久しぶりの中華そば青葉。


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サンダルでもつっかけて出かけてったそこいらの店で手打ちそばを腹一杯いただく。こういうことができるのは実は人生の贅沢というものなのかもしれない。


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いまの天声人語の書き手の中には帰国子女がいるらしい。

この点については先に当ブログでも触れたところであるが、改めて繰り返すならば、文脈的には何の必然性もないのに「オレ(若しくはワタシ)、イタリアで高校生やってた時に現地でエゴン・シーレみたことあってさー」といって天声人語子が「自慢」する回があったのだ(もひとつ付け加えておくと、これは朝日新聞主催のエゴン・シーレ展宣伝のために書いたものであるようだ)。

その時は、なんだかこうやってお育ちの良さ・文化資本の潤沢さを誇示するような姿勢は何とも鼻持ちならないということを書いたワケだが、さて、今朝の天声人語でもまた「帰国子女ネタ」が使われていた。

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その一部をここに貼っておく。

これはそもそもどういう話かというと、村上春樹がこのあいだ『街とその不確かな壁』と題する新刊を刊行したのであるが、実はこの作品、彼が若い頃に書いた『街と、その不確かな壁』という中編を書き直したもので、今日の天声人語はそのあたりのことをネタにしている。

いや、別にそこから深い教訓とかは全く得られないので内容はどうでもイイのだが、気になったのは上にも貼った一節である。要するにここでは、「自分は英国で大学生活を送ったのだが当時現地の図書館で『街と、その不確かな壁』を読んだことがあったなぁ」ということを言っている。

「ふむ、別にアンタがイギリスでその作品を読もうが読むまいが関係ないだろ。それこそ何かの伏線なのか?」と思ってオレは先を読み進めていったのだが、なんとコレは別に何の伏線でもなく、このエピソードは全く回収されないまま終わってしまったのだった(強いていえば、春樹はのちに世界的に有名になるというくだりが関係しているという主張もありうるかもしらんが、別にこの人が英国の大学で春樹を読んだことと春樹の国際化は全く関係ないので無理筋である)。

さて、そうしてみると、この「英国で読んだ」というくだりは全く論旨に関係がない。つまるところ、「オレ(若しくはワタシ)って若い頃から世界に出て国際派だよなぁ。なんたって春樹の『街と、その不確かな壁』読んだのもイギリスだったしさぁ」ということを書き手は言いたいのだろう。ドヤ顔が見えるようである。

かくて今回の天声人語からも「帰国子女であるオレ(もしくはワタシ)ってスゲエ」という嫌味なエリート主義が行間からにじみ出てしまった。今日の書き手が前回の「イタリアでエゴン・シーレ展をみたオレ」と同一人物かどうかは定かでないが、仮にその手の書き手が二人いたとしたらそれはそれでスゲーと思う。

そしてとりあえず言えることは、前回オレが親切心から「こういう書き方は止めたほうがイイよ」と書いたことは彼らに全く伝わっていなかったということで、つまり彼らはこんな辺境ブログの天声人語批判など全く見ていないのである(当たり前だがw)。




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けさの朝日新聞に、昨年まで天声人語を担当していた記者が「あのコラムを書くにあたって心がけていたこと」というようなテーマで原稿を書いていた。

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これはその一部であるが、なかなか正直に書いてあって大変宜しいと思った。

要するに「なんか世間で話題になっておるテーマがあるのでソコに引っ掛けて書かないとイカンがなかなかうまいこといかず適当に小手先で原稿をデッチ上げてしまい、読者にお叱りを受けたことがありました」ということを言外に匂わせている。

この記者がわざわざこんな辺境サイトを覗きに来るわけはないのでここでいう「読者」がオレである可能性は3ミクロンもないのだが、オレが再々述べてきたようなことは連中も如何ほどか反省しているようであると知って「少し見直したゾ」といったところである。

今後もこういう反省の上に立ち、小手先の作文技術でごまかすようなことは禁じ手としていっていただきたいものである。(おわり)


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今回は「らーめん大金」に行ってみた。
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自宅で使っているイスを新調した。

これまでは2015年に中古で2万ぐらい出して買ったイトーキ「プラオ」(ハイバック・可動肘付きチェア)というのを使ってきたのだが、若干ダンパーがヘタってきたような感じがしたので思い切って買いかえたのである。

今回は清水の舞台から飛び降りる覚悟で「新品」にした。オカムラの「シルフィー」(C687XR-FSF1 ハイバック/クッションタイプ/アジャストアーム付)でKagg.jp というところで注文した。

これまでの経験でちゃんとしたOAチェアは自宅使いでもスコブル優秀だということが分かったのであるが、評判がよいと聞くこのシルフィもなかなか良さげである。若干バネ(というのか?)が固いような気もするが使っていくうちにこなれていくのだろう。

肝心のお値段であるが、いろいろクーポンとか出たタイミングだったので7万円台で買えた。これでもまだ高いといえば高い。しかし、これまでのプラオはウチで8年+どっかのオフィスでX年稼働したにも関わらず実際はまだまだ現役でいけそうだったので、これも10年超はフツーに使えるのではないかと期待する。ひょっとしたらオレが死ぬ迄イケルかもしれない。




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■PIAA グラファイトワイパー替えゴム  WDR650(長さ:650mm) 呼番172
■PIAA グラファイトワイパー替えゴム  WDR400(長さ:400mm) 呼番163
■NWB グラファイトワイパー替えゴム TN30G (長さ:300mm)呼番:GR41

*2022年1月以来の交換。前回は
■NWB グラファイトワイパー替えゴム AS65GN(長さ:650mm)
■NWB グラファイトワイパー替えゴム AS40GN(長さ:400mm)

なお今回調べたところワイパーブレード交換の場合は以下が適合品(と思われる)
■BOSCH ワイパー ブレード エアロツイン J-フィット 650mm AJ65TL
■BOSCH ワイパー ブレード エアロツイン J-フィット 400mm AJ40TL 
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今日からWBCの日本戦が始まるというので、けさの「天声人語」はWBCの煽り記事である。尤もその出来は今回も些か苦しい。例によって冒頭部分とオチの部分を貼っておくが、文章表現上の稚拙さが目立つ。

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ひと言で要約すると「1913年の大リーガー来日から110年を経て、今度は日本人大リーガーも参加してずいぶんとレベルの上がった日本代表が世界各国と戦うことになった。何とも晴れがましいことである」みたいなことを言っている。

ただしこのコラム、レトリックをハズしている。1913年の時は「大リーガーの場外弾で昼寝中のカラスも驚いたことであろう」みたいな記事がたまたま朝日新聞に載ったというので、最後を「今回の初戦ではカラスも驚くプレーが見られるか」と締めている。しかし残念でした、今回のWBCは国内ではもっぱら東京ドームで試合を行う。仮にあの辺にカラスの巣があったとしても場外弾でカラスが驚かされる事態は100パー起こりません(笑)。

些事といわれるかもしらんが、それぐらい調べて書いたほうがよろしい。コラムというのは、このシメがユルいといくら良いことを言っても全然心に響かないのである(今回も別に良いことは言ってないけれども)。







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たまさか国会図書館に行く用事があったので、資料が出てくるまでの時間を利用して端末でデジタル資料をいろいろみていたら、ちょっと面白いものに出くわした。

かつてあった月刊誌「科学朝日」に1994年1月号から1年間連載されていたシリーズ

「超常膝栗毛」である。

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リアルタイムで読んでた記憶はないけれどもオカルト業界ではけっこうよく知られた伝説的な企画で、奇しくもジョン・キールと同年同日に亡くなった超常現象研究家の志水一夫氏(1954~2009)と皆神龍太郎氏(1958~)がさまざまなオカルトネタについて基本的に懐疑的なスタンスから蘊蓄を傾ける――という実に楽しい企画であった(ただし皆神氏はこの企画では本名で登場している)。

改めて考えてみると、この手の超常ネタというのは今でもたまさかメディアで扱われるバアイがあるけれども、たいていは商業オカルト雑誌のひととか芸人まがいの人が出てきて面白おかしいことを言うバラエティ仕立てのものばっかである。ちゃんとオカルトワールドのことを知ってて、かつクリティカルなスタンスで「ダメなものはダメ」というような人はなかなかお呼びがかからない(ようにみえる)。

そういう意味ではちゃんと「分かってる」このお二方が毎月定期的に登場してたこの「超常膝栗毛」というのは今日ではなかなか得がたい企画ということになるのではないか。

仮に志水氏がご存命であったら今69歳。UAPの話題がけっこう世を騒がせている昨今、また皆神氏と組んで「新・超常膝栗毛」でも「オカルト ジジ 放談」でも何でもいいけれども面白い企画を送り出してくれたであろうに、と思う。残念。




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久々に天声人語ネタである。

オレは常日ごろ天声人語子の高踏趣味・貴族主義にはヘキエキしているのだが、今朝のヤツがまさにその典型であつた。

どういう話かというと、ただ単に「東京都美術館でエゴン・シーレ展をやっているのを観に行きました」という、ただそれだけのことなのだが、それではコラムにならない。なので適当に理屈をデッチ上げている。それが最後のパートであって、エゴン・シーレのような「とんがった芸術」は平和な時代でないと 受け入れられないのだ皆さん平和を守りましょう、みたいなことを主張している。

ここでイロイロと疑問が兆す。

まず「とんがった芸術」というのは何なのか。とんがるも何も芸術というのはそもそも唯一無二のやむにやまれぬ表現行為であるハズだから、部外者であるアンタの主観で「これはとんがってる」「これはとんがってない」などと判定を下すのは不遜である。

さらに、百歩譲ってこの「とんがった芸術」なるものが特別なモノとして存在するとして、それが人々に理解されるためには平和が必要だという主張は正しいのだろうか。確かにこのコラムの中段にはナチスドイツが「退廃芸術」と称して一部アートをダンアツした事例が紹介されているワケだが、だからといって「平和じゃないとダメ」という一般化がどこまで可能かは相当に論証が難しい問題のような気がする。

とまぁここまで書いてきたのは実は本筋とはあまり関係ない話である。オレがこのコラムを読んでスコブル不快になったのはその冒頭部分なのだった。天声人語子は「実はオレ(ワタシかもしらんがとりあえずオレということで)、39年前にイタリアで高校生だった時にエゴン・シーレ観てるンだよね」と言っている。

だがしかし。よくよく考えると、この「若き日にイタリアでエゴン・シーレを観て衝撃を受けた」という話は最初に紹介したこのコラムの本筋とは殆ど関係がない。別にイタリアで観ようが日本で観ようがそこに本質的な違いはなく、高校生で観ようがジジイになってから観ようがこれも別に関係はない(いや「若い時に見たら違う」という議論もありえるがオレ自身がジジイだということもありここではその説は却下するw)

天声人語子は39年前におそらく親の仕事かなんかでイタリアに住んでいたのであろう。最近の「日本の安月給じゃもう死ぬので外国に脱出します」みたいな人とは違い、当時海外で生活していた人というのは相当に社会的階層が上のほうの人たちである。要するにエリートである。この39年前の話には当然そういう含意がある。

つまり天声人語子はここで「やっぱ若い頃に本場でアート鑑賞とかしてねーとホンモノはわからんよね」とさりげなく自慢をしている。そういうオレサマがコラムを披瀝しているのだからして、シモジモの者どもは謹んで静聴セヨという威圧的な空気が漂ってくるのである。

アホらしい。エゴン・シーレを観るのにそんな能書きは要らん。というか、そんな上から目線でエゴン・シーレいいよネみたいな話をされたら、フツーの人間は「けっ、そんなもん観に行くかよ」となってしまう恐れがある。逆効果である。オレが何度も注意をしてあげているのに、どうも朝日新聞の悪しきエリート主義は改まることがない。

PS ついでに言っておくと、朝日新聞社は東京都美術館でやっとるエゴン・シーレ展の主催者の一角を占めている。「なんか書いてよ」と事業部から頼まれたのかもしれない(笑)。

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自作PCの構成を代えたときはメモしておくならわしなので記録。

昨年末にケースファンの換装をしたばかりのAntec SOLOであったが、結局新しいPCケースに買い換えてしまった。こないだファン換装したのは結局完全なムダになってしまったが、まぁしょうがない。ちなみにこれ↓がもう10年以上使ってきた旧機SOLOである。近々粗大ゴミとして捨てにいこうとおもつているが、ともあれ長いあいだお疲れ様でした。
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それで新しく買ったのがコレ。「Define R5」である。
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既に製造中止になって久しい旧製品ということもあってか、安い時には1万チョイで買えた製品に1万7000円を投じるハメになつてしまつたが、いろいろググった結果、静音PCケースとしては今なおソコソコの評価を得ているというので何となく買うてしまつたのだった。というのもいろいろと検索した結果、最近のケースは総じて鉄板がペラペラであるらしく剛性面で不安があったのだが、これはまだ重量10キロ超あってそこらへん安心感がある。あれやこれや考えた末のセレクションであった。

本日さっそく中身の移植をしてみたのであるが、フロントのUSB3.0端子が異様に固いことを除けば今のところ静音性能含めてなかなか気に入っている。

なお、今回のケース入れ替えにあたっては、付属のケースファン(フロント140mm×1、リア140mm×1)がいずれも3ピンでPWM制御できないヤツだったんで取っ払ってしまい、PWM対応のサイズ「KAZE FLEX 140 SQUARE PWM 1200rpm KF1425FD12S-P」をフロントに2基、リアに1基つけてみた。当面はこれで文句なかろう。

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今年が良い年になりますように。あけおめことよろ。

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我が家では例年、NHKの大河ドラマをちゃんと観ていなかった。というか、最初一、二回観ても「なんかパッとしねーなー」といって視聴を止めてしまうというのが常であった。

が、本年の「鎌倉殿の13人」はコレ、最後までちゃんと完走した。思うに、いつもの大河ドラマというのは予定調和というか何となく知ってることを「おさらい」するような感じが否めず(あるいは渋沢栄一みたいによく知らん人の場合もあるけれども「なんだ戦闘シーンねえのか。まぁ商人だししょうがねえな」といって止めたりする)けっきょく「もうええわ」となってしまったのだった。

然るに今回のヤツは、まぁ源平合戦のあたりの話はけっこうメジャーだけれども後半の北条氏支配に絡むいろんな話は(40年以上前の大河ドラマ「草燃える」では採り上げたようだけれども)オレもよく知らんかったし、そういう意味ではとても新鮮だったのだ。

と同時に、今回のはやはり三谷幸喜の脚本が良かったのだろう。

観てた人はご存じであろうが、このドラマの中ではバタバタと人が死んでいく。しかもその多くは謀殺である。殺伐としている。フツーに描いたら陰々滅々。視聴者としても「なんでそんな簡単に殺すワケ?」とかいってなかなか感情移入できないところだろう。が、三谷はそこんところを巧妙に脚色している。

とりわけ主人公の北条義時は、この作中においては最初は気のいいノンキな兄ちゃんとして描かれていたのだが、身内に源頼朝を抱え込んじまったもんだから行きがかり上、いろいろ非情な決断もせにゃならんくなってくる。しまいにゃ都合の悪い人間を陥れねばならなくなる。一ミリまた一ミリという感じで極悪非道の悪人に変身していくわけで、我々もそんなに違和感なく極悪非道ぶりに納得し、さらなる暴走を期待して画面に見入ったのだった。

が、オレが考えるにモノホンの北条義時というのはたぶんこんなんじゃなかった。もともと「スキあらば殺す!」みたいな男で、それがたまたまうまくいってのし上がったンでないか。というか、そもそもこの時代の東国武士なんてものはスゲー殺伐としていて、義時だけじゃなくて誰だって「スキあらば殺す!」の人たちだったのではないか。

当時の常識はおそらく今の我々とは全然違っていた。だからそのまんまのストーリーをリアルに描いたら現代人には理解共感不能。だからそこを展開の妙でうまいことアジャストしてみせたのが三谷幸喜だったという話なのだろう。

考えてみれば日本の文化だとか日本人のモノの考え方なんてものはスゲー大きな変化をしてきたハズである。これは余談であるが、オレなんかも昔は「日本文化論」みたいな話が好きだったンだが、だんだんと「そんな大昔から連綿と続いてる日本文化なんてものはねえんじゃねえか?」と思うようになった。

たとえば「日本文化は集団主義的だ」みたいな話があって、まぁそういう風に見えないことはないんだが、社会心理学者の故山岸俊男氏の一連の著作読んだりしたら、実は日本人は集団主義が好きなわけじゃなくて勝手な行動すると周囲からよってたかって虐められる仕組みができてるからしょうがなく集団に従ってるンだ、みたいなことが書いてあった。

じっさい、昔はサラリーマンがおんなじ職場の連中でいく慰安旅行などというイベントがあり、みんな不思議に思うこともなく参加していたのであるが、今はそんなものはない(たぶん)。それどころか職場の連中で酒飲みにいくなんてのも今ではほとんどなくなっているのではないか。当たり前と思われてた意識や行動も環境が変われば過去の遺習になってしまうのである。終身雇用もこれからは決して当たり前ではないようだし、少なくとも会社における集団主義というのは確実に掘り崩されていく。

ちょっと話が脱線したけれども、そういう意味でいえば、この大河ドラマというのも徐々に変わっていかざるを得まい。たとえばであるが、おそらくこれからの日本人は「忠臣蔵」に感動するというようなこともなくなり、大河ドラマではスゲーやりにくくなる。なんとなれば「それってテロじゃん!」という今風のひと言で忠臣蔵の美学は一蹴されてしまうからである。

むろん、そこに第二・第三の三谷幸喜が出てくれば話は違う。「あぁ、そういうことなら分かるワ」といって若い世代とかも頷くような忠臣蔵。それはそれで観てみたいような気もする。

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本日は朝イチで佐野ラーメンを食いにいく。今回もついつい足は日向屋に向かってしまう。いつもながら旨い。
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テレビ用PC(Silver Stone  microATX SST-GD06B)の吸気ファンを換装したので備忘録。

旧ファンは以下の通り(いずれも12センチ。3PIN)
Silverstone  RL4ZS1202512LIW-3M 12V 0.26A(×2)
GELID Solutions Silent 12  12V  0.08A 1000RPM

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新しいファン3ツはいずれもこないだデスクPCに入れたのと同じ「サイズ SU1225FD12M-RHP」(12センチ。4PIN)。これでPWM運用して静音化を図る狙い。



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毎年秋の文学フリマ東京開催にあわせて発行されてきた国内屈指の超常同人誌「UFO手帖」が今年もつつがなく完成し、11月20日に東京流通センターで開催された文フリにてめでたく頒布と相成った。小生はたまさかこの雑誌に原稿を書かせていただいている利害関係者の一人であるわけだが、それ故に近々始まるであろう通販に向けて若干の宣伝にもなればよからうということで、以下、今回は僭越ながらその内容を説明させていただくことにした。

昨年刊行の前号ではなんと都合200頁に達するという大増ページで斯界を驚嘆させた「UFO手帖」だが、今号「7.0」もそのボリュームは実に192頁! いったいどういうことなんだよ何をそんなに書くことがあるんだよという皆さんの疑問も尤もであろう。さて、それでは今回の特集はいったい何かという話になるわけだが、そのタイトルはなんと「フォーティアンでいこう!」。要するに「チャールズ・フォート」がテーマなのだった。

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もっとも、「なんと」とか言っても話が見えない人がいるかもしらんので簡単に説明しておくと、チャールズ・ホイ・フォート(1874-1932年)というのは古今東西の奇現象を図書館とかに行って集めてまわったアメリカの奇人である。

たとえばであるが、空からいきなり魚やカエルみたいなものが大量に降り注いでくる「ファフロツキーズ」(Fafrotskies)という現象に注目したり、あるいは皆さんよく知っている「テレポーテーション」という言葉を編み出したり、人体自然発火現象について調べたりした人物だといえばその傑物ぶりは何となくお分かりいただけるだろう(もちろん今でいうUFOのような現象についても情報を集めてまわっている)。

そんな伝説的な人物だけに、やがては彼の名にちなんでこの手の奇現象を調べる好事家を指す「フォーティアン」などという言葉まで出来てしまったぐらいで――ちなみに今回の特集タイトルはここから来ている――さらには英国では『フォーティアン・タイムズ』などという超常専門誌が出来たほどである。要するに彼は奇現象界のレジェンドともいうべき人物なのだった。

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*今号の表紙は、従ってこの「ファフロツキーズ」に引っかけて天空から落下してくるフォートを描いているワケである。本誌専属アーティスト・窪田まみ画伯渾身の力作である


ただし、実はこれまでこの人物についてのまとまった紹介というのは日本ではあんまりなかった。そんな超常現象界のVIPであるというのに彼の本というのは我が国では全然翻訳されてこなかったのである。たとえばこれはかなり有名な話だが、1980年代には国書刊行会という出版社から、超常現象研究家である南山宏氏の翻訳でこの人の主著『呪われた者の書 The Book of the Damned』が刊行される計画があった。ところがいつまでたっても出版されない。それから30年有余年たっても、なお日の目をみていない。数年前になって突然「どうやら刊行の見通しがたったようだ!」みたいな怪情報がネットに広まったこともあった。でも、やっぱり出ない。

なんでそんなことになっているのか。

以下はオレの勝手な推測だが、彼が書いた英語の文章というのは一般的な文法を無視したようなハチャメチャな文体である(ように思える)。じっさいのところ、全然翻訳が出ないのでオレもヤケクソになり、「じゃあ自分で訳したるわ!」といって原著をめくってみたことがある。しかし、もう何十年も前に受験英語を勉強しただけの英語力しかないオレには全く歯が立たず、その野望は最初の数頁でついえた(その挫折の記録はココw=なおフォートの本の著作権は既に切れているのでヤル気がある人は勝手に翻訳して公開することが可能である)。

つまり、要するにあまりに奇っ怪な文章なので、名翻訳家として知られた南山氏をもってしても「う~ん、こりゃちょっとうまくイカンわ」ということで翻訳作業が頓挫してしまっているのではなかろうか。そこで国書刊行会の中の人が「そんなこたぁないわい! ナニ失礼なこと言うてんねん!」というのであれば、ハイわかりましたごめんなさいと土下座して謝りますので代わりにすぐ作業を開始して下さい。

あるいは真相はそんなことではなくて、超常現象のナゾが明らかになると不都合があるディープ・ステートないしはメン・イン・ブラック方面から「出版したらタダじゃすまんからな!」とかいって横ヤリが入っているのかもしらんが、そういう話だったのならば国書刊行会は脅しに屈することなく出版人の誇りにかけて引き続き出版計画を進めて下さい(要するに何でもいいから早く刊行してください笑)。

話がずいぶんと横道にそれてしまった。ともかく彼の本というのは現時点で日本語では読めない。断片的に「フォートはああ言ってる、こう言ってる」という情報はあってもなかなかよくわからん。隔靴掻痒の状態が続いていたのである。

しかし。
そんな奇現象界のレジェンドをこのまま放置しといていいのか――おそらくはこんな問題意識から今回「UFO手帖」の人々が立ち上がった。フォートはどういう人物でどんなことを考えてたのか、ちゃんと紹介してやろうじゃないか。そういう話である。

というわけで、この特集では同人の皆さんがそれぞれのアプローチでフォートにかかわる論考を執筆している。とりわけオレが驚愕したのは「UFO手帖」の名物編集長・秋月朗芳氏の恐るべき執念である。本号にもその辺のことは書いてあるけれども、編集長は今回、フォートの主著を片っ端からゴリゴリと機械翻訳にかけたらしい。すごい力業である。先に述べたようにフォートの文章は悪文であり機械翻訳でもなかなか手に負えないと思うのだが、ともかく編集長はそうやって強引にフォートの読解を推し進めた。ブルドーザーで密林に突っ込んでいくような蛮勇を振るったのである。なんと素晴らしいことだろう!

かくて本号では、フォートの著作やその人生、後世の小説や映画に与えた影響などが多角的に論じられている。そうやって見えてくるフォートの神髄とは何なのかというのはこの同人誌を買って読んでいただくしかないのであるが、ひとつだけ言っとくと、オレが読みながら考えたのは「フォートというのは我々のような陰キャ系オカルトファンにとっては一つのロールモデルなんじゃねえか」ということだった。

日常生活は適当にほっといて調査作業に精を出す。ひたすら奇現象を愛でる。異界へのとば口に立ってセンス・オブ・ワンダーを噛みしめる。「こんな不思議なことがあったようだゼ」とかいってネタを広めてまわる(しかもこんな勝手な活動ができたのは親戚から思わぬ遺産が転がり込んだから、というのもイイ)。他方、「フォーティアン協会」なんてものができて神輿に乗せられそうになるとビビってしまって「オレには関係ない」といって逃げる。まさに理想……ま、健全な皆さんにとってはどうでもいい話ではあった(笑)。

とまれ我々はいま、超常界にそびえ立つチャールズ・フォートという孤峰の下へと辿り着いた。これから山頂を目指していく者たちにとって、おそらく今回の「UFO手帖」は格好のガイドとなってくれるに違いない。



さて、特集以外にも今号にはいろいろ満載である。ずいぶんと話が長くなってしまったので(老人性の挙動)以下は簡単に。

UFOにまつわる音楽・漫画・アニメ・映画などを紹介するのは既に「UFO手帖」の定番企画となっているが、今号では「UFOとUFO本」なる企画も始まった。ここでは今年刊行された『イラストで見るUFOの歴史』『UFOs 政府の軍・政府関係者たちの証言録』がレビューされている(いずれも良書)。ひとつ気がかりなのは、次号で「めぼしい本が出なかったので今年は休載です」という事態が起きないかということである。出版社の中の人たちの頑張りに期待したい。

それから、期せずして過去のUFO事件を振り返る論考が目立ったのも今号の特徴であったかもしれない。

たとえばイタリアの寒村でオバハンが宇宙人(?)に花束とストッキングを奪われた「チェンニーナ事件」の真相に迫ろうというレポートがある。他方、例の「ケネス・アーノルド事件」について「巷間伝えられてる話はウソが多いから」ということで電子顕微鏡でアラを指摘して回るような論考もある。

かつて日本のコンタクティ松村雄亮が宇宙人(?)と一緒に入った伝説の喫茶店を探して現地付近を探査したレポート、なんてのもある。実際にはその建物はもうなくなっていたのだが、辺りをウロウロしていた報告者が「あ、やべっ、オレって傍目からすりゃ完全な不審者だわ」といってうろたえる場面(意訳)がスコブル秀逸だった。おめでとう比嘉光太郎君、後ろ指さされることを自覚しつつUFO研究に一身を投じるべく一線を越えてしまった今、君は一人前のUFO者だッ!(われながら何を言ってるのかw)

それから今回オレは「ジャック・ヴァレ、あるいは老ユーフォロジストの見果てぬ夢について」というタイトルで原稿を書いてます。これは孤高のユーフォロジスト、ジャック・ヴァレが先に共著として出した『Trinity』という本の簡単なレビューなんだが、何でこんなヘンな題名なのかというと「あぁ天下のジャック・ヴァレも今回の本はちょっと勇み足だったよなぁ、でも彼も年とったし仕方ねえのかもなあ」という話である。イヤすいません、ヴァレ知らん人には何言ってるかわからんですよね(笑)。ちなみにUFO手帖には書ききれなかった細部にも触れたロングバージョン的な『Trinity』レビューはこのブログにも載せているので関心がある方はお読みください。

もう疲れたので、あとは買って読んで下さい。UFO手帖7.0のTwitterアカウントあたりをチェックしていれば、そのうち通販のお知らせがアナウンスされるでしょう。最後にもひとつだけ言っとくと、ここ数号で新しい書き手が続々登場してきたので、この同人誌はまだまだ大丈夫だと思います。ひきつづきご贔屓に。(おわり)


【追記】

チャールズ・フォートは、「チェッカー checkers」というボードゲームにヒントを得て「スーパーチェッカーズ supercheckers」なるゲームを作った人物でもあるという。これは関連の書物などにもしばしば出てくる話なのだが、この「スーパーチェッカーズ」についての情報というのはググってみてもなかなかヒットしない。

かろうじてこの件に触れた昔の新聞記事(Pittsburgh Press, February 20, 1931)を載せてるサイトは見つけたのだが、そもそもオレはチェッカーとは何なのか全然知らんので、読んでもどういうものか皆目わからんかった。ただ、この記事を読むと、フォートは自作のこの対戦ゲームでベンジャミン・デ・カセレスやティファニー・セイヤーといった連中と「おれナポレオン」「おれはシーザーだかんな」とかいって「ごっこ遊び」をしながら楽しく遊んでいたようである。心温まるエエ話である😅

というわけで、ボードゲームにお詳しい人で「スーパーチェッカーズ」の詳細をご存じの方がいたらゼヒ情報お知らせください。m(_ _)m

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 これはしばしば見かけるフォートの写真であるが、この手前に見える何だかよくわからんものが「スーパーチェッカーズ」のボードなのだそうだ

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自作PCをいじった際は備忘録として何やったか書いておく「お約束」なので、今回はそのメモ。

PCケースはAntecがかつて静音ケースとして販売していた「SOLO」をいまだに使っていて、記憶は定かでないがもう10年以上手許にあるのではないか。で、そのデスクトップPCが何だかよく分からんけれども最近うるさくなってきたような気がした。ケースファンがそろそろヘタってきたのかもしれないなァということで、今回ファンをかえてみようと思い立った。

このケースは前面に吸気ファン92or90mmが2ッ、後面に排気ファンが120mmひとつという設計になっている。あと、現在のオレの運用でいうとCPUクーラー用のファンに120mmをつけて前面から後面に向けて空気を流している。ということでこの合計4つのファンを全部換えることにした。

とりあえずSOLOのファン換装をした先人の試みをネットでググってみる。そうすると前面の空気流入口にあるパンチングメタルみたいな部分は切り取ったほうが空気の流れがよくなってヨロシイと複数の人が書いていた。なので普通のニッパーでパチパチ切り取ってしまった。そのあと、切り口でケガをするのも馬鹿らしいので100均で買った金工用ヤスリでバリを取った。

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新しくとりつけるファンは以下の通り。期せずして全部サイズのファンだが、比較的安くて静音寄りということで選んだ。

吸気用ファン(2ツ)
■サイズ  KAZE FLEX 92 SLIM PWM 2500rpm KF9215FD25-P

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排気用&PCクーラー用ファン
■サイズ SU1225FD12M-RHP

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それから吸気用ファンにつけるホコリ侵入防止用フィルターも2つ買った。もともとのSOLOには先ほどのパンチングメタルみたいな部材に穴あきのプラ板みたいなのがハマるようになっていて「これがホコリ取りです!」と主張しているのだが、あまり効果はない。ファン換装の先人たちも「そんなもの外しちまって防塵フィルターつけろや!」というので従ってみたのだった。

■親和産業 防塵フィルター92mm角ファンモータ用 RoHS指令対応 プラスチック製 SS-DFF-P90

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これをどうするのかというと、まずは金属部の向こう側にある吸気用ファンと一緒にベース部をネジこんで固定し、そこにフィルターと上ぶたみたいのをパッチンとはめる仕組みである。取り付けプロセスは以下の写真のような流れとなる。

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背面の排気用とPCクーラー用の120mmも同様に取り付ける。これで作業終了である。
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ちなみにこれまで使ってたファンはどんなのかというと以下の写真の通り。CPUクーラー用のは最初からついてたヤツだが、あとのはいったいどこから出てきたのかよくわからないような怪しいファンばっかである(笑。
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左上:排気用120mm サイズ SA1225FDB12L
右上:CPUクーラー用120mm サイズ ED122512H-PD
左下:吸気用100mm サイズ SY1025SL12L(注:若干デカいが何故か装着できていた)
右下:吸気用90mm X-FAN RDL9025S

ちなみに今回換装した新しいファンは全部4ピンのPWMファン、つまりマザーボードが温度状況をみて適宜回転数を変えてくれる「可変回転数型」なのだが、これまで使ってたのは
CPUクーラー用の120mmを除いてそんな機能を有していない3ピンのショボいヤツであった。

いま使ってるマザボはTUF H370-PRO GAMINGというヤツだが、当然ながらファン用電源コネクタは全部4ピンになっている。というわけで今後はBIOSのこの
PWM機能を使えるワケで、じっさい起動してみるとだいぶ静かになったような気がする。ボロボロのSOLOであるが、これでもう少しは延命できそうである。

【追記】

そういえばテレビ用に組んだPC(Silver Stone  microATX SST-GD06B)もだいぶほったらかしだなぁ、ファンがホコリで窒息しとりゃせんかと少し気になり、この機会に筐体を開けてみた。このケースは吸気用に120mmファン三つがついててそれぞれアクセスが面倒なのであるが、いちおうチェックしたところ、意外にファン周りのホコリはほとんどついてなかった。いちおうキレイにしてまた封入。


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ちょっと体重が増えてきたこともあり9月からジョギングを始め、ほぼ二か月で都合100キロほど走ってきたのであるが、こないだ左膝の内側に痛みを覚えた。そのあと膝用サポーターつけて二度ほどこわごわ走って様子を見ていたのであるが、10日ほどたっても違和感が消えない。しょうがないので整形外科に行ってみたところ、レントゲンを撮られて「変形性膝関節症ステージ1」と診断された。

要するに膝の軟骨組織がスレてしまって痛みが出るということらしく、体重の負荷だとかO脚による骨の歪みといったものが遠因になるという。そのあたり心当たりナシとしない(苦笑)。そういえば、これまでにも階段下りてるときなんかに一瞬痛みが走るようなこともあったような気がするンだが、そういう時はいつのまにか元に戻ってしまったのでさほど気に掛けることもなかったのだ。南無三。

され、それではオレはこれからどうすれば良いのかというと、軟骨組織は基本再生されないので周囲の筋肉を増強して可動部を保護するぐらいしかとりあえず手はないという。ジョギングも気分転換できて大変爽快であったが「走るのはあまり良くないヨ」と医者も言うし、これも当面休止せざるを得ないだろう・・・。とりあえず痛み止めの飲み薬と貼り薬をもらってきたのであるが、なんだか改めて
老化
という事実を突きつけられたようで肩ガックリである。

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ということで違和感が消え、かつ腿周りの筋力増強が進んできたら(最低1か月ぐらいと勝手に踏んでいるンだが)またジョギング再開したいのだがどうなるか。そういやオレはかつてお遍路にいったことがあって十七番井戸寺まで打ったのであるが、引退したら最後まで歩き通そうという小さな夢があったのだった。これもちょっと暗雲漂ってしまって「ダメかもしらん」と思うと些か悲しい。

ちなみに、この病気についてしばしググって情報収集したところでは、軟骨組織を再生する療法は現在鋭意研究中だとかいう話で、自由診療では一部実用化されてたりするようなんだが、そんなものに100マンとか払える金持ちではない。その手の再生医療が保険適用される日が来ればイイとはおもうがそれはいつになるか。意外と何十年先になるかもしらんのでその頃にはオレも死んでいる可能性があるのだった。しょうがない当面は大腿四頭筋の強化一択。


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本日10月3日から、また今年もノーベル賞各賞の発表が始まるのだという。いわゆるノーベル賞ウィークの始まりである。

そんなタイミングにあわせて天声人語もノーベル賞ネタをぶっ込んできた。一読、とても良いことを言っていると思った。

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要するに日本のメディアは毎年やたら「日本人受賞者」にこだわり、誰か受賞したら「日本の誉れ!」とばかりに大騒ぎするけれども実はココには欺瞞がある。たとえば日本生まれなんだけれども日本の研究環境があまりにショボいので仕事のしやすいアメリカに渡ってそのまま米国籍を取ってしまった人なんかも勝手に日本人扱いして「日本人の受賞××人目(米国籍取得者も含む)」とかワケのわからん報道をするのがデフォルトなのだった。

けさの天声人語は要するに「そういうことでいいんですかネ?」ということを書いている。ということはおそらくこれからの朝日新聞は「日本人の受賞××人目(米国籍取得者も含む)」みたいなコスい表現はやめて、日本国籍もっている人限定で「日本人ノーベル受賞者」をカウントしていくことにしたのだろう。ヨカッタヨカッタ(仮に違ってたらまた批判させてもらいますわw)



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松閣オルタ先生から恵投いただいた『増補新装版 オカルト・クロニクル』(二見書房)を読みおえた。

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この方面に興味がある方なら先刻ご承知であろうが、松閣オルタ先生というのは「オカルト・クロニクル」というサイトで長年健筆を振るってこられた在野のオカルト研究家で、心霊現象からUFO事件、さらには未解決の猟奇事件にいたるまで古今東西の奇譚について山のような資料を渉猟かつ取材してその真相を探究している快男児である。

UFOファンである小生も何年前だったかは忘れたがたまさかそのサイトを発見してから快刀乱麻を断つが如き推理とその軽妙で「くすぐり」に満ちた文章をずっと愛でてきたのであるが、果たしてその宝玉の如き作品群は有能なる編集者の目にとまるところとなったのであろう、2018年にはこのサイトから幾つかの論考をピックアップした書籍「オカルト・クロニクル」が洋泉社より刊行されて洛陽の紙価を高らしめたのだった。

実はそのご、同書は思わぬ出来事に巻き込まれる。版元の洋泉社はつぶれ、同書はあえなく絶版となってしまったのである。が、おそらくは全国20万人のオカルトファンのカムバックコールが澎湃と高まったが故であろうと思うのだが、このたび同書は加筆された新版としてめでたく復活を果たしたのだった。

というわけで今回、なんか知らんが松閣先生から送っていただいた二見書房版を早速拝読したのであるが、小生も年々ボケが進んでいるようで洋泉社版の細部は忘却しており、今回あたかも初読のようにしてこの本を読めたのは実に喜ぶべきことであった(泣

ちなみに今回の新装版のコンテンツは前著とマルマル同じというワケではなく、そのご明らかになった新情報を踏まえての加筆がされていたり、新ネタやムック本に掲載された他の論考も収録されているので、前の本を持ってる人も買って損はない。

それで、本の内容はここでオレがいちいち紹介せずとも読んで笑っていただくのが一番良いので改めて触れないが一つだけ言っておきたいことがあって、それは何かというとこの松閣先生は基本的に文体がふざけているので見過ごされがちだけれども実はけっこう深いことを論じていたりするということである。

たとえばこの本の中では国内でおきた謎の失踪事件が二つほど取り上げられているんだが、そうしたくだりで松閣先生は民俗学者の小松和彦氏なんかを引用しつつ昔の人間には「異界に連れ去られた、天狗に連れ去られた」みたいな説明でこういう悲しむべき事件を腹におさめ、諦め、あるいは不承不承ではあれ納得する知恵みたいなものがあったけれども現代人はそうはいかんのよなあみたいな話をして慨嘆しておる(なおこれはオレ流に意訳した表現で実際にこういうコトバ遣いをしているワケではない悪しからず)。

さて、その上で松閣先生が失踪事件について持ち出す仮説はたとえば「北朝鮮工作員による拉致」説だったりするのだが、残念ながらと言うべきか、読む側からすると他のオカルトっぽい解釈なんかではなくこういう身も蓋もないこの仮説が一番すんなりと腹落ちしちゃったりするのだった。世知辛い話ではあるが、要するにオカルトは現代においてはなかなか生きづらい。なんだか寂しい。そういう時代批評になっている。

そういうわけでコレは単に読み捨ててオシマイの本ではない。再読三読に耐える本なのである。ちなみにまえがきには続編刊行のプランもあるようなことが書いてあった。従ってこの新装版はゼヒ多くの人に買ってもらって、第二弾刊行を後押ししていただかねばならない。(おわり)


【追記】そうだ、あと一つ気になったことがあって、それは松閣先生はこの本の中で時々ブラックなジョークをとばして我々読者を笑かしてくれるンだがそのつど「冗談だが」みたいな言い訳を付している。こういう風に書かないと怒って抗議してくるバカがいるからだと思うが、そんなバカは放っといてエクスキューズなしにしたほうが洒落ててエエと思うた


















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