さて、本日9月16日に安倍内閣は総辞職し、菅政権がスタートする。

そんなタイミングにあわせてということなのだろう、本日の天声人語は安倍政治の総括のようなことを書いている。

オレなりにまとめると、「経済政策はまずまず良かった。だが、モリカケなどの疑惑については全部誤魔化して国民が忘れるのを待つ、という姑息な手段をとってきた。なんとも酷い政権であった」といった内容である。

まぁ基本的には正しい認識だと思うのだが、一番最後のところまで読んで「ん?」と思った。


▼それでも支持は離れないだろうとおごり、世論とはそんなものだと高をくくる。安倍政権の姿を、菅政権は継承するのだろうか。


いや、「世論とはそんなものだと高をくくる」とか言われても、実際、世論はこの間ずっと安倍政権を容認してきたではないか。どんな悪辣なことをしようが選挙をすれば自民党は連戦連勝だったわけで「それでも支持は離れなかった」し、「世論とはそんなもの」だったのである。

いちおう民主主義のタテマエからいえば、選挙で勝てば「あぁ、モリカケなんてものは選挙民は大して気にしてないんだ」と考えても別に間違いではない。それを「おごり」だとか「高をくくる」とか批判されても自民党としては困ってしまう。「だって自民党勝ったでしょ?」てなもんだ。だとすれば、天声人語がここで批判するべきは「そんな自民党に平気で票を入れてしまうアホな国民」だったのである。

だが、およそ朝日新聞というのは「庶民大衆というのは権力者によって抑圧されているかわいそうな人びと」というステレオタイプをもっているので、「大衆はバカだ」ということをよう言わん。安倍がどんなヘタを打ってもここまで政権を続けてこられたのは、要するに大衆がアホだったからである。それを言わずして、安倍が「おごっている」とか言ってもムダである。結果、今回も残念ながらまったく説得力のないコラムになってしまった。言うまでもなく、菅政権はそんな「安倍政権の姿勢」を継承するのである。

IMG_6088


【追記】
と言っていたら、発足したばかりの菅内閣の支持率は74%だったそうだ(日経新聞の世論調査)。愚昧な国民はこうやって自公永久独裁政権をずっと支持し続けていくのであろう(笑




mixiチェック




くみ取り式のトイレに入っている。気がつくと便器のあたりが四角いシートのようなもので塞がれている。その「シート」の右側のすきまから手が二つ出てきて、窓をあけるような感じでシートを左側に押し開けた。誰かがその暗闇に横たわった状態で潜んでいるらしい。

必死でそいつを踏みつけようとしたが手応えがない。ギャーッと夢の中で叫んだところで目が覚めた。


【感想】

なんだか意味がよくわからなかった。出現した手にはえていた「爪」が何故か印象に残っている。とても怖かった。


 
mixiチェック

日本のUFO研究の草分け的存在として荒井欣一(1923-2002)という人がいたことはUFOファンなら誰でもご承知であろうが、この方の蔵書類は、福島市にある「UFOふれあい館」に寄贈されたという話になっている。ふるさと創生1億円で作られたという、なかなかにキッチュでオレの大好きな施設である。

もちろん荒井氏の蔵書の全部が全部ここに移管されたとも限らず、誰かが何十冊だか何百冊だか本棚から引っこ抜いていったようなこともありえないではない。それでも、彼がどんなUFO本を集めていたかということは、この「UFOふれあい館」のコレクションを瞥見すればだいたいの傾向がわかるのではないか。1940年代以降の日本のユーフォロジーの保守本流がどんな問題意識に支えられていたか。そのあたりを考えるヒントになると思うのである。

さて、そういうUFOファンのニーズを汲み取って頂いたのかどうかはよくわからんが、この「UFOふれあい館」では先に和書のUFO蔵書リストを作成し、ネット上に公開していたりするのだが、今回はその洋書バージョンを作ったということで、そちらのリストもネット上にアップして下さっている(→この辺から入っていけます)。

現時点で226点リスト化されていて、先に書いたように冊数的には「なんかもっとあって然るべきだよなあ」という気がしないでもないのだが、ともかくオレ視点でこのリストを眺めてみると、ツイッターでもちょっと触れた話ではあるけれども、若干思うことがあった。

■ジャック・ヴァレの本が意外に少ない

 「世界でも3本の指に入るUFO研究者」とも言われているのがジャック・ヴァレである(ちなみにそう言っているのはオレなんだけどサw)。彼のUFO関係の単著というのはUFO日記シリーズみたいなのも入れると10数冊あるンだけど、ザッと調べてみると、このリスト中にある彼の単著は4冊だけ。具体的にいうと以下の4冊である。

・Anatomy of a phenomenon
・Challenge to Science: The UFO Enigma
・The Invisible College
・Messengers of Deception


 これはどういうことかとオレも考えてみたんだが、たぶん荒井さんはヴァレがあんまりお好きでなかったのであろう。というのも、ヴァレは「UFOは宇宙から来てるわけじゃないから。妖精とかああいうのと同じで、人間は大昔からそういう光る不思議なものをずっと見てきたんだよね。それって別に宇宙とか関係ないんだよね」という事を主張している人である。然るに荒井さんなんかは「やっぱ連中は宇宙から来てるんじゃネ?」というのが問題意識の核にある。だからこそ、あんまりお気に召さなかったのであろう。

 実際、リストにあるヴァレの単著4冊のうち2冊はヴァレが若い頃に出した「Anatomy of a phenomenon」と「Challenge to Science: The UFO Enigma」なんだが、この2冊というのは、実はヴァレがまだ「UFO=宇宙船仮説」に未練をもっていた時代の本なのである。「妖精」とか何とか言い出す前のヴァレにはまだ関心があったけど――そういうことではなかったのだろうか。

■ジョン・キールの本がない?

 「UFOというのは宇宙船などではない。何かもっと超自然的な不思議な現象と考えねばならない」というような事を主張して、或る意味でヴァレに近い主張を繰り広げていたのがジョン・キールであるが、洋書のリストをザッとみた限りでは彼の本は1冊もない。これもやはりUFO=宇宙人説にこだわりたかった荒井さん的には「どうでもいいヤツ」という烙印を押されてしまったのではあるまいか、という気がしないでもない。しかし1冊もないというのはどうなのか。オレの中ではけっこうなナゾである。


とまれ、オレなんかにはよく正体のわからない人の本なんかも結構ある。また行く機会があったら、ちょっと閲覧させてもらおうかなぁなどと考えている。

mixiチェック



海辺で釣りをしている。釣り竿にはエサをつけておらず、「釣りには練り餌が必要なのではないか? おかしいなァ」と夢の中でも思っている。だが、それでも何故か釣れている。

最初に釣れた2尾はたいして珍しい魚ではなかったような気がする。が、3尾目は「ハコフグ」だった。

このフグはビニール製のポーチに入っていて、そのポーチごと釣り上げたようだ。家族は4人なので(これは現実世界でもそうである)「みんなにいきわたるように、何とかもう1尾釣りたいなあ」と思っている。だが、なかなか釣れない。




【感想】

ユングが人間の心理的機能を「思考」「感情」「感覚」「直感」の4種に分けているのは有名な話だが、そういえば確かユングは「4」という数字には「精神の全体性」「統合された精神」といったシンボリズムがあるような事を言っていた記憶がある。だとすれば、この「手に入れることができない4尾目の魚」というのは、自分のこころにおける何らかの「欠落」を意味しているのかもしれない。

むろん、「エサなしの釣りで3尾の魚を得た」というところにはポジティブなニュアンスが感じられる。「自分はこれまでさほどの代償を払うことなくそれなりの成果を挙げてきた」という、一種の自己肯定の意識を反映しているのかもしれない。とりわけハコフグというのは、毒をもっているけれども高級魚である。「ポーチに入った状態で」というのは、危険だけれどもその危険を巧妙に回避しつつ貴重なものを手にいれることができた――という意味か。

ただ、最後のピースとしての4番目は得られていない。それは何なのか。どうすれば手に入れることができるのか。その辺が初老の域に入りつつあるオレにとっての人生の「宿題」というものなのかもしれない。
mixiチェック

怪奇現象蒐集家であるチャールズ・フォートの伝説の名著『呪われた者の書 The Book Of The Damned』――オレ的には『呪われしものの書』と言ってみたいのであるが――の邦訳が国書刊行会から近々出る、というウワサを数年前に聞いた。が、そんな話を聞いてからもうずいぶん経つのに全然出る気配がない。

この本、原著でなんとか読もうと試みたこともあるのだが、オレの英語力では全く刃が立たなかった。だから翻訳で出してもらわないとどうしようもないのである。何とも困ったものだ。

というワケで、今回は搦め手で「フォートの伝記」を探してみた。フォートの本は一冊も読んでいないけれども、あわよくば適当な本を読んで「フォート通」のフリしてみてえな、という横着な作戦である。以下、フォートの主な評伝(と思しき作品)についての備忘録と考えていただきたい。

*もっとも以下の備忘録、実際にはAmazonで検索してAmazonレビューなどを30分ぐらいザッと斜め読みして書いたものなので、けっこうテキトーである(たぶん)。ご注意されたい。


■デイモン・ナイト Damon Knight 著
Charles Fort: Prophet of the Unexplained(1970) 

Charles Fort: Prophet of the Unexplained
Knight, Damon
Littlehampton Book Services Ltd
1971-03-04

コメント:ググってみると、どうやらこの本はフォートの評伝本の「古典」みたいな位置づけになっているらしい。たまたまAmazonに唯一アップされとるレビューを読むと、「著者はヴェリコフスキーを評価しとるようなこと書いてるし、そういうスタンスじゃダメじゃん。でもまぁ面白いから許す」みたいな感じである。ちょっと「フォートに甘い」本なのだろうが、けっこうイイ本なのかもしれない。あと、これは余談だが、同じタイトルの「Fort: Prophet of the Unexplained」という本もあるようだ。こちらはフォートが登場するフィクションのコミック本で、このナイトの本とは全く関係ないらしい。紛らわしい。


■コリン・ベネット Colin Bennett 著
Politics of the Imagination: The Life, Work and Ideas of Charles Fort  (2002)

コメント:どこが主催してるのかは知らんが、「Anomalist Award for Best Biography in 2002」という賞を取った本だそうだ。ジョン・キールが序文を書いている。著者のベネットさんは「Looking for Orthon: The Story of George Adamski」というジョージ・アダムスキの評伝も書いてる人で、そっち方面ではなかなかの書き手なのだろう。Amazonのレビューでも総じて評価が高い。だが、一部に「この本はベネットが自分語りばっかしていて、フォートのことをちゃんと論じてないではないか。デイモン・ナイトの本(前出)に劣るナ」みたいな書き込みもあって、オーソドクスな評伝ではないのかもしれない。


■ジム・スタインマイア- Jim Steinmeyer 著
Charles Fort: The Man Who Invented the Supernatural Paperback(2007)

コメント:これもAmazonのページでチェックしただけだが、著者は手品の歴史の研究者であるらしい。先のデイモン・ナイトのとは違って、別に「フォート素晴らしい、フォートバンザイ!」みたいな意図はないようだ。かなり冷静・客観的な筆致ということなのだろう。評点も高いし、これもなかなか良さげである。




ということで、何とかこういう本を読んでみたいなぁとは思うのであるが、実はオレは英語の本を読むのに凄い労力を必要とするので、たぶん読まないで終わってしまう可能性が高い。英語の達者な方は実際に読んでみて、どんなことが書いてあるのがこっそりオレに教えてほしい。







mixiチェック

愛車インプレッサの荷室には、左右サイドに「買い物フック」というのがついている。要するに、コンビニ袋みたいなものをひっかけて転倒しないようにするためのフックなのだが、なんだか形状的に「ひっかかりにくい」。

なんか設計的におかしいのではないかと思っていたのだが、クルマ関係の投稿サイト「みんカラ」でのびぃ27という方がそのあたりについて触れていてなんとなくギモンが解けた(この方のクルマはフォレスターのようなのだが、買い物フックの形状はインプレッサと同一のようである)。なので、以下、のびぃさんのお写真をお借りしてのメモ。


ce290e463f4a13bfbf903544ce45de
この丸っこいのが「買い物フック」。上半分が空いているので「そこに引っかけて下さい」という設計のようなのだが、引っかけ部分が浅いのですぐ外れてしまう。


e5c9aa88f1428396c09352d7e54aa3
で、のびぃさんは、コンビニ袋などはこのように取り付ければいいのではないか、という。要するに持ち手部分を穴の中に突っ込み、上から引き出して輪っかの下部分に引っかける。ひと手間かかるのはやはり設計上のミスではないかと思うのだが、仕方がないのでしばらくこの方法で様子をみてみたい。


【追記】

その後、やっぱりこういう穴にコンビニ袋の持ち手を突っ込んでいちいち縛るというのは面倒くさいという結論に達した。なので、ダイソーで買ってきた「ストッパー付で外れないS字フック」というのを取り付け、ここにコンビニ袋など引っかけることにした。あんまりスマートではないが、スバルの設計者がミスをしちまった以上、しかたあるまい(笑)。

IMG_6068



mixiチェック

もともと「UFOがどうこう」だとかそういうネタばっかり書いているこのブログであるから、もとより来訪者がやってくることなど殆ど期待してはいない。

それでも時として意外なリアクションというものがあるにはあって、例えばオレは朝日新聞に不定期連載されていた「アロハで田植えしてみました」「アロハで猟師してみました」という所謂「アロハ記者シリーズ」が好きで、これをネタとしてツッコミを入れつつ感想を記すエントリーを何度か当ブログにも書いてきたのだったが、この5月、その書き手である朝日新聞記者・近藤康太郎氏とおぼしき人物からのコメントが当ブログに書き込まれていたのだった(よく見たら連絡先の記載があったので迷惑があってはイカンと思って今は非公開にしてある)。

要するに「ブログで意見を頂戴したお礼に新著を寄贈したいのですが」という話であり、つまり著者はエゴサの結果、こんな辺境ブログにまでやってきたということだったのであろう。オレとしては「おぉよくぞこんなトコまで!」&「好き勝手なこと書いてるのに何と殊勝な人なのだろう!」という驚きと若干の喜びとがあったのだけれどもよくよく考えると、その厚意に甘えたりすると、今後新シリーズが始まってまたネタにしようという時に批判の筆が鈍るオソレがある(笑)。

なので、今回は自腹でその本を買ってきて感想文を書こうと思った。さいきんようやく読み終わったので、以下、その「感想文」を記すことにした。で、その新著というのは『アロハで猟師、はじめました』である(たぶん)。

アロハで猟師、はじめました
近藤康太郎
河出書房新社
2020-05-23


一言でいうと、著者は洋楽やら文芸・思想に詳しい朝日新聞の名物記者である。だが愛社精神みたいなものは持ち合わせていないアウトローで(この辺に好感を抱く)、社外でのライター活動とかもとても大事にしている人らしい。で、そういう人間なので、「このご時世、好きなこと書いて生きていくためには会社から放り出されても最低限の食い扶持が確保されていたら安穏であろう」という発想から、長崎の田舎の支局長に転じたのを機に朝の1時間だけ野良仕事をして田んぼを作るというプロジェクトを開始する。彼はその後、異動で大分の田舎の支局に移るのだが、「狩猟もすればオカズもとれて宜しかろう」ということで、この間、鉄砲撃ちや罠猟の修行なども着々と進めていったのであった。

この間の出来事は順次朝日新聞の記事に連載され、オレもそれを読んできたのであるが、すべてを書き切ることもできないのでモノしたのがこの『アロハで猟師、はじめました』ということらしい。一言でいうと、この本は田舎暮らしでもとりわけその猟師仕事の日々を記したものである。

この本、こないだ毎日新聞の書評で社会経済学の松原隆一郎氏も激賞していたけれども、結論からいうと、たいへん良い本であった。もちろんこの企画にはネタ臭が色濃く漂っている。過去のエントリーでも書いたことだが、そもそも充実した年金制度で知られる朝日新聞の記者がこれから「生活に困る」事態に陥るのというは考えにくいコトであり、「万一に備えて田んぼを作り狩猟をする」必然性はたぶん皆無である(笑)。

ただ、そんな半分冗談みたいなところからスタートしてはいるけれども、とりわけ今回の猟師シリーズは自らの手で鹿を殺す場面を詳細・精密に描いたりしている。これはマヂである。「他の生きもののいのちを頂いて生きていくしかない人間存在の哀しさ」みたいなものを真正面から見据えている。「動物かわいそう」みたいなアホを相手に商売していかなきゃいけない日本の商業新聞の限界にも果敢に挑戦している。とても良い。

もっとも、違和感がないではない。

著者はいわゆる新自由主義的な経済至上主義に違和感をもっているようで、それに対し、農作物や狩猟の獲物を融通しあうような田舎の「贈与の社会」を対置して描いている。そりゃもちろんそういう地域の絆というのは素晴らしいモノかもしれないが、もともと田舎出身のオレなどからすると、そこんとこはちょっと美化しすぎじゃねーかと思わんでもない。

田舎というのは、確かに「インナー・サークル」に入ってしまえば生きやすい。ただし、一般論ではあるがいきなりやってきた「ヨソ者」に対して田舎の人々は総じて冷たい。アイツは何者か。仕事は何だ。何しに来たのか――徹底的に観察し、詮索する。で、害がなさそうだ、地域の和を乱すようなことはなさそうだという話になって、ようやく間合いを詰めてくる。うまくいけば仲良しだ。要するに視線は内向きである。

そういえば最近のコロナ禍でも、田舎で感染者が出れば「どこの誰だ?」「アイツは何してたんだ?」と地域はパニック状態に陥り、感染者やその家族は「和を乱した連中」ということになって吊し上げられてしまう、という話も聞く。麗しき相互扶助は、実は外部に対する強い警戒・閉鎖性と表裏一体じゃないのか、日本の田舎というのは全然変わっていないんじゃねーかと思う。著者がうまいこと地域に溶け込めたのは、もちろん一流新聞の支局長という立場もあったろうし(朝日新聞の支局長というのはおよそ日本のどの地域にあってもVIPである)、文章からも伝わってくる陽性で開けっ広げなキャラというのもあったのではないか。根が陰気なオレがこんなことしようとしても、そもそも洟も引っ掛けられまい。

とまぁいろいろ思うところもあるが、都会でサラリーマンをしている身からすれば「う~ん、これでいいのかなぁ?」と思うことはままあるわけで、「いやオルタナティブはナイでは無いンだぜ」という著者の体を張った挑戦は魅力的である。眩しい。

現在は大分県日田市で仕事をしているようだが、このところの大雨で被害とかはないのだろうか? とまれ、また新聞で「続報」など読めれば、と思う。



mixiチェック

新型コロナ禍で「家にこもろう」という機運が盛り上がってきたせいか、このところ家庭用ゲームが見直されているらしい。とりわけ任天堂の「あつまれ どうぶつの森」などは、ゲームの中ながらみんなとまったり遊べるゲームということでかなりの人気になっているようだ。

オレは任天堂のハードはもっていないので、この通称「あつもり」をやるわけにはいかないのだが、そういえば最近ゲームやってねえし、この機会に何かやってみるかと思っていたところへ、スクウェア・エニックスが引退したプレーヤーに宛てた「FFXIに戻ってまた遊んでみませんか」という宣伝メールが丁度届いた。

そもそもこのブログ自体、かつてはほとんどこのFFXIのソロプレイ日記だった時代もあるぐらいで、ひと頃はすげー一所懸命やっていた。

しかし、過去の記述をみると、孤立無援のソロプレイに限界を感じたオレは2008年の11月に引退を決めた。

改めて当時のことを振り返ってみると、このゲームを始めたのは2002年で実に18年前。オンラインゲーム創生期にあって何処いって何すりゃいいのかわからん連中が右往左往しながら「ヴァナディール」(このゲームの世界の名前である)のあっちゃこっちゃでガチャガチャやってたのは、今になってみると楽しい思い出だったりする。

やがて効率厨がはびこるようになり、パーティープレイの折りなど「お前のあのミスは何だ!」とか何とか罵倒しあう殺伐とした空気が広がったことから、オレは「じゃあソロでやったるワ!」と修羅道を行く決意を固めた。なかなか前途は厳しく、2003年にはいったんこのゲームを封印したンだが、ソロプレイでもけっこういけるようになったみたいなウワサもあったので2、3年後に復帰。青魔道士にサポートジョブの獣使いをつけて頑張ってきたのだが、最終的には刀折れ矢尽きて引退したのは先に記した通り。

あれから12年。アノ世界はどんな風になってんのか。改めて調べてみると、当時育てた青魔道士LV74はどっかに消滅してしまったようで、スクウェア・エニックスの宣伝文句通りに「復活」はできないことが判明したが、それでもPC用ソフトはオールインワン2000円で買えるようだ。課金は月1000円ちょっと。もう一回のぞいてみてもいいか。そんなことを考えて、こないだFFXIに復帰したのだった。

むかし買った攻略本も全部処分したようなので、ネットで情報を収集しつつの再挑戦。そうして久々にやってきたゲーム世界は懐かしい。町や野外の光景、どっかで覚えている。画質とかのクオリティは、それはもう最新のオンラインゲームには叶わないのだろうが、オレのような古手からすればここは古里なので、そんなところはどうでもいい。

ゲームのシステム自体は、だいぶ変わってきた。

今回もオレ的にはソロ一択なのだが、この間、「フェイス」という仲間をさほど苦労することもなく戦闘に召喚できるシステムが始まっていて、今のオレの状況だとこいつらを3体呼ぶことができる。ソロなのに常時4人で戦える! もうこれはカルチャーショックで、昔オレがあんなに苦労したのは何だったのかという気もしないではないが、まぁサクサク進めるのはとりあえずうれしかったりもする。

Kaj200528101921a
 これが「フェイス」3人を召喚した場面。主人公のオレよりも強いわコイツらw



レベル上げも、オレがやってた当時は確かLV75が上限であったが、今は99になってるのかな?(いまひとつ良くわかってないw)

とまれ、これは一つの「里帰り」体験である。昔といろいろ変わったことがあっても、まぁ時代の流れというのはそういうものなので仕方ない。レベル上げも簡単になり、ということは逆にいえば延々と遊び続けるためのモチベーションも保持しにくくなっているのだろう。それでも、しばらくは楽しんでみようかこの世界。


【追記 2020/08/20】
なお、そのご「フェイス」を5人呼べるところまで進んだこともあってレベルは99に到達。そこからは高性能武器を入手することで実質的なレベルアップをする仕掛けになっているようで、LV119相当にまで達したが、そっから先、何をすればいいのか今ひとつわからんくなって、一気にモチベーションが下がった。ということで、とりあえず今週末でいったん課金停止しておきます。でも、短い間だったが楽しかったよ・・・

mixiチェック

ということで新型コロナ禍一色の世界である。

で、これは東アジア全般について言えることなのだが、日本は欧米諸国なんかと比べると比較的死者数が少ないようで、その辺の理由はいまだハッキリしていない。

これについては「わが国で広く行われているBCG接種の<株>に対コロナの自然免疫を高める効果があったンじゃネ?」とか色々仮説があるようなのだが、一部に「中国由来の軽いコロナ風邪が事前に入り込んでいたため、日本では新型コロナに対する免疫を獲得していた人がかなり多かったのではあるまいか?」という理論もあるらしい(たとえばこんな記事)。

これが気になっているのはほかでもない、実はこのオレも、昨年末からなんだか原因不明のノド風邪を患っていたので、ひょっとしたらオレもこの時、コロナ系列の軽い風邪にかかっていたのではないかという思いを禁じ得ないからである。

とにかくしつこいノド風邪で、何だか2ヶ月ぐらいゴホゴホやっていた記憶がある。医者に診てもらっても、なんだか要領を得ず、「とりあえずお薬出しましょう」で済まされた記憶がある。

ということであれば、ひょっとしたらのちにコロナ問題を研究者が解明するための資料になるかもしらんので(イヤたぶんならんだろうがw)オレがつけている日記から当時の風邪症状に関する記録を書き出しておくことにした。


12/10(火)ここ一週間ほどノドの痛みがつづいている。いがらっぽいのでセキも出る。何だか不快。

12/20(金)ここ2週間ほどノドの痛み、不快感があってなかなかよくならない。カゼか・・・?

12/24(火)診療所。ノド痛が2週間続いているといったら薬を出してくれた。

12/28(土)薬を飲んでいたが、まだタンとセキが直らない・・・。

2/3(月)診療所へ。「昨年からノドの痛みなどがある」というと念のためレントゲン撮影。特に異常ナシとのことで、とりあえず薬で様子見となる。


結果的には、ここに書いたように2月上旬に医者にかかったのちに自然と治ってしまったようなのだが、しかしホントにアレは何だったのだろう?

mixiチェック


 黒川弘務・東京高検検事長の賭けマージャン疑惑について、朝日新聞社は20日、同社の50代男性社員が黒川氏とのマージャンに参加していたとして「不要不急の外出を控えるよう呼び掛けられた状況下でもあり、極めて不適切な行為でおわびする」とのコメントを出した。
©一般社団法人共同通信社


というニュースが流れている。以前からオレが言っているように「朝日≓反体制」というのは半ば「商業左翼」というか販売政策的なカンバンであって、現場の記者レベルでは体制と結構ズブズブだったりする。その辺はこのあたりのエントリーでも書いていたことである。「何をいまさら」の感アリ。

*追記 最初「朝日記者」としていたが、元記者だったのでタイトル訂正
mixiチェック

IMG_5980

 *コロナ巣籠もり生活に飽いて久々に行ってみた。旨し。
mixiチェック

というワケで世の中は新型コロナウイルス問題でてんやわんやであるが、そんなさなか「Dynabook Direct」に注文していたノートPCが届いた。

EGREGE


「なんでこんな時期に」という話になるわけだが、実は8年ほど前にもダイナブックを買ったことがあり、サブPCとして使っていた。そのノートPCが最近、行方不明になっていることが判明したのだった!

別に外にそんな持ち出していたワケでもないのでとにかく不思議なのだが、気がついたら消えていた。それこそ押し入れの底にいたるまで、家中必死で探し回ったのだが見つからない。確かに気づくまでの半年ぐらいはあんまり使ってなかったのだが、どこに置いたのか全然思い出せない。精神的ショックは大きい。ただ、どうしてもサブ機は一台押さえておきたいという諸々の事情もあり、「新しいの買いてえなあ」という機運が盛り上がっていたのだった。

ところが、そんなところに持ち上がったのが今回のコロナ禍である。全国民への10万円支給である。幸いというか、オレも今回の事態でいきなり路頭に迷うような事はない。であれば配ってもらった10万円は派手に使って、苦境に陥りつつある日本経済を回す一助にすりゃいいんじゃねえか。あ、そうだ、じゃあノーパソでも――。そういう流れである。

で、いろいろと研究すると、やはりコスパとかだと考えると外国製のほうが良いような気もしたのだが、いや、やはりここでメインテーマとなるのは「日本経済再生」である。日本製を買いたい。

さらによくよく考えると、今回のコロナ問題にあたって日本企業としての意地をみせ、「マスク足りんの? じゃあウチでマスク作ったるわ」と男気をみせたシャープという会社があるわけだが、かつて東芝で作っていたDynabookブランドは、東芝斜陽化の中でいつの間にか事業ごとシャープに売り渡されていたのだった。

ふむ、ではここでDynabookを買うと、それは同時に男気をみせたシャープを応援することにもなるであろう。そんなフクザツな思考経路を経て、オレは直販サイトからDynabookを買うことにしたのだった。

結果的には10万を相当超える高いのを買ってしまったのだが、まぁしょうがあるまい。今回の10マンは、それこそ食うに困ってる人以外は、できるだけゼイタク・散財方面で使うのが良いのである。思わぬ展開で購入にいたった新ノートPCであるから、その経緯を踏まえて「コロナ号」とでも命名して愛用していく所存である(なワケはないw)。






mixiチェック

さて、以前このブログで中村省三『宇宙人大図鑑』のネタ本となったとおぼしき Patrick Huyghe『The Field Guide to Extraterrestrials』について書いたことがあるが、今回はこのネタ本には掲載されていたものの『宇宙人大図鑑』では採用されなかった事例をひとつご紹介しよう。イラストが衝撃的だったので。

名称未設定



1972年8月28日
アルゼンチン・ブエノスアイレス州バイアブランカ
目撃者:エドゥアルド・フェルナンド・デデウ Eduardo Fernando Dedeu

午前3時、自動車の修理工である目撃者は、古いクルマで家に向かっていたが、ラジオのアンテナの調子がおかしかったので直そうとクルマを止めた。その時になって、彼は道ばたにヒッチハイカーがいるのに気づき、乗せてやった。デデウは彼と話をしようとしたが、その男は意味不敬の音を発するだけだったので諦めた。

その奇妙なヒッチハイカーの身長は6フィートよりちょっと高く、帽子のようなものをかぶり、また襟を立てたコートを着ていた。その男は頭部を別にすれば普通の人間のようにみえた。その頭部はイースター島の石像のそれのようだったのだ。彼のアゴは、ほとんど胸の中程にまで届こうかというぐらい長かった。

15マイルほど行ったところで、クルマは突然止まり、ライトも消えてしまった。デデウはその時、前方の道路上にひっくり返った大きなバスのようなもの――それは光っていた――があるのを見た。彼がもっとよく見ようと止まったクルマから出ていったところ、その「バス」はUFOだということが分かった。その物体は実際は地面の上を移動していて、窓からは白い光、真下には緑の光が見えた。

デデウが振り返ってクルマに戻ってくると、例のヒッチハイカーはいなくなっていた。助手席のドアは開いており、ハンドルは取り外されて床に落ちていた。それから物体が去って行くと、クルマは正常に動くようになった。デデウはそのヒッチハイカーがいないかと辺りをグルッと回ってみたが、彼は見つからなかった。近くにいた夜間警備員はのちに、その辺りに不思議な光が滞空していたことを証言した。

これと同様の「長いアゴ」をもつヒューマノイドは、UFOと関連するかたちでそれ以降7ヶ月間にわたってアルゼンチンで目撃された。また最近では1994年9月にも米国で目撃されている。

【ソース】
ジェーン・トーマス「宇宙から来たヒッチハイカー」=『フライング・ソーサー・レビュー』18,no.6(1972年11-12月)23-24p
「宇宙から来たヒッチハイカー 詳報」=『フライング・ソーサー・レビュー ケース・ヒストリーズ』補遺14(1973年4月)iiip


冷静に考えると「異常にアゴが長い男がヒッチハイクをしていた話」であって、必ずしもこの男とUFOに関係があったとは言えない。

しかし、掲載されているイラストを見ると、顔の長さは1.5フィート、つまり約45センチほどもあったようだ。日本人男性の顔の長さというのは、「日本人頭部寸法データベース2001」なるサイトをみると約23センチ。つまりこのアゴ男の顔の長さは、なんと通常人の2倍もあったことになる!

ちなみに、顔の長さで知られるあのタレントの「なすび」でも、ググってみると顔の大きさは30センチで、アゴ男はこれをも軽々と上回る。となると伝説の巨人プロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントはどうだったか知りたいところだが、残念ながら調べてみてもこの情報は得られなかった。


ともかく、このアゴ男の顔のデカさはおそらくギネス級。となると、そうそう偶然が重なるとも思われず、直後に出現したUFOとコイツの間にはなんらかの関係アリと考えたくなる気持ちも分からんではない(参考までにギネスのサイトをチェックしてみたが、ザッとみたところ「世界で一番顔の長い男」という項目は見当たらなかった)。

この事件の名称が業界的にどういうことになっているかは知らんが、オレ的には「モアイ男事件」でいいと思う。続報を待ちたい(と無理な注文をして終わる)。


mixiチェック

585858
mixiチェック

この前のエントリーで書いたように、このたびの新型コロナウイルス禍というのは歴史上の大事件である。であればこそ、日本で感染爆発が起きても全くおかしくない今、東京の片隅で暮らしている一庶民がどんなことを考えていたのかというのを記録するのも、いかほどか意味のあることかもしれぬ。ということで、今、ちょっと考えていることを書いておきたい。


オレがたまに覗きにいくブログに「江草乗の言いたい放題」というのがある。ひと言でいうと、「へそ曲がりな拗ね者が世の中に向けて罵詈雑言を発する」というタイプのブログで、つまりオレの大好きなタイプのブログである。ここで最近、書き手である江草乗氏が「みんなで引きこもり」というタイトルのエントリーを書いていた。これがとても良かった。

リンクを張っているので直接とんでいって読んで頂くのが良いのだが、どういう事を言っているかというと、要するに、これまで「引きこもり」というのは世間的にはとても後ろめたい行為であった。だが、今回のコロナウイルスの感染症というのは、とにかく人が集まってワイワイガヤガヤすると一気に感染が広まってしまう病気である。すると、事情はかなり変わってくる。そう、今までずっと白い目でみられていた「引きこもり」というのは、一転してとても好ましい行動になってしまったのである。引きこもればウイルスを移すこともなく、移されることもない。そういうことでオカミも「もう外にでないで家の中にずっといてください」と懇願しているほどである。

この江草氏はそういった動向を鋭く見抜き、この文章を次のような力強い言葉で締めくくっている。「オレも引きこもりの道を模索しないといけないのである。がんばって引きこもらないといけない」。


一読して、全くその通りであると思った。と同時に思ったのは、これまで世間は「引きこもり」をさんざんバカにしてきたけれども、そんな常識なんてものは、しょせん特定の時代・場所でしか通用しないものなのではないか、ということだった。

改めて我々が生きているこの現代社会の常識というのを確認すると、人がいっぱい集まって賑やかで経済活動が盛んに行われているような場所はスバラシイということになっている。一方で、山間の限界集落とかでほとんど人が住んでいない過疎地というのはみすぼらしくてミジメである。

あるいは、人間のキャラクターなんてものを考えてみても、社交的でいろんな人と気軽にペチャクチャおしゃべりするような人は「明るい」とかいってみんなから愛され、好かれる。逆に人見知りをしたり人付き合いが苦手だったりして、口数の少ない人間・でしゃばることのできない人間は「暗い」とかいって敬遠される。先に出てきた「引きこもり」なんていうのも、おそらくそういう価値観の中でディスられてきた。

だが、しかし。先にも言ったように、新型コロナウイルスとの戦いにおいては、この「賑やかな都会」「ペチャクチャおしゃべりする社交的人間」といった従来はプラス評価をされてきたモノが、すげえ迷惑な存在になってしまっている。とにかくそういう場所・人間は感染をドンドン広げかねず、最悪の場合「文明」を破壊してしまうのである。であるからこそ、先の江草氏の指摘の通り、ずっとさげすまれてきた「引きこもり」が、今では逆に好ましいライフスタイルになっている。

まさに180度の価値観の大転換である。確かにコロナ問題にはオレなども心を痛めているのではあるが、一方で、オレなども先のキャラクター類型でいえば「暗い」とか言われがちなタイプなので、この大逆転劇に「そらみたことか。世の中の価値観なんて別に絶対的なものじゃねえんだよ! なんなんだ、引きこもりをさんざんバカにしやがって!」的なことを口走りたい気分もいかほどかある。


で、さらに思うのである。そもそも種としての生物が生き残っていくためには、突然変異によって平均値から離れた性質をもった固体が生まれてくることが重要である。環境というものは変わる。環境が変われば、生物はそれに適合していかねばならない。だが、特定の環境で生きていくのにピッタリというような固体ばっかりだったらどうか。その集団は変化に弱い。細々とであれ、集団の中に「主流に乗れない変わったタイプ」を生かしておく。そういった連中こそが、環境に大きな変化が起きた時、ちょうど活躍できるタイプかもしれない(できないことも多いだろうがw)。

かように、時流に乗れないタイプの存在というのは、実は社会にとってはムダではない。先の江草氏の主張に沿っていえば、「家の中にずっと籠もって時が過ぎるのを待つ」というふるまいをつつがなく完遂できるのは実は大きな才能なのかもしれない。同様に、都会はエラく、田舎はミジメというのも大いなる幻想で、田舎には田舎の存在意義がちゃんとある。この騒ぎが終息したのち、そんな風に感じる人が少しでも増えていればいいのだが。







mixiチェック

↑このページのトップヘ