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今回はこの同人誌「空飛ぶ円盤最後の夜に」の読書感想文を書いてみたいが、その前に、まずは長々とした前振りを書かねばならない。


知る人ぞ知る円盤本の名著に『何かが空を飛んでいる』(略称「何空」)というのがある。

著者の稲生平太郎というのは英文学者の横山茂雄氏のペンネームなんだが、もともと1992年に刊行されたこの本は、ある意味で日本のUFOシーンにデカすぎる一石を投じた本なのだった。

もともと日本で「円盤」というと、「宇宙人の乗りもの?」みたいな視点で矢追さんとかメディアとかもいろいろ取り上げてきたわけで、もちろんそれは米国の初期ユーフォロジーの大立者、ドナルド・キーホーあたりが言い出して以来、とりわけ米国ではデフォルトともいってもいい問題意識であったため、その辺の事情もコミで円盤ネタを「輸入」してきた日本でも「円盤≒宇宙人」とゆーコンセンサスができてしまった、ということなのだろう。

ところがこの『何空』のスタンスは、違った。

そもそも円盤類似現象というのは大昔からあったもので、いわゆる妖精なんてゆーのは虚心坦懐にみれば「宇宙人」と五十歩百歩だったじゃないですか、そういや誘拐=アブダクションなんてのは妖精のお家芸ですゼ、円盤現象というのはことほど左様に人間存在と骨絡みになった怪奇現象なんですヨ、「宇宙人」なんて、あなた、そんなお手軽な説明じゃ割り切れんのですよ、みたいな事を説いたのだった。

ちなみに、この手の「奇現象としてのUFO」みたいなアプローチは米国のジョン・キールなんかも取り入れていたし、ヨーロッパでは「ニューウェーブ」などと呼ばれて一定の支持を集めていたらしい。ま、オレがそのあたりの事情を知ることになるのは、遥か後のことだったが。

さて、この本が刊行された1992年というのは、オレも円盤系と切れていた時代だったこともあり、この本のことはずっと知らんかった。それが2000年頃だったか、確かニフティサーブかどっかで耳にして、こいつは面白そうだと思って買おうとしたんだが、もう無かった。絶版になっておったのである。いわば幻の名著。くそッ、てなワケで、「復刊ドットコム」にリクエストを出したりしたんだが、無いものはしょうがない。で、図書館で借りて読んだ。結果はいうまでもない、あぁなるほどこいつは目からウロコだ、マスト・バイのUFO本だ、とオレは大いに感激したのだった。

ま、そのような本でもあり、復刊を望む声が朝野に満ちた結果ということなのだろう、昨年暮れに『定本 何かが空を飛んでいる』という名前で、ようやく復刊が成った。オレにとっても10数年越しの願望が叶ったのだった。


・・・とゆー、とてもとても長い前振りを受けて、ここからが本題になる。

世の中にはいろいろな人がいて、やっぱりこういう怪現象としてのUFOが大好きだということで「Spファイル」という同人誌を立ち上げた奇特な方々がいたのだった。たまたまその活動を知ったオレは感激し、その創刊時から購読をさせていただいておったわけだが、こういう方々だけに、やはり『何かが空を飛んでいる』には皆さんリスペクトをもっている。

となると、昨年の『定本 何かが空を飛んでいる』刊行は一大事件である。こいつは何とかせねばならん、ファンブックを作りましょうかという話になって、で、今回の「空飛ぶ円盤最後の夜に」が誕生した。そういう話なのである(と聞いている)。

というわけで読ませて頂いたのだが、うむ、実に良かった。

まず何と言っても感心してしまうのが、著者・稲生平太郎へのインタビュー「<他界>に魅せられて」である。もともと英文学の専門家である稲生氏、加えて小説も書けば、映画評論もし、かつてはこんな円盤本も書いていたわけであるから、一見「どういう人なんだ?」ということにもなってしまうんだが、このインタビューを読むと、その辺が全然ヘンじゃないことがわかる。

つまり、タイトルにも出てくる「他界」というのがキーワードである。

この世の中というのは、何かのっぺらぼうで淡々としていて、誰かさんの言葉を使えば「終わりなき日常」が続く世界に過ぎず、何かつまんねーな、と思うことはオレなども再々あるわけだが、いやいや、どうやらこの世界、時と場合によっちゃワケのわかんない裂け目も発生するし、破綻もするよ、条理を超えた意味不明なもの、魑魅魍魎が跋扈する時だってあるんだし、みたいなことを稲生氏は考えているらしく、だからこそ、そういう「他界」に開かれている窓として幻想文学を読んだり書いたり、奇っ怪な映画が現実感覚を崩壊させる瞬間の快感を語ったり、奇現象としての円盤を語ったりしてきたのであろう。

まぁ抽象的なことを書いてしまったけれども、その辺の「他界」への希求といったものを、インタビュアー3氏は実に巧妙に語り手から引き出している。殊勲甲、である。

あと、常連寄稿者の論考も読ませる。

オレが「平成の戯作者」と勝手に命名している馬場秀和氏の「現代詩と円盤」は、円盤系のモチーフが出てくる現代詩を紹介している。さっきの「異界」の話じゃないが、詩的イマジネーションは、確かにそうした世界に我々を導いてくれるものかもしれない。詩的言語は因果律や物理法則とか一切超越してるしな。

ものぐさ太郎α氏は、UFO前史としての19世紀末の謎の飛行船騒動の総まとめを書いておられるが、ご専門だけに流石にお詳しい。「何空」は円盤現象の超歴史性ということを言っているわけで、その精神を踏まえて19世紀末の米国という時点にスポットを当てれば、こういうレポートができてくる、ということになる。

あと編集長のペンパル募集氏のジョン・キール論。先にも述べたが、『何空』はかなりの程度、キールの問題意識と重なり合うところから出てきた本なので、これは重要なポイントである。「この世界は決してあなたが思ってるような平板なものじゃないんだよ、ヘヘヘ」みたいな感じで、終生あやしげな奇現象の話を(あえていうが)書き飛ばしてきたライターの、その思想と立ち位置がよく見えてくる。

新田五郎氏の円盤マンガレビュー、原田実氏の「超常幻書目録」は、いずれもオレがよく知らない世界なのでいろいろ書けないけれども、それぞれにご専門のフィールドから円盤世界に切り込んでおって勉強になる。

まだまだコンテンツはあるんだが、感想はこの辺でいったん打ち切らせていただこう。ただ、一つ残念だったのは、「何空」の一つの源流であったUFO研究家、ジャック・ヴァレの仕事について、もうちょっと読みたかったナということである。改めて書いておくと、ヴァレは『マゴニアへのパスポート』(1969)などで妖精譚とUFO報告の類似性を指摘し、いわゆる「ニューウエーブ」の旗手と呼ばれた人物であって、稲生インタビューにも「影響を受けた人物」として出てくる。確かこのファンブックではヴァレ論も予定している、という話を聞いたんだが、いろいろと事情があったのかしらん。ま、今後Spファイルで掲載して頂ければ、と切に願っております。

というわけで、こういうものが同人誌で出てくるというのは、なかなか、日本も捨てたものではない。この中にも書かれているけれども、円盤文化自体は滅び行くプロセスにあるようで、やや寂しいような気もするのだが、そういう意味では同人諸兄には円盤現象の看取り役(?)としてさらなるご健闘をされることを期待したい(おわり)