パオラ・ハリスってどうよ?

 ここまではジョンソンの指摘を踏まえつつ『Trinity』にまつわる様々な問題点をみてきた。その中でオレが一つ思ったのは、ヴァレを自らの調査に引き込んだパオラ・ハリスという自称ジャーナリストは、何だかとても危なっかしい人物なのではないかということであった。
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  パオラ・ハリス


 本書を読むと、ヴァレは至る所でハリスのことをえらく褒めている。ハリスは母国イタリアの
UFO事件についてアレン・ハイネックに情報提供をしていたんだとか、あるいは米国の軍人上がりのフィリップ・コーソーが書いたUFO本のイタリア語訳を出したんだとか、まぁ実績があって信頼できるユーフォロジストなんだということを再三強調しているのである。

しかし、『Trinity』でも再三引用されているハリスのバカやパディージャに対するインタビューを見てみると何だか要領を得ないやりとりが多いし、誘導尋問的な質問も目立つ。このサンアントニオ事件のストーリーというのは、実際にはハリスの手助けを得て作り上げられたものではないかという気さえしてくるのだ。

にも関わらずヴァレがハリスを高く評価しているというのは、要するに「サンアントニオ事件は本当に起きたものだ」と主張するためにはハリスのインタビュー記録を肯定し、依拠するしかなかったからなのではないか(実際、ヴァレがこの事件に取り組み始めた時点でバカは死去していたので、バカの言い分についてはハリスのインタビューを鵜呑みにするしかなかったのである)。

 はてさて、このハリスという研究家は本当に信頼していいのだろうかと思うのだが、実はこの点についてもジョンソンは鋭く切り込んでいる。彼は、この『Trinity』が刊行されるまで彼女のことは全く眼中になかったらしいが、改めて調べてみたところ、彼女は怪しいUFO写真で名高いコンタクティー、ビリー・マイヤーを支持するなど、業界では「何でも信じこんでしまう」人物とみなされていたことを知る。

 実際、ハリスは有名な調査団体MUFONの機関誌、UFOジャーナルの2016年6月号にサンアントニオ事件についてのレポートを執筆しているのだが、ジョンソンによれば、当時のMUFON内部では「こりゃガセネタじゃねーのか? いいのかよ」みたいなことをいいだす人も出てきて、結構な問題になったらしい(ついでに言っておくと、このMUFONジャーナルの記事では事件の発生日は「8月16日」ではなく「8月18日」となっている。つまり「公式ストーリー」と日付が違う!)。

ちなみにジョンソンは、「ヴァレがハリスと組んだことが2021年に明らかになると、その事実は、程度の差こそあったものの多くの篤実なUFO研究家に驚愕をもって受け止められた」とも書いている。さもありなむ。
 


で、ここで若干脱線させていただきたいのだが、「なんでヴァレはこんなの信用しちゃってるの?」という文脈で――これは直接サンアントニオ事件にかかわる話ではないけれども――ジョンソンは一つのエピソードを紹介している。

Trinity』の中には、サンアントニオ事件の現場近くで起きたソコロ事件(1964年)に論及したパートがあるのだが、ここでヴァレは、ソコロ事件を調べたレイ・スタンフォードの『Socorro 'Saucer' in a Pentagon Pantry』(1976年刊)という本を激賞している。

ちなみにレイ・スタンフォードというのは若い頃、宇宙人とのチャネリング、つまり「宇宙イタコ」をやってた人物なのだが、この「宇宙イタコ」で「地球に近々大変動が起きる!」というメッセージを受けたので、兄弟と一緒に本を書いた。これが実は日本とも関係大ありで、日本のUFO団体、CBA(宇宙友好協会)がこの本を鵜呑みにし、1960年に「リンゴ送れ、シー」事件というけったいな事件を起こしてしまったのは有名な話である。まぁこれはまた別の話なので興味のある方は自分で調べて頂きたいのだが、ともかくこのスタンフォードは「宇宙イタコ」のあともUFO研究は続け、ソコロ事件の本なども書いていたのである。

閑話休題。話を戻すと、『Trinity』では「ソコロ事件の現場からはナゾの金属粒子が見つかったンだが、その事実は当局によって揉み消された」というスタンフォードの主張が肯定的に紹介されている。だがジョンソンに言わせれば、これはとんでもないことであるらしい。彼は「その主張はUFO研究家のリチャード・ホールにデバンクされたやろ! 何いっとんのや!」と言って激しく怒っている。オレはこの件については全く知識がないのでどっちの主張に分があるのかよく分からんのだが、ともかく彼は「スタンフォードみたいなヤツ信用しちゃアカンでしょ」といってヴァレに意見している。偏見かもしらんが、オレも元「宇宙イタコ」の人は警戒したくなる。

 さて、そういう目で『Trinity』を読んでみると、確かにこの本のヴァレは総じて危なっかしい。例えば、本書には「UFOが現場に何かしらの物体を落としていった事例」として1987年の「オーロラ事件」や1947年の「モーリー島事件」が出てくるのだが、一般的にこの辺の事件はUFO業界でもHOAX(デッチ上げ)の可能性が高いとされている。


確かに『Trinity』でのヴァレは、あまりに人を信用しすぎている。(つづく

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第三の目撃者?

 「サンアントニオ事件」の目撃者は、ホセ・パディージャとレミー・バカの二人しかいない。いや、正確にはアボガド形の墜落物体を目撃し、その内部に入った(とされる)パディージャの父親、警官のアポダカもいるのだが、二人とも既に亡くなっている以上、もはや証言を得ることはかなわない。となると、明確な物証もない以上、この事件が本当にあったかどうかはパディージャ、バカの証言次第ということになってしまう。どうしたって信憑性は弱い。これを補強するにはどうすれば良いか。突破口は一つある。残骸の回収・移送作業に関わった(とされる)軍関係者の証言をゲットすれば良いのだ。

 ――といった思考回路をたどったのかどうかは知らんが、『Trinity』の中にも、軍関係者にまつわるエピソードは若干出てくる。

 まずはバカの証言なのだが、彼は「墜落物体の回収作業に携わった兵士の中には、のちにホセ・パディージャのイトコと結婚した人物がいた」と言っている。バカによれば、この兵士は自らの体験をホセの父親には話していたのではないかと言っている。だが残念でした、例によってこの兵士はもう死んでいるそうだ。またしても死人に口なし、である(念のため言っておくと、ジョンソンのレポートはこの点については特段追及をしていない。どうせウソだろ、ということか)。

  しかし、ヴァレとハリスはこんなことにはめげないのである。サンアントニオ事件については、実は「軍人だったオレのオヤジは当時この墜落事件に関わった」と言い張っているウィリアム・P・ブロフィなる人物がいて、『Trinity』ではこの人物の証言が肯定的に取り上げられているのだった。

    【注】オレのもっている『Trinity』初版を見ると、この人物はブロシィ(Brothy)という名前で出てくるのだが、ジョンソンはブロフィ(Brophy)と書いている。どういうことかと思ってググってみると、どうやらジョンソンのいう「ブロフィ」の方が正しいようなのである。この辺からして、『Trinity』は校閲すらロクにしていないずいぶん杜撰な本であることが分かってしまうのであるが、ともかく彼の名前は「ブロフィ」である、ということで先に進みたい。

brophy
 ウィリアム・P・ブロフィ

 
それではこのブロフィはどんなことを言っているかという話になるわけだが、『Trinity』初版においては、その証言というのは本文ではなくそのほとんどが脚注の中で紹介されていてスコブルあっさりした扱いを受けているのだが、そのあらましは以下の通りである。

  ブロフィの父親はウィリアム・J・ブロフィ(1923-1986)という名前で、終戦時にはニューメキシコ州アラモゴードの第231陸軍航空隊に配属されていた軍人であった(注:つまりこの親子はいずれも「ウィリアム・ブロフィ」という名前で何ともまぎらわしいのだが、とりあえず以下では単に「ブロフィ」といった場合は息子のほうを指すことにしたい)。

  さて、ブロフィがこのオヤジから生前聞いたところによれば、1945年8月15日頃、訓練飛行でたまたま現場付近を飛んでいた軍用機から「地上に何やら煙が上がっている」との報告が本部にあり、これを受けて上官から命令を受けたオヤジは現場に急行。彼は墜落した物体を発見するとともに現場処理にあたった――というのである(ちなみに彼は現場近くに「インディアンの少年」2人がいるのもみかけた、という話になっている)。

  これが本当であれば有力な傍証ということになるのかもしれない。ところが、ジョンソンによればこのブロフィという男、実は相当な食わせもので、全く信用ならない人物であるらしい。どういうことかというと、彼はもともとUFOマニアで、以前からクソ怪しいUFO話をひろめていた経歴があったというのである。

  具体的にいえばこのブロフィ、2003年に「父親が軍人として関わったUFOの墜落・回収事件について報告する」というテイで、世界的に有名なUFO雑誌「フライング・ソーサー・レビュー」に投書を都合3通送り、それらは同年春号から3号連続で同誌に相次いで掲載されている。そこで彼が報告した事例というのは二つあり、ひとつは1947年7月3~4日にニューメキシコ州のマクドナルド牧場で、もうひとつは1950年12月5~6日にメキシコで起きた(という触れ込みの)事件であった。だが、何とも不思議なことに、その投書のいずれにも、父親から聞いていたのなら当然書いていたはずの1945年8月のサンアントニオ事件への論及は一切なかった

 要するに、2003年に「マウンテンメール」紙が事件を報道し、さらにはライアン・ウッズやティモシー・グッドが著作で事件を取り上げた後になって、つまり事件のアウトラインが世間に知られるようになってから、ブロフィは突然サンアントニオ事件と父親の関係を語り出したということになる。

その辺の経緯を振り返ってみると、当ブログのTrinity』批判を読む02でも触れたように、バカは2011年にサンアントニオ事件をテーマとした『Born on the Edge of Ground Zero』なる自費出版本を出したのであるが、これは実際にはパオラ・ハリスによるバカたちへのインタビューが大きな比重を占めており、つまりは広報担当の(?)ハリスがプロモーター役として仕掛けた本だったと思われるのであるが、ブロフィはこの本にいきなり登場、ハリスのインタビューに応えるかたちで父親のサンアントニオでのUFO回収譚を語り始めたのであった。想像するにブロフィは、サンアントニオ事件のウワサを聞き、かつパオラ・ハリスが熱心にこの事件の調査をしているという話を耳にした時点で、「オレ、情報もってるぜ」といってハリスに接触してきたのではないか。

ちなみにジョンソンは、念の入ったことにブロフィの弟にも取材をかけている。それによるとブロフィ・シニアが軍人時代にUFOと遭遇する体験をし、息子たちにその話をしていたこと自体はどうやら本当だったようなのだが、弟は「兄は盛る人なので……」みたいなことを言っていたらしい。

結局のところ、ブロフィ・シニアは本当に「第三の目撃者」だったのだろうか。ここまで紹介してきた ジョンソンの調査に拠るならば、その可能性は極めて低いと言わざるを得ない。

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  墜落物体から持ち帰った「ブラケット」を手にするホセ・パディージャ
 

【余談その1】
 前にも書いたようにオレは2022年の『Trinity』の改訂版はもっていないのだが、ジョンソンによれば、この改訂版ではブロフィ・シニアにまつわるパートはずいぶんと加筆され、しかもこの改訂版では初版で示されたストーリーからだいぶん話が改変されているらしい。
 どういうことかというと、改訂版では、ブロフィ・シニアは地上から墜落現場に向かったわけではなく飛行機上から現場を目撃した――つまり搭乗機から現場の墜落機体を目撃したのは他ならぬブロフィ・シニアであったという話になっているのだそうだ(その際、地上には「インディアンの少年2人」がいるのを目にした――というのはこのバージョンでも変わらない)。
 ではなぜそんな改変をしたのかという事になるわけだが、パディージャたちは当初、「墜落現場に行った時、周囲には誰もいなかった」と言っていたのだが、彼らはいつの間にか「上空には飛行機が飛んでいた」と証言を変えてしまった経緯があるらしい。要するに、平仄があうよう証言内容についてのすり合わせをしたというか、「つじつま合わせ」をしたのではないか――どうやらジョンソンはそんな風に考えているようだ。 

【余談その2】
 なお、ブロフィは前出の『Born on the Edge of Ground Zero』(2011年刊)掲載のインタビューでは、父親から聞いた話として「現場には身長4フィートでカマキリのような顔をした生物3体がいて、彼らはロズウェル基地に移送された」とも語っていたそうだ。ブロフィを信用するならこの重大証言についてもちゃんと考察を加えるべきだと思うが、『Trinity』ではなぜかこの部分については論及がないようである。どうせ信用するんなら全部信じてやれよとオレは思った。(つづく

 

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経歴詐称?

 これは直接サンアントニオ事件にかかわる話ではないのだが、ジョンソンによれば、目撃者二人にはともに自らの経歴に関してウソを言っている(あるいは経歴を盛っている)疑惑がある。要するに「目撃者はちゃんとした人物なので信用してよかろう」という心理的効果を狙ったのではないか、という指摘である。

【レミー・バカの場合】
 ジョンソンの調べによると、バカは1938年生まれ。1955年に16歳でワシントン州タコマに移住し、現地の高校を卒業。米海兵隊やボーイング社の整備士を経て州歳入局の仕事などもしていた(ようなことをジョンソンは書いているが裏が取れた話かどうかはよくわからない)。やがて1995年にはカリフォルニアに移って保険代理店業に転身。2002年にはワシントン州に戻り、2013年に死去した。

 さて、そんなバカの経歴についてジョンソンが問題にしているのは、彼がワシントン州に住んでいた1970年代の話である。以下はバカの主張ということになるのだが、彼はその頃、タコマのヒスパニック系コミュニティの中で一目置かれる存在になっていたことから1976年のワシントン州知事選挙で民主党から出馬したディクシー・リー・レイ(1914-94)の選挙スタッフとなる。この選挙でディクシー・リー・レイは見事当選。結果、バカは論功行賞ということなのだろう、州知事の側近を務めることになった――というのが彼の言い分である。じっさい彼は自分を「キングメーカー」とまで言っていたそうだ。

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ディクシー・リー・レイ(1914-94)。女性である

 しかしレイ知事のスタッフ幹部リストやら当時の新聞やらを調べまくったジョンソンは、選挙スタッフを務めたのは事実だけれども「幹部スタッフに近い立場にあったことなど一度もなかった」と断言している。そんな大物だったことを示唆する記録・痕跡は一切なかったというのである。

 また、この話から派生してくるエピソードが一つある。このディクシー・リー・レイには、知事就任以前に米原子力委員会(当時)で委員長をしていたキャリアがあった。バカはそれを踏まえて、「当選に尽力したことへの感謝ということで、レイから原子力委員会の極秘ファイルを見せられたことがある。そこにはなんと自分の体験したサンアントニオ事件のことが載っていた!」と主張していたのである(注:ここで「なんで原子力委員会にUFOの極秘ファイルが残ってるん?」と不審に思われる方もいるだろうが、ヴァレの考えでは、そもそも当時のUFOというのは原爆実験があったのを見て関連施設周辺に慌てて飛んできたワケで、そんな事情もあったために原子力委員会はその調査に一枚噛むことになった――ということになっているらしい)。

 要するに、たまたまディクシー・リー・レイを選挙で応援したら、たまたま彼女にはUFO事件のファイルを秘匿していた原子力委員会のトップだった経歴があり、なおかつそこにはバカ自身が当事者であるところのサンアントニオ事件の記録も残っていたので見せてもらうことができた――ということをバカは主張しているのだった。

そんな風に偶然に偶然が重なるウマイ話があるかよという気がするのだが、ジョンソンはとりあえずこれに対して「ディクシー・リー・レイが政府機関を去る時に機密書類を持ちだすことなんてできなかったろうし、退任後に入手することだってムリ。それに仮にそんなことしたら重罪じゃないか。アンタはディクシー・リー・レイを犯罪者扱いするのか!」といって怒っている。

ちなみにバカがハリスにこの話を明かしたのは200910年頃だというから、その時点でディクシー・リー・レイは死んでいる。これも「死人に口なし」案件か。

【ホセ・パディージャの場合】
 ジョンソンの一連のレポートを読むと、彼はどうやら「サンアントニオ事件」というのはレミー・バカが「主犯」となって作り上げたストーリーで、ホセ・パディージャはそれにつき合わされた「共犯者」であると言いたいようである。ラジオ番組などでの二人の発言を改めてチェックすると、能弁なバカに対してパディージャは言葉少なに頷いたりするパターンが多い、というようなことを言っている。

 例えば、20101210日に放送されたメル・ファブレスをパーソナリティとするラジオ番組では、当初レミー・バカとパオラ・ハリスも出演する予定だったが、トラブルがあってホセ・パディージャが一人で登場せざるを得なくなった。彼はしどろもどろになってしまったようで、ジョンソンはこのインタビューを「Padilla's Bungled Interview」――つまり「パディージャの大失敗インタビュー」と名づけ、勝手に「PBI」などという略語まで作っている(ちなみにパディ-ジャはこの時のインタビューで「墜落現場付近では樹木が燃えたりしてはいなかった」と「公式ストーリー」に反する発言をしていたりする。おいおい、ダメじゃん)。『Trinity』では、パディージャは一度目にしたものは忘れない記憶力(いわゆる「瞬間記憶能力」のことだろう)の持ち主だとかいって持ち上げられているのだが、それ本当かよという疑念も兆してくるのである。

 ということで、なんだかちょっと話が脇道に逸れてしまったけれども、ここからは本題に戻りまして、「実はそんなパディージャのほうにも経歴詐称の疑いはあるのだ」という話をしていきたい。 

 ジョンソンによれば、パディージャは19361124日生まれで、死没したバカと違って現在も健在である。その経歴について自ら語るところでは、13歳でニューメキシコ州兵に入隊し、1950年代にはカリフォルニアに移住。兵役で赴いた朝鮮戦争(1950-53年)では負傷を負ったという。帰国後は「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」に32年間にわたって奉職したが、その間にも犯罪者から腹部に銃弾を浴びせられる体験をしたと述べている(ちなみに「ハイウェイ・パトロール」というのは一種の警察機関・法執行機関で、民間の警備会社などとはワケが違う)。

 しかし、ジョンソンの執拗な調査は、そのすべてが疑わしいことを告げている。まず「わずか13歳で州兵入隊」というところからしていかにも怪しい。パディージャは戦後の混乱期だったため特例として認められたと主張しているようだが、ニューメキシコ州では実際に18歳未満の州兵入隊を認めていないし、過去に特例があったという証拠もない。ジョンソンは、念のため氏名・生年月日・社会保障番号でニューメキシコ州兵とニューメキシコ空軍州兵の隊員記録を検索してみたそうだが、果たして該当者はヒットしなかった。次いで「朝鮮戦争従軍」の件であるが、ジョンソンが国立公文書記録管理局のオンライン検索で「朝鮮戦争の負傷者リスト」を検索したところ、ここでも彼の名前は出てこなかった。

 とどめは「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」である。実はこの組織、1970年代までは身長が5フィート9インチないと入隊できないという規則があった。しかし、2021年のニューメキシコ州政府の記録ではパディージャの身長は5フィート3インチしかなかった。勤続32年で定年の60歳を迎えたものとして計算すると、入隊はどうしたって1960年代でなければならない。しかし当時の規則では彼は入隊できない。矛盾が生じる(もっとも、年取って彼の身長が6インチ≒15センチ以上縮んだ可能性は微レ存w)。

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  ホセ・パディージャ(写真右)=the MUFON UFO Journal, June, 2016より=

 加えて「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」の在職記録に当たったところ、ここにもパディージャの名前はナシ。勤務実績があれば当然受け取っているはずの退職者年金の給付記録もなかった。朝鮮戦争で負傷を負った愛国者。凶悪犯に銃弾を撃ち込まれてもひるまなかった法執行官。そういう人間を装えばみんなに信用してもらえるだろう――パディージャの心中にはそんな思惑があったのではないか。しかし、どうやらそんな作戦は裏目に出たようである。(つづく

 

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エディー・アポダカの謎

レミー・バカとホセ・パディージャの証言の中には、明らかに客観的事実と矛盾している部分がある。その一つがエディー・アポダカ(19232008年)=写真=をめぐる問題だ。
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 繰り返しになるが、このアポダカというのは墜落の二日後に現場を訪れ、パディージャの父親とともに墜落物体の中に入った(とされる)ニューメキシコ州の警察官である。

 さて、そのどこが問題なのかというと、確かにかつてこの地域を担当したエディー・アポダカなる警察官が実在したのは事実なのだが、アポダカは第二次世界大戦でヨーロッパに出征し、1945年8月の時点では陸軍航空隊の伍長として英国にいたことがジョンソンの調査で判明したのである。彼がアメリカに戻ってきたのは同年11月。州警官としてソコロ郡に着任したのは1951年。どうしたって1945年8月のサンアントニオにいられたワケがないのである。
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  アポダカ(白丸の人物)が戦時中に加わっていた第370戦闘機中隊の面々

ただここでオレがちょっと引っかかったのは、このアポダカの名前が「墜落物体を見にいった人」として2003年の時点でベン・モフェットの新聞記事に出ていたことである。ジョンソンによればアポダカは2008年まで生きていたようなので、仮に彼がこの記事を読んだら「こりゃウソじゃ!」と言い出すリスクがある(実際にはそんな事態は起こらなかったワケだが)。不用心極まりない。それだけにバカたちが何でアポダカの名前を出したのかはよく分からない。ひょっとしたら「アポダカもいい年だし、もう死んでんじゃネ? リアリティも出てくるから名前出しちまえ!」などと考えたのかもしれない。

ちなみにこの墜落事件にまつわるストーリーがホントなのかどうか証言してくれそうな人物としては、アポダカのほかパディージャの父親とか、詳細は省くが「羊飼いのペドロ」とかいった人物がいる。しかし、どうやらこうした人々も、バカたちが精力的に話を広め始めた2003年の時点では亡くなっていたようである。死人に口なし。彼らがウソをついていた可能性は非常に高いと言わざるを得ない。(つづく

 

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さて、ここからはダグラス・ディーン・ジョンソンによる「サンアントニオ事件HOAX説」の細部を見ていきたいのだが、まずはそれに先だって『Trinity』が記す事件のあらましをいま一度確認しておきたい。 

    1945年8月16日、米ニューメキシコ州サンアントニオで、放牧中の牛の様子を確かめるためホセ・パディージャ(当時9歳*)、レミー・バカ(同7歳)の二人が馬に乗って放牧地となっている荒野に出かけていったところ、突然爆発音が聞こえ、遠くに煙が上がった。二人がその現場に向かうと、地面にはグレーダーで削られたような溝が出来ており、周囲の灌木は燃えていた。どうやらその溝は何かが猛烈な摩擦熱を発しながら地表を削り取っていった痕のようで、この溝に沿って進んでいくと、そこには側面に穴が開いているアボガド形の乗り物のような物体があった。


    *注:『Trinity』では二人の年齢は9歳と7歳になっているが、ジョンソンは二人の正確な生年月日を確認したようで、パディージャは19361124日生まれ、バカは19381026日生まれとしている。これに従えば事件当時の二人の年齢は実際には8歳と6歳だったことになる。なお、パディージャは現在も存命であるが、バカは2013年に亡くなっている

    二人が200フィートほど手前から観察していると、物体の近くには身長4フィートほどで頭がカマキリのような小人が3体ほどいるのが見えた。小人は地上をスーッとスライドするように動き回っていた。小人はウサギの鳴くような声を出しており、バカには彼らの「悲しい気持ち」が(おそらくはテレパシーのようにして)伝わってきた。それから二人は辺りが暗くなってきたので家に帰った。彼らは、幅約4インチ×長さ15インチほどで、形状記憶合金のようなアルミホイル状の物体を現場で拾ったという

    17日は何事もなかったが、18日になってから、ホセの父親と知り合いの州警官エディー・アポダカが、少年2人の案内で現場に行ってみることになった。物体は同じ場所にあったが、ナゾの生物の姿はなかった。ホセの父親とアポダカは物体の中に入ったが、戻ってきた時にはただならぬ様子で、少年2人に「このことは誰にも言うな」と命じた

    同じく18日の午後、好奇心を抑えきれぬ二人はこっそり現場を再訪した。そこには軍用ジープと兵士たちの姿があり、物体の破片を拾う作業などをしていた。翌19日にはホセの家を陸軍の軍曹が訪れ、「気象観測気球が墜落した。搬出用の車両を通すため牧場のフェンスにゲートを作り、道路も敷設する」と通告した(なお、二人はその後も毎日のように現場に通い、兵士たちの作業を見守ったという)

    8月下旬になると(日にちはハッキリしない)この物体はトレーラーに乗せられて搬出された。二人はその日、兵士が現場を離れた隙にトレーラーに忍び寄り、パディージャは物体の内部に侵入。近くにあったバールを使って、内部のパネルに取り付けられていた金属製の部品(ここでは「ブラケット」と称されている)をはがし、家に持ち帰った(ただしこの「ブラケット」はありふれた地球製のアルミ製部品らしいとヴァレ自身も認めており、何の証拠にもなっていない) 

この後もいろいろと紆余曲折はあるのだが、ともかくこれがサンアントニオ事件のあらましということになる。さて、だいたいの予備知識を頭に入れていただいたところで、ジョンソンがどんなツッコミを入れているのかをさっそく見ていこう。

目撃者の証言がコロコロ変わっている

 『Trinity』によれば、この事件が公になったのは2003年で、レミー・バカから「こんな話がある」という連絡を受けた地元の新聞「マウンテンメール」のベン・モフェット記者が、同紙の20031030日号・116日号で事件を報じたのが最初だった(ちなみにモフェットは二人の幼なじみだったという)。

 これを受けて、バカとパディージャは同年1118日にはジェフ・レンスなるラジオパーソナリティ(けっこう有名な人らしい)の番組に出演。さらには一部のUFO研究者も関心を示し、ライアン・S・ウッドの『MAJIC Eyes Only』(2005年)、ティモシー・グッドの『Need to Know』(2007年)といった書籍でも事件は取り上げられた。

 ちなみに『Trinity』の共著者であるパオラ・ハリスもその頃からバカたちに接触し始めたようだが、本格的な調査に着手したのは2010年ごろらしい。2011年にはバカ名義の自費出版本として『Born on the Edge of Ground Zero』なる書籍が刊行されたが、その内容はハリスによるバカやパディージャへのインタビューが中心だったというから、どうやらハリスは、次第に二人のパブリシティ担当(?)みたいな役割を果たすようになっていったようだ。一方で2017年から事件に取り組み始めたジャック・ヴァレはほどなくハリスと合流、2021年になって両者の共著として『Trinity』が刊行された――以上が今にいたるまでのだいたいの流れである。

  しかし、ジョンソンによれば、このモフェットの記事が出る前にも注目すべき出来事はあった。彼によれば目撃者の一人、レミー・バカは、とあるUFO研究家に「売り込み」をかけ、事件について電話で話をしていたのだという。そして――ここが重要なのだが――その際にバカが話した内容は、『Trinity』のストーリーとはかなり違っていたのである!

  このUFO研究家というのはドナルド・シュミットと組んでロズウェル本を出したりしているトーマス・キャリーという人物なのだが、彼によれば、2002年か03年の初め頃、このバカからいきなり電話があったのだという。要するに「話を聞いてくれ」ということで、とりあえず彼は応じた(ここで注意したいのは、これがベン・モフェットの記事が出る前のことだったという点である)。

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左はトーマス・キャリー。右はレミー・バカ

 さて、そこで語られた内容であるが、まず事件があったのは「1946年のたぶん8月」で、少年二人は「ピックアップトラックでグラウンド・ゼロに向かっていった」途中で墜落物体を見つけたのだという。ちなみに発見時に「爆発音がした」といった話もここでは出てこなかった。物体の形状自体も、アボカド形ならぬ「円盤」形だったとされる。物体に穴が開いていたという点は変わらないが、「円盤のには虫を思わせる人影があった」と語られるだけで、その詳細についての描写はなかった

  また、少年2人がホセ・パディージャの父親と州警官とともに現場を再訪したのは、墜落の2日後ではなく「翌日」だったとバカは語った(ちなみにこの時の取材では州警官の名前は明かされていない)。また、その時の円盤は何故か土に覆われていて、その姿をちゃんと確認することはできなかったという。もう一ついっておくと、二人が持ち帰ったブラケット状の物体に関しても、バカは円盤の中にあったものではなくトレーラーに積み込まれていた残骸からかっぱらってきたものだ、というようなことを言っている(要するに物体の中には誰も入っていない)。

  さて、ここでは『Trinity』に記されている公式のストーリーと相違している部分を赤字で強調してみたのだが、ここまで違うストーリーが語られていたとなるとどうだろう。どうしたって「この人の証言どうなのよ?なんで体験の核心部分がコロコロ変わるわけ? 信用していいのかよ?」ということになるのではないか。ちなみにこのときトーマス・キャリーはカセットテープでインタビュー記録をとっており、バカは「そんなこと言うとらんわ」という言い逃れはできない(もっともバカは2013年に亡くなっているので追及のしようはないのだが)。

  ちなみにキャリーは、会話を録音していたカセットテープの片面30分が終了したあと裏返すのを忘れて取材を続けていたというのだが、録音されてないやりとりの中で、バカは「これで何か稼げねーかな?」みたいなことを言い出したので「こりゃダメだ」と思ったようだ。さらにバカは「これはロズウェル事件の前の話だ」と何度も言ったが、考えてみればここにも裏の狙いがありそうだ。ご承知のようにロズウェル事件は1947年に起きたものだが、それに先行する墜落事件があったとなればストーリーの商品価値は高くなる。じっさい、翻訳本の版元であるヒカルランドのサイトに行ってみると、「書籍紹介」の冒頭部分には「ロズウェル事件よりも前だった!」という惹句がいきなり掲げられている!

 そんなこんなで、キャリーは「コイツ、この話でカネ儲けする気かよ?」という心証を抱いたらしい。それで、今回の『Trinity』の件が出てくるまでバカの取材テープのことはすっかり忘れていたというのである。

    【注】ここでカネ儲けの話が出たのでついでに言っておくと、『Trinity』には「仕事が面倒になったのか、現場の兵士たちがUFOの残骸を土中の裂け目に放り込んでいるのをみかけた」とか「オレたちは破片のたぐいを後で回収しようと思って溝に埋めた」みたいなバカたちの証言が出てくるのだが、ジョンソンはこれについても「UFOの残骸回収作業の名目でスポンサーからカネを引っ張る狙いがあったンでないか」と指摘している。要するに糸井重里がTBSと組んでやった徳川埋蔵金発掘プロジェクトみたいなものである(笑)。


  さて、バカはこのキャリーの取材から数か月後、今度は新聞記者のベン・モフェットに体験談をもちこんで取材を受けることになるが、そうやって世に出た新聞記事のほうは基本的に『Trinity』の記述と整合性が取れたものになっているようだ。これについてジョンソンは、「キャリーに話したストーリーがイマイチ受けなかったので、バカはねじりはちまきでブラッシュアップした新しい筋書きを考え出し、新たなターゲットであるベン・モフェットとの取材に臨んだのではないか」みたいな推理をしている。これだけ言うことが変わってしまっては、そう見られても仕方あるまい。まぁその後、ライアン・ウッドやティモシー・グッド、ハリスやヴァレ(!)が相手にしてくれたので、シナリオ改変の効果は十分あったと言えそうではあるのだが。

     *なおジョンソンは、バカが1995年の時点で別のUFO研究者に接触を図っていた事実も明かしている。それがロズウェル事件の調査で知られるドナルド・シュミットで、彼がカリフォルニア州ベンチュラで講演をした際、当時そこに住んでいたバカが現れて「自分は1947年にThe Plainで起きたUFO墜落事件を目撃した」といった話をしてきたのだという。どうやらシュミットは彼を軽くあしらったようなのだが、当時のバカは「スキあらば自分のストーリーを売り込みたい」とチャンスを狙っていたように見えなくもない。このほかスタントン・フリードマンへの接触もあったようだが、彼はガン無視したらしい。

  閑話休題。そのほかにも、関係者の発言の中で事実関係がブレている部分はある。例えば、墜落があった日、少年二人はどれぐらい遠くから物体を観察していたかという点について、『Trinity』には200フィートという数字があるが、パオラ・ハリスが「MUFONジャーナル」2016年6月号に書いた記事では500フィート、2010年頃にハリスがパディージャに対して行ったインタビューでは360フィートということになっている。これは一体どう考えればいいのだろう?(つづく




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高名なUFO研究家、ジャック・ヴァレが、ジャーナリストのパオラ・ハリスと組んで2021年に刊行し、世界的に注目を集めた話題作『Trinity』については、当ブログでも既に紹介したところであるが、 今回はこの本が実際あったUFO墜落事案として認定している「サンアントニオ事件」はHOAXである、つまりは「デッチ上げ」であるという主張を紹介してみたい。

ただその前に、そもそもこの『Trinity』というのはどういう本であったのかを改めておさらいしておこう。

そもそも何でこの本が世界のUFOシーンで話題になったのかというと、端的にいえばヴァレはこの本で「宗旨替え」をしたんでないかというギワクが持ち上がったからである。もともとヴァレというのは「UFOが外宇宙から来ているというのはウソである」と主張し、かつ「ロズウェル事件」みたいなUFOの墜落・回収事件といったものには総じて批判的な人物であった。つまりは何かっつーと「UFOイコール宇宙人」みたいなことを言い出すミーハー系とは一線を画し、「コントロールシステム仮説」とか称して小難しい理屈を駆使するような冷静沈着インテリ系研究家として売ってきた人物であった。

ところが彼は、本作で「1945年8月16日、米ニューメキシコ州サンアントニオではモノホンのUFOの墜落事件が起きていた!」ということを言い出した。「なんだそりゃ、ヴァレがそこいらのミーハーUFOファンみたいなこと言い出したよ」という話になる。「どうしちゃったのヴァレ?」である。実際のところ、この本を読んでもちゃんとした「UFO墜落の物証」みたいなものはない。冷たくいえば証言があるだけ。ヴァレは何だか根拠薄弱な話にのっかっちゃったという感じは否めないのだった。

 もっとも、オレには、そんな一歩を踏み出してしまった彼の気持ちが分かるような気がせんでもない。ヴァレは現在84歳。長年UFO研究を続けてきたけれどもよくよく考えるとUFOの真実というものは未だに全然みえてこない。いよいよ老境に入って焦り出したヴァレは「何とかして生きているうちにブレークスルーを果たしたい!」と考えていたのではないか。そこで出会ったサンアントニオ事件に彼は夢をみてしまった。ついつい冷静さを失い、「これぞモノホンの事件だ!」と大甘判定を下してしまった。そういうことではなかったかとオレは思うのだった。

 ――とまぁ、ここまでの話は以前書いたエントリーの焼き直しなのだが、今回書きたいのはその先で、果たしてサンアントニオ事件というのはHOAX、つまり「でっち上げ」であるという証拠がここにきて出揃ってきたのである。そんな『Trinity』批判の先頭に立っているのはアメリカのダグラス・ディーン・ジョンソンという研究家だ。オレはその来歴を全然知らんのだが、ともかく彼は今春ネットに3か月だかを費やしたテッテ的調査の内容をアップし、そして大きな反響を呼んでいる。正直いって「あぁやっぱそういう話になっちゃったか~」という感じもある。だが、彼のファンであるからこそスルーしてしまうワケにはいくまい、この本が彼の「黒歴史」になろうともそこまで含めてのヴァレなのだ、ここは最後まで見届けねばなるまいとオレは思った。


というわけで、ここからはこのジョンソン氏のデバンキング・サイトの内容をご紹介していきたい(→入り口はこの Crash Story: The Trinity UFO Crash Hoax というサイト)。ボリューム的にもずいぶんあるので、大部分はブラウザ上のグーグル翻訳機能を使って日本語で読む手抜きをしたが、そこはお許し頂きたい(笑。以下、次回につづく


*余談ではあるがこの『Trinity』、先に『核とUFOと異星人』(ヒカルランド)というタイトルで邦訳が出たばかりである。実のところ、この翻訳には何故か原著にないことが長々書いてあったり誤訳があったりしてオレに言わせれば若干残念な本なのだが、それはともかくこういう翻訳本が出たことでサンアントニオ事件に興味を抱く人もこれからいかほどか増えていくかもしらん。であればこそ、『Trinity』にはいろいろと批判があって、じっさいに結構辛辣なデバンキングを浴びている――という情報にもそれなりに意味があるのではないかとオレは思っている。

【核とUFOと異星人】人類史上最も深い謎
ジャック・フランシス・ヴァレ博士
ヒカルランド
2023-08-03




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ここんとこ、ワイドショーやニュースとかは殆ど毎日大谷翔平の活躍を取り上げている。

確かに世界に冠たるMLBでこれほどの大活躍をみせているのだから当たり前のような気もするのだが、しかしこの現象、オレには何だかずっと違和感があった。

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何故なのかよくよく考えてみると、これは「実はMLBには1ミリも関心がないのに大谷翔平の成績にのみこだわる」という報道姿勢に偏執狂的な精神の歪みを感じたからなのだった。

だってそうでしょう、本当にMLBに関心があるンだったら「アメリカンリーグ東地区の首位ってドコだったかな?」みたいなコトを考えるのがスジである(ちなみに今の首位はレイズらしい)。しかし日本のテレビなんか観てると「首位がドコか」なんてことは全く報道しない。どうでもいいのである。

これを日本に当てはめてみると、たとえば「佐々木朗希が勝ったかどうか」にのみ関心を示し、パ・リーグの首位争いなんてものはどうでもイイというファンのようなもので、まぁフツーの感覚だとこういうのは野球ファンとすら言えないのではないか。そういう事態がMLB報道では当たり前になっている。


で、オレは、「そういえばこういう歪んだ報道スタンスというのは以前どっかで見かけたような気がする」と思ってイロイロと思い出してみたのだが、結果、これはむかし地方のテレビ局や新聞で盛んにやっていた「昨日の郷土力士の成績」みたいなコーナーに酷似していることに気がついた。

大相撲の優勝争いなんてこととは無関係に、とにかく地元出身の力士がどうだったかを伝えることのみに注力する。これはまさに大谷翔平報道とソックリである。要するに日本人の精神性というのはあんまり変わっていない。「オラがムラのヒーロー」が都会に出かけていって大活躍、ああ痛快だべなあという心理がそこにある。

最近は若い連中も「尻だして相撲取るのは恥ずかしい」とか言い出すようになったから結果相撲取りはモンゴル人ばっかになってしまい、こういう郷土力士自慢は成立しなくなった。そこで代替品として見いだされたのが日本というムラ代表の大谷翔平だったということであるに違いない。

まぁ「昨日の日本選手の成績」報道も悪いとは言わんが、そんなものはあくまでも脇役であるべきだろう。こういう倒錯した現象の背後には、ドンドン落ちぶれていく我がニッポンの惨状から束の間目をそらして元気をもらいたいという一般大衆の切ない思いも垣間見えるので、そんな正論を言っても仕方ねえのかなとは半ば思うのではあるけれども。(おわり)


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今朝の天声人語はフランツ・カフカをネタにしていた。まぁオレもカフカは嫌いじゃないのでそれはそれでイイのだが、今回は日本語表現が稚拙だったのでその点を指摘しておく。

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問題は「20世紀を代表する作家がチェコ・プラハに生まれ、きのうで140年を迎えた」という表現である。この言い回しだと「カフカは実は存命で、きのう140歳になった」という誤読を誘うおそれが大きい。

筆者はたぶん「いや、だからソコは140歳じゃなくて140年と書いてるわけで。それに朝日新聞の読者はインテリばっかなンでカフカが故人なんてのはジョーシキなんだよ。誤読なんて言い出すのは無学なヤツなんでほっとけや」とでも言うのだろうが、やはり文章としてコレはおかしい。

ご説明しよう。

この文章の述語は「迎えた」という言葉であるワケだが、じゃあその「迎えた」主体は何なのか。そういう風に考えると、コレはどう考えても「カフカ」以外に主語は見当たらないのである。そうすると「カフカが140年を迎えた」という事になるワケで、これもまた日本語としてはヘンだが意味としては「カフカが140歳になった」と理解するほかないのである。

要するにかくも日本語能力を欠いた人間が看板コラムとか書いてていいのかということをオレは言いたいのだった。

念のため添削してやると「20世紀を代表する作家が140年前のきのう、チェコ・プラハに生まれた」とかサラッと書けば良いのである。オレの言語感覚だと「140年前のきのう」という表現を使うのはあんまり好かんのだが、まぁ許容範囲だとして。 (おわり)


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ということで、今回は難解で知られるチャールズ・フォートの『呪われた者の書』ないし『呪われしものの書』冒頭部をChatGPTに翻訳してもらった。「平易に翻訳して」と注文したのだが、知能の高いChatGPTでもなかなか難しい作業であったようだ。やっぱりなんだかよくわからない。



呪われた者たちの行進である。

「呪われた者たち」とは、社会から排除された人々のことを指す。科学が排除したデータの行進が行われるであろう。

私が発掘した青ざめたデータによって率いられた呪われた者たちの大隊が行進するであろう。あなたはそれらを読むか、それらが行進するであろう。彼らの中には青白くて、炎を上げるもの、そして腐ったものがあるであろう。

彼らの中には死体、骸骨、ミイラである。それらは震え、よろめき、生命を持つ仲間によって活気づけられているであろう。眠っているのに歩く巨人たちも存在するであろう。

それらは定理であり、それらはぼろきれのようなものである。ユークリッドが無秩序の精神と腕を組んで通り過ぎるであろう。ここにはちょっとした売春婦たちが飛び交うであろう。多くは道化師である。しかし、多くは最高の品位を持つであろう。一部は暗殺者である。青白い悪臭ややつれた迷信、単なる影や生き生きとした悪意、気まぐれや愛想の良さがあるであろう。単純なものや教条的なもの、奇妙なものやグロテスクなもの、誠実なものや不誠実なもの、深遠なものや幼稚なものが存在するであろう。




*なお、ついでにオレが以前このあたりを翻訳してみた時のエントリーはこちら
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役所広司がカンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞したのだという。慶賀すべきことであろう。というわけで、今朝の「天声人語」もその話を取り上げている。

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だが、残念なことに今回も出来がよろしくない。

役所の出演したその映画は「パーフェクト・デイズ」というのだが、この作品を撮ったビム・ベンダースは小津安二郎監督に心酔しており、それ故に小津映画には欠かせない名優・笠智衆をも高く評価している。そういう経緯もあったので、贈賞式でベンダースは「私の笠智衆」という言い回しで役所広司を讃えた。

今回の「天声人語」はその逸話に全面的に乗っかってしまった。かつては
笠智衆がおり、そして現代には役所広司がいる。日本の名優の系譜に新たな一頁が加わった良かった良かった――そういう話に仕立てている。

がしかし、オレは一読、なんだか腑に落ちない感じに襲われた。よくよく考えてみると、このコラムは役所広司を讃えるというよりも、むしろ笠智衆を讃えるような構造になっている。試しに「笠智衆さん」「笠さん」という言葉が何度出てくるか数えたら6回。一方で「役所広司さん」「役所さん」は3回である。

今回の栄誉のヌシは役所広司なのである。今日のところは彼にスポットを当てる原稿を書かねばならない。なのにそこが倒錯している。役所広司だって確かに笠智衆へのリスペクトはあるだろうが内心は「オレはオレ。芸風も何も全然違うのに一緒にすなや」と思ってるのではないか。結果的に今回の「天声人語」もピント外れの内容に終わった。




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久しぶりの中華そば青葉。


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サンダルでもつっかけて出かけてったそこいらの店で手打ちそばを腹一杯いただく。こういうことができるのは実は人生の贅沢というものなのかもしれない。


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いまの天声人語の書き手の中には帰国子女がいるらしい。

この点については先に当ブログでも触れたところであるが、改めて繰り返すならば、文脈的には何の必然性もないのに「オレ(若しくはワタシ)、イタリアで高校生やってた時に現地でエゴン・シーレみたことあってさー」といって天声人語子が「自慢」する回があったのだ(もひとつ付け加えておくと、これは朝日新聞主催のエゴン・シーレ展宣伝のために書いたものであるようだ)。

その時は、なんだかこうやってお育ちの良さ・文化資本の潤沢さを誇示するような姿勢は何とも鼻持ちならないということを書いたワケだが、さて、今朝の天声人語でもまた「帰国子女ネタ」が使われていた。

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その一部をここに貼っておく。

これはそもそもどういう話かというと、村上春樹がこのあいだ『街とその不確かな壁』と題する新刊を刊行したのであるが、実はこの作品、彼が若い頃に書いた『街と、その不確かな壁』という中編を書き直したもので、今日の天声人語はそのあたりのことをネタにしている。

いや、別にそこから深い教訓とかは全く得られないので内容はどうでもイイのだが、気になったのは上にも貼った一節である。要するにここでは、「自分は英国で大学生活を送ったのだが当時現地の図書館で『街と、その不確かな壁』を読んだことがあったなぁ」ということを言っている。

「ふむ、別にアンタがイギリスでその作品を読もうが読むまいが関係ないだろ。それこそ何かの伏線なのか?」と思ってオレは先を読み進めていったのだが、なんとコレは別に何の伏線でもなく、このエピソードは全く回収されないまま終わってしまったのだった(強いていえば、春樹はのちに世界的に有名になるというくだりが関係しているという主張もありうるかもしらんが、別にこの人が英国の大学で春樹を読んだことと春樹の国際化は全く関係ないので無理筋である)。

さて、そうしてみると、この「英国で読んだ」というくだりは全く論旨に関係がない。つまるところ、「オレ(若しくはワタシ)って若い頃から世界に出て国際派だよなぁ。なんたって春樹の『街と、その不確かな壁』読んだのもイギリスだったしさぁ」ということを書き手は言いたいのだろう。ドヤ顔が見えるようである。

かくて今回の天声人語からも「帰国子女であるオレ(もしくはワタシ)ってスゲエ」という嫌味なエリート主義が行間からにじみ出てしまった。今日の書き手が前回の「イタリアでエゴン・シーレ展をみたオレ」と同一人物かどうかは定かでないが、仮にその手の書き手が二人いたとしたらそれはそれでスゲーと思う。

そしてとりあえず言えることは、前回オレが親切心から「こういう書き方は止めたほうがイイよ」と書いたことは彼らに全く伝わっていなかったということで、つまり彼らはこんな辺境ブログの天声人語批判など全く見ていないのである(当たり前だがw)。




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けさの朝日新聞に、昨年まで天声人語を担当していた記者が「あのコラムを書くにあたって心がけていたこと」というようなテーマで原稿を書いていた。

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これはその一部であるが、なかなか正直に書いてあって大変宜しいと思った。

要するに「なんか世間で話題になっておるテーマがあるのでソコに引っ掛けて書かないとイカンがなかなかうまいこといかず適当に小手先で原稿をデッチ上げてしまい、読者にお叱りを受けたことがありました」ということを言外に匂わせている。

この記者がわざわざこんな辺境サイトを覗きに来るわけはないのでここでいう「読者」がオレである可能性は3ミクロンもないのだが、オレが再々述べてきたようなことは連中も如何ほどか反省しているようであると知って「少し見直したゾ」といったところである。

今後もこういう反省の上に立ち、小手先の作文技術でごまかすようなことは禁じ手としていっていただきたいものである。(おわり)


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今回は「らーめん大金」に行ってみた。
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自宅で使っているイスを新調した。

これまでは2015年に中古で2万ぐらい出して買ったイトーキ「プラオ」(ハイバック・可動肘付きチェア)というのを使ってきたのだが、若干ダンパーがヘタってきたような感じがしたので思い切って買いかえたのである。

今回は清水の舞台から飛び降りる覚悟で「新品」にした。オカムラの「シルフィー」(C687XR-FSF1 ハイバック/クッションタイプ/アジャストアーム付)でKagg.jp というところで注文した。

これまでの経験でちゃんとしたOAチェアは自宅使いでもスコブル優秀だということが分かったのであるが、評判がよいと聞くこのシルフィもなかなか良さげである。若干バネ(というのか?)が固いような気もするが使っていくうちにこなれていくのだろう。

肝心のお値段であるが、いろいろクーポンとか出たタイミングだったので7万円台で買えた。これでもまだ高いといえば高い。しかし、これまでのプラオはウチで8年+どっかのオフィスでX年稼働したにも関わらず実際はまだまだ現役でいけそうだったので、これも10年超はフツーに使えるのではないかと期待する。ひょっとしたらオレが死ぬ迄イケルかもしれない。




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■PIAA グラファイトワイパー替えゴム  WDR650(長さ:650mm) 呼番172
■PIAA グラファイトワイパー替えゴム  WDR400(長さ:400mm) 呼番163
■NWB グラファイトワイパー替えゴム TN30G (長さ:300mm)呼番:GR41

*2022年1月以来の交換。前回は
■NWB グラファイトワイパー替えゴム AS65GN(長さ:650mm)
■NWB グラファイトワイパー替えゴム AS40GN(長さ:400mm)

なお今回調べたところワイパーブレード交換の場合は以下が適合品(と思われる)
■BOSCH ワイパー ブレード エアロツイン J-フィット 650mm AJ65TL
■BOSCH ワイパー ブレード エアロツイン J-フィット 400mm AJ40TL 
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今日からWBCの日本戦が始まるというので、けさの「天声人語」はWBCの煽り記事である。尤もその出来は今回も些か苦しい。例によって冒頭部分とオチの部分を貼っておくが、文章表現上の稚拙さが目立つ。

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ひと言で要約すると「1913年の大リーガー来日から110年を経て、今度は日本人大リーガーも参加してずいぶんとレベルの上がった日本代表が世界各国と戦うことになった。何とも晴れがましいことである」みたいなことを言っている。

ただしこのコラム、レトリックをハズしている。1913年の時は「大リーガーの場外弾で昼寝中のカラスも驚いたことであろう」みたいな記事がたまたま朝日新聞に載ったというので、最後を「今回の初戦ではカラスも驚くプレーが見られるか」と締めている。しかし残念でした、今回のWBCは国内ではもっぱら東京ドームで試合を行う。仮にあの辺にカラスの巣があったとしても場外弾でカラスが驚かされる事態は100パー起こりません(笑)。

些事といわれるかもしらんが、それぐらい調べて書いたほうがよろしい。コラムというのは、このシメがユルいといくら良いことを言っても全然心に響かないのである(今回も別に良いことは言ってないけれども)。







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たまさか国会図書館に行く用事があったので、資料が出てくるまでの時間を利用して端末でデジタル資料をいろいろみていたら、ちょっと面白いものに出くわした。

かつてあった月刊誌「科学朝日」に1994年1月号から1年間連載されていたシリーズ

「超常膝栗毛」である。

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リアルタイムで読んでた記憶はないけれどもオカルト業界ではけっこうよく知られた伝説的な企画で、奇しくもジョン・キールと同年同日に亡くなった超常現象研究家の志水一夫氏(1954~2009)と皆神龍太郎氏(1958~)がさまざまなオカルトネタについて基本的に懐疑的なスタンスから蘊蓄を傾ける――という実に楽しい企画であった(ただし皆神氏はこの企画では本名で登場している)。

改めて考えてみると、この手の超常ネタというのは今でもたまさかメディアで扱われるバアイがあるけれども、たいていは商業オカルト雑誌のひととか芸人まがいの人が出てきて面白おかしいことを言うバラエティ仕立てのものばっかである。ちゃんとオカルトワールドのことを知ってて、かつクリティカルなスタンスで「ダメなものはダメ」というような人はなかなかお呼びがかからない(ようにみえる)。

そういう意味ではちゃんと「分かってる」このお二方が毎月定期的に登場してたこの「超常膝栗毛」というのは今日ではなかなか得がたい企画ということになるのではないか。

仮に志水氏がご存命であったら今69歳。UAPの話題がけっこう世を騒がせている昨今、また皆神氏と組んで「新・超常膝栗毛」でも「オカルト ジジ 放談」でも何でもいいけれども面白い企画を送り出してくれたであろうに、と思う。残念。




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久々に天声人語ネタである。

オレは常日ごろ天声人語子の高踏趣味・貴族主義にはヘキエキしているのだが、今朝のヤツがまさにその典型であつた。

どういう話かというと、ただ単に「東京都美術館でエゴン・シーレ展をやっているのを観に行きました」という、ただそれだけのことなのだが、それではコラムにならない。なので適当に理屈をデッチ上げている。それが最後のパートであって、エゴン・シーレのような「とんがった芸術」は平和な時代でないと 受け入れられないのだ皆さん平和を守りましょう、みたいなことを主張している。

ここでイロイロと疑問が兆す。

まず「とんがった芸術」というのは何なのか。とんがるも何も芸術というのはそもそも唯一無二のやむにやまれぬ表現行為であるハズだから、部外者であるアンタの主観で「これはとんがってる」「これはとんがってない」などと判定を下すのは不遜である。

さらに、百歩譲ってこの「とんがった芸術」なるものが特別なモノとして存在するとして、それが人々に理解されるためには平和が必要だという主張は正しいのだろうか。確かにこのコラムの中段にはナチスドイツが「退廃芸術」と称して一部アートをダンアツした事例が紹介されているワケだが、だからといって「平和じゃないとダメ」という一般化がどこまで可能かは相当に論証が難しい問題のような気がする。

とまぁここまで書いてきたのは実は本筋とはあまり関係ない話である。オレがこのコラムを読んでスコブル不快になったのはその冒頭部分なのだった。天声人語子は「実はオレ(ワタシかもしらんがとりあえずオレということで)、39年前にイタリアで高校生だった時にエゴン・シーレ観てるンだよね」と言っている。

だがしかし。よくよく考えると、この「若き日にイタリアでエゴン・シーレを観て衝撃を受けた」という話は最初に紹介したこのコラムの本筋とは殆ど関係がない。別にイタリアで観ようが日本で観ようがそこに本質的な違いはなく、高校生で観ようがジジイになってから観ようがこれも別に関係はない(いや「若い時に見たら違う」という議論もありえるがオレ自身がジジイだということもありここではその説は却下するw)

天声人語子は39年前におそらく親の仕事かなんかでイタリアに住んでいたのであろう。最近の「日本の安月給じゃもう死ぬので外国に脱出します」みたいな人とは違い、当時海外で生活していた人というのは相当に社会的階層が上のほうの人たちである。要するにエリートである。この39年前の話には当然そういう含意がある。

つまり天声人語子はここで「やっぱ若い頃に本場でアート鑑賞とかしてねーとホンモノはわからんよね」とさりげなく自慢をしている。そういうオレサマがコラムを披瀝しているのだからして、シモジモの者どもは謹んで静聴セヨという威圧的な空気が漂ってくるのである。

アホらしい。エゴン・シーレを観るのにそんな能書きは要らん。というか、そんな上から目線でエゴン・シーレいいよネみたいな話をされたら、フツーの人間は「けっ、そんなもん観に行くかよ」となってしまう恐れがある。逆効果である。オレが何度も注意をしてあげているのに、どうも朝日新聞の悪しきエリート主義は改まることがない。

PS ついでに言っておくと、朝日新聞社は東京都美術館でやっとるエゴン・シーレ展の主催者の一角を占めている。「なんか書いてよ」と事業部から頼まれたのかもしれない(笑)。

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