カテゴリ: 原発

ヤフオクで買ったDoseRAE2が届いた。なんか、どっか新手のデジタルガジェットゲット、みたいなところもあって、シビアな放射線対策という当初のねらいと半々、みたいな。

とりあえずマンションのなかイロイロはかってみたが、だいたい0.10μSv/hみたい。

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江戸川区による区内放射線量調査の結果が公表されておりますな。

区内の学校・保育園など中心に19箇所。27・28日に実施したとのこと。機材は都から借りたDoseRAE2で、測定方法も都の規定に準拠したらしい。5分静止させたあと、30秒ごとに5回計測し、その平均値を取る、ってやつ。

で、数値は地上1メートルではおおむね0.15μSv/h。これは実測値のようであるから、ここには自然放射線量も入っているわけで、人工放射線物質に起因する線量は0.12μSv/hぐらいかな。これを、例の屋内16時間・屋外8時間って計算式にあてはめると、人工放射線による外部被曝は年間0.63mSvぐらいか。例の年間1mSvには届かない。

が、しかし、これには「このほかに内部被曝がどれほどあるか」という問題もからんでおって、だからすなわち我々は年間で人工放射線1mSvを被曝することはない、とも言い切れない。そういう微妙な数字ではあるな。まぁ俺的にはいわゆる「想定の範囲内」というやつではあるわけだが。

あわせて、飛灰から高濃度セシウムが検出されたとの報道があった江戸川清掃工場の周りでも、26日に数カ所で測定をしたらしい。こちらは0.2μSv/hをちょっときるぐらいだ。ちと高い。

いずれも、とりあえず現状を考えるヒントにはなる数字だ。区のほうも、これでOKということではなしに、隠れたいわゆる「ホットスポット」を見つけ出してやる、ぐらいの気持ちで、引き続き調査を展開していってほしいものである。


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ということで、区内のホットスポット疑惑にかんして異常に腰の重い江戸川区が、ようやく管内の放射線量調査を「区として」やると発表した。→江戸川区HP「区内における放射線量の測定について」

概略はつぎの通り。

測定地点:区内を2キロメートルメッシュで区切り、小・中学校、保育園、幼稚園、公園など19か所で測定
測定日:6月下旬~7月上旬(予定)
測定方法:地上1メートル、地上5センチメートル

もちろん「今頃遅せーんだよ」とか「19か所じゃ少なすぎるだろ」「土壌調査とかもしろよ」的ツッコミもありうるし、機材はオレがいまヤフオクで落として発送待ちのDoseRAE2 PRM-1200(いまだと5~7万ぐらいで買えるみたい。都が各区に貸し出す、っていう例のヤツで、今回も借りてやるようですな)で、「ちょっとショボいんじゃねーか? もちょっとちゃんとしたの使えよ」という気もするが、とりあえずは関係者の労を多としたい(偉そうだな我ながらw)。

ま、良いことをしたときは褒めてあげないといけないので、言っておきましょう。やればできるじゃないかッ、江戸川区! とりあえずはヤル気を示すことから、である。

もっとも、アリバイ的に1回やって「あ、たいしたことなかったんでこれでオワリね」みたいな展開もイヤなので、引き続き関係当局の対応を注視していきたいところである。

しかし、ナンだな、オレは何の影響力もないこんなショボいブログで偉そうにふんぞりかえって、酔っぱらってクダ巻くオヤジよろしく当局を批判しているだけだが、この間こういうとことか、こんなとことか、ちゃんと署名活動などやって然るべきスジに働きかけてきた方々もいるわけで、本当に頭がさがりますm(_ _)m これぞ民主主義です!

ま、オレんちは例の恐怖の下水処理施設「葛西水再生センター」の近くだし、民間有志のデータながら近くの小学校あたりで0.6μSv/hみたいな数字もネットに上がってたりする(西葛西周辺ね)こともある、DoseRAE2届いたら家の近所でボチボチ計測してみたいとは思ってる。
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のれんに腕押し、蟷螂の斧、結局届かぬ言葉であるとは思いつつ、江戸川区長の多田正見という人に何としても言っておきたくなった。

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さてこの多田氏、これまで子育て世代にやさしい江戸川区、みたいなことを言ってきたのだが、いったいあれは何だったのだろう? 単に住民税ほしさにぶち上げたセールストークだったのか? 聞けば区議会の主要会派はそろって「区も調査を」と申し入れているそうではないか(江戸川区議・滝沢泰子氏Twitter6/17より)。なぜ区民の声を無視するのか? このままであれば、「多田正見」の名は「傲慢さゆえに区民に塗炭の苦しみを与えた愚蒙の人」として後世に語り継がれるやもしれぬ。その辺も覚悟の上での決断をされておるのか?


それから、このクリティカルな局面だから、区民のいのちを預かっている公人ということで、区の担当職員の方にもモノ申したい。

健康部長の渡辺浩という方は、区議会での委員会答弁記録などみると

 経営企画部参事→経営企画部財政課長→福祉部長(H17)→健康部長(H22)

というキャリアを積んできた方らしく、まぁ福祉・健康問題についてもまんざら素人ではないと思われる。

また、保健予防課長の大地まさ代という方は公衆衛生の専門職らしく、板橋区立板橋健康福祉センター、中央区保健所健康推進課長などを経て2009年から江戸川区保健予防課長に転じたようだ。学術論文などもお書きになっている。

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【大地氏は左端の人物。中央区保健所勤務時代の会見より。出所はこのページ

ということであれば、お二人ともそこそこ今回の原発事故についてご自分のお考えはお持ちなのであろう。そして、区がいまだ独自の放射線量調査に踏み切らないということでいえば、おそらくは江戸川区内の状況についても「さほど心配する必要はない」とお考えなのであろう。

なるほど、確かに「年間100mSv以下の被曝で人体に影響があるという確実な証拠はない」といわれれば、それを否定することはできない。であるから、仮に「現下の江戸川区内の状況はまったく問題がない」という信念を個人的におもちであったとしても、それはそれでこちらが咎め立てできることではない。

だが少なくともオカミはこれまで、普通の市民は年間1mSvを超す人工放射線の被曝は避けなければならない、とりあえずその辺がかなり確実な安全ラインと考えられるので、という意味のことを言ってきたのだった。ならば、この江戸川区で「1mSv超え」が予想されるのであれば対策を取らねばならない。それは自明ではないのか? これまでなぜか区が等閑視してきた内部被曝をも勘案するならば、「1mSv超え」が懸念される地域がかなり広範囲に広がっているであろうことは明白である。

ましてやオトナより(おそらく)何倍も放射線に対する感受性が強いといわれる子供のことを考えれば、ここで「1mSvプラスアルファ=問題なし」みたいな「個人的信念」を持ち出されても大変なメイワクなのである。そんなものは捨てなさい。結果的に「大したことない」で終わる可能性はもちろんあるのだが、だからといってそれは「手抜き」をしていい理由にはならない。

行政の人間としては「1mSv超え」が事実かどうか確認し、事実であれば何とか減らす対策を取る。そういう行動が取れないのなら、役人として失格である。即刻退職してくれ。

 【注記】なお、渡辺浩氏、大地まさ代氏についての記述はネットでの検索に拠った。万一同姓同名の方がいて、その方と混同している記述があったとしたらご容赦を願いたい


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最後に、「内部被曝+外部被曝」で1年1ミリシーベルトを越える可能性のあるところなどの人に対して、



「健康に問題は無い」、「特に注意はしなくてよい」



と言っている人(政府、東京都、自治体、教育委員会、その他の人たち)は、放射線障害が起こったときに最終的な責任をとる準備をしておいてください。


人気の武田邦彦センセイのブログからの引用である。けっこうワキが甘いというか、しばしば信頼性に乏しい発言をするともいわれるセンセイではあるんだが、こういうタンカ切るとこ、オレはとっても好きだ(笑)。

たしかにオレの家のあたりはまさに1年1ミリシーベルト危険地帯、しかも至近距離にはごていねいに巨大下水処理施設というオマケまでついている豪華仕様。まぁオレはいいんだが、家には小学校低学年のガキがいて、たしか今日からは何の検査もなしにプール授業まで始まってる筈、しかるに江戸川区は完全に「オレしらねー」と平気で鼻くそほじってそうな態度。なんであんなバカ区長を選挙で選んじまったのか(オレは入れなかったけどw)とストレスフルな状態にあるだけにね、なんかスカーッとするわけですな!

もちろんね、万が一オレの子供にこれから障害が起きたとして(ま、腹ん中じゃ起きないだろうと思ってるんだけどネ)、裁判とかになったとしても「その時点で因果関係ハッキリしてたんなら別だけど、そのへんグレーだったんならね、クロにはできないよ」という、実にアリガタイ判断が下されるのは必至なわけで、その場合でも多田正見区長などは(その頃にはもう死んでるかもしれないがw)、「責任? んなものねーよ」とうそぶいてオワリであろう。

くやしいなぁ~。

だからね、こういう、ちょっとおっちょこちょいの武田先生あたりに、おもいっきりドライブ感のある発言してもらいたいんだよなー。などと切実に思う今日このごろ。
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江戸川区はいぜんとして独自の放射線調査をやる気がないようである。困った人たちだ。

役所が全然手を打たねーから、やむなくオレもヤフオクで放射線測定器のDoseRAE2落としちまったじゃねーか、ちょっと安めの即決価格で出てたんで飛びついちまったんだが、納期は7月とか書いてあったしちゃんと届くか一抹の不安があって却って気苦労が増えたじゃねーかコノヤロー、万一のことがあったら責任取りやがれ江戸川区長クソー状態である(笑)。

閑話休題。またまた江戸川区の保健予防課感染症第二係に電凸された方のレポートが上がっていた(311sanichiichiさんのブログ)。今回出てきたのは放射線技師だとかいう人。なかなか興味深いことを言っていたので、その言い分について考えてみた。


職員氏曰く

日本人は内部被曝を含めて自然放射線を年間2mSvちょっと被曝している。よって人工放射線の1ミリ分含めて年間3mSvぐらいまでなら大丈夫

「自然放射線による被曝量+人工放射線1mSv」ぐらいまでなら大丈夫、という議論には当方も異存はない。ただし、日本人の自然放射線被曝量は1.4mSvとしている資料が多いので、それをベースにすると「大丈夫なのは年間2.4mSvまで」ということになる。ちなみにこの人、後ろのほうでは「日本で暮らしている方の数値は年1、6ミリシーベルト」とか言っているので、だったら安全ラインは2.6mSvになるのではないか。「3mSv」とか数字を丸めて余裕を稼ごうというのは、落語の「時そば」みたいでズルイと思った。


つづいて、葛飾区の空中放射線0.6mSv/hの件(共産党調べの水元公園のデータかと思われる)についての問答。

職員氏 「0、6でも、3ミリちょっとですね。食べ物が入った形で」

311さん 「毎時0、6だと、食べ物を含めて年間3ミリで、安全ということですか?」

職員氏 「もちろん安全ですね」

ここが良くわからない。この職員氏は「0.6mSv/hの空中放射線量だと年間被曝量は3mSvちょっと」になるけれども、前にいったように年間被曝量3mSvは問題ないラインなので心配いらないからね、といいたいのだろう。0.6mSv/hに単純に24×365をかけると年間累計5.25mSvになってしまってつじつまが合わないので、ここでは例の「屋外8時間・屋内16時間(屋内分は屋外数値×0.4)」という計算をしていると思われる。これだと年間累計3.15mSvで、確かに「3ミリちょっと」。そこまではいいが、「食べ物が入った形で3ミリ」が意味不明なのである。

これは「食べ物による内部被曝もあわせて年間被曝3ミリにおさまるよ」という意味に読めるのだが、ちょっと待ってくれ。この3.15mSvには、もちろん人工放射能で汚染された「食べ物」とか「水」とか「ホコリ」とかを体内に取り込んで受ける内部被曝線量は入っていない。この3.15mSvに、そういう内部被曝量をプラスしていって、それでようやく職員氏のいう平時の「2.0mSv」(俺的には1.4mSvといいたいところだが)との比較ができる。

それを足してもいないのに「食べ物入れて3ミリ」とか何で言えるんだ? 人工放射線による内部被曝は実質ゼロだから足しても増えない、とか勝手に判断してるのか? 0.6mSv/hのとこに住んでたとすると、外部被曝の増量分だけですでに「プラス1ミリ」の余裕は使い切ってしまって、あとは人工放射線による内部被曝量の分だけ純増、ということではなるんではないのか。この人、本気で「内部被曝ほぼゼロ」と考えてるんだろうか。あるいは上司からこういう風に言えと命令されてるのか?

内部被曝量の算定は難しいらしく素人にはなかなか手を出せない。「外部被曝と同じぐらい見ておいたほうがいい」とか「いや、××倍だ」とか、いろいろ議論があるらしい。だが「ほぼゼロでいい」なんて楽観的な話は聞いたことがないぞ。ともかくその辺もハッキリしないから、せめて外部被曝の目安となるデータが欲しい、江戸川区で測ってくれ、と区民有志は言ってるのに、なぜそれがわからんのか? 


職員氏曰く

「私15年、16年と仕事してきて、撮影業務だけで20ミリシーベルト以上被爆しているんですね。これは恐いことですか?」

「数値がさっきの1ミリシーベルト以下ってなると、けっこうどこ行っても厳しい値になると思うんですよ。」

というようなことも職員氏、言っている。放射線技師としての体験をもとに説得にかかった部分で、言わんとすることはわからんでもないが、聞いている人は子供への影響を心配しているのであまり説得力がない。子供への影響は大人と同等とみなしていいのかどうか、ここは議論があるところだし、「ペトカウ効果」といって、内部被曝はその被曝量がわずかであっても長期にわたるのであれば決してバカにできない、といった議論もあるのだ。

で、後半は意訳すると「人工放射線の年間被曝量を1mSv以下におさえるなんて、今の東京あたりじゃ無い物ねだりですよ。ま、俺みたいに20mSv受けても平気で暮らしてる人間もいるんで、子供だって1ミリちょっと超えるぐらいなら我慢して下さいよ」。最初のほうでは1ミリ以内に何とか収められる、というような詭弁を弄していたわけだが、ご当人もその嘘っぽさは分っていて、ホンネがチラッと出てしまったのだろう。が、これは敗北主義である。タテマエを死守すべき役人(笑)としては、やはり年間1ミリラインを意識してほしい。仮に今後、区内でけっこうシビアな数字が出てきたとしても。


職員氏曰く

「だから、我々が計測するとかの判断はしてないんですね。部長とか?課長とか?そういう人達がやってる訳で」

これは「なぜ江戸川区は独自測定をしないか」に触れた部分。なるほど。部長、課長が計測するかしないか判断しているのか。っていうか、部長・課長って誰? そう思って区議会の議事録をネットで調べたところ、今年3月の福祉健康委員会の議事録があった。

所管は健康部保健予防課だというので、健康部長は何という人かとみると渡辺浩さん、保健予防課長は大地まさ代さんである。その後に異動がなかったとすれば、この人たちが計測にストップをかけていることになる(と少なくとも部下の人は考えているようだ)。俺たちはてっきり多田区長がスゲー頑固ジジイで計測するなと命令してるのだと思っていたが、考えてみれば、現場の責任者が「いや、必要ないんですよ」とか言ってたとしたら、「ま、現場無視するわけにいかんからなー」とかいってゴーサイン出せない、という可能性だってないワケではないのだった。

というわけで、渡辺浩さん、大地まさ代さんをご存じの区民の方、ぜひこのご両人を説得していただけまいか。明日の江戸川区をになう子供のために。


職員氏曰く

「でも、区長も人の子ですからね、支持者に突っつかれればいろいろ判断も変わるとこだと思いますけどね。」

ここも興味深かった。「ここまで拒否し続ける背景には何か裏がありそうだ」的邪推も可能なんだが、プレッシャーをかければ翻意もありうる、と担当職員の方も見ているんですなー。朗報。区長にもひきつづき民草の声を届けていく必要がありそうだ。(おわり)
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というワケで、いまだに江戸川区は放射線量の独自調査やる気はまったくないみたいだな。

都内の放射線量は平常範囲です」 とか、いまだに区のHPに出てるの見て、なんか腹立ってきた。

東京都健康安全研究センターでは、放射線量の推移や室内・外の生活時間から積算し、1年間に受ける放射線量を164マイクロシーベルトと推定しています。この数値は、国際放射線防護委員会が定めた「年間1,000マイクロシーベルト以下」という基準値の6分の1以下です。

区では、今後もこれらの測定結果をチェックし、必要な対応を実施していきます。

とか書いている。この前かいたこととほとんどダブってると思うんだが、許せ、また言いたくなってきた。ホント「健康部保健予防課感染症第二係」の職員の知性を疑わざるを得ない。

新宿の地上18メートル地点でやってるモニタリングポスト調査をみて、その数値は江戸川区の地べたあたりの放射線量と同等である、って言いたいのだろう。でも、実際に江戸川で「測ってない」のに何でそんなことがいえるのか? それとも何か、江戸川区の健康部保健予防課感染症第二係のお役人は人知を絶する特殊能力をおもちで、測ってなくても「あぁ、いまこの場所の空中放射線量は0.06μSv/hですね」ってわかるのかな? そうか、江戸川区は超能力者を職員に雇ってるのか。涼宮ハルヒも真っ青、ってわけか(笑)。

ICRP勧告の「人工放射線の年間被曝量は1mSvまで」っていうのは、お役所としても当然意識しなきゃいけない数字だと思う。そして、少なくとも共産党とかあるいは民間有志の調査によれば、区内各所でこのラインを超すおそれのあるデータがいろんなところで上がっているのは確かだ。区民が不安を抱くのは当然だ。しかも、現実にはこの空中放射線による外部被曝に加えて、子供たちは内部被曝も覚悟しなければいけないっていうのに。「そんなデータは間違いだ」といいたいのなら、実際に測って見せてくれ。なぜそれをしない?

もう、酔った勢いだ、ここは個人名だして書かせていただく。

多田正見区長の考えていることは全くわからないが、ただひとついえることがある。彼は今後20年、30年先といった近未来、この江戸川区でどんなことが起きても知らないよ、俺は関知しないよ、と言っているに等しい。もちろん人間なんてそんなに先のことまで見通せないから、「100年先の未来に責任持つ」なんてことはできないだろう。だが、いま問われているのは、おそらく数十年先、いま元気に遊んでいる子供たちがどうなってしまうのか、という問題だ。

多田正見氏が坂本龍馬でもなんでもないのはわかってる。だから「100年先の未来に責任をもってくれ」なんてことは言わない。そんな期待はしていない。ただ、最低、数十年先の未来には責任をもってくれ、という話だ。そんな想像力もない政治でどうするのか。

多田氏も俺も、たぶんこれぐらいの汚染なら大した影響はない。ただ、子供たちにかんしては「わからないこと」が多すぎる。そのことに「畏れ」をもってほしい。それが「政治家」にとって最低限必要な徳目ではないのか。



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七尾旅人というシンガーソングライターのことは全然しらなかったのだが、このたびの原発事故に触発されて、ということだろう、「圏内の歌」(うた、かもしれないが)という楽曲を歌っている。ツイッターの「もんじゅ君」におしえてもらって、聴いてみた。

彼はこんな風にうたう。


離れられない 愛する町 生きてくこと決めた この町



まるで何もなかったように ほほえみをかわす桜の下



子供たちだけでも どこか遠くへ 逃がしたい



どこか遠くへ 逃がしたい



福島がこんなことになってしまったいま、アーティストはどんなものを自らのうちから生み出すことができるのか。この曲は、そんな問いにたいする、ひとつの答えになっていると思う。

あとに続く人たちの多からんことを。
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東京東部在住の一都民として、小学生の子供の年間放射線被曝量をどんな感じでコントロールすればいいのか、ちょっと脳内シミュレーションしてみることにした。何度もいうが、タバコ歴30年近い俺はすでに発ガン問題では「コールド負け寸前」。試合が終盤に入ってから1点2点とられても大勢には影響がないのであって、以下はあくまでも子供のことを想定にした話である。

なお、こういう文章はいちおう他人様に読んで頂くような体裁をとっているが、ホントは個人的な覚え書き的文章であって、ただ何となく誰か他者に語りかけるようなスタイルをとるほうが、独り言を記すよりも見晴らしがよくなるような気がするから、みたいな理由でこういうかたちをとっているだけである。たまたま読んだ方も、そういうわけで温かい目でスルーしていただきたい(笑)。

「人工放射線による余計な被曝」をとりあえず年間累計1ミリシーベルト以内に収めればいいのではないか。これが出発点である。だがしかし、そうはうまくはいかンだろう。次善の策として「5ミリシーベルト以内に抑え込む」ことがセカンド・ベストになる。5ミリで線引きする根拠は、ハッキリ言って、ない(笑)。強いて言えば、内閣官房参与を辞めた小佐古敏荘氏が「子供の被曝量はせいぜい年間5ミリ・シーベルトにとどめるべき」とか言ってたのがアタマの片隅に残っていたりするから、という言い方はできる。で、算数は苦手なので、以下の計算は適当にみつけたサイトの試算に依存することにする。

なお、3月15日&21日の(おそらくヨウ素たっぷりの?)放射能飛来による被曝もけっこうあったんだろうがその辺は実態がよくわからんので、とりあえず無かったことにする(いいのかそれで?)。それからいちおうの前提として、今後また関東圏に大量の放射能が飛んでくるようなことはないし、3.11以前の関東には人工の核種なんてまったくなかった、ということで話を進めていく。


1、外部被曝

とりあえず「空中放射線量が平時からどのぐらい増えたのか」というと、いま俺の住んでるあたりの実測値はハッキリしないが、先の共産党都議団の調査をふまえてちょっと多めに0.2マイクロシーベルト/hとしてみると、東京の平常時は0.04マイクロシーベルト/hあたりとして、その差0.16マイクロシーベルト/h。1日のうち屋外で8時間・屋内で16時間(屋外の4割ヒバクと仮定)過ごすとして、人工放射線による外部被曝量の年間累計は0.16*8*365+0.16*0.4*16*365=467.2+373.76=840.96(マイクロシーベルト)。丸めると0.84ミリシーベルト。【ここまで累計0.84ミリ】


2.内部被曝

2-1.
問題は体内被曝をどれだけ抑えることができるか。まず水である。日常生活で使う水をミネラルウォーターに切り替えるわけにもいくまい。ここは水道水でいくしかないだろう。それで立ちゆかない、っていうんだったら、どっか引っ越すしかないワな。で、炊飯とか調理で使う水、お茶とか飲用で体に入る水は、いったい一人あたり一日何リットルなのか。わからんのでググってみる。たまたま見かけた「1日に必要な最低水分摂取量」というページをみると、子供は体重1キロあたり50~100ccとある。体内の代謝で500ccカバーできるというから、体重25キロだと多めに見積もって25*100-500=2000cc。毎日口からは水分2リットルを入れないといかん、ということだな。

で、水道水からの被曝量を計算してみる。いいサイトがあった。「ベクレル(Bq)、シーベルト(Sv)計算・換算」。都の「金町浄水場での放射能測定結果」のサイトをみると、ここんとこ放射能は検出されてないと言ってるが、検出限界値はどの核種もおおむね7ベクレル/kgぐらいとしているので、その限界ギリギリまで実は汚染されてると仮定してみるか。ヨウ素はないことにして、セシウム134とセシウム137、それぞれ7ベクレル/kgで毎日2リットル・1年間摂取したとすると、上のサイトによると被曝量はそれぞれ0.09709ミリと0.06643ミリ。合算して丸めると1年で0.16ミリシーベルト。上の0.84ミリと足すと、ちょうど1ミリだ。【ここまで累計1.00ミリ】

2-2.
続いて「ふつうの食い物」。これは、たとえば「本州産の食い物は食わん!」とか決意すれば理論上はゼロにできるのではないか。ただ実際はそうもいくまい。品目別の計算などとても自分ではできないので、ググってみたら「柏夜話」というところでセシウムについて暫定基準ギリギリの食材を平均的な分量だけ食べたという条件下での試算が出ていた。で、少年(定義不明だが)だと年間2.7ミリシーベルト。「店に出てる食材なら何でもOK」というスタンスで、いちばん「引き」が悪かった場合である。可能性としては年間0~2.7ミリの間におさまることになる。【ここまで累計1.00~3.70ミリ】

2-3.
難しいのは、空気中に浮いているような人工放射性物質を吸い込むケース。「わかっていそうな人」をネットで探すと、「起業ポルノ」という奇妙な名前のブログで考察してる人がいた。なかなか説得力がありそうなので信用してみよう。結論的には「空間放射線量の値と同等の内部被曝を考えればいい」といってる。すると外部被曝と同じ0.84ミリを足せばいいのかな。いや、しかし、この測定データでは濾紙が大気中の放射性物質をどれだけ捕捉しているかはハッキリせず、たとえばヨウ素についていうとその想定される捕捉率は10~98%とかなり幅広いのだ、なんてこともおっしゃる。「実際に存在する物質は実測値の10倍ということもありうるので、この内部被曝量は安全マージンをとって外部被曝の10倍ぐらいみといたほうがいいかもね」ということになるらしい。それだとマックス8.4ミリにもなるなー。よってこの被曝量もちょっと幅がある。0.84~8.4ミリ。【ここまで累計1.84~12.1ミリ】



というわけで、人のふんどしを借りつつ、子供の年間被曝量をざっくり調べようという文系素人レベルの試みであったが、けっきょく空気中から吸い込んだ物質由来の内部被曝がどれぐらいになるのかハッキリしないので、あまりスッキリはしなかった。上の「起業ポルノ」のご主人は、例の「年間100ミリシーベルト」を意識しておられるようでもあり、この辺の数字でも比較的落ち着いておられるようだったけれど。

ま、なんとなく分かってきたのは「左うちわで年間5ミリ」というワケにはいかず、ちょっと油断してると年間10ミリぐらいにはいっちゃうかもね、ってこと。食い物の産地に気をつけつつ、それから空中線量の低下に期待して(低くなれば同時に空気中から吸い込む粒子による内部被曝量も平行して低下していくはずなのだ)事態を見守っていく、ってとこかな。というか本当にこういう積算でいいのか俺的には自信がないんだが(笑)。

うーん、ここはひとつ、専門家の方に簡便で説得力のある「内部被曝の算出法」を考案していただきたいものだなあ。何となく腰ダメで「ふつうに暮らしていて余計に浴びる放射線は、外部被曝する人工放射線の数倍みといたほうがいいかもね」ぐらいのことしかいえないんじゃね、スッキリしない気分、なお続きますから。
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というわけで、共産党都議団が都内全域で空中放射線量を測ってまわった、というニュースにはひじょうに考えさせられた。「東京都民は大丈夫かというと実は結構微妙である」という話である。たまたま俺の家が比較的汚染の酷いほうに入ってるから、個人的メモも兼ねてしばし考えてみることにした。まぁこんなブログを読む人もいないだろうが、福島の方などからすれば「なに甘いこと言ってやがる!」という話ではあるのだが。

じつのところ、これまで新聞には毎日各地の放射線量測定結果なんかが書いてあって、新宿は毎日0.06マイクロシーベルト毎時ぐらいということになってるから、「あぁ東京は平時とほとんど変わらんのか、大丈夫だね」という気分になっていた。だが、共産党の数字はちょいと違う。高い。

とくに俺の住んでる東京湾岸部あたりでは0.181マイクロシーベルト毎時みたいな数字が出てる。お上の出してる新宿の数字のなんと3倍! 年間累計でいうと、24*365*0.181=1.585ミリシーベルト。よく出てくる例の「1ミリシーベルト」ラインを大きく超しているのである。

なんでそんなに違うのだ、という話になるわけだが、まぁこれは別に東京都が情報を秘匿してるわけではなくて、まぁ理屈でわかるところではある。

ひとつには測定地点が「ホットスポット」なのか否か、という問題だろう。放射性物質がたまたま多く降下してきた地域はより強く汚染される、という例の話だ。程度の差はあれ、そのへんの濃淡というのはどうしても出てくるのであろう。で、今回たまたま「山の手」は軽く、「下町」は重く、という結果になった、と。カミサマは非情であった。

もうひとつは新宿のが地上十数メートルで測ってるのに対して、共産党は地上1メートルで測ったから、であろう。とうぜん、地面に降りつもった放射性物質の影響で、地面に寄ったほうが高い数字が出る。そして、明らかに地上1メートルのほうが「害があるのかないのか」の目安として重要なわけだが、「原発安全神話」があったせいなのかどうか、そういう観測体制はこれまで全く整っていなかった。で、共産党が今回乗り出した、というのがこれまでの流れなのだろう。とりあえずGJ。

で、以下は個人的な感想。

共産党調査によると、上にもかいたけれども、どうやら都内も東北ないし東方向にむかうほど汚染がひどいという傾向がみてとれるわけで、その中では俺の住んでいる地域はかなり数値が高い。気持ちは良くない。ただし、ただちに問題(苦笑)なのかどうか、というところがなかなか微妙なのである。

たとえば、日本地質学会のHPをみてみる(ちなみにここのデータも地上1メートルで計算してるらしく、共産党のと比較するのに都合がよい)。これをみると俺の家のあたりの自然放射線量=バックグラウンド量は0.036~0.054μG/h(計算上マイクロシーベルト毎時と同じ数字になるという)で、年間換算だと0.315~0.473ミリシーベルト。共産党のデータは年間1.585ミリシーベルだったから、ざっと計算すると年間1.1~1.3ミリシーベルトぐらい余計に被曝してしまうことになる。

【 注:ただし日本地質学会のHPでは、ここで示す自然放射線の数値には「宇宙線による放射線量(おおむね年間0.33 ミリシーベルト)は含めていない」という意味のことが書いてある。仮に共産党のデータが宇宙線込みの数字だったとすると、両者を比較するには日本地質学会のデータに0.33ミリシーベルト/年を加算しないといけない。その場合だと、俺が家で余計に被曝する放射線量は年間で0.8~1.0ミリシーベルトぐらい。数字的にはやや緩くなりますな。文系なので(笑)この辺はどう考えればいいのか、正直よくわからないのだが】

世の中で騒いでいる「1ミリシーベルト」の何が問題だったかというと、ICRPが「一般公衆が1年間にさらされてよい人工放射線の限度=1ミリシーベルト」といってたからである。つまりは単に1ミリ浴びたからマズイというんじゃなくて(実際、さきの日本地質学会のHPみても、岐阜県あたりは自然放射線で年間1.1ミリぐらい浴びてる計算になる)、「自然界にあるバックグラウンド分にプラスして、余計に1ミリ浴びるとよろしくないよ」という話であったわけで、いままさに俺ンところはそういう事態になっているのである。

ただし、である。これは以前調べたのだが、自然に被曝する放射線量は世界平均2.4ミリシーベルト。これに対して日本平均はたしか1.4ミリシーベルト。日本では空気中の放射線量が相対的に少ないからこういうことになっているらしいのだが、であれば、いま俺ンとこで年間1ミリシーベルト被曝量が増えても、単に世界標準(笑)に到達しただけではないのか? たしか原発事故直後にローマの放射線量は0.25マイクロシーベルト毎時である、みたいな話が広まったことがあった。これも地上何メートルで測ったのか、とかよくわからんデータではあるんだけれども、まぁ常識的な観測データだったとすれば俺ンとこよりまだまだローマ高いじゃねーか、ということになる。ま、自然と人工の違いはあっても、同じ人間が同じ放射線量を浴びたんなら、健康面でそんなに違いがでてくるわけないでしょ?と思うのである。ならばまだまだ大丈夫なのではないか?

もっとも油断はできんのである。ICRPがあえて「人工放射線は年間1ミリまでネ」という言い方をしていることには、実は深い意味があるのかもしれんのである。たとえば、放射能の影響というのは、人種とかによって違ってくる、ということをICRPの言い回しは示唆しているのではないか? つまり、「放射線が高い地域でずっと暮らしてきた人々=ヨーロッパ人は放射線に対する耐性が強い」「弱い地域で暮らしてきた人々=日本人は耐性が弱い」という話だったらどうなるか? 結局、自然放射線を浴びる分には想定内だからそれぞれ差があってもいいんだけど、これにプラスして浴びる人工の放射線のほうはキッチリ管理しないとダメだかんね、ということを言いたいのではなかろうか? ならば「日本人はヨーロッパ人に対して、まだ年間1ミリののりしろがあるから、余裕あるよね」とは言えなくなってしまうのである。


そういえば、「ブラジル・ガラパリの人たちは年間10ミリシーベルトを浴びてるけど別にガンになる確率が増えてるわけではない」という話があるにもかかわらず、「じゃ日本人だって年間10ミリぐらいなら大丈夫」という風に議論が転がっていかないのがずっと不思議だったのだが、そのあたりも、ひょっとして「代々ガラパリに住んできた一族は放射線に強い体質を獲得している」という命題を導入したらまったく不思議でも何でもなくなるのではないか?

もっともこの想定が正しいとするならば、放射能に対して「虚弱」な日本人がヨーロッパとか放射線量の高いところに行って暮らすようになるとガン化の危険が増加するはず、といったハナシにもなってくるのである。ほんとうにそんなことがあるのか? 日焼けにたいする耐性とかだったら色素の有無とかであって当たり前だけど、DNAへの影響みたいなミクロレベルで人種差なんてあるのかよ、と激しく疑問を感じる俺もいるんだが、一方で薬の効き目みたいなレベルではかなり人種差がある、みたいな話も聞いたことがある。やはり文系出身の限界がこの辺に露呈してしまって、よくわからなくなってしまうのである(笑)。

閑話休題。今回は空気中の放射線量の話だったわけだが、「放射線には食物などを通じた体内被曝などもあるので、ひょっとしたら全被曝量は体外空気中からの被曝量の3倍ぐらいをみとけばいいのではないか」みたいな、根拠はハッキリしないけれども何となく目安にはなるので便利な想定をする人もいる。その場合、年間被曝量は数ミリシーベルトになってしまうかもしれぬ。悪いほうのシナリオということでいえば、東京でフツーに暮らす俺たちもそれぐらいのことは想定しておかねばならないということはとりあえず言えるのだろう。

もちろん、俺のように(今でこそ禁煙しているけど)数十年タバコ吸ってきた人間は、放射線でいえば数百ミリシーベルトを浴びてきたようなもので今さら大勢に影響がないのは分かりきったことなのだが、やはりこんなレベルでも子供にはどうなんだろうなぁと考えてしまうところがある。とにかく共産党さんでも何でもいいから、その辺の影響を抑え込むための英知を是非に発揮していただきたい。

そして、もひとつ。よくよく調べればわかるのかもしれないけれども、ここで書いたような「人種によって同じ放射線量を浴びても影響は違うのか」「ガラパリの皆さんにかんする知見は日本人にとってあんまり意味ナイのか」「人口の放射線と自然放射線を区別する意味はあるのか」(以上はみな同じことを別の方向から言っているにすぎないのだが)といった疑問は、研究者の方なり科学ジャーナリストの方なりに明解な解説をしていただきたい。そのへんのことも寡聞にして聞いたおぼえがないのである。何度も書くけれども、この辺、とても重要なことだと思うのだが。


【6/3追記】

などとグダグダ書いてきたわけだが、ここにきてだんだんわかってきました。自然放射線と人工放射線のちがい。このページなんか、とてもわかりやすかった。いやぁ、ちょっと探せばすぐあるじゃないですか。さいごのほうが、ちょっと怪しげな方向にいってるけどね。ともあれ自らの不明を恥じいる次第(笑)。

つまり自然界でわれわれが出くわして内部被曝してしまう放射性物質は多くの場合カリウムとかラドンなのだが、こいつらは体内にほとんど蓄積されない、と。一方の人工のほうの核種には甲状腺に集まりやすいヨウ素、骨に集まりやすいストロンチウムとかがあるんで、いったん体内にとりこまれると一極集中ということもあって影響が大である、と。

なるほど、そういう意味では単純に比較はできないんですなぁ。

理屈からいえば、大気中とか、とにかく体の外部から浴びる限りでは自然だろうが人工だろうが放射線の効果に差はない(ということでいいのかな?)。ところがいったん体内に入るとなると人工のは微量でも強力である、と。そうすると「人工放射線でプラス1ミリシーベルト」という言い方にはやっぱりそれなりの根拠があるようですなー。

ん? でもそうすると、今回の共産党調査じゃないですが、そのあたりの地上で計測した空中放射線量から「年間累計1~2ミリの被曝」とかいう数字が出た場合でも、それが「体外からの被曝」である限り自然放射線とおなじ性格のもの、と見ていいわけですよね。ガラパリの自然放射線10ミリ=体外からの被曝がさほど恐るるにたらないということであれば、その年間累計1~2ミリという数字自体はさほど怖くないんじゃないの?

むしろここには出てきていない数字――大気中とかから回り回ってわれわれの体に入ってくる人工の放射性物質がいかほどあるのか、というのが問題ということになりはせんか。 

う~ん、街角の放射線値がちょっと高いというとき注意すべきなのは、直接被曝することというより、「その辺の空気中に浮いてる放射性物質を吸い込んで体内被曝すること」という理解でいいのかな? やっぱり浮いてんのかな、そういうの? 俺のようなジジイはともかく、子供のことを考えるとあんまり余裕かましてもいられねーみたい。まだまだ勉強しないといかんなぁ。
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原発については、何万年・何十万年単位で管理が必要になってくる高レベル放射性廃棄物をどうすんのよ、という議論があるわけだが、「とりあえず原発必要→じゃあしょうがないから子孫の代にツケ回しとくか。おあとヨロシク」といったあたりが、積極的に抑制を訴えてこなかった多くの国民のホンネといえるのではないか。

じっさい、今でも日本国民の総意としては「原発即刻とめるべし」という話にはなっていないようであるし。

なんか強引に文化論に落とし込むのは無理があるとは思うのだが、このへん、どっか「身内なら許してくれる」みたいな日本人独特の甘えがあるような気がしてならないなー。あと、「いや、なんかほっとけばいつのまにか収まるものなんです、何事も」といった、いわば「水に流す」風土とか関係あるんじゃないかなー。などと妄想はひろがる。

ま、しかし、年金問題とかとレベルが違って、これはそれこそ万年単位の子孫へのツケまわしだし、放射能とかは(水で洗うとすこしマシではあろうがw)水でそうそう流せるものじゃないし。子孫がそうそう「甘え」を許してくれるかどうか。

年寄りが次の世代に「お前らはな~」と説教するのはよくあるパターンだったが、これからは「ジジイたちのせいで散々なことになっちまったぞ!!」と上の世代が罵倒されるのがデフォルト、という時代がやってくるのかな。


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けさの朝日新聞のオピニオン欄、水俣学の原田正純氏インタビューは良かった。

「(放射性物質の安全基準について)根拠を示せないからといって政府が口をつぐんだらだめ。『現時点では十分な科学的根拠はありません。でも今後こういう危険が考えられるので、政治的な判断で実施します』ということを、ていねいにていねいに説明することです。もちろん住民の不安をあおったらいけないけれど、放射線の影響には未知の部分があることもしっかり押さえておかないといけない」

このあたり全面的に同意する。「根拠がない」ということに政府もわれわれ国民も耐えていかねばならない。楽観も悲観もせず。
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政府には、原子力政策を推進してきた責任がある。賠償総額が一定以上膨らんだ場合には、国がきちんと負担する仕組みを導入すべきであろう。


以上、けさの某新聞社説より。なんかなー、原発推進派だったメディアがそういうこと書くのは自家撞着ではないのかなぁ? 「じゃあ、おたくも責任とってね」という話になるから。

それと「国がきちんと負担する仕組みを」と言ってるけれども、これは結局国民が負担しろということだよな。意訳すると「国民の大多数も原発肯定の政権を選択してたんだろ? お前らも払えよ」という話で、そういう論理は、まぁ身も蓋もないけれども成り立つとは思う。思うけれども、これも原発推進派だったメディアから言われるとなんかムカつく。
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放射線の影響についての毎日新聞のまとめ記事を読んで,
改めてお勉強。

結局、医学的に人体に影響が出てくるのは(おそらく)累積被曝量1001000ミリシーベルト(まちがえてたw)であって、それ以下はどうかというと、「ある閾値以下は影響なし」もしくは「ゼロ以上であれば相応の影響あり=LNT仮説」という2つの説があってよくわからない、というのがひとつ。

で、こういうことがかいてある。

各国の放射線防護策に影響を与えている国際放射線防護委員会(ICRP)は「リスクを過小評価せずに予防できる」として、LNT仮説を採用して、基準値を設定している。

ICRP主委員会委員の丹羽太貫(おおつら)・京都大名誉教授(放射線生物学)は「低線量被ばくをどこまで防ぐかは、費用や社会的影響を考慮して考えなければならない」と話す。


つまりは、100ミリシーベルト以下はよくわかんけども、とりあえず悪い方の事態を想定して「微量でも影響あり」という仮定でICRPは発言しますよ、という話である。ICRPが出している20ミリシーベルトとか1ミリシーベルトとかいう線引きはそういう文脈の数字であって、ぶっちゃけていえば、「この辺での数字は医学的にはどうこういえません。そりゃ、1ミリとかいう低いラインを基準値にしてもいいんだけどね、あんまり低いライン設定すると強制移転とかいろいろ社会的影響も出ちゃいますから、あとどうするかはメリット・デメリット勘案して政治的に判断してくださいね」という話なのであろう。

つまり、コトは政治的判断の領域になってきているのであって、どの辺にラインを引くかは、いわば「政治的な賭け」になっていると思うのである。「安全かどうか」といえば、おそらく100ミリシーベルト以下は大したことないと推測できるのだが(先の記事でもブラジル・ガラパリでは自然界からの年間被曝量は10ミリシーベルトに及ぶ、という例の話が書いてある)、「安心できるかどうか」はもはや社会的・政治的・心理的な問題なので、勝手に「安心できるから」といわれてもどうしようもないのである。

ちなみに俺はこれまで「この期に及んで累積1ミリシーベルト厳守、とかいっているのは、ずっと原発頼りの生活をしてきた我々(それは電力の大消費地の都会に住む人間のみならず、カネと仕事で利益誘導されたとはいえ、原発推進派の首長を当選させるなどして原発OKのサインを出してきた建設地の人々をも含む我々、だ)にとってあまりにムシが良すぎるンじゃねーか」と思ってきた。だから、たとえば20ミリシーベルトなんてのは甘受すべきラインだろ!的に考えている。

繰り返すが、そのあたりは「医学的に安全かどうか」はハッキリさせることができないゾーンなのである。あくまで一人一人が「これはしょうがねえだろ」とか「ちょっと何とかしねーとな」とか、自分なりに考えをもって、で、政治的プロセスの中に反映させていくべき問題なのだと思っている。

もっとも、「原発を選ぶ」という決断に関与していない世代=子供たちにも、そういった「応分の負担」を背負わせていいのかという問題は残る。大人に比べて放射線の影響を3倍ほど受けやすい、みたいな話もある。「じゃ、子供たちも20ミリシーベルトでよろしく」といってしまっていいのかどうか。やっぱりそれは後味よくねーなと思う。

改めて言えば、今の日本にあって、ジジイたちはほとんど安全だ。唯一心配すべきなのは子供たち。校庭の表土の入れ替えとか、やはりそのあたりはしっかり手をうってほしいところである。そのへんがもしうまくいかなかったら、子供たちよ、私利に走ったあげく、年金問題でも雇用問題でも原発問題でも、何でもかんでも次世代にツケをまわしまくった俺たち親やじいさん・ばあさんたちをうらんでくれ・・・

【5月12日追記】
今月の、たしか「文芸春秋」だったと思うが、「医療被曝はメリットよりもデメリットが大」という議論をしている医師の近藤誠氏が、「被曝線量による身体的影響には閾値ナシ=LNT仮説は最近実証されつつある」みたいなことを書いていた。うーむ、これ本当なのか。いぜんとしてジジイにとっては大勢に影響のない話なのだが、子供にとってはけっこう重大なところ。学者もメディアも、こういうポイントをしっかり押さえて発言してほしいのだがなあ。一般には「まだ仮説」という言説ばっかりなのだが。

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さて、本ブログにとっては画期的な来客の嵐も過ぎ去り、再び独り言的備忘録モードに帰るのである。

で、何度も何度もわからんわからんと言っている放射線被曝の問題を蒸し返す。

今回の原発事故については、原子力問題にも詳しいという武田邦彦氏がさかんにブログで情報を発信しており、それなりに評価を得ているようでもある。で、このエントリーでは子供の被曝量には十分注意すべきであるという、しごく真っ当なことを言っているのだが、細部で若干引っかかる部分もある。

彼は次のようなことを言っているのである(適宜意訳のうえ要約)。

これまで政府は一般人の年間被曝限度量を1ミリシーベルトにしていた。なぜか? それは年間被曝量1ミリシーベルトだと、その影響でガンになるのは人口10万人あたり5人ていど。それぐらいなら「我慢ができる」と政府が考えたからである。

ん? そうなのか? 年間1ミリでガンが5人増えるというデータは本当にあるのか? 彼のこの文章には「年間被曝量100ミリシーベルトでガンになる確率は0.5パーセント増える=10万人中500人がガン」という例の話が載っていて、読む限りでは「この100ミリの100分の1だから、ガンになるのも100分の1=5人」という比例関係の存在が暗黙の前提となっているようだ。

だが、俺のニワカ勉強によれば、こういうことではなかったか?

「年間100ミリになるとガンになる率は0.5パーセント上がる。100ミリ以上ではこの関係は比例しており、つまり100ミリ増えるごとに確率は0.5パーセントずつ上がっていく」

「ただし年間100ミリ未満の場合、現時点では健康に影響がでるというデータは確認されていない。ひょっとしたら、50ミリ=ガン確率0.25パーセント増みたいな比例関係が成り立つのもかしれないが、今のところはわからない。あるいは何か閾値があって、何ミリシーベルト以下なら影響は出ない、というようなことがあるのかもしれない」

あるいは俺の読んだ資料が古くて、「比例関係がある」というのは実証されていたのか?

それからまたまた繰り返すことになってしまうが、「ブラジル・ガラパリでは年間の自然被曝量10ミリシーベルト、しかし健康被害ナシ」という、例の話はどうなってしまうのだろう? いつまでたってもこのナゾがとけない。

というわけで、武田氏のように「じゃぁ子供は大丈夫なのかい?」的な視点は重要だとは思うのだが、基本はわれわれ国民ひとりひとりが状況を正確に理解し、最終的には自分の判断で行動を律することだと思うので、その点、「年間0~100ミリシーベルトでも健康被害は明らかに生じる」というような話があれば、俺を含めて多くの人間にとって未知の重要な情報なのでハッキリソースとともに示していただきたいわけであり、つまりはこういう社会的影響力の大きい人には過不足なく、誤解を与えぬ正確な議論を展開していただきたいと思うのである。


【4月26日追記】

というようなことを書いていたら、すでに武田氏の発言内容についてツッコミを入れておられる方がいた。NATROM氏の「武田邦彦氏の過去の発言を検証してみる」で、このひと3.11以前はけっこう原発肯定的だったのに、何か最近言うこと違ってネ?といったことなどを書いておられる。

で、NATROM氏は、放射線による障害について、武田氏はさいしょ「閾値あり」仮説をとっていたのに、いつのまにか「閾値なし」仮説に転じてしまったことを指摘している。つまり、「これこれの数値以下なら何にも問題ないからね~」説から、「いや、いくら微少とはいえゼロでないかぎり放射線の影響はアルのだ!!」説に転じている、と。

ま、考えを改めるのは結構なんだけれども、じゃあその「転向」はいかなる事情によるものか、どんなデータに拠るものなのか、そのあたりはヤッパリ科学者を名乗る以上、キッチリ語ってほしいなぁ



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謎は深まるばかりである。何がかって? 放射線被曝量とがん発生確率の問題である。

「年間に100ミリシーベルトの被曝をすると、がん・白血病になる率は0.5パーセント上がる(らしい)」。これが、このたびのニワカ勉強の結果、俺が得た暫定的な結論であった。で、この前のエントリーで、「生涯累計で100ミリシーベルト」みたいな線引きは無意味じゃないか、って書いた。ところが、「生涯累計で100ミリシーベルトには意味がある」っていう専門家の発言にでくわした。

「文芸春秋」5月号に「本当は一年かかる原発処理」という対談が載っているのだが、ここで放射線治療の専門家だという石川正純・北海道大学大学院教授がこんなことを言っている。

そもそも被曝線量というのは、その日どれだけ被曝したかではなく、これまでの人生でどれだけ浴びてきたか――という「積算」で評価しなければなりません。現時点で統計的にはっきりしているのが、積算で被曝量が100ミリシーベルトを超えると、1シーベルト(1000ミリシーベルト)あたり5パーセント発がんの確率が高まる――ということ。つまり、生涯で積算100ミリシーベルトを被曝した人がいて、生涯のがんの発生率が五〇パーセントであったとすると、それが五〇・五パーセントになるわけです。

なんと、100ミリシーベルトは生涯積算の閾値である、と言っておる。うーむ。だが、たとえば日本人は年間に1.4ミリシーベルトを自然に浴びているという。仮に80年生きると生涯積算で1.4×80=112ミリシーベルト。ん? この時点でもう100ミリシーベルト超えてるじゃん。

するってぇと何かな、80歳ぐらいになった日本人はひとりのこらず100ミリシーベルト被曝ラインに到達しているってこと? それ以降の被曝は、即、がん確率アップに直結するってこと? でもおかしいんだ。一方で石川先生はこんなことも言っているんだ。

世界的に見れば年間10ミリシーベルトの被曝量がある土地もありますし、そこに住む人に健康被害が出ているという報告もありません。

例のブラジル・ガラパリの話らしい。でもつじつまあわなくなるんだ。だって、ここで80年暮らしたとすると、生涯累積は10×80=800ミリシーベルト。すごい多いじゃん? 10年暮らしただけで、もう生涯積算100ミリシーベルト越しちゃうじゃん? それでなんでがん増えないの? 石川先生ッ!!

それとも、この積算100ミリシーベルトっていうのは「自然放射線以外に浴びるもの」って意味かな? でも自然放射線も人工放射線も人体への影響は変わらない、って教わったぞ。 

うぅ、よくわかんねぇ。ここは放射線医学界の池上彰みたいな人に出てきてもらって解説してもらわねーと、納得できん。とりあえず、暫定的に「年100ミリシーベルト」を意識していこうとは思っているんだが、どうもスッキリしない。

俺たち一般市民が情報リテラシーを磨かなきゃらならんのはもちろんだが、専門家ももっと明快な説明をしてほしいぞ。
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このたびの原発事故にかんして、個人的には「年間100ミリシーベルトの被曝なら甘受できる」、というか「俺は甘受する!」と考えていたのだが、「がんのリスクが微妙に上がりはじめる閾値としての100ミリシーベルト」というのは、とりあえず「年間累計」としての数字でいいんだよね?

というのも、けさの読売新聞を読んだら、ちょっと気になる表現があったから。

「基礎からわかる原子力」という解説記事なのだが、こういうくだりがある。

国際放射線防護委員会(ICRP)では、一般住民が1年に浴びて良い人工の放射線量を1ミリシーベルト以下と設定している。原爆被爆者の健康調査などから、被曝量が100ミリシーベルト以上になるとがん発症が増える可能性があるとのデータに基づき、「80歳まで放射線を浴び続けたとしても、80ミリシーベルト以下に抑えられる」量と考えたのだ。

このくだり、「自然放射線以外に余計に浴びる放射線が生涯累計で100ミリシーベルト以上になるとまずい」っていう風にも読める。本当にICRPは「80歳まで放射線を浴び続けたとしても、80ミリシーベルト以下に抑えられる」から年間1ミリシーベルトは一つの目安になる、というようなことを言ってるのだろうか?

じっさい、自然被曝量年間10ミリシーベルトのブラジル・ガラパリの場合、ここで80年生きた人の生涯被曝量は800ミリシーベルト。しかしここは決してガン多発地帯ではないというのだから、「生涯累計で100ミリシーベルト」みたいな線引きはまったく無意味だと思うのだが。

ちなみに記事ではそのすぐあとにこうも書いている。この箇所は、ストンと腑に落ちた。

ICRPは2007年、「非常時には、一般住民の限度の目安を年20~100ミリシーベルトまで引き上げても良い」と勧告。

こういう時節である。われわれも情報リテラシーを磨いていかないといかんなぁ、と思うきょうこのごろ。

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というわけで、いま世界の人々のうち最も放射線についての知識があるのは日本人ではないだろうか。まぁそれも必要に迫られてのことなので、なんか切ないわなぁ。

そうそう、ちょっと脱線するけれども、日本人の英語ベタは「べつに英語わかんなくても日本に住んでりゃカンケーないよ」的状況と関係してる、って説がある。日本語を母国語とする人間が1億2千万人も集まってて、外国のベストセラーなんかもすぐ翻訳が出る。仕事でも英語必須ってわけじゃない。苦労して英語覚えなくたっていいじゃん――という話だ(モチロンこれからどうなるかは知らん)。

好きも嫌いもなく、メシ食ってくためにゃ英語覚えなきゃいけない小国の人たちに比べてみれば、これって実はすごく幸せなことだ(というようなことを鈴木孝夫という言語学者が言っていた)。必要に迫られていや応なく「お勉強」しなければならないというのは、なんであれ辛いことである。

閑話休題。今回の震災以降、ネットとかで放射線のことをいろいろ調べてみた。東北の方々には申し訳ないが、とりあえず東京周辺の俺たちはどんな状況にあるのかという話だ。で、おおむね以下のようなことであろうと理解した。ソースうろ覚えだし、物理は全くわからない文系なので(笑)必ずしも正確ではないとは思う。

とりあえず「年間被曝量100ミリシーベルト」が医学的には一つの目安。「これを超すとガンや白血病になる確率が、ひょっとしたら微妙に上がっていくかもね」といった感じらしい。とゆーか、ガンの可能性を高める因子としては喫煙とかいろいろあるみたいだし、ガンで死ぬ確率が50パーセントだったのが、100ミリシーベルトの被爆しました、ハイ確率0.5パーセント上がりました、なんて風に言い切れないのが科学の事情というものらしい。人体実験もできないしな。

まぁそれはそれとして、とりわけ俺のような中年男だと、仮に20年30年後にビミョーな影響が出ても大勢に影響ないということはわかった。じゃ累計100ミリまで許すか、という寛大な気持ちになる。

では平時に俺たちはどれぐらい被曝しているか。普通に暮らしていると、宇宙・大地・食物・空気から自然放射線を年間2.4ミリシーベルトほど被曝する。ただしこれは世界平均で、日本だと空気中の放射線量が若干少ないようで年間1.4ミリシーベルトぐらいらしい。ちなみにブラジルのガラパリというところは年間10ミリシーベルトに及ぶというが、別にガン多発地帯でも何でもないとのこと。

ちなみに国際放射線防護委員会(ICRP)という組織があって、ここの勧告だと「一般公衆が1年間にさらされてよい人工放射線の限度」が1ミリシーベルト。さっきの「年間100ミリシーベルトまでなら大丈夫」という話とツジツマがあわないのはどーなんだと思うのだが、この1ミリシーベルトという数字の根拠は、調べた限りではよく理解できんかった。素人的には、なんか腰ダメで「まぁこの辺なら全然問題なくネ?」的に決めたような印象を受ける。ときあたかも、このICRPが「非常時だし1ミリシーベルトにこだわらなくていいんじゃね? 20ミリあたりでもいいんじゃね?」みたいなことを言い出しているとのこと(ソース)。

というわけで、年間100ミリシーベルトまではだいぶ余裕があるということがわかった。

いま東京の空気中の放射線は、通常値の数倍で、多めに見積もって毎時0.15マイクロシーベルト=0.00015ミリシーベルト。これがずっと続くと、えーと、電卓たたくと累計で年間1.31ミリシーベルト。

それから、最近話題の水道水の基準値は、放射性ヨウ素の場合300ベクレル/リットル。その1リットルの水を摂ったときの被爆量は6.6マイクロシーベルト。で、毎日1リットルで365日飲み続けたとすると累計2.4ミリシーベルト。…………年1ミリをベースに考えると「ダメじゃん」ってとこだが、100ミリベースで考えるとまだまだOKじゃん。

というワケで、原発から放射線物質ダダ漏れ状態が続いているようで何となく気持ち悪い状況ではあるけれども、とりあえず、大のオトナは大丈夫。慌てる必要はないのである。

やっぱ、あれかな、ICRPじゃないけれども、政府も「年間1ミリシーベルトって数字は、ホント天地がひっくり返っても全然問題ないレベルってことでとりあえず出してた数字だけども、マジいうと100ミリシーベルトまでなら大丈夫なんだよね。これから100ミリ基本に考えようね」的な啓蒙すべきじゃないのか。原発推進とはいわぬまでも、「電気をふんだんに使える生活のためには原発使うしかないよね、CO2も出さないし」とかいって今までのエネルギー政策を大筋で容認してきた我々なんだから、そのぐらいのリスクはとって当たり前、というか。「いや、俺は終始反原発だった、いわんこっちゃない、どう落とし前つけてくれるんだ」という人には平謝りするしかないのだが。ゴメンなさい。

P.S.
何か原発問題で興奮してるのか、ついつい長い長いチラ裏になってしまったわけだが、ついでにもう一言。「1日20本のタバコを1年間吸い続けた人の発ガンの確率は、70~280ミリシーベルトの放射線被ばくをうけた人と同じ、という報告もあります」という話もある(ソースは放射線科学センター)。なんだ、年間100ミリシーベルト相当の毒、もう何十年も浴びてたじゃん俺、1月から禁煙してるけど遅すぎじゃん、って話である(笑)。
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今日も午後になって、東京・金町浄水場で放射性ヨウ素が1キロあたり210ベクレル検出された(昨日の時点の数字らしいが)という、ちょっと滅入るニュースがあった。水道水どうよ、って話だ。

赤子だとそのまま飲ませ続けるとよろしくないレベルだそうだ。まぁ大人は300ベクレルまで暫定的にOKということで、そもそもヨウ素による甲状腺ガンの危険なんてものは俺みたいな年寄りには関係がないらしいからどうでもいいのだが、家には18歳と7歳の子がいる。特に7歳のほうのことがあるから、ちとナーバスにならざるを得ない。

このところ、基本的には日本政府を信じようと決めている。なので風呂とかはもう目をつぶってそのままでいこうと思ったが、許せ、飲料水ぐらいは安全なものを数日分用意してえな、と思った。で、会社帰りにコンビニなど寄り道して数リットル買い込んじまった。ごめん。ちょっとセルフィッシュだった。


それはそれとして、なんだ、年をとると涙もろくなっていけねーや。ここんとこ、「プレイ・フォー・ジャパン」とか「オペレーション・トモダチ」とかいう言葉を聞くと、ついつい涙腺が緩んじまう。

お人好しで、不器用で、口べたな日本人。愚直でマジメなところだけが取り柄の日本人。友達なんているのかな、そんな風にいわれてきた日本人。でも、いざというときになって、みんな「何とかしてやろうよ」って言ってくれた。もちろん待避していく人たちもいるんだけどね、それは俺たちにも十分わかる行動だから。あんまりセルフィッシュにならずに、なんとかこのさきやっていきたいな。

・・・明日はいい一日になりますように。
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その後、福島第一原発の重篤な事故も発生し、予断を許さない状況が続く。さきほど三号機の管制室に外部電源が入ったとの報があったが、まだまだ紆余曲折はあるのではないか。

いまんとこ、東京の放射線量はやや高止まりで、0.15マイクロシーベルト毎時といったところ。もっとも、ネットで調べると、ローマでは恒常的に0.25ほど出ているらしい。東京はまだそれほど慌てる必要はない。

ただなぁ、なんか今つくづく思うのは、もう俺たちは3.11以前には戻れないんだな、ということ。なんやかやいっても原発はなんとかコントロールできるし、そのエネルギーによってたつ現代文明もなんとか維持していける。そんな思い込みの危うさが一気に明らかになっちまった。

万単位の死者も出ている。復興はしなけりゃならないし、出来る、とはおもう。だがある種、俺たちの傲慢がはっきりしてしまった今、じゃあこれからどうやって生きていけばいいのか。俺たちは文明論的な重い問いをつきつけられているんだ。もう無邪気ではいられない…
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