辺境ブログとはいえあんまり放置しておくのも何だから、というワケで、今回は「天声人語」ネタ。

けさの「天声人語」もまた首を捻らざるを得ない出来であった。

今回のコラム、この天声人語子が駆け出しの頃にサツ回りをしていて、殺人事件の取り調べ室の近くまで忍び込んだという武勇伝(?)から始まる。すると、取り調べ室から「ひ、と、ご、ろ、しー」という刑事の罵声が聞こえる。犯人を「落とす」ために、高圧的な取り調べをしているんだろーなーと思った、という。で、こんなことを書いている。

犯人を自供に追い込むことを俗に「落とす」という。あの調べが落としの 腕前としてどうだったのか知らないが、適正なやり方とは思えない。密室のことを記事にする術を当時は知らず、苦い思いが残った

で、最終的には、取り調べの様子をビデオとかに記録する、いわゆる「捜査の可視化」を進めないといけないなーという、ま、ありきたりな結論に着地するんだが、それはそれとして、オレとしては先の文章の「密室のことを記事にする術を当時は知らず、苦い思いが残った」とゆーくだりに疑問を感じた。

本当なのかこれは。

今もたぶんそうなのだろうが、記者のイロハといわれるサツ回りは、警察にどれほど食い込むかが勝負でアル。で、サツ官からさりげなくリークしていただいた情報を他社に先駆けて書くと「特ダネ」といって褒められる。そういう世界では、サツのジョーシキに自分を同一化させねばやっていけない。「でかい声で被疑者をドーカツするような取り調べしちゃいかんよなー」みたいな事をいってたら、サツに食い込むもナニも、「なに理屈こいてんだYO、そんなこと言ってるから抜かれっぱなしなんだYO。ホントできないヤツだなー」とかいって落伍者の烙印を押されてオシマイなのである。

さて、この天声人語子は朝日の看板コラムを書いているぐらいだから、上役の覚えめでたく、順調に出世なさってきたのだろう。となると、「あの調べが落としの 腕前としてどうだったのか知らないが、適正なやり方とは思えない」などと書いているが、まぁこういう体験が実際にあったとして、少なくとも当時の彼は「サツってこういうものなんだよなー」と、したり顔で頷いていたのではないか。

もちろん「密室のことを記事にする術を当時は知らず」とかいって、当時の自分はウブだったんでナニもできませんでしたみたいにカマトトぶって誤魔化しているけれども、「こういう取り調べはおかしい」と思ったら、記事に書けないワケがない。もちろん実際に書いたら支局のデスクか何かから、「こういう記事は通せない」とかいってボツにされただろうが、少なくとも「書く」ことはできる。

ここからは推測になるが、つまり当時の彼は、先に書いたように、そういう高圧的な取り調べは全然問題ないと思っていたのだ。あるいは、良くないことだとは思ったが、そういう「ラディカル」なことを言うと上役に睨まれるから止めておこう、と思ったのだ。

もちろん天声人語子は「そんなことはない」というだろうが、そう言い張るには、この文章はあまりにも不自然過ぎるのである。逆にいえば、そういう疑念を与えるような文章しか書けないという時点でダメである。

とまれ、「自分だけを高みにおいて他者を批判する」という、天声人語特有の典型的語法がココにはみられる。どうだろうか、「昔のオレもサツ官が被疑者をドーカツするのは当然だと思ってました、スイマセン、アレは間違いでした」という風に「正直」に書いたほうがよほど説得力があると思うのだが。