春節(旧暦の正月)とやらで休みになった中国人が日本にも大挙やってきていろいろ買い物しまくってる、というニュースをここんとこ続けざまに見せられた。

まぁ日本も消費不足でモノが売れなくて困ってるというので、こういうお客さんが来るのはとても良いことなのだろう。ま、ここんとこやることなすことダメダメの日本からすると、むかしは貧乏してた隣人が突然金回りよくなって贅沢しだしたみたいなもンで、なかなか心中穏やかならぬものがある(笑)。もっとも、外国にいってブランド品とか買いまくるというのは四半世紀前のバブル時代の日本人も盛んにやってたことでもあり、「あぁ、当時の日本人も世界からはこんな風にみえてたんだろうなぁ」と微苦笑してしまうのであった。

閑話休題。

オレは経済というものがからっきしワカランのだが、このようなトレンド――つまり、ごく一部とはいえこんなに金払いのいい中国人が大発生しているというのをみると、「あんたらそんなに浮かれていて大丈夫なのかい?」みたいなことをついつい考えてしまうのだった。

たとえば羽振りの良かった頃の日本であれば、「国民が勤勉でキチッとした仕事ができる」といったあたりが製造業の強みだと言われていて、実際に手堅い商品が世界にウケていたのである。最近はあまり元気ないようだが、たとえばイタリアあたりだと「腐っても鯛で美的センスは流石だ」とかナントカいって、ファッションとかのジャンルではなお気を吐いているようでアル。つまり、ある国が経済的に伸張するのはそれなりの理由があって、つまりその国民に独特の「才覚」が開花したときに万事うまくまわっていくのではないか、みたいなイメージがある。

さて、そういう目でみると、中国経済の「売り」というのは何なのか。

昔から華僑みたいな存在はいて、中国人は商売人としてはなかなか才覚があるようなことはいわれてんだが、それだけではないだろう。メディアとかでよく見聞きするのは、「安い給料でソコソコの仕事をしてくれる人間がウジャウジャいるんで世界中から資本が入っていって工場をいっぱいたてて、フル操業で世界中に輸出をしてボロもうけ」みたいな仕組みである。で、貧乏だった中国の人たちもがこうやって稼げるようになると、何しろ大市場であるから国内の消費もガンガンあがって景気はドンドンよくなる、という理屈であるらしい。

というワケで、なるほどそりゃうまくいくだろうなあ、とオレなんかも思ってたんだが、しかし、最近は労働者の給料もだいぶアップしてしまったようで、日本企業も「工場たてるならベトナムへ」みたいなトレンドもあるらしい。社会の高齢化も日本以上のスピードで進んでるっつーし、大丈夫なのかと思うぞ。

つまり、「安い労働力がある」というところからすべてが好循環しているンだとしたら、その前提が崩れたときにどうなっちまうのか、中国経済の繁栄っていうのは砂上の楼閣じゃねーのか、という気が素人ながらするのである。

で、話はもとに戻る。何か「中華民族にはこういう得意技がある」みたいなものがあれば、こういう悲観的シナリオとは違うような話にもなってくるんだが、じゃあそういう得意技みたいなのはあるのか。日本人の「勤勉」みたいなもの。

そこがよくわからん。安価な労働力を生かして、パソコンのパーツみたいに特定の規格に沿ったものを機械的に組み立てる、みたいな仕事だったらいくらでもできるだろうが、こういう仕事はもっと安い給料で働いてくれる人たちが出現したらなくなるのである。「先進国が開発した液晶パネルとかの技術をすばやくコピーして安く売る」みたいなイメージもあるが、いったん追いついちゃったらコピー作戦では済まなくなるので、自分で独創的なものを作らなきゃいかん。そこまで行ってるのか中国は。

わからん。中国共産党の偉い人たちはそのへん展望があるんだろうか。政治的には緊張関係にあるとはいえ、中国経済が高転びに転んだら、日本経済も大変なことになるらしい。さて、20年後とかにはどうなってるのか。