カテゴリ: 読書感想文

オカルト・クロニクル」といえば、もう何年前であったか、オレがウェブ上で偶然に遭遇したサイトであった。

一読、魅了された。オカルトという括りがいいのかどうかは知らんが、未解決事件や怪現象、奇人伝といったものなども含めてミステリアスなお話を世界各地から渉猟し、書籍・ウェブなどフルに活用して調べ上げた報告が山盛りである。

で、加えて特筆すべきはその主宰者・松閣オルタ氏の文体である。

そこにあるのは「ミステリーって大好きなんだよなー。けど、ま、オレもそんなマジで信じてるわけじゃないから」的な、いわば斜に構えた姿勢であって、謎に惹かれる自分を認めつつ同時に「そうそう簡単に信じてたまるか」的なツッコミを入れる。諧謔に満ちたノリツッコミ文体といえばよかろうか。そこに生じるのは自らをも客観視するところに生まれるユーモアというヤツである。

考えてみると「信じたい。が、信じられない」的なこの二律背反的感覚というのは、おそらくは子供時代に1970年代のオカルトブームの洗礼を受け、だが長じるにつれて「そうはいってもそんなのHOAXだよなあ」という「常識」に屈してきたオレなどの世代からすると、相当に普遍的なものがあるような気がする。だからこその魅力、ということになるのだろう。松閣氏はしばしば読者に対して「諸兄」などと呼びかけているのだが、多くの人々が「あぁオレもその<諸兄>の一人だわ」と思ったであろうことは疑いない。

そんなクオリティの高いサイトであるだけに、オレなども以前、これは本にするべきだなどとツイッターに書いていたのだが、今回それが本当に本になってしまった。


ほとんどはサイトの記事の再録ではあるのだが、寄る年波で老眼が進み、かつ眼精疲労に悩まされているオレなどからすると紙ベースの本はやっぱり読みやすいし、そもそも細かい内容は忘れてしまっている(笑)。書籍化は実に慶賀すべきことである。

で、感想文などと称してはいるが、なんかここまで書くのに疲れてしまったのでもう内容には触れないけれども(笑)「この世界の現実はほんとうに現実なのか。そこには何かまだウラがあるんじゃねーか。だがそうそう簡単には納得しねえからな証拠だしやがれこのヤロウ!」などと心中に思うところのある人はぜひ読んで頂きたい。そこには「現実ならざるもの」へと至る極めて細い糸がいまだ奇跡的に残されている、ようにも見えるから。

なお、「あ、わりぃ、オレはサイトで済ませるわ」という人もいるかもしらんが、著者の今後の調査活動の継続を願うのであれば「お布施」的に書籍を買うがよろしかろう。取り上げている項目についてはアマゾンのサイトなんかでも見られるけど、以下、参考のために目次だけ掲載しておこう。



もくじ
はじめに
――信奉者はタフなロマンを! 信奉者の敵は懐疑論ではなく安易な否定論だ!

ディアトロフ峠事件
――ロシア史上最も不可解な謎の事件

熊取町七名連続怪死事件
――日本版『ツイン・ピークス』の謎

青年は「虹」に何を見たのか
――地震予知に捧げた椋平廣吉の人生

セイラム魔女裁判
――はたして、村に魔女は本当にいたのか……

坪野鉱泉肝試し失踪事件
――ふたりの少女はどこへ消えたのか……

「迷宮」
――平成の怪事件・井の頭バラバラ殺人事件

「人間の足首」が次々と漂着する“怪"
――セイリッシュ海の未解決ミステリー事件

「謎多き未解決事件」
――京都長岡ワラビ採り殺人事件

ミイラ漂流船
――良栄丸の怪奇

科学が襲ってくる――
フィラデルフィア実験の狂気

岐阜県富加町「幽霊団地」
――住民を襲った「ポルターガイスト」の正体

八丈島火葬場七体人骨事件
――未解決に終わった“密室のミステリー"

獣人ヒバゴン
――昭和の闇に消えた幻の怪物

ファティマに降りた聖母
――7万人の見た奇蹟

赤城神社「主婦失踪」事件
――「神隠し」のごとく、ひとりの女性が、消えた


で、オシマイに書き残したことを若干。

■ これはアマゾンレビューなんかにも書いてた人がいたが、特に事件モノについての記述というのは得てして「ゲスい」感じに陥りがちなのだが、著者はその辺なかなか抑制が効いていて、ふざけた感じの文体とは裏腹に実は倫理感の高い方だとオレはにらんでいる。そういう意味でもオススメ

■ 著者はイラストの才もお持ちのようで、ウェブ版をみると美麗なイラストを多数掲載しておられる。書籍版のほうではさすがにそういうビジュアルは(一部小さく載ってるんだが)ほとんどプッシュされておらず、まずは書籍を買ったという方もサイトをお訪ねになると良い。本に載っていないネタもいっぱいあるし

■ オレからすると、今回の書籍にはあんまりUFOネタが出てこなかったのが残念であった。が、「UFO冬の時代」なので編集者目線からするとその辺は仕方ないのかもしれない。続刊があればヨロシク、といったところであろうか

■ 編集者といえば、オレが買った初版では冒頭のまえがきでいきなり文法的にヘンな言い回しを発見したのだが、編集者とか校閲とかはゲラの最初の数ページぐらいはちゃんと気合入れて読むものではないのか(途中でダレるのは理解するw)。「本が売れねーんだYO! 労働強化されてンだYO! 徹夜続きなんだYO! それどころじゃねーんだYO!」ということなのか

■ これはどうでもいいことだが、参考資料の項目にオレのこのサイトがチラッと載っていて、こんな人外魔境サイトにまでいちおう仁義を切って頂いたというところからして著者は人格者であるに違いない

(おわり)

























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在野の奇譚収集家がコツコツと集めた怪奇現象の「おはなし」を事典形式の本にした『日本現代怪異事典』をようやく読み終えた。


もともとコミケか何かに出して評判になり、それがきっかけで刊行された本らしいが、500ページもあって読み応え十分。というか、もう年も取って記憶力が減衰しているので、読んでるうちに最初の方の話を忘れていってしまうという体たらくである。

まあそれはそれとして、大変な労作であり、著者の健闘をたたえたい。

以下は読んでいて思ったことのメモ。

■校閲の甘さが惜しまれる
 これはツイッターのほうにも書いたが、校閲の確かさは事典の生命線である。かなりのミスが散見されたのは惜しまれる。

■松谷みよ子は偉い
 こういう本なので、先人の業績からの引用がキモになる。そういう目で見ると松谷みよ子の『現代民話考』が再三引用されており、長年こういう奇譚を集めてきた松谷さん偉かったなあと改めて思う。あと、渡辺節子/岩倉千春『夢で田中にふりむくな―ひとりでは読めない怖い話』という本もたびたび文中に出てきて、何だか非常に面白そうなのだが、こちらは絶版で入手困難であるようだ。残念である。

■「怪異」ということば
 これまたツイッターで書いた話であるけれども、タイトルにもなっている「怪異」というのは、フツー「奇怪な現象」ぐらいの意味で使われると思うのだが、この本の中では幽霊狐狸妖怪のたぐい、つまり何らかの人格的な存在をもあわせたあれやこれやをも総称して「怪異」と言っている。
 日本語としては、やっぱ何か奇異な感じがする。じゃあ、それにかわるワーディングがありうるかというとなかなか難しいのではあるが。

■地元の怪異
 オレはいま東京の郊外に住んでいるのだが、通勤に利用している某東京メトロの路線にかかわる「怪異」が一つ紹介されていた。いわゆる「異界駅」の話である。まったく歴史的な陰影のないところを突っ切って走る鉄道でもあり、この手の奇怪な話にはまったくそぐわない土地柄なのだが、人間の想像力というのはそういう空虚な土地にも何かを読み込むことができるだとすれば、それはそれで大したものじゃないか、と思ったりした。

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UFOは…飛んでいる!

ジャン-ジャック・ヴラスコ
宝島社
2008-02-21




このあいだ古本で買ったジャン-ジャック・ヴラスコ&ニコラ・モンティジアニ『UFOは…飛んでいる!』(2008年、宝島社)をとりあえずザッと読んだので、今回はその感想文。

著者のジャン-ジャック・ヴラスコというのはフランスの公的UFO調査機関のトップだった人物である(もう一人著者として名前の挙がってるニコラ・モンティジアニというのはどういう素性の人物かわからんが、おそらくライターか何かで、ヴラスコの話を聞いてこの本を実際に書いた人間ではないかと思われる。この本ではまえがきを署名入りで書いているほか、末尾にヴラスコへのインタビュアーとして登場してもいる)。

そもそも「フランスには公的UFO調査機関がある」という話は、UFOファンであればしばしば耳にするところである。だが、ご承知のように日本のUFO研究っつーのはだいたい米国方面ばっかり見てるから、そのあたりの事情が日本に紹介される機会というのはあんまりない。そういう意味で、この本はなかなかに貴重なものであると思う。

閑話休題。本書によれば、そもそもフランスには「国立宇宙研究センター」(CNES:クネス)なる機関がある。言ってみれば、米国におけるNASA、日本におけるJAXAみたいなもんと考えれば良かろう。

で、このクネスの中に1977年に開設されたのがGEPAN(ジェパン:宇宙空間における未確認の現象に対する研究を行うグループ)である。ここではUFOと言わずにフランス語のPANなるコトバを用いているので、GE"PAN"という言い方になるようであるが、ともかく「UFOとはなんぞや」を調査する部局である。

これが1988年に改名されてSEPRA(セプラ:宇宙空間における気象現象を調査する部局)、2005年にはもう一回名前を変えてGEIPAN(ジェイパン:大気圏内における未確認の現象に関する研究および情報収集を行う専門部署)となる。やってることは別に変わってないということのようだ。以上をまとめてみると次のようになる。

1977 GEPAN(ジェパン)発足
1988 SEPRA(セプラ)に改名
2005 GEIPAN(ジェイパン)に改名

この部局の代表者は最初は天文学者のクロード・ポエル(UFO関係の話ではたびたび出てくる人だ)であった。これが、発足翌年の78年にはエンジニアのアラン・エステルに変わる。で、83年に三代目として登場したのが、このヴラスコであった(ちなみに彼は、GEPANの発足時から光学エンジニアとしてその活動に参画していたようである)。

で、2005年に組織がGEIPANへと再編され、代表にエンジニアのジャック・パトネが就くまで、彼はその職責を全うする。つまりヴラスコは、GEPANジェパン時代からSEPRAセプラの最後までの計22年間にわたってフランスのUFO研究の最先端にいた人物で、そういう人物がUFOをどう見ておるのかというのが本書のキモになるわけだ。

ここでは詳細をすっ飛ばして言ってしまうけれども、彼の主張というのは、「(目撃者の)証言が正確で首尾一貫しているけれども、現在の科学では説明できないもの」(彼はこれをカテゴリー「パンD」と呼んでおる)というのは一定のパーセントで確かに存在するわけだが、おそらくそれらは外宇宙から飛来したものであって、そして、その動機はおそらく人類の生み出した核兵器への関心と結びついている――というもののようだ。

「ああET仮説なのかこの人は」と感心しながら読んだのだが、それはそれとして、細部にもいろいろ面白く読んだところがある。

■その方法論
彼は、GEPANの調査方法について「四面体モデル」であると言っている。つまり探求すべきポイントとしては①証言②証人③物理的データ④文化・社会的背景――の4つがあるという。

ま、証言内容を吟味し、証人が信頼に足る人物かどうかを確認し、物理的証拠を探す、というのは当然のことだが、「文化・社会的背景」というのは確かに忘れられがちなポイントである(たとえばヒル夫妻は当時は珍しかった黒人夫&白人妻のカップルとして日常的に凄いプレッシャーを抱えていた、みたいな側面だろう)。これはとても良いことを言っていると思う。

■レーダー重視
あと、GEPAN、SEPRAではことのほか航空機のからんだレーダー&目視事例を高く評価してきたことがわかる。やはり航空関係者の証言だとか物証としてのレーダー記録だとかは相当な程度まで信頼性を担保するから、そのへんのスタンスにはさすが「国家機関なんで(`・ω・´)キリッ」という雰囲気がないではない(ちなみに、そういう文脈で寺内謙寿機長の日航機アラスカ事件なんかも中に出てくる)。

■フランスの事例
上に書いたように、レーダー事例はワシントン上空乱舞事件はじめ積極的に紹介しておるのだが、必ずしもそのへんにこだわらず取り上げた事例もある。中にはソコロ事件なんかもあるが、注目したいのは地元フランスの事例である。フランス政府がUFOと認定した3ツの事例(笑)を紹介する章があって、これはなかなか面白い。具体的にいうとそのうち2ツは着陸事例で、1982年10月21日のナンシー事件、1981年1月8日のトラン・ザン・プロヴァンス事件。もうひとつは1994年1月28日のエールフランス機事件である(最後のはレーダー事例でもある)。

■フランスからみた米国
この本はけっこうUFO研究史みたいなところにも触れてて、つまりは必然的にアメリカの調査機関とかの歴史的展開についても書いている。で、ひとつ面白いなと思ったのは、米連邦議会調査局の科学技術アナリスト、マーシャ・スミスなる人物が同局の依頼を受けて作成したという調査文書「UFOの謎」(1976年3月)に高い評価を与えていることだ。


UFOを決して認めようとしない人だけでなく、UFO肯定派の人々も、スミスの文書を無視してきた。私には、このことが不思議でならなかった。UFOの歴史を偏りなく網羅したこの文書は、第一級の資料である。これを読めば、素人の読者もUFOについて客観的な見方を育てることができるだろう。(142ページ)


ここまでベタ褒めしており、実際に1981年にはGEPANとしてこの文書を仏訳したとか書いてある。恥ずかしながら、オレなんかもこの文書のことは知らんかったが、ネットにはそれらしきものが上がっている。「フランスからの視点」的なものが何か意味をもってたりするのかな、と思う。いつかこれも読んでみたいものだ。

あと、カール・グスタフ・ユングがNICAP(全米空中現象調査委員会)に入っていたというような話もあって、本の最後にはNICAPの首領、ドナルド・キーホーにユングが送った手紙なんてものまで出てくる。大西洋を超えたUFO史みたいなものがあったんかなぁなどといろいろ想像に誘ってくれるところも、この本の面白いところであろう。(おわり)


【追記】
なお、日本のUFOファンの間には、「このGEIPANというのは何と読めばいいのか問題」というのがあって、つまりフランス語に堪能なUFOファンというのはあんまり居ないというのがその背景にあるのだが、これについては「ジェイパン」説と「ゲイパン」説がある。

本書はいちおうフランス語に堪能な人が訳したと思われるのだが、ここでは「ジェイパン」としておる。ところが、やはりフランス語に堪能で現地に住んでいるとおぼしき人の書いたこのブログでは「ゲイパン」としている。

アメリカのイーグル・リバー事件における目撃者 Joe Simonton が「シモントン」なのか「サイモントン」かに次ぐ大問題といえる。

が、よく考えたら天下のNHKがたしか「幻解!超常ファイル」で、この部局の人の取材をしていた記憶がある。それを視聴すれば「天下のNHKがどういっているか」で、この問題はいちおうの決着をみることにいま気づいた。誰か見てきて。











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ジュリア・ショウ『脳はなぜ都合よく記憶するのか』読了。



 

「記憶とは何ぞや」という問題にはずっと関心があった。当ブログのメインテーマと関連づけていえば、それは実はUFOの問題なんかとも密接にかかわっている。とりわけUFOに絡むアブダクション事件、つまりエイリアンによる誘拐事件というのは、「悪夢に悩まされるようになった人が退行催眠を受けたところ、エイリアンに掠われた記憶を思い出す」といったパターンで明るみにでるケースが多い(その嚆矢といわれる1961年のヒル夫妻事件からしてこのパターンだ)。

しかしこの手の話では、「そうやって思い出した記憶は本当にあったことなんだろうか?」というツッコミが必ず入る。確かに催眠術をかけられた人は暗示にとてもかかり易くなるという。施術者のさりげない言葉で話を「作ってしまう」危険は広く指摘されているところである。

というわけで「記憶ってヤツはけっこう怪しいんじゃねーの?」という認識はUFOファンが常に心しておかねばならぬ常識である。だからオレもたまにそういった虚偽記憶の研究をしている認知心理学者のエリザベス・ロフタスあたりの本を読んできたりしたのだった。そんな流れで読んだのが今回のこの本である。

著者のジュリア・ショウはイギリスの記憶研究者だそうだ。本のカバーの著者近影ってヤツをみるとかなりの美人であるが、本の中身の方もとても良かった。けっこう文才がある人のようで、素人にも平易に読める。脳科学から認知心理学まで、ここ数年の間に出た研究論文なんかもいろいろ紹介しているから、たぶん本作には最新の研究成果がコンパクトに詰まっているのだろう。ちなみに原著『THE MEMORY ILLUSION』は昨年2016年の刊である。

さて。ひと言でいってしまうと、「記憶ってのは全然安定したものじゃなくて、簡単に改変されちゃう、実にあやふやなものなんだよ」というのがこの本の主張である。脳内における記憶のシステムというのは何だかよくわかってないところが多いようだが、どうもこの本を読むと、記憶というのは「客観的なデータ」みたいなものが脳味噌の中に収まってるんじゃなくて、脳内のいろんなニューロンを連合させてそのつど「創造」されるものと考えた方がいいらしい。そのつど作るンであれば、いろいろ歪んだりぶれたりするのも当然である。

であるからこそ著者は「あなたの小さい頃、こんなことがありましたね?」というニセの記憶を植えつける実験なんかもやっておるわけで(ロフタスなんかもやってたようだが)、しかしそれはこういう研究者にとってみればいとも簡単なことなのだった。

で、紹介されるエピソードがいちいち興味深い。

例えば、自分で体験した出来事を文章に書きだしてみると、その後の記憶はこの「書いた文章」に引っ張られてしまい、かえって不正確なものになっちまったりする、という話がある。「経験した記憶」を「記述した記憶」が押しのけてしまうという理屈で、「言語隠蔽効果」と言うそうだ。狂牛病の時に「悪玉」として有名になったプリオンなんてのも、実は長期記憶のために重要な役割を果たしてるンだって。初耳であった。

あるいは、SNSばっかりやってると、人の体験を自分のものと混同しちまうような事もあるらしい。記憶は「伝染」したり、あるいは「汚染」されたりするンである。「サブリミナル学習」なんかも全然効果ナシ。例の退行催眠にも触れているけど、これも大ウソと断言する。実に小気味良い。

あと、「フェルスエーカーズ事件」というのが紹介されていて、これは子供たちの証言で託児所の職員が逮捕された「幼児虐待」事件なんだが、どうやら子供たちは「ニセ記憶」を植えつけられていたらしく、以前読んだローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』を思い出した。そこから引き出される「証言頼りの犯罪捜査ってえのはホント危ねえんだよ」という主張も実に正当である。

こういう最新科学の成果を教えてくれる啓蒙的な本というのは実に大事であると改めて痛感した次第である。

最後に一つ気になったことを。本書では
「過誤記憶」という言葉が使われていて、これは FALSE MEMORY の訳語であると思うのだが、これまで多くの本は「虚偽記憶」という訳を用いてきた筈である。ウィキペディアをみたら、「虚偽」っつーと何か「嘘つき」みたいなイメージが連想されるので宜しくない、ということで新しい訳語が登場したということらしい。解るけれども、なんかひと言説明欲しかった。

あ、そうだもう一つあって、この本は「原注は講談社のホームページから落としてください」みたいな事が書いてあって、本の中にはその原注が無い。 せいぜい10ページかそこら、何とか入れられなかったのか、こういう本作りでいいのかと小一時間説教をしたい気分である。が、意外と最近はこういう本作りが許されちゃったりするのであろうか?
 
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これが Julia Shaw。美形でアル。


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あんまり放置しているのも何なので、むかし「mixiレビュー」に書いた感想文を転載しておこう。よいお年を。



著書自身も語っているように、この本が俎上に上げているのは決して「UFOの正体とは何か」といった問題ではありません。UFOという現象の「語られ方」が時代とともにどのように変わってきたかを論じ、いわばUFOを鏡としてワレワレのモノの考え方、時代思潮がどう変わってきたのかを考えようという本です。まぁ言ってみればUFO現象をサカナにした社会・文明評論といったものなのですが、しかしなかなかユニークな本ではあります。

非常に強引に要約してみましょう。ケネス・アーノルド事件から1970年代はじめにかけてのUFOシーンというのは、「進んだテクノロジー」をもつ「宇宙人」が宇宙船に乗ってやってきているのではないか的な発想を総じて持っていた、と。「科学の進歩」が素直に信じられていた時代であり、「進んだ宇宙人」と「遅れた地球文明」の対比で奴等をイメージしていたというんですな。つまり進歩を信じられた近代主義の時代特有の「円盤」観であった、というのですな。もうひとついうと、古くはこの近代主義にみられる「何か確固としたよりどころがある」とゆー世界観を支えたのは「宗教」だったりしたわけだけど、それがこの時代には「科学」になっていたからこそ、高度に発達した文明の象徴としての円盤にみなナットクしたという話ですね。

それが73年ぐらい頃から、思想界におけるポストモダンの進行と相まって、ワレワレの周りでも「何か確固とした準拠枠みたいなもの」が崩れ始めた。大文字の「真実」なんてものはない、というわけで、そこから出てきたのがUFOシーンにおける陰謀説であったりする。アブダクションケースやらキャトルミューティレーションやら何か恐ろしげな企みに関係するものとしてUFO問題が語られるようになる。

著者は95年ぐらいからさらに事態は進展している、というのですが、そこから先に書いてあることは実はよくわかりませんでした。またじっくり再読してみたいのですが、とりあえずの印象でいえば、もはやこのポストモダン的な状況は変わることはなく、もはやUFOシーンにかかわる大きなテーゼなど成り立ちようもない、断片的な情報が浮遊するばかりの状況が続くのであろうというような事を言ってるように思われます。

著者はJ・G・バラードあたりを専門とする文学研究者のようですが、ともあれ変わり種のUFO本として(しかもメジャーな出版社から新書で出た、ということも含めて)一読に足る本とはいえそうです。



【2016/12/30時点の追記】
なお、アマゾンのレビューをザッと見てみたんだが、けっこう辛い点がついている。「方法論的に極めて粗雑かつナイーヴで、恣意的な素材に基づいて尤もらしい与太話を飛ばしている」みたいな評もあって、つまり「これは学者の書く評論じゃないだろう」という批判なのだろう。学術的じゃない、というか。
ただどうなんだろう、これは学術論文ではなくて、エッセイ寄りの評論みたいなもんじゃないのかな。「ナッツ&ボルトの宇宙船って流行らなくなったよねー、これって何か時代とリンクしてる感じあるよねー」という本なので、別に「検証」を期待しちゃったりするのは違うと思う。



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以下、ツイッターで書いたものの(ほぼ)再掲。
高橋昌一郎「反オカルト論」読了。

ハイズビル事件の立役者で、近代スピリチュアリズムの「創始者」ともされるマーガレット・フォックスが、婚約までした冒険家・医師のエリシャ・ケインから「降霊詐欺は辞めろ」と再三手紙を受け取っていたこと、そのやりとりを彼が早世した後「ケイン博士の愛の人生 The Love-Life of Dr. Kane」なる本で公開していたこと等々、知らん話が色々出てきて勉強になる。

彼女が1888年、新聞でトリックを告白したというのはよく聞く話だが、同年、ルーベン・ダベンポートがスピリチュアリズムを徹底批判する「デス・ブロウ・トゥ・スピリチュアリズム The Death-Blow to Spiritualism」なる本を出した際、全面協力していたという話も出てくる。これも知らなんだ。

STAP問題が出てくるなど「反オカルト論」というより「反科学論」ではないかと思わんこともないが、ササッと読めて面白い。なお、大川隆法によれば麻生太郎は「真田正幸」の生まれ変わりである(133p)というくだりがあるが、これは「昌幸」であろう。増刷時には修正されんことを。
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反オカルト論 (光文社新書)
高橋 昌一郎
光文社
2016-09-15



高橋昌一郎『反オカルト論』 (光文社新書)を読んでいたら、東大の進学ガイドブックに学生さんが書いた理学部数学科へのおさそい(?)のメッセージが引用されていた。以前どっかで読んだこともあるような気がしたが、ともかく次のような文章である。


東京大学理学部数学科

数学科に進学することは人生の多くのものを諦めるということである。言わずと知れた東大数学科の院試の難しさ、就職率の悪さ、学生間の関係の希薄さは言うまでもないが、加えて人間的な余裕をも諦めなければならない。数学の抽象度は日ごとに増し、数学科生は日夜数学のことを考えながら生きていくことを強いられる。某教授に言わせれば、『数学を考えようと思って考えているうちは二流である。無意識の夢の中でも考えられるようになって初めて一流である』だそう。そのような生活の果てにあるのは疲れ切った頭脳と荒廃した精神のみである。


一見とても自虐的なことが書いてあるのだが、しかし、本来の学問というのは「ありとあらゆる苦難を舐めてもなおその先を見極めたい」というやむにやまれぬ情熱に駆りたてられてやるものなのだということを暗に説いており、そういう人こそ数学の道に来て頂きたい、と言っているのである。なるほどこれは核心を衝いておるワイと思った。

そして、この言葉はおそらく、数学の研究者についてのみ当てはまるものではない。この文章の「数学」というところを他の学問に入れ替えても、その文意は十分に通じるのである(とりわけ「すぐには役立たない学問」を代入するとしっくりくる。哲学とか)。以下、○○に各自お好きな学問の名前を当てはめてお読み頂きたい。


○○科に進学することは人生の多くのものを諦めるということである。言わずと知れた東大○○科の院試の難しさ、就職率の悪さ、学生間の関係の希薄さは言うまでもないが、加えて人間的な余裕をも諦めなければならない。○○の抽象度は日ごとに増し、○○科生は日夜○○のことを考えながら生きていくことを強いられる。某教授に言わせれば、『○○を考えようと思って考えているうちは二流である。無意識の夢の中でも考えられるようになって初めて一流である』だそう。そのような生活の果てにあるのは疲れ切った頭脳と荒廃した精神のみである。


オレなども遠い昔、大学生だった時分には一瞬研究者を目指そうかと考えたことはあった。だが、やはり世俗的な欲望みたいなものを全部振り捨てて学問の道に進むような気迫や情熱は欠いていた。だからごくふつうの会社員になった。

そんなオレなどがいまさら外野からいろいろ言っても全く説得力はないのだが、最近とみに文教予算が削られて研究者の生活もかなり厳しいことになっていると聞けば、さすがに我慢にも限界はあるだろうとエールのひとつも送りたくなってくるのだった。

学者の皆さん、いろいろ大変だろうが
初心を忘れず頑張ってください!


「オカルト」がテーマのこの本の本筋からいうと若干わき道のほうの話なのだが、ちょっと琴線に触れるところがあったので書いてみた。


【追記】
なお、この『反オカルト論』 はまだ読み始めたばかりであるが、教授と助手の対談スタイルで書いてあって、幅広い人たちを対象とした啓蒙的な狙いの本のやうである(もともと週刊誌に連載していたものがベースらしい)。

とはいいながら、最初のほうに出てくる霊媒師、ミナ・"マージャリー"・クランドンのおはなしなどは、かなりスレているオレなどにとっても非常に勉強になった。

20世紀のはじめ、彼女は金持ちのお医者さんであるダンナと一緒にボストンでハイソな人々を招いた降霊会を開いておったわけだが、本書によれば、彼女はそこにノーパン&ネグリジェ的な格好で現れるのが恒例であり、そこではダンナが「身体検査」と称して賓客にヨメの体を触らせる、みたいな趣向があったようなのである。つまりこの降霊会、本来は、ヒマをもてあまして生活に刺激を求めていた有閑階級を対象に、特殊な嗜好(笑)をもつ夫妻が提供していた「おさわりバー」的な催しであったということらしい。

彼女は陰部に「エクトプラズム」のネタを仕込んでいた、みたいな話は、たしかステイシー・ホーン『超常現象を科学にした男』にも書いてあったけれど、この本を読むと「ヘンタイ」というかなんというか、もう困った人たちだと思う。

で、こういうストーリーの背景にはこのマージャリーさんがとても魅力的な女性だったという事実があるらしいのだが、ネットで写真を検索してみるかぎり、「なんで?そうなの?」という感想を抱いてしまったりする(今の基準からすると明らかなセクハラだろうが、真実探求のためなので許せ)・・・


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これが
ミナ・"マージャリー"・クランドンさん (1888–1941)




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塚田穂高著『宗教と政治の転轍点  保守合同と政教一致の宗教社会学』(花伝社)を読んだ。

今とても売れている菅野完『日本会議の研究』で、一部宗教団体のサポートを受けて日本の保守政治家に影響を与えているとされる「日本会議」への注目が高まっている折も折、そのあたりも含めてリアルな政治に戦後日本の宗教教団がどう関わってきたのかを気鋭の宗教社会学者が網羅的に描き出した研究書だというので、先日「東京ブックフェア」で二割引きで売っていたこともあってついつい買ってしまい、遅まきながら手に取ったという次第である(高かったけどw)。

オレ流に乱暴にまとめてしまうと、天皇制に親和性をもつ、つまり伝統的な保守・右翼イデオロギーに近いナショナリズムや世界観を有する教団であれば別に自前の政党を立ち上げるまでもなく自民党の右派政治家などと連携する「政治関与」を試みることが多いのだが、それとは異なる独自の教義・世界観を有する教団であれば政治団体を作って独自に「政治進出」を図ろうとする傾向がある。本書は、おおむねそのようなパターンが戦後日本の宗教―政治関係に見てとれることを論証しているのだった。

当然、話題の「日本会議」を下支えしてきた諸教団は「政治関与」系になるわけで、そういう文脈で「解脱会」や手かざしで知られる「真光」系教団などの取り組みが論じられている。

一方の「政治進出」系としては言うまでもなく「創価学会」が取り上げられているワケだが、そのほか「オウム真理教」「幸福の科学」はもちろん、「浄霊医術普及会=世界浄霊会」「アイスター=和豊帯の会=女性党」などというマイナーな組織も登場してくる。著者も本書のいろんな箇所で自慢(笑)しておるが、こういう大きな見取り図みたいなものを作った学術的な仕事というのはなかったようで、たいへんためになった。

以下はどうでもいいけれど読書中に感じたもろもろ(と若干の注文)。

一、書名にも入っている「保守合同」という言葉であるが、コレってふつうは1955年の自由党と日本民主党の合同のことを言う。その辺にポイントがあるのかなと思って読んでおったのだが、ところがいつまでたっても1955年の「保守合同」の話が出てこない。「なんで?」と首を捻っていたのだが、つまり著者は最終的に「日本会議」に結集する伝統・保守系宗教勢力の合従連衡のことを「保守合同」と言ってるみたいなのだった。これはワーディング的にちょっとどうかという気がしました(笑)

一、「オウム真理教」や「幸福の科学」はともかく、「浄霊医術普及会=世界浄霊会」「アイスター=和豊帯の会=女性党」などというのはその存在すら全く認識していなかったのでとても勉強になった(アイスターという会社が売っている「アイレディース化粧品」というのは聞いたことがあったし、何か看板なんかもそこいらじゅうで見た記憶があるが、ここが半分宗教絡みだというのは全然知らなんだ)。ホントのことをいえば、宗教―政治にかかわる戦後日本の状況には全く影響力を及ぼすこともなく散っていったこうした団体の話はあんまり一般化しても仕方ねーんじゃないかという気もしないことはないンだが、虚心坦懐に「泡沫政治団体盛衰記」として読むとスゲー面白い

一、さらにいえば、供託金なんかゼッタイ返ってこないのにあえて選挙に出る泡沫のヒトビトというのは、別に宗教団体じゃなくても常人に理解不能な信念に殉ずるという意味で或る意味の宗教性に富んでいるともいえるので(笑)もうこうなったら宗教とは関係ないところから出てきた有象無象の泡沫候補・団体をガッチリ調べてその「宗教性」を総まとめするような仕事も面白いんではないかと無茶振りしたい気分である

一、著者も書いているけれども、最初は日蓮思想を掲げて「国立戒壇建てるぞ-」などと言っていた、つまりは一般人にはやや敷居の高い特殊な政治的主張を説いていた創価学会も今じゃそんな言い分は引っ込め、公明党自体が政権与党の「現実主義」にドップリ、である。むろん、先の安保法制とかに対してはかつての反体制時代よろしく「お先棒かつぐな!」と声を上げた創価学会員も一部にいたようであるが、とにかく創価学会=公明党は「変質」してしまったようだ。「昔の価値観・世界観はどこいっちまったの?」「どこでどう変わったの?」という大いなる疑問は、今後著者に是非解明していただきたいものである

一、あと、そもそもそういう「特殊な主張」に基づいて「政治進出」を試みた他の教団が揃って死屍累々という中でなぜ唯一創価学会のみが「成功」したのか。オレなんかであれば「ま、それが戦後復興期という時代だったんだよ。時代さ、時代!」的な床屋談議で納得してもいいんだが、研究者としてはそうもいくまいから、ここいらも何か説明をしてもらえればと思う

一、「日本会議」に関係している大和教団の保積秀胤教主が2014年に新日本宗教団体連合会(新宗連)の理事長になったという話が出てくる(79p)。あれっと思ったンだが、立正佼成会を中心とした所謂「新宗教」の諸教団が作るこの新宗連というのは平和運動なんかにも取り組んでいるし、おおむねウルトラ国家主義みたいなものには反対している穏健な団体であるという印象があった。そこで若干ググってみたところ、確かに新宗連は今年8月8日付けで「靖国神社公式参拝」に反対する意見書を出したりもしている。何で「日本会議」の人がそういう団体の親玉に収まってるのか? ここは小生も勉強不足でよくわかんなかった。どういうことなのか、ヒマがあったらおいおい調べてみたいものだ(おわり)

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ここんとこ、むかし撮った写真をアップしては、何となく「このブログはまだ死んではいない」感を醸し出すことにしていたのだが、たまには何か書いたほうがよいかもなぁ、ということで今回。

さて、そもそも「心とはなんだろう」というのは永遠の謎である。で、たまにその手の脳科学本などを手に取ったりするのだが、加齢のせいか、何だか片っ端から読んだ記憶が霧消してしまう。それでもナマイキに向学心(笑)は如何ほどかあるようで、今回はこの本を手にとってみた。

今回記憶に残ったのは、「人間が何か決断するとき、オレはイマ決断しましたよ、ということを自分で意識するまさにそのタイミングに先立って、脳内現象的には既に(無意識的に)決断が済んでしまっている」という脳科学の知見である。

こういう話は、まぁ以前にも聞いたことがあるけれども、何だかいろいろと考えさせられる。

脳内のプロセスでは既に結論が出てしまっている。けれどもその時点で、いまだ意識はその結論を知らない。「意識」は蚊帳の外。「無意識」的に決まったことを、あたかもいまここで自分が決断したかのように思い込んでいる。

うむ、何だかこの辺に「意識」の本質にかかわるものがあるような気がしてならない。

我々の考える意識――というか、その「考える主体としての自我意識」というものは、決断の主体という役割を(むりやりに)演じさせられている、ということではないか。ホントの意味では主体性はないんだが、やはりここで「主体的に決めた」という主体がないと何かマズイことになるので、そういう幻想がどうしても浮上してきてしまう。というか「捏造」されてしまうのではないか。

この、「何かマズイことになる」というところがキモのような気がするのだが、きょうは既にけっこう酔っ払ってしまっているということもあり、そっから先は曖昧になってしまう。

岸田秀は「人間は本能が壊れてしまった動物なのでダイレクトに環境と渡り合えず、結果、幻想を媒介にして環境と向き合うしかすべがなくなった存在である」というような事を言っていたのだが、何かその辺とも関係があるような気もする。よくわからないけど。たぶん。

で、日進月歩の進歩をみせているという脳科学は、オレの生きているウチに、このあたりについてもうちょっとクリアカットにわかるような知見を差し出してくれるのかどうか。そこんとこは、けっこう期待しちゃってたりもする。













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ミチオ・カクという人物は「ひも理論」とやらを唱えている理論物理学者である。

「ひも理論」というと「折り畳まれている次元というものがあるのだよ」みたいな議論だったと思うのが、その辺は生粋の文系のオレとしては正直よくわからん。ただ同時に彼は、最先端の科学技術をわかりやすく解説するという啓蒙的な仕事もしており、この本なんかもそういう一冊である。

今回はとりわけ「脳」や「こころ」に関して「現在の科学技術がこのまま発展していくとどういうことができるようになるんだろうか」みたいなことを論じている。そういうのは典型的文系のオレにとっても非常に重要なポイントであるので、買って読んでみたという次第。

感想としては、ま、陳腐だけれども、「いやホント知らん間に科学は進歩しているんだなぁ」ということに尽きる。

たとえば、最近ではMRIなんかで脳の活動状況がほぼリアルタイムで「見える」ようになりつつあり、その分解能とかをブラッシュアップさせていけば、やがては「人間の思考や認識」といったものと、「ニューロンのふるまい」(端的にいえば脳内の電気現象ですね)の関係を解明できるんではないか、というハナシになってるらしい。

そのメカニズムを解明すれば、原理的には「脳内で何か考える→電気信号→他者に伝える→再構成する」というテレパシーみたいな現象も再現できるし、その手のブレイン・マシン・インターフェース(
BMI)次第で全身マヒの人だっていろいろできるようになる。最終的には、脳内の情報=記憶を電気情報としてハードディスクに「記録」できるかも、みたいなとこまでいっちまうらしい。で、逆にいえば「偽の記憶」を頭に送り込んだりすることなんかも十分射程内だ。いや、彼の議論では、「記憶」どころか「全人格」さえも原理的には記録可能だというから恐れ入る。

臨死体験とか幽体離脱みたいなテーマもチラッと出てくるし(その流れでカナダのマイケル・パーシンガーも出てくる)、「2045年問題」のカーツワイルなんかも登場する。いやぁ実に盛りだくさん。カクは「物理法則上否定しえないものは実現可能性がある」というスタンスで、実にアメリカン。楽天的である。

ただ、何かこう、「神の領域」みたいなトコに向けて人間がズンズン進軍しているのを見て、ちょっと寂しくなったりするのは何でなのか。どこまで一般化して言えるかどうかはワカランが、ワレワレ日本人には、何かどっかに「いやそうはおっしゃるけど、人間には見てはならない聖域とかやっちゃならねえタブーの領域はヤッパあるんじゃねーの」「そういう還元論でホントに人間のこころがわかりますかねえ」みたいな、論理以前の感性が残っているような気もするのでアル。

尤も科学というのは、そういうプリミティブな感性なんかはお構いなしの自動的メカニズムである。さて、オレの目の黒いウチにミチオ・カクの「予言」はどこまで実現するんだろうか。興味津々、といえばいえる。

【追記】

いろいろ書いたけれども、ともかく知的好奇心を刺激してくれる一冊であることは間違いナイ。知らんこともいろいろ書いてあって勉強にもなった。たとえば京都にはATR脳情報研究所(ググるとNTT系の3セクらしい)なんて研究機関があって、「夢の画像化」みたいなことまでやっとるらしい。けっこう日本も頑張ってるではないか。にしても、夢研究はそんなところまでいってるのか。フロイトも遠くなりにけり。










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