仕事の関係でちょっと調べものをする必要があり、先日「大宅壮一文庫索引総目録」というのを見ていたら、「件名編6」という巻に「宇宙人、空飛ぶ円盤(UFO)」という項目があった。仕事そっちのけで、しばし見入ってしまった。

ご承知のように大宅文庫というのは、かつて一世を風靡した評論家の大宅壮一氏が、とかく散逸しがちな雑誌記事を項目ごとにまとめて整理・保存した私設図書館で、今も世田谷・八幡山の松沢病院の近くにある。そのレファレンス用にこういう目録本まで作られているわけだが、円盤・宇宙人ネタの項目もちゃんと立てていたというのは、さすが世相風俗みたいなところまで幅広く目配りしていた一流評論家だけのことはある。

で、この「宇宙人、空飛ぶ円盤(UFO)」という項目にかんしていえば、1950年から1984年までの雑誌記事(一部新聞)のタイトルが載っていて、もちろんすべての雑誌記事をもれなく拾っているわけではないが、個人的には「おやまぁそうだったのか!」と思うような発見がいろいろあった。

まず、「プレイボーイ」は良い仕事をしていた、ということ。

これは週刊のほうの「プレイボーイ」だと思うのだが、けっこう円盤ネタを掲載しているのだった。リストの中で一番古いのは、

1973年5月1日号『危機!東京に空飛ぶ円盤が襲来!! 近郊に基地が・・・!?消防署員・警察官も確認したUFO』

であるが、74年5月14日号には、あの懐かしい

『"ボクは空飛ぶ円盤UFOに乗り宇宙人と対話した!!"  北見市、藤原由浩クンの「異常体験」』

というのが載っている。世に言う「仁頃事件」(74年4月)、例のタコみたいな宇宙人とのコンタクト事例ですナ。

さらに特筆すべきこととしては、この雑誌には「UFO学のガリレオ」こと、アレン・ハイネックがしばしば登場しているのである。見たところ計3本。

77年1月18/25日合併号『インタビュー 衝撃の巨弾シリーズVIPインタビュー・イン'77アメリカ UFO研究世界一の権威者(J・アレン・ハイネック)』

78年6月6日号『インタビュー J・アレン・ハイネック博士のUFO大講義 あの未知との遭遇のゼネラル・アドバイザーが語る現代のパラドックス』

79年2月20日号『対談 いま世界を覆うUFOフィーバー』(J・アレン・ハイネック/斉藤守弘)


ハイネックといってもそれまで一般の知名度はほとんどなかったと思うのだが、彼が一枚噛んだ映画「未知との遭遇」の公開が77年で、このあたりで企画の通りやすい環境が整ったのだろうが、それにしても3年連続で登場させたのはエライ。

また、この最後の記事では、対談相手に奇現象研究家として知られた斎藤守弘氏を配したものと見受けられる(目録には「斉藤」と書いてあったが誤植だろう)が、このあたりもなかなかユニークな編集センスである。

ちなみに念のためWikipediaで斎藤守弘氏の項目をみたら、「明らかに嘘、捏造である記事を、検証もしないまま書きまくり、オカルト・ブームに大きな影響を与えた」とか書いてあって、ついつい笑ってしまった。しかしそんなこと言い出したら、心霊モノのN・Tさんとか、もっとスゴイ方々がいっぱいいたような気もするぞ。あとWikipediaを見る限り、この斎藤氏はご存命でいらっしゃるようだ。

閑話休題。「プレイボーイ」に話を戻すと、このほかにも、

79年4月10日~5月1日号『連載 外宇宙からの帰還(レイモンド・E・ファウラー)』

なんて渋いのを載せている。けっこう通の編集者が「中の人」にいたものと推察される。

オカルト雑誌といえば月刊「ムー」、というのがお約束(ちなみにこの目録には出てこない)だが、「ムー」は1979年創刊というから、それ以前は「サブカル派生ネタとしての円盤」というものについて「プレイボーイ」はけっこう有力なメディアだったのではないだろうか。ネーちゃんのグラビアにはだいぶお世話になった記憶があるものの、オレも円盤系の事は全然覚えていなかった。しかし、そういうところはちゃんと再評価してあげたいものである。

(つづく。たぶん)