■『オカルト・クロニクル暗黒録』を読む
■味噌チャーシューメン@白樺山荘/ららぽーとTOKYO-BAY店
■PC電源更新
今回は電源あたりからカラカラ音がしてきたのでそろそろ替え時かということで、新しいのに更新。
今回も安いのでよかろうということで選んだのは「玄人志向KRPW-BK650W/85+」。ケーブル着脱可能なプラグインタイプ。5636円だった。

ついでに2025年9月に更新した主要パーツの構成も書きつけておこう。
■「奇妙な論理Ⅱ」幻の第4章 その5(完)
英国の化学者で現在は米国籍を得ているアンソニー・スタンデンは1950年、『科学は聖牛なり』と題した著書で「科学主義」を手ひどく批判し、大きな反響を呼んだ。スタンドンはセント・ジョンズで1942年から46年まで教鞭を執ったが、「カトリック・ワールド」(1950年2月号)によれば、その体験は「最終的に彼をキリスト教への改宗に導いた」。
■「奇妙な論理Ⅱ」幻の第4章 その4
だがまぁ流石にここまで公言してしまったのだから今度は大丈夫だろう。
あな嬉しや。
というわけで、当ブログも勝手連的協賛企画(笑)として、今回はこれまで不定期で紹介してきたマーティン・ガードナーによるチャールズ・フォート論のつづきを掲載しましょう(前回はこちら)。もちろんカードナーは正統科学の立場からフォートに対してイロイロと難癖をつけているわけだが、まぁそういう批判を受け止めた上でフォートを読むというのも立体的にその実像が浮かび上がることにつながるんではないかと思ったりするのである。というわけで以下つづき。
『野生の才能』の中には笑いを誘う部分もある。「おはようございます!」としゃべってから、うっすら漂う緑色の蒸気の中に消えた犬がいた――そんな新聞記事をフォートが否定している箇所である。フォートが問題にしたのは「犬がしゃべった」という部分ではない。彼はしゃべる動物についての切り抜きなど山ほど持っていた。問題は「うっすら漂う緑色の蒸気の中に消えた」というところだったのだ。「そんな犬の話には騙されない」と彼は言っている。だが彼は、自分がそういう線引きをしたのは、結局のところ誰もがどこかには線を引かねばならないからなのだと明言している。そして彼は、この線引きが正しいといえるのは「真実か間違いか」を分けているからだ――というような言い方は慎重に避けている。
■かしわごぼ天うどん@資さんうどん/ららぽーとTOKYO-BAY店
■宇宙人の贈りもの
この事件は「エイリアンが残していった遺物はいろいろあるけれども、どういうわけかソレが地球外のモノであるとわかった事例はないよネ」といった文脈で紹介されており、実際文中にはエイリアンが置いていった「贈りもの」の話が出てくるのだが、それ以外にもイロイロと興味深い記述が出てくる。
ホンマかなあこの事件、ちょっと怪しいなあ、どっかでHOAX認定されてんじゃねえかなあという気分もないではない。だがコレなかなかに捨てがたい味わいがある。それで旧Twitterのほうにもチョコチョコ紹介のコメントを書き込んだりしてみたのだが、当ブログでは今回同書から当該部分を訳出してみることにした。以下本文。
■壁を歩いて越えたエイリアン
ベルギー 壁を乗り越える
ヴィルヴォールド(Vilvoorde)はブリュッセルの北方数マイルのところにある製造業の中心地である。ここでは、エンティティが文字通り壁を歩いて乗り越えていくというすこぶる奇妙な事件も起こっている。
それは1973年12月の寒い夜のこと。午前2時、ある既婚男性(28)が屋外にあるトイレへ行こうとして目をさました。妻を起こさないよう気をつけつつ暖かい夜具からノロノロと這い出した彼は、トイレに行くときのための懐中電灯を手に取ったが、そこで異常なことが起きているのに気づいた。それも二つ。
まず、戸外で金属が地面をひっかくような音がした。さらに、辺りは真っ暗なはずなのに、キッチンの窓からは蛍光塗料が発するような奇妙な緑色の光が差し込んでいた。
好奇心にかられた彼はさほど怖がることもなくカーテンを開けてみたのだが、そこで思いがけないものを目にした。そこにいたのは小さな生きものだったのだ。身長はおそらく一メートルほど。着ているワンピースのスーツは奇妙な緑色の光を発していた。頭には透明なヘルメットを被り、そこから出たチューブが背中のバックパックのような装置につながっていた。実のところ、これは約50年前にボルトンの裏小路でかくれんぼをしていた若者と出くわした存在と似通っていた(訳注:1926年、英国ランカシャー州ボルトンで当時少年だったヘンリー・トーマスがヘルメット姿の怪人3人と出会った事件をさす。同書に記述アリ)。

最初そのエンティティのことはハッキリ見えなかったのだが、腹のあたりに赤く光る箱状のものがあるのはわかった。およそこうしたエイリアンとの遭遇譚にあって、しばしばこのような些細な事柄が語られることがあるのは読書諸兄も既にお気づきのところであろう。しかし、このエンティティに関して特筆すべきは [これとは別に] エンティティが体の前面に保持していたモノであった。エンティティはそれを金属探知機のように地表を掃くようにして動かしていたのだった。ただそれは金属探知機よりは大きく、実際のところ、その大きさや見かけは家庭用掃除機や手持ち式の芝刈り機のようだった。庭には目撃者が置きっぱなしにしていたレンガや石が散らばっていたが、エンティティはそうしたものの上を掃くようにして機器を動かしていたのだった。
いぜん恐怖心を感じることはなかったが、あとあと考えれば奇妙なことに彼は妻を呼ぶこともせず、庭に懐中電灯を向けた。するとそれが注意をひいたのか、エンティティはくるっと向きを変えて真正面から彼と向き合った。このときわかったのだが、マスクの向こうの顔にはとても大きい目と二つの非常に尖った耳があるのが見て取れた。
その存在は懐中電灯の光にこたえるかのように二本の指を立て、Vサインをしてみせた。それが上下逆でなかったことは幸いだった。さもなければ地球外生命体とのコミュニケーションは最悪のスタートを切っていたかもしれなかった!
それからエンティティは背を向けて、突拍子もない行動に出た。まずは片方のブーツの底を庭の奥の壁に押し当て、それからもう一方のブーツも壁に当てたかと思うと、一瞬の猶予もなく文字通り壁面を上のほうに歩き始めた。体は壁に対して直角に突き刺さった感じで、それはまるで磁石でくっついているかのようだった。エンティティは壁のてっぺんまでいくと、円弧を滑らかに描くようにして体を回転させ、壁の向こう側に姿を消した。身につけた装置はその間ずっと体の前面に保持したままだった。
■訳注:何を言ってるかわからん人はネットで拾ってきた図解イラストを貼っておくのでご覧くださいw
流石に驚いたものの、恐怖は全く感じていなかった目撃者はさらに観察を続けた。するとほどなく壁の向こう側に光が見え、チリチリいう音も聞こえてきたが、さらに何やら物体が上方に浮かび上がって滞空するのが見えた。その物体は本体が黒っぽかったが、その上には小さなドーム部があった。ドーム部は青ないしは緑色っぽい色の明るい光を放っており、その内側には生物が見えた。下側の暗い部分と、上部の明るい部分の境目からは赤い火花が散っていた。
数分たつと、シューッというような音が大きくなってきて、火花はさらに激しく飛び散るようになった。その物体は上に飛び上がり、おそろしい速度まで加速したかと思うと瞬時に姿を消したが、その後にはかすかに光る軌跡がしばらく残っていた。
UFO研究団体SOBEPSは徹底的な調査を行ったが、庭にも、そして壁の向こうの修道院の地所にも不審な痕跡は全くみつからなかった。目撃者もいなかった。ただし、建物や土地の位置関係からすれば、それ自体は驚くべきことではなかった。
1974年4月の夜遅く、目撃者は妻、いとこと一緒にブリュッセルに向けてクルマで走行していたが、彼らはコニングスロ付近で空に楕円形で光る物体を目撃した。乗っていたフォード社「エスコート」のエンジンは止まり、ライトも消えた。エンジンをかけようとしてもダメだったが、その物体が飛び去るや否やエンジンは自然にかかったという。世界中の事件で我々がおなじみであるところの不条理さというものは、この事例からも見てとることができる。
【注】ググってみたらネットでもボチボチ紹介記事がありました。この「PODCAST UFO」というところは比較的くわしかったが、読むと「Flying Saucer Review」Vol.20, No.6(1974年4月号)に載ってると書いてあるのでチェックしたら確かに「The Vilvorde Humanoid」と題する記事がある。今回はめんどくさかったンでコッチまで読んでないが興味のある方はあたってみるとよろしかろう。

*なお蛇足ながら、このFSRという雑誌はバックナンバーを地道に読んでいけばイロイロと面白い事件に出会えるのではないかといつも思う。言うだけで全然ヤル気はないのだがw
■「奇妙な論理Ⅱ」幻の第4章 その3
この序文の最初のほうで、セイヤーはフォートについてこう書いている。「・・・タイプライターを打つ両手は抱腹絶倒ネタの源だ・・・彼は相手を怒鳴りつけ、真面目な先生方の偉そうな態度にはバカ笑い。彼らの失敗に嘲笑を浴びせ、その矛盾には大笑い。読者のことをクスクス笑い、記者連中に忍び笑いを向ける。こんなことに取り組んでいる自分自身をも嗤って、書評をみてはニヤリと笑う。挙げ句の果てに、私が実際にフォーティアン協会を組織したときにはご苦労様なことだと大笑いしたのだった」
「・・・チャールズ・フォートはこれ以上なく素晴らしい『ユーモアのセンス』の持ち主であり、そのユーモアは思慮深い人間が人生をどうにかこうにか耐え抜いていけるようにしてくれるものだ。これは彼の著作を読むときに決して忘れてはならないことであって、そこを忘れてしまったら、あなたは彼の策にハマることになる。彼は時にあなたを激怒させることがあるだろうが、そんなときは思い出してほしい。彼はわざと怒らせようとしているのであって、あなたが激昂したまさにその瞬間、彼は顔を上げてあなたをおちょくるポースをとっているのだ・・・」
となると、こういう問いを発する人がいるかもしれない。もしフォートが自らの仮説を信じていなかったとすると、なぜ彼は26年もの年月を、彼自身「つまらない作業」と表現したことのある仕事――つまりロンドン・デイリーメールの25年分の記事を調べるという仕事に費やしたのか。その答えは、フォートの狂気の背後には傍目にみえる以上の大きな意味が潜んでいるから、ということになる。
フォートはヘーゲル主義者だった。詰まるところ、存在というのは統一体である(ここでいう存在というのは、我々が観察可能な宇宙にとどまらず、およそ存在している万物という意味である)。「すべての根底にある統一体」「すべてが互いに通い合うネットワーク」というものは現にあり、それはすべてを結びつけている。彼はこう記している。「我々すべては虫やネズミ [訳注:卑称なものの比喩] であって、全てを包含しているチーズ [訳注:大いなる統一体の比喩] の異なる表現に過ぎない」。フォートは宗教的な人間ではなかったが、万物のよりあつまった総体が知性をもつ有機体である可能性を認めていた。それを神と呼んでも何ら差し障りはない。「おそらく神は――あるいは『それ』と呼ぶべきかもしれないが――彗星を垂れ流し、地震を闇雲に吐き出すような存在かもしれない・・・」
つまり、究極の現実・真実というものはあるのだが、我々「小さな虫やネズミ」には、砕けた光、半分の真実、幻の現実が見えるだけである。あらゆるものは「ハイフンで結ばれた存在状態」にある。フォートは「現実的-非現実的」「ありそう-ありそうもない」「善-悪」「物質的-非物質的」「可溶性-不溶性」といった形容詞をたゆまず用い続けた。あらゆるものは互いに連続しあっているから、真実と虚構の境界にラインを引くようなことはできない。科学が「赤いものは受容するけれども黄色いものは排除する」となったとき、オレンジはどこに分類すればいいのだろう? 同様にして、科学が正しいとして受け入れているものに誤りを含まないものはなく、科学が切り捨てたものの中にも必ず何らかの真実が含まれている。
この「万物は連続している」ということについて沈思熟考した末に、フォートは徹底した懐疑主義へと到達した。「他に抜きん出て勝るものナシ」という信条を掲げた古代ギリシャの懐疑主義者たちと同様に(ちなみにこの信条は「特定の信仰が他に比べてより真実である」といった考えを否定したものである)フォートは何ものをも受け入れなかった。彼はこう記した。「獅子座が形作る大鎌は、巨大な疑問符のように天空に輝いている・・・事が何であれ答えを知っている者など誰もいない」。そしてまたこう言う。「私は何も信じない。太古から岩のように固まってきた知恵や、偉大だとされてきた古今の教師たちに対して私はずっと距離を置いてきた。おそらくはそうやって孤独に身を置いてきたために、他者を歓待する私の流儀は奇妙なものになってしまったのかもしれない。玄関口にやってきたキリストやアインシュタインの面前ではドアを閉めるけれども、裏口にやってきた小さなカエルたちやヤドカリには歓迎の手を差しのべるのだ」
フォートは「自分が書いたものは自分でも全く信じていない」と書いたが、ここで頭に入れておくべき重要なことがある。それは、彼は自らが読んだものも一切信じることがなかったということだ。「私は・・・ハッキリいってこの本に書いたこと全てはフィクションとしてお示ししている」。彼は『ワイルド・タレント』でそう述べているが、これに付け加えてすぐさまこう記した。これがフィクションだというのは、ニュートンの『プリンキピア』、ダーウィンの『種の起源』、数学の定理だとか、印刷されたありとあらゆるアメリカ史がフィクションだというのと同じ意味で言っているのだ、と!
フォートはすべてを疑った。その懐疑は自らの思索にも及んだ。が、彼の熱心な信奉者たちは、フォートは巷間言われているような「科学への敵対者」ではなく、知識の儚さを忘れてしまった科学者に対してのみ敵対したのだと主張した。彼らはフォート主義の健全で健康的な側面を強調している。確かに疑いのない科学理論などありえないというのは本当のことだ。あらゆる科学的「事実」が、新たな「データ」が出てくるたびに不断の修正に晒されるというのも事実である。科学者を名乗るものでそれを否定する者はいない。しかし、同じ科学理論といっても、高い確証を得られるもの・得られないものと様々あるのもまた事実。フォートはこの基本的な事実を見ようとしなかった――あるいは気がつかないふりをした。そしてこうやって見逃すことこそがフォート主義の欺瞞的で不健全な側面なのだった。もしベーカー街遊撃隊 [訳注:シャーロキアン団体] のメンバーが「シャーロック・ホームズは実在する」と考え始めたら、健全なる楽しみは消え去ってしまうだろう。同様にして、フィーティアンが「あらゆる科学理論は等しく馬鹿げている」と本気で信じるようになったら、この団体の豊かなユーモアは無知な冷笑に取って代わられてしまう。
フォート自身、あらゆるものは連続的であるとしつつ、不連続というものがあることも認めていた。彼はこれを一風変わった言い方で表現している。彼が言うには、或る微少な生命体が動物なのか植物なのかを判定するのは不可能だが、かといってカバとスミレのような極端な対比においては両者の判別が不可能というわけではない。「誰だって敬意を表するためにカバを束にして送ろうとはしない」。そこまで認めたのなら、真実である確率が高い理論と、それがとても低い理論との間にも同様にラインを引くことができようものだが、どうやらフォートの頭にそんな考えは浮かばなかったようだ。
この問題はより突っ込んで考える必要がある。何故なら、それは本書の内容すべてにかかわる大きな意味を持っているからだ。仮に我々が真実と虚偽、科学と疑似科学を区別できないのだとしたら、この本はニュートンやダーウィンのような人について書かれた [フォート言うところのフィクション] ものと変わらないのかもしれない。ひとかどのファーティアンであれば「当然だ!」というところだろう。だが、「我々には区別ができる」というのは明白な事実だ。当然ながら「黄色と赤の間のオレンジ」のようにボーダーラインについての事例はとても多く、或る理論がちゃんとしたものか・まがい物か、正気なのか狂気なのか、我々がハッキリ言えないケースはある。だが極端な場合、たとえばカバとスミレのようなケースを考えれば、我々はアインシュタインの仕事の科学的価値とヴェリコフスキーの貢献度といったものをちゃんと区別できる。アインシュタインが間違っている可能性もあるし、ヴェリコフスキーが正しいわずかな可能性(その可能性はほとんどゼロなのだが)もあるにはある。しかし、連続体の両端が極端に離れている以上、一方を科学者、もう一方をニセ科学者と分類しても我々がとがめられることはない。
フォート自身、この線引きは可能だということは分かっていたに違いない。彼は本の中で、なぜ自分はサンタクロースを無視したかについて慎重に説明している。彼はこう書いている。「私はデータ、あるいはデータと称されるものにはうるさい。そして私は、雪の上、家の屋根、それから煙突へと続く不思議な足跡の記録(ないしは記録と称するもの)には出くわしたことがないのだ・・・」。かくして、データの不在がサンタクロース実在の可能性に影響を与えたことは明らかで、フォートはそれを踏まえてサンタクロースを敢えて「閉め出した」のだった。(つづく)
■「奇妙な論理Ⅱ」幻の第4章 その2
フォートが示唆するところでは、地球は総じていえばずっと静止しているものである。「それは回転するには回転しているのだろうが、その回転というのは1年かそこらで一周する公転である。誰もがそうだろうが、何が合理性を成り立たせているのかについては私なりの考えがある。それが私の考える [論敵との間の] 妥協案ということになる」。彼は、フーコーの振子のような、地球が毎日自転していることを示す伝統的な「証拠」に対してかなり詳しく反論を加えている。
時は来たれりスローガンは響く――空へ向かおう!星々への旅。あふれる冒険者――映画ニュース――広報係やインタビュー――リラ星に向かう男は持っていくタバコの銘柄を広告することで経費を節約する。そして、そうしたすべてはごくありふれたものとなる。おうし座とオリオン座への個人ツアー。ベガ星の近くでの夏休み。「僕の父親が言うには、月に行く前には遺言を書いていくという時代があった」「それでも、昔の空にはどこか穏やかなものがあった。口紅や席巻、水着の看板なんてものを見上げているとだんだんイライラしてくる」
タンパク質でできた海、ないしは孵化中の卵の如きもの(そのプロセスで地球は発達の一つの中心となる)を流れる血の川。ジェネシストリンには超動脈があるということ。夕焼けはすなわちそれらの意識であるということ。それらは時に空をオーロラで染めるということ・・・あるいは太陽系全体が生きた存在であるということ。つまりこの地上に降り注ぐ血の雨は、その体内からの出血だということ——あるいは海に巨大な生物が存在するのと同じように、空に巨大な生物がいるということ――あるいは特別な何か・特別な時間・特別な場所があるということ。ブルックリン橋ほどの大きさの何かが宇宙空間で生きているが、セントラルパークほどの大きさの何かがそれを殺してしまう——かくて血はしたたり落ちる。
ティファニー・セイヤーはその辺のことを知っていて当然の人物であるが、彼はフォートの四冊の著作を収録した1941年版の単行本の序文で、明確な回答を示している。「長年にわたり彼と親交のあった者として、このように断言しても私は許されることだろう。彼はそのようなことを一切信じていなかった。……チャールズ・フォートは決して偏屈者ではなかった。彼は自らの驚くべき『仮説』を1ミリも信じていなかった。道理のわかった大人が彼の文章を読めば分かるように。彼は自らの主張を冗談めかして提示したのだ――エホバがカモノハシを、そしておそらくは人間を創造したように……」
(つづく)
■スパイス・パクチー・ラー麺@卍力 西葛西店
■謹賀新年
■『The Field Guide To Extraterrestrials』落ち穂拾い⑩(おしまい)
■1986年5月29日 アルゼンチン ラ・パンパ州サンタローサ 目撃者:オスカル・アルベルト・フロレス
家の外から犬の鳴き声とブンブンいう大きな音が聞こえてきたので目を覚ましたフロレス(28歳)は、寝室の窓を開けて外を見た。すると木々の梢の上方に浮かんでいる物体があった。そこでふと振り向いた彼は、寝室のドアのところに何者かが2体立っているのを見た。
その存在は身長8フィートほど。手は長細く、指は3本だったが真ん中の指が一番長かった。鼻、口、耳がないこともあってか、その顔は無表情だった。目は小さくて黒っぽかった。足はベッドに遮られてよく見えなかった。
その存在はピッタリした銀色の上着を着ており、アクセサリーを下げたベルト、大きいメダルのついたネックレスを身につけていた。彼らはずっと身振り手振りで何かを伝えようとしていたが、フロレスには全く意味がわからなかった。
それから彼らは、出現した時と同様に突然消え去った。フロレスはすぐ外に出たが、ボール状の物体が南を指して飛んでいくのが見えた。それから彼はこの出来事を通報するため警察署に行った。フロレスはこの遭遇体験のあと顔の皮がむけたと主張している。彼の両親、友人はいずれもこののち彼の性格が変わってしまったことに気づいた。外向的だった彼は、心配性の内向的な性格になってしまったのである。
SOURCE: Fabio Picasso, "Infrequent Types of South American Humanoids: Part 1,"Strange Magazine, no. 8 (fall 1991): pp. 21-23, 44.
ということで閑古鳥の鳴く当ブログも本年はこれで店じまいです。それでは皆様も良いお年をお迎えください。
■『The Field Guide To Extraterrestrials』落ち穂拾い⑨
■1979年11月9日 スコットランド・ロージアン地方のリビングストン 目撃者:ボブ・テイラー
目撃者は61歳の森林作業監督官。ピックアップトラックで林地に乗り入れた彼は、木々の状態をチェックすべく新しいハイウェイの近くにある空き地に向け犬を連れて歩き出した。空き地に着いたのは午前10時半ごろだったが、そこで彼は灰色をした球体が地上に浮かんでいるのを目撃した。周囲にはへり状のものがついていて、その上には小さな窓が幾つかあった。テイラーは細部をよく見ようとしたが、その物体になかなかピントが合わない感じがした。目撃者が言うには物体は自らカモフラージュをしているかのようだった。
すると突然、その乗り物からビーチボール大の物体が2つ、すごい勢いで転がり出て、ザーッというような音を立てながらテイラーの方に向かってきた。テイラーの証言によると、その「ブツ」は「機雷」のように見え、「足」が6本出ていた。「機雷」はあっという間に彼の足下まで来た。とてもキツい刺激臭がし、そこで彼は意識を失ってしまった。
20分ほどして意識が戻ると、飼い犬が吠えているのが聞こえた。目撃者は濡れた地面に横たわった状態で、アゴはヒリヒリし、左の太ももには痒みがあった。二つの「ブツ」と物体は見当たらなかった。テイラーは脱力感と吐き気を感じ、ノドには焼けるような痛みを感じた。彼はどうにかこうにかトラックのところに戻り、無線で助けを呼ぼうとしたがつながらなかった。そこでクルマに乗っていこうとしたが、体が思うように動かなかったせいか、トラックはすぐさま泥にはまってしまった。最終的に彼はよろめきながら歩いて家に帰り着いた。出迎えた妻によれば、彼は疲れ果て汚れきった状態だった。そのズボンは引き裂かれていた。
テイラーは医師の診察を受けたが、一方で警察はこれを暴行事件とみて徹底的な犯罪捜査を開始した。現場では地面に走る線のほか、重量物が残したと考えられるギザギザ、トゲのついたボールがテイラーを「襲った」時にできた穴が見つかった。
懐疑論者の中には、テイラーは球電に遭遇したのではないかという者もいた。しかし目撃者を知る人々は、彼は誠実な人間だと証言し、これを自然現象だという説明を否定している。
SOURCE: Peter Jordan, "UFO Assault in
Scotland," Fate (June 1983): pp.68-74.
【コメント】たまたま先週テレ東で放送されたモキュメンタリー『UFO山』の作中でUFO研究家がこの事件に論及するシーンがあったばかりだが、この通称「ロバート・テイラー事件」ないし「リビングストン事件」は警察が調査に入った希有な事例として有名であるらしい(ただし傷害事件の疑いなのであるが)。ついでに想像図と現地に設置されているという記念碑の銘板の写真(redditの記事より)も貼っておこう。
しかしETのイラスト集という触れ込みで刊行されたこの本にコレを掲載するのは些かムリがあるだろう。どうみても機械だろコレはw

■太肉麺@桂花ラーメン末広店
■『The Field Guide To Extraterrestrials』落ち穂拾い⑧
■1977年1月27日 ケンタッキー州プロスペクト 目撃者:リー・パリッシュ
ジープを運転して帰宅する途中の午前1時5分、19歳の目撃者は樹木の上に火のような色をした四角いUFOがいるのを見た。それは高さ約10フィートで、幅は40フィートほどもあった。すると突然、ジープは何者かにコントロールを奪われたかのように動き出し、ラジオも音がしなくなった。パリッシュが記憶しているのは、どの時点のことかはハッキリしないが自分が無音で浮かぶUFOの下にいたこと、そしてその乗り物が飛び去っていくのを見ていたことだけだった。ふだんなら自宅には7分で着くはずだったが、実際に着いたのはそれより35分も遅い時刻だった。
やがて催眠術をうけたパリッシュは、自分がわずらっていた目の痛みがどこから来ていたのかを悟った。それはUFOを目にしたせいだった。UFOの下にあったジープは空中に吊り上げられ、クルマのドアを開けてもいないのに、パリッシュは円形で大きな部屋の中へと強制移動されていた。
その部屋には機械のようなものが3体いた。一番大きいのは高さ20フィートほどで色は黒かった。その姿は墓石のようで、小さくてのっぺりした「頭」がついていた。「肌」はところどころザラついていたが、その他の部分は滑らかだった。関節が一つある「腕」が一本ついていたが、手はついていなかった。
一番ちいさいモノは身長6フィート弱で色は赤く、コークの自販機のように四角かった。これも手のついていない「腕」を一本持っていたが、こちらには関節はなかった。パリッシュはその存在がなんだか怯えているような気がしたが、ともかくそれはゆっくりと近寄ってきて彼の頭と肩に触れた。その際にはチクッと刺されるような冷たい感じがした。彼は後になってあれは身体検査だったのだろうと解釈するにいたった。
第三の機械体は色が白く、高さは6フィート。他のものより塊感が強かった。三角形の「頭」がついていて、「腕」は2本あったが、その腕を使ったりはしなかった。これは白くてまばゆい感じだったが、他と違って唯一音をたてた。それは歯磨きをするときの音のようだった。パリッシュは「これがこいつらのリーダーだ」という印象をもった。
それから3体は一つのものに合体した。最初に一番小さいのが白いモノの背後に回り(あるいは融合したのかもしれないが)、それから白いモノは背の高い黒い存在の背後に回り(あるいは融合して)見えなくなった。黒い存在は後ずさりしていったが、そのときパリッシュは温度が高くなっているような気がした。そのとき突然黒い存在が消失し、気づけばパリッシュはジープの中に戻っていたが、この存在たちはいつかまた接触してくるだろうという気がした。事件の調査者たちは目撃者の誠実さは折り紙付きだとしている。
なおこれと同様な「四角い搭乗者」は以前にも報告されたことがあり、一例としては1968年9月にブラジルで早朝に起きたUFO遭遇事件がある。
SOURCE: Carla L. Rueckert, "Kentucky
Close Encounter," Flying Saucer Review 23, no. 3
(October 1977): pp. 15-16, 19.
【コメント】これは「ケンタッキー版ぬりかべ」とでも言いたい案件である(イヤこういうのはぬりかべではないという「ぬりかべ警察」の抗議はこのさい黙殺したい)。ソースは例によってFSR。短いので全3ページを以下に添付。
■『The Field Guide To Extraterrestrials』落ち穂拾い⑦
■1975年夏 コロラド州ラ・フンタ 目撃者:ジェイミー・W
時刻は朝の8時頃。空は鮮やかなまでに青く、雲一つなかった。ジェイミー・Wと妻はフォルクスワーゲンに乗り、ボールダーから住まいのあるコロラド州ラマーへと向かっていた。ハイウェイに他のクルマは一台も走っていなかった。するとその時、彼らは道路の左側に何かがいることに気づいた。高度350フィートのあたりに、ドーナツを引き延ばしたような形の物体があった。実際のところ彼らはその穴を通して向こう側の空を見ることができた。大きさはフットボール場の半分ほどもあって、ピカピカに磨き上げられた金属製のように見えた。

2人はクルマを路肩に停めたが、そこには有刺鉄線のフェンスがあったためそれより近くにはいけなかった。彼らはそこで物体を30分から45分ほどにわたって観察した。ジェイミーは、自分たちの見ているものが何であるかはともかく、向こう側からも自分たちは見られているという気がした。そこで彼女は心の中で「私の名前はジェイミー。この星にようこそ」と歓迎の言葉を贈った。すると突然、東のほうに白くて小さな雲が3、4個湧き上がって西の方に向かっていった。さらにこれとは別に巨大な雲が一つ出現し、前の方にやってきたかと思うと金属製の物体を覆ってしまった。この雲がいってしまうと、例の穴の空いた物体の姿は見えなくなっていた。それから2人は再びラマーに向けてクルマを発進させたが、奇妙なことにふだんは異常なほど騒がしいタイプのジェイミーが、この時はおそろしく落ち着いて穏やかな気持ちになっていた。
それから何年かたって、催眠術の施術を受けていたジェイミーは、当時のことを思い出した。その物体を見た途端、自分はそこまで走っていこうとしたのだったが、夫はクルマを離れるなと言った。その後のことも彼女は突然思い出した。自分はその物体の中にいて、そこで2体の存在に暖かく迎えられていた。1人は男性、もう1人は女性。見たところ彼らは「北欧系」のようだった。彼らは長身で背丈は6.5フィートほど。やせていて美しかった。髪の毛は長くブロンドで、まつげも金色だった。ジェイミーによれば、その肌は真っ白でほとんど透明に見えるほどだった。2人は青いジャンプスーツを着ていたが、男性のほうは銀色のベルトをしていた。
ジェイミーはその船を立ち去りたくはなかったが、あなたはもう行かねばなりませんと言われた。すると突然、彼女は自分がクルマの中に戻っているのに気づいたが、「彼らの平和のメッセージを伝えねば」という思いを固めていたという。
SOURCE: Interview by tht author, July 10, 1987. Laramie, Wyoming.
■『The Field Guide To Extraterrestrials』落ち穂拾い⑥
■1974年10月27日 イングランド・エセックス州アヴェリー 目撃者:ジョン・デイ、スー・デイ夫妻とその子供たち(ケヴィン、カレン、スチュアート)

デイ家の人々は親戚の家からクルマで帰宅する途中だった。子供二人は後部座席で寝ており、もう一人の子供で最年長のケヴィンはラジオを聴いていた。そのとき、青くて楕円形をした光が現れたことに彼らは気づいた。それは最初クルマと一緒に動いてきたが、それから前方へと回り込んだ。時間は午後10時10分。場所は家の近くだった。その光体は道路右側の丈の高い茂みの向こうへと消えた。
しかし一家は突如ただならぬ事態が起きていることに気づいた。クルマが立てていたエンジン音は止まり、ラジオはパチパチいう音をたてながら煙を上げ始めた。さらに彼らは前方の路上に緑色をした霧が塊状になっているのを目にしたが、その直後にヘッドライトは消えた。クルマはガタゴトと動き出して霧の中へと入っていくように見えたが、一瞬音が絶えて寒くなったかと思うと、クルマは霧の外へと出ていた。数分後、彼らは自宅に着いた。しかし時間は午前1時で、到着しているべき時刻からはほとんど3時間ほども遅れていた。
3年後に催眠術の施術を受けた際、ジョン・デイは、緑色の霧に包まれてからのことを思い出した。一家とそのクルマは、円柱状の光で乗り物の中へと運び上げられた。そこで彼らは、身長4フィートほどでゆったりとしたガウンを着た生物2体に身体検査をされた。その生物たちは首がなく少し前屈みで、目は三角形。大きな耳は先が尖っていて、顔は動物のようだった。体のみえる部分は短い毛で覆われており、手にはかぎ爪状の指が4本あった。その生物たちは時折チューチューいう音を立てた。
この生物たちは同乗していた別の種族に隷従しているようだったが、その種族というのは身長6.5フィートほどで、頭をフードですっぽりと覆い、両手も全部隠れる衣服を着ていた。その口と耳は見えなかったが、唯一目がピンク色をしていることを除けば見た目はほとんど人間と変わらなかった。この背の高い方が全体を支配しているということらしく、ジョンとスーに三層になっている乗り物の内部を案内した。そうやって中を回っている最中、彼らはこの船の推進システムについても説明をした。彼らはさらにホログラフィの映像も見せてくれたが、そこには汚染によってこのエイリアンたちの母星が破壊された様子も描かれていた。
SOURCE: Andrew Collins, "The Aveley Abduction," Flying Saucer Review 23, no. 6 (April 1 978): pp. 13-25; 24, no.1 (June 1978): pp. 5-15.
なお、FSRの記事だとこの夫妻は「John & Elaine Avis」となっているのだが、これはプライバシー保護のため使われた仮名で、この本に記載された「John & Sue Day」が正しいということのようだ(ちなみに子供の名前はKevin、Karen、Stuartでともに一致している)
しかしこの毛だらけモンスター、ナリはゴツいけれども体ちっこいし三下扱いされとるしちょっと侘しい。





■『The Field Guide To Extraterrestrials』落ち穂拾い⑤

或る金曜日、ボルチモア大学で法学の講義に出たあと、午後7時に友人と会う約束のあった目撃者はオルニーへと向かっていた。ボルチモアを出発して15マイルほど行った辺りで左側を見やったシアは、自分のクルマから150フィートほど離れたところにある納屋にビーム状の光が当たるのを見た。空中には巨大な物体が浮かんでおり、その周囲には赤と黄色に交互に色を変えるリングがついていた。それはベトナムから復員してきた彼にとっても未だかつて目にしたことがないものだった。クルマの窓は開いていたが、音は全く聞こえなかった。
【コメント】イラストはアリみたいになっているが、ヘルメットをかぶっているし見かけはバッタのようだったというからむしろ「仮面ライダー」風だったのではなかろうか。もっとも「脚はサルのそれのように曲がっていた」というから要するにガニ股だったのである。ダサい仮面ライダーである。










