このたびの御嶽山噴火のニュースを見聞きしているうちに、「ハテ、そういえば何か御嶽山にまつわる怪異譚のようなものを聞いて、ちょっと調べてみたことがあったなぁ」と思い出した。


改めて記録をひっくり返してみたのだが、この御嶽山での「神隠し」の話、浜田政彦『異次元に広がる超文明世界の謎』という本に書いてあった。

 

以下、同書263Pからの抜粋。



神々の聖地として敬度な巡礼者が山道を行き交う、いわゆる「聖地」でも神隠しは起きている。木曾の御岳山で、巡礼者が神隠しに遭ってしまう事件が起きたのだ(以下、松谷みよ子氏の収集事例) 。

  1979(昭和54)年7月15日のことである。天狗の棲む霊山として、古来、人々の信仰を集めている木曾の御嶽山で、一人の男性が消えた。この男性は御嶽山参拝ツアーの一人で、ツアー仲間と山を登っていたのであるが、ふと気がつくと男性がどこにもいないことに仲間が気がつき、事件となった。一緒に登っていた仲間たちは、消える直前まで男性の姿を目にしていたという。このときは四百人近い人数で大捜索が行われたが、男性は二度と見つからなかった。

  男性が消えてわずか4日後に、再び事件は起きた。58歳の男性が登山中に消滅したのである。男性のすぐ後方を歩いていた目撃者によると、道の前方にある大きな岩陰に、男性の姿が隠れたと思ったら、次の瞬間には消えていたという。目撃者は岩に着くとすぐに辺りを捜したが、男性の姿はどこにもなく、そのまま消えてしまったのであった。

 御嶽山ではこのほかにも、76年に登山隊のリーダーが仲聞の目の前で消滅する事件が起きている。先頭を歩くリーダーを後方から追っていた仲間たちは、消える直前までリーダーの元気な声が、すぐ前から聞こえていたという。だがほんの一瞬目を離した隙に、リーダーは掻き消えてしまったというのだ。




この浜田政彦という方はオカルト系の人のようなので怪しまれる方も多いと思うので言っておくが、ここで紹介されているエピソードは童話作家として民話採集にも取り組んでこられた松谷みよ子先生の「現代民話考」シリーズ――おそらくは「第一巻 河童・天狗・神かくし」――に出ている話のようであるし、まぁまんざら根も葉もない話ではないだろうと思う。

思うんだが、残念ながらこの本は手元になかったのでオレ的には確認できなかった(注:その後、出典を確認した)。そこで、じゃあせめて最低限のウラ取り、というわけで念のため当時の新聞を調べてみたら、確かにそれらしき「事故」のことが書いてあった(以下引用はいずれも読売新聞)。


 

1979年7月16日夕刊(字が小さくて読めないと思うが、読みたい人はクリックして確認せられたし)


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続報。1979年7月17日夕刊

790717夕



第二の事件。1979年7月19日夕刊

79719夕



新聞のほうでは、2件目の失踪者は「59歳男性」とあって微妙に記述が異なっているし、もとより「次の瞬間には消えていた」などという話は書いてないワケだが、時期的にはピッタリ符合しておる。さらなる続報は発見していないのでその後どうなったのかはよくワカランけれど、ともかく少なくともその当時、「神隠し」という話には一定のリアリティがあったのだろう。

 

何となれば、ご承知のように御嶽山は古くから山岳信仰の聖地であった。いわば何か常ならぬ世界へと開けている場、怪異であるとか何か恐ろしいことが起きてもおかしくない場として古人も観想していたのである。そんなことをアタマに置いて今回の災害のことを思うと、何か慄然としてしまうようなところがある。古人が語り継いできたような話は決して軽んじてはならぬのではないか、柄にもなくそんなことを思う。


付記

なお、御嶽山で有史以来はじめての噴火があったのは1979年10月28日。この一連の「神隠し」事件のわすか3ヶ月後であったことを言い添えておきたい。だからどうだ、ということではないけれども。