カテゴリ:UFO > ジャック・ヴァレの世界

ネタもないのでまたまた既視感のあるネタで恐縮なのだが、このあいだ放送された「幻解!超常ファイル」の新作「UFOと人類、禁断の秘密&危ない!こっくりさん」で、とっても面白いシーンがあった。

ゲストのUFO研究家、小山田浩史さんが、「イーグル・リヴァー事件」には古くからの妖精譚に似た要素を見てとることができる、というジャック・ヴァレの見方を紹介したところで、進行役の栗山千明嬢が「それは本当に体験したことなのか、それとも幻覚なのか、というのはちょっと気になります」という風にツッコミを入れた場面である。

WS000201

この番組の基本的なフォーマットは、栗山嬢が一人二役をこなし、いわゆる黒クリ(黒い栗山)が「こんな不思議な現象があります」とおどろおどろしく語った後で、いわゆる白クリ(白い栗山)が出てきて「いや、それって科学的に解明可能ですよ」と種明かしをする、というものである。

である以上、白クリがゲストの話を聞くこのシーンでは、「UFO事件というのは妖精譚にも似たところがあって、そうした話は昔から連綿と語り継がれてきたのだよ」という説明に対して、「でも、それって幻覚でしょ?」と念押しする流れは、とりあえずの「お約束」とは言える。

ただ、ジャック・ヴァレ自身がそこんところをどう考えているかというと、「UFO現象というのはレーダーとか着陸痕といった一種の物証があるンで、リアルな物理現象の側面はあるよね。でも、体験者の話を聞くと何だか夢物語みたいな感じがするから、幻視みたいな心理的現象の要素もあるだろうし、もうひとつ言っとくと、場合によってはサイキック現象めいた部分もあるンですよ」といった塩梅で、実はとても曖昧な(あるいはアブナイ)ことを言っているのだった。

つまり、「白か黒か」と踏み絵を迫る白クリの質問というのは、実はヴァレ流のUFO理論からいうと、相当にデリケートな部分に踏み込むものであった。この番組のフォーマットでいうと、「幻覚なんでしょうね」と断言してしまうのが一番収まりが良い。良いけれども、ヴァレの本来の考え方には反してしまう。

ヴァレを踏まえて「うーん、物理的な現象という一面もあるし、場合によってはサイキック現象だったのかもしれませんねー」みたいなことを言い出すと、NHK的にはとってもマズイことになってしまう(これは余談であるが、今回の番組でヴァレのことが深掘りされなかったのは、たぶんその辺に理由があったのだろう→【6月18日追記】なお、そのご某所から聞き及んだのだが、実はサンフランシスコにいるヴァレへの取材も試みたんだが連絡が取れなんだ、という話もあるらしい。念のため付記しておきます)。

で、オレは一瞬、ヴァレのこともよくわかっている小山田さんがトンデモない事を口走るんじゃねーかと不安にかられた(のと同時に期待したw)のだが、たぶんそこは制作スタッフと周到な摺り合わせがあったのだろう、返答は実に巧妙であった。どういう発言だったのか、以下に引用してみよう。


それは本当にあったことなのか、というんじゃなくて…何かがあったとして、本当にあったのか、あるいは幻覚・妄想であったとしても、(大事なのは)本人がそれをどう思ったか。「本人にとっての意味」っていうんですかね。

例えば日本だと、昔から妖怪、天狗、河童といったものに会ったという人がたくさんいて、そういう言い伝えがいろんなところに残っている。「じゃあ鬼は本当にいたのか・いないのか」とか「河童は実在しましたか」という話から始まるんじゃなくて、昔の人たちにとっては天使であるとか悪魔であるとか、あるいは妖精であるとか、そういったものに出会ったというふうに納得すれば、それでいったんは理解はできる。

科学技術等が進んできて、「そういったものはいないんじゃないか」という風になってきた我々にとって、丁度手頃で、そこにあったのが宇宙人…。


いかがだろう。

「ある」「ない」という議論はさておき、不思議なものと出会ったという体験をしてきた人々は昔からいて、それは少なくとも当人にとっては真実の体験である。昔はそこで出会ったものを河童だとか天狗だとか言ってきたわけだけれども、現代人の認識の枠組みとか語彙でそれを言い表せば「宇宙人」ということになる。人間というのはそういうものなのだ――オレ流に言い換えれば、小山田さんはおおむねこういうことを主張したのだった。

これを受けて聡明なる栗山嬢はこう答える。「宇宙人や宇宙船を考えることによって、人間自身を考えることにもなるんだなあって驚きました」

これは実によく考えられた、うまい着地であった。「人間というのは奇妙なものを見てしまう不思議な存在なんだなあ」という当面の結論はNHK的にも許容範囲内であるし、じっさい円盤にかんする重要なポイントである。この場合、着地点としてはとりあえずベストといえよう。「もうちょっとアブナイ方向に踏み込みたいなあ」と思う人は、そこでジャック・ヴァレを読めばいいのである(笑)。

ともあれ、UFOに対する文化現象派的なアプローチがこのようにして天下のNHKの番組で紹介されたというのは画期的なことであった。「UFO≒宇宙船」というテーゼに大きな疑問符をつきつけたということだけでも、これは日本のUFOシーンにとって「歴史的事件」であった(…のかな?)。

これまで述べてきたように、実は地雷的な部分もいろいろとあったハズで、今回の番組を作るについてはいろいろ苦労もあったのではないか。それだけに、改めて今回の番組にかかわった関係者の方々を褒めてあげたい、と思うのだった。

というわけで、楽しみにしていた「幻解!超常ファイル~UFOと人類、禁断の秘密&危ない!こっくりさん」は昨10日夜にNHKBSプレミアムにてつつがなく放送された。

ゲストの横山茂雄、小山田浩史の両先生がおおむね期待していた線でお話をしてくれたので小生も満足を覚えたところであるが、ジャック・ヴァレについては約1分間(いちおう測ってみたw)話題になった程度ということもあってか、当ブログのカウンタはその後も黙して回らず(笑。ちなみに増えてる分はほとんどオレが定期巡回している効果と考えてよろしい)
→6月18日追記:そのご、ツイッターとかでリンク貼って頂いたせいか若干カウンターが回ったよ~。一日数十ってレベルだけどさw


うーん、ジャック・ヴァレの再評価というのは、ま、やっぱり、そう簡単なものじゃないネ(微苦笑)。

ではあるけれども、小山田先生がヴァレについて語ってくれたのは大変ありがたいことであった。その箇所を以下に採録しておこう。

ちなみにどういう文脈であるかというと、宇宙人と出会ったオッサンが、ジョグに入れた水をあげたかわりに「パンケーキ」をもらったという「イーグルリヴァー事件」について触れた部分である。



(イーグルリヴァー事件の)何年か後に、ジャック・ヴァレというUFO研究家が「これは笑い話やインチキのようなお話に思えるけれども、実はヨーロッパでは、妖精が人間と食べ物を交換するということは、昔からよくある、言い伝えに沢山でてくるお話なんだ」と。

妖精は人間の世界にやってくると、人間の世界のものをいろいろ欲しがるみたいなんですけど、特に水を欲しがる。

(イーグルリヴァー事件のパンケーキの)成分分析の結果としては、小麦粉とかのほかにソバガラとかも入っていたというんですね。ソバはご承知のように痩せた土地によく育つものです。妖精の伝説の中では、妖精というのはソバとかしか育たない痩せた土地で、そういったものからクッキーを作ったりして食べてるんだという話もあって。

それとこの話はよく一致するんじゃないか……という風にジャック・ヴァレという研究者は指摘したんです。


そう、まさにそういうことなんですね。良かった良かった。

WS000200000
これがヴァレに触れた場面。
ちなみに小山田さんのお顔を勝手に出すとひょっとしたらまずいのかなーと思いまして(全国に流れたので別にまずくないとは思うが)ご本人の了解も得ずに勝手に載せるのはやめておこうということで、お顔にはあえてボカシを入れさせて頂いております m(_ _)m




NHKの「幻解!超常ファイル」はUFOをはじめとする超常現象を冷静なスタンスで取り上げている番組で好感をもっているのだが、この10日に放送される新作では、どうやらジャック・ヴァレの仕事などにも触れながら民俗学ないしは文化人類学的なUFOへのアプローチを紹介するらしい。

伝説の名著『何かが空を飛んでいる』でこうした方面のUFO研究に光を当てた稲生平太郎氏、在野の民俗UFO研究家・小山田浩史氏も登場されるというので、実に楽しみである。

およそ日本のテレビ番組では前例のなかった切り口でもあり、この方面に関心のある方は必見・必録といえよう(とはいいながら、サイトの宣伝文を読むとヴァレの「ヴァ」の字も書いてないので、本当にそういう放送になるのかどうか若干心配だがw)。

WS000197

ちなみに、ひょっとしたら放送後に「ジャック・ヴァレというのは何者なんだ?」「主著は読めないのか?」といってググった人たちが『マゴニアへのパスポート』を知り、「おお邦訳しとる人がいるのかー」「読めないのか?」といった声が盛り上がってくる可能性もないではないので、勝手連的エヴァンジェリストとしては事態の推移を生暖かく見守りたいところでアル。



そろそろ定年が見えてきたこともあり、死ぬ前にやっておくべきことをちゃんと考え始めないといけないのである。ま、どうせ大したことはできないのだが、本ブログのメインコンテンツである趣味のUFO(笑)関係でいうとひとつ懸案があるので、半ばチラ裏的ブログであるココに、忘れないように書いておく。

趣味で翻訳したジャック・ヴァレの『マゴニアへのパスポート』を、いわゆる「翻訳権の10年留保」によって印刷・頒布した件は当ブログでも過去に記してきたところである。

が、同様にして、全然邦訳がされないのに業を煮やして勝手に翻訳したヴァレのテキストというのはまだまだ手元にあって、具体的にいえばそれは『見えない大学 The Invisible College』『ディメンションズ Dimensions』『コンフロンテーションズ Confrontations』『欺瞞の使者 Messengers of Deception』といったあたりである(ついでに言っとくと、英文をスラスラ読んでその場で理解する能力がないので、やむなくこれらの本も杉田玄白よろしく手探りで訳読してきたのであって、翻訳テキストというのはその副産物である)。

ただそれらはいずれも原著が1970年以後に刊行されたものなので「翻訳権の10年留保」の対象にならず、つまり、勝手に翻訳・公開することはできない。ヴァレが死んで50年だったか経過したら著作権も消失して勝手に本にすることができるようになるわけだが、当然その頃にはオレも死んでいるのだった。

しかし、である。よくよく考えてみれば、私的に翻訳したテキストをノートに書き出したりプリントしたりしている限りでは原著作権者の権利を侵害していることにはなるはずもない。ということは、こういうヴァレのテキストなども、1冊だけ印刷業者さんに刷ってもらって自分の手元に置いておく限りでは何のお咎めもないだろう。

というワケで、こういうテキストを「世界に一冊だけの本」として印刷してもらう。「何の意味があるのか」と言われたら、たぶん何の意味もない。一人で眺めて、読み返して、ニヤニヤして自己満足するだけのことであろう。ただ、よくよく考えると、人間が生きている意味なんてものも、実はあるのかないのかよくわからんし、結局人生は自己満足できりゃあいいのだと考えれば、そういう無駄なプロジェクト(笑)を楽しむというのもアリではないか。

手元にあるテキストはかなり粗っぽいものなので、本の体裁にするんだったらちゃんと翻訳を見直したりしないとならずそれなりの手間にはなるけれども、その辺も含めて老後の楽しみとするテはあるぞと考える今日このごろ。

FullSizeRender
ヴァレの本。ちなみにうしろに見える『リヴェレーションズ Revelations』という本はいちおう『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』というクソダっサい書名で邦訳されてるので、翻訳で省かれた部分だけしか訳してはいない。なので「世界に1冊だけの本」プロジェクトの対象外となる)







先ほどツイッターのほうにも書いたのだが、オレは定期的に「ジャック・ヴァレ」を検索して何か情報がないか巡回することにしており、その結果、本日は刮目すべきサイトをふたつも発見した。

ひとつはSF評論家にしてUFO研究家でもあり、なおかつ「ヴァレを日本で最もよく知る男」でもある礒部剛喜さんが書評サイト「シミルボン」で連載している「UFO現象学への招待」の新しいエッセイで、今回登場したのはなんとヴァレの主著『見えない大学』である! 礒部さんがこれまでこのシミルボンで紹介されてこられたのはいずれも英語本で、英語力不如意の身としては全然読んだことがないものばっかりだったワケだが(その中にヴァレの刊行日記があったりするけど通読はしておらんのだ)、この『見えない大学』はオレも努力して何とか通読したヤツで、それだけにとても嬉しい(当ブログで取り上げたこともあるのだッと、ちょっと威張るw)。中身も素晴らしい! ぜひ皆さんも礒部さんが傾ける蘊蓄を楽しんでいただきたい。

もうひとつはフリーライター&書評家の朝宮運河さんのブログで、こちらでは小生も参加させていただいた超常・UFO同人誌「UFO手帖」創刊号の紹介をしておられる。こちらもやはりヴァレ愛(?)を感じさせる内容であり、「UFO手帖」の出来を褒めて頂いておる。小生が翻訳した私家版『マゴニアへのパスポート』の増刷をご所望のようでもあり、いつか何とかしたいなあと思わんでもないのだが、さて、その辺はどうなることやら。

宗教学者のジェフリー・クリパルが、その著書『Authors of the Impossible』で一章を割き、UFO研究家のジャック・ヴァレ論を展開していることは当ブログでも再三書いてきたところである。おおむね読み終わったのでボチボチ内容紹介でもしていこうかと思ってはいるのだが、しかし、ちょっと逡巡しちゃったりしてなかなか進まぬのである。

どういうことかというと、例えば、クリパルはヴァレを評するのに再三「gnostic」という言葉を使っているのだが、これがなかなか厄介だったりする。

この「グノスティック」というのは、一つにはキリスト教の異端の一つとしての「グノーシス派」を形容する言葉であったりするわけだが、一方ではもうちょっと広義の、グノーシス派的な思想・世界観を総称して「グノスティック」という言い方をすることもあるらしい。

さらにいえば、辞書なんかみると、さらにもうひとつ広い意味ということになるんだろうか、「霊的な知恵」とか「霊知」みたいな言葉が当てられていたりもする。この辺になってくると、必ずしも「グノーシス派の思想」とは言い難い「一般的な言葉」みたいなところまで降りてきてしまってるんではないか。知らんけど。

そもそもグノーシス派なんてものはよくわからんのである。というか、もともとキリスト教のオーソドクスさえわかっておらん。再三出てくる「Gnostic」というのはその場面場面でどういう含意で使われているのか、なんて考え出すと、もう迷路状態なのである。

ただまぁ、あんまりその辺にこだわらないでもいいのかもしらん、とも思ってはおるのだ。

クリパルがこの本でどんなことを言っているのかを思い切り簡単に言ってしまうと、そもそもヴァレは科学者なんだけれども、同時に神秘的なモノへの感受性・関心というのも併せ持っている人物であって、つまりそういう微妙な境界線上に位置しているというところに彼の真骨頂がある、というようなことを言っている。

UFOというのはレーダーと同時に目視されたり、あるいは着陸痕を残すなど、物理的現象としての側面があるわけだが、同時にいかにも奇っ怪で悪夢としか思えないような話も付き物である(アブダクションなどを想起されたい)。つまり物質世界のものなのか心霊的な存在なのかよくわからんようなところがある。そういうジャンルであるからこそ、彼のそういう立ち位置というのはスゲエ有効になってくるんじゃねえか、みたいなことをクリパルは言っているワケなのだ。

ただ、そういうサイキック方面への感受性が敏感だといっても、四角四面の教義でがんじがらめのカトリックなんかとはちょいと違う、彼の場合はもう少しプリミティブな霊的感性というかスピリティアリティへの志向があって、その辺を言葉で言い表すなら「グノスティック」がピッタリということになっているのです、ぐらいの理解でも悪かぁないとは思う。「グノスティック=霊知の」みたいなレベルの解釈で通していっても辻褄が合わんことはない。

そういえば、オレのモットーは「英語の本は8割方理解できればヨシとする」というものであった。いろいろ言い訳を書いた今回のエントリーであったが、余裕ができたらクリパルのヴァレ論についてはゼヒ書評(?)を書き残しておきたいものだと思っておる。









IMG_1096


去る11月23日、「文学フリマ東京」に参加したUFO同人誌界の雄「Spファイル友の会」のご厚意でブースに私家版『マゴニアへのパスポート』を置かせて頂けることになり、慌てて作った第2版を持ち込みました。

実費相当とはいいながら価格的にはちと高いこともあり、どうかと思っていたのですが、意外なことに今回持ち込んだ分はおかげさまで完売ということに相成りました。「友の会」の今回の新刊であるところの「UFO手帖」創刊号ともどもお買上げ頂いた方には深く御礼を申し上げます。

*ちなみに「UFO手帖」創刊号ではジャック・ヴァレ特集をしている関係もあり、小生も寄稿をしております。とても良い本なので未入手のUFOファンの皆様におかれましては通販が始まったら是非ご購入されんことをオススメいたします。

さて、この『マゴニアへのパスポート』第2版ですが、追加で若干部刷ってみました。こちらのほうにメールフォームを置いておきますので、購入ご希望の方はご覧ください。仕様はA5判・398ページ。初版に散見された誤植を訂正した上で末尾に訳者あとがきをつけ、表紙の装丁を若干変えました。

売り切れの場合はご容赦ください。

【追記】
ただいま12月5日午後10時ですが、おかげさまで完売いたしました。購入頂いた方々には大変ありがとうございました。

ジャック・ヴァレの「Passport to Magonia」(1969)については、当ブログでもしばしば触れてきたところであるが、いつまでたっても翻訳本が出ないので私家版を作ってみた。

IMG_0154


もちろん、この種の外国の本を日本語にして出版しようという場合は「翻訳権」というものがあるので、原則として著作者に勝手に翻訳などしてはいけないのである。ところが日本の場合、1970年末まで効力を有していた旧著作権法では、「海外の著作物の翻訳が、原著刊行から10年の間に出なかったときには、日本ではその作品の翻訳権は消失する」という規定があった。これがすなわち翻訳権10年留保」というもので、つまり外国の本が出版されてから10年間、誰も日本で翻訳出版しなかったら著者に何の断りもなくフリーに翻訳・出版していいですよ、という決まりなのだった。

話すと長くなるけれども、これはもともと「西洋に追いつき追い越せ」の時代、「我々もこれからいろいろあなた方の国の学問を勉強しないといけないので、極力シバリのないかたちで翻訳をさせて下さいナ」という、いわば後進国の立場からの要求を海外諸国に呑んでもらって、それでできた制度であるらしい。

まあそれでも流石にいつまでも後進国ヅラしているのもナンだという話になったのだろう、1971年の著作権法改正で、この
翻訳権10年留保」の規定は無くなった。無くなったんだが、この改正法には、「改正法施行前に発行された著作物についてはこの規定は有効だ」という附則がついている。要するに、「もう今後は10年留保なんてことは認めないけれども、法改正の時点から過去にさかのぼって規制を広げるというのもヘンだし、ともかく1970年までに外国で出た本は10年留保で出してもいいことにするよ」という事になったわけだ。

いささか長くなったが、そのような話を以前聞いたことがあった。一方で、この「Passport to Magonia」の初版は1969年にシカゴで刊行されたという。であれば、誰も出さんのであるから、無許可でいいのならオレが出せばいいのではないか。そう考えた。

とはいえ、何か法律関係のことでイマイチ不安でもあり、今回、このあたりの問題についての第一人者であるらしい宮田昇さんの『翻訳出版の実務 [第四版] 』(日本エディタースクール出版部)という本を買ってよんだり、 電話相談をしてくれる「公益社団法人著作権情報センター」で話を聞いてみたりした。結果、少なくともこの1969年に刊行された初版のコンテンツ自体は「10年留保」の対象になっておるということだったので、同人誌的出版物として若干印刷をし、同好の士に今回実費で頒布したという次第である。

まあ、最近は世界的に「著作権者の権利を守りましょう」というトレンドが強まっているようで、そういう文脈からいうと「翻訳権の10年留保なんてものは著作権者の権利をふみにじっておる。時代錯誤ダ」といった批判もありうるのだろう。しかし、よくよく考えてみれば、「元の本が出てから何十年たっても誰も見向きもせず、誰にも知られずに忘れ去られていく」みたいな作品があったとして、それを勝手に翻訳して広めようという試みは果たして著作権者の権利を侵害しているといえるンだろうか? ほっといたら誰も知らないで朽ちていく作品であるならば「損害」など与えようもなく、勝手に翻訳して広めることには、むしろ人類共通の文化を後世に広め伝えるという、重要な意義が認められるんではないだろうか?

もちろん最近の世界はもう、そういう「文化振興」なんてことより「カネと権利」といったものばっかりに価値を置くようになってしまったから、「10年留保」みたいなのは過去の遺物として消え去っていくしかないのかもしれない(ちなみにTTP絡みで著作権法がまた改正されるようなので、この10年留保というのもひょっとしたら一切ダメということになるのかもしれない。よく知らんけど)。

どうも前途は厳しいようだけれど、それでもなおこの「10年留保」がしばらくは生き続けていくのであれば、みなさんにもこういう同人誌的出版物にぜひ挑戦していただきたい。けっこう面白いと思うぞ。で、たとえばチャールズ・フォートの『呪われしものの書』なんか出してくれたら買っちゃうゾ

追記】
なお、こういうかたちで「1970年以前に原著刊行の未翻訳本」は本にすることができるわけだが、実はその内容をネットにアップすることはどうもグレー領域のようであって、先の宮田氏の本でもかなり黒っぽいという話になっている(同様に「電子書籍」というかたちで頒布したりするのも駄目らしい)。
何だか釈然としない話であるが、それが現実である。

【追記Ⅱ】
その後、誤植などについて購入頂いた方からのご指摘をいただいたので「正誤表」へのリンクを貼っておきます。このlivedoorの無料ブログだとファイルをFTPでアップできないみたいなので外部のサイトになってしまいますが、ご容赦あれ。なお、誤訳・誤植についてはご指摘を頂ければ反映させていく所存です。

【追記Ⅲ】
「マゴニアへのパスポートとやらを買いたい」というご連絡をたまに頂きますが、コメント欄にメールアドレスをご記入のうえ書き込んで頂ければお返事いたします。あるいはツイッターのアカウント(@macht0412)でも連絡はつきます。ただし残部はほとんどありません。当面「増刷」の予定もないので無くなってしまった場合はご容赦ください。

【追記Ⅳ】
といっていたら、遂に在庫がなくなりました(2016年10月3日現在)。今後増刷するようなことがあれば当ブログでも告知したいと思います。

ジャック・ヴァレの「勝手連的エヴァンジェリスト」を自認しているオレなので、念のため書いておく。

ヴァレが年の離れた弟子(?)のクリス・オーベックなる人物と一緒に作った『Wonders in the Sky』という本がある。これは現代以前にもUFO的なものはずっと空に目撃されてきたのだというテーゼの下、古今東西のUFO的物体についての記録を集成した本であって、まぁオレなどもKindleの電子版ではあるけれども、いちおう買った本である(ちゃんと読んでないけどw)。





で、このたび、ヴァレとそのお仲間で、この本の豪華装丁本みたいなのをクラウドファンディングのINDIEGOGOを使って出版しようという話が持ち上がったらしく、こんなサイトで宣伝をしておる。

200ドルを払い込むと、豪華装丁本に何かチマチマしたおまけをつけて一冊呉れる、というハナシである。

当面の締め切りまで現時点で8日あるらしいが、まだまだ目標額には達していないので、けっこう紆余曲折あるかもしれないが、とりあえずヴァレファンを自認する方は――いや、そんな人は日本全国に数人しかいないかもしれないので、ヴァレの影響が色濃く残るUFO本の名著『何かが空を飛んでいる』(稲生平太郎著)のファンの方でもいいから、ぜひ200ドルをドブに投げ込む気持ちで投資してやってほしいと切に願う。いや、まぁ確かにこの世知辛い世の中、「そんなもんに200ドル≒2万5000円も出せるかよ」という気持ちもわからんではないけれども・・・


ともかく、こんな場末のブログに書いても効果は皆無だろうが、いちおう勝手連的エバンジェリストとしての責務ということで告知の一席(笑)。

以下では本書の最後に置かれた「結論 Conclusion」に触れて、本書の紹介を締めくくってみたい。

ここでヴァレはまず、決定的な証拠などないのにもかかわらず、「UFOとは地球外生命体の乗り物である」というテーゼが社会に広まりつつある状況に触れる。この点に関し、彼は英国の研究者、ゴードン・クレイトンが語ったという言葉を引いている。

人々は、神話というのは虚偽=ウソだと信じ込んでいますが、それは間違いです。神話はそんなものじゃない。神話は「真実よりももっと真実なもの」なのですよ。

つまり、この種のストーリーは「神話」であり、それは合理的に考えれば虚偽として退けられるのが当然なのかもしれないが、時として人間は、それを「真実よりももっと真実なもの」として受け取ってしまう、というのだ。そしてヴァレは、このような考え方を肯定する。

「地球外生命体」への関心の高まりは、近年の電波天文学や生物学の進歩と関連づけて考えることができるかもしれない。しかし、そのようなムーブメントを推し進めているのは究極的には人間の神話的思考である、と彼は言う。しかも(ここが彼独特のロジックになるわけだが)その神話というのは、コントロール・システムが強いる「学習」の産物として生み出されているのかもしれない。そのような文脈で、彼は実に興味深い指摘をしている。

こうした学習が不可逆的なかたちで達成された時、UFO現象は永遠に消え去ってしまうのかもしれない。あるいは、それは人類の段階にふさわしい、何か適当なすがた・かたちを身にまとうことになるかもしれない。市街地に天使が舞い降りる――そのようなことも考えられないではないのだ。

その「学習」プロセスが終わったとき、いわゆる「UFO」は姿を消すかもしれない――何気ない一節であるが、古典的なスタイルのUFO神話が姿を消しつつある今、こうした指摘には改めて深くかみ締めるべきものがあるような気がしてならない。

さて、結語の末尾。ヴァレはここで、いささかペシミスティックな述懐をしてみせる。

 私は長い間、超常現象を考えることは「この世界にかかわる理論を拡張・発展させていく上での絶好の機会である」として、科学界もその重要性を徐々に理解していくだろうと考えていた。そこには、未来の世界における「人間の尊厳」に新たな定義を与える上で、唯一といってもいい好機があると考えていたのだ。

が、今の考えは違う。

いま危機に瀕しているのは、単に我々の自由意思といったものだけではない。それはある意味での人間性なのである。そして、我々が、サイキック面において人間に生じつつある一大転機の真の意味を理解し、そのカギを得るために視線を向けるべきは、もはや科学ではない。その答えは、ワシントンに収められた秘密のファイルの中にもないだろう。解決はその謎がずっと置かれていたところに横たわっている――そう、我々自身の中にだ。我々が望むのであれば、そこにはいつでも自分の好きなときに行くことができるのだ。

そもそもUFO研究に着手した頃のヴァレは、統計分析なども駆使した「科学的」アプローチを採っていた。おそらく彼は、知られざる世界に対して科学が勝利する日を夢見ていたのだろう。しかし、やがて事態はそれほど単純なものではないことがわかる。それ故、彼はやがて『マゴニアへのパスポート』にみるような民俗学的アプローチにも踏み込んでいく。

しかもそこには、人間の精神世界を侵犯するような何やら不気味なコントロール・システムのようなものまで見えてくる。これをもってただちに「科学の敗北」と単純に総括することはできないにしても、少なくともUFO現象はオーソドクスな科学では太刀打ちできない領域であるのは明白だ。となれば、現象を解明するカギは、実は人間の精神の内側にあるのではないか――この末尾でヴァレはそのようなことを語っているのであろう。それは、かつて科学の未来を信じていた彼が、或る種の「断念」の末に到達した境地であるに違いない。

確かに、本書で提示された彼のコントロール・システム説はあまりに思弁的に過ぎ、仮説としての有効性に乏しい。しかしそれは「ET仮説では到底説明しきれないこの現象を何とかして整合性のある枠組みの中に捉えたい」という彼の知的誠実さが、試行錯誤の末に生み出したものであるように思う。そのような果敢な挑戦がひとつのかたちを取ったのがこの『見えない大学』であるとすれば、本書がヴァレの主著の一つとされるのも当然ではないか。

本書の記述がのちに『ディメンションズ』に再録されたことの意味を改めて考えたい。ここまで駆け足で紹介してきた本書ではあるが、そこにはヴァレの思想の根幹にかかわるものがある。その「冒険」の軌跡を、我々としては繰り返し辿り直していく必要があると思うのである。(終わり)

KIK

↑このページのトップヘ