時代思潮がどう変わってきたのかを考えようという本です。まぁ言ってみればUFO現象をサカナにした社会・文明評論といったものなのですが、しかしなかなかユニークな本ではあります。

非常に強引に要約してみましょう。ケネス・アーノルド事件から1970年代はじめにかけてのUFOシーンというのは、「進んだテクノロジー」をもつ「宇宙人」が宇宙船に乗ってやってきているのではないか的な発想を総じて持っていた、と。「科学の進歩」が素直に信じられていた時代であり、「進んだ宇宙人」と「遅れた地球文明」の対比で奴等をイメージしていたというんですな。つまり進歩を信じられた近代主義の時代特有の「円盤」観であった、というのですな。もうひとついうと、古くはこの近代主義にみられる「何か確固としたよりどころがある」とゆー世界観を支えたのは「宗教」だったりしたわけだけど、それがこの時代には「科学」になっていたからこそ、高度に発達した文明の象徴としての円盤にみなナットクしたという話ですね。

それが73年ぐらい頃から、思想界におけるポストモダンの進行と相まって、ワレワレの周りでも「何か確固とした準拠枠みたいなもの」が崩れ始めた。大文字の「真実」なんてものはない、というわけで、そこから出てきたのがUFOシーンにおける陰謀説であったりする。アブダクションケースやらキャトルミューティレーションやら何か恐ろしげな企みに関係するものとしてUFO問題が語られるようになる。

著者は95年ぐらいからさらに事態は進展している、というのですが、そこから先に書いてあることは実はよくわかりませんでした。またじっくり再読してみたいのですが、とりあえずの印象でいえば、もはやこのポストモダン的な状況は変わることはなく、もはやUFOシーンにかかわる大きなテーゼなど成り立ちようもない、断片的な情報が浮遊するばかりの状況が続くのであろうというような事を言ってるように思われます。

著者はJ・G・バラードあたりを専門とする文学研究者のようですが、ともあれ変わり種のUFO本として(しかもメジャーな出版社から新書で出た、ということも含めて)一読に足る本とはいえそうです。



【2016/12/30時点の追記】
なお、アマゾンのレビューをザッと見てみたんだが、けっこう辛い点がついている。「方法論的に極めて粗雑かつナイーヴで、恣意的な素材に基づいて尤もらしい与太話を飛ばしている」みたいな評もあって、つまり「これは学者の書く評論じゃないだろう」という批判なのだろう。学術的じゃない、というか。
ただどうなんだろう、これは学術論文ではなくて、エッセイ寄りの評論みたいなもんじゃないのかな。「ナッツ&ボルトの宇宙船って流行らなくなったよねー、これって何か時代とリンクしてる感じあるよねー」という本なので、別に「検証」を期待しちゃったりするのは違うと思う。



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去る11月23日、「文学フリマ東京」に参加したUFO同人誌界の雄「Spファイル友の会」のご厚意でブースに私家版『マゴニアへのパスポート』を置かせて頂けることになり、慌てて作った第2版を持ち込みました。

実費相当とはいいながら価格的にはちと高いこともあり、どうかと思っていたのですが、意外なことに今回持ち込んだ分はおかげさまで完売ということに相成りました。「友の会」の今回の新刊であるところの「UFO手帖」創刊号ともどもお買上げ頂いた方には深く御礼を申し上げます。

*ちなみに「UFO手帖」創刊号ではジャック・ヴァレ特集をしている関係もあり、小生も寄稿をしております。とても良い本なので未入手のUFOファンの皆様におかれましては通販が始まったら是非ご購入されんことをオススメいたします。

さて、この『マゴニアへのパスポート』第2版ですが、追加で若干部刷ってみました。こちらのほうにメールフォームを置いておきますので、購入ご希望の方はご覧ください。仕様はA5判・398ページ。初版に散見された誤植を訂正した上で末尾に訳者あとがきをつけ、表紙の装丁を若干変えました。

売り切れの場合はご容赦ください。

【追記】
ただいま12月5日午後10時ですが、おかげさまで完売いたしました。購入頂いた方々には大変ありがとうございました。

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以前「読みたいUFO本」というエントリーを書いたが、最近、このうち『パプア島の円盤騒動』をネット古書店で購入した。まだ読んでないが、入手できてちょっと嬉しい(笑)。

ちなみにこの他にも(別にそんなに珍しい本じゃないけど)興味深いのが何冊か出ていたので、併せて購入する。エメ・ミシェルが1954年に出した最初のUFO本『Lueurs sur les soucoupes volantes』の邦訳書『空飛ぶ円盤は実在する』や、平野レミさんの父君としても知られる仏文学者・平野威馬雄の本、等々。

で、これはツイッターの方でも書いたことなのだが、今回買った本にはどれも「愛知日進UFO研究会」「代表者 渡辺綱吉」というスタンプが押してある。

愛知方面のUFO愛好家の蔵書であったことがわかるのだが、ネットで検索しても「愛知日進UFO研究会」なる組織のことはヒットしない。「渡辺綱吉」さんの方をググると、同姓同名の法学者の方が愛知学院大にいたらしく、愛知つながりということもある、ひょっとしたらこの方が趣味のUFO研究をなさっていたのかもしれない。

ともあれ、「愛知日進UFO研究会」も現存しているとは思われぬし、本の古びたたたずまいからしても、代表者の方は亡くなられてしまい、それがために関連のUFO本が今回まとまって古本屋に出てきた、ということではないかと想像する。

買った本には、いずれも丁寧にパラフィン紙がかけられており(撮影するときには外した)、背表紙には蔵書番号が書き込まれたシールが貼ってある。持ち主の方にとっては自慢のUFO蔵書だったんだろうなあと思いつつ、代表を務めたUFO研究会は今はもう誰からも忘れられ、集めた図書類もこうやって四散していかざるを得ない。

やはりUFOは「冬の時代」なのだ。なんとも淋しいものである。









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青森CM記事

(1989年11月9日 読売新聞青森県版)


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今回は、日本語でググッてみると、なんと私が書いたものしかヒットしないという伝説の超マイナーUFO研究家、サルバドール・フレイクセドについての情報である。

この方はスペインのガリシア生まれということなのだが、ずっとナゾなのが「この人の名前はどう発音するのか」という問題だ。

スペイン語で「Salvador Freixedo」。そもそもスペイン語は基本的にはローマ字読みで素直に発音すればいいと聞いておるので、ならば「サルバドール・フレイクセド」でいいハズなのだが、「フレイシェド」「フレイキセド」「フレイチャド」等々、いろんな説が出てきてしまった。

*そのあたりは小生のツイッター、たとえばココとかココとかココとかココあたり参照のこと。

で、今回、新たに外国語の発音サイトを見つけたので、試してみた(ちなみにサインインするのにFacebookのアカなどを求められたので面倒なサイトである)。

「スペイン式発音」「メキシコ式発音」とあるのだが、「スペイン式発音」だと、どうも「フレイセド」に聞こえる。

? ということは、また新説の登場ではないか!

ちなみに「メキシコ式発音」のほうだと、これは「フレイクセド」。う~ん、ナゾは深まるばかりである。

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