今朝の「天声人語」を読んで、何かまた奇妙な感覚に襲われた。久々にちょっとツッコミを入れてみたい。

今回の「天声人語」の内容を簡単に紹介すると、昨年発生した「佐世保市の高1女子の同級生殺害事件」「名古屋大1年女子の老女殺し」という二件の殺人事件を俎上にあげている。ともに少女による犯行であり、しかも「人を殺してみたかった」という動機が共通している、であるからして

同じ悲劇を繰り返さないためには、彼女らを特異な事件を起こした存在として遠ざけてしまってはなるまい

とゆーわけで、ここから何か教訓を得なければいけないのではないか、といった感じで偉そうに説教を垂れている。

ただ、何か、ところどころ奥歯にモノのはさまったような書きぶりなのである。どういうことかというと、この天声人語、「いや、でもしかし、別にこれは最近になってこういう犯罪が増えてきた、みたいなトレンドがあるわけじゃないからね」みたいなエクスキューズをところどころに差し挟んでいるのである。たとえば、こういう感じだな↓

一つの特異な事例が、全体の傾向を代表しているわけではない

むろん、これをもって直ちに現代の少女がおかしくなっていると嘆くのは短絡だ。統計によれば少年犯罪は減り続けている。個別の事件と全体の傾向は 分ける必要がある

うむ、これは確かにその通りで、人口当たりの少年犯罪の件数などは、年寄りが「イイ時代だったよなあ」などと懐古しがちな昭和30年代などよりずいぶん減っているというし、少年犯罪の残虐さ・非道さというのはむしろ戦前のほうが凄かったんじゃねーかと思わせる『戦前の少年犯罪』(管賀江留郎著)みたいな本もある。マスコミもひところは「現代の治安はますます悪化している」みたいな、データに基づかない印象操作大作戦を展開していたんだが、さすがにソレは違うだろうということで、このように「別に少年犯罪はワルくなってるわけじゃない」と明言していること自体はたいへんヨロシイ。

ヨロシイんだが、しかし、とここで首をひねってしまうのである。

最近たまたま相次いだ少女による殺人事件が「全体の傾向を代表しているわけではない」し、「直ちに現代の少女がおかしくなっていると嘆くのは短絡だ」。そこまでわかってんなら、何でこんなコラムを書くのか。

オレに言わせれば、今回の事例はどうだったかしらんが、たとえば情性を欠如させたサイコパスみたいな存在は、どうしたって一定数この社会に出てきてしまうものである。今回はたまたま「少女」という括りで時間的に近接して二つの事件があったもんだから注目されているわけだが、天声人語子が自ら認めているように、こういう事例を「一般化」して何か言うというのは、そもそもオカシイことなのだ。

であれば、こんなコラムを書く意味はないのである。あえて「教訓」というのなら、「人間の生きている社会には、どうしたってこういう了解不能のことをしでかす人間が出てきてしまう、人間っていうのはかなしいよなー」というような諦念を引き出すのがスジというものではないか(あるいは、そういう人間をスクリーニングして片っ端から捕まえてどっかに収容セヨ、みたいな論理の転がし方もありうるが、産経新聞ならぬ「良識派」の朝日ではムリであろう)。

結局、ここから伝わってくるメッセージは、メタレベルでいうと「何か問題が起きたら何かリアクションをとるべきである、そういう風にオレたちは考えている、さぁどうだ社会派だろう偉いだろう」というものである。よほどネタに困ったのかもしれないが、というわけで今朝のようなコラムは流石にムリなので、天下の公器に載せてはいけない。