当ブログもまたしばらく放置しておいたわけだが、自分でも「こんなもの開設しておったか?」と忘れかけた頃にひょっこり書いてはまた蟄居、というのがここのスタイルである(笑)。

閑話休題。「身過ぎ世過ぎ」という言葉があって、つまり「口に糊して生きていくための方便」みたいな意味なのだが、もう初老に入りかけた身からすると実に味わい深い言葉である。誰だって「こんなこたぁしたくねえけど、食ってかなきゃいけねえしなー」と思うことはあって、ま、若い時分にはそれなりに突っ張って「イヤなことはイヤなんだYO」とか言ったりしていても、ジジイになるとそうもいかないのだった。

それはつまり、自分で「イイ!」と思ったものが必ずしも世の人々には受け入れてもらえないというトコロに起因する話であって、そういうときには「売れる」ために妥協しないといけない。

というわけで、ある程度トシのいった人間はこういう運命というものを身を以て知っているのだが、たまさか「あぁこの人もそうなんだろうなあ」などと感慨にふけることもある。

たとえば円盤研究家である。ご承知のように円盤の世界というのは市場が極端にシュリンクしていて、端的にいえばよほどのことがないと「売れない」。真面目に文化現象としてとらえるような知的風土はこの国にはない(いや、そもそもそんな国があるのかという気もするが)ので、いきおい「売る」ためには真偽不詳のセンセーショナルの話を売りものにしなければならない。「こんなの嘘に決まってんだけどなー」とかいいながらも与太話を本にしたりする。

こういうのはけっこう哀しい。誰とはいわんが。