新聞の事件記事でたまに見るのが、この「意味不明のことを話しており」というフレーズである。

当然、何かしでかした犯人が捕まって警察の取り調べを受けているときに、この「意味不明のことを話しており」状態になるのである。

もちろん、これは昔であれば「キチガイ」のひと言で済んだわけだが、今の人権感覚の進んだ社会(笑)ではそういう事はいえない。その辺をニュートラルに言うなら「精神病者」ということになるんだが、これは「精神科医にかかってそういうふうに診断された」という客観的事実を押さえないと使えない言葉なのだ。だから犯人が捕まったばっかり、という状況では、まず「精神病者」などと言うことはできない。

だから「意味不明のことを話しており」になってしまうんだが、オレなんかからすると、こういう言い方はすこぶるギマン的である。

確かに「キチガイ」と正面切って言うよりはマイルドである。あるけれども、このバアイ、「意味がある・ない」というのはマワリの人間が勝手に判断して言っているのであって、その犯人の立場からすると、おそらく何か意味のあることを言ってるつもりなんである。

となると、「意味不明」とか切って捨てるのは、「コイツとは意志疎通できねーな」といってコミュニケーションを拒絶してる点で「キチガイ」といって排除するのと五十歩百歩である。とゆーか、「キチガイ」と切って捨てた時の「こっち側の独善性」みたいなのを糊塗してる、という点ではむしろあくどいような気さえする。

ことほどさように、最近の言葉狩り→とりあえず言い換え、みたいな流れはギマン的である。マイルドな言い換えで自分(たち)の特権性をなかったことにする。何だか気持ちの悪い時代である。


追記
たまたま、いまテレビのニュースでも言っていたんだが、「心肺停止」って言葉もなんかそういう責任転嫁っつーか、「状況を自分で背負いたくない」的文脈では通底しているよなぁ。「医師が診断しなければ死んだかどうかわからんので、いま目の前に転がってるのは心肺停止のヒトである」、というのはどう考えてもバカの寝言であるわけで。