カテゴリ: 原発

こないだツイッターみてて、なるほどと思ったつぶやきがあったんだが、つまりアメリカでまた銃乱射事件とかあって、「どうしてアイツらは銃規制せんのかバッカじゃなかろか」とわれわれはつい考えてしまうンだが、一方で連中からみると「原発であんなに酷い目にあった人がいっぱい出たのに、いまだに原発必要とか言ってる日本人はバッカじゃなかろか」というワケで、米有力メディアあたりはそのへんしっかりツッコミを入れているゾ、という指摘なのだった。

これなどはたぶん反原発サイドの人が「日本人ってヘンじゃね?」という文脈で書いていたのだろうと推測するところであり、オレなども反原発サイドの人なので「それはそうだよねー」と思うのだったが、しかしここで言いたいのはそのこととは微妙に違う。

アメリカの銃規制がぜんぜん進まないというのは、はたからみれば奇妙に思えるわけだが、しかし、連中からすれば「自分の命は自分で守る。それでいいのだ」というロジックは実に魅力的であり、地元では正当性をもっている考え方なのだ(とオレは聞いている)。だから、いくら悲劇的な事件があったって「でも原理原則からいえば自分で銃をもつ権利っつーのは侵しちゃならんのじゃないか」という結論になって、チャールトン・ヘストンはアポ無し取材にきたムーアを追い払ってしまうのだった。

つまり、「銃をもつ」ということが、アメリカ人の精神風土っつーか文化っつーか、そういう生き方のキホンに根ざしているからこそ、日本人からみたら「バッカじゃなかろか」というふるまいを彼らは続けているのだった。

翻って考えてみると、原発が爆発して流浪している人がいくら出てきたって、でもやっぱり原発必要だよねーという人が少なからずいて、いや少ないのかもしれないけれども少なくとも今の日本にとっては「経済何とかしろー」という声の方が大きくて選挙でも原発問題は決定的争点になどならない、つまりその程度の問題としてしか考えられていないという事態は、それ相応のロジックに支えられているのだった。

つまり、なんだ、「おれたちの才覚じゃこんな田舎で食ってくことはできんが、原発がありゃあとりあえず働き口はあるしなー」とか、「とりあえず廃棄物問題とか万一の時の補償問題とか無視すりゃあ、原発は安上がりだし利権もいっぱいあるし、立ち回り次第ではオイシイしなー」とか、そういう言い分は、この国ではそれなりの正当性というか説得力を持っている、という話なのだ。

ある意味、消極的ではあれ、原発を選びとるロジックは強固なものとしてあって、だからこそアメリカのメディアあたりが「へんじゃね?」とかいっても、オレたちは「そうはいうけどなー」と口ごもったりしてしまうのである。

他者を理解するのは難しい。ましてや「あんたおかしい!」と言うことができるか。コイツは、実はなかなか厄介な問題なのである。





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日本学術会議が、高レベル放射性廃棄物を何万年も安全に管理するギジュツはまだないので、つまり「最終処分」するギジュツはまだ日本にないので、そういうギジュツがみつかるまでは仮置き場みたいなものを暫定的に作って置いとくしかないですよ、と言い出したらしい。

で、笑っちゃったんだが、この「暫定的な保管期間」っつーのは、何年ぐらいだと思います? まぁわれわれの感覚からするとせいぜい数十年くらいかなーと思うわけだが、ナント、この「暫定的な保管期間」とゆーのは場合によっちゃ「数百年」に及ぶらしいですな。以下ソース。


 原発のごみ「最終処分撤回を」 学術会議提言


 日本学術会議は11日、原発から出る高レベル放射性廃棄物の量を総量規制し、数十~数百年間暫定的に保管するべきだとする提言をまとめ、内閣府原子力委員会に提出した。現行の地中に廃棄する最終処分政策を白紙に戻し、抜本的な見直しを求める内容。提言を受け、原子力委員会は年内にまとめる国の原子力政策大綱の議論に反映させる。


 現行の政策では、原発から出る使用済み燃料はすべて再処理される。再処理で出る高レベル放射性廃棄物は国内の地下300メートル以深に廃棄することになっている。現在、政府は使用済み燃料の再処理について見直しを含めて検討している。


 原子力発電環境整備機構が2002年、候補地選びに向けて自治体を対象に公募を始めたが難航している。状況を打開しようと、原子力委員会は10年9月、政府の特別機関として学者らが政策提言をする日本学術会議に提言のとりまとめを依頼。学術会議は検討委員会を作り議論してきた。(朝日新聞)


ちなみに、いまから数百年前の日本はどうだったかっつーと、戦国時代とかいって内乱やってて、それから江戸時代の太平が200年ちょっとあって、で、近代日本が始まって・・・みたいなレンジです。そういう長きにわたって「暫定的に」保管をしていかなくちゃならないんですな。

うーん、これどういうことかっつーと、たとえば徳川家康のお触れが400年後の今も生き延びていて、国民の総意としてそれがずっと守られている、みたいな状況を想定しないといかんのですな。100年後の日本の姿だって想像つかんのに、誰も数百年後のことになんか責任とれんでしょう、とオレなんかは思うんだが。

しかし、少なくとも原発推進派の皆様は「いや何とかなるだろう」と言ってこれまでやってきたわけで、今も「原発全廃したら日本の産業ガタガタになっちまうから止めたらマズイよね。廃棄物処理とか問題はとりあえず先送りでおk」と言っているのである。「とにかくオレたちの都合優先させていただくんで、100年200年後300年後に日本列島に住んでる人たちに、なんとか上手く最終処分する方法あみだしてもらえばいーじゃん」ということになるのだろう。

もっとも、すでに大量の放射性廃棄物を作り出しちまった以上、それがすこし増えようがどうしようが大勢に影響ないから毒をくらわば皿までヨ、まだまだ原発でGOという考え方も成り立つとは思うが(苦笑)。

しかし、とんでもないものに手をだしちまったものだネ我々は。


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ネットを徘徊していたら、こんな替え歌があるのを知った。作者はモノディアロゴスなるブログを開いておられる方で、「麦と兵隊」のメロディで歌う替え歌だそうだ。「徐州徐州と人馬は進む・・・」というあれだな。

名づけて「原発難民行進曲」。とても良く出来ている。怒りや諦念をメロディに乗せて伝える。これはいつの世も変わらぬ民草の営みである。これで少しは希望があれば、と思うけれども、そうはいかぬが浮世の常。これはとても切ない。

  1
    除染除染とだれもが叫ぶ 
    除染終われば住みよいか
    思いあぐねて振り返りゃ 
    原発夕陽に照り返る
    あゝ無念の浜街道

  2 
    ライトを頼りに夜道を行けば
    いとし我がベコ慕い寄る
   「すまん、すまん」と撫でてはみるが 
    いつまた会えるか分からない
    涙こらえて 星空仰ぐ 
 
  3 
    今日も晴れ行く相馬の空を
    雲雀悲しく鳴いている
    遠く見ゆるは国見の山か 
    山菜取るのはいつの日ぞ
    婆さま(ばさま)すまねえあの世で探せ

  4 
    眼(まなぐ)上げれば百尺観音 
    今日も静かに笑ってる
    馬鹿な民草(たみくさ)哀れんで
    独り平和を祈ってる
    蓮(はす)の清(すが)しさ美しさ 

  5 
    行けど進めど道なお険し
    業の深さよ惨めさよ
    安楽・利便の後のみ追って 
    袋小路に迷い込む
    原発難民どこさ行ぐ






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政府のエネルギー・環境会議の「コスト等検証委員会」は十三日の会合で、原子力など各電源の発電コストについて試算結果をまとめた。(東京新聞ウェブ版

 のだそうだ。で、

原発は事故コストなどが新たに加わって一キロワット時当たり最低八・九円となり、これまで政府が原発推進の根拠としてきた試算から約七割増えた。(同上)

原発コストが増えたのは、事故コスト〇・五円、立地交付金などの政策経費一・一円が上乗せされたため。事故コストは損害総額を五・八兆円と見込んで計算しているため、今後、損害額が一兆円増すごとにコストも〇・一円増える。(同上)

 とのこと。一覧データはこんな風になっている。

atomiccost.jpg

 もっとも

エネルギー価格の上昇などを受け、液化天然ガス(LNG)火力などのコストも上昇するため、なお原発は相対的に割安となる計算だ。(読売新聞ウェブ版)

というわけで、例によって「でもまだまだ原発のほうが安いわナ」と主張している人たちもいるわけだけどね。

しかし、まだまだ納得できんなぁ。原発の発電コストは「事故処理絡みで膨らむ可能性がある」という前提での試算らしいんだが、たとえばオレの住んでる東京東部地区では事故による空間放射線量増加分がおそらく0.1μSv/hぐらいあるけれども、東電さんはこれまで何もしてくれてませんね。結局これは放置ですか? なかったことにする、と?

そりゃそれぐらいの数値ならたいした影響ないっつーことでいやぁそりゃそうかもしれんが、こうやって汚染しといて原状回復ナシっていうのはアリなんですか? 経済学でいう社会的費用(公害みたいに社会に損害与えときながら原因企業が頬ッ被りして、結果的に無辜の第三者が負担させられてる費用、ってぐらいの意味ですな)はどうなってんの? ホントは全国津々浦々、この余計な放射線をぜんぶ取っ払って現状回復する費用も入れないとおかしいのではないですか?

何十兆円かかるかわからんから現実的でない、よってそういうことはなかったことにする、ですか? 国民の皆さんも総じて原発推進には異を唱えてこなかったから、それぐらい大目にみてよ、ですかな? もちろんそういう政治的判断はアリだとは思うけれども、こういう「試算」で斟酌すべきものでもないだろうし。どういうことなのだろう。

あと、これも永遠の謎なんだが、原発から出る放射性廃棄物の保守管理費用というのはどういうことになってるのかナ? 「会計上別の項目だから算入しない」みたいな話だったら呆れてしまいますが、そうじゃないとしたら、仮にこれから1万年、環境汚染させないように封じ込めてく手当というのはどっかで予算化されてるんでしょうか? それとも経済学的にはそういう遠い未来を見据えた費用は考えなくていいというリクツがあるんでしょうか?

そういうことを考えていくとですね、まだ全然納得ができません。野田首相でも誰でもいいから、ちゃんとわかるように説明していただきたいものだ。そうでないと、オレにとってはこんなのは数字の遊びだ。

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そうそう言い忘れた。朝日新聞の記事は是々非々で評価したいという話の続きだが、次のような記事はとても良い記事だとオレは思った。昨日の朝刊だったかな。忘れぬように書いておこう。

被曝予防に花粉マスク有効 セシウム通さず 東大実験

そのうちネットからは消えるだろうから、オレ的に大事なところを引用しておく。

同大(引用者注:東大)の桧垣正吾助教は、福島第一原発事故直後の3月15日午後3時から翌日午前9時までの18時間、東大本郷キャンパスで、市販されている不織布の立体型マスクを着用した。

この結果、花粉用マスクで、セシウムのほぼ全てを吸い込まずにすむことが確認された。マスクに付着した放射性物質の量から換算すると、仮にマスクをせずに体内に吸い込んでいれば、内部被曝は9.3マイクロシーベルトに相当していた。

「内部被曝対策には花粉用マスクが有効」という記事だが、まぁ首都圏であれば今後呼吸にともなう内部被曝なんてそうそう心配する必要はないだろうから、むしろオレ的に注目したいのは「3月15~16日にかけての18時間、東京・本郷にいた人間は呼吸により9.3SμSvの内部被曝をしたものと思われる」という情報だ。

あの3月中・下旬の放射性物質ダダ漏れの時期に、「じゃあじっさいどれぐらいオレたちは被曝していたのか」というのは実のところよくわからん。とりわけ内部被曝となると見当がつかんのであるが、その意味でこの記事は内部被曝量についておおまかなイメージを与えてくれるからだ。

この間、この研究者が屋外に何時間いて、屋内に何時間いたか、といったあたりは書いてないのでわからんが、まぁ時間帯からいってほとんど屋内にいたのだろう。で、18時間で9.3マイクロシーベルトだというから24時間だと12.4マイクロシーベルト。あのころ、ふつうに東京・本郷あたりにいて基本屋内にいるような生活をしていた人間は、一日にそれぐらい内部被曝したんだろうな、というアタリがつくわけである。

まぁ仮にそのような状況がひと月ずっと続いたとしたら、月間で12.4×30=372マイクロシーベルト。実際には関東に大量の放射性物質が落っこちたのは3月21日らしいので、その時点でこの数値はさらに上がってたのだろうし、そこんとこわかんないのは隔靴掻痒の感があるんだが、事故直後のひと月、ふた月あたりで東京あたりに住んでいる人間が呼吸によりどれだけ余計に内部被曝したかというと、そうだなぁ、まぁせいぜい1ミリシーベルトとかそのあたりで、2ミリ3ミリみたいなことはまずなかったんじゃねーか、とオレ的には思う。

それはそれで意外に高いような気もするのだが、とりあえず内部・外部あわせて余計に浴びる被曝量が数ミリシーベルト程度なら、まぁ受忍できるところなのかもしれんナというオレの個人的信条に照らせば、うむ、想定の範囲内か。

というわけで、素人のオレたちではあっても、具体的なイメージを与えてくれるこういうデータがあればバカなりにいろいろと考えて生きていけるのである。妙に説教臭い記事は要らんから、ちゃんと考えるためのデータを与えてくれ。これが結論である。

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船橋アンデルセン公園で5マイクロ・シーベルト



 千葉県船橋市金堀町の「ふなばしアンデルセン公園」の一角で、市民団体が12日に放射線量を測定したところ、毎時5・82マイクロ・シーベルトが検出されていたことがわかった。



 市民団体によると、2階建ての施設の雨どいから雨水が流れ落ちる地点で、地面から1センチの高さを測定した。


 これを受け、市が13日午前、同じ場所を測定したが、1・41マイクロ・シーベルトだったため、再度調査を行うという。

(2011年10月13日13時18分 読売新聞)


ということで、このまえ江戸川区立の小学校に通う子供が学校行事でアンデルセン公園にでかけていった話を書いて、「なにも居住地より放射線量の高いところにワザワザいかなくたっていいだろ」とぼやいたところだったのだが、今日になってこんなニュースが流れてきた。

まぁ仮に雨樋下がホントに5μSv/hあったとしても、そこに何時間もとどまっていたわけではないし、まぁ仮に2時間バッチリ被曝したとしたって10μSv、いま住んでる場所で仮に平均0.1μSv/h程度被曝しているとすると一日で約2.5μSv/hだから4日分余計に喰らった程度、それでいえば「ただちに問題がある」ワケではないといやぁそりゃそうなんだが、重ねていうけれどもなんでワザワザ好きこのんでこういう場所に行くのか。そういう神経がわかんない、というのである。学校が悪いのか教育委員会が悪いのかわからんが、ともかく江戸川区のエライ方々よ、もうちょっとマジメにやってくれないだろうか。

むかしむかし、新田次郎原作の「聖職の碑」という小説があって映画化されたりもしたんだが、確かこの作品、子ども達が学校登山の途中に遭難するという話で、教師が発する「この子たちはわたしの命だ!」みたいな名セリフがあったと記憶している。そういうことを言える教師がいた、というか、「いたとしてもおかしくない」と考えられていた時代というのは、よく考えると凄い。

時代はすっかり変わってしまった。いまじゃ「聖職」という言葉も死語同然。親たちから尊敬されることもなく何かっつーと難癖つけられることばっかり多い教師の皆さんにしてみりゃあ、「子どもたちがオレの命、だって? んなわけねーじゃん。もうやってらんねーよ」みたいな気分になってもおかしくないとは思う。

思うんだが、しかし仮にも教育に携わっている人たちである、どっかに「この子たちはわたしの命だ!」みたいな思いがカケラでも残っていたとしたら、やっぱ「ちょっとこの時期、学校行事には慎重を期していきたいよネ」という発想になるんではないか。いや、やっぱり、もうこういうことを期待するのは完全にないものねだりなのか?

あえて問いたいッ。江戸川区の公立学校の先生方、それから教育委員会のみなさん、区内の子どもたちは「あなたがたの命」ですか? ・・・・・・あぁ違いますかそうですかヤッパリねorz

 【追記】

誰に話をもっていっていいものやらよくわからんので、とりあえず教育委員会のエライ人たちにイヤミを言ってみたのだが、せっかくだからメンバーの方々のお名前を記しておこう。

委員長 土田アイ子(元公明党区議会議員) 月額報酬31万1千円
委員長職務代理者 吉野弘保(保護者) 月額報酬25万2千円
委員 松原秀成(元校長) 月額報酬25万2千円
委員 早川大府(医師) 月額報酬25万2千円

データは江戸川区議・上田令子氏のブログから引かせていただきました。多謝。ここでも教育委員会サイドの「いや別に問題ないから俺らなんもしないよ」(意訳)という考え方が示されているので、関心のある方はぜひ読まれたし。

それからイヤミついでにもうひとつ、いや二つ言っておく。

俺は公明党や創価学会に偏見はなくて、世間にはイロイロいう人はいるけれども、いやけっこう貧乏人・弱者のために頑張ってんじゃねーの、という印象があったのだが、この区議OGの土田アイ子という人がこんな委員会の長にデンとおさまっているのをみて、「あぁやっぱり政権与党に入ったりいろいろあったせいなのか、公明党も権力側にいっちまったのかナ、残念だな、貧乏人の味方だった古き良き公明党よサヨウナラ」という思いを禁じ得ないのだった。

あと、この松原秀成という方は明らかに教育者でおられたようだから敢えて言っておくが、少なくともこの方の教育理念のなかには「この子たちはわたしの命だ!」といった語彙はなかったのであろう。まぁそんなこと考えてる先生は、功成り名を遂げて教育委員にまでご出世なさるなんてこたぁないんだろうけどね、このご時世。
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先週の金曜日、江戸川区の公立小学校に通う小2の子供が、バス遠足だか社会科見学だかで、芋掘りがてら「ふなばしアンデルセン公園」に出かけていった。「ふーん」と聞き流しておったのだが、ふと思い立ってアンデルセン公園の放射線量をググってみた。ふむ、8月15日時点のデータが公表されておるが、「自然体験ゾーン」「メルヘンの丘ゾーン」とも地上1メートル平均値で0.18μSv/hとあるな。

俺の愛機DoseRAE2については、このまえ国民生活センターから「空間線量計としてはあてになんねーから」的因縁をつけられたのであったが、ネット上での情報を総合すると「いや時間かけて計測すればちゃんとした計器と同等のデータ出してくるぞ」的なリアクションも多いので、おおむね信用できるものと仮定しての話だが、いま俺が住んでいる江戸川区沿岸地域で屋外にいるときの数値は(ちゃんと測ってはないんだが)おおむね0.10~0.15μSv/hあたりと思っている。

都内では相対的に高い部類であるものの、まあ俺なりにいろいろ考え、それこそ「ただちに問題はないレベル」としてとりあえず落ち着いてはいるトコなんだが、しかし「遠足でわざわざ地元より線量が高いトコに行く」っつーのは何か釈然とせんのだな。ま、「0.18μSv/h」ンとこに数時間いたって、やっぱり「ただちに影響はない」ことに違いはないんだが、楽しくあらねばならない遠足なんだから、なんかそういう「ちょっとした不安」みたいなのは極力回避していこうよネ、的な配慮というかおもんぱかりというか優しさというか、そういうものが欲しいではないか。それがないから、だいたいその芋掘り農園のほうはどうなのだ、という疑念だって兆してくるではないか(イモは平気で食ったけどw)。

以前も江戸川区の「子供と放射能」に対する認識があまりにも「ユルイ」ので、拙ブログでも嫌みのようなことを書いたりしたんだが、そのごも学校関係で何かやったかといえば、砂場の放射線量調査ぐらいではないか。給食の食材チェックとかいろいろやれることがあるんではないか(もっとも給食の調査をやってない区は東京でもけっこう多いとは聞いておるが)。

もちろん今回の学校行事についていえば、学校が個別に企画立案したものである可能性が高いし、「芋掘り農家との契約とかいろいろあって、いまさら計画は変えられんのだ!」みたいなオトナの事情コレ有リだろうから、「そんな無理難題言うなよ」と言われればそれはそうなのかもしれぬが、ホントは教育委員会あたりが「こういう時節だから行事関係でも極力安心・安全サイドにたった学校運営をしましょうネ」みたいに旗を振って欲しいものなのだが。
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というわけで、虚構新聞。あまりに愚かしく腹立たしいものに対してはストレートに怒るというのも大事だが、時と場合によっては皮肉とか辛辣なジョークのほうが有効ということもあるわけで、そういう意味で、このニセ記事「就職したい企業ランキング 1位は東京電力」というのは出色である。

学生を対象に「就職したい企業はどこか」という調査をしてみたら東電が1位に躍り出た、という想定の記事なのだが、曰く
福島で起きた原発事故での対応を受け、「日本中に放射性物質をぶちまけるという、世界的に類を見ない『レベル7』の原子力事故を起こしても給与据え置きのうえ、さらにボーナスを支給できる社員思いの企業体質」「電気料金を値上げすればいくらでも損失補てんができる企業財務の安定性」「企業批判に対して『計画停電』で対抗できる攻撃性」などが、就活生から高く評価を受けたとみられる。


こういうセンスは大事だ。
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鉢呂吉雄経済産業相の「死の街」発言が物議をかもしているようである。不謹慎だ、だとか何とか。

馬鹿馬鹿しい。

現実に福島第1原発による放射能禍で「死の街」と化した町がある。そのことを政府要人があからさまに言うことについて、不愉快に思う人がいるであろうこともわかる。だがそれはまぎれもない事実である。

本当のことをあからさまに、赤裸々に語ることが何やら道徳的な退廃の如くに語られる。そこに俺は、何か近年社会に蔓延する言葉狩りに似た、事なかれ主義を感じる。「かたわ」「めくら」「ちんば」。そんな言葉を世の中から抹消したら、不当な差別やら何やらが一切消え去るとでもいうのか。差別はそんなところにあるのではない。それは俺たちの心の中にあるものだ。ある種の言葉を無くしたら、それにまつわる様々な概念やら実態も消失するとでもいうのか。目をそむければすべてが消え去るとでもいうのか。なんとも素敵な言霊思想、いや呪術的思考とでもいっておこうか。

確かに存在する「死の街」を直視して、ではこれは誰の責任であるのか、どうやって再生をさせていけばいいのか等々を考える。それが真っ当な人間というものだ。政治家がたまさか漏らした一言を、鬼の首をとったよう糾弾しているヒマなどあるものか。

参考ページ もんじゅ君@monjukun の原発トーク:「死の街発言」批判の「おかしな点」

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文科省が、いまさらながらセシウム汚染土壌マップ(リンクは朝日新聞記事)というのを出してきた。フクイチ100キロ圏の6月時点のデータらしい。
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(図表は朝日記事添付)

この朝日の記事によると、チェルノブイリ原発事故では555Kベクレル/平米を超えた地域は「強制移住」の対象になったんだが今回の調査でこの値を超えた場所は約8%に上った、とか、ちなみにチェルノブイリの汚染地図が完成したのは事故3年後であった、みたいなことが書いてある。

この手の「チェルノブイリの強制移住地域なみの汚染」という表現はしばしばネットなどにも出てきて俺たちを動揺させているんだが、上の記事にもあるように、そのデータは事故後かなりたった時点のものらしい。それにチェルノブイリのほうは確かセシウム137オンリーのデータであったはずだが、今回の文科省のデータはセシウム134とセシウム137の合算値のようだ。よって「両者の数値を比較する」というのはあんまり意味ないような気がする。

もっとも、朝日の記事についている図表(上図参照)をみると、これはセシウム137のみの数値をプロットしたもののようだ。まぁチェルノブイリとの比較を無理にでもしたい、ということであれば、こっちを見たほうがいいような気もするが、原稿のほうは一貫して134、137合算値のことをいってるようなので一貫性がない。読者をミスリードするおそれがあるように思う。

このへんの問題については、ホットスポットといわれる柏市在住の若手理系研究者の方のサイト「柏夜話」というところで文系にもわかりやすい冷静な解説がなされていて、一時期よく拝読したものなのだが、詳細はすぐ忘れてしまうのだな(笑)。

ちなみにこのブログの主の水琴さんによると、The International Chernobyl Project -Assessment of Radiological Consequences and Evaluation of Protective Measures-という1991年の国際調査の報告書があるらしく、ちゃんと読まねば、とずっと思っているのだが、なかなかできん。というわけで、とりあえずこの報告書の記載について上のページから引用させていただくのだが

このなかで、ソビエトが1990年に導入した移住プログラムについても述べられています。

(1)137Csによる地表汚染が、37~555kBq/m2の地域では、補償として15ルーブル/月。ただし、移住はサポートしない。

(2)137Csによる地表汚染が、555~1480kBq/m2の地域では、補償として30ルーブル/月。また、妊婦と子供は移住させる。その他の人々は、移住を望めばサポートする。

(3)137Csによる地表汚染が、1480Bq/m2~の地域では、全住民を移住させる。

ということです。

「強制移住」っつーと、「全員逃げ出せ!!」みたいなイメージがあるんだが、これを読む限り有無を言わさず移住しなさい、っつーのは1480Kベクレル/平米以上なんでないか?

まぁ、チェルノブイリに倣ったらOKとかいう問題でもないんだが、放射線を「正しく恐れる」ためには、正しい比較をするのが大前提だよな、と思うきょうこのごろ。

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自称超能力者のユリ・ゲラーが1970年代はじめに来日した時、テレビの生放送で「止まっている腕時計を取り出して握っていてください。念力を送って動かしてみせますから」と視聴者に呼びかけた。しばらくするとアラ不思議。全国から「時計が動いた!」と電話が殺到。「さすがユリ・ゲラー!!」という話になった。

しかし、よく考えれば何のことはない。当時の腕時計は機械式。視聴者が持ち出した時計の中には、油が回らなくなって止まっていたものもあったと思われるのだが、それを手の中で温めていたら、たまたま動くようになるものが出てきて当たり前。仮に全国各地で百万世帯がテレビをみていたとして、その中で時計を持ち出した家庭が100軒に1軒、さらにその時計が100個のうち1個という割合で動き出したとしたら、全国でカチコチいいはじめた時計は計100個。まぁ別に電話が殺到してもおかしくはないのである。――とまぁ、細部はやや違っているかもしれないが、こんな種明かしをどこかで読んだ記憶がある。と学会の本だったかな。失念。

こんな話をするのは他でもない、原発の放射線絡みで各地の人々の体にさまざまな「異変」が起きている――「鼻血を出す子が増えている」とか「出産が予定より早まる人が増えている」とか――みたいな話を蒐集してきては「起きていることをそのまま書いている」などといってネット上から広めてる人がいて、「あ、これ、ユリ・ゲラーのパターンと似てるよなー」と思ったからなのだった。

そりゃあ、そこそこ名の知れた人が「身に覚えがある人はご連絡を」なんて一般大衆に呼びかけたら、その手の話はいくらでも集まるって。血液型による性格判断をやってる人が、自分の本の読者にアンケートにこたえてもらって、「ほら、このアンケート結果みてよ。性格判断当たってるでしょ!」みたいなバリエーションもある。これは山本弘氏の本に書いてあった。でもそれじゃ全然「真実」に近づけないんだよなー。

ま、血液型とか念力とかなら笑い話で済むにしても、放射線絡みでその手の「都市伝説探し」みたいなことをするのはちょっとヤバイのではなかろうか。放射能は「正しく怖がる」ことが大事だというんだが、この種のノイズを排除していくことはとても大事だと思う。
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ここんとこ小林よしのりはどうも苦手だったのだが、「サピオ」9月14日号の「ゴーマニズム宣言」を見て、ちょっと唸ってしまった。「英霊にこたえ、保守すべきもの」と題する作品なんだが、これが意外にイイ!

原発事故で故郷を追われた無辜の人々を尻目に「いや、でも原発がなけりゃ経済が成り立たないだろ」論をぶっている自称保守派の人々にたいして、「いや、カネなんかよりもっと大事なものがあるだろ! 愛する故郷をみんなから奪っておいて、保守派がきいてあきれるゼ」(意訳)とタンカをきっているのである。先にNHKスペシャルでやっていた飯舘村レポートの内容なんかもおりこんでいて、けっこう泣かせる。で小林よしのり、そんなカネカネカネカネいいやがって、英霊に申し訳ないと思わんか、とゴーマンかますのである。

実はこのところ、同じ保守派といっても、反共を意識するあまりかアメリカべったりの戦後日本を肯定してきた従来の保守派に対して、「いや、もうちょっと民族の誇りをもたんといかんだろ」的な主張をする人たちもいて、けっこう内部で議論があったりするのだった。

そういう保守派内部の緊張関係みたいなものも当然小林の主張の背後にはあるわけなんだが、まぁ俺なんかも年をとるにつれて、やっぱり大事にすべきはパトリだよな、村の鎮守の神様を見捨てて故郷離れなきゃならん人の悲しさをどうしてくれるのよ、的なことをいわれるとグッときてしまう民族派的心性に毒されてきており(笑)、こういうベタというか直球ストレートの主張にもう簡単にヤラレてしまうのであった。

まぁそんなこたぁどうでもいいんだが、ともかく原発問題については、右派左派を超えてアンチの人々が共闘できる余地はあるんだよね。人間が積み重ねてきた経験知に信を置く保守主義のスタンスからすれば、人類史的スケールでいうとほんのつかの間われわれの前に現れただけに過ぎない原子力発電の世界は基本的に懐疑すべきもののような気もするし。そういう意味でもちょっと考えさせられる今週の小林よしのりであった。

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「セシウム汚染:汚泥が満杯、自治体ピンチ 下水処理場など」という記事を毎日新聞が書いている。放射性セシウムが濃縮された汚泥が各地の浄水場などから大量に出てきているわけだが、埋める場所もないし、いったいどうしたもんやら、と各自治体が困っている、という話だ。

記事によれば、浄水場の汚泥は「14都県で約9万2000トン」、下水処理場の汚泥や焼却灰は「13都県で約2万7000トン」、それぞれ処分先が決まらずに浮いているとのこと。俺の家の近くにも都の下水処理場があるので、ホント他人事ではない。こいつは困った。

で、考えたのだが、もうこういう状況だし、政府は思い切って各地のゴルフ場を強制収用して、そこに処分場を作っちまう、というのはどうか。今となっては、ゴルフも決して金持ち階級の道楽とはいえないのだろうが、この狭い国であんなに場所をとるスポーツをするというのは、よくよく考えれば贅沢の極みである。

俺はあんまりつきあいがないのでよくわからんのだが、愚考するに、原発推進の旗を振ってきた我が国の「ベスト・アンド・ブライテスト」の方々は、おそらくこういう優雅なスポーツが大好きなのではなかろうか。とすれば、ノブレス・オブリージュというのは大げさかもしらんが、そういうエライ方々も、今回のような国難にあたっては自分の楽しみをいかほどかガマンして「よし、この際、ゴルフはあまりに贅沢に過ぎるので放射性物質の捨て場に転用することにいたしましょう」とか言えばいいのじゃないか。

もちろん経営者の方々には買い上げにご協力いただかんといかんし、周囲の住民の方々にも補償なり何なりをする必要があろうが、まぁゴルフ場の周囲はもともと農薬汚染ギワクなども持ち上がることしばしばであるからして、ある程度の理解は得られるものとする。総じてゴルフ場は人里離れた山のほうにあるらしいから、水源地への汚染の拡大などに気をつければさほどの問題も生じまい。

ま、よく考えれば、昔から人間というのは「畏れ多くて近寄りがたい土地」みたいなものを思惟してきたわけで、現代文明が生み出した負の遺産としての「忌み地」が21世紀に出現しても、それほど奇異ではなかろう。

「むかし、原発というものがあってのぅ、それが爆発したのじゃ。で、このあたりにも放射性物質が風に乗って飛んできたんじゃが、それが下水処理場とかに溜まりに溜まって、やむなく、Golfっちゅうスポーツをする場所だったこの山の中に、運んで埋めることになったんじゃな。人間がいかに愚かな生きものか。この汚泥の山をみるたびに、ワシはそうやって反省しているんじゃ」。で、こんな風に土地のジジイが語りついでいく、と。

ということで、とりあえずはコンクリートプールでも作って、汚泥を密閉しとけばいいだろう。ちなみに、25メートルプールの容量はだいたい400トンぐらいかな。で、さきほどの記事に出てきた、行き場のない汚泥等が現時点で約12万トン。ふむ、割り算するとプール300個に収まってしまうのか。

ちなみに国内にはゴルフ場が2300以上あるらしい。一か所で面積が100ヘクタールぐらいあるとすると、これは3000メートル×3000メートルみたいな感じだな。この中に25メートルプールの百や二百作ったって屁でもないのではないか。するってーと、仮に一か所100個としても2300×100×400=92000000トン=9200万トンの容量があるということで、おぉ、まだまだ余裕ありますな~。

とまぁ、こんな机上の空論を語ってみたのも、「けっきょく原発はこれからも動かしていくしかないありません(キッパリ」みたいなことをいうエスタブリッシュメントの皆様が、なんかこの状況に全然「痛み」とか「畏れ」を感じてみたいで腹が立つからなのであった。アンタ方はいまこの状況で何か大事なものを賭けているのか。自分たちの選択の帰結として生じたその災禍を何かのかたちで埋め合わせたい、みたいなことは思わないのか。せめてゴルフぐらいあきらめろよ。

なお、俺の中じゃあゴルフってぇのは、まだまだそういう階級の方々の娯楽だというハラがあるものだから、ここではあえてゴルフ場に敵役になってもらいました。じっさいにはゴルフ場が突如処分場になったりしたら、近くの人は「冗談じゃない!」って思うだろうし、安サラリーマンでも「いやゴルフはスバラシイ」とか言う人はいるだろうけどね、ここはひとつの思考実験ということで許せ。

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考えてみると、「放射線? 東京は平常時とそんなに変わらんのだろ? 大丈夫なんじゃね?」とかノンビリ構えてたところへ、「いやいやいや、けっこう来てますぜダンナ」と教えてくれたのが共産党都議団の5月調査だったわけだが、その都議団の、東京東部空間放射線量調査第2弾の結果が発表されたとのこと。

期間は7月4日~16日。対象は足立区・葛飾区・江戸川区の159地点・延べ364カ所。機材はアロカのPDR-101で、調査方法も明記されているが前回と同じ。専門家も同行しているとあるし、かなり信頼してよさそうなデータだと思う。

俺の住んでるところの周囲は、だいたい公園なんかで測ってるようなんだが、地上1mでおおむね0.15μSv/h、5cmになると0.2とかそのぐらいは出ますよね、といった感じ。わが愛機(笑)DoseRAE2をもってあたりをブラブラしたときの実感とも、まずは符合しておる。

うむ、ということは、外部被曝ということでいえば、以前ザッと計算したように年間で余計に0.7mSvとか0.8mSvとか被曝するのは確かなようであるな。あとは内部被曝に気をつけるしかないわけた。

いろんなところを見て回ってみたところでは、日常的に食材の汚染度がセシウムでいってキロ当たり数十ベクレル程度におさまるのであれば、総計でも余計な被曝量はたぶん2mSvとかその辺に収まるはずなので、子供でも、それぐらいならまぁさほど心配しなくていいと思う。

しかしまぁ、江戸川区のあの太平楽ぶりをみてるとね、共産党はよくやってると思うぜ。以前も書いたように、この江戸川区のリーダーであるというのに政治的無能ぶりを満天下に晒して恥じることのない老醜政治家に比べたら、よほど愛国的であるぞ。

時あたかも、この8月1日には区の主催の講演会「放射線・放射能を正しく理解しよう」というのが開かれるんだが、講師は首都大学東京の福士政広氏であって、当然というべきなのだろうか(笑)、この人は「100mSv以下は問題なし」論者であるらしいぞ。

これはもうブログで何十回?も書いたことだが、「100mSv以下で影響がある」という実証的研究は確かにないんだろう。が、「影響はないとは断言できん」というところが悩ましいところであって、もちろん一研究者として「影響なし」説を唱えるのは勝手だが、行政サイドとしてはこれまで一般人が人工放射線を年1mSv以上浴びるのはマズイよね、という安全サイドのスタンスをとってきたわけなんだから、そこは(先に書いたように実態はキビシイんだが)なんとか1mSvをめぐる攻防を意識してほしいワケであって、楽観論者連れてきて、ハイ全然OK、みたいなプロパガンダまがいのことをしてはならないのである。

いやいや、またついコーフンして、同じようなことを書き散らしてしまいましたネ(笑)。
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このたびの放射線禍にかんして、相対的汚染地域というべき江戸川区に住んで子育てをしながら、それでも「まぁこのぐらいなら何とかなるんではないか」とおぼろげながらに思っているのは何故か。それはやっぱり「自然放射線量でいえば世界にはもっともっと高いところがあるじゃん。でもそんなに致命的な話にはなってないじゃん」という情報があるからだろう。

例の年間10mSv地域、ブラジル・ガラパリでは、染色体異常こそ高いもののガンは増えていないというし、事故直後には「ローマは0.25μSv/h」みたいな報道もあった。世界各地を見渡せば、俺のいま住んでるあたりの0.15μSv/h(ちなみに愛機DoseRAE2の数字なのでそれほど鵜呑みにはできんがw)程度の空間放射線量は、まぁそれほど致命的な感じでもないンじゃないかと思う(思いたい)。じっさい、「東北大学流体科学研究所 融合流体情報学研究分野 大林・鄭・下山研究室」の「世界主要都市の放射線量(2011年7月)」なるコーナーをみると、ニューヨーク0.25μSv/hとか書いてあって、ちと安心したりする。

つまりだな、人工の核種が発する放射線だろうと、自然放射線だろうと、γ線として「外部被曝」する限りでは人体への影響は変わらん。となれば、さしあたっていま俺の住んでる辺りの0.15μSv/hという数字はニューヨークだロンドンだというあたりよりなお低いのであって、即座に慌てる必要はない筈なのだ。

しかし。

俺がこれまで学んだところでは、問題は、体内に取り込まれた人工の核種は体内濃縮されて人体に大きな影響を及ぼす、というところにあるらしい。つまり、おそらくその辺の土の上に降り積もってる核種が空気中を浮遊したところを吸い込んだり、あるいは食物に付着したところを食べちゃったりして、ともかく「体内被曝するかどうか」というところが大きいようなのである。

ところが、例えば政府の言う食い物の暫定値みたいなのがどうにも安心ならんのだ。つまりアッチで少し、コッチで少し、とそれぞれは暫定値以下の食物を摂っていたとしても、合算すれば結構な数字になっちまう、そういう可能性があるのに、牛肉なら牛肉という一品目だけ取り上げて「さしあたって問題ない」と連中は言うのである。この辺のロジックは武田邦彦氏がしばしば批判するところであって、時折トンデモっぽくなってしまうけれども彼を俺が好意的にみているのは、そういう大外れのない論点を大衆に提示してくれるからなのである。


閑話休題。ともかく内部被曝については難しい問題があって、しかも低線量・長期間という内部被曝の場合、「ペトカウ効果」といって予想外の健康被害をもたらす可能性がある――つまりは牛肉からの××ベクレルは××μSv相当、みたいなハッキリした算術さえ必ずしも信用できないということになると、もう先々の計算もできなくなってしまうのである。

であるからして、内部被曝については、極力遠いところの食材を求めていくしかないなぁという判断がひとつ。もひとつは、「外部被曝はあんまり気にする必要ないじゃないか」という先の判断とは微妙に矛盾するんだが、それにしても無用の外部被曝を避けることができれば、どれぐらい有効かは知らんが少しばかり「マージン」ができていいんじゃね、というのが一つ。

ということでいえば、人工放射線による外部被曝も、いまどれぐらいのレベルなのか押さえておくのは無駄ではないわけであって、とりあえず私的メモとして本日7/19時点の状況を以下にメモしておくのだった。

いまのところ俺の家の近くの空中放射線量は、愛機DoseRAE2(笑)によるならば、おおむね0.15μSv/h。家の中は0.10μSv/h見当である。この機種、絶対値もさほど外していないという定評があるらしいので、とりあえずこれを信用するとしよう。このうち平常時の自然放射線量はどれほどなのかハッキリしないのだが、若干「危険厨」寄りに立って、事故前はやや低めの0.03μSv/hだったと仮定する。と、仮に子供が屋外に8時間・家に16時間いるとして人工放射線の1年間の外部被曝量は、(0.12*8+0.07*16)*365≒759μSv(ゲンミツなことをいうと、家の中で浴びる人工放射線が0.10-0.03=0.07μSvという単純な計算でいいのかどうかはわからんが、そんなに外れてはいないだろうということで)。

つまり年間0.75mSvである。人工放射線は年間1mSvが暫定的安全域(笑)なので、ともかく内部被曝+外部被曝を年間1mSvに抑え込めばまず文句はあるまい、という話になっているのだが、そのラインで考えてみるとすると、この時点で既に1mSvの「4分の3」を使い切っちまっている。オイ何とかしろよ東電、対応しろよ江戸川区、といいたいのだが、連中は何もしてくれないので、じゃぁ内部被曝をギリギリまで押さえるしかないのかナとまた話は元に戻るのである。

「しかしどうも年間1mSvに収めるのは無理っぽいナ」「でもNYやらローマ考えればそんな致命的な話でもなかろう」「だがしかし詳細不明のペトカウ効果はコワイとかいって肥田先生は警鐘乱打しとるしなぁ」etc。ともかく悩みながら生きていくしかないのである、ポスト・フクシマの時代に生きる俺たちは。

などと計算しながら思うのは、空間線量からして既に俺ンとこの10倍ぐらいある福島市あたりの人たちは、本当に大丈夫なんだろうかということである。大人は、まぁ大勢に影響ないにしても、子供たちはどうなんだろう。なんかホント釈然としないのである。






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