カテゴリ: Passport to Magonia

ジャック・ヴァレ「マゴニアへのパスポート」はとても良い本で、とりわけ巻末付録の「UFO着陸の1世紀」は、19世紀半ばから1968年にいたる世界各地のUFO接近遭遇事例を簡単にまとめている点で、長いことその分野の先駆的試みとされてきた。

が、しかし、その事例集の中にはどうやらガセがかなり混入しているようで、とりわけ日本関係の事例はかなり怪しい。事例390、事例459、事例589が日本絡みの事例なのだが、これらはみな実に曖昧で、何を言ってるかよくわからない。

そんな中で、事例458は比較的具体的な記述のある唯一の事例である。こんな感じだ。

458. 1958年1月26日 16:00 島田市(日本)
非常に明るく輝く物体が、化学工場の多数の従業員の前で着陸した。彼らによれば、さらに複数の生命体がパラシュートもなしに空から降下してきた。彼らは奇妙な服を着ており、未知の言語でしゃべっていた。(「フライング・ソーサー・レビュー」1958年5-6月号より)

ふむ、この事件に限っては、何らかの出来事が実際にあったんではないか。そう思っていた。

ではこの事件の一次資料はいったい何なんだろうかとツイッターでつぶやいたところ、事例458の直接の出典である英国の「フライング・ソーサー・レビュー」に民間研究家のmagonia00氏があたってくれて、オリジナルのソースは静岡新聞であると教えてくれた。そのあたりのことはこのtogetterに書いてある。

有り難や、である。で、図書館で調べてきました。以下に見つけてきたそれらしき記事を貼ります。

その1。静岡新聞1958年2月1日朝刊3面
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その2。静岡新聞1958年2月3日夕刊3面
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こうやって種明かしされてみると、なんともあっけないものだ。しかし、いろいろと思うことがあるな。

英国で出ている「フライング・ソーサー・レビュー(略称FSR)」という雑誌は、今はどうなのかよく知らんですが、かつては相当に権威のある研究誌、というステータスを誇っていた(ような記憶がある)。いわば「世界に冠たるFSR」というイメージである。で、こういう雑誌に書いてあった、というとかなり信憑性が高いような気になってしまうのですが、今回の日本の事件についていうと、ちょっと危ういところもあったんだなーということがわかる。

この事件、おそらくは日本のUFOファンが「こんな記事でてましたゼ」とかいって、FSR本部に御注進に及んだのであろう。ところが、2日後に出た「違いました」という記事のことは、ちゃんと連絡しなかった。で、本誌にガセがしっかり出ちまった、という話だろう。FSRにしても、はるか極東の話だし、いちいち裏を取らなかったんですね。現場でちゃんと取材するという鉄則を守っていない情報はかなり危ないのであって、たとえFSRでも軽々に信用してはいけないことがわかります。

・・・とゆーことでまとめてしまってもいいんだが、いやしばし待たれよ、ここにはもう一つ大きな問題があるんではないか。

続報の記事が無視されてる点も不可解なんだが、そもそも「初報」の囲み記事自体、「コレかなり眉唾だから」というニュアンスで書かれている(ようにしか読めない)。ふつうの言語能力をもってる人間なら、こういうのを軽々にFSRに通報したりしないと思うのである。あと、搭乗員が「未知の言語でしゃべっていた」という話にいつのまにかなってんだが、これなんかもどこかで誰かが話を改竄しているわけである。現場も、隣接してるとはいえ島田市に変わっちゃってるし。

以上の状況証拠を踏まえて考えてみますと、もちろん推測の域を出ないのではあるが、おそらくは日本側の「通報者」が、確信犯的に「ちょっと筋の悪い話なんだけど、ちょっと話を面白く改竄して送ったら、天下のFSRに載っけてくれんでねーか」と考えたんではないだろーか。

まったくの想像ではあるが、仮にそんな推測が当たっているとしたら、UFO研究後進国の人間が、先進国たる欧米の人間に揉み手をしながら近づいていくという植民地根性をここから読み取ることもできるわけで、ポストコロニアリズム的視点から日本のUFO研究史を捉えることもあながち無意味なことではないのである(ってオイww)。

あと、これは別にUFOとは関係のない話なんだが、続報の記事には地元の坊さんが出てきて、狼狽する人々に向かって「慌てるでない。これこの通り、これは単なるアドバルーンじゃ、カッカッカッ」と大笑する場面があるわけで(ないってォィ)、この頃までは地域に発生した怪異を地元の名刹(かどーかは知らんが)の坊さんが「おさめる」、みたいな構図を皆さん当然視していたんじゃなかろうか。今だったらどうか。こういうシチュエーションで坊さんお呼びじゃないだろう、たぶん。

ま、戯れ言はともかく、こういう新聞記事読むと、無造作に「火星人」とかいう単語が飛び出してくるあたり、なんか当時の空気がしのばれる。改めて調べてみると、初の人工衛星であるソ連のスプートニクが打ち上げられたのは事件前年の1957年10月だった。これに対抗してアメリカがエクスプローラー1号を打ち上げたのは1958年1月31日で、つまりこの事件の数日後である。アームストロングは最近死んだばかりだが、この奇譚、実にアポロ計画なんかよりはるか以前のお話だったのである。

 【追記】

 なお、その後、ここに出てくる「磐石寺」についてググってみたのでメモっておく。正しくは「盤石禅寺」で、新聞記事中の「磐石」という字は誤記のようだ。このお寺、今も静岡県焼津市中島にあって、「東海道と川筋の往来文化」というページによれば「文明12年(1480)曹洞宗南明寺派の玉翁周琳大和尚により曹洞宗寺院として開創された」とあるから相当に由緒のあるお寺だ。戦国時代の武将として有名な山内一豊から送られた寺領安堵の書状なども残されているとのこと。
*その後、この「東海道と川筋の往来文化」というサイトは閉鎖されてしまったようだ。残念。

 事件は55年も前のことなので、おそらく現在のご住職は記事に出てくる梶田祖俊師の二代ぐらいあとではないか。となると、この事件が語り継がれているかどうかは微妙ではあるが、お近くの方は訪ねていってお話などうかがってきたら如何であろう(そんな好事家はいねーかw)。

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いまだにジャック・ヴァレの「Confrontations」を読んでいるんだが、ヴァレ自身がフランス人ということもあってか、ときおりフランスのUFO研究にかんする話がでてくる(10章、11章のあたり)。

たとえばいずれも社会学者なんだが、ピエール・ラグランジュ、 ベルトラン・メウーといった人たちの名前が出てくる。ラグランジュには『ロズウェルの噂』といった本があるらしい。

メウーのほうは、Confrontationsの記述に拠るとアブダクションと通過儀礼の類似性を論じたり、第二次大戦以前のSFに出てきたアブダクション類似のストーリーを蒐集するような仕事もしてるようだ。たとえば、エゲ・ティルム『ロドムール 無限の男』といった作品名が出てきたりするんだが、ヨーロッパのSFに詳しい人なら知ってるような作品なんだろうか?

そもそもConfrontationsじたいがもう20年ぐらい前の本だと思うんだが、にしても、このあたりのフランス社会学系のアプローチというのはいまだにほとんど日本では知られていないのではないか。考えてみると、フランスのGEPANとか、もっとわれわれが知るべきものはたくさんあると思うのだが、そのあたりがずっと放置されてきたというのは今さらながら残念である。やはりボルト・アンド・ナッツのアメリカ保守本流以外の議論は商業ベースには乗りにくかったのであろう。

せめて大学の第二外国語でフランス語でもとっておれば、もすこし突っ込んで調べることもできたであろうが、と一瞬思うが、実際に取ったドイツ語がモノになっていない現実をみれば無意味なイフであったか(笑)

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ジャック・ヴァレー『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』(1996・徳間書店)を改めて読んでみたんだが、ちょっと訳が雑すぎるなあ。武士の情けで、ここには訳者の名前書かないけど。

まぁオレもさいきん趣味的に翻訳のまねごとをしていて実際難しい仕事だろうなぁとは思うのだが、「オレは素人だかんネ」と予防線を張った上で言わせてもらえば、やはり日本語として意味がよくわからない、とか、あまりにギクシャクした文章になってたりというのはプロとして如何なものかと思う。

オレのささやかな経験からいえば、日本語がわかりにくい場合は、まず訳者自身が何をいってるか理解できていないと理解していいと思う。あるいは欧文特有のロジックをストレートに訳しているために日本語としては珍妙なものになってしまっていて、原文にあたったら「あ、そういうことなのね」と納得できるケースも時にあるかもしれんが。

この本についていえば「結論」部を勝手にはしょって出版した罪もある。ヴァレの本で邦訳が出てるのは対談本とSF(笑)を除けば、唯一の単著がコレなんだから、ほんと日本とはつくづく縁のないお方である。まぁUFOファンといっても、いささかひねくれたというか裏街道を行くのが好きな人にしか受けないだろうから出版社も二の足を踏んだ、ということだったんだろうけどね。
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ということで、ジャック・ヴァレの3部作をひそかに読み進める私的プロジェクトを継続しているのだが、その中の1冊「Revelations」が、ジャック・ヴァレー著・竹内慧訳『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』(1996・徳間書店)として邦訳されていることは、版元が「ショッキングサイエンス 脳内メカニズムの悲劇!? 」という意味不明のサブタイトルをつけて失笑をかってしまった点もコミで有名である。

で、以下は後日に備えての私的メモなのだが、これは全巻を訳したものではなくて尻切れトンボになっている、という指摘がどっかであったのを思いだし、改めて調べてみた。すると原著のしょっぱなの「Acknowledgements」が省略されているのはマァ良いとしても、最後の「Conclusion」が省略されていたことがわかった(そのあとのAppendix、Indexも当然ない)。結論部を省略したのだから、尻切れトンボ感があるのは当然だった。

そんなに長くないので、いつかこのConclusionも読んで、3部作読解プロジェクトを終了したいなあと思う。
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