カテゴリ: 読書感想文

最近、伝説的ユーフォロジストであるジョン・キールの『プロフェシー』を読み返しているのだが、だいぶ内容を忘れていた――というかほとんど忘れていた――こともあって(笑)いろいろと「発見」があった。

そもそもキールの文章というのはウソかマコトかハッキリしないような話をさらりと書くあたりに妙味があるワケだが、とりわけそんな観点から見るとなかなかに興味深いくだりがいろいろとあった。以下二点。

プロフェシー (ヴィレッジブックス)

ジョン・A. キール
ソニーマガジンズ
2002-09



1、ウェストバージニア州という土地

まずは、この本の舞台となっている「ウェストバージニア州」という土地に関して、である。

UFOファンには広く知られているように、この土地ではこれまでいろいろ奇妙な事件が起きてきた。本書がメインテーマとして取りあげている1966ー67年の「モスマン」騒動というのも当然その一つであるが、たとえば「3メートルの宇宙人」が出現したとされる1952年のフラットウッズ・モンスター事件なんていうのもまた名高い事件である。

*余談ながらこれは英語では10-foot-tall monsterみたいな表現が一般的であるようで、ちょうど10フィートというゴロの良さが知名度アップという面ではかなり有効だったのではないかと思う。と同時に、これはメートル表記でいっても「3メートル」となるので大変区切りがよろしい。これが仮に「身長3.5メートル」だったら我が国でもずいぶんと訴求力が削がれたのではないか*

まぁそんなことはどうでも良いので話を元に戻すと、こういう歴史があるが故に、我々UFOファンは「ウェストバージニア州というのは何だかそういう因縁のある土地柄なのではないか」というイメージを抱きがちである。で、この点に関してキールは追い打ちをかけるように、すかさず次のようなことを言うのである。



ウェストヴァージニアについて、インディアンたちは何か知っていたにちがいない。なにしろ彼らはこの土地を避けていたのだから。ヨーロッパ人がガラス玉や火酒や火薬を持ってやってくる以前、インディアン諸部族は北米大陸中に広がって、分割支配していた。(中略)それなのに地図上でただ一か所だけ、"無人地帯"と記された場所があるのだ。それがウェストヴァージニアなのである。(83p)


つまり、この辺りは昔から何だか薄気味悪い場所だったのでネイティブインディアンたちも敬遠していた土地なんだよ、ということを彼は言っている。何だかマユツバのような気もするのだが、ともかくそうやって読者をさりげなく誘導していくのがキール一流のストーリーテリングである。

ついでに、「そもそもウェストバージニア州というのはどういう土地としてイメージされているのか」というのはオレも全然知らんかったので今回改めてググってみたら、こんなことを書いているサイトがあった。



ウェストバージニア州はアメリカ国内では悪名が高いことで知られており、なかでも貧困ランキングでは毎年ワースト5に入るほどの常連です。また、世帯平均年収においてもアーカンソー州やミシシッピ州など南部の州と同様に全米で最低ランクと言われています。

ウェストバージニア州では州民の4人にひとりは肥満体質とされており、全米で最も喫煙者が多い州としても知られています。さらに、他州では通じない独特な英語や単語が日常的に使われており、ウェストバージニア州の人たちはアメリカ国内で無教養な白人に対する侮辱的な言葉である「Hillbilly」と言われることもあります。

ウェストバージニア州はバージニア州から独立した背景があり、アメリカでは東部のカントリーサイドと揶揄されることがあります。貧困で不健康な白人が多いイメージから侮辱的な見方をされてしまいがちですが、自然に溢れ人々の優しさが残る古き良きアメリカの姿が残っていることが特徴です。(サイト「公務員総研」より)


うむ、最後にちょっぴりフォローしているとはいえ、ずいぶん盛大にディスっておるなァというのが正直な感想である。アメリカの東部のほうだというので何となくハイソな感じの土地なのかと考えていたら全然違ってて、お上品な方々はあんまり住んでいないようだ。東京でいうなら足立区や葛飾区、江戸川区みたいなイメージか。

だがしかし、オレなんかは「いーじゃん、気取ってなくて」と敢えて擁護したいところもあり、なおかつそういう怪異の地ということであるならば尚更に魅力があるンではないかとも言いたい。

560px-West_Virginia_in_United_States.svg



2、怪異の場としての「学校」

この本ではモスマンにまつわるストーリーに限らず、1966-67年頃に一帯で起きた奇妙な出来事も広く紹介されている。とりわけウッドロウ・デレンバーガーという人物がいつもニヤニヤ笑いをしている「インドリッド・コールド」という「宇宙人」とコンタクトした話は有名で、この件についてはかなり詳しく書いてある。が、そういう耳目を引くストーリー以外にも「おや?」と思う記述はあるワケで、それはたとえば以下に引用するような事例だ。


一九六六年三月、ある美人の主婦(本人の匿名希望により、ここではケリー夫人としておく)がポイントプレザントの学校付近に車を停めて子供たちを待っていると、信じられないような代物が低空に浮かんでいるのが目に入った。きらきら輝く金属的な円盤形物体で、校庭の真上に停まっている。縁の部分にドアみたいな割れ目が開いていて、その外に人が立っていた。戸口に立っているのではなく、その物体の外の空中に立っているのだ! 体に密着して銀色のコスチュームをまとい、これまた銀色の非常に長い髪を垂らしている。(66p)


これはモスマンとは違う、ごくフツーの人間とみまがうような宇宙人(?)の出現譚であるが、おそらくはこの事例なども踏まえて、彼は別のところでこんなことも書いている。



学校の周辺には異常なほど多くの目撃例やいわゆるフォーティアン現象(論理的・科学的説明のつかぬ全事象をさす。超常現象研究の草分け、チャールズ・フォートの名にちなむ)が集中しているように見え、また目撃者中で最大の割合を占めるのは、七歳から一八歳までの学童や学生だからである。(220p)


偶然ではあるけれども、「UFOはしばしば学校周辺で目撃される」というテーゼは、オレがこの前たまたま買った「Schoolyard UFO Encounters」という本の主題にもなっている。

「学校の怪談」ではないけれども、子供たちが集団で行動している場には何故か「怪異」が引き寄せられてしまうのではないか。そんな連想が働く。むろんUFOの集団目撃といった事例であれば集団ヒステリー的な心的メカニズムで説明がつくケースも多いのかもしれないが、こういうキールの指摘には何となくザワザワっとした感情が掻きたてられるのも確かだ。

ちなみにキールが記しているこのケリー夫人(仮)の体験談は上記の「Schoolyard UFO Encounters」でも取りあげられている。逆にいうと、この本の著者のプレストン・デネットさんも、キールを読んでてその辺りに気づかされたのではないか、と想像したりする。何げない片言隻句からさまざまなイメージが膨らんでいく。こういうところがキールの真骨頂である。

というわけでキールの文章には、噛みしめれば噛みしめるほど味が出てくるスルメのようなところがある。もう死んじゃったけれども、UFOファンとしてはちゃんと読んでいきたい作家の一人であることには間違いない。




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異界のものたちと出遭って

エディ レニハン
アイルランドフューシャ奈良書店
2015-06-12




これが原著のようである↓)

皆さんよくご承知のように、アイルランドには妖精がつきものである。オレなどはそのあたりハッキリいって無知なのだが、たまさかオレの好きなUFO研究家、ジャック・ヴァレが『マゴニアへのパスポート』で「UFO現象と妖精譚はどこか似ているよネ」というテーゼを打ち出し、その本でアイルランドの妖精にかかわるストーリーを論じていたりする。これはまぁそちら方面も最小限のお勉強をせねばならンなあと思っていて、そんなところで出会ったのがこの本である。

発行所が「アイルランドフューシャ奈良書店」となっていて、その実体がよくわからんのだが、一見したところ奈良辺りのアイルランド文化愛好家のみなさんが見よう見まねで作ってみた、みたいな佇まいの本である。翻訳も「あえて語り口を残した」的なことが書いてあったが、何を言ってるかよくわからん箇所が再々あった(失礼いってゴメンナサイ)。

いや、だがしかし、ひとたび読んでみるとなかなか勉強になるのだった。

書き手はアイルランドのエディ・レニハンという人(1950年生まれ)で、これまで地域に残る妖精伝説を丹念に収集してきた人らしい。そうしたお話というのは別にそれほど大昔のものではなくて、いま生きているレニハンさんが現実に聞き取ってきた「生きているはなし」なんだよ――というのが本書の売りであろう。

*ちなみに「編集」としてキャロリン・イヴ・カンジュウロウという人の名前が出ていてこの人の関わりが今ひとつよくわからんが、たぶん構成だとか表現だとかに口を出した人ということなのだろう(ちなみにこの人は弓師の第二十代柴田勘十郎という人の奥さんで、それでダンナの屋号?みたいなのを名乗っているらしい。もっとも原著のほうには Carolyn Eve Green とのみある)。

というわけで、本書には「聞き書き」のスタイルでいろんな話が載っている。前にも書いたようにオレはこのジャンルに暗くて、たとえば妖精学で名高い井村君江さんの本だって1冊だったか買った記憶こそあるものの積ん読でどっかにいっちまったほどである。なので、本書のおはなしには「なるほどー」「そうなんかー」と感心すること実に多かった。以下メモ的に記してみると――

■アイルランドの妖精はどっかキリスト教における「堕天使」と相互互換的な存在として観念されているらしい

■彼の地の妖精は異常なまでに「ハーリング」好きで、「人数が足りないので入れ」とかいって人間を誘ったりする(棒をもってやるホッケーみたいなスポーツ)

■妖精の「砦」と称されるものが野外にはあって、そこに足を踏み入れたり荒らしたりすると日本でいうタタリ的なものを喰って酷い目にあう。ちなみに「その砦というのはなんか石垣ででも囲ってあるのだろうか?」「なんで妖精の砦だとわかるんだろう?」などと考えてずっと読んでいたが、そのあたりは最後までよくわからんかった

■妖精の弱点。その一、鉄が苦手である。その二、流れる水が苦手なので川を渡ることができない

■妖精の親戚的存在にバーンシーというのがいて(女性であるようだ)夜中にその泣き声がきこえると誰か死ぬらしい

■妖精封じの術をもつ人物というのは実在した。で、本書に「ビディー・アーリー」という女性にまつわる伝説がたんと出てきたので、ついついググってしまった。
その Biddy Early(1798-1874)は、ハーブを用いる、いわば民間の「薬草師」として地域の人々に半ば頼られつつ恐れられた人物だったようだ。が、カトリック勢力からは煙たがられたようで、1865年には魔女狩りの法律で告発されたという。面白い!
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これがビディ・アーリーさんらしい

■妖精たちに掠われていったところで食事をしてしまうと、もう人間界には戻れない。これは古事記の黄泉戸喫(よもつへぐい)をはじめとして、各地の神話・伝説によく出てくるモチーフでありますナ


・・・といった感じで、なかなか興味深い話が満載である。そして、とりわけ印象に残ったのは「アイルランドの妖精というのは一般にイメージされるような愛らしい存在などではなく、人間にとって非情に危険な存在である」という著者のメッセージである。それは上記の『マゴニアへのパスポート』でオレが学んだことでもあったわけだが、本書の最後に紹介されたストーリー――それは妖精の砦に畑を作ってしまった男が恐ろしい報復に遭う話なのだが――へのコメントとして、レニハンが明確に述べているところでもある。以下、引用したい。


アイルランドの妖精たちは、透き通った羽根ときらめく魔法の杖を持ち、抜け落ちた歯を枕の下に取っておく子どもたちに優しくお金を置いてくれる可愛い小さな生き物だとまだ思いたがっている人がいたら、この最後の話はそんな感情を払拭してくれるだろう。

この話が伝えるメッセージは、直截的で、明確で、詳細には身の毛がよだつ。知ったかぶりをして妖精の持ち物にちょっかいを出す人は、どういう結果になるかを覚悟しなくてはならない。









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死の海

後藤 宏行
洋泉社
2019-08-07


「オカルトめいた話も語り伝えられている不可解な事件・事故」というのはなかなか興味深いジャンルであって、最近でいえばさまざまな不思議現象・事件を扱って話題になった松閣オルタ著『オカルト・クロニクル』なんかでもこういうジャンルは一つの柱になっていた。

そのような事故の一つとして名高いのが1955年に三重県・津市で起きた「中河原海岸水難事故」である。

そもそもこれはどういう話かといえば、津市の中学校が夏のある日、海岸で水泳の授業をやっていた。ところがそのとき、女子生徒ばかり100人ほどが突然溺れ、36人が亡くなった。異常な潮流が原因とか何とか言われているようなのだが、最終的にはそのあたりはハッキリしていない。ただ、その時溺れかけた或る女生徒が「海中に突如出現した防空頭巾・モンペ姿の女性たちに脚を引っ張られた」という証言をした(というか、そう報じられた)。――終戦10年後、戦時下に非業の死を遂げた人々の怨霊がこの大惨事と関係あるんではないか。以来、この事故はそんな言説とともに語られてきた。そういう話である。

いや、先に「名高い」と書いたけれどもオレなどは何となく薄ボンヤリと聞いた記憶があるような・ないような――といった程度の認識しかなかったワケだが、一昨年9月に放送されたNHKの「幻解!超常ファイル22 戦慄の心霊現象 追究スペシャル」でこの事故が取り上げられた。これを観ていたオレは「なかなか興味深いじゃねーか」と思い、だからこそこの件を調べた新刊刊行との報に「あぁアレか、じゃあ買わんといかんなー」といってさっそく注文をしたという次第なのだった。

で、ここであらかじめ結論だけ言ってしまうと、これはとても良い本であった。

先にNHKの「幻解!超常ファイル」について触れたけれども、実はその際、番組に現地で調査をしているルポライターとして登場していたのが著者の後藤宏行氏である(実際に録画を見直してみたら確かに出演していた。恰幅の良いおじさんである)。

処女作ということで、本書にはこの後藤氏の来歴などもチラチラ書かれているンだが、それによると著者はこの事故の舞台である津市に住んでいるようで、一方、怪奇現象みたいなものにはもともと興味があってライターとして活動していた時期があった。そんな因縁コレアリで、地元のこの事故については昔からチラチラ取材をしていた経緯があるらしい。

そんな過去の記事をみたNHKの番組スタッフがいて「幻解!超常ファイル」の放送へと至り、さらには今回の出版へという流れがあったみたいなのだが、そういう意味では著者は本件については最適のリサーチャーということになるのであろう。

内容的にも説得力がある。ネタバレになるのでハッキリは書かないが、いわゆるオカルト的な解釈を本書は「粉砕」している。加えて、事故が地域社会に及ぼしたインパクトを深掘りしており、そのオカルト的解釈の出現を社会・歴史的文脈から読み解く試みをしている。

たまさかUFOファンであるオレは「UFO研究には証言や物理的データを押さえるだけじゃダメで、事件の解明にはその文化・社会的背景も必要だ」という考えを持っているのだが(→このあたりを参照されたい)、著者が取っているアプローチはまさにそういうものである。

ちなみに著者はかつて国会議員の秘書をやっていた経歴があるらしい(余談ながら新進党→自由党→民主党というキャリアで三重県の政治家というと、たぶんこれは故・中井洽だろう)。これはオレの偏見かもしらんが、政治家秘書というのはクソリアリズムの世界に生きている。オカルト的なモノに興味関心を抱きつつ、しかし一方では夢も希望もないハードボイルドなクソリアリズムを熟知している。そんなキャリアが本作にとっては実に良い方向に出たのだと思う。

途中で哲学者とかの言葉をエピグラム風に挿入したりするのはあんまり効果的でないので止めたほうがイイ、とか若干思うところはある。けれども本筋はたいへん結構かと思う。

この手の怪奇系寄りの話題となると「売らんかな」でいろいろ「盛ってしまう」のが従来のメディアの大いなる欠点である(著者自身もさりげなくその辺りを批判している)。地方在住ともなるとなかなか難しいのかもしれないが、こういうトーンで「次作」を読んでみたい気がする。

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枯れ木も山の賑わいという言葉もあるので、やはりむかしmixiレビューに書いた短い感想文をもう一本載せておこう。著者の芹沢一也氏はのちに「SYNODOS」を立ち上げた方。まだ編集長とかやってんのかな?




なかなか興味深い本でした。最近よく聞く「凶悪犯罪は激増している」言説は実は本当ではない、というところから説き起こし、じゃあなんでそんんな話になっているかというと、かつては犯罪の動機が「貧しさゆえ」とか非常にベタで了解しやすいものだったのに、最近はその手の了解が困難になってしまったから、「え~ぃ、もう動機云々なんて考えンのはやめた、とにかく訳のワカランモンスターどもを何とかしろ~」という気分が盛り上がっとる、と。

で、精神障害者やいわゆる荒れる若者を怪物視して、「どっかに囲い込んでしまえ」という風潮が広がってるのは憂慮すべきことである、とまぁ、非常に荒っぽく要約するとそういう本です。

まぁおおむね同意できる議論なンですが、一つだけ疑問を呈しておくと、この著者は精神医学に全く信を置いていないようで、それってどうよ、と思うところはある。

私の読み取る限り、彼はこんな事をいっている。――いわゆる人格障害なんていうのは「病気」ではなくて人格的な偏りであるわけだから、そこに法的な措置の網をかぶせる時にはどうしても恣意性が入ってくる。それでいいのか…。

しかし思うに、精神医学の概念といったものは厳密な自然科学的な根拠がなけりゃ恣意的だ、とまで言い切れるのかな、って個人的には思う。

いわゆる分裂病だって、代謝物質の異常といったレベルでメカニズムが明らかになってくる以前には、例えば精神科医が「これはどうしたって分裂病だ」みたいな、ある種の現象学的直観でそこそこ妥当な診断ができていたわけでしょ。なんか、かつて流行ったような反精神医学的なロジックがちょっと鼻についた。でマイナス1。(2006年06月08日)

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定期的になんか書こうと思うのだが、どうも気合いが乗らない。なので、今回はむかしmixiレビューに書いた短い感想文を転載しておこう。ちょっと触れているように、確かヒトの本から無断剽窃かなんかして話題になった曰く付きの本。絶版になったのか、あるいはただ品切れ扱いになってるだけなのかはよくわからない。基本的な方向性はけっこうイイ線行っていたと思う。




「と」学会の有力メンバーにして、「トリビアの泉」のネタ元としても名高い雑学王、唐沢俊一氏によるUFO本だというので期待して購入。

UFOをボルト&ナットの宇宙船と思ったら間違うよ、あれは人の「なんかUFOでもあったらいいな」的な願望が脳内に(w)飛ばしているものなんだよ、といった趣旨で、ほぼ全面的に同意。『何かが空を飛んでいる』の流れを汲む好著といえよう。もっとも「脳内現象」といいきるのが憚られるような不思議な現象がUFOにはつきものであり、そのあたりのダークサイドについてはイマイチ突っ込みが甘い感は否めない。もっとも新書だし、そこまで求めるのはないものねだりだろう。

ひとつ、この本の一部にブログからの剽窃疑惑がもちあがっているのは残念。万一回収にでもなったらあれだから、早めに入手されるがよかろう。(2007年06月08日)

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オカルト・クロニクル」といえば、もう何年前であったか、オレがウェブ上で偶然に遭遇したサイトであった。

一読、魅了された。オカルトという括りがいいのかどうかは知らんが、未解決事件や怪現象、奇人伝といったものなども含めてミステリアスなお話を世界各地から渉猟し、書籍・ウェブなどフルに活用して調べ上げた報告が山盛りである。

で、加えて特筆すべきはその主宰者・松閣オルタ氏の文体である。

そこにあるのは「ミステリーって大好きなんだよなー。けど、ま、オレもそんなマジで信じてるわけじゃないから」的な、いわば斜に構えた姿勢であって、謎に惹かれる自分を認めつつ同時に「そうそう簡単に信じてたまるか」的なツッコミを入れる。諧謔に満ちたノリツッコミ文体といえばよかろうか。そこに生じるのは自らをも客観視するところに生まれるユーモアというヤツである。

考えてみると「信じたい。が、信じられない」的なこの二律背反的感覚というのは、おそらくは子供時代に1970年代のオカルトブームの洗礼を受け、だが長じるにつれて「そうはいってもそんなのHOAXだよなあ」という「常識」に屈してきたオレなどの世代からすると、相当に普遍的なものがあるような気がする。だからこその魅力、ということになるのだろう。松閣氏はしばしば読者に対して「諸兄」などと呼びかけているのだが、多くの人々が「あぁオレもその<諸兄>の一人だわ」と思ったであろうことは疑いない。

そんなクオリティの高いサイトであるだけに、オレなども以前、これは本にするべきだなどとツイッターに書いていたのだが、今回それが本当に本になってしまった。


ほとんどはサイトの記事の再録ではあるのだが、寄る年波で老眼が進み、かつ眼精疲労に悩まされているオレなどからすると紙ベースの本はやっぱり読みやすいし、そもそも細かい内容は忘れてしまっている(笑)。書籍化は実に慶賀すべきことである。

で、感想文などと称してはいるが、なんかここまで書くのに疲れてしまったのでもう内容には触れないけれども(笑)「この世界の現実はほんとうに現実なのか。そこには何かまだウラがあるんじゃねーか。だがそうそう簡単には納得しねえからな証拠だしやがれこのヤロウ!」などと心中に思うところのある人はぜひ読んで頂きたい。そこには「現実ならざるもの」へと至る極めて細い糸がいまだ奇跡的に残されている、ようにも見えるから。

なお、「あ、わりぃ、オレはサイトで済ませるわ」という人もいるかもしらんが、著者の今後の調査活動の継続を願うのであれば「お布施」的に書籍を買うがよろしかろう。取り上げている項目についてはアマゾンのサイトなんかでも見られるけど、以下、参考のために目次だけ掲載しておこう。



もくじ
はじめに
――信奉者はタフなロマンを! 信奉者の敵は懐疑論ではなく安易な否定論だ!

ディアトロフ峠事件
――ロシア史上最も不可解な謎の事件

熊取町七名連続怪死事件
――日本版『ツイン・ピークス』の謎

青年は「虹」に何を見たのか
――地震予知に捧げた椋平廣吉の人生

セイラム魔女裁判
――はたして、村に魔女は本当にいたのか……

坪野鉱泉肝試し失踪事件
――ふたりの少女はどこへ消えたのか……

「迷宮」
――平成の怪事件・井の頭バラバラ殺人事件

「人間の足首」が次々と漂着する“怪"
――セイリッシュ海の未解決ミステリー事件

「謎多き未解決事件」
――京都長岡ワラビ採り殺人事件

ミイラ漂流船
――良栄丸の怪奇

科学が襲ってくる――
フィラデルフィア実験の狂気

岐阜県富加町「幽霊団地」
――住民を襲った「ポルターガイスト」の正体

八丈島火葬場七体人骨事件
――未解決に終わった“密室のミステリー"

獣人ヒバゴン
――昭和の闇に消えた幻の怪物

ファティマに降りた聖母
――7万人の見た奇蹟

赤城神社「主婦失踪」事件
――「神隠し」のごとく、ひとりの女性が、消えた


で、オシマイに書き残したことを若干。

■ これはアマゾンレビューなんかにも書いてた人がいたが、特に事件モノについての記述というのは得てして「ゲスい」感じに陥りがちなのだが、著者はその辺なかなか抑制が効いていて、ふざけた感じの文体とは裏腹に実は倫理感の高い方だとオレはにらんでいる。そういう意味でもオススメ

■ 著者はイラストの才もお持ちのようで、ウェブ版をみると美麗なイラストを多数掲載しておられる。書籍版のほうではさすがにそういうビジュアルは(一部小さく載ってるんだが)ほとんどプッシュされておらず、まずは書籍を買ったという方もサイトをお訪ねになると良い。本に載っていないネタもいっぱいあるし

■ オレからすると、今回の書籍にはあんまりUFOネタが出てこなかったのが残念であった。が、「UFO冬の時代」なので編集者目線からするとその辺は仕方ないのかもしれない。続刊があればヨロシク、といったところであろうか

■ 編集者といえば、オレが買った初版では冒頭のまえがきでいきなり文法的にヘンな言い回しを発見したのだが、編集者とか校閲とかはゲラの最初の数ページぐらいはちゃんと気合入れて読むものではないのか(途中でダレるのは理解するw)。「本が売れねーんだYO! 労働強化されてンだYO! 徹夜続きなんだYO! それどころじゃねーんだYO!」ということなのか

■ これはどうでもいいことだが、参考資料の項目にオレのこのサイトがチラッと載っていて、こんな人外魔境サイトにまでいちおう仁義を切って頂いたというところからして著者は人格者であるに違いない

(おわり)

























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在野の奇譚収集家がコツコツと集めた怪奇現象の「おはなし」を事典形式の本にした『日本現代怪異事典』をようやく読み終えた。


もともとコミケか何かに出して評判になり、それがきっかけで刊行された本らしいが、500ページもあって読み応え十分。というか、もう年も取って記憶力が減衰しているので、読んでるうちに最初の方の話を忘れていってしまうという体たらくである。

まあそれはそれとして、大変な労作であり、著者の健闘をたたえたい。

以下は読んでいて思ったことのメモ。

■校閲の甘さが惜しまれる
 これはツイッターのほうにも書いたが、校閲の確かさは事典の生命線である。かなりのミスが散見されたのは惜しまれる。

■松谷みよ子は偉い
 こういう本なので、先人の業績からの引用がキモになる。そういう目で見ると松谷みよ子の『現代民話考』が再三引用されており、長年こういう奇譚を集めてきた松谷さん偉かったなあと改めて思う。あと、渡辺節子/岩倉千春『夢で田中にふりむくな―ひとりでは読めない怖い話』という本もたびたび文中に出てきて、何だか非常に面白そうなのだが、こちらは絶版で入手困難であるようだ。残念である。

■「怪異」ということば
 これまたツイッターで書いた話であるけれども、タイトルにもなっている「怪異」というのは、フツー「奇怪な現象」ぐらいの意味で使われると思うのだが、この本の中では幽霊狐狸妖怪のたぐい、つまり何らかの人格的な存在をもあわせたあれやこれやをも総称して「怪異」と言っている。
 日本語としては、やっぱ何か奇異な感じがする。じゃあ、それにかわるワーディングがありうるかというとなかなか難しいのではあるが。

■地元の怪異
 オレはいま東京の郊外に住んでいるのだが、通勤に利用している某東京メトロの路線にかかわる「怪異」が一つ紹介されていた。いわゆる「異界駅」の話である。まったく歴史的な陰影のないところを突っ切って走る鉄道でもあり、この手の奇怪な話にはまったくそぐわない土地柄なのだが、人間の想像力というのはそういう空虚な土地にも何かを読み込むことができるだとすれば、それはそれで大したものじゃないか、と思ったりした。

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UFOは…飛んでいる!

ジャン-ジャック・ヴラスコ
宝島社
2008-02-21




このあいだ古本で買ったジャン-ジャック・ヴラスコ&ニコラ・モンティジアニ『UFOは…飛んでいる!』(2008年、宝島社)をとりあえずザッと読んだので、今回はその感想文。

著者のジャン-ジャック・ヴラスコというのはフランスの公的UFO調査機関のトップだった人物である(もう一人著者として名前の挙がってるニコラ・モンティジアニというのはどういう素性の人物かわからんが、おそらくライターか何かで、ヴラスコの話を聞いてこの本を実際に書いた人間ではないかと思われる。この本ではまえがきを署名入りで書いているほか、末尾にヴラスコへのインタビュアーとして登場してもいる)。

そもそも「フランスには公的UFO調査機関がある」という話は、UFOファンであればしばしば耳にするところである。だが、ご承知のように日本のUFO研究っつーのはだいたい米国方面ばっかり見てるから、そのあたりの事情が日本に紹介される機会というのはあんまりない。そういう意味で、この本はなかなかに貴重なものであると思う。

閑話休題。本書によれば、そもそもフランスには「国立宇宙研究センター」(CNES:クネス)なる機関がある。言ってみれば、米国におけるNASA、日本におけるJAXAみたいなもんと考えれば良かろう。

で、このクネスの中に1977年に開設されたのがGEPAN(ジェパン:宇宙空間における未確認の現象に対する研究を行うグループ)である。ここではUFOと言わずにフランス語のPANなるコトバを用いているので、GE"PAN"という言い方になるようであるが、ともかく「UFOとはなんぞや」を調査する部局である。

これが1988年に改名されてSEPRA(セプラ:宇宙空間における気象現象を調査する部局)、2005年にはもう一回名前を変えてGEIPAN(ジェイパン:大気圏内における未確認の現象に関する研究および情報収集を行う専門部署)となる。やってることは別に変わってないということのようだ。以上をまとめてみると次のようになる。

1977 GEPAN(ジェパン)発足
1988 SEPRA(セプラ)に改名
2005 GEIPAN(ジェイパン)に改名

この部局の代表者は最初は天文学者のクロード・ポエル(UFO関係の話ではたびたび出てくる人だ)であった。これが、発足翌年の78年にはエンジニアのアラン・エステルに変わる。で、83年に三代目として登場したのが、このヴラスコであった(ちなみに彼は、GEPANの発足時から光学エンジニアとしてその活動に参画していたようである)。

で、2005年に組織がGEIPANへと再編され、代表にエンジニアのジャック・パトネが就くまで、彼はその職責を全うする。つまりヴラスコは、GEPANジェパン時代からSEPRAセプラの最後までの計22年間にわたってフランスのUFO研究の最先端にいた人物で、そういう人物がUFOをどう見ておるのかというのが本書のキモになるわけだ。

ここでは詳細をすっ飛ばして言ってしまうけれども、彼の主張というのは、「(目撃者の)証言が正確で首尾一貫しているけれども、現在の科学では説明できないもの」(彼はこれをカテゴリー「パンD」と呼んでおる)というのは一定のパーセントで確かに存在するわけだが、おそらくそれらは外宇宙から飛来したものであって、そして、その動機はおそらく人類の生み出した核兵器への関心と結びついている――というもののようだ。

「ああET仮説なのかこの人は」と感心しながら読んだのだが、それはそれとして、細部にもいろいろ面白く読んだところがある。

■その方法論
彼は、GEPANの調査方法について「四面体モデル」であると言っている。つまり探求すべきポイントとしては①証言②証人③物理的データ④文化・社会的背景――の4つがあるという。

ま、証言内容を吟味し、証人が信頼に足る人物かどうかを確認し、物理的証拠を探す、というのは当然のことだが、「文化・社会的背景」というのは確かに忘れられがちなポイントである(たとえばヒル夫妻は当時は珍しかった黒人夫&白人妻のカップルとして日常的に凄いプレッシャーを抱えていた、みたいな側面だろう)。これはとても良いことを言っていると思う。

■レーダー重視
あと、GEPAN、SEPRAではことのほか航空機のからんだレーダー&目視事例を高く評価してきたことがわかる。やはり航空関係者の証言だとか物証としてのレーダー記録だとかは相当な程度まで信頼性を担保するから、そのへんのスタンスにはさすが「国家機関なんで(`・ω・´)キリッ」という雰囲気がないではない(ちなみに、そういう文脈で寺内謙寿機長の日航機アラスカ事件なんかも中に出てくる)。

■フランスの事例
上に書いたように、レーダー事例はワシントン上空乱舞事件はじめ積極的に紹介しておるのだが、必ずしもそのへんにこだわらず取り上げた事例もある。中にはソコロ事件なんかもあるが、注目したいのは地元フランスの事例である。フランス政府がUFOと認定した3ツの事例(笑)を紹介する章があって、これはなかなか面白い。具体的にいうとそのうち2ツは着陸事例で、1982年10月21日のナンシー事件、1981年1月8日のトラン・ザン・プロヴァンス事件。もうひとつは1994年1月28日のエールフランス機事件である(最後のはレーダー事例でもある)。

■フランスからみた米国
この本はけっこうUFO研究史みたいなところにも触れてて、つまりは必然的にアメリカの調査機関とかの歴史的展開についても書いている。で、ひとつ面白いなと思ったのは、米連邦議会調査局の科学技術アナリスト、マーシャ・スミスなる人物が同局の依頼を受けて作成したという調査文書「UFOの謎」(1976年3月)に高い評価を与えていることだ。


UFOを決して認めようとしない人だけでなく、UFO肯定派の人々も、スミスの文書を無視してきた。私には、このことが不思議でならなかった。UFOの歴史を偏りなく網羅したこの文書は、第一級の資料である。これを読めば、素人の読者もUFOについて客観的な見方を育てることができるだろう。(142ページ)


ここまでベタ褒めしており、実際に1981年にはGEPANとしてこの文書を仏訳したとか書いてある。恥ずかしながら、オレなんかもこの文書のことは知らんかったが、ネットにはそれらしきものが上がっている。「フランスからの視点」的なものが何か意味をもってたりするのかな、と思う。いつかこれも読んでみたいものだ。

あと、カール・グスタフ・ユングがNICAP(全米空中現象調査委員会)に入っていたというような話もあって、本の最後にはNICAPの首領、ドナルド・キーホーにユングが送った手紙なんてものまで出てくる。大西洋を超えたUFO史みたいなものがあったんかなぁなどといろいろ想像に誘ってくれるところも、この本の面白いところであろう。(おわり)


【追記】
なお、日本のUFOファンの間には、「このGEIPANというのは何と読めばいいのか問題」というのがあって、つまりフランス語に堪能なUFOファンというのはあんまり居ないというのがその背景にあるのだが、これについては「ジェイパン」説と「ゲイパン」説がある。

本書はいちおうフランス語に堪能な人が訳したと思われるのだが、ここでは「ジェイパン」としておる。ところが、やはりフランス語に堪能で現地に住んでいるとおぼしき人の書いたこのブログでは「ゲイパン」としている。

アメリカのイーグル・リバー事件における目撃者 Joe Simonton が「シモントン」なのか「サイモントン」かに次ぐ大問題といえる。

が、よく考えたら天下のNHKがたしか「幻解!超常ファイル」で、この部局の人の取材をしていた記憶がある。それを視聴すれば「天下のNHKがどういっているか」で、この問題はいちおうの決着をみることにいま気づいた。誰か見てきて。











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ジュリア・ショウ『脳はなぜ都合よく記憶するのか』読了。



 

「記憶とは何ぞや」という問題にはずっと関心があった。当ブログのメインテーマと関連づけていえば、それは実はUFOの問題なんかとも密接にかかわっている。とりわけUFOに絡むアブダクション事件、つまりエイリアンによる誘拐事件というのは、「悪夢に悩まされるようになった人が退行催眠を受けたところ、エイリアンに掠われた記憶を思い出す」といったパターンで明るみにでるケースが多い(その嚆矢といわれる1961年のヒル夫妻事件からしてこのパターンだ)。

しかしこの手の話では、「そうやって思い出した記憶は本当にあったことなんだろうか?」というツッコミが必ず入る。確かに催眠術をかけられた人は暗示にとてもかかり易くなるという。施術者のさりげない言葉で話を「作ってしまう」危険は広く指摘されているところである。

というわけで「記憶ってヤツはけっこう怪しいんじゃねーの?」という認識はUFOファンが常に心しておかねばならぬ常識である。だからオレもたまにそういった虚偽記憶の研究をしている認知心理学者のエリザベス・ロフタスあたりの本を読んできたりしたのだった。そんな流れで読んだのが今回のこの本である。

著者のジュリア・ショウはイギリスの記憶研究者だそうだ。本のカバーの著者近影ってヤツをみるとかなりの美人であるが、本の中身の方もとても良かった。けっこう文才がある人のようで、素人にも平易に読める。脳科学から認知心理学まで、ここ数年の間に出た研究論文なんかもいろいろ紹介しているから、たぶん本作には最新の研究成果がコンパクトに詰まっているのだろう。ちなみに原著『THE MEMORY ILLUSION』は昨年2016年の刊である。

さて。ひと言でいってしまうと、「記憶ってのは全然安定したものじゃなくて、簡単に改変されちゃう、実にあやふやなものなんだよ」というのがこの本の主張である。脳内における記憶のシステムというのは何だかよくわかってないところが多いようだが、どうもこの本を読むと、記憶というのは「客観的なデータ」みたいなものが脳味噌の中に収まってるんじゃなくて、脳内のいろんなニューロンを連合させてそのつど「創造」されるものと考えた方がいいらしい。そのつど作るンであれば、いろいろ歪んだりぶれたりするのも当然である。

であるからこそ著者は「あなたの小さい頃、こんなことがありましたね?」というニセの記憶を植えつける実験なんかもやっておるわけで(ロフタスなんかもやってたようだが)、しかしそれはこういう研究者にとってみればいとも簡単なことなのだった。

で、紹介されるエピソードがいちいち興味深い。

例えば、自分で体験した出来事を文章に書きだしてみると、その後の記憶はこの「書いた文章」に引っ張られてしまい、かえって不正確なものになっちまったりする、という話がある。「経験した記憶」を「記述した記憶」が押しのけてしまうという理屈で、「言語隠蔽効果」と言うそうだ。狂牛病の時に「悪玉」として有名になったプリオンなんてのも、実は長期記憶のために重要な役割を果たしてるンだって。初耳であった。

あるいは、SNSばっかりやってると、人の体験を自分のものと混同しちまうような事もあるらしい。記憶は「伝染」したり、あるいは「汚染」されたりするンである。「サブリミナル学習」なんかも全然効果ナシ。例の退行催眠にも触れているけど、これも大ウソと断言する。実に小気味良い。

あと、「フェルスエーカーズ事件」というのが紹介されていて、これは子供たちの証言で託児所の職員が逮捕された「幼児虐待」事件なんだが、どうやら子供たちは「ニセ記憶」を植えつけられていたらしく、以前読んだローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』を思い出した。そこから引き出される「証言頼りの犯罪捜査ってえのはホント危ねえんだよ」という主張も実に正当である。

こういう最新科学の成果を教えてくれる啓蒙的な本というのは実に大事であると改めて痛感した次第である。

最後に一つ気になったことを。本書では
「過誤記憶」という言葉が使われていて、これは FALSE MEMORY の訳語であると思うのだが、これまで多くの本は「虚偽記憶」という訳を用いてきた筈である。ウィキペディアをみたら、「虚偽」っつーと何か「嘘つき」みたいなイメージが連想されるので宜しくない、ということで新しい訳語が登場したということらしい。解るけれども、なんかひと言説明欲しかった。

あ、そうだもう一つあって、この本は「原注は講談社のホームページから落としてください」みたいな事が書いてあって、本の中にはその原注が無い。 せいぜい10ページかそこら、何とか入れられなかったのか、こういう本作りでいいのかと小一時間説教をしたい気分である。が、意外と最近はこういう本作りが許されちゃったりするのであろうか?
 
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これが Julia Shaw。美形でアル。


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あんまり放置しているのも何なので、むかし「mixiレビュー」に書いた感想文を転載しておこう。よいお年を。



著書自身も語っているように、この本が俎上に上げているのは決して「UFOの正体とは何か」といった問題ではありません。UFOという現象の「語られ方」が時代とともにどのように変わってきたかを論じ、いわばUFOを鏡としてワレワレのモノの考え方、時代思潮がどう変わってきたのかを考えようという本です。まぁ言ってみればUFO現象をサカナにした社会・文明評論といったものなのですが、しかしなかなかユニークな本ではあります。

非常に強引に要約してみましょう。ケネス・アーノルド事件から1970年代はじめにかけてのUFOシーンというのは、「進んだテクノロジー」をもつ「宇宙人」が宇宙船に乗ってやってきているのではないか的な発想を総じて持っていた、と。「科学の進歩」が素直に信じられていた時代であり、「進んだ宇宙人」と「遅れた地球文明」の対比で奴等をイメージしていたというんですな。つまり進歩を信じられた近代主義の時代特有の「円盤」観であった、というのですな。もうひとついうと、古くはこの近代主義にみられる「何か確固としたよりどころがある」とゆー世界観を支えたのは「宗教」だったりしたわけだけど、それがこの時代には「科学」になっていたからこそ、高度に発達した文明の象徴としての円盤にみなナットクしたという話ですね。

それが73年ぐらい頃から、思想界におけるポストモダンの進行と相まって、ワレワレの周りでも「何か確固とした準拠枠みたいなもの」が崩れ始めた。大文字の「真実」なんてものはない、というわけで、そこから出てきたのがUFOシーンにおける陰謀説であったりする。アブダクションケースやらキャトルミューティレーションやら何か恐ろしげな企みに関係するものとしてUFO問題が語られるようになる。

著者は95年ぐらいからさらに事態は進展している、というのですが、そこから先に書いてあることは実はよくわかりませんでした。またじっくり再読してみたいのですが、とりあえずの印象でいえば、もはやこのポストモダン的な状況は変わることはなく、もはやUFOシーンにかかわる大きなテーゼなど成り立ちようもない、断片的な情報が浮遊するばかりの状況が続くのであろうというような事を言ってるように思われます。

著者はJ・G・バラードあたりを専門とする文学研究者のようですが、ともあれ変わり種のUFO本として(しかもメジャーな出版社から新書で出た、ということも含めて)一読に足る本とはいえそうです。



【2016/12/30時点の追記】
なお、アマゾンのレビューをザッと見てみたんだが、けっこう辛い点がついている。「方法論的に極めて粗雑かつナイーヴで、恣意的な素材に基づいて尤もらしい与太話を飛ばしている」みたいな評もあって、つまり「これは学者の書く評論じゃないだろう」という批判なのだろう。学術的じゃない、というか。
ただどうなんだろう、これは学術論文ではなくて、エッセイ寄りの評論みたいなもんじゃないのかな。「ナッツ&ボルトの宇宙船って流行らなくなったよねー、これって何か時代とリンクしてる感じあるよねー」という本なので、別に「検証」を期待しちゃったりするのは違うと思う。



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