カテゴリ: あとらんだむ

アイ・ジョージという、とても歌唱力のある歌手がいた。いや、まだ亡くなったという話はきかないから存命であるのかもしれない。

で、ふと思い出したのだが、この人が「民族の根っこには伝統的なリズムがある」というようなことを言っていて、「おぉなるほど」と思った記憶がある。「徹子の部屋」か何かで聞いたような気がするが、よく憶えてはいない。

オレが記憶している限りでいうと(いまとなっては本当かどうかアヤシイものだが)、たとえば日本人というのは二本足の鳥のようなもので、つまり二拍子のリズムが骨の髄までしみついている、と彼はいうのだった。言ってみれば「イチニ、イチニ」「よいしょ、よいしょ」という、いわば鍬か何かをふるって農作業をしている時のリズムがどこか基本的なものとして身体にビルトインされている、という話である。

これに対して西洋人は四拍子だったか、三拍子だったか、ともかく二拍子ではないリズムを基本に生きているという話だったような気がするのだが、もともと音楽の素養のないオレなので、その辺はよく憶えていない。ともかく民族のベースになる拍子が日本人の場合は二拍子である、というのがキモなのである。

武智鉄二のナンバ歩きにまつわる議論ともどっかで重なるような気がするのだが、ナチュラル・バイブレーションっつーか、我々の身体を根源的なところで縛っているリズムがある、っつー感覚は、けっこうするどいのではないか。と同時に、なんかちょっとアヤシイ雰囲気を漂わせていたアイ・ジョージはどこにいってしまったのだろう、という思いが心中にきざしたりもする。

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オレは、まぁ若干破戒に傾斜しているとはいえ一応仏教徒だという自覚はあって、「一切皆空」とかいわれると「まぁそうだよなー」と思うような人間であるんだが、たまに何となくパラパラと聖書(新約デス)をめくったりするようなことも、ま、ないではないのだった。

もっとも、その読みは基本的に懐疑的である。「いくらなんでも刑死したオッサンが墓場から甦るわけないジャン。だいたい甦ったあとの事績がいろいろ書いてないのが不自然だよなー。この甦ったと称する男が本当にイエスと同一人物だと言い張るんだったらサ、いろいろ問い詰めてリアルなトコ証言してもらわにゃ納得いかんよなー。自らを捨てて人間の罪を背負ってくださった、みたいなとこまで言うからにゃあ、もっと検証せにゃいかんでしょ。それが全然ないじゃん」みたいな、つまり異教徒丸出しのボートクすれすれの読み方しかできないのである。

いや、しかし、よくわからん文句が並んでいる聖書のなかで、ときおりキラリと光るフレーズを発見することもある。たとえば次のようなところ。


イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、 弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、 驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような 奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの 兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことが おできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、 イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。(マルコ6:1-6:6)



イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。(マタイ13:53-13:54)



つまり、イエスが故郷に戻ってきたところ、その辺のオヤジが「おや、アイツ、大工のヨセフんとこのガキじゃね? なに気取ってんだヨ」的なツッコミを入れたというのである。するってーと、流石のイエスもたじたじである。「いやあ、預言者っつってもネ、故郷とか家族のいるとこじゃフツーの人になっちまうんだよねー(ポリポリ」とかいって、実際に「奇跡」も起こせなかった、という話なのである。

このあたり、実に真理をついているッ! つまり、なんか教団を立ち上げることに成功したカリスマであってもね、「あのさー、偉そうなこといってっけどさー、アイツ角のたばこ屋のせがれの定坊でしょ? オレ、アイツのおしめ替えたことあるんだよねー(笑)」的な、もう絶対的に彼の弱いところを握った人間に対しては、もうカリスマは通用しないのである。いくら天下のイエスであっても、はなから「角の大工ンチの小せがれ」だという風に見る人間に対しては全く無力なのでアル。

言ってみりゃ、聖書はここで宗教の幻想性というものをはからずも露呈させてしまっているのである。信じ込ませりゃ相当なことはできる。でも、しょっぱなでツカミそこなったら全然ダメ。

そしてこういう聖書のワキの甘さが、オレはとてもスキである。もちろんちゃんと勉強した聖書学者のセンセーは、この辺も違う解釈をされるんであろーが、ナニ、読み方は勝手である。そして、そういう読み方ができるから聖書いいよネという人間の出現をも肯定しているからむしろ聖書はエライということもできるのだね。
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また村上春樹がさんざっぱらティーザー広告で引っ張ったあげくに小説を出したというのだが、それも午前0時から販売しますよなどというバカな本屋まで出現したものだからバカが夜中に行列つくるありさまで、もうほとんどWindosXPとかiPhone発売の世界である。

・・・などと毒づいているのはオレがこの男を嫌っているからで、たとえば外国の催しとかに呼ばれるとホイホイ出かけていって講演なぞするのだが、国内では公の場に全然出てくることもなく、だからこんど公開インタビューを日本でやるらしいのだが、それがあんまり珍しいことだからニュースになってしまうほどである。

小説を買って読んでくれ、そこに全部書いてある、それ以上のことは言わんから、というつもりなのだろうが、では何で外国だと聴衆の前で講演したりするのか全然説明がつかんし、ハワイあたりの大学で講義なんかもしてるというではないか。オレとしてはこれは「バカな日本人どもは黙って本買ってりゃいいんだよッ!」というメッセージであり、でも何故か毛唐には好かれたいという歪んだ植民地根性のあらわれではないのかと疑っている。なんだ偉そうなこといってもその程度かヨ、というワケでこの男は嫌いである。

というか、よくよく考えると、オレも昔「ノルウェイの森」か何か買って読んだことはあって、つまり基本的にこの男の本は読んではいないのだけれども、たまさかそういう機会にこの男の小説世界に嫌悪をもよおしたという事実がないわけではないのである。(追記:あ、そうだ、そういやこないだ読んだ『1Q84』もこの男の本であったな。これはオレ流ユーフォロア的視点からすると失敗作である、というのは前に書いたw)

で、この男の小説じたい好きになれないのはいったい何故なのだろうと思うのだが、たとえばたまに読む西村賢太の哀れを誘う世界が実に心に染みいってきて、「あぁこれは良いなぁ」とシミジミしてしまうオレの感性からすると、「やれやれ」とかいって女の子とこじゃれた会話を楽しんだ末に××しちゃったり○○しちゃったり、スパゲティを茹でながらビールを呑んだりバーボンか何かをあおったりとゆー、一見苦悩なんかしちゃってんだけど結局ソイツは勝者の余裕じゃネ?みたいな彼の世界に根源的な憎悪を抱いてきたからではないかと思い至るのだった。

そういえば、と思い出すわけだが、遠い昔、オレにも田舎から東京に出てきて木賃アパートで生活していた青春時代というものがあった。根がクライし人見知りなので、友人なんかできないのだった。ましてや彼女なんて。14型か何かのブラウン管の赤い小型テレビと、食費をケチって生協の本屋で割引で買ってくる本だけが寂しいオレの相手をしてくれるのだった。で、たまに早稲田あたりの名画座に行って夢中で映画を観たりしたンだが、あれなんかも孤独を癒してくれたのだなぁ今おもうと。ソフィー・マルソー。クリスティ・マクニコル。心の恋人であった。

もひとつ、たまに人と話をすることもないではないのだが、それは何かというと、隣室に住んでいる土方のオッサンが「ちょっと呑まない学生さん?」とかいって来るので、まぁ断るのも悪いので行って酒盛りをするのだった。

ま、それはそれでいいんだが、このオッサンはどうも分裂病を患っているようであった。「実はオレ、むかし佐藤栄作の娘とイイ仲だったんだけどなあ、仲を裂かれて今じゃこんなありさまよ」。酔うとそんな妄想を繰り返し繰り返しオレに語って聞かせるのだった。酒は焼酎か安い日本酒をそそいだコップ酒。つまみはサバ缶。みたいな。なんだよあのオッサン!とか内心毒づきながら、実はそれが「癒し」になっていたんじゃねーかと思われるフシもあるのが哀しい(笑)。

いやいや、つい誰もききたくないツマラン昔話をしてしまったが、つまりはそういうことである。気取るんじゃねーよ村上春樹。才能があるのかなんか知らんが、偉そうに格好つけて肩で風切ってるヤカラはどうにも許せねえ、ただそう言いたかっただけなのである。嫉妬というやつなのだろうな。わかってはいるさ。



【追記】

なおその後、なんとなくウィキペディアで「村上春樹」の項を眺めていたら、小谷野敦の弁として次のようなことが書いてあった。孫引きさせていただく。

巷間あたかも春樹作品の主題であるかのように言われている『喪失』だの『孤独』だの、そんなことはどうでもいいのだ。(…)美人ばかり、あるいは主人公の好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と『寝て』くれて、かつ二十代の間に『何人かの女の子と寝た』なぞと言うやつに、どうして感情移入できるか。
  *原典は「『ノルウェイの森』を徹底批判する−極私的村上春樹論」『反=文藝評論』(新曜社)とある

若いころもてなかったことで有名(?)な小谷野敦ならではの主張(笑)であるが、そう、オレの言いたかったのはたぶんこういうことなのである。



【追記の追記】

なお、その後、ドリーさんと名乗る方が『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について書かれたアマゾン・レビュー「孤独なサラリーマンのイカ臭い妄想小説」が大評判になっていると知り、読んでみたのだったが、実に共感できる内容であった。(2013/05/06記)


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高浜虚子の有名な句である。

が、オレのこの句にたいする解釈はいささか品のないものである。

正月元旦。アサいちでクソをした。実に、太い見事な棒状のものである。

去年喰ったものが、ことしクソになって出る。

まさに年越しをぶっとい棒状のものが貫いた。あぁ愉快愉快。そういう句として読んでみたいものである。



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NHKの大河ドラマというのは何か苦手で全然みてないのだが、「八重の桜」というのをやってることは知ってる。

で、主人公・新島八重を綾瀬はるかが演じているということも。が、何か違和感があるのは、やっぱり写真の残ってる実在した人物を天下の美人俳優が演じるときの嘘臭さなのだった。で、ふと思ったのだが、彼女は山口敏太郎氏に似ているのではないか。いやリアリズムで演じてても誰も見ないだろうという大人の事情はわかるにしても。

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読んだこともない本を引き合いに出すというのもナンだが、プルーストの「失われた時を求めて」におけるマドレーヌの如く、食い物と記憶のあいだには何かしらユルイ連関があるようで、辛いラーメンなど食べていると、山形県を思い出すのだな。

あそこには確かラーメン博物館にも入っていた辛い系の赤湯ラーメンというのがあって、或る意味ではその変種ということになるのかもしれないが「鬼がらし」という店が山形市内などにあるのだった。もう15年も前になるか。よく食べた。けっこう旨かった。

仙台あたりに出店をしてるようだが、東京ではああいうのはなかなかない。通販みたいなのもやってないみたいだし、こういう時代になっても、やはりその場所に足を運んではじめて出会えるものというのはあるわけで、だからこその辛いラーメン=オレにとっての山形。

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唐突ではあるが、沢田研二、菅原文太の「太陽を盗んだ男」(長谷川和彦監督、1979)を見た。

まぁ池上季美子含めて「みんな若いなー」と驚いてみせるのはお約束。で、基本エンタテインメントなので「プルトニウムさえあれば誰だって原爆は作れる」とか登場人物に言わせてるのはちょっと言い過ぎダロみたいなツッコミも可能ではあるんだが、それはそれとして今見てもなかなか考えさせるものがあるゾ。

沢田演ずる中学校教師が東海村に侵入してプルトニウムを奪取、原爆を手作りして「爆発させたるぞワレ」とかいって政府を脅すんだが、しかし沢田研二、よく考えると何を要求したらいいのかわからないのである。別に要求はないんだけど、なんとなく原爆作っちまって、あとづけで「政府コノヤロー」といって暴走していく、というマヌケなストーリーなのである。その割にアクションシーンとかけっこう派手に展開しちまって「西部警察」状態、みたいな(笑)。

※余談ながら、作中の小ネタとしてナイター中継の話が出てくるわけだが、ここで巨人のピッチャー・加藤、バッターは大洋(笑)の中塚、とか言ってるのが個人的には実にシミジミしたぞ。


まぁしかしオレなんかも学生をやっていた1979年という時代相を考えると、それなりに真面目な問題提起があったような気もするわけだ。今からみれば、まだニッポンも未来に夢を抱けた時代ではあった。じじつバブルはこのあとにやってくるわけだし、明らかに今みたいなドンヅマリ感はない。ただ、それだけに、なんつーのかなー、今にして思えば嵐の前の静けさ、っつーか、まったりとしたヌルイ日常に呑み込まれていくことへの実存的不安、みたいなのは確かにあったような気がするのであるな。

だからこその「オレって何をやりたいんだろうか?」的な沢田研二なのである。退屈な、なんとなくイライラさせられるこの日常をどうしてやろうかみたいな、アンニュイな沢田研二。いけてるぞ。とゆーか、わかるぞ。


まぁ「リアル原爆」ならぬ「原発」の「爆発」が起きてしまった2012年のオレたちからみると、「まぁノンキだよなー」と言わざるを得ないわけだけれども、平和な退屈に厭いてしまって「なんかデッカイ事件でもおこらんかなー」と倒錯したことを考えちまう人間ってのは実に厄介だよなぁ、と改めて思うオレであった。

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ネット上の知り合いというか、まぁ勝手にこっちで畏友と思いこんでいる人がいて、その人がももクロ、ももクロとウルサイので何となく気にはなっていたのである。

とはいいながら、もう五十のジジイ、好奇心が鈍磨しつつある事情もこれアリ、「ふ~ん」と思ったきり放置していたのであったが、ツイッタとかで、最近ももクロの百田夏菜子の「エビ反りジャンプ」の写真を偶然現認してしまい、一瞬、う、と言葉に詰まる。

なんだ、これは。(↓厳密にいうとこの写真を目にしたわけではないンだが)
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改めて調べてみると、このエビぞりジャンプはももクロの至宝(ということに、この際、しておこうw)百田夏菜子嬢のステージ上における、いわば必殺技なのだという。

あぁそうか、これはある意味、コーナーポスト最上段からミル・マスカラスが放つ飛翔ワザであり、あるいはキラー・コワルスキーの必殺ニードロップ、あるいはブルーノ・サンマルチノドン・レオ・ジョナサンの渾身の力を込めたベアハッグであるわけか。(ボケが進んでいるため、間違えてドン・レオ・ジョナサンと書くオレw)


日本のエンターテインメントおそるべし。五十にして、そうつぶやく初夏の一日。



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巨大戦力の威力をみせつけて巨人が好調なのをみるのは実にシャクであるが、ただひとつ、快哉を叫びたい(笑)のは沢村の不調である。本日6月14日の試合でも負け投手となり、通算4勝7敗。負け先行。

以前のエントリーでも書いたのだが、「筋トレでパワーアップして剛球勝負」みたいなことを沢村が言ってるのはどうも違うのではないか、というオレの理論がとりあえずは認められたようである。

ピッチングというのはきわどいバランス感覚の上に成り立つものであって、それはあたかも平均台の上で大技を繰り出すような営みだ。力任せに「エイどうだ」というものでは全然ない。だから余計な筋肉など不要であり、肩はあくまでもなで肩がベスト。さぁどうだ沢村よ、負けを認めなさい(笑)

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というわけで、AliExpressで注文したDVDドライブ、SW-9576-Cがこの土曜日に届いた。香港からの航空便である。裸のブツを発泡スチロールで包んでテープでグルグル巻きにしてある。それを再びプチプチで包んでテープでグルグル、という梱包。この時点でかなり怪しげではある。

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開封。ラベルには「MANUFACTERED : JANUARY 2012 」とか書いてあるのがナゾである。パナは生産中止してるという話なんだが、ラベルにはしっかり「パナソニックコミュケーションズ 福岡市博多区美野島4丁目1-62」とか(もちろんローマ字でだが)書いてあるぞ。何なのだこれは?

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何か素性の明らかでないブツなんだが、とりあえず換装してみた。しかし。何か全然DVDがマウントされんぞ。何を入れても「ディスクをチェックして下さい」一本やり。ガチャガチャいうこたぁいうんだが。インチキ商品だったのかヤッパリ?


しょうがないので「返金キボンヌ」とAliサイトから連絡を入れる。どうなるんでしょうか?



まぁ、最初は殻付DVD-RAMを使えるプレーヤーが手元に一台あってもいいかなー、とか思って自己流修理を考えたンだが、なんか萎えてきたなー。殻付RAM、そもそも生みの親のメーカーさんにも見捨てられた悲しい子であって、オレらユーザーが「自己責任」で試行錯誤する、ってのも何かバカバカしい話ではあるんだよね・・・。ま、殻から取り出して使えばいい、といえばいえるわけだしね。でもなあ、くそぉ東芝にわざわざ補修部品まで取り寄せてもらったのになぁ。

けっきょくRD-S601は、バラしてハードディスクだけ取り出して粗大ゴミ送りかな。確か300Gのが2つ入ってるから何かちょっと2次・3次バックアップ要員ぐらいにはまだ使えるやろ。


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