日本維新の会に浅川義治という代議士がいる。

その素性とかはよく知らんのだが、この人物は国会でスキあらばUFOUAPにまつわる質問をすることで有名なのだった。

 それでオレは今回国会の会議録検索システムをのぞいてみたのだが、各種委員会に出るたび彼はまるで義務であるかのようにしてUFOの話をするのだった。たとえば2022427日の衆議院内閣委員会では「いじめ」についての質問をしているのだが、その中で「自分は過去の委員会審議でUFOについての質問をしたことがあったがこれについては批判的な意見がすいぶんあった、こういう感覚を持っている人がいじめられるんだなと私は身をもって分かっている。そこでいじめに絡む次の質問をするのだが――」などと相当にムリヤリな文脈でUFOを前振りに使ったのだった。

 ちなみにこの議事録読んでてちょっと面白かったのは、この2022年4月27日の内閣委委員会では浅川氏に続いて同じく日本維新の会の足立康史氏が質問に立ったのだが、足立センパイはこの場でけっこう辛辣なことを語っている。 



浅川議員が当選してくるまでは、党内で、私がちょっと変わった人だと言われていましたが、彼が来ると、私が普通の人のグループに入りまして……(発言する者あり)いやいや、普通の人のグループに入っていまして。それから、どんな質問でもしていいんですが、さすがに、この内閣委員会で官房長官をお呼びしてUFOの質問をしたときは、もうやめてくれ、こう申し上げたことは付言しておきたいと思います。

 

なんだかずいぶん浅川氏に冷たいのである。要するに「そんな質問すなや!」という意味のことを言っているに等しい。浅川氏、立つ瀬無し(笑)。

  しかし彼はこりないのだった。

 2023119日の衆議院安全保障委員会で、彼は912日にメキシコ下院議院であったUAP公聴会にはるばる出席してきたという話を語っている。要するに世界はいまUFOUAPに注目しておるのであって日本もちゃんと調査せねばなるまいという文脈での話なのだが、その公聴会にはオンラインの参加者としてアヴィ・ローヴやライアン・グレイブスといったUFOシーンにおける著名人も来ていたんだぞと懸命にアピールしている(もっともこの公聴会では極度に怪しいUFO研究家として知られるハイメ・マウサンが登場し、宇宙人の遺体と称するものを持ち出して全世界の失笑を買った話には流石に触れていないw)。

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 メキシコ議会に持ち出されたエイリアンの「遺体」(イタイ) 


いや~コリャ変わり種の議員サンだわという話である。だが、冷静に議事録読んでみると彼自身はそんなにハチャメチャな話をしているわけでもないのだった。この安全保障委員会では、たとえばこんなことを言っている。 



私が言っているのは宇宙人が乗ってきている円盤の話じゃなくて、国防上、もしかしたら脅威になるかもしれない、自然現象であるかもしれないし、未知の兵器かもしれない、そういったものの存在を前提、前提というか、脅威あるいは何らかの対応として見ているかどうか、対象として見ているかということを私は論じているので、宇宙人のUFOとかという前提ではないんですね。

 

 これ自体はなかなか真っ当な言い分であるのだがUFO熱というものが極度に冷え切った日本において、いくら安全保障みたいな観点から「UFO大事だから」とかいってもなかなか風は吹かない。世間的にはUFOについて質問しとるヒマがあったら国民の暮らしなんとかせんかいという話にならざるを得ない。

 さらにいえば、日本維新の会というのは風任せの選挙互助会みたいな部分がおおいにあるので、厳しいことを言わせてもらえばこの人物もそうそう長いこと国会にいられるとは思えない。じっさい、彼は前回衆議院の小選挙区(神奈川1区)で選挙に出たのだが大敗し、重複立候補していた比例南関東ブロックのドンケツでかろうじて復活当選した人物であるらしい(ソースはWikipedia)。

 なんだか徒花感が漂うのだが、まぁかつてはアントニオ猪木なんかが国会でしばしばUFOに関する質問をしていたこともある。UFO議員の系譜をたどるというか、令和の国会の知られざる一断面として「こういう人もいたんだ」ということを語り継いでいくことにも如何ほどか意味があるのではないだろうか…………いや、そうでもないか(笑)。


★オマケ
なおその後、この浅川議員のインスタでこんな写真をハッケンしたのだった。要するに「宇宙人は地球に来ている」とかイイカゲンなことばっかり吹いている自称UFO研究家の竹本良氏=写真右=とのツーショットなのだが、マジメにUFO問題を考えようというのならこんな人とつるんでたらダメだろう。この時点で信頼度はマイナス1800ポイントである。
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石臼挽自家製粉がウリで、昼時には行列もできるという下町の蕎麦屋。

一瞬「割り箸」と見まがうような太いソバは、かつて山形そば街道の「あらきそば」で食したそれを想起させるものがあった。この中盛りは1600円とけっこう値が張るのではあるがそばを腹一杯堪能できることは請け合いで、いわゆる江戸の藪蕎麦などに見られる「ひとすくいで終了」のお上品なそばに抗するアンチテーゼという意味ではなかなかに痛快ではあった。


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もはや日本の秋の風物詩といっても過言ではない超常同人誌「UFO手帖」刊行の時期が今年もやってきた。これまた恒例ではあるが11月11日に開催された文学フリマ東京では早速に頒布が行われたところであり、さらには近々通販も始まるという話になっているようだ。

小生は今号にも少しばかり原稿を載せてもらった利害関係者であるわけだが、それだけにこの「UFO手帖8.0」はゼヒ多くの人に読んでいただきたいのである。というわけで今回は、この新刊の内容を簡単に紹介してみたい。

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今号の特集というのは題して「UFO DIG-UP!」。直訳すれば「UFOの掘り起こしだよっ!」といったところか。その狙いは冒頭部に書いてある。

「UFO手帖」というのは2005年創刊の「Spファイル」の後継誌であるわけだが、この「Spファイル」のキャッチフレーズは「オカルトをほじくれ!」であった。要するに彼らの原点は「ヘンテコな事件や人物や書籍や作品をほじくりかえすこと」。であれば、これまでの「UFO手帖」ではイロイロひねった特集もやってきたけれども、ココは初心に返ってあんまり知られてない事件・忘れられつつある事件を「さあどうだっ!」とズラリ広げてお披露目してやろうじゃないの。本号というのはおおよそそういうノリで作られている。

さて、特集のしょっぱなで紹介されている「サンダウン事件」というのがまさにこの「さあどうだっ!」事例の典型である。ひと言でいえばコレは、英国で1973年5月、子供二人がピエロみたいな怪人物に遭遇したという奇譚なのだったが、ソイツの風体は一見「オズの魔法使い」の「ブリキの木こり」みたいなソレで(ただしコイツは金属製のロボットではなかったようだ)、自分が住んでいるらしい小屋に子供たちを招いて何だかよく分からない禅問答みたいなやりとりを交わしたりした。


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ちなみにこの小屋は金属製で「着陸したUFO」みたいに見えないこともないので「サンダウン事件」はいちおうUFO関連事象とされているのだけれども、別にこの小屋が空中に浮かんだワケでもない。なのでたとえば妖精譚といってもさほど違和感はないだろう。最近であれば変質者出没情報にもなりかねない。それぐらい既成概念のワクをはみ出している。ワケわからん。そしてワケわからんからこそ面白いでしょう。そういう話になっている。



本特集には以下、こういうヘンな事件が目白押しである。「日本昔ばなし」の如き不思議な味わいを漂わせる「伊豆事件」(1979年)。ナゾのエンバンが貨物列車を50キロ以上牽引した――というか昨今のエネルギー問題を考えると「牽引してくれた」といいたくなるw――「ソビエト列車番号1702事件」(1985年)。UFOに殺されたりエイリアンとSEXしたりというエログロ趣味の読者諸兄が大好きなエピソード集もある。

で、こういうのを続けざまに読んでいると、「UFO現象というのはなんてバカバカしいのだろう」と思わざるを得ない。だがこのバカバカしいというコトバ、実はちょっと高尚に「不条理」と言い換えることも可能なのであって、実際にジャック・ヴァレはUFO現象の本質をこの「不条理性」に求めていたりする。すると何だか違う世界が見えてくる。この不条理というのは、ヘンテコなUFO体験を懲りもせず証言し続けてきた人間存在の不可解さともどこかでつながっているんではないか。凄いことなんじゃないかこれは。

――とまぁヘリクツを並べてしまったがそんな話はともかく、ここで一つ確実に言えることがあるとすれば、原点に回帰した今号の特集はなかなかに新鮮であるということだろう。ということは、来年以降はここからまた何か新しい展開があるのではないか。今号の特集はそんな余韻を漂わせている。

さて、ずいぶん長くなってしまったので特集以外の記事については簡単に。

「UFOと音楽」「UFOと映画」「シリーズ超常読本へのいざない」といった連載モノは相変わらず好調である。とりわけ小生の琴線に触れたものを挙げておくと、西尾拓也のマンガ作品「むー」を論評した「UFOと漫画」は出色であった。細かい内容には触れないが、「ここではないどこか」を希求する少年少女の心性とUFOはどこかで繋がっているのではないか、そうした世界を断念することで人はオトナになっていくのではないか――といった深いことがココでは語られている。

「冷戦下における中国・ソ連の日本向け雑誌から」というタイトルの「古書探訪」の論考も興味深かった。資本主義と合体した近代主義モダニズムとUFOとの間には密接な関係アリというのが小生の持論であるが、冷戦末期に至ってUFOをめぐる言説が中ソで浮上したという指摘にはなかなか考えさせるものがあった。そうそう、それから雑誌に載ったUFO記事を網羅する「新編・日本初期UFO雑誌総目録稿」は1968-70年に突入。地味だけど後世に残るのはこういう仕事のような気がする。

連載以外の単発モノもそれぞれに面白くて、例えば科学雑誌とオカルト雑誌の間を振り子のように揺れた雑誌「UTAN」の数奇な運命をたどったエッセイには世代的に懐かしさを覚えた。


あ、そうだ、それで最後に一つ言っておきたいことがあった。「UFO手帖」はこのところ気鋭の新たな書き手をいろんなところからスカウトしてきて誌面が活性化してきたのであるが、今号でもザクレスホビーさん、夜桜UFOさんといった方たちがデビューを飾っている。

コレは今号の「寄稿者紹介」の小生のスペースに書いたことでもあるのだが、「UFO手帖8.0」の成否について易を立ててみたところ、火風鼎の初六を得た。平たくいえば「器の中のものをいったん全部外に出して新しいものを入れると調和が取れてさらに発展する」ぐらいの意味である。初心に返り、かつ新しい書き手も迎え入れた「UFO手帖」の今後はますます明るい……ハズである。(おわり)



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一度でも
我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと

 ――啄木『一握の砂』より
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退職準備を始めたのである。

会社にはこれまで都合38年間ほども勤めてきた。在職中は散々悪罵を投げつけてきた会社であるがいざそこから離れてしまうとなると何となく心細くなってくるのは我ながら何だか情けない(笑)。実際これまでは健康保険料とかも半額は会社持ちだったりしたワケで何やかやいってこの世には「寄らば大樹の陰」というところがあるのだと改めて思う。

より具体的にいえば年金が出る迄は貯金を取り崩して生活していかねばならない。だがこれも自由とのバーター。致し方ナシ。

だがしかし今はあんまり退職についてイロイロ考えているヒマもないのである。

というのは以前娘用に組んだ自作PCに今度ビデオカードを取り付けてやったのだがそのプロセスでデバイスをつなぎ替えたりイロイロしていたら何故かOS(Windows10)が行方不明になり結果起動不能になるという奇っ怪な事態が起きているので、EaseUSのソフトなどを駆使して調査する仕事をせねばならぬし、それが不調ならSSDに新しくOSを入れてそこから立て直しを図らねばならない。ま、そんな作業に追われてちょっと気を紛らせているというところもないではない。

PS なおPCの「故障」はSATAケーブルがちゃんと刺さっていなかったせいだったようだ。なんだ大騒ぎしといてこの結末は(笑)。



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こないだKickstarterで求めたUfology Tarotから一枚。ここに登場しているのが誰であるかお分かりであればなかなかのUFO通と言えよう(なお後ろに写っているのはオーブではなく街灯であるw)。


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有史以来最大級の猛暑に見舞われた今年の夏であったが(笑)この二日間ほどはだいぶん涼しくなった。ちょっと外出してみようかということで、今週末は久しぶりにクルマを飛ばして佐野ラーメンの「日向屋」に行ってみた。

太さがイレギュラーで、エッジの効いた断面に如何にも手打ち麺という風情を漂わせる麺は相変わらず。今回もおいしうございました。

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 チャーシューメン1100円+大盛り130円。いつのまにか値上げしたような気がするが、まぁ諸物価高騰の折、やむを得ないところであろう


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今回はPCの光学ドライブを換装したのでメモ。

新しく入れたのはパイオニア製の「BDR-S13JBK」というブルーレイドライブ。今までのは取り出しボタンを押してもトレイが引っかかって出てこない症状が出てきており、あるいはディスクの読み込みが何だかスローモーになってきたような気もしたので思い切っての購入である(直接的には数日前に録画済みBDを再生したところいつまでたってもガーガー言ってマウントしないので「いよいよ末期か」と思ってポチったのであったが、いま新しいドライブにかけてみると同様にマウントしない。問題が生じたのはディスクのほうだったようだがまぁいいだろう)。

最近では「光学ディスクなんて時代遅れ」という風潮が広がっており、BDドライブですらPCには不要ということになりかけているようだが、旧世代としては搭載していないとパンツを掃き忘れて下半身がスースーしているような気分があって落ち着かない。

やがてこういうドライブも生産されなくなるのかもしらんが出回っている限りは載せていく。

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というわけでジャック・ヴァレの『Trinity』はどうも彼にとっての黒歴史になってしまったという話を延々書いてきたわけであるが、前にちょっと書いたようにこの本はこのほど『核とUFOと異星人』(ヒカルランド)というタイトルで翻訳本が出たばかりである。税込み6600円というバカ高い本なのでそんなに買う人が多いとは思えんが、彼のUFO本(限る単著)のうち商業出版で翻訳されたのは実質単著と思われるこの本を含めてたった2作であり(余談ながら、この『核とUFOと異星人』には原著にない訳者の文章(?)がだいぶん加筆されていたり翻訳にかなりの問題点も見受けられたりもするのでヴァレの言説を精密に読みたい方は原著と照らし合わせながら読まれるのが良いと思う)それだけに『核とUFOと異星人』という本を読んで「あぁヴァレってこういう人だったのか!」と思われるととても悲しいし、一方では最近また「マゴパス再版しないのですか?」というコメントなども頂戴したこともあるので、ヴァレの本当にクリエイティブなところが存分に発揮されたのは『マゴニアへのパスポート』(と『見えない大学』あたり)だと考えているオレとしては、蟷螂の斧ではないけれどもオレが以前刷ったこの本の個人訳をまた増刷してみようかなと考えているのだった。

年内になるか来年になってしまうか、そのへんはちょっと分からんけれども、マゴパス増刷についてはまた具体的なことが決まったらこのブログ等で告知したいと思うのでご希望の方は今しばらくお待ちください。m(_ _)m   →そのご増刷しました。関連情報





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ジャック・ヴァレよ、どこにいく…

結論的なことを言ってしまうと、ヴァレは今回、タチの良くない人たちの言うことを真に受けて非常に恥ずかしい本を出してしまったのではないかと思う。

Trinity』を最初に読んだ時、オレは「老境に入ったヴァレは残された時間は少ないという焦りからついつい判断を誤ってしまったのではないか」という風に考えた。ただ、ジョンソンの火を噴くような入魂のレポートに目を通した今となってみると、その錯誤というのはちょっとしたミスでは収まらないレベルのものではなかったのかと感じている。

そもそも『Trinity』の副題は「The Best-Kept Secret」、つまり「実によく隠されてきた秘密」というのだが、この時点で話はねじれている。このストーリーというのは、端的にいえば証言をしてくれそうな関係者が軒並み死んじまってから「実はこんな事件がありました」とか言い出す人が出てきたというだけの話なのだ。ハッキリいえば別に「隠されていた」とかそういうものではないのである。

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       ジャック・ヴァレ

いや、実際のところこれをディベートだと考えれば圧倒的に優勢なのはジョンソンのほうである。であれば、ジョンソンの説得力のある批判に対して、ヴァレは「そう言われれば根拠薄弱なのは否めない。反省すべき点が多いのは認める。言い過ぎた」とでも言うしかないと思うのである。ところがヴァレは「事件は本当にあった」というスタンスからジョンソンに対して反論をしている。しかもそれは本質的な部分で反論のテイをなしていないようである。

ジョンソンのレポートには、この一件に関する著名なUFO研究家のコメントなども紹介されているのだが、たとえばドナルド・シュミットの述べている言葉は、悲しいことに核心をズバリ衝いていると思う――曰く、「この事件は100%でっち上げだ」


ここでオレは、ジャック・ヴァレの著書『Revelations』(1991年刊。『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』のタイトルで邦訳あり)に出てくる或るエピソードを思い出す。米国のUFO&オカルト業界界隈では1950年代以降、インチキくさいネタを関係者に売り込んで回るカルロス・アレンデという人物が暗躍していた。アレンデは、戦時中に行われたという「フィラデルフィア実験」のストーリー――要するに1943年に米海軍が磁力を用いた或る種の軍事実験をしていたところ、駆逐艦が360キロ先にテレポートしてしまったという駄法螺だ――を吹聴しまくったことで有名な怪人物であるが、1960年代になって、この人物はヴァレに手紙を送ってきた。細かいことを全部端折っていうと、アレンデはUFO絡みの重要情報が書き込まれた(という触れ込みの)書物を持っていると称し、「これ買わんか?」と言ってきたのである。二人の間では手紙のやりとりがしばらく続いたというのだが、さて、ヴァレはどうしたか? そう、コイツ香具師やろと見抜き、「そんなん要らんわ」といって追い返したのである。


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   カルロス・アレンデ

UFO業界というのはかくも怪しげな連中が徘徊する世界であるわけだが、ジャック・ヴァレは『Messengers of Deception』(1979年刊)でも奇っ怪なUFO理論を唱える人々、陰謀論を説く連中などを一刀両断していた。要するに百鬼夜行のUFOシーンにあって懐疑的な精神を失わず、真贋を見抜く目をもつ研究家として彼は一目置かれていたのである。

そんなヴァレがなぜこんな粗雑な主張を信じるようになってしまったのか。「騏驎も老いては駑馬に劣る」といった言葉で済ませてしまえば話は簡単ではあるが、オレはこの事態をなかなか呑み込むことができないでいる。そして哀しい。

願わくは――これからでも遅くない――ヴァレには自らを懐疑する姿勢を取り戻してほしいと思う。と同時にUFOファンとしては肝に銘じたい。UFOが分かったと思った瞬間、人は間違えてしまうということを。

――幻のサンアントニオ事件からちょうど78年目の8月16日記す     (おわり)


【追記】
なお、この件に関連しては『Trinity』の翻訳書『核とUFOと異星人』についてもイロイロと思うところがあったのでX(旧Twitterですかw)にイロイロ書き込んだ。一連の書き込みをツイログにまとめているのでいちおうリンクを貼っておこう

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パオラ・ハリスってどうよ?

 ここまではジョンソンの指摘を踏まえつつ『Trinity』にまつわる様々な問題点をみてきた。その中でオレが一つ思ったのは、ヴァレを自らの調査に引き込んだパオラ・ハリスという自称ジャーナリストは、何だかとても危なっかしい人物なのではないかということであった。
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  パオラ・ハリス


 本書を読むと、ヴァレは至る所でハリスのことをえらく褒めている。ハリスは母国イタリアの
UFO事件についてアレン・ハイネックに情報提供をしていたんだとか、あるいは米国の軍人上がりのフィリップ・コーソーが書いたUFO本のイタリア語訳を出したんだとか、まぁ実績があって信頼できるユーフォロジストなんだということを再三強調しているのである。

しかし、『Trinity』でも再三引用されているハリスのバカやパディージャに対するインタビューを見てみると何だか要領を得ないやりとりが多いし、誘導尋問的な質問も目立つ。このサンアントニオ事件のストーリーというのは、実際にはハリスの手助けを得て作り上げられたものではないかという気さえしてくるのだ。

にも関わらずヴァレがハリスを高く評価しているというのは、要するに「サンアントニオ事件は本当に起きたものだ」と主張するためにはハリスのインタビュー記録を肯定し、依拠するしかなかったからなのではないか(実際、ヴァレがこの事件に取り組み始めた時点でバカは死去していたので、バカの言い分についてはハリスのインタビューを鵜呑みにするしかなかったのである)。

 はてさて、このハリスという研究家は本当に信頼していいのだろうかと思うのだが、実はこの点についてもジョンソンは鋭く切り込んでいる。彼は、この『Trinity』が刊行されるまで彼女のことは全く眼中になかったらしいが、改めて調べてみたところ、彼女は怪しいUFO写真で名高いコンタクティー、ビリー・マイヤーを支持するなど、業界では「何でも信じこんでしまう」人物とみなされていたことを知る。

 実際、ハリスは有名な調査団体MUFONの機関誌、UFOジャーナルの2016年6月号にサンアントニオ事件についてのレポートを執筆しているのだが、ジョンソンによれば、当時のMUFON内部では「こりゃガセネタじゃねーのか? いいのかよ」みたいなことをいいだす人も出てきて、結構な問題になったらしい(ついでに言っておくと、このMUFONジャーナルの記事では事件の発生日は「8月16日」ではなく「8月18日」となっている。つまり「公式ストーリー」と日付が違う!)。

ちなみにジョンソンは、「ヴァレがハリスと組んだことが2021年に明らかになると、その事実は、程度の差こそあったものの多くの篤実なUFO研究家に驚愕をもって受け止められた」とも書いている。さもありなむ。
 


で、ここで若干脱線させていただきたいのだが、「なんでヴァレはこんなの信用しちゃってるの?」という文脈で――これは直接サンアントニオ事件にかかわる話ではないけれども――ジョンソンは一つのエピソードを紹介している。

Trinity』の中には、サンアントニオ事件の現場近くで起きたソコロ事件(1964年)に論及したパートがあるのだが、ここでヴァレは、ソコロ事件を調べたレイ・スタンフォードの『Socorro 'Saucer' in a Pentagon Pantry』(1976年刊)という本を激賞している。

ちなみにレイ・スタンフォードというのは若い頃、宇宙人とのチャネリング、つまり「宇宙イタコ」をやってた人物なのだが、この「宇宙イタコ」で「地球に近々大変動が起きる!」というメッセージを受けたので、兄弟と一緒に本を書いた。これが実は日本とも関係大ありで、日本のUFO団体、CBA(宇宙友好協会)がこの本を鵜呑みにし、1960年に「リンゴ送れ、シー」事件というけったいな事件を起こしてしまったのは有名な話である。まぁこれはまた別の話なので興味のある方は自分で調べて頂きたいのだが、ともかくこのスタンフォードは「宇宙イタコ」のあともUFO研究は続け、ソコロ事件の本なども書いていたのである。

閑話休題。話を戻すと、『Trinity』では「ソコロ事件の現場からはナゾの金属粒子が見つかったンだが、その事実は当局によって揉み消された」というスタンフォードの主張が肯定的に紹介されている。だがジョンソンに言わせれば、これはとんでもないことであるらしい。彼は「その主張はUFO研究家のリチャード・ホールにデバンクされたやろ! 何いっとんのや!」と言って激しく怒っている。オレはこの件については全く知識がないのでどっちの主張に分があるのかよく分からんのだが、ともかく彼は「スタンフォードみたいなヤツ信用しちゃアカンでしょ」といってヴァレに意見している。偏見かもしらんが、オレも元「宇宙イタコ」の人は警戒したくなる。

 さて、そういう目で『Trinity』を読んでみると、確かにこの本のヴァレは総じて危なっかしい。例えば、本書には「UFOが現場に何かしらの物体を落としていった事例」として1987年の「オーロラ事件」や1947年の「モーリー島事件」が出てくるのだが、一般的にこの辺の事件はUFO業界でもHOAX(デッチ上げ)の可能性が高いとされている。


確かに『Trinity』でのヴァレは、あまりに人を信用しすぎている。(つづく

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第三の目撃者?

 「サンアントニオ事件」の目撃者は、ホセ・パディージャとレミー・バカの二人しかいない。いや、正確にはアボガド形の墜落物体を目撃し、その内部に入った(とされる)パディージャの父親、警官のアポダカもいるのだが、二人とも既に亡くなっている以上、もはや証言を得ることはかなわない。となると、明確な物証もない以上、この事件が本当にあったかどうかはパディージャ、バカの証言次第ということになってしまう。どうしたって信憑性は弱い。これを補強するにはどうすれば良いか。突破口は一つある。残骸の回収・移送作業に関わった(とされる)軍関係者の証言をゲットすれば良いのだ。

 ――といった思考回路をたどったのかどうかは知らんが、『Trinity』の中にも、軍関係者にまつわるエピソードは若干出てくる。

 まずはバカの証言なのだが、彼は「墜落物体の回収作業に携わった兵士の中には、のちにホセ・パディージャのイトコと結婚した人物がいた」と言っている。バカによれば、この兵士は自らの体験をホセの父親には話していたのではないかと言っている。だが残念でした、例によってこの兵士はもう死んでいるそうだ。またしても死人に口なし、である(念のため言っておくと、ジョンソンのレポートはこの点については特段追及をしていない。どうせウソだろ、ということか)。

  しかし、ヴァレとハリスはこんなことにはめげないのである。サンアントニオ事件については、実は「軍人だったオレのオヤジは当時この墜落事件に関わった」と言い張っているウィリアム・P・ブロフィなる人物がいて、『Trinity』ではこの人物の証言が肯定的に取り上げられているのだった。

    【注】オレのもっている『Trinity』初版を見ると、この人物はブロシィ(Brothy)という名前で出てくるのだが、ジョンソンはブロフィ(Brophy)と書いている。どういうことかと思ってググってみると、どうやらジョンソンのいう「ブロフィ」の方が正しいようなのである。この辺からして、『Trinity』は校閲すらロクにしていないずいぶん杜撰な本であることが分かってしまうのであるが、ともかく彼の名前は「ブロフィ」である、ということで先に進みたい。

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 ウィリアム・P・ブロフィ

 
それではこのブロフィはどんなことを言っているかという話になるわけだが、『Trinity』初版においては、その証言というのは本文ではなくそのほとんどが脚注の中で紹介されていてスコブルあっさりした扱いを受けているのだが、そのあらましは以下の通りである。

  ブロフィの父親はウィリアム・J・ブロフィ(1923-1986)という名前で、終戦時にはニューメキシコ州アラモゴードの第231陸軍航空隊に配属されていた軍人であった(注:つまりこの親子はいずれも「ウィリアム・ブロフィ」という名前で何ともまぎらわしいのだが、とりあえず以下では単に「ブロフィ」といった場合は息子のほうを指すことにしたい)。

  さて、ブロフィがこのオヤジから生前聞いたところによれば、1945年8月15日頃、訓練飛行でたまたま現場付近を飛んでいた軍用機から「地上に何やら煙が上がっている」との報告が本部にあり、これを受けて上官から命令を受けたオヤジは現場に急行。彼は墜落した物体を発見するとともに現場処理にあたった――というのである(ちなみに彼は現場近くに「インディアンの少年」2人がいるのもみかけた、という話になっている)。

  これが本当であれば有力な傍証ということになるのかもしれない。ところが、ジョンソンによればこのブロフィという男、実は相当な食わせもので、全く信用ならない人物であるらしい。どういうことかというと、彼はもともとUFOマニアで、以前からクソ怪しいUFO話をひろめていた経歴があったというのである。

  具体的にいえばこのブロフィ、2003年に「父親が軍人として関わったUFOの墜落・回収事件について報告する」というテイで、世界的に有名なUFO雑誌「フライング・ソーサー・レビュー」に投書を都合3通送り、それらは同年春号から3号連続で同誌に相次いで掲載されている。そこで彼が報告した事例というのは二つあり、ひとつは1947年7月3~4日にニューメキシコ州のマクドナルド牧場で、もうひとつは1950年12月5~6日にメキシコで起きた(という触れ込みの)事件であった。だが、何とも不思議なことに、その投書のいずれにも、父親から聞いていたのなら当然書いていたはずの1945年8月のサンアントニオ事件への論及は一切なかった

 要するに、2003年に「マウンテンメール」紙が事件を報道し、さらにはライアン・ウッズやティモシー・グッドが著作で事件を取り上げた後になって、つまり事件のアウトラインが世間に知られるようになってから、ブロフィは突然サンアントニオ事件と父親の関係を語り出したということになる。

その辺の経緯を振り返ってみると、当ブログのTrinity』批判を読む02でも触れたように、バカは2011年にサンアントニオ事件をテーマとした『Born on the Edge of Ground Zero』なる自費出版本を出したのであるが、これは実際にはパオラ・ハリスによるバカたちへのインタビューが大きな比重を占めており、つまりは広報担当の(?)ハリスがプロモーター役として仕掛けた本だったと思われるのであるが、ブロフィはこの本にいきなり登場、ハリスのインタビューに応えるかたちで父親のサンアントニオでのUFO回収譚を語り始めたのであった。想像するにブロフィは、サンアントニオ事件のウワサを聞き、かつパオラ・ハリスが熱心にこの事件の調査をしているという話を耳にした時点で、「オレ、情報もってるぜ」といってハリスに接触してきたのではないか。

ちなみにジョンソンは、念の入ったことにブロフィの弟にも取材をかけている。それによるとブロフィ・シニアが軍人時代にUFOと遭遇する体験をし、息子たちにその話をしていたこと自体はどうやら本当だったようなのだが、弟は「兄は盛る人なので……」みたいなことを言っていたらしい。

結局のところ、ブロフィ・シニアは本当に「第三の目撃者」だったのだろうか。ここまで紹介してきた ジョンソンの調査に拠るならば、その可能性は極めて低いと言わざるを得ない。

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  墜落物体から持ち帰った「ブラケット」を手にするホセ・パディージャ
 

【余談その1】
 前にも書いたようにオレは2022年の『Trinity』の改訂版はもっていないのだが、ジョンソンによれば、この改訂版ではブロフィ・シニアにまつわるパートはずいぶんと加筆され、しかもこの改訂版では初版で示されたストーリーからだいぶん話が改変されているらしい。
 どういうことかというと、改訂版では、ブロフィ・シニアは地上から墜落現場に向かったわけではなく飛行機上から現場を目撃した――つまり搭乗機から現場の墜落機体を目撃したのは他ならぬブロフィ・シニアであったという話になっているのだそうだ(その際、地上には「インディアンの少年2人」がいるのを目にした――というのはこのバージョンでも変わらない)。
 ではなぜそんな改変をしたのかという事になるわけだが、パディージャたちは当初、「墜落現場に行った時、周囲には誰もいなかった」と言っていたのだが、彼らはいつの間にか「上空には飛行機が飛んでいた」と証言を変えてしまった経緯があるらしい。要するに、平仄があうよう証言内容についてのすり合わせをしたというか、「つじつま合わせ」をしたのではないか――どうやらジョンソンはそんな風に考えているようだ。 

【余談その2】
 なお、ブロフィは前出の『Born on the Edge of Ground Zero』(2011年刊)掲載のインタビューでは、父親から聞いた話として「現場には身長4フィートでカマキリのような顔をした生物3体がいて、彼らはロズウェル基地に移送された」とも語っていたそうだ。ブロフィを信用するならこの重大証言についてもちゃんと考察を加えるべきだと思うが、『Trinity』ではなぜかこの部分については論及がないようである。どうせ信用するんなら全部信じてやれよとオレは思った。(つづく

 

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経歴詐称?

 これは直接サンアントニオ事件にかかわる話ではないのだが、ジョンソンによれば、目撃者二人にはともに自らの経歴に関してウソを言っている(あるいは経歴を盛っている)疑惑がある。要するに「目撃者はちゃんとした人物なので信用してよかろう」という心理的効果を狙ったのではないか、という指摘である。

【レミー・バカの場合】
 ジョンソンの調べによると、バカは1938年生まれ。1955年に16歳でワシントン州タコマに移住し、現地の高校を卒業。米海兵隊やボーイング社の整備士を経て州歳入局の仕事などもしていた(ようなことをジョンソンは書いているが裏が取れた話かどうかはよくわからない)。やがて1995年にはカリフォルニアに移って保険代理店業に転身。2002年にはワシントン州に戻り、2013年に死去した。

 さて、そんなバカの経歴についてジョンソンが問題にしているのは、彼がワシントン州に住んでいた1970年代の話である。以下はバカの主張ということになるのだが、彼はその頃、タコマのヒスパニック系コミュニティの中で一目置かれる存在になっていたことから1976年のワシントン州知事選挙で民主党から出馬したディクシー・リー・レイ(1914-94)の選挙スタッフとなる。この選挙でディクシー・リー・レイは見事当選。結果、バカは論功行賞ということなのだろう、州知事の側近を務めることになった――というのが彼の言い分である。じっさい彼は自分を「キングメーカー」とまで言っていたそうだ。

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ディクシー・リー・レイ(1914-94)。女性である

 しかしレイ知事のスタッフ幹部リストやら当時の新聞やらを調べまくったジョンソンは、選挙スタッフを務めたのは事実だけれども「幹部スタッフに近い立場にあったことなど一度もなかった」と断言している。そんな大物だったことを示唆する記録・痕跡は一切なかったというのである。

 また、この話から派生してくるエピソードが一つある。このディクシー・リー・レイには、知事就任以前に米原子力委員会(当時)で委員長をしていたキャリアがあった。バカはそれを踏まえて、「当選に尽力したことへの感謝ということで、レイから原子力委員会の極秘ファイルを見せられたことがある。そこにはなんと自分の体験したサンアントニオ事件のことが載っていた!」と主張していたのである(注:ここで「なんで原子力委員会にUFOの極秘ファイルが残ってるん?」と不審に思われる方もいるだろうが、ヴァレの考えでは、そもそも当時のUFOというのは原爆実験があったのを見て関連施設周辺に慌てて飛んできたワケで、そんな事情もあったために原子力委員会はその調査に一枚噛むことになった――ということになっているらしい)。

 要するに、たまたまディクシー・リー・レイを選挙で応援したら、たまたま彼女にはUFO事件のファイルを秘匿していた原子力委員会のトップだった経歴があり、なおかつそこにはバカ自身が当事者であるところのサンアントニオ事件の記録も残っていたので見せてもらうことができた――ということをバカは主張しているのだった。

そんな風に偶然に偶然が重なるウマイ話があるかよという気がするのだが、ジョンソンはとりあえずこれに対して「ディクシー・リー・レイが政府機関を去る時に機密書類を持ちだすことなんてできなかったろうし、退任後に入手することだってムリ。それに仮にそんなことしたら重罪じゃないか。アンタはディクシー・リー・レイを犯罪者扱いするのか!」といって怒っている。

ちなみにバカがハリスにこの話を明かしたのは200910年頃だというから、その時点でディクシー・リー・レイは死んでいる。これも「死人に口なし」案件か。

【ホセ・パディージャの場合】
 ジョンソンの一連のレポートを読むと、彼はどうやら「サンアントニオ事件」というのはレミー・バカが「主犯」となって作り上げたストーリーで、ホセ・パディージャはそれにつき合わされた「共犯者」であると言いたいようである。ラジオ番組などでの二人の発言を改めてチェックすると、能弁なバカに対してパディージャは言葉少なに頷いたりするパターンが多い、というようなことを言っている。

 例えば、20101210日に放送されたメル・ファブレスをパーソナリティとするラジオ番組では、当初レミー・バカとパオラ・ハリスも出演する予定だったが、トラブルがあってホセ・パディージャが一人で登場せざるを得なくなった。彼はしどろもどろになってしまったようで、ジョンソンはこのインタビューを「Padilla's Bungled Interview」――つまり「パディージャの大失敗インタビュー」と名づけ、勝手に「PBI」などという略語まで作っている(ちなみにパディ-ジャはこの時のインタビューで「墜落現場付近では樹木が燃えたりしてはいなかった」と「公式ストーリー」に反する発言をしていたりする。おいおい、ダメじゃん)。『Trinity』では、パディージャは一度目にしたものは忘れない記憶力(いわゆる「瞬間記憶能力」のことだろう)の持ち主だとかいって持ち上げられているのだが、それ本当かよという疑念も兆してくるのである。

 ということで、なんだかちょっと話が脇道に逸れてしまったけれども、ここからは本題に戻りまして、「実はそんなパディージャのほうにも経歴詐称の疑いはあるのだ」という話をしていきたい。 

 ジョンソンによれば、パディージャは19361124日生まれで、死没したバカと違って現在も健在である。その経歴について自ら語るところでは、13歳でニューメキシコ州兵に入隊し、1950年代にはカリフォルニアに移住。兵役で赴いた朝鮮戦争(1950-53年)では負傷を負ったという。帰国後は「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」に32年間にわたって奉職したが、その間にも犯罪者から腹部に銃弾を浴びせられる体験をしたと述べている(ちなみに「ハイウェイ・パトロール」というのは一種の警察機関・法執行機関で、民間の警備会社などとはワケが違う)。

 しかし、ジョンソンの執拗な調査は、そのすべてが疑わしいことを告げている。まず「わずか13歳で州兵入隊」というところからしていかにも怪しい。パディージャは戦後の混乱期だったため特例として認められたと主張しているようだが、ニューメキシコ州では実際に18歳未満の州兵入隊を認めていないし、過去に特例があったという証拠もない。ジョンソンは、念のため氏名・生年月日・社会保障番号でニューメキシコ州兵とニューメキシコ空軍州兵の隊員記録を検索してみたそうだが、果たして該当者はヒットしなかった。次いで「朝鮮戦争従軍」の件であるが、ジョンソンが国立公文書記録管理局のオンライン検索で「朝鮮戦争の負傷者リスト」を検索したところ、ここでも彼の名前は出てこなかった。

 とどめは「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」である。実はこの組織、1970年代までは身長が5フィート9インチないと入隊できないという規則があった。しかし、2021年のニューメキシコ州政府の記録ではパディージャの身長は5フィート3インチしかなかった。勤続32年で定年の60歳を迎えたものとして計算すると、入隊はどうしたって1960年代でなければならない。しかし当時の規則では彼は入隊できない。矛盾が生じる(もっとも、年取って彼の身長が6インチ≒15センチ以上縮んだ可能性は微レ存w)。

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  ホセ・パディージャ(写真右)=the MUFON UFO Journal, June, 2016より=

 加えて「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」の在職記録に当たったところ、ここにもパディージャの名前はナシ。勤務実績があれば当然受け取っているはずの退職者年金の給付記録もなかった。朝鮮戦争で負傷を負った愛国者。凶悪犯に銃弾を撃ち込まれてもひるまなかった法執行官。そういう人間を装えばみんなに信用してもらえるだろう――パディージャの心中にはそんな思惑があったのではないか。しかし、どうやらそんな作戦は裏目に出たようである。(つづく

 

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エディー・アポダカの謎

レミー・バカとホセ・パディージャの証言の中には、明らかに客観的事実と矛盾している部分がある。その一つがエディー・アポダカ(19232008年)=写真=をめぐる問題だ。
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 繰り返しになるが、このアポダカというのは墜落の二日後に現場を訪れ、パディージャの父親とともに墜落物体の中に入った(とされる)ニューメキシコ州の警察官である。

 さて、そのどこが問題なのかというと、確かにかつてこの地域を担当したエディー・アポダカなる警察官が実在したのは事実なのだが、アポダカは第二次世界大戦でヨーロッパに出征し、1945年8月の時点では陸軍航空隊の伍長として英国にいたことがジョンソンの調査で判明したのである。彼がアメリカに戻ってきたのは同年11月。州警官としてソコロ郡に着任したのは1951年。どうしたって1945年8月のサンアントニオにいられたワケがないのである。
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  アポダカ(白丸の人物)が戦時中に加わっていた第370戦闘機中隊の面々

ただここでオレがちょっと引っかかったのは、このアポダカの名前が「墜落物体を見にいった人」として2003年の時点でベン・モフェットの新聞記事に出ていたことである。ジョンソンによればアポダカは2008年まで生きていたようなので、仮に彼がこの記事を読んだら「こりゃウソじゃ!」と言い出すリスクがある(実際にはそんな事態は起こらなかったワケだが)。不用心極まりない。それだけにバカたちが何でアポダカの名前を出したのかはよく分からない。ひょっとしたら「アポダカもいい年だし、もう死んでんじゃネ? リアリティも出てくるから名前出しちまえ!」などと考えたのかもしれない。

ちなみにこの墜落事件にまつわるストーリーがホントなのかどうか証言してくれそうな人物としては、アポダカのほかパディージャの父親とか、詳細は省くが「羊飼いのペドロ」とかいった人物がいる。しかし、どうやらこうした人々も、バカたちが精力的に話を広め始めた2003年の時点では亡くなっていたようである。死人に口なし。彼らがウソをついていた可能性は非常に高いと言わざるを得ない。(つづく

 

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さて、ここからはダグラス・ディーン・ジョンソンによる「サンアントニオ事件HOAX説」の細部を見ていきたいのだが、まずはそれに先だって『Trinity』が記す事件のあらましをいま一度確認しておきたい。 

    1945年8月16日、米ニューメキシコ州サンアントニオで、放牧中の牛の様子を確かめるためホセ・パディージャ(当時9歳*)、レミー・バカ(同7歳)の二人が馬に乗って放牧地となっている荒野に出かけていったところ、突然爆発音が聞こえ、遠くに煙が上がった。二人がその現場に向かうと、地面にはグレーダーで削られたような溝が出来ており、周囲の灌木は燃えていた。どうやらその溝は何かが猛烈な摩擦熱を発しながら地表を削り取っていった痕のようで、この溝に沿って進んでいくと、そこには側面に穴が開いているアボガド形の乗り物のような物体があった。


    *注:『Trinity』では二人の年齢は9歳と7歳になっているが、ジョンソンは二人の正確な生年月日を確認したようで、パディージャは19361124日生まれ、バカは19381026日生まれとしている。これに従えば事件当時の二人の年齢は実際には8歳と6歳だったことになる。なお、パディージャは現在も存命であるが、バカは2013年に亡くなっている

    二人が200フィートほど手前から観察していると、物体の近くには身長4フィートほどで頭がカマキリのような小人が3体ほどいるのが見えた。小人は地上をスーッとスライドするように動き回っていた。小人はウサギの鳴くような声を出しており、バカには彼らの「悲しい気持ち」が(おそらくはテレパシーのようにして)伝わってきた。それから二人は辺りが暗くなってきたので家に帰った。彼らは、幅約4インチ×長さ15インチほどで、形状記憶合金のようなアルミホイル状の物体を現場で拾ったという

    17日は何事もなかったが、18日になってから、ホセの父親と知り合いの州警官エディー・アポダカが、少年2人の案内で現場に行ってみることになった。物体は同じ場所にあったが、ナゾの生物の姿はなかった。ホセの父親とアポダカは物体の中に入ったが、戻ってきた時にはただならぬ様子で、少年2人に「このことは誰にも言うな」と命じた

    同じく18日の午後、好奇心を抑えきれぬ二人はこっそり現場を再訪した。そこには軍用ジープと兵士たちの姿があり、物体の破片を拾う作業などをしていた。翌19日にはホセの家を陸軍の軍曹が訪れ、「気象観測気球が墜落した。搬出用の車両を通すため牧場のフェンスにゲートを作り、道路も敷設する」と通告した(なお、二人はその後も毎日のように現場に通い、兵士たちの作業を見守ったという)

    8月下旬になると(日にちはハッキリしない)この物体はトレーラーに乗せられて搬出された。二人はその日、兵士が現場を離れた隙にトレーラーに忍び寄り、パディージャは物体の内部に侵入。近くにあったバールを使って、内部のパネルに取り付けられていた金属製の部品(ここでは「ブラケット」と称されている)をはがし、家に持ち帰った(ただしこの「ブラケット」はありふれた地球製のアルミ製部品らしいとヴァレ自身も認めており、何の証拠にもなっていない) 

この後もいろいろと紆余曲折はあるのだが、ともかくこれがサンアントニオ事件のあらましということになる。さて、だいたいの予備知識を頭に入れていただいたところで、ジョンソンがどんなツッコミを入れているのかをさっそく見ていこう。

目撃者の証言がコロコロ変わっている

 『Trinity』によれば、この事件が公になったのは2003年で、レミー・バカから「こんな話がある」という連絡を受けた地元の新聞「マウンテンメール」のベン・モフェット記者が、同紙の20031030日号・116日号で事件を報じたのが最初だった(ちなみにモフェットは二人の幼なじみだったという)。

 これを受けて、バカとパディージャは同年1118日にはジェフ・レンスなるラジオパーソナリティ(けっこう有名な人らしい)の番組に出演。さらには一部のUFO研究者も関心を示し、ライアン・S・ウッドの『MAJIC Eyes Only』(2005年)、ティモシー・グッドの『Need to Know』(2007年)といった書籍でも事件は取り上げられた。

 ちなみに『Trinity』の共著者であるパオラ・ハリスもその頃からバカたちに接触し始めたようだが、本格的な調査に着手したのは2010年ごろらしい。2011年にはバカ名義の自費出版本として『Born on the Edge of Ground Zero』なる書籍が刊行されたが、その内容はハリスによるバカやパディージャへのインタビューが中心だったというから、どうやらハリスは、次第に二人のパブリシティ担当(?)みたいな役割を果たすようになっていったようだ。一方で2017年から事件に取り組み始めたジャック・ヴァレはほどなくハリスと合流、2021年になって両者の共著として『Trinity』が刊行された――以上が今にいたるまでのだいたいの流れである。

  しかし、ジョンソンによれば、このモフェットの記事が出る前にも注目すべき出来事はあった。彼によれば目撃者の一人、レミー・バカは、とあるUFO研究家に「売り込み」をかけ、事件について電話で話をしていたのだという。そして――ここが重要なのだが――その際にバカが話した内容は、『Trinity』のストーリーとはかなり違っていたのである!

  このUFO研究家というのはドナルド・シュミットと組んでロズウェル本を出したりしているトーマス・キャリーという人物なのだが、彼によれば、2002年か03年の初め頃、このバカからいきなり電話があったのだという。要するに「話を聞いてくれ」ということで、とりあえず彼は応じた(ここで注意したいのは、これがベン・モフェットの記事が出る前のことだったという点である)。

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左はトーマス・キャリー。右はレミー・バカ

 さて、そこで語られた内容であるが、まず事件があったのは「1946年のたぶん8月」で、少年二人は「ピックアップトラックでグラウンド・ゼロに向かっていった」途中で墜落物体を見つけたのだという。ちなみに発見時に「爆発音がした」といった話もここでは出てこなかった。物体の形状自体も、アボカド形ならぬ「円盤」形だったとされる。物体に穴が開いていたという点は変わらないが、「円盤のには虫を思わせる人影があった」と語られるだけで、その詳細についての描写はなかった

  また、少年2人がホセ・パディージャの父親と州警官とともに現場を再訪したのは、墜落の2日後ではなく「翌日」だったとバカは語った(ちなみにこの時の取材では州警官の名前は明かされていない)。また、その時の円盤は何故か土に覆われていて、その姿をちゃんと確認することはできなかったという。もう一ついっておくと、二人が持ち帰ったブラケット状の物体に関しても、バカは円盤の中にあったものではなくトレーラーに積み込まれていた残骸からかっぱらってきたものだ、というようなことを言っている(要するに物体の中には誰も入っていない)。

  さて、ここでは『Trinity』に記されている公式のストーリーと相違している部分を赤字で強調してみたのだが、ここまで違うストーリーが語られていたとなるとどうだろう。どうしたって「この人の証言どうなのよ?なんで体験の核心部分がコロコロ変わるわけ? 信用していいのかよ?」ということになるのではないか。ちなみにこのときトーマス・キャリーはカセットテープでインタビュー記録をとっており、バカは「そんなこと言うとらんわ」という言い逃れはできない(もっともバカは2013年に亡くなっているので追及のしようはないのだが)。

  ちなみにキャリーは、会話を録音していたカセットテープの片面30分が終了したあと裏返すのを忘れて取材を続けていたというのだが、録音されてないやりとりの中で、バカは「これで何か稼げねーかな?」みたいなことを言い出したので「こりゃダメだ」と思ったようだ。さらにバカは「これはロズウェル事件の前の話だ」と何度も言ったが、考えてみればここにも裏の狙いがありそうだ。ご承知のようにロズウェル事件は1947年に起きたものだが、それに先行する墜落事件があったとなればストーリーの商品価値は高くなる。じっさい、翻訳本の版元であるヒカルランドのサイトに行ってみると、「書籍紹介」の冒頭部分には「ロズウェル事件よりも前だった!」という惹句がいきなり掲げられている!

 そんなこんなで、キャリーは「コイツ、この話でカネ儲けする気かよ?」という心証を抱いたらしい。それで、今回の『Trinity』の件が出てくるまでバカの取材テープのことはすっかり忘れていたというのである。

    【注】ここでカネ儲けの話が出たのでついでに言っておくと、『Trinity』には「仕事が面倒になったのか、現場の兵士たちがUFOの残骸を土中の裂け目に放り込んでいるのをみかけた」とか「オレたちは破片のたぐいを後で回収しようと思って溝に埋めた」みたいなバカたちの証言が出てくるのだが、ジョンソンはこれについても「UFOの残骸回収作業の名目でスポンサーからカネを引っ張る狙いがあったンでないか」と指摘している。要するに糸井重里がTBSと組んでやった徳川埋蔵金発掘プロジェクトみたいなものである(笑)。


  さて、バカはこのキャリーの取材から数か月後、今度は新聞記者のベン・モフェットに体験談をもちこんで取材を受けることになるが、そうやって世に出た新聞記事のほうは基本的に『Trinity』の記述と整合性が取れたものになっているようだ。これについてジョンソンは、「キャリーに話したストーリーがイマイチ受けなかったので、バカはねじりはちまきでブラッシュアップした新しい筋書きを考え出し、新たなターゲットであるベン・モフェットとの取材に臨んだのではないか」みたいな推理をしている。これだけ言うことが変わってしまっては、そう見られても仕方あるまい。まぁその後、ライアン・ウッドやティモシー・グッド、ハリスやヴァレ(!)が相手にしてくれたので、シナリオ改変の効果は十分あったと言えそうではあるのだが。

     *なおジョンソンは、バカが1995年の時点で別のUFO研究者に接触を図っていた事実も明かしている。それがロズウェル事件の調査で知られるドナルド・シュミットで、彼がカリフォルニア州ベンチュラで講演をした際、当時そこに住んでいたバカが現れて「自分は1947年にThe Plainで起きたUFO墜落事件を目撃した」といった話をしてきたのだという。どうやらシュミットは彼を軽くあしらったようなのだが、当時のバカは「スキあらば自分のストーリーを売り込みたい」とチャンスを狙っていたように見えなくもない。このほかスタントン・フリードマンへの接触もあったようだが、彼はガン無視したらしい。

  閑話休題。そのほかにも、関係者の発言の中で事実関係がブレている部分はある。例えば、墜落があった日、少年二人はどれぐらい遠くから物体を観察していたかという点について、『Trinity』には200フィートという数字があるが、パオラ・ハリスが「MUFONジャーナル」2016年6月号に書いた記事では500フィート、2010年頃にハリスがパディージャに対して行ったインタビューでは360フィートということになっている。これは一体どう考えればいいのだろう?(つづく




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高名なUFO研究家、ジャック・ヴァレが、ジャーナリストのパオラ・ハリスと組んで2021年に刊行し、世界的に注目を集めた話題作『Trinity』については、当ブログでも既に紹介したところであるが、 今回はこの本が実際あったUFO墜落事案として認定している「サンアントニオ事件」はHOAXである、つまりは「デッチ上げ」であるという主張を紹介してみたい。

ただその前に、そもそもこの『Trinity』というのはどういう本であったのかを改めておさらいしておこう。

そもそも何でこの本が世界のUFOシーンで話題になったのかというと、端的にいえばヴァレはこの本で「宗旨替え」をしたんでないかというギワクが持ち上がったからである。もともとヴァレというのは「UFOが外宇宙から来ているというのはウソである」と主張し、かつ「ロズウェル事件」みたいなUFOの墜落・回収事件といったものには総じて批判的な人物であった。つまりは何かっつーと「UFOイコール宇宙人」みたいなことを言い出すミーハー系とは一線を画し、「コントロールシステム仮説」とか称して小難しい理屈を駆使するような冷静沈着インテリ系研究家として売ってきた人物であった。

ところが彼は、本作で「1945年8月16日、米ニューメキシコ州サンアントニオではモノホンのUFOの墜落事件が起きていた!」ということを言い出した。「なんだそりゃ、ヴァレがそこいらのミーハーUFOファンみたいなこと言い出したよ」という話になる。「どうしちゃったのヴァレ?」である。実際のところ、この本を読んでもちゃんとした「UFO墜落の物証」みたいなものはない。冷たくいえば証言があるだけ。ヴァレは何だか根拠薄弱な話にのっかっちゃったという感じは否めないのだった。

 もっとも、オレには、そんな一歩を踏み出してしまった彼の気持ちが分かるような気がせんでもない。ヴァレは現在84歳。長年UFO研究を続けてきたけれどもよくよく考えるとUFOの真実というものは未だに全然みえてこない。いよいよ老境に入って焦り出したヴァレは「何とかして生きているうちにブレークスルーを果たしたい!」と考えていたのではないか。そこで出会ったサンアントニオ事件に彼は夢をみてしまった。ついつい冷静さを失い、「これぞモノホンの事件だ!」と大甘判定を下してしまった。そういうことではなかったかとオレは思うのだった。

 ――とまぁ、ここまでの話は以前書いたエントリーの焼き直しなのだが、今回書きたいのはその先で、果たしてサンアントニオ事件というのはHOAX、つまり「でっち上げ」であるという証拠がここにきて出揃ってきたのである。そんな『Trinity』批判の先頭に立っているのはアメリカのダグラス・ディーン・ジョンソンという研究家だ。オレはその来歴を全然知らんのだが、ともかく彼は今春ネットに3か月だかを費やしたテッテ的調査の内容をアップし、そして大きな反響を呼んでいる。正直いって「あぁやっぱそういう話になっちゃったか~」という感じもある。だが、彼のファンであるからこそスルーしてしまうワケにはいくまい、この本が彼の「黒歴史」になろうともそこまで含めてのヴァレなのだ、ここは最後まで見届けねばなるまいとオレは思った。


というわけで、ここからはこのジョンソン氏のデバンキング・サイトの内容をご紹介していきたい(→入り口はこの Crash Story: The Trinity UFO Crash Hoax というサイト)。ボリューム的にもずいぶんあるので、大部分はブラウザ上のグーグル翻訳機能を使って日本語で読む手抜きをしたが、そこはお許し頂きたい(笑。以下、次回につづく


*余談ではあるがこの『Trinity』、先に『核とUFOと異星人』(ヒカルランド)というタイトルで邦訳が出たばかりである。実のところ、この翻訳には何故か原著にないことが長々書いてあったり誤訳があったりしてオレに言わせれば若干残念な本なのだが、それはともかくこういう翻訳本が出たことでサンアントニオ事件に興味を抱く人もこれからいかほどか増えていくかもしらん。であればこそ、『Trinity』にはいろいろと批判があって、じっさいに結構辛辣なデバンキングを浴びている――という情報にもそれなりに意味があるのではないかとオレは思っている。

【核とUFOと異星人】人類史上最も深い謎
ジャック・フランシス・ヴァレ博士
ヒカルランド
2023-08-03




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ここんとこ、ワイドショーやニュースとかは殆ど毎日大谷翔平の活躍を取り上げている。

確かに世界に冠たるMLBでこれほどの大活躍をみせているのだから当たり前のような気もするのだが、しかしこの現象、オレには何だかずっと違和感があった。

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何故なのかよくよく考えてみると、これは「実はMLBには1ミリも関心がないのに大谷翔平の成績にのみこだわる」という報道姿勢に偏執狂的な精神の歪みを感じたからなのだった。

だってそうでしょう、本当にMLBに関心があるンだったら「アメリカンリーグ東地区の首位ってドコだったかな?」みたいなコトを考えるのがスジである(ちなみに今の首位はレイズらしい)。しかし日本のテレビなんか観てると「首位がドコか」なんてことは全く報道しない。どうでもいいのである。

これを日本に当てはめてみると、たとえば「佐々木朗希が勝ったかどうか」にのみ関心を示し、パ・リーグの首位争いなんてものはどうでもイイというファンのようなもので、まぁフツーの感覚だとこういうのは野球ファンとすら言えないのではないか。そういう事態がMLB報道では当たり前になっている。


で、オレは、「そういえばこういう歪んだ報道スタンスというのは以前どっかで見かけたような気がする」と思ってイロイロと思い出してみたのだが、結果、これはむかし地方のテレビ局や新聞で盛んにやっていた「昨日の郷土力士の成績」みたいなコーナーに酷似していることに気がついた。

大相撲の優勝争いなんてこととは無関係に、とにかく地元出身の力士がどうだったかを伝えることのみに注力する。これはまさに大谷翔平報道とソックリである。要するに日本人の精神性というのはあんまり変わっていない。「オラがムラのヒーロー」が都会に出かけていって大活躍、ああ痛快だべなあという心理がそこにある。

最近は若い連中も「尻だして相撲取るのは恥ずかしい」とか言い出すようになったから結果相撲取りはモンゴル人ばっかになってしまい、こういう郷土力士自慢は成立しなくなった。そこで代替品として見いだされたのが日本というムラ代表の大谷翔平だったということであるに違いない。

まぁ「昨日の日本選手の成績」報道も悪いとは言わんが、そんなものはあくまでも脇役であるべきだろう。こういう倒錯した現象の背後には、ドンドン落ちぶれていく我がニッポンの惨状から束の間目をそらして元気をもらいたいという一般大衆の切ない思いも垣間見えるので、そんな正論を言っても仕方ねえのかなとは半ば思うのではあるけれども。(おわり)


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今朝の天声人語はフランツ・カフカをネタにしていた。まぁオレもカフカは嫌いじゃないのでそれはそれでイイのだが、今回は日本語表現が稚拙だったのでその点を指摘しておく。

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問題は「20世紀を代表する作家がチェコ・プラハに生まれ、きのうで140年を迎えた」という表現である。この言い回しだと「カフカは実は存命で、きのう140歳になった」という誤読を誘うおそれが大きい。

筆者はたぶん「いや、だからソコは140歳じゃなくて140年と書いてるわけで。それに朝日新聞の読者はインテリばっかなンでカフカが故人なんてのはジョーシキなんだよ。誤読なんて言い出すのは無学なヤツなんでほっとけや」とでも言うのだろうが、やはり文章としてコレはおかしい。

ご説明しよう。

この文章の述語は「迎えた」という言葉であるワケだが、じゃあその「迎えた」主体は何なのか。そういう風に考えると、コレはどう考えても「カフカ」以外に主語は見当たらないのである。そうすると「カフカが140年を迎えた」という事になるワケで、これもまた日本語としてはヘンだが意味としては「カフカが140歳になった」と理解するほかないのである。

要するにかくも日本語能力を欠いた人間が看板コラムとか書いてていいのかということをオレは言いたいのだった。

念のため添削してやると「20世紀を代表する作家が140年前のきのう、チェコ・プラハに生まれた」とかサラッと書けば良いのである。オレの言語感覚だと「140年前のきのう」という表現を使うのはあんまり好かんのだが、まぁ許容範囲だとして。 (おわり)


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ということで、今回は難解で知られるチャールズ・フォートの『呪われた者の書』ないし『呪われしものの書』冒頭部をChatGPTに翻訳してもらった。「平易に翻訳して」と注文したのだが、知能の高いChatGPTでもなかなか難しい作業であったようだ。やっぱりなんだかよくわからない。



呪われた者たちの行進である。

「呪われた者たち」とは、社会から排除された人々のことを指す。科学が排除したデータの行進が行われるであろう。

私が発掘した青ざめたデータによって率いられた呪われた者たちの大隊が行進するであろう。あなたはそれらを読むか、それらが行進するであろう。彼らの中には青白くて、炎を上げるもの、そして腐ったものがあるであろう。

彼らの中には死体、骸骨、ミイラである。それらは震え、よろめき、生命を持つ仲間によって活気づけられているであろう。眠っているのに歩く巨人たちも存在するであろう。

それらは定理であり、それらはぼろきれのようなものである。ユークリッドが無秩序の精神と腕を組んで通り過ぎるであろう。ここにはちょっとした売春婦たちが飛び交うであろう。多くは道化師である。しかし、多くは最高の品位を持つであろう。一部は暗殺者である。青白い悪臭ややつれた迷信、単なる影や生き生きとした悪意、気まぐれや愛想の良さがあるであろう。単純なものや教条的なもの、奇妙なものやグロテスクなもの、誠実なものや不誠実なもの、深遠なものや幼稚なものが存在するであろう。




*なお、ついでにオレが以前このあたりを翻訳してみた時のエントリーはこちら
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役所広司がカンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞したのだという。慶賀すべきことであろう。というわけで、今朝の「天声人語」もその話を取り上げている。

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だが、残念なことに今回も出来がよろしくない。

役所の出演したその映画は「パーフェクト・デイズ」というのだが、この作品を撮ったビム・ベンダースは小津安二郎監督に心酔しており、それ故に小津映画には欠かせない名優・笠智衆をも高く評価している。そういう経緯もあったので、贈賞式でベンダースは「私の笠智衆」という言い回しで役所広司を讃えた。

今回の「天声人語」はその逸話に全面的に乗っかってしまった。かつては
笠智衆がおり、そして現代には役所広司がいる。日本の名優の系譜に新たな一頁が加わった良かった良かった――そういう話に仕立てている。

がしかし、オレは一読、なんだか腑に落ちない感じに襲われた。よくよく考えてみると、このコラムは役所広司を讃えるというよりも、むしろ笠智衆を讃えるような構造になっている。試しに「笠智衆さん」「笠さん」という言葉が何度出てくるか数えたら6回。一方で「役所広司さん」「役所さん」は3回である。

今回の栄誉のヌシは役所広司なのである。今日のところは彼にスポットを当てる原稿を書かねばならない。なのにそこが倒錯している。役所広司だって確かに笠智衆へのリスペクトはあるだろうが内心は「オレはオレ。芸風も何も全然違うのに一緒にすなや」と思ってるのではないか。結果的に今回の「天声人語」もピント外れの内容に終わった。




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