カテゴリ: 読書感想文

夜の経済学

夜の経済学

  • 作者: 飯田 泰之
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2013/09/26
  • メディア: 単行本


飯田泰之・荻上チキ『夜の経済学』読了。各章それぞれに違った問題を取り上げているんだが、そういうこともあっていろいろな読み方のできる本である。

まず導入は「日本にフーゾク嬢は何人いるか?」「フーゾク産業の市場規模は?」みたいなハナシ。なんつーか下世話ではあるが実に興味深いデータを各種調査・統計やらフェルミ推定とやらを駆使して割り出してみました、みたいなパートで、ちなみに日本全国でフーゾク嬢は30万人ぐらいいるらしいぞ。

ま、そういうハナシを楽しんでいるだけでもいいんだが、これも実はつかみであって、そういうネタを通して数字・統計によってたつ経済学的思考(より広くいえばデータにもとづいた思考法ということにもなるのだが)の基礎を学ぶ本、ということもいえるのだった。じっさい下半身ネタばっかりじゃなくて、荻上チキ氏のパートでは流言・デマの社会心理学みたいなハナシもでてくるし。

そこでチト思ったのだが、この本、そういやこないだ読んだ 堀井憲一郎『ホリイのずんずん調査 かつて誰も調べなかった100の謎』という本とも、どっか通底しているものがあるぞ。こっちは確か「週刊文春」の連載をまとめたものである。堀井氏はべつにアカデミズムの人ではなくて、統計学を知ってるともおもえんが、「郵便ポストの集配は時間通りにちゃんとくるか」みたいな、どーでもよい調査を延々とまとめたものであって、これもやはりそれなりに「データ主義」の本。やっぱり説得力があった。


ホリイのずんずん調査 かつて誰も調べなかった100の謎

ホリイのずんずん調査 かつて誰も調べなかった100の謎

  • 作者: 堀井 憲一郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2013/08/06
  • メディア: 単行本


とかく日本人は「今より昭和30年代のほうが良かった」「犯罪の凶悪化が進んでいる」とか、自分の思い入れにもとづく印象論でいろいろ世の中を語ってしまうところがある。ハッキリいうとオレも統計学の概念はイマイチわかってないけれども、そういうワケでこの『夜の経済学』みたいな、間口が広くて啓蒙的な本というのはもっともっと読まれていいと思ったなあ。



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しばらく行方不明だった(笑)大田俊寛著『現代オカルトの根源』が出てきたので読んでみた。いぜん、オウム真理教を準備した思想」とは何であったかを思想史的なポジションから書いた方で、個人的にはとても注目している人である。

で、著者の主張を、以下、俺流に要約してみるか。例によって正確かどうかは保証しない。


現代のオカルトを俯瞰してみると、そこにはブラヴァツキーの神智学に由来する一大潮流がある。どういうことかっつーと、19世紀の進化論以降、人々は昔ながらのキリスト教なんぞ素直に信じられなくなってしまったワケで、そういう間隙をついてある種の人々の欠落感を埋めたのが神智学であった。

つまり、人間というのは実はそれぞれに固有の「霊性」というものをもっており、しかもそれは年月を重ねていく中で「進化」する可能性を秘めている、そういう存在デアル。いってみれば、近代的合理主義が広まる中で、人々は旧来の宗教が語り継いできたようなものをそのまま信ずることができなくなっちまったので、そこに近代的な進化の概念をつぎあわせることによって、新たな信仰の体系を築いたのがブラヴァツキーであった。

で、さらにひとつ言っておくと、こうやって人間の「霊性」は進化する可能性を秘めてるんだが、一方で獣的な方向に退化することもある。進化方向と退化方向の双方向に未来はひらかれており、進化を促すのが神智学の教えであるならば、一方で人間を獣性にひきずりこむ悪の勢力もある。そういう善悪二元論もまた、連中の思想の基本にあるらしい。

というわけで、「霊性の進化と退化」+「善と悪の闘争」みたいなものとして人類史を読み解く思想が誕生したんだが、それがのちのオカルト業界に多大なる影響を及ぼしていく。シュタイナー、エドガー・ケイシー、アダムスキー(笑)、オウム真理教、幸福の科学、みな然り。結論としてはこういう系統の思想はちょっと危ないので注意しましょう、ということであるようだ。



で、ここからが感想。

前世紀末以降のさまざまなオカルトムーブメントを、ブラヴァツキーの継嗣としてくくってしまうというのは、とても面白い見方であると思う。

もっとも、ちょっと強引かなぁと思った点もあった。

本の中にデーヴィッド・アイクという英国のニューエージの人が出てきて、やっぱりこういう系譜の人として紹介されている。この人は「人類というのは、超古代から爬虫類的な姿をしたレプティリアン型宇宙人(!)に遺伝子操作とかなんとかいろいろされて、操られてきたのだッ」と言っているらしい。そこだけ読むと、「なんだリアル宇宙人の介入ジャン」という話で、霊的進化もクソも関係ないような気がするンだが、一方で、「人間の霊的なポテンシャルは実はレプティリアンたちを凌駕している」みたいなストーリーもあるらしく、そういう意味ではどっか善悪二元論的な霊的抗争の枠組みにおさまるのかもしらん、よくわからんが。

ま、それはそれとして、何で強引に感じたかというと、著者自身も本の中で触れているが、この宇宙考古学的な「悪しき宇宙人の介入」というアイデアは南山宏氏なども一時盛んに訳していたゼカリア・シッチンあたりからパクったものらしく、いや、そういう話はそもそもUFOシーンでは既に十二分に語り尽くされたモチーフなので、まぁ何か「霊的側面」みたいなものを貼りつけたところは新しいのかもしれんが、やはりこのアイクという人物は二番煎じの人ではないか、という気がしてくる。ブラヴァツキー/リードビーター/シュタイナー/エドガー・ケイシー/アダムスキー(笑)とかいう綺羅星の如く並ぶメンバーの中にあっては、「何この小物」「埋め草かナ」「場違いじゃネ」的な感想を抱いてしまったのだった。

あと、「進化」みたいなキーワードを霊的世界観にくっつけるというのが近現代のオカルトの或る典型であったとして、いわばそういう竹に木をつぐような無茶な試みがこんなにもうまくいったというのは何なのかという思いもある。たしかに「進化」という近代の意匠をまとうことが有効だったという説明はあるんだが、数十年前から「もはやモダニズムは終わった」みたいにいわれている時代でもあるし、それだけじゃうまくいかんのではないか。

ただ、筆者はもともとグノーシス派を専門とする宗教学者ということで、いわばアカデミズムの人である。そんな人がこういうアヤシイ世界をマジ考察の対象にしたことはとても素晴らしいと思う。

本の中には、例の2012年の「マヤ終末予言」で名を売ったというホゼ・アグエイアスという人も紹介されていて(この人も一連のラインナップの中では「埋め草要員」のような気がするけれども)、何というか、そういうところまで目を配っているのである。「ほんとにおスキなんですねェ」といって著者の肩をたたいて励ましてあげたい、そういう気分である。


現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 (ちくま新書)

現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 (ちくま新書)

  • 作者: 大田 俊寛
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/07/10
  • メディア: 新書



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今はこの文庫版は絶版になっているようで、増補新装版というのが出ている。しかし、いま振り返ると、どーしよーもない(と自分が思う)ヤツを思いっきり粛正してやりてーという思いは、ある意味、00年代に登場した「デスノート」を先取りしていたのかもしれぬなあ。まぁギャグなので、そっから先、「でもマジそういうのアリ?」みたいな問いかけは全くない(笑)。なおこの作者が高名なエロ小説家だというのもよく知られた話。

ケンペーくん (幻冬舎アウトロー文庫)

ケンペーくん (幻冬舎アウトロー文庫)

  • 作者: ならや たかし
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 1999/12
  • メディア: 文庫

 現代に甦った憲兵が、軟弱な若者、暴走族などを殺戮してまわるというギャグ漫画です。最初は自費出版された作品だそうで、話には聞いていたんですが、このほど文庫本になってようやく入手することができました。

 オジサンとしても、電車の中でしゃがみこんでいるような性根が腐った?ワカモノには「なんだかなー」と思うこと、しばしばあります。だから、ギャグと思えば、けっこうカタルシスがあって痛快…なんですが、なにか作者の方はマジで「大日本帝国万歳」系の人のようなんですね。ちょっとシャレになんないよ、という気もするんですが。

 まあ、でもオススメ。(99/12/25記)

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まさにここに書いた通りで、オレの平田篤胤イメージを根本的に変えてくれた本。篤胤のことなどほとんど知らんオレだが、勝手なことを言わせていただけるなら、この本でみるかぎりでは現代のUFO研究家とかフォーティアンと、まぁそんなに違わねーんじゃねーか、みたいな。

仙境異聞・勝五郎再生記聞 (岩波文庫)

仙境異聞・勝五郎再生記聞 (岩波文庫)

  • 作者: 平田 篤胤
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/01/14
  • メディア: 文庫

 国学者・平田篤胤といえば江戸末期の国学者。復古神道の大立者で、「偉大なる神国日本」のイデオローグですね。単なる頑固ジジイ、みたいなイメージあったんですが、この本で見方変わりました。

 彼がある日、妙な子供の噂を聞くわけです。この小僧、「天狗」に導かれて「仙界」に赴き、修行を重ねてきた、という。そこでは仏教イコール邪教。敬神の念篤き「山人」(仙人みたいなもんですか)が日々修行を積む世界がある--。

 本書はその子供、寅吉への、いわばインタビューの記録。根掘り葉掘り仙界の話を聞く篤胤たちの、その嬉しそうな事ったらない。冷静に考えると、篤胤さん、妄想癖のある子供のホラ話に(よろこんで?)引っ掛けられているような気もするけど、でもいいんですよ、何かほほえましくて、ホノボノして。こうやって共同幻想っつーものが生まれるんだなあとつくづく思います。(2000/2/7記)
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これも良い本だったなー。これも不確かなんだが、山村にも商品経済が入り込んでいった時代、そのトレンドをつかんで裕福になっていった家にたいして「ほら、あそこの家はオサキ使ってるから」的解釈が施された、みたいな記述があったやに記憶している(例によって現物行方不明のため確認不能w)。なるほど負け惜しみっつーか、なんか釈然としない事態をどーにかして合理化したいとゆー我々愚者のおもいが、こういう民俗の根っこにあったりするのかもなーと思ったことであった

日本の憑きもの―社会人類学的考察 (中公新書)

日本の憑きもの―社会人類学的考察 (中公新書)

  • 作者: 吉田 禎吾
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1999/10
  • メディア: 新書

 初版は1972年。昨年、中公新書創刊1500点記念で復刻されたものです。十数年前に手にして「名著だなあ」と感じ入った本ですが、いつのまにかなくしてしまって残念に思っていましたから、再び入手して感無量でした。

 どんな本かというと、かつて日本にはオサキやイズナ(見た目はイタチみたいなもののようです)といった霊的動物(?)を操って、人を病気に陥れたりする家筋があったっていうんですね。これは人類学者による、そのフィールドワーク。学術色の濃い本ながら、つい最近まで(というと大げさですが)、この種の奇譚が事実として語られていたんだなーと思うと日本民俗の奥深さみたいなものを感じてしまうのです。(2000/2/10記)


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オレが買ったのはアース出版局版で、ここに上げた写真は別バージョンの借り物である。なお、ここに書いてあるように未完の作品なのだが、確かラストは編集者から「少年マガジンにゼヒ連載してくださいッ」みたいに頭を下げられるシーンで終わったような気がする。で、そんとき、「おぉ早稲田出のエリートがオレに頭を下げているッ! オレもここまで来たかッ!」みたいな梶原の感慨が描かれていたような記憶がある(現物はどっかに紛れ込んでいるので確認不能)。おぉ天下の梶原一騎にも学歴コンプレックスがあったのかー、けっこうセコイことで喜ぶのだなーと微笑ましい気分になったことを覚えている。
ちなみに、やっぱり今は絶版になっているようで、検索をかけてみると「お笑い 男の星座」ばっかり出てくるのが悲しい。

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男の星座―一騎人生劇場 (1) (漫画名作館スペシャル―男のバイブルシリーズ)

  • 作者: 梶原 一騎
  • 出版社/メーカー: アース出版局
  • 発売日: 1998/03
  • メディア: コミック

 「漫画ゴラク」に掲載されていた、漫画原作者・梶原一騎の未完の遺作です。梶原の自伝的作品、というわけで、彼を思わせる梶一太なる青年のビルドゥングスロマンですね。空手の大山倍達、プロレスの力道山なんかとの交友のエピソードも(全部ホントでもないだろうけど)出てきます。

 で、何がいいのかというと、男の子というのは「誰が世界で一番強いのか」みたいなことに興味シンシンなわけです。「腕っぷしの強さ」信仰みたいなものがあるんですね。その点、梶原って人は「ずっと子供のままで大きくなってしまった」みたいなところがあるんじゃないか。それで、まず格闘技がひとつのテーマになる。さらに彼は「男は強くあるべし」というところから派生して「男気」「義侠心」「不言実行」「信義」みたいなものを高らかにうたいあげる。

 まあ、フツーの人は「そんなもんじゃ世の中生きてゆけないよ」っていつのまにか気づいて、オトナになっていく。同時に時代も変わってきましたよね。梶原流の一途さが「重苦しい」と敬遠される時代になってきて、例えば彼が原作を書いた「巨人の星」は今やパロディーのネタ。

 でも、じゃあ梶原一騎はアナクロか、というと、「いやそうじゃない」と思いたいわけです。やっぱり「正義はある」と思いたいし、卑怯は許せない、「男の美学」というものはあると思いたい。彼の全盛期を知るおやじ世代は、ひそかにそんな思いを胸に彼の漫画を手にとるのです。本作は未完でもあり、完成度は決して高くない。でも、そんな梶原ワールドの熱っぽさはジンジン伝わってきます。 (2000/3/26記)
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今回の読書感想文も、むかし開設していたサイトからの転載である。とゆーか、順序立てて話してみると、この本が絶版になっていることを知ったオレが、思いあまって「復刊ドットコム」に復刊リクエストをしたのが2001年2月16日のこと(らしい。「復刊ドットコム」の記録を信じる限りw)。

そのとき「リクエスト内容」として書き込んだ文章を、たぶんネタ不足だったのだろう、当時のオレは同年10月11日に自分のサイトに転載した(らしい)。で、その文章をまたまたネタ不足に陥ったオレが再びこのブログに転載することにした、そーゆー話である。

聞くところによればこの本、今年中に国書刊行会から復刊されるのでは、というウワサがある。どうせ遅れるだろうヨという気がしないでもないが、まさに十年越しのラブコールであったのだなと感無量(なお、アマゾンを見てみると「どーせ復刊なんてもっと先よ、先。企画自体ポシャるかもしれないから、今のうちに買っとけよ」と言わんばかりに古本を出品しているヤカラが結構いて、本日10月15日の時点で最安でも8,789円! 国書刊行会、完全に舐められているナw)


何かが空を飛んでいる

何かが空を飛んでいる

  • 作者: 稲生 平太郎
  • 出版社/メーカー: 新人物往来社
  • 発売日: 1992/10
  • メディア: 単行本


 オカルト雑誌の定番のひとつが「宇宙人」ネタ。でも、「彼ら」は本当に「UFO」に乗って宇宙からやってきているのだろうか。そんなわけねえだろ、と普通の人は思う。でも、「わたしは見た」と言い張る人は後を絶たない。これって、なんなんだ!…というわけで、著者は一つの仮説を提示します。

 これこそ「現代版の妖精目撃体験じゃないか」と。いつも世も、人は何かの拍子に「奇っ怪なもの」を見てしまう。いま、心ならずも見慣れない存在に出会った人は、それを「宇宙人」と言い表すしかないのじゃないか…そんな議論が実証的な「UFO研究」を踏まえて展開されます。

 実は以前パソ通のフォーラムで教えてもらって興味をもち、国会図書館で一度閲覧した本なのです。というわけで以上はうろ覚えの要約。けっこうイイカゲンかもしれません。ま、とにかく再版をアツク希望している本なのです。(2001/10/11記)

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そういえば、いわゆるブログが広まる以前の時代であったが、しょぼいサイトを自前で作っていたのだった。その当時に書いたコンテンツを再録してみようかと思い立った。とりあえず本の感想文などアップ。


阪神タイガースの正体

阪神タイガースの正体

  • 作者: 井上 章一
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 単行本


 さいきんの阪神関係の本の中では、これ、出色でしょう。

 なんでかというと、建築史が専門のこの先生、やっぱり毎日毎日現実の壁にぶちあたりながらも「明日こそは!」ってけなげに頑張る阪神が大好きなんだけど、よくよくプロ野球史を調べていったら、実は阪神ってけっこうズルイ球団で、そんなにカッコいい存在じゃないんだなー、とわかってしまった。いわば「阪神幻想」を自らぶちこわす本になってる。でもでも、そんなウラがわかってしまっても、やっぱり阪神を見捨てることはできないよ、みたいな切ない心情がにじんでて、そこがいいんだよなー。

 で、具体的にどんな話がでてくるかというと、例えば「阪神は基本的に巨人の腰巾着である」。戦後のプロ野球の2リーグ分裂のときなんか、阪神球団はさいしょ新リーグ(現・パリーグですね)に移る構えをみせながら、最後は「人気球団の巨人についてけば間違いない」と仲間を裏切った。巨人という体制に反逆する「反体制のヒーロー」なんてイメージ、作り物なんですわ。

 「作り物」といえば、「東京なんかに負けへん。わいらは大阪代表や」みたいなイメージもあるんだけど、実はこのあいだまで大阪を代表するチームといえば「南海ホークス」だった(今のダイエー)。歴史こそ古いけど、たいした人気球団じゃなかった。いろんな幻想をふりまいて、今の阪神がある…。

 ますます人間くさい球団・阪神の実像がみえてくる本です。(2001/10/06記)  

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検証 予言はどこまで当たるのか

検証 予言はどこまで当たるのか

  • 作者: ASIOS 菊池 聡 他
  • 出版社/メーカー: 文芸社
  • 発売日: 2012/10/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



今回の感想文はASIOSの新刊『検証 予言はどこまで当たるのか』(文芸社)である。

ここのところ超常現象本というジャンルが何となく元気がなくて、まぁ都市伝説方面なんかだと山口敏太郎のコンビニ本とかけっこうよく見かけるんだが、単行本だとなかなか触手の伸びるようなのがない。

そんな中でASIOSという団体はけっこう頑張って、きちんとした本を出している。ASIOSとは何かというと、正式名称は「Association for Skeptical Investigation of Supernatural」というらしく、正式名称もあるのかもしれんがつまりは「超常現象について懐疑的に研究する協会」である。この方面の研究者たちが集結し、様々なネタについて謎解きをしていくというのが基本スタンスらしく真面目に調べているので、今回の本などもついつい買ってしまったのである。

で、「なんと。吃驚!」みたいな話はあんまりないンだが、知らなかったことも相当書いてあるし、年々耄碌して「アレのことよ、アレ。何て言ったっけ、アレよ」みたいな言葉を発しはじめたオレにとってはよくできた資料本みたいなところもあって、たとえばノストラダムスの言う「ヒスター」はドナウ川の別名である、みたいなくだりを読んで「ああ、そうだったそうだった、ライン川じゃなくてドナウ川なんだよネ」とか相づちをうったりするのである。細かい話はすぐ忘れちまうんだろうがw(ちなみに今回登場してノストラダムス論を書いている山津寿丸氏はちゃんとテキストクリティークとかした上で史料を読み込んでいるとおぼしき本格派で、かなり凄い)

ただここで若干苦言を呈させてもらうと、巷間伝えられている「伝説」と、その謎解きにあたる「真相」のパーツとを並べて項目を作っていくという構成は、たぶん「と学会」の本あたりに倣っていると思うのだが、そろそろ食傷気味である。限られたスペースで明快な議論を展開していくためには便利な手法なのだろうが、何かQ&A的というか学習参考書的というか、やはり「文章を味わう」みたいな喜びはあんまり得られない。

なんというかなぁ、UFOでも臨死体験でも「まぁ脳内現象と考えて大外れはないよ」みたいな議論は当然有力なのだが、しかし「でもそれだとどっか辻褄があわないところがあるんだよネ」的な過剰な部分があって、そういう二重底が奇現象の魅力だったりする。こういう明快な構成だとどうしてもそのあたりのニュアンスがそぎ落とされてしまうのである。ま、しかしそれは読み手の勝手な言い分であって、そもそも本書はコンセプトが違うような気もする。ホントはそんな文句をいわずに、国書刊行会が再刊を予定しているという『何かが空を飛んでいる』をひたすら待つべきなのであろう。と反省。

ま、ただ、構成の単調さみたいなトコを何とかカバーしようという工夫はもう少しあっても良かった。もちろん担当編集者もその辺はうすうす考えてはいたらしく、今回の本には菊池聡氏の認知的不協和理論をめぐるコラムとか、秋月ペンパル氏のUFOエッセイとか執筆者座談会とかも挟み込んでいて、そういうパーツは実際なかなか良いのである。もう一押し、であった。

なお、ついでだから編集者に対して、もひとつ苦言を呈しておくと、中に『「伯家神道の予言」は本当に存在するのか?』という項目があるんだが、これは長すぎた。要するに神祇伯を代々襲ってきた白川家には天皇が必修すべき祭事が伝えられているんだが、明治天皇以降これをやってこなかったので日本は滅亡するであろう、みたいな話である。しかし、そもそも皇室の祭祀じたい明治時代に適当に作った(古代に倣って復原したという理屈もないではないが)ものが多いというし、「伯家神道の秘儀」みたいな話は初手から眉唾でアル。ところがこの項目、何か途中からあんまり予言と関係のない「そもそも伯家神道とは何か」みたいな話が延々とはじまってしまい、とても違和感がある。本のコンセプトというものはもっと大事にしなければならない。

最後にもうひとつ、巻末の執筆者座談会に編集者らしき人物が出てくるんだが、例のワールド杯サッカーで有名になった予言ダコのことを「パウロ」と言っている。聖書の予言とかでアタマがそっち方面にいってしまったのだろうが、ここはパウルでしょう(笑)。編集者が足を引っ張ってはいけません。

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久米晶文『「異端」の伝道者 酒井勝軍』を読了。

面白かったのだが、う~ん、何か複雑な思いが去来する本であった。

オレは半端なオカルトファンなので、酒井勝軍という人物については、これまではきわめて断片的なことしか知らなかった(たぶんそうした情報は「ムー」みたいな商業雑誌で読んだのだろう。よく覚えてないが)。

もともとキリスト者ではあったらしいんだが、戦前の日本で日ユ同祖論(日本人とユダヤ人は祖先を同じくしている、というアレですな)をぶったり、何か「日本にもピラミッドはあった」とかいって全国回ったり、つまりはオカルト界隈でいろいろ話題を提供していたアブナイジジイ、みたいなステレオタイプの印象しかなかったのである。

が、今般、その本格的な評伝が出たというので買った。それが本書。読んでみると、ふむ、ナゾ多きこの人物の半生がなるほどそういうことだったのか、と見えてくる。

山形は上山の産。没落した士族の裔で、苦学して今の東北学院大に進む。米国留学も果たし、帰国後は賛美歌による宣教運動なんかでそこそこ名を売るンだが、やがて著述家としての活動も開始。例の「竹内文書」に出会ったりして、最終的に「超古代、日本は世界の文明の中心地であった!」「モーゼやイエスも日本に来て天皇家の感化を受けて帰っていったのだぞ!」「近々ハルマゲドンがやってくるが、その後の世界を統べるメシアとは、何を隠そう天皇なのだ!」みたいな、とにかく破天荒なことを口走って死んでいった人なのだった。

個人的なことをいうと、むかし仕事の関係で山形市に住んでたから上山には土地勘はあるンだが、戦後有名になった無着成恭の「山びこ学校」の舞台も上山だ。酒井勝軍という男、あの寂しい町から出て這い上がっていったんだなー、と思うといささかの感慨もある。

あるいは、酒井が仙台時代に少女時代の相馬黒光と「デート」した、みたいなエピソードが書いてあるんだが、黒光が嫁入りした相馬愛蔵はオレの故郷・信州安曇野の人であったりする。音楽教育絡みでチラッと出てくる伊沢修二なんかも信州・高遠の産。あぁいろんな因縁があったんだ、と思ったりもする。

というわけで、いろいろ教えていただいて有り難う、という気持ちはあるんだが、さて、著者の酒井勝軍論はどうなのかというと、いささかクビを捻りたくなるところがある。

その言わんとするところはわからんではない。世間からキチガイ呼ばわりされてきたこの男だが、実はそうそう捨てたもんでもないぞ、もっと光を浴びてもいい人物なんだぞ――そういう思いがあったからこそこういう本をお書きになったんだろうが、しかし、その「褒めかた」がいささか苦しい。

たとえば、天皇天皇というから誤解されやすいが彼の思想は決して「復古」などではなくて、近代合理主義の病理がはびこっていた時代に、そこを超えてもうひとつの「オルターナティブ」を立てようとしたものだった、などという。あるいは、キリストの青森渡来とか広島のピラミッドとか、こういうハナシは得てして地元で「町おこし」的に消費されてきたんだが、酒井の場合はそこに常に「思想」があった――つまりその意味を世界の文明史的レベルにつなげて語っていたエライ人なのである、的なこともいう。

だが、よくよく考えてみると、そもそもこの人がキチガイ扱いされたのは、実証的な研究レベルからいうと全く箸にも棒にもかからない、つまりは妄想レベルのことを言っていたからであって、そういう妄想の上に文明論とか思想を語られても困るのである。彼が論拠にした竹内文書だって、オレは全然中味は知らんのだが、本書を読むと、たとえばモーゼやキリストがあっちとこっちを何度も往復したようなことが書いてあるらしい。紀元前の時代にそんな大冒険活劇はムリでしょう。神代文字にいろいろ書いてあった、とかいっても、ハナからそんなものの存在は否定されてるわけでしょう。

むろん著者も竹内文書が偽書であって、あとから都合よく捏造されていったことは認めてる。認めてるんだけれど、「いやでも、これは宗教文書なんだから。宗教的テキストを真偽のモノサシではかってはいかんでしょ。酒井もその論理の根っこには神秘主義的体験があったわけだし。そんな理詰めだけじゃわからんでしょ」みたいなことも言う。

そりゃ宗教なら宗教でハッキリしてくれりゃあいい。じっさい、このブツは竹内巨麿絡みなんで「宗教的テキスト」といえなくもないし。だけど、本書を読んだ限りだと、酒井勝軍も表向きは「証拠の上に史実を構築する」という方法論をとっていたようにみえる。それならそれで実証ベースでやっていただくしかないではないか。それとも、「これは神の声で明らかになった話。信じて頂くしかありません」みたいな論法も併用していたのだろうか?

というか、本書を読んでて思ったんだが、ひょっとしたら「酒井勝軍には思想家として注目すべきところもあったからこういう本を書くのだ」みたいなリクツは「あとづけ」で、この著者、ほんとは酒井が好きで好きでたまらなくて、だからもう居ても立ってもたまらずに評伝を書いてしまったのではないか。それならそれで、ハッキリそういう書き方をすれば良かったと思うのだ。

たとえば最近出版されてノンフィクション賞を総なめにしている、増田俊也「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という本がある。表紙に主人公の写真をでっかく配した分厚い本、といった点で、この2冊の本は似ている。が、著者のスタンスは微妙に違う。「木村政彦」のほうからは、自分は木村政彦が大好きで、しかしその業績が世の中から忘れられていて、それが悔しくて悔しくて、だから書いたのだ、という思いがヒシヒシと伝わってくるわけで、著者自身もそのことを隠そうとしない。一方の「酒井勝軍」のほうは、そこで自らにリミッターをかけている感がある。もちろんアカデミズムのほうの方らしいから自制も必要だったのだろうが、どうせオカルト系の人物の評伝なのだ(というと語弊があるけれども)、はっきりと「好きだから書いた」と信仰告白すれば良かった。

とまぁいろいろ難癖をつけてきたのだが、ともかくこういう人物の評伝を世に送り出したという、ただその一点で本書は評価に足る。今後、酒井を語る際にはキホンのキとなる本であることは間違いない。

P.S.
最後に付け加えていえば、関係のある人の肖像写真とかもかなり収録している。これは素晴らしい(写真といえば、表紙にも使われている酒井の正装写真なんだが、胸にいっぱい勲章みたいなのがついてるのが気になった。こういう人も勲章をもらったのだろうか? しかし、誰から? ナゾであるw)。あと、参考資料についての注などもついていれば良かったが、学術書ということでもなければそれは無いものねだりか。




「異端」の伝道者 酒井勝軍/久米 晶文 著
「異端」の伝道者 酒井勝軍

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか/増田 俊也 著
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか


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